36. 率いる者、従える者
(注意)本日2回目の投稿です。
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森からにじみ出るように、モンスターの大群が現れる。
目に見える範囲だけでも、数は二十を下らないだろう。彼らを引き連れてゆったりと歩み寄ってくる少年に、ベルタが尻尾を振って寄り添った。
それに構うこともなく、少年は線の細い顔立ちにやわらかな笑みを浮かべて、おれのことを見詰めていた。
「驚かないんですね、先輩。ひょっとして、ぼくだってことはわかってましたか?」
「ああ。予想はしていたよ。――工藤陸。お前が、チリア砦を襲ったモンスター使いだってことはな」
そこにいたのは、あの内壁の上で十文字の魔法によって砕け散ったはずの『いじめられっこ』、工藤陸だった。もちろん、彼がここにいるということは、あのときに吹き飛ばされたのは、ドッペル・ゲンガーの変わり身だったのだろうが。
「どうしてぼくだとわかりましたか? 参考までに、教えていただけると嬉しいですね」
「そう難しい話じゃない。あの場面で、ドッペル・ゲンガーと入れ替わることは誰にでもできたが、坂上をモンスター・テイマーに仕立て上げることは、誰にでもできることではないからな」
穏やかな調子の工藤に対して、おれの口調は苦かった。予想していたとはいえ、実際にこうして目の当たりにすれば、苦々しいものを覚えずにはいられなかったのだ。
「坂上は『自分にはモンスターを呼ぶ力がある』なんて勘違いをしていた。その勘違いを成立させるためには、『坂上がモンスターを呼ぼうとするたびに、代わりに能力を使ってやる』必要がある。力を使うために『儀式』が必要だと思わせていたのも、能力を使うタイミングをわかりやすくするためだろう。どうしてもそいつは、坂上の近くにいる必要があったはずだ」
「なるほど。山小屋に避難していたときからずっと坂上と一緒にいたぼく以外には無理というわけですね」
これにもうひとつ付け加えるなら、おれ自身の経験からの推測もあった。
ベルタはいかにも賢そうだが、それでも自我を得たばかりのモンスターだ。坂上を騙し続けるだけの柔軟性を求めるのは、少し難しい。どうしても、そこには人間のずる賢さが必要となるはずだった。
「お前が坂上を身代わりに仕立て上げていたのは、身の安全を図るためだな」
「ええ。先輩ならわかると思いますけど、ぼくたちモンスター・テイマー系の能力の弱点は本人の脆弱さにありますから」
工藤は素直に答えた。
「逆に、死んだことにして身を隠してしまえば、暗躍するのにこれほど都合のよい能力もありません。ぼくが離れることで坂上に力がないことがわかってしまうとまずいですが……」
「それも当人が死んでしまえば問題ない、と。お前が坂上の身柄を奪い返したのは、そのためだったんだろう? すぐに殺してしまわなかったのは失敗だったな。下手な欲をかくから、こうして見破られることになる」
工藤がベルタを使って坂上を奪還したのは、単純な話、口封じだ。なのに、工藤はすぐに坂上を殺さなかった。そのために、おれは坂上と会話をして、砦を襲わせたモンスター・テイマーは別にいるという確信を得る結果となったのだ。
当然、工藤が坂上をすぐに殺さなかったのにはそれなりの理由があるのだが、そちらも対策は打っておいた。
「お前が手駒のモンスターに転移者を喰わせようとしているのは知っている。坂上を餌とすることでおれたちを誘き寄せて、その間に生き残りの転移者を狙うつもりだったんだろうが……残念だったな。三好たちは同盟騎士団が保護して、既に樹海に逃がしてある」
先程、追いついた坂上には『遅かったな』などと言われたものだが、それは、おれたちがそのあたりの準備を整えてから追跡に移ったためだ。
今更、砦を探したところで無駄足だし、万が一、砦にはもういないことに気付いて彼らを追いかけたところで、向こうにはシランを残してある。
樹海深部最強の白いアラクネに準ずる彼女の戦闘能力なら、よっぽどのことがない限り対応は可能なはずだった。少なくとも、転移者の命を狙って動いているはずのアントンが襲撃を掛けたところで対抗できる。ここまでは大方事前に考えていた通り、状況は進んでいると言えた。
とはいえ、ひとつだけ……ここで工藤本人が出てくるとは、おれも予想していなかったのだが。
ここでは坂上の身柄の再確保と、ベルタを倒すことができればよしと考えていた。
もちろん、こうして出てきた以上、ここで工藤を逃す手はない。
アントンを転移者たちの始末に回している分、いまの工藤は陣営が薄いはずだった。あとは、『もうひとつの仕込み』がうまくいくかどうかだが……。
「素晴らしいです、先輩」
森にぱちぱちと乾いた音が鳴って、おれの思考を遮った。
拍手をした手をおろした工藤が、ゆるやかな曲線を描く口を開いた。
「あの十文字を下しただけではなく、ぼくの正体まで突き止めるなんて」
「……評価してもらっているところ悪いが、十文字を倒したのはおれだけの力じゃない。坂上がモンスター・テイマーではないことに気付いたのだって、幹彦の言葉があったからだ」
「謙遜することはないでしょう。それらすべてを含めて、先輩の力ですよ」
工藤と言葉を交わしながら、おれの脳裏をちりちりと違和感が刺激していた。
なにか、妙な感じだった。
企みを破られたというのに、工藤は落ち着き払っている。むしろその表情は嬉しげでさえあったのだ。
「ことの顛末は、アントンから聞きました。素晴らしい勝利でした」
「お前……」
どこか弾んだ口調で工藤が言う。その顔を、おれはまじまじと見つめた。
信じがたいことに、工藤は本気でその言葉を口にしているようだった。掛け値なしの賞賛が、その眼差しには込められていた。
「エルフの女の子に言っていたっていう『ここは願いが叶う世界なのだ』って言葉は、初代勇者のものですよね? 先輩はその言葉を証明してみせた。先輩たちの想いが、十文字の暴力を打ち砕いた。この世界は決して『強い者が好き勝手に振る舞う』だけのものじゃない。あなたも彼女も、本当に素晴らしいです。心の底からそう思います」
それは、心を取り戻したシランとの会話にどこか似ていて、吐き気がするほど違ってしまっているやりとりだった。
確かにおれは、諦めに満ちた工藤の台詞を否定してやることが、亡くなってしまった彼への手向けになると思った。
だが、この会話はなんだろうか。
おれの想いは間違いなく伝わっている。だからこその先程の台詞であり、賞賛の言葉であるはずだった。それなのに、絶望的なまでにおれたちは隔たっていた。
「……どうしてだ、工藤」
呻くような声が出た。
「どうしてお前が、十文字の企てに加担するような真似をした? お前は、理不尽な暴力に虐げられる人間の気持ちを知っていたはずだろう。それなのに、どうして……」
「虐げられる人間の気持ち、ですか。もちろん、知っていますよ」
落ち着いた仕草で工藤は頷いた。追い詰められている人間のものとは思えない、静かな目がおれのことを映し出している。
「だって、ぼくも先輩と同じで、あのコロニー崩壊を経験していますからね」
「……なに?」
「ぼくもね、死にかけたんですよ。あの燃え落ちるコロニーで」
朗らかでさえある告白に、おれは戸惑った。
これまで聞いていたのと、話が違ったからだ。
「……だが、お前は樹海にいくつかある山小屋のひとつで、坂上と一緒にシランに保護されたんだろう。コロニーに残っていた探索隊に守られて、山小屋に避難したんじゃなかったのか?」
「他の山小屋にいたみんなは、どうやらそのようでしたね。だけど、ぼくは違いました。あとから、坂上のいた山小屋に転がり込んだんですよ。このことを知っていたのは坂上くらいですが、彼は嫌われ者でしたからね。まあ、そうでなかったところで、そのあたりの経緯を誰かに話すことはできなかったでしょうけれど」
工藤はくすくすと笑った。
「先輩も知っての通り、坂上は酷い奴でしてね。この世界にやってくる前からの知り合いだったんですが、コロニー崩壊のあの日、彼はぼくを生贄にして危機を脱したんですよ。残されたぼくのほうは、ええ、それはもう大変な目に遭いました。それでも生き延びることができたのは……まあ、運としか言いようがありません。そのあと、何日か森を彷徨いました。ひもじくて、痛くて、不安で、孤独で、心が壊れてしまいそうな思いをしました。ここで生きていられるのは、考えてみると奇跡のようですね」
「……」
笑いながら語られた話を聞きながら、おれは絶句していた。
――知り合いに裏切られ、殺されかけて、それでもただ運だけで生き延びた。
――誰も信じられなくなって、ひとりで孤独に森のなかを彷徨った。
――いつ凶悪なモンスターに遭遇して殺されてしまうかわからないと怯えた。たとえ殺されなかったところで、このままでは飢えて渇いて死んでしまうと恐怖した。
それはいったい、どこの誰の話だっただろうか?
言葉を失ったおれのことを見て、工藤がくすりと笑った。
「ひょっとして、先輩も同じような経験をしているのではありませんか?」
「なっ」
まるで心を読んだような工藤の言葉に、おれは瞠目した。
コロニーを落ち延びたときにおれが経験した出来事を知っているのは、リリィたち眷属だけだ。それを工藤が知っている道理がない。
「どうしてお前が、それを知っている……?」
自然、険しくなった声色を聞いても、工藤の笑顔は変わらなかった。
「わかりますよ。ぼくたちは似ていますからね」
「ふざけるな」
なるほど。確かにおれも以前に、工藤と自分は似ているのかもしれないと思ったことはある。
だが、それはあくまで『自分も彼も暴力に蹂躙された側の人間だ』という意味でしかなかった。たったそれだけのことで、ここまで酷似した経験をしているなんて、まさか予想できるはずがない。そのためには、なにかしらの根拠が必要となるはずだった。
「工藤。お前、なにを知っている?」
「先輩の知らないことを。特に、ぼくたちに与えられたこの力については、先輩より詳しいと思いますよ」
確信のこもった口調で工藤は答える。
転移者の持つチート能力についての知識。それが、おれに自分と同じ経験があると判断した工藤の『根拠』なのだろうか?
だとすると、ひょっとして、さっき工藤が『似ている』といったのは、『モンスターを率いる』という能力の特性のほうの話だった? ……しかし、おれたちが似通った固有能力を持っていることと、この異世界にやってきてからの経験が酷似していることに、なんの関係があるというのだろうか。
こんなのは偶然だ。そう、ただの偶然でしかないはずだ。
だから、なんの関係もない。
……本当に?
本当に、そうだろうか?
同じような能力に、似たような経験を持つふたり。こんな偶然が有り得るものだろうか。
そこに必然があるとするのなら、工藤はその『なにか』を知っている。そういえば、十文字もなにやらチート能力について、おれの知らないことを知っている様子だった。ということは、ひょっとして……。
ふと思いついたことがあって、おれは口をひらいた。
「工藤も遠征隊と連絡を取り合っていたのか?」
「え? どうして先輩が、それを知っているんですか?」
ここで初めて、工藤が笑みを浅くした。少し目を開いて、こちらを見詰めてくる。それとは逆に、おれの目は細まった。
「お前が……というより坂上が、十文字とどうやって襲撃の計画を立てていたのか考えたら、自然とな。とはいえ、確証はなかったが」
「ああ。鎌を掛けられたというわけですか」
自分の失敗を察して、工藤は口元に苦笑を浮かべた。
やはり工藤も十文字や坂上と同じく、遠征隊内にいる『協力者』と連絡を取り合っていたらしい。おれの知らないことを色々と知っている様子なのは、そちらからの情報ということなのだろう。
不思議なのは、もしも『協力者』と工藤が繋がっていたのだとしたら、そいつは坂上が隠れ蓑に過ぎないということを、十文字たちに知らせていなかったということだが……そのあたりも含めて、工藤から聞き出すことはたくさんありそうだった。
「知っていることを洗いざらい、すべて話してもらうぞ」
こうして彼を追い詰めている、いまこそがチャンスだった。
おれの言葉に、威嚇するようにきちきちとガーベラが蜘蛛脚を鳴らす。リリィが魔力を高め、アサリナが軋んだ音をたて、対するベルタが再び唸り声を上げ始める。他のモンスターたちも各々が戦闘に備えて身構える。
「お話する分には、別に構いませんよ」
そんななか、やはり工藤だけが細面に透き通った笑みを保っていた。
「場合によっては、先輩には全部話すつもりで、ぼくはここに来ましたからね」
「……なんだと?」
肩をすくめる工藤の言葉に、おれは眉を顰めた。素直に話すと言ったことはともかくとして、その言い回しに引っ掛かったのだ。
「その言い方だと、まるでお前は最初から……」
「ええ」
工藤はにこやかな笑顔で、おれの疑念を肯定した。
「最初からぼくは、先輩とここで話し合うつもりでいましたよ」
その言葉の意味をおれが理解するより前に――にわかに、森がざわめき始めた。
「なんだ……?」
樹皮が弾け、茂みが砕かれ、地面が抉り抜かれる。
刃と刃が噛み合い、盾で弾かれ、あるいはへし折られる。
それは戦いの喧騒だった。
「ぐっ、ギ……っ」
苦鳴とともに森の薄闇から飛び出してきたのは、白い服を身にまとった灰色の髪の仮面の女だった。そして、彼女を追って無数の影絵の剣が飛ぶ。
「ローズ!?」
盾で防ぎきれなかった影絵の剣を肩口から生やした仮面の女、もといローズが、おれのもとまで後退してきた。
「……申し訳ありません、ご主人様。しくじりました」
肩から引き抜いた影絵の剣を投げ捨てて、ローズは沈痛な声で謝罪した。
ここに彼女がいるのは、もちろん、偶然ではない。
実はここに来る前に、おれはローズと合流していた。
坂上を発見するのが遅くなったのは、ローズと合流して加藤さんを同盟騎士団に任せてから追跡を始めたからでもあったのだ。
合流したローズには、おれたちが会話を交わしている間に敵の退路を断つべく、ひそかに森のなかを回り込んでいてもらっていた。
だが、そうしてあらかじめ仕込んでおいた作戦は、一体の強力なモンスターの邪魔立てによって失敗してしまった。
「なぜここに、アントンがいる……?」
森の暗がりから現れた見覚えのある姿は、ドッペル・クイーンに違いなかった。
大勢のドッペル・ゲンガーを引き連れて、アントンは主のもとに馳せ参じる。
いまはほかの転移者たちを喰らうために、チリア砦にいるはずのモンスターがここにいるということは……つまり、おれの予想は一部が外れていたということになる。
「坂上が餌だったというところまでは、先輩の考えていらした通りで合っていますよ。けれど、それは先輩を誘き寄せている間に、他の転移者たちを狙うためではありませんでした」
アントンと合流した工藤が口をきいた。
「ここに先輩を呼んで、こうして話を交わすために、ぼくは坂上を生かしておいたんです」
「おれと話を? ……そんなことのために?」
思いもしない工藤の発言におれは耳を疑った。
なんだそれはと咄嗟に思うが、言われてみれば腑に落ちることもあった。
さっきから工藤は、おれに対して友好的な態度を崩そうとしていない。
余裕ぶっているのかと思っていたが、これはそうではなくて、おれと敵対するつもりがなかったからだとすれば……。
「……ひょっとして、お前がわざわざここで姿を現したのは、そのためか?」
「わかっていただけたようで嬉しいです」
「いや。わからない。お前がおれになんの話があるっていうんだ?」
戸惑いを隠せないまま問い掛けると、ますます工藤の笑みは深まった。
それは隔意のない、まるで友人に見せるような笑顔だった。
「ねえ、先輩。ぼくと手を組みませんか?」
工藤が口にしたのは、少なくとも、おれにとっては有り得ない提案だった。
「手を組もう、だと……?」
「ええ。真島先輩も見たでしょう。十文字や坂上を」
工藤は雄弁に言葉を繋いだ。
「ああした手合いの恐ろしさは、他にどれほどでもいることです。ゴキブリと同じですよ。そして……不安と恐怖は伝染します。隣人に殺されるかもしれないという危機感は、転移当初はパラノイアの妄想だったのかもしれません。けれど、いまや、その危険は現実のものとなってしまいました。昨日は妄想を笑えた者も、今日は周囲を疑わずにはいられない。こうなれば、もうドミノ倒しはとまりません。先輩が手を組むべきは、いつ転ぶかもわからない彼らではありません」
「だから、お前と手を組むべきだと?」
おれはゆっくりと息を吐いた。
聞かされた言葉の衝撃を逃がすために、それは必要な動作だった。
「言いたいことはわかるが……その理屈でいうと、おれはお前を信じられないし、お前もおれを信じられないということになるだろう」
「先輩は例外ですよ」
「例外か。便利な言葉だな。まさかその言葉を信じろと?」
「もちろん、信じていただくための努力はしましょう」
工藤は頷く。そして、衝撃冷めやらぬおれに、更なる爆弾を投下してくれた。
「たとえば、信頼の証として、ぼく自身の能力についてお話するというのはどうですか?」
「……なに?」
「知っての通り、ぼくの力は『モンスターを操ること』です。現時点での上限は七百三十五匹。遠隔操作はできませんが、あらかじめ命令をセットしておくことはできます。問題点としては、あまり強力なモンスターは操れないことがあります。このあたりは、どうも先輩とは違うみたいですね」
それは、特に工藤のような人間にとって生命線となる情報のはずだった。
なるべくなら秘匿したいと思うのが普通だろう。それなのに、まるで信頼できる仲間でも相手にしているみたいに、工藤の口は軽かった。
「ぼくの場合、強力なモンスターを手に入れるためには、いちから自分で育てる必要があります。アントンやベルタはそうして育てました。方法は……ええっと、『蠱毒』と言ったらわかりますか? 手っ取り早く、操った彼ら同士で殺し合わせました。これなら、ちょっとでも強いものを選別できるし、彼らの強化にもなって一石二鳥です。その過程で面白い現象についても発見しています。というのも、どうやらただ殺すよりも、殺してその肉を喰ったほうが、彼らは強くなれるようなんですよ」
世間話のようにして、弱点も含めた自分の秘密をあっさり暴露してしまう。躊躇うどころか、どこか自慢げでさえあるあたり、どうかしているとしか思えない。
まさか適当なことを言って、おれを混乱させるのが目的だろうか?
だが、その割に話の筋は通っているように思える。
それに、いまの話を聞いていて、思い当たる節もあった。
おれはちらりと、鎌首をもたげたアサリナに目をやった。
変異種である彼女がおれの魔力を吸っていることは、知っての通りだ。だが、それは本来の鉄砲蔓が持つ習性が変形して表れているに過ぎない。
鉄砲蔓は弾丸である種で獲物を撃ち殺して、そこから芽を出す。アサリナがおれに対して行っているのと同様に。つまり、彼らは死体から魔力を補給しているということになる。これまで考えたことはなかったが、『敵を捕食することで得られる魔力が多くなる』というのは、言われてみればさほど不思議なことではなかった。
おれが独自に知った事実と合致するということは、工藤の言葉が信頼に足るものであることを示唆している。また、アントンに十文字たちの遺体を喰わせたのも、配下の強化が目的だったのだとすれば腑に落ちる。
ひとつひとつ、パズルのピースが埋まっていく。だが、だからこそ、大きな空白が目立っていた。
「どうしてお前はそんなに……」
工藤の瞳が、困惑し切ったおれの姿を映し出している。それは、無邪気なくらいに透き通った眼差しだった。
「それは、先輩がぼくに似ているからですよ」
「……またそれか」
おれは溜め息をついた。
「おれたちの力や境遇が似ているのが、いったいなんだっていうんだ」
首を振るおれに対して、工藤はいかにも楽しげに笑った。
まるでおれとこうして言葉を交わしていることが、楽しくて仕方がないとでも言わんばかりの仕草だった。
「いいえ。似ているのは力や境遇だけじゃありません。もっと根本的なところで、ぼくたちは似ているんです」
「根本的なところで……?」
「ええ。そうです。だからぼくは、あなたがほしい」
工藤は相変わらず、好意的な笑みを浮かべている。
おれの目には、それが得体のしれないなにか別の生き物のもののように見えた。
「ぼくの言っていることがわからないのも、無理ありません。ですから、もうひとつお話しましょう。ぼくたちの持つ、この力についての話です。これがいったい、なんなのか。きっと先輩も気になっていたんじゃありませんか?」
おれたちに与えられたこの力は、いったいなんなのか。
確かにそれは、十文字との戦いを通じて、おれにも芽生えていた疑問だった。
今回の事件は徹頭徹尾、この力の暴走が原因だったと言っても過言ではない。ところが、おれたちはこの力について『転移者に与えられる力』だという以上のことを知らない。工藤のペースに乗せられているとわかっていても、耳を傾けずにはいられなかった。
「真島先輩は、自分の力がどうしてこうしたかたちなのか考えたことがありますか? 言い換えるのなら、どうしてぼくたちは似たような能力を得るに至ったのか、ということですが」
工藤は周囲にいるモンスターを目で示し、続いておれの眷属たちに視線をやった。
「……ぼくは、この力を『チート能力』と呼ぶのが嫌いです。『恩寵』という、この世界の言い方もどうかと思います。だって、それではこの力の本質を外している。降って湧いたように手に入れた、なんの想いもこもらない力? そんなのは、大多数の有象無象の話に過ぎない」
言い切った工藤がおれを見詰めた。
「たとえば先輩はどうですか? 違うでしょう。その力には、掛けられた想いがあるはずだ」
「……どうして、お前にそんなことがわかるんだ」
確信をもって告げられた言葉を否定できなかったから、おれはもう疑問を返すしかなかった。
「わかりますよ。なぜなら、それこそがぼくたちの力の本質なんですから」
工藤は自分の胸に手を当てた。
「この力はね、先輩。ぼくたちの願いをもとにしているんですよ」
「願いを……?」
呆然として問い返す。
あまりにも想定外のことを言われたから……ではない。その逆だった。
「詳しい仕組みは知りませんが、魔力なんて代物が存在するこの世界は、想いが現実に影響を及ぼすようにできているんです。ある一定以上の強い想い、魂の底からの願いを抱いたとき、ぼくたち転移者は固有の能力を発現する……先輩にも、覚えがあるのではありませんか?」
「……」
おれはコロニーにいた頃、『モンスターを率いる』という自分の能力に気付かなかった。コロニーで暮らしている間はモンスターに出会うことがなかったから、リリィと出会ったあのときに、初めてその力を自覚したのだと思い込んでいた。
けれど、実は『それまで気付かなかった』のではなくて、あの日、あのときに『この能力を手に入れた』のだとしても、別段、矛盾は生じない。
とはいえ、すぐに納得できるものでもない。
「いや。でも、だったら、ウォーリアはどうなんだ? 彼らはみんな、同じような力を持っているだろ」
「あれは単なる『成り損ない』です。確たる願いも持たないのに、自分に根拠のない確信を抱いている人間が、ああなるんです」
おれの反論にも、工藤はすぐさま応じてみせた。
「根拠のない確信もまた、無意識下の強い想いには違いありません。『こんな世界に来たんだから、自分はやっぱり特別だったんじゃないか』『そうであってほしい』『いや、そうだ』『そうに違いない』とね。それが彼らの超人的な力の根源であり、想いの伴わない虚ろな力の所以でもあります」
勇者として振舞っていた十文字や渡辺のことを思い出す。……否定は、できそうになかった。
とすると、転移当初に三割近くがウォーリアになったというのは、おれたちが高校生だから……だろうか? 高校生ともなれば、現実というのものを知る機会もある。そうした子供らしい確信を残した者ばかりではない。ひょっとすると、転移したのが中学校だったなら、もう少しこの割合は増加していたのかもしれない。
「だが、過去の勇者たちはみんな力を持っていたんだろう? ウォーリアにせよ、固有能力持ちにせよ、みんながみんな、そう簡単に自分の力を獲得するものとも思えないが」
「それは違いますよ、先輩。ぼくたち転移者が勇者として扱われるのは、力があるからではありません。ぼくたちは、まず勇者として扱われるんです。……人間なんて多かれ少なかれ、自分のことを特別だと思っているし、思いたがるものですからね。この世界で特別過ぎるほど特別な存在として扱われてしまえば、その気になってしまうのが自然というものでしょう?」
「……順番が、あべこべなのか? 『力があるから勇者になる』わけじゃなくて、『まず勇者として扱われることで、初めて力を得る』……?」
「実際、よくできたシステムだと思いますよ」
皮肉っぽく笑った工藤は、謳うように言った。
「『ここは願いが叶う世界なのだ』」
「……あっ」
それは初代勇者の言葉と伝えられているものだ。
それが、まさかそのままの意味だと誰が知ろうか。
「そして、このシステムは勇者当人にあらかじめ知られてしまうと意味がない。だからこの世界の人間さえ知らないんです。知っているとしたら、それこそ話に聞く例の教会の人間くらいのものでしょうね。ひょっとしたら、初代勇者の言葉の解釈は、教会の人間たちによってあえて曖昧なものにされたのかもしれませんね」
「……そういえば、十文字は自分のチート能力を『元の世界に戻るためのものだ』と言っていた。それも、そのあたりが理由か?」
「でしょうね。彼はもとの世界に戻りたがっていましたから」
「だったら、あいつは本当に、いつか帰ることができたのか? おれたちの、あの世界に」
「さあ? どうでしょうね。ぼくは知りません。興味もありませんから」
打って変わって酷薄な声で言って、工藤は肩をすくめた。
「ぼくはそのあたりは関与していないので、詳しくは知りません。ただ、十文字がなにか吹き込まれた可能性は、十分あると思いますよ」
「お前たちに情報を流していた人間に、か?」
「ええ。あれはぼくの存在を知っていて、黙っていた人間ですからね。仮に十文字が唆されたのだとしても、驚きはしませんよ」
十文字を唆して暴走させ、砦の人間を大勢死なせておいた一方で、工藤の存在を黙っておく……そうした行為には、純度の高い悪意が感じられた。
今回の事件は十文字と工藤の手によってなされたが、ひょっとすると、その『何者か』が切っ掛けであるのかもしれない。
「何者なんだ、そいつは……」
チート能力がおれたちの願いを反映していることに気付くためには、それなりのサンプル数が必要だ。言い換えると、探索隊のチート持ちのなかでも固有能力を持っている者のひととなりを良く知っていなければいけない。
だが、固有能力持ちは数が少ない。チート持ち三百名中、『韋駄天』飯野優奈のようなウォーリアクラスの身体能力プラス固有能力持ちが十名程度。おれのように身体能力に繋がらなかったタイプを含めても、せいぜい一割……三十名程度ではないだろうか?
そのほとんどが、遠征隊に随伴した幹部クラスだ。
彼らの多くと交流があるとなると、間違いなく探索隊の上層部ということになってしまう。これはもう悪夢としか言いようがない。この世界でも最大の暴力を有する組織の頭が、既に悪意の毒に侵されているというのだから。
「興味がおありですか? 先輩に協力していただけるなら、もちろん、ぼくたちを繋いでいたそいつについても、知る限りのことをお教えしますよ」
「……そいつはお前の協力者じゃないのか?」
「ぼくが仲間になりたいと思うのは、先輩だけですよ」
そういって工藤は、おれに手を差し伸べた。
「そろそろわかっていただけたんじゃないですか? 同じような境遇で、似たような力を得たぼくたちは、人生のもっとも大きなターニング・ポイントを共有しています。そんなあなただからこそ、ぼくは手を取ってもらいたいと思うんです」
「手を取って、それでお前はどうするつもりだ。今度は遠征隊に喧嘩を売ろうとでもいうのか」
確かにおれたちは良く似ているのかもしれない。
工藤が人間を信じられなくなるような地獄を経験したせいでモンスターを従える能力に目覚めたというのなら、おれたちはほとんど同類と言っていい。だが……。
「お前はその力に、いったいどんな願いを込めた?」
おれの問いに、工藤はひときわ深く口元をほころばせた。
「先輩は思い出せますか? 絶望に沈んだぼくたちが、自分の願いを力に昇華させた、あのときのことを」
「……当たり前だ」
あれほどの絶望と歓喜の経験を、忘れることなんてできるはずがない。
「だったら、思い出してみてください。ぼくたちの始まりの記憶を」
工藤が過去の再現を促す。――気付けば、そこは森のなかではなく、おれの物語の始まりである、あの洞窟に変わっていた。
おれはぼろぼろになって、ひとりでそこに立っている。
工藤が目の前にいることだけが、唯一、違う点だった。彼の目には、彼自身の絶望の光景が映っているに違いない。ほころんだ唇が、絶望を紡ぎ出した。
「腕が痛い。脚が痛い。体中が痛い。だけど、肉体よりも心のほうが、よっぽど痛くて堪らない」
痛い。苦しい。絶望が肉体より先に、じわじわと心を殺していく。
「ここでぼくの人生は終わってしまう」
死がひたひたと音を立てて近づいてくる。
「こんなところで死にたくない」
嫌だ。嫌だ。死にたくない。
「そのときに、ぼくは思ったんです」
そうだ。おれは思ったのだ。
あれが、おれの物語の始まりだ。だから、どれだけ経っても忘れはしない。願ったことは、ただひとつ。
――誰か、おれを助けてくれ。
身も心も傷つけられたけれど、誰も信じられなんてしないけれど、それでも誰かに傍にいてほしかった。 心の底から願ったその声にリリィが応えてくれたから、いまのおれはここにある。
そして、きっとそれは工藤も同じはずで――
「ぼくのことをこんな目に合わせる世界なんて、滅びてしまえ。ぼくは、そう願ったんです」
――だからこそ、彼はチリア砦の襲撃者となったのだ。
「モンスターを従えることができるぼくは、言うなれば『魔王』です。だったら、あのとき人に傷つけられて死にかけたのも仕方のないことだって納得できました。だから、ぼくが人間を殺すのも当然のことだし、世界だって滅ぼします」
話をしているうちに、なんとなくわかっていたことだった。
工藤陸という少年は、どこかおかしい。冷静なようでいて、頭の螺子がとんでいる。人間として必要とされるなにかが破綻しているのだ。
どうしようもないことに、彼はそんな壊れた自分を肯定していた。
たとえば、おれは自分自身のことを、リリィたちを率いる『モンスターのご主人様』だと自負している。この砦でリリィと過ごした夜に強く自覚させられたことだが、その自負こそが、なにもかもが違うこの世界でおれが生きていくための支えであり、寄る辺となっている。
大事な彼女たちのためにならこの命を投げ打っても構わないとさえ思うからこそ、おれはここで息をしていられるのだ。
それと、きっと同じなのだ。
工藤陸は、もうどうしようもなく壊れてしまった自分自身の在り方に誇りを抱くことで、どうにか自分を保っている。
自分をそこまで追い詰めた世界そのものを憎悪して、それを破壊しつくすためなら命さえ要らないと思うからこそ、彼はここに立っていられるのだろう。
工藤陸という人間がわかる。わかってしまう。相手は狂人なのに、その理屈が理解できてしまう。……それはつまり、おれ自身、なにかの歯車が狂っていれば、こうなっていたという証に他ならなかった。
確かに工藤の言う通り、おれたちは似ている。
いまのおれが始まったそのスタート地点、存在の根本部分とでもいうべきところを共有しているのだ。だから、互いのことを誰より理解できてしまう。工藤がおれに執着を示すのも、わからない話ではなかった。
「幸いなことに、ぼくと先輩の相性はとてもいい。モンスターに溢れたこの世界なら、ぼくたちはきっと、世界そのものさえ滅ぼせるに違いありません」
工藤自身が語った話が本当なら、彼の能力は『レア・モンスター以下を従え、意のままに操ること』だ。『レア・モンスター以上を率いる』おれとは、確かに相性はいいだろう。互いの能力の穴をフォローできる。
時間は掛かるかもしれないが、この樹海で力を蓄えれば、他の転移者たちが敵わない力を手に入れることも可能かもしれない。
「確かにおれたちが手を組めば、世界を滅ぼせるかもしれないな」
「ええ! きっと!」
「……だけど、お前はこうは考えられなかったのか?」
勢い込む工藤に、おれは問いを投げた。
「おれたちなら、世界を救うこともできると」
この世界はずっと、広がる樹海と人を襲うモンスターの脅威に脅かされてきた。百年に一度現れる『勇者』の活躍に頼り切って生きてきた。
それも、全てのモンスターを従えることができる『魔王』がいるなら話は別だ。
ひょっとしたら、そうした希望が彼の目を覚まさせてくれるのではないか。そんなふうに、おれは一瞬期待して――
「世界を救う? どうしてぼくたちが、そんなことをしなければならないんですか?」
――予想通りの返答に、落胆はしなかった。
「ぼくは『魔王』です。人間は救うものじゃない。滅ぼすものだ」
モンスターに囲まれた工藤の言葉に、迷いはなかった。
わかっていたことだった。わかり切っていたことではあった。
これから先、おれがずっとリリィたちの主であり続けるように、工藤もまた、世界に牙を剥くモンスターの王としてしか生きられないのだ。
それでも、このような怪物を生み出した坂上の愚かしさが、いまはただただ呪わしかった。
「ぼくたち魔王がふたりいれば、世界に敵う者なんてきっといなくなります。一緒に行きましょう、先輩」
改めて工藤は手を差し伸べてくる。
その変わらない透明な微笑みを見て、おれは首を横に振った。
「おれは『魔王』なんかじゃない。だから、お前と一緒には行けない」
おれの返答を聞いても、工藤の好意的な笑みは変わらなかった。
「だったら、先輩はなんなんですか? ひょっとして、この世界で勇者として生きるつもりですか?」
「いいや。そのつもりもない」
自分の分くらい弁えているつもりだった。
おれは英雄にはなれない。だけど、だからといって、工藤のような怪物にもなれない。だったらなんなのかといえば、そんなのは決まっているだろう。
「おれは『勇者』でも、『もうひとりの王』でもない。リリィたちを率いる『ご主人様』だ。それでいい。それだけでいい」
「……そうですか」
工藤がため息をついた。口元には、うっすらとした笑みがあった。
彼もおれと同じで、おれがここで頷くことを期待して、そうならないことを予想していたのだろう。
「残念です」
そういって工藤は、ひょいとベルタの背中にまたがった。
そして、おれたちに背中を向ける。
「けれど、諦めませんから」
「っ、ガーベラ!」
意図を察しておれが指示を出すと、ガーベラが突貫する。
その行く手を影絵の剣と、大勢のモンスターが遮った。
消耗が大きな工藤の陣営より、おれたちのほうが戦力としては上だ。しかし、この場にはアントンとベルタが揃っている。数十の死兵を使われたうえ、逃げに徹されてしまえば、いくらなんでも捕まえることは難しい。
ベルタの背に乗った工藤の姿が、森の奥に消えていく。
「いずれ世界の残酷さに我慢がならなくなったら、ぼくのところにお越しください! いつでも歓迎しますから――……」
最後まで友好的な態度を崩すことなく、もうひとりの王は、おれたちの前から去って行ったのだった。
***
「……逃げられた、か」
この場に計算違いのアントンが出てきた時点で、工藤を捕えることはできないとわかっていた。それでも、彼に逃げられてしまった事実には後悔が残った。
おれたちの目の前には、捨て駒にされたモンスターの死骸だけが残されていた。坂上の遺体の『残り』まで持って行っているあたり、ちゃっかりしているというべきだろうか。
あやめを傷つけられた借りを返しそびれたガーベラが、八本脚で地団太を踏み、ローズはモンスターの血に濡れた斧をさげて、仮面の奥でなにか考え込んでいる様子だった。
アサリナが手の甲に戻り、寄り添うリリィが心配そうにおれを呼んだ。
「ご主人様……」
おれはひとつ溜め息をついて、彼女に笑顔を向けた。
「戻ろうか。やっと全部終わったんだ。シランたちにも知らせてやらないとな」
もちろん、これが終わりなどではないことは百も承知だった。
むしろ、これが工藤との戦いの始まりなのだ。たとえ直接、矛を交えることがないとしても、これからずっとおれは工藤と戦い続けることになる……。
「……」
仲間たちを促して歩き出したおれは、ふと工藤が消えた森の奥を振り返った。
……いつかおれは、モンスターを率いるもうひとりの主と、もう一度あいまみえることになるだろう。
世界の残酷さに屈したおれが彼の手を取り魔王となるか、それとも、彼をとめることができるのか……そのときまでに、きっと答えは出ているはずだった。
おれの胸に去来した感情を感じ取ったのか、リリィが腕を抱きしめてくる。そのぬくもりを感じながら、おれは再び砦に向かって歩き出した。
◆長めのエピローグになりましたが、これにて第2章は完結となります。
第3章も引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
お気に入り登録、評価してくださった方には重ねてお礼申し上げます。
これからも応援いただければ幸いです。
◆次章ですが、2週間と少しあと(18日)から更新を始めると思います。
体調やリアルの都合で一週間ほど前後するかもしれませんが、しばしお待ちください。