#101:祐樹の過去(16)友達以上【指輪の過去編・祐樹視点】
お待たせしました。
今回も指輪の見せる過去のお話の祐樹視点です。
まだ祐樹の過去のお話が続いています。
28歳の12月の頃のお話。
夏樹視点の#62・63の祐樹視点になります。
十二月の第二土曜日、この一ヶ月の間にいろいろな事があったけれど、今日のために頑張れたような気がする。心配していた夏樹からの、グルメの会を辞めたいと言う連絡も無く、今日の待ち合わせの場所と時間の連絡メールだけ届いた。彼女の素っ気ないメールでも、今の俺には嬉しいものだった。
指定された私鉄駅で落ち合うと、夏樹が歩いて行く方向を見て思い出した。この駅は彼女のマンションの最寄り駅だった。
「こっちの方にお店あったっけ?」
「看板も出してない、隠れ家的なとこかな?」
看板も出ていない様なお店? あまり外食をしない夏樹がそんなお店を知っているなんて……。誰かに連れてきてもらったのか? 女友達? まさか……、例のアイツか? 元カレか?
気になって訊いてみると、そんな事を訊かれると思っていなかった夏樹は、妙にオドオドしだして、何か隠している様な感じだ。
そのうちに夏樹が立ち止ったので、辺りを見るとそこは夏樹のマンション前だった。
「あの、違うの。私あまり外食をしないのは本当で、だから、案内できるお店が無くて……。それで今日は、手料理を食べて貰おうと思って……」
「手料理? 誰の?」
「わ、私の……」
「どこで?」
「私の部屋で……」
「………」
「………」
なんだって? 夏樹の手料理を食べさせてくれると言うのか? それも夏樹の部屋で……。俺は一瞬、妄想で眩暈がしそうになった。
いいのか? いいのか? 女性の一人住まいに俺を入れても。
「夏樹、俺みたいな女ったらしを部屋へ入れていいの?」
「え? いや、あの……、女ったらしって……。祐樹さんの事は信頼してるから、大丈夫です」
夏樹は俺を信頼していると言いながら、こちらを見ようともせず、定まらない視線が泳いでいる。
そんな動揺している彼女を見ていたら、笑いが込み上げてきた。
「夏樹、今すごく不安になっただろ?」
「やっ、そんな事無い! 信頼している。とても信頼していますから……」
その焦り方、本当に信頼している?
「ぷっ、動揺まるわかり。まっ、そんなに信頼してもらったら、その信頼に答えなきゃな。それに夏樹の手料理も食べたいし……なっ」
俺は彼女の顔を覗き込んでそう言った。本当は、動揺して焦りまくっている彼女が可愛くて、抱きしめたい衝動を、必死で押さえていたんだ。今ここでそんな事をしてしまったら、楽しみの手料理も食べられなくなるどころか、また女たらしのレッテルを貼られてしまうからな。
夏樹に案内されるまま部屋へ入った。1LDKのその部屋は夏樹の人柄を表すように、きちんと片付いて温かい雰囲気の部屋だった。
「男性を招待するのは祐樹さんが初めてだから、光栄に思ってくださいね」
中へ上がった時、彼女はここぞとばかりにニッコリ笑って、そう言った。一瞬驚いたが、彼女が俺の部屋へ泊まった時に、俺が言った言葉に対抗して言っている事に気付き、心の中でニヤリとした。
「へぇ、それはとても名誉な事で……って、アイツは来た事無かったのか?」
俺は余裕の反応を示そうと言いかけて、ふと思い出した。プロポーズまでして来た元カレも、部屋に入れた事無いのか? それにこの間紹介してくれたアイツもか?
突然湧いた疑問に彼女は少し苛立ったように、俺が初めてだと、改めて言った。
それって……、俺の事をただ信用している友達だからと言うだけか? 付き合っていた人さえ入れた事の無い自宅へ、俺を入れる気持ちは何なんだ? 少しぐらい期待してもいいのか?
そして、テーブルに用意された料理を見て、又驚かされた。家庭料理ばかりだけれど、その品数の多さに思わず「凄いな」と呟いていた。
これ、ただの信頼のできる友達のために作る料理にしては、手が込み過ぎているだろ? こんなにたくさんの料理を、朝から俺のために作ってくれたと言うのか? やっぱり夏樹は俺の事……。
彼女の料理は、見かけ以上に美味しかった。彼女の手料理を食べられる嬉しさに箸が止まらず、食べる事に夢中になっていると、彼女の視線を感じた。不安げに揺れるその眼差しに気付き、「美味しいよ」と告げると、彼女は安心したように嬉しさいっぱいの笑顔を返した。
ああ、やっぱり、そうだろ? 彼女の性格からして、男性を部屋へ入れる事さえあり得ないのに、こんなに豪華な手料理を俺のために用意してくれて、俺の反応に一喜一憂している彼女も、俺と同じ気持ちだろ?
そう思うと、嬉しさが込み上げてきた。緩みそうになる頬を引き締めて、それでも高揚する気持ちは抑えられず、上機嫌のまま後片付けを申し出た。
片づけの後、二人でまったりとコーヒーと紅茶を飲みながら、この雰囲気に妄想を膨らます。そして思わず「夏樹は良い奥さんになりそうだな」と口から零れていた。
今すぐにでも、この想いを告げられたら……。でも、まだ美那子さんとの問題も解決していない今、正義感の強い彼女の事だから、この事を知ったら俺の事を軽蔑するかもしれない。それに、祖父さんに反旗を翻した今、祖父さんは俺の事を監視するかもしれない。夏樹の事が知られてしまったら、それこそ親父の二の舞だ。せめて、美那子さんとの事だけでも解決してから……。でも、それまでは夏樹に他の男が近づけない、一番近い位置をキープし続けなければ。
俺はそう決意すると、目の前の夏樹にニッコリと笑いかけて言った。
「それで、今後のグルメの会は夏樹の手料理を食べさせてもらえる訳?」
俺はきっと夏樹が恥ずかしそうに頷くと思ったんだ。それなのに、彼女の口から返って来たのは以外な言葉だった。
「今後のグルメの会って……。今回でお終いでしょう?」
そう言った夏樹は、先程まであんなに嬉しそうに一緒に食事をしていた彼女と同じ人だとは思えない程、冷え冷えとした眼差しを返した。
俺は思わず「辞めたいのか」と訊いたが、夏樹は「私は知っているんです」と意味深な言葉を言い、俺の反論に呆れたように大きく息を吐いた。そして夏樹は冷えた眼差しのまま言った。
「あの……、祐樹さん、婚約おめでとうございます」
俺は息が止まった。いや、止まったように感じた。夏樹の口から、こんな言葉が出てくるなんて、思ってもいなかった。前の婚約者がいると言う話なら、断ったと話したのに……。あっ、舞子さんか。この前、結婚も婚約もしないと言ったのに、信じてくれなかった。だから、夏樹に伝わったとしても、不思議じゃ無い。こんな事、簡単に想像できたはずなのに、自分の気持ちに浮かれ過ぎていた所為だ。
俺はすぐさま否定した。本人が否定しているのに、なかなか信じないのは別の所に理由があったなんて……。
「私、祐樹さんと婚約者さんがショッピングモールを歩いているのを見たんです。宝飾店から出てくるところを……。それって、そういうことでしょう?」
えっ? 見られていた……。
祖父さんの命令で美那子さんと宝飾店へ行ったのを……。
俺は思わず舌打ちをしていた。そして、「あれは祖父さんの陰謀なんだ」と言い訳をした。
「前に祖父さんの決めた許嫁の話を断ったって言っただろう? 俺は断ったつもりでいたんだ。でも祖父さんは、諦めてなかった。俺の知らないところで外堀を埋めて、婚約披露をするって言いだして……。勝手に許嫁の相手と食事に行くように仕向けて、断れないようにしやがった。それが、夏樹が見た時だよ。それで、その時、俺は相手に直接断ったんだよ。そうしたら、彼女もこちらのお願いも聞いて欲しいって言いだして、父親にねだるクリスマスプレゼントの下見に一緒に行って欲しいって言われて、仕方なく宝飾店へ行ったんだよ」
俺は宝飾店へ行った理由について、咄嗟に嘘を吐いた。婚約指輪を見に行ったなんて言いたくなかった。それこそ夏樹が疑った通りの理由じゃないか。たとえ、断ったのだとしても……。
夏樹には早く俺の婚約者の存在を忘れて欲しい。まだゴタゴタしているけれど、俺は美那子さんとは結婚するつもりは無いのだから……。
俺の言い訳で分かってくれたのかどうか、夏樹は神妙な顔をして考え込んでいた。そして、この後彼女が言った言葉は、またしても俺の想像をはるかに超えていた。
「祐樹さんって、酷い人ですね」
はぁ? どうしてそんな反応になるんだ?
夏樹は続いて婚約者とお見合いしてからどのぐらい経つのかと訊いて来た。俺が正直に答えると、益々顔をしかめた。これは夏樹お得意の正義感の所為なのか?
さっきまで、夏樹は俺の事を想っていてくれるんだと喜びに浸っていたのに、どうしてこんな展開になるんだ。
「お見合いして、断らなかったら、結婚に向けて付き合って行くものじゃないんですか?それで、断らないまま、たまにしか会わない……って、どれだけ不誠実なんですか! 結婚する気が無いなら、すぐに断らないと、相手の次の出会いを奪っている様なものです。それに、相手の方が祐樹さんの事を好きで結婚を楽しみに待っていたのだとしたら、とても残酷な事していると思いませんか?」
おい、ちょっと待てよ。
正義感で突っ走る夏樹は、俺をことごとく責め立てる。
確かに、最初は結婚するつもりだったから、断らなかったよ。それに、結婚するのだから別に何度も会う必要は無いだろうとも思っていたよな。でも、やはり結婚できないと思ってからはすぐに祖父さんに断ったんだ。祖父さんに断ったからと言っても、相手に伝わっていなければ同じ事か……。それでも、美那子さんが俺の事を好きだと言う事は無いだろうし、楽しみに待っていたと言う事も無いだろう。
しかし俺は、美那子さんの気持ちを思いやる事はしてこなかった。彼女は何の感情も無いと決めつけていた。そうだよな、俺の一方的な気持ちばかりを押しつけていたのだから……。
俺は今更ながら、美那子さんに対して誠実じゃ無かった事を反省した。その事を夏樹に告げると、「今からでも誠実にその相手の方と話し合いされたらいかがですか?」とか、「真剣に結婚の事を考えてお付き合いされたらいいんじゃないですか?」とか、やけに真剣なアドバイスを返された。
それって、夏樹は俺が美那子さんと結婚した方がいいと思っているの? 夏樹は俺の事、何とも思っていないの?
一遍に気が抜けて溜息を吐き、首を振った。
「彼女とは結婚する気が無いから断ったんだ」
俺は根本的にこの話は断っているんだともう一度、分かって欲しくて言った。しかし、夏樹はしつこくこの話に食いついて来る。なぜなんだ?
「まだ、彼女と向き合っても居ないのに? 彼女の気持ちを聞きもしないで? こんな状態で断って、彼女は納得してくれるの? それとも、別に結婚したい人が居るの?」
いるよ! 目の前の君がそうだよ。
そう告げられたら、どんなにいいだろう? でも、今そんな事言ったら、また女たらしだと言われるんだろうな?
「夏樹……。俺の結婚問題はもういいだろう? とにかく今の俺は結婚する予定も、婚約する予定も無いよ。だから、それを気にしてグルメの会を辞めると言うのなら、気にしなくていいから」
俺は夏樹がなぜこんなにこの話に食いついて来るのか困惑しながら、この話を終わらそうと締めくくりのつもりで言った。しかし、夏樹は意地になっているのか、この話を終わらそうとしない。
「グルメの会の事より、女性として、長く許嫁として過ごしてきた彼女に対して、誠実に向き合ってほしいんです」
なぜなんだ? 君は俺に美那子さんと結婚して欲しいのか? 夏樹も俺の事を好きでいてくれると思ったのは、俺の思い過ごしだったのか?
俺は大きく息を吐いた。
「夏樹、どうして俺の結婚問題に首を突っ込む訳?」
そもそも夏樹がどうして俺の結婚話にそんなに食いついて、説教じみた態度を取るんだ? 今までだってそうだったよ。婚約者がいるのに他の女性と会うなとか、早く結婚しろとか……。
俺はそれをそのまま夏樹にぶつけてみた。俺の結婚話にいちいち口を挟むのはどうしてなのかと……。
すると、夏樹は自分では気付いていなかったのか、急に怯みだし、視線が泳いでいる。
なんだよ? 無自覚で俺を責めていたのか? それとも夏樹お得意の正義感からか? もしかして、天邪鬼な夏樹の好意の裏返しなのか?
あまりに動揺している夏樹を見て、俺の中でいつもの揶揄い心が芽生えた。そして俺は、夏樹にニヤリと笑いかけた。
「夏樹はそんなに俺の結婚が気になる訳?」
夏樹が絶句して焦った表情をしながら、視線をさまよわせているのを見て、内心苦笑する。いつもなら言い返してくるのに、今は動揺の方が大きいと言う事か。そして俺は、するりと話題を変えた。
「ところでさ、夏樹はアイツにも手料理をご馳走したの?」
夏樹は又慌てだした。プロポーズまでした元彼には食べさせなかったのかと突っ込めば、「私たちは友達の域を脱していなかったから」とのたまう。
「ふ~ん。だったら、こうして部屋へ入れてくれて手料理までご馳走してもらっている俺は、友達づきあいの域を脱しているのかな?」
俺は心の中でニヤリと笑う。夏樹には優しげな笑顔を見せながら追い詰めて行った。ごちゃごちゃと言い訳をしている彼女の言葉はスルーして、「じゃあ、これからも夏樹の手料理を食べさせてくれる?」と、会社で圭吾の兄から女子社員には見せてくれるなと言われている極上の笑顔で、彼女の顔を覗き込むように言った。彼女は魂を奪われた様にしばし呆けた顔をした後、我に返るとこくりと頷いた。
俺は夏樹の反応を見て、満足した。夏樹が俺の結婚を気にするのは、そう言う事だろ? 夏樹が婚約者に味方するのも、夏樹お得意の正義感と素直になれない天邪鬼の所為だろ?
いつだって感じていたさ。夏樹の視線に友達以上の物を……。もしかしたらとは、いつも思っていたんだ。俺の眼差しにも同じような想いが含まれているのかも知れない。でも今は、夏樹にとって一番近いポジションにいるだけでいい。ただでさえ、俺のバックにある物が夏樹にとってはマイナス条件なんだから……。とにかく今は、目の前の問題を解決しなきゃな。
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夏樹とのグルメの会の翌日の日曜日、親父から話があるから実家へ帰るよう連絡があった。
「昨日、会長がイギリスから帰ってきたので、話をしてきた」
親父はいきなり本題に入った。祖父さんの事だから、きっととても怒っただろう。
「それで、お祖父さんは何と言っていたんですか?」
「多少は予測していたみたいだったが、私まで動いた事に驚いていた。会長は私が祐樹を味方に引き入れるために、言いくるめたと思っている」
「なんだよそれ。俺は親父の味方にも、お祖父さんの味方にも、なるつもり無いからな。そもそも二人の争いに俺を巻き込まないでくれ」
俺が親父を睨んでそう言うと、親父は笑い出した。
「祐樹、私だって会長と争っているつもりは無いよ。ただ考え方が違うだけで、話し合いでお互いが少しずつ歩み寄ればいいと思っているよ。だけど、会長は自分の考えに従わない者は敵だと思っているからな。私はどうやら敵の大ボスらしい」
親父はどんなときでも穏やかな表情のまま、いつもの優しい語り口で話す。どんなときでも感情を表に出さずにいられる事は、さすがだなと思う。そんな親父を見ていると、俺はまだまだだと実感する。
「それで、お祖父さんは、今回の事は何と言っていたんですか?」
「祐樹、おまえは会長にも、美那子さんにも、西蓮寺さんにも、この話は断わったんだから、もう何も言わなくてもいいよ。確かに会長は怒っていたが、祐樹に黙って動いた事に対する負い目はあるから、多少は予測していたんだと思うよ。ただ、西蓮寺さんも納得していない以上、この話はこれで終わりと言う訳じゃない。でも祐樹は、会長がどんな無理難題や突拍子も無い事を仕掛けてきても、自分の気持ちを貫きなさい。又、何かあったら私に報告しなさい。できる限りこちらで処理するから。まあ、任せておきなさい」
そう言うと、親父は優しく笑った。目の前の親父は自分の思っていた父親とは違うと思った。今まで祖父さんに聞かされ続けていた、優しいだけで何も決断できない小心者とか、自分可愛さで言いだした事も貫けない臆病者だとか……。祖父さんに植え付けられた父親像のメッキが剥がれて行く。
「それでもこれは、俺の事だから……」
「祐樹、これはもう、おまえの結婚問題と言うだけではないだろう? 会社が絡んでいる以上、私も知らんふりはできない。おまえと美那子さんの間では話が付いているのだから、後は西蓮寺との付き合い上の問題だけだ。それと、一番厄介なのが会長の意地かもしれないがな。とにかく、おまえはもう自分のすべき事はしただろう? 後は私に任せて、仕事の方で少しでも高藤に恩返しができるよう、頑張りなさい」
俺はとりあえず親父に言われた様に、この件については親父に任せる事にした。そして、週明けの月曜日、社長に会社を辞めて浅沼へ戻る事になった事と、結婚も婚約も今の所無いと話した。直属の上司にも辞める事を告げ、恩返しのつもりで何もかも忘れて仕事に励んだ。ただ、お世話になった上司に、辞めた後の事を正直に話せないもどかしさはあった。取りあえず親戚の会社へ移る事になったとだけ話した。そんな風に二十八歳の年末は過ぎて行った。
2018.2.20推敲、改稿済み。