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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
1章.ご主人様と眷族の彼女たち
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08. 人形の献身

前話のあらすじ:

女の子たちを森に連れ込んで優雅な散歩。

燃えるような時間を過ごしました。(物理的な意味で)

   8


 日が落ちる前に、おれたちは以前にねぐらにしていた洞窟へと帰ることにした。


 主戦力であるリリィとローズは夜目も利く。……というか、ローズにいたっては眼球に類する感覚器官を持たないのだが、おれたち人間はそうはいかない。

 日が暮れて暗くなれば、ただでさえ見通しの悪い森を進む危険性は跳ね上がると考えた方がいい。


 リスクを恐れ過ぎて動けなくなるのは困ったものだが、避けられる危険は避けるべきだ。


 こうした理由で洞窟に帰ってきたおれたちは、すぐに食事の準備を始めた。


 今日のディナーはちょっと豪華だ。

 なにせ、体長二メートルを越える狼の肉が、丸ごと一匹手に入ったのだから。


 血抜きから始まる一連の処理は、殺してすぐにローズに任せてあるので、あとは切り分けてよく焼くだけだ。


 洞窟の中には肉の焼ける匂いが満ちる。

 おれは思わず唾を呑みこんだ。


 で、その結果だが。


「あー……」


 裏切られた。

 というのが、正直な感想だった。


 正直、期待していたのだが。


 これがもうゴムみたいに硬くてマズいのだ。

 喰えたもんじゃない。


 肉食動物の肉はマズいと何処かで聞いたことがあるが、これはそういうレベルでさえないように思える。処理を間違っている気がするレベルだ。


 何が間違っているのかはわからないが。

 おれは血抜きさえ知らなかったので、当然、これをどうすれば味がよくなるのかなんてわからない。


 そもそも狩った獲物の処理に関する知識も、本か何かで読んだらしい水島美穂の記憶の中から、リリィが掘り出してきたものなのだ。


 ひょっとしたら、モンスターの肉だったのが悪かったのかもしれない。


 現代日本の精肉会社は優秀だということがよくわかった。


 まあ、味の面では残念な結果に終わったものの、それでも、これだけたくさんのタンパク源を得られたのは大きい。


 実に久々になる満腹感を、おれは大いに味わった。

 リリィはそもそもまずいと感じていないのか、嬉々として肉を頬張っている。


 加藤さんも硬くまずい肉に文句を言うことなく、喉の奥に突っ込むように食事をしていた。


「すみません。……お先に、失礼します」


 疲れていたのか、加藤さんは食事を取ると、すぐに眠ってしまった。


「余程疲れていたんだな」


 洞窟のやや入り口よりのくぼみで、あの山小屋にあったベッドから剥いできたシーツにくるまって、加藤さんは小さくなっている。

 小さな寝息をたてて眠る彼女から、安らかな寝息が聞こえてくる。


 やや幼い容姿もあいまって、彼女はおれと一つ違いとは思えなかった。


 おれも少し疲れている。

 今日はそろそろ眠ることにしよう。


 そう考えたおれは、この洞窟の中で、何となくいつも眠っている定位置へと移動しようとする。


 すると、ぱっと腕を離したリリィが小走りにおれの前に先回りした。

 彼女は振り返ると、下半身だけスライムの姿に戻って、両手を差しのべてきた。


「どうぞ、ご主人様」


 相変わらずシュールな光景だった。

 だが、これが今のおれの日常でもある。


「リリィ。加藤さんが……」

「大丈夫だよ、よく寝てるし」


 リリィの言う通りで、加藤さんはすーすーと心地よさそうに寝入っている。


 大丈夫そうか。


 そもそも、リリィの正体は何が何でも隠し通さなければいけない秘密というわけでもない。


 隠していたのだって、念のためだ。

 いざという時のために切るための、伏せ札としての隠し事だった。


 そして、それだって必要がないことがわかっている。


 今日一日が終わって、大体、加藤さんの状態は把握できた。

 やはり、彼女に何かをするような気力はない。


 ただ言われるがままに黙々とおれたちについてきて、足を動かすだけのロボットを見ているようだった。

 ヌケガラとは言わないが、それに近い状態であるように思える。


 それに……えぇっと。

 何だったか。


 他にも理由があったはずなのだが、おれの頭はうまく働いてくれなかった。


 とにかく眠くて仕方がない。

 満腹になるということが、これほどに満たされた感覚を与えてくれるものだとは知らなかった。


 おれは反論をやめて、リリィが『生えている』隣に腰かけた。

 疲れがじわじわと背中あたりから大気に抜けていくような感覚があった。思わず、ふわ、と気の抜けた吐息が漏れた。


「ご主人様、眠いの?」

「ああ……」


 生返事をして、おれはリリィの華奢な体に寄りかかる。


「ご主人様って、意外と眠いの苦手だよねえ。今朝も何度か起こしたんだよ?」

「……うん、ああ、そう」

「なんか、ご主人様、可愛い」


 やけに嬉しそうな声で言って、リリィが腕に腕をからめてきた。


 ちなみに、リリィの着ているジャージは昨晩の一件で男子生徒から押収したものなので、当然ながら上下揃って下着の類はつけていない。


 そのため、幸せな弾力が二の腕にでたわんで跳ねる。


 おれに限らず男なら、これを嫌がることはないだろう。

 頭の悪い話だが、疲れがとれるような気さえした。


 ソファで二人、恋人同士寄り添うような気持ちで、おれはしばらくゆるやかな時間の流れに身を任せた。


「……ん? それは何を造ってるんだ、ローズ?」


 今日はこのまま寝てしまおうかとぼんやり考えていたおれは、ふとローズの手元に気をひかれた。


 ローズは今日も今日とてリリィと同じく寝ずの番をしつつ、焚き火の近くで木を削っている。


 武器・防具の作成はおれが彼女に申しつけていることだ。

 今日の戦闘を振り返ってみても、彼女に造ってもらった大盾がなければ、おれは大怪我をしているか、最悪、死に至っていたことだろう。地味だが、彼女の果たす役割は大きい。


 そんなローズが切り倒した木材からいま削りだそうとしているものが、武器や防具とは少し違っているように見えたのだ。


 おれに尋ねられたローズは、何か逡巡している様子だった。

 表情も何もあったものではないのっぺらぼうなのでわかりづらいが、確かに彼女は動きをとめて、おれの質問に答えるのを躊躇った。


 しかし、眷族であるローズにはおれの求めに応えないという選択肢はない。

 ローズはおれのもとへと向かってくると、地面に片膝をつき、先程から削りかけていたものをうやうやしく差し出してきた。


「作業の邪魔をしたなら悪いな。で、これは……ええっと」


 一度引っ繰り返してみて、全体を確認してから、おれは首を傾げた。


「腕か?」


 まだ粗削りではあるが、それは製造途中だからだろう。

 それは明らかに人間の腕の特徴を備えた人体パーツだった。


 おれが戸惑ったのは、どうしてそんなものをローズが造っているのか、その理由がわからなかったからだ。


 おれが首を傾げていると、ローズが自分の腕を差し出した。

 おれは何気なく差し出された腕を眺めた。


 焚き火がゆらめく赤色で、彼女の少し光沢のある木の腕を照らし出している。

 硬直した。


「そ、それ……っ!」


 木製の腕の先。

 ローズの指の一つが、炭化していた。


「今日のファイア・ファングとの戦いの時か!?」


 眠気なんて一気に吹き飛んでしまっていた。


「ああ、くそ。ぜんぜん気がつかなかった」


 おれはあいていた片手で頭を押さえた。

 自分の抜けっぷりが腹立たしい。


「……と、いうか、お前。ひょっとして隠していたな?」


 気まずげな意識がパスを通って伝わってくる。

 図星らしかった。


「まったく」


 おれは胸の中の空気を、怒りとともに大きく一度に吐き出した。


 仕方のない奴だと思いはするが、彼女のことを頭ごなしに叱るわけにもいかない。

 ローズはおれのことを気遣えばこそ、黙っていたのだろうから。


 ましてや、おれがいま感じている怒りは、半分以上が不甲斐ない自分自身に向けられたものだ。

 八つ当たりはいけない。


 あとあとのことを考えれば、彼女に注意をしておく必要くらいはあるかもしれない。

 だが、それよりも今はまず確認しなければいけないことが他にあるだろう。


「リリィの魔法じゃどうにかならないのか?」

「わたしの回復魔法は最大でも三階梯だから。部位欠損までは癒せないよ」

「部位欠損の回復は確か五階梯の回復魔法でも、特殊な部類だったか」


 おれにチート能力について熱く語ってくれた例のオタクな友人がやけに詳しかったので、おれも自然と魔法には詳しくなっていた。……これまで思い出すこともなかったが、あいつは元気にやっているだろうか。たとえ会ったとしても、以前のように馬鹿話が出来るようには思えないが。


「そうか。それでローズは義手を作っていたのか」


 それなら納得がいく。

 と考えたのだが、このおれの台詞に、ローズは首を横に振って否定を示した。


「どういうことだ?」


 埒が明かないと思ったのか、ローズはおれから腕を受け取った。

 説明というか、実演をしてくれるつもりらしい。


 おれが見守る先でローズは腕を一度地面に置く。


 そして、先端の一部が黒く焦げた自分の腕を、肘の部分から取り外すと、ローズは作りかけの腕を代わりにくっつける。


 かちりと部品同士がはまる音が洞窟に響く。


 おれが見詰める先で、まだ不格好な造形をした指先が、ぴくりと動いた。


「……は!?」


 付け替えたばかりだからか、それとも、まだ腕が製造途中のものだったからか、やや動きはぎこちない。

 だが、確かに動いている。


 適当にぐーぱーをしてみせてから、ローズは元々の腕へとつけかえた。勿論、こちらも元の通りに滑らかに動いている。


「ひょっとして、交換できるのか? 腕とか、足を?」


 これは、驚いた。

 便利だ便利だとは思っていたが、まさかこんなことまで出来るなんて思わなかった。


 単純そうな構造なのに、いったいどうなっているのだろうか。


 ……いや、違うか。

 むしろ単純だからこそ、か。


 元々、ローズの体というのは木製の人形で、それだけでは動くはずがないものだ。

 それを可能にしているのは、恐らくはモンスターの持つ不思議な力――すなわち魔力だろう。


 だったら、新しい腕につけかえたところで、それを元の腕と同様に動かすくらいのことは、やってのけてもおかしくはない。


 手傷を負ったことについてローズが黙っていたのも、自分で対処出来るからだったのだ。


 しかし、これは驚いてばかりもいられないな。


「ローズ。これからお前に、一つ命令を下す」


 おれはローズに向き直った。


「これからは武具以外に、自分の手足のスペアも造っておけ。……いや、そちらの方を優先しろ。なるべくなら、常にスペアを携帯しておく方が望ましい」


 おれの命令をローズが拒否したことなどない。

 すぐに了解の意思が、パスを伝わってくる。


 だが、同時に彼女の中にはわずかな疑念が芽生えていることも、おれたちの間の精神的な繋がりは教えてくれていた。


「自分の腕や足を作っておけと言われたことが、そんなに不思議か?」


 おれの問いにローズが頷く。

 本当にわからないらしい。


 おれは溜め息をつきそうになった。

 彼女がもしも本当におれの意図を理解出来ないのだとしたら、それは何と言うか……痛ましい。


 悲しいことだと思うし、ある種の責任を感じもする。


 そうしたおれの感情もまた伝わったらしく、ローズの中に動揺の気配が感じ取れた。


「言っておくが、『戦闘中に手足を失った時に素早くリカバリがきくから』なんて理由じゃないからな。それもないとは言わないが」


 ますますわからなくなったのか、ローズは完全にフリーズしてしまっている。


 困ったものだった。


 どう言ったら伝わるのだろうか。

 健気におれに尽くしてくれる彼女に。


 おれは少し考えて、言葉を選んでから、もっと簡単な方法があることに気がついた。


「なあ、ローズ」


 おれはローズの木製の手を取って、焦げた指を撫でさすった。


 それは、彼女がおれのために失ってしまったものだ。

 たとえ元の通りに戻るのだとしても、彼女が支払ったものの価値が変わるわけではない。


「わかりにくいかもしれないが、おれはお前のこともリリィに劣らず大切な仲間だと思っている」


 おれにとって信頼出来る相手は、この世界にリリィとローズしかいない。


 眷属はこれから増えていくかもしれないが、だからといって、彼女たちの価値が減るわけではない。


「なるべくなら自分の体を労わってくれ。これは命令じゃない。おれからのお願いだ」


 おれが戦うことを求めている以上、こんなことを言うのは、単なる欺瞞でしかないかもしれない。

 だが、これが今のおれの本音だった。


 ローズはただの人形に戻ってしまったように動きをとめていた。

 かと思うと、数秒で硬直から立ち戻り、その場に跪いて深く頭を垂れた。


 指先は離れてしまい、ただおれの中に温かみのある独特の感触だけが残った。


「頭をあげてくれ、ローズ。わかってくれたなら、それでいいんだ」


 薄々感じていたことではあるが、リリィとローズでは、同じ眷族ではあっても、おれに対するスタンスが少し違う感じがする。


 リリィはかなりフランクだ。

 口調もそうだが、態度も大分くだけている。


 これは、きっとおれが心を休める居場所を求めていたからだろう。


 現におれは、そんな彼女に癒されている。

 明確にリリィがその役割を得たのは、多分、水島美穂の遺体を捕食して、人間に擬態する力を得たあの時点ではないかと思われる。


 では、ローズの精神構造はどうか?


 これが、リリィとはまたかなり違っているように思えるのだ。


 すなわち、実直でいて謹厳。

 武人タイプで、黙々と己の職分を果たす、といったところだ。


 たとえば、今日だってそうだ。

 あの学生たちの死体を前にして、誰もが嫌がる陰鬱な仕事を、率先してやってくれた。


 気持ちの問題は勿論そうだが、腐敗の進んだ死体に不用意に触れれば、性質の悪い病気に感染していた可能性だってあった。

 リリィに手を出させなかったのは、彼女がおれに接触する機会が多いからだと考えられる。


 結果、彼女は汚れ役を一人で務めたわけだ。

 考えてもみれば、今日だって一人だけ、指を一本失う怪我を負っている。


 ――自己犠牲の忠誠心。

 ローズの本質は、それだ。


 リリィがおれの心の癒しであるのなら、ローズはもっと具体的に、この身の危険を排除するために此処にいてくれるのではないだろうか。


 言い換えるのなら、この過酷な世界で安心を得たいという、おれの願いにローズは応えてくれているのではないだろうか。


 彼女のことを見ていると、おれにはそう思えてならないのだ。


 それが正しいのだとしたら……いいや、そうではないとしてもだ。

 自己主張しないため影は薄くなりがちだが、おれは彼女の献身を忘れてはいけない。


 彼女の献身に報いなければならない。

 いいや。おれ自身が彼女に報いたいと、そう思うのだ。


「お前と話が出来れば良かったのに」


 何をしてほしいのか、何をおれに望むのか、それをその口から聞いてみたい。


「それをご主人様が望むのなら、わたしたちはきっと、それをいつか叶えるよ」


 口のきけないローズの代わりに、おれのつぶやきに答えたのは、横からおれを抱き締めるリリィだった。


「だって、それがわたしたち眷族だもの」

「リリィ……」


 それをリリィが本気で言っていることは、パスによって感じ取れた。


 いつだって感じ取れている。


 おれのためにいてくれる眷族たち。

 おれは彼女たちに何を返せるのだろうか。


「いいですね」


 その時、不意にシーツに包まれて眠っていたように見えた加藤さんが口をひらいた。


「羨ましい、です」

「……起きていたのか」


 ほとんど存在を忘れていただけに、おれは少し驚いてしまった。


 少し汚れた白いシーツにその身を包んだ加藤さんは、直前までの体勢は同じまま、目だけをひらけておれのことを見詰めていた。


「やっぱり、リリィさんもモンスターだったんですね」

「聞いていたのか」

「最後の部分を、ちょっとだけ。それに……リリィさんはいま、そんな姿ですし」


 加藤さんは下半身がスライムになっているリリィを目で示した。

 成る程。これは誤魔化しようがない。


「さっき、不意に……目が覚めまして。……すみません」

「いや。それはおれが騒いでいたせいだろう。それに……『やっぱり』ってことは、元々、勘付いてはいたんだろう?」

「……はい。その、すみません」

「謝る必要はない。黙っていたのはこちらの方だからな」


 どちらかといえば、隠し事をしていたこちらが謝るべきだろう。


 こちらの事情を包み隠さず話さなければいけない理由だってないから、謝りはしないが。


「参考のために聞いておくが、何処で気付いた?」

「そうですね。ファイア・ファング相手に、リリィさんは一歩も引かなかった、ですし」

「確かにそうだ。しかし、チート能力者だとは思わなかったのか?」

「ご主人様、って呼んでましたし」


 まあバレるか。

 おれが納得していると、加藤さんはやや言いづらそうに下を向いてから、改めてこちらに目を向けた。


「……それに、何より……水島先輩の姿、していましたから」

「水島美穂と知り合いだったのか?」

「はい」


 ほんの一瞬、加藤さんは視線を落とした。

 ひょっとすると、亡くなった水島美穂のことを思い出しているのかもしれない。


「黙っていて、すみません」


 加藤さんはおさげの頭を下げた。


「わたしは昨日まで、水島先輩と行動を共にしていたんです」

「そうか」

「驚かないん、ですか?」


 伏せていた事情を打ち明けた加藤さんは、おれの態度を少し疑問に思ったようだ。


「そういう可能性はあるだろうなと思ってはいた。あくまで可能性の一つだが」


 二人ともあの男子生徒たちに襲われたという共通点があった。

 そして、水島美穂の記憶を引きついだリリィは、あの山小屋と其処にいた男子生徒たちの存在を知っていた。


 元々、水島美穂が加藤真菜とともに、あの山小屋にいたのだと考えれば納得がいく。


 おれがこれまでそれをリリィに確認しなかったのは、極力、水島美穂のプライバシーに配慮した結果だった。


 故人の思い出を好きにする権利は、おれにはない。

 ただでさえ、おれは水島美穂に負い目があるのだ。身に差し迫った危険でもない限り、彼女の『知識』はともかく『思い出』には触れるつもりはなかった。


「加藤さんはコロニーから、水島美穂と一緒に逃げ出したのか?」

「はい。わたしがこれまで生きていられたのは……水島先輩と知り合いだったおかげでした……」


 相変わらず暗い声ではあったが、おれの疑問に答えてくれる加藤さんの声には、何処か優しい響きがあった。


 ――コロニー崩壊の日。

 加藤さんは暴徒と化した学生たちの間を、女子生徒の集団の一人として逃げ回っていたそうだ。


 その集団の中に水島美穂がいた。異世界に転移した今となっては意味のない繋がりではあるが、彼女たちは部活の先輩後輩として仲が良かったそうだ。


 あの日のおれと同じく、コロニーを逃げ惑っていた彼女たちだったが、幸運なことに彼女たちは、治安部隊であるところのチート能力者たちに保護された。


 しかし、その後の反乱側の生徒の襲撃により集団はちりぢりになり、加藤さんと水島美穂の二人は、治安部隊の一人である少年に護られて、あの小屋まで逃げ落ちた。


 どういう理屈か分からないが、あの山小屋にあった不可思議な石には、モンスターを避ける力があった。それを知っていた治安部隊の少年は、二人を物資とともに山小屋に置いて、救援を呼ぶために第一次探索部隊を追いかけていった。


 モンスターによる襲撃を考えなくてもいいため、山小屋に置いていった彼女たちは安全だと判断したのだろう。


 彼は反乱分子によってコロニーが崩壊したにも関わらず、人の悪意と欲望を計算に入れなかった。

 結果として、水島美穂と加藤真菜は、偶然小屋にやってきた男子生徒たちに襲われることになったというわけだ。


 ただ、第一次遠征隊を追う決断をした彼のことを責めるのは、少し酷というものだろう。


 元々、コロニーで起きた反乱を押さえ切れなかったのは、森を抜けてこの異世界の人間たちの社会に接触を図ることを目的とした第一次遠征隊に、探索隊内の意識の高い精鋭たちが引き抜かれていたからだった。


 一口にチート能力者といっても、その戦力はまちまちだ。


 たとえば、おれのモンスター・テイムなんかはかなり弱い部類に入る。

 同時に、こうした『固有能力』というのは珍しくもある。


 確かにチート能力者というのは大抵、腕力や体力、魔力といった、戦闘に有用な力が異常なくらいに強い。

 だが、ただそれだけの者が大半なのだ。


 彼らは『ウォーリア』と呼ばれており、森での探索やコロニー防衛の主戦力だった。自分の持つ力に自覚的になった今から考えてみると、そうした『わかりやすいかたちで能力を発露した者たち』だけが、『自身の能力に自覚的だった』というだけの話なのかもしれないが。


 話が逸れた。


 ともかく、チート能力者のもつ戦闘能力は総じて高いレベルにあるが、その中でも格差がないわけではない。

 固有能力持ちで、更に身体能力もずばぬけている、というタイプは、実は数が多くない。せいぜい十人そこそこだっただろう。


 その中でも有名だったのは、元の世界では生徒会長であり、異世界で遭難した生徒たちを率いた生徒会でもその一員であり続けた、三年生の中嶋小次郎の『光の剣』とか、おれと同じ二年生では『闇の獣』の轟美弥なんかだろう。

 あとは『韋駄天』の飯野優奈、『絶対切断』の日比谷浩二、『竜人』の神宮司智也なんかも有名だった。


 能力の詳細には触れないが、数十のモンスターを相手にしても歯牙にもかけない、真の意味でのチートだったと聞いている。


 逆に言えば、そうではない生徒が一人でモンスターの群れを相手にするのは、いささか荷が勝ち過ぎたということでもあった。


「高屋くんは典型的なウォーリアだったから……」


 治安部隊の一人だった少年は、名前を高屋純といったそうだ。


 彼は自分一人では二人の女子生徒を守り切って森を進むのは不可能だと判断した。

 かといって、小屋で籠城を決め込んでも先がない。


 そうした状況判断から、彼は二人を残したのだった。

 結果はあまりにも悲惨なことになったが、その時点では、神ならざる身に正解がわかるはずもない。


「……ちょっと待てよ。ってことは、第一次遠征隊が此処まで戻ってくるかもしれないってことか?」


 加藤さんの話に耳を傾けていたおれは、ふと面倒なことに気がついてしまった。


「はい、多分。高屋君次第、ですけど」

「それも、あの山小屋にやってくる可能性があると」

「はい。……あの、先輩? それって、何か、まずい、ですか?」

「まずいってわけじゃないんだが……」


 これまでおれたちがこの広い森の中、他のチート能力者に出会う可能性はあまり高くはなかった。


 だが、あの山小屋にいる限り、ほぼゼロに近いはずのその確率は、かなり現実味を帯びた値に変化することだろう。


 ――おれは人間を信用していない。

 更に言うなら、人間の集団というものは、更に信用ならないものだと思っている。


 それは、コロニー崩壊の日に経験したあの屈辱と絶望に満ちた暴力の時間が、おれに唯一残してくれた教訓だ。


 ましてや、集団に属するその一人一人が、おれなんかには抵抗出来ない力を持っているとなれば、尚更だ。


 そう考えると、山小屋を放棄した選択は、結果的には正解だったと言えるだろう。


 しかし面倒なのは、あの山小屋に女子二人がいないことを知った高屋某と、彼が連れてきた人間たちが周辺を捜しまわる可能性があることだ。おれたちがねぐらにしているこの洞窟は、あの山小屋からあまり離れていない。下手を打つと、この場所が見つかってしまう可能性がある。


 更に離れた場所に拠点を移すべきだろうか。

 これは真剣に検討しなければいけない問題だった。


「あの……先輩?」


 思考に没頭していたおれは、加藤さんの呼び掛けで現実に戻って来た。


「ああ、悪い。どうした?」


 真剣な顔をした加藤さんは、おれをじっと見詰めていた。


「聞きたいことが、あるんですけど」

「何だ?」

「水島先輩はどうなったんでしょうか」


 その問いに、おれは一瞬答えを躊躇った。


「……彼女は死んだよ」


 誤魔化すことをしなかったのは、それを尋ねてきた加藤さんの表情に、覚悟の色があったからだ。


「死体はおれが処理した。その結果が、リリィのこの姿だと思ってくれて構わない」

「……そうですか」


 薄々と勘付いてはいたのか、加藤さんは驚いたりはしなかった。


 ただ、その目からぽろぽろと涙がこぼれ出した。


「水島先輩……」


 仲が良かった知人の死を悼む彼女は、しばらく静かに泣き続けていた。


「……すみません。お話の最中に」

「いや」


 おれは首を横に振った。

 おれは人間不信の上に人間嫌いだが、知人の死を知って悲しむ年下の女の子を責めるような鬼畜ではないつもりだ。


「気にするな。そんなことより、これからのことなんだけどな」

「はい」

「高屋って奴が探索隊の連中を引き連れて戻ってくるなら、ちょうどいい。加藤さんのことを保護してもらおうと思う」


 おれは考えを改めていた。


 先程は面倒だと思ったが、どうせ加藤さんを保護してもらうために、一度は人間と接触する必要があるのだ。


 きちんとモラルを保った集団であれば、それがあえて探索隊である必要はないが、当面は他の人間と交流する見込みはない。機会を悪戯に逃すべきではないだろう。


 以前にも考えた通り、こちらが先に見付けておいてその集団の様子をうかがい、信頼が出来そうならおれ自身はなるべく彼らと接触せずに加藤さんだけを送り出す。これでいこう。


「それでいいか?」

「はい。……。あの」

「ん?」

「先輩は……?」


 加藤さんは上目遣いで、ソファもといリリィのスライム部分に座ったままのおれを見上げた。


「わたしを、保護してもらうって……先輩は、どうするんです、か?」

「おれは探索隊と一緒には行かない」


 きっぱりと告げることに躊躇いはなかった。


 加藤さんがいなければ、おれはすぐにでもこの場所を引き払って逃げ出していただろう。


 おれが探索隊と接触するのは、あくまで加藤さんを保護してもらうためだ。

 此処は譲れない。


「どうして、ですか? そういえば、さっきも……その、しぶい顔をされてました、けど」


 基本的に従順な加藤さんにしては、やけに喰いついてくる。

 調子が少しずつ戻りつつあるのか、それとも何か理由があるのか。


 いずれにしても、おれには嘘をつく必要がない。素直に答えるだけだ。


「信用が出来ない。ただ、それだけだ」

「信用が……探索隊のことが、ですか……?」

「流石に信用出来ない集団に、保護している女の子を任せるようなことはしないさ。おれが言っているのは、もっと根本的なところ……人間全般に関しての話だ」


 おれは首を横に振った。

 自嘲が苦く口元を歪ませた。


「我ながら人間の小さな話だと思うけどな、おれはもう誰も信用しない。……出来ないんだ。コロニー崩壊のあの日に、そう心に決めたから」

「……ぁ」


 おれの言葉を聞いて、大体のところは察しがついたのだろう。加藤さんは痛ましげに眉をひそめた。


 彼女だって、あの一日を経験しているのだ。

 彼女は知っている。人間のもっとも醜い部分を。


 だから、おれと彼女との違いはただひとつだけだ。

 おれは醜い部分だけを嫌というほど見せつけられたあとでモンスターであるリリィに救われたが、助けられて護られた彼女は、きっと人間の美しい部分も目の当たりにしたはずだ。


 ……ああ、でも。

 加藤さんもそのあとで、ある意味でおれよりも酷い体験をしたんだったか。


 ――もう一度だけ信じてみようよ、とか。

 ――人間は悪い人だけじゃないんだよ、とか。


 この場面で、人間を信頼出来ないというおれに対して、彼女が知ったようなことを言わなかったのは、おれにとっては想像することさえ出来ない地獄の体験が、彼女の心にシンパシーを呼んだからかもしれない。


 それはきっとお互いにとって幸運なことだった。

 おれだって何も好き好んで、保護している女の子を殴りつけたくはない。


 正直なところ、加藤さんがおれという男を恐怖していないのが、おれとしては不思議だった。


 おれが彼女なら、何があってもおれから早く離れようとするだろう。

 これは理屈ではない。生理的な問題だった。


「先輩も……あの日、酷い目に遭ったん、ですね」


 それなのに、むしろ加藤さんはおれに同情的な態度を示しさえするのだった。


「……でも、先輩は、モンスターを従える力を持っている、のに」

「おれがこの力を自覚したのは、コロニー崩壊のあとだ。死に掛けていたところを、おれは此処にいるリリィに救われたんだ。……ああ、いや。殺されかけていたところを、だったな」


 痛みが声に出てしまっていたのかもしれない。

 リリィがぎゅっと腕を抱きしめ、身をすり寄せてくる。


 おれは感謝を込めて、彼女の頭を撫でると、壁面に座る加藤さんに問い掛けた。


「なあ、加藤さん。おれは机を並べていたクラスメイトに殺されかけたよ。想像してみるといい。クラスで隣の席に座っていたやつが、地面に惨めに転がった自分のことを蹴りつけて、せせら笑う。そんな光景を。そんな経験をしてしまったおれが、どうして他の人間のことを信頼出来るっていうんだ?」

「……。それでは、わたしのことも……?」


 おずおずと尋ねてくる加藤さんに、おれはつい苦笑を漏らしてしまった。


「答えづらいことを聞いてくれるな?」

「す、すみません」


 恐縮した様子で加藤さんが頭を下げる。


「で、ですが……」


 顔を上げた加藤さんは、おれに寄り添うリリィと、そしてローズの方に視線を走らせた。


「何だ?」

「ですが先輩は……リリィさんやローズさんを、連れています、よね?」


 成る程。

 加藤さんは他人を信用しないと言い切ったおれが、リリィやローズを信頼し切った態度を取っていることが不思議らしい。


 まあ、外から見れば、不思議とも思えるか。

 おれにしてみれば、少しだけその認識は不愉快でもあるが。


「彼女たちはおれの眷族だ。仲間だ。信用しているし、信頼している」


 人間なんかと一緒にするな――とまでは、加藤さんを相手にしては言うわけにはいかないが。


 だが、それがおれの偽らざる本音だった。


「そう、ですか」


 ぼそりと加藤さんはつぶやいた。


「……やっぱり、羨ましい」


 おれは彼女に返す言葉を持たなかった。

 確かに、戦う力を持たずに酷い目にあった加藤さんにとって、おれの力は羨ましいものに違いない。


 そんなことを思いながら、洞窟の薄闇を透かして彼女のことを見返したおれは、どきりとした。


 二つの目が、何処か偏執的なものを感じさせる輝きを帯びて、おれのことを見詰めていた。

 それを何処かで見た気がして、おれはふと思い当たった。


 初めて逢った時に彼女があの山小屋で見せた瞳の色と、それはまったく同一のものだったのだ。


「真島先輩」


 おれが気圧されてしまっている間に、加藤さんは改めて口を開いていた。

 そのときには、ほんの一瞬だけひらめいた彼女の顔からは煙のように表情は消え失せて、代わりに虚無のごとく虚ろないつもの無気力な加藤さんの無表情があった。


 ……気のせい、だったのだろうか?


「高屋君のことですが」

「あ、ああ」


 完全に問いただすタイミングを失ってしまった。

 尋ねたところで正直に話すとも限らないから、別に構わないといえば構わないが。


 とにかく、何を考えているのかわからない加藤さんのことは、これからも引き続き、油断せずに警戒していることにしよう。


 そう決めて、おれは加藤さんの話に耳を傾けた。


「高屋とやらが、どうかしたのか?」

「はい。探索隊に接触するとして、高屋君と顔を合わせるのは……少し問題があるかも、しれません」

「というと?」

「その……高屋君は、水島先輩の、幼馴染だったので……」


 ちらりとリリィの方を見る。


「わたし?」

「はい。今のリリィさんの姿を見て、彼がどう思うか……」

「二人は恋人同士だったのか?」

「あ、いえ。そういうわけでは、なかったん、ですけど……」


 言いづらそうにしているのは、それが他人のプライバシーに関わる問題だからか。


「その、彼は、水島先輩のことを……」


 それでも、此処まで言われれば理解できる。


「水島美穂は美人だったからな」


 おれは深く頷いた。


「その上、性格だって良かった。惚れている男なんて両手の指の数ではきかなかったくらいだろう。幼馴染の少年なら、ベタボレだとしても何もおかしなことはないな」


 高屋純が水島美穂と加藤真菜の二人を必死に守って、あの山小屋まで連れていったのは、単に義務感や親切心からのものではなかったということだ。


 勿論、下心あってのことだとまで言ってしまうのは、いささか悪意が過ぎる解釈だろうが。


「高屋にとって、水島美穂は命をかけてでも守りたい人だった」

「はい」

「そんな惚れていた女の姿を借りているリリィを見たら、怒り狂って襲いかかってくるかもしれないと」

「そういうこと、です」


 しかし、探索隊に接触しようと覚悟を決めた途端にこれとは、また面倒な。


 いいや。よそう。一度決めたことだ。


「わかった。なるべくなら、リリィのことは伏せる方向でいこう。そいつの前でだけ擬態を解いていればいいだけのことだからな」

「それがいいと思います」

「危険について警告してくれたことについては感謝する」


 考えようによっては、これは加藤さんを保護していたからこそ得られた情報だ。


 加藤さんを保護していようがいまいが、高屋との接触に危険が伴うことは変わらない。


 昨晩、加藤さんに出会うことがなかったとしたら、おれはきっとしばらくこの洞窟を拠点にしていただろう。

 探索隊があの山小屋を目印に帰ってくる可能性を知らず、水島美穂の姿をしたリリィと高屋がばったり出くわしてしまう可能性はゼロではなかった。


 不発弾をそうと知らないうちに抱えているのより、知っていて対策を取れる方がまだしもマシというものだろう。少なくとも、おれはそう思う。


「お礼というわけではないが、きちんと探索隊に保護してもらうか、あるいは、何処か安全な人里に辿り着くまでは面倒をみると改めて約束しよう」

「……。ありがとう、ございます」


 加藤さんは頭を下げた。

 前髪で表情の隠れたその口元が、かすかに動いた。


「でも、お礼というのなら……」

「何だ?」


 よく聞き取れなかったので尋ねると、加藤さんは首を横に振った。

 あの、何処か偏執的な目を垣間見せて。


「いえ。何でもありません」


◆ここまで読んで下さり、ありがとうございます。


◆今回、『前話のあらすじ』が難産でした。

お陰で投稿が遅れました。


ああっ、石をっ、石を投げないでくださいっ!


ちなみに、前話のあらすじは、わたしはたまにあるんですが、前の話を飛ばした時に気付けるといいかなと思って載せてます。


◆ローズ「いつからわたしがヒロインではないと錯覚していた?」

というわけで、今回はローズ回でした。


実は彼女ヒロインなんです。


これから可愛くなります。……うん。可愛くなる、予定。

みなさん、お人形さんの女の子はお好きですか?


◆次回更新は、12/25(水)となります。

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