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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

2章.モンスターを率いる者

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32. 虚ろな力を砕くもの

前話のあらすじ:

地味に第1章の8話冒頭と同じ場所だったりします。
   32


 灯火が深い暗闇を浮上して、意識が体に降りてくる。

 それなりに長い時間、あの不思議な空間にいたような気がしていたのだが、現実世界でのおれが意識を失っていたのは、ほんのわずかな時間だったらしい。

 肩口に顔を埋めて歯を立てているシラン越しに、取り乱した様子で人間の体を再構成している最中のリリィが見えた。

「ご、ご主人様!」
「……大丈夫だ。うまくいったよ、問題ない」

 声を掛けてやると、リリィがほっとした様子を見せる。
 彼女から視線を外して、おれは改めてシランに注意を向けた。

 襲い掛かってきたときに無意識に抱きとめていたらしい彼女の体は、力が抜けて、半ばおれに身を預けるかたちになっていた。傍から見たら、恋人の肩口に顔を埋めて抱き合っているようにも見えるかもしれない。

 実際にはもちろん、そんな色っぽいシーンではなくて、おれが彼女に喰いつかれているだけの、やや猟奇的な場面なのだが。

「痛……っ」

 おれは小さく呻き声をあげた。

 肩の肉に喰い込んでいたシランの歯が、湿った音をたてて引き抜かれたのだ。
 もちろん、そうしなければ離れられない以上、これは必要な痛みだ。おれはシランの背中に回していた腕を解いた。

「……?」

 そして、数秒。おれは内心首を傾げた。

 すぐにでも身を離すかと思われたシランに、身動きをする様子がなかったからだ。

 喰いついていた歯は抜かれたものの、腕はおれの体を抱き寄せたままだ。意外としっかりと掴まれているために、おれのほうからは離れることができない。

 かといって、シランのほうから動く気配もない。
 肩口に顔を埋めて、シランは立ち尽くしていた。

 どうかしたのだろうか?
 と、疑問に思ったところで、おれは肩の傷口近くに、ざらりとした感触を得た。

 ぴちゃぴちゃと音がした。
 猫がミルクを飲むときのような、やや粘着質な水音だった。

「……え?」

 背筋にぞくりと鳥肌が立ったのは、悪寒のためか、それとも快感のためだっただろうか。

 それこそ睦み合う恋人たちがするように、少女の舌がおれの肌を這っていた。

 丹念に、なぶるように。
 娼婦を思わせる淫靡さと、犬猫の無邪気な熱心さを併せ持って、シランの舌がおれの肌を這い回る。ぴちゃり、ぴちゃりと音がする。ついばみ、味わい、舐め取っている。

 そう。シランはおれの傷口から流れる血液を、熱心に舐め取っていたのだった。

「――」

 思わず思考を硬直させたおれから、ゆっくりとシランが離れていく。
 やや俯き加減の目。ほころんだ唇。口元を赤い血液で濡らしたシランの顔には、生真面目な彼女らしからぬ蕩けた表情が浮かんでいる。

 血の気のない顔はやや不気味に感じられたが、同時にそれが年頃の少女に妖しげな色気を添えていた。

 舌が唇をなぞる。
 そこに付着した血液を、まるで甘露でもあるように舐め取る仕草が生々しい。

「ぁ、ふ……」

 虚ろな声が耳に忍び込む。
 それさえも、どこか色を感じるのだからどうかしていた。

 普段の彼女が可憐な野花なら、いまの彼女は妖花だった。甘く香る色香と、儚いほどに危うい雰囲気。いまにも散ってしまいそうで、だからこそ、その美しさから目が離せない。

「ふ、ふふ……」

 たったひとつきりの瞳が、とろんとした眼差しをおれに向けた。
 目が合った。そして――シランのなかで、なにかがスイッチみたいに切り替わった。

「……ぁ、れ?」

 戸惑うような声があがった。
 表情とパスの両方から、彼女のなかに彼女自身が戻ってくるのを感じ取れた。

 それと同時に、凍り付いていたおれの時間も動き始める。自分が息をとめていたことを、おれはこのとき、ようやく自覚した。

「シ、シラン? 目は覚めた……か?」

 おれの呼びかけに、目を合わせたままのシランが、瞬きをひとつ。綺麗に血糊が舐め取られた唇が震える。

「たかひろ、どの?」

 返答は舌っ足らずで、どこか幼い。
 けれど、少なくともいまの彼女は、おれをおれとしてきちんと認識していた。

「こ、こは……?」

 みるみるシランの表情はしっかりしたものになっていく。
 ここにある自分自身を確かめるように、彼女は広げた手を見下ろした。

「……まさか本当に、戻ってこれたというのですか」

 震える唇が、意味のある言葉を紡ぎ出した。
 瞳の奥には理性の光が宿っているのが見て取れる。
 そこには、さっきまでの危うげな様子の彼女はもういなかった。

「よかった。目が覚めたんだな」

 おれはほっと胸を撫で下ろした。
 察するにさっきまでの彼女は、自我を取り戻しかけた曖昧な状態だったせいで、多少なり行動がグールのものに引き摺られてしまっていただけなのだろう。少しひやりとさせられたが、この分なら、どうやら大丈夫そうだった。

「孝弘殿!」

 自分の手をまじまじと眺めていたシランが、伏せていた顔をあげた。
 再びおれのことを映し出した碧眼が、この世にひとつきりの宝石のように輝いている。先程とはまったく違った意味で、おれはその輝きに目を奪われた。

「ありがとうございます、孝弘殿」

 ぎゅっと手を握られた。
 恐ろしく冷たい指の感触に視線を落とせば、一度は切り落とされた彼女の腕の先に、『赤い石の嵌った指輪』があった。

 騎士団の証の指輪には、グールの判定機能がある。シランがグールではなくなったことで、どうやら指輪の色が変化したらしかった。
 黄色からもとの蒼色に戻らなかったのは、グールでなくなったものの、彼女がアンデッド・モンスターとなってしまったことは変わらないから、だろうか。

「これで、もう一度わたしは戦えます。守りたかったものを、守ることができる……っ!」

 それでも、ここにいるのがシランであることには違いない。

 ようやくおれにも、彼女の心を取り戻した実感が湧いてきた。自然、口元に笑みが浮かんだ。

 目の前の少女が、尊いと感じたその想いが、失われずに済んだのだ。いまは、それをまず喜ぼう。

「全部、全部、孝弘殿のお陰です」
「……いや。それは違うんじゃないか」

 感極まった様子で感謝を口にするシランの言葉に、おれは首を横に振った。
 シランは涙の浮かんだひとつきりの目を丸くする。そんな彼女におれは、ある言葉を投げかけた。

「『ここは願いが叶う世界なのだ』」
「……?」
「前に聞かせてくれただろ。確か、初代勇者の遺した言葉だったか」

 それは、初代勇者が口にしたという言葉だ。人間にとっての暗黒の時代、『望みを捨てるな』と彼は人々を励ましたのだという。
 もちろん、この言葉について語っていたシランも言っていたように、それはあくまでもひとつの解釈に過ぎない。その言葉はあまりにも単純すぎて、あまりにも遠い昔のことでありすぎて、当人しか知る由のない真意を確かめる術は、もはやない。

 けれど、その優しい解釈が、守るための戦いを続けてきたひとりの気丈な少女を支え続けてきたことだけは確かだ。
 だからこそ、これほどこの場に相応しい言葉もない。

「おれに備わった力だけじゃ駄目だった。おれだけの願いでも、きっと届かなかっただろう。『願いが叶う』というのなら……それこそ、シラン自身の強い望みと、砦を守ろうとした人たちの願いがあったからこそだ」

 おれたちみんなの願いの結晶として、いまのシランはここにいる。それをおれひとりの手柄にしてしまうのは、ちょっと違うのではないだろうか。

「わたしたち、みんなの想いが……」

 おれの言葉を聞いて、シランはそっと目を伏せた。
 なにを思っているのだろうか、彼女は繋がれた手を見詰めている。

「……そう、ですね」

 やがて彼女の口元に、綺麗な微笑みが浮かんだ。

「これは、わたしたちみなで起こした奇跡なのかもしれません。……ですが、だからこそ、孝弘殿。どうかお礼を言わせてください」

 シランの蒼い宝石の瞳が、再びおれの姿を映し出した。

「ありがとうございます、みんなの願いを拾い上げてくださって。……わたしの願いを、救い上げてくださって。あなたは否定するのでしょうが、少なくとも、わたしにとってあなたは……」

 なにかを言おうとしたシランが、続く言葉を呑み込んだ。
 かぶりを振る。改めて向けられたシランの顔は、世界を守るために戦い続けてきた騎士のものに変わっていた。

「孝弘殿に取り戻していただいたみんなの想いに……そして、わたし自身の願いのために、わたしは戦わねばなりません。行きましょう、孝弘殿。我らの戦場へ」

 傷つけられる誰かを守らんとする誓いの輝きはそのままに、アンデッド・モンスターとして、騎士シランはここに新生した。

   ***

 再会を喜び合いたい気持ちはある。
 取り戻したものをもっと実感していたいという思いもある。

 けれど、状況はそれを許さない。

「ああ。戦おう。状況の説明は必要か?」

 触れ合っていた手を離して、おれはシランに確認を取った。

「いえ。大体のところは把握しています」

 おれの手を追っていた目をあげて、シランはかぶりを振った。

「あの奇妙な世界で孝弘殿に抱えられているうち、こちらの事情は伝わってきていましたから」
「……今更だが、あの場所でのことを覚えてるんだな」
「ええ。とはいえ、夢を見ていたみたいに実感はありませんが……けれど、あれは決して夢などではないのでしょう? でしたら、わたしのやるべきことは決まっています」

 シランは振り返って、通路の先を見据えた。
 巻き上がる爆炎と粉塵で霞む風景の奥に、派手に撒き散らされる蜘蛛糸を火魔法で焼き払ってガーベラとやりあう、長身の少年の姿が垣間見えた。

 シランは十文字に一度敗れている。無残な敗北は、ひとを怖気づかせるものだ。心臓を貫かれて殺害される経験なんて普通有り得ないことを考えれば、尚更、おれは彼女のことが心配でもあった。

 けれど、見る限り彼女の表情に怯えの色はない。眼差しは強く、小揺るぎもしない。これなら十文字と剣を交えることにも、なんら問題はないだろう。それを確認してから、おれは口をひらいた。

「見ての通り、いまはガーベラ……おれの眷族の白いアラクネが、十文字の相手をしている」

 ここから見えるガーベラは、十文字得意の火魔法の前に効果が薄いとわかっている蜘蛛糸を多用して戦っていた。

 この戦い方は事前に打ち合わせていたもので、狙いは十文字の火魔法を誘うところにある。お陰で十文字は巻き上がる爆炎のせいでおれたちの状況に気付いていない。……通路の壁が崩れ始めているあたり、少しやりすぎな感はあるが、彼女はうまくやっているというべきだろう。

 だが、それもいつまでも続くものではない。

「たとえ白いアラクネであったとしても、十文字を倒しきるのは難しい。このまま戦い続ければ、返り討ちに遭う可能性も低くないだろう。早速で悪いんだが、シランには彼女に加勢してもらいたい」
「わかりました」

 おれの要請にシランは頷き、ちいさく苦笑を漏らした。

「しかし、まさか伝説の怪物と肩を並べて戦うことになるとは、人生とはわからぬものです。いえ。わたしはもう死んでいるのですが」
「おれにとっては、大事な仲間だよ。あれで可愛いところもあるんだが」
「可愛い……ですか?」

 おれの言葉が意外だったらしく、シランは目を丸めた。白いアラクネとしての猛々しくも美しい彼女の姿しか見なければ、そう思うのも無理はない。

「ああ。機会があれば、シランも仲良くしてやってくれ」

 少し笑ってから、おれは表情を引き締めた。そんな機会を作るために、いまは戦わなければならない。おれは戦場へと向き直った。

 そのときだった。

「あ、れ……?」

 世界がぐにゃりと歪んだ。
 酷い眩暈が襲い掛かってくる。到底、立ってなんていられない。

「ご主人様!?」
「孝弘殿!」

 ふたり分の悲鳴が響くなか、おれは尻餅をついた。
 奇妙な脱力感が全身を襲っていた。咄嗟には立ち上がることができない。

 慌てた様子で駆け寄ってきたリリィが、今更ながら回復魔法を掛けてくれる。

 左肩の咬傷から滲んでいた血がとまった。数秒のうちに、眩暈のほうも収まる。

「いったい、どうしちゃったの、ご主人様……?」

 リリィが心配そうな表情でおれの顔を覗き込んだ。

「あー、いや。……ちょっと無理をし過ぎたか」

 罅割れた自分自身の像のことを、おれは思い出していた。
 あれがなんだったのかはわからないが、ふつうとは違ったシランの眷属化が、おれの存在になんらかのかたちで負担を掛けたことは間違いない。

 それとも、体力自体が落ちていたのが原因だろうか?
 いくら魔力の運用を覚えたことで無理が利くとはいえ、連戦に次ぐ連戦であったし、肩の怪我と出血のこともある。そろそろ限界がきてもおかしくはなかった。

 リリィの手を借りて立ち上がったおれに、シランが気遣わしげな眼差しを向けた。

「孝弘殿。あとのことはわたしに任せて、あなたは……」
「いや。ここでさがるわけにはいかない」

 シランの言葉はありがたかったが、おれは首を横に振った。
 片意地を張っているわけではなかった。

 十文字に正面から対抗する力があるのは、現状、シランとガーベラだけだ。しかし、急造コンビではいささか連携に不安が残る。彼女たちを繋ぐ存在はどうしても必要だった。

「おれのことより、シランだ。ちゃんと戦えるのか?」

 幸いなことに、眩暈は一過性のものであったらしく、もうひとりで立つくらいのことはできた。まだ心配げなリリィの手をやんわり断って、おれはシランに確認を取る。

「色々と、その……勝手が違うように思うんだが」
「そうですね」

 シランは自分の左腕の切断跡に触れ、右目を潰した切創を覆った。
 その手を降ろして、両手を何度か開閉してみせる。

 ぎし、と拳が軋んだところで、彼女は行為を中断した。

「一度切断された左腕ですが、動きにはなんの支障もありません。大幅な身体能力の向上に対して、どうやら身体強度はそのままのようです。ややバランスが悪いですが、小精霊四体の助けを借りたときに近い感覚で動けば、これはどうにかなるでしょう。ただ、魔法……特に精霊使いとしての力は、使わないほうがいいでしょうね。魔力の質が変わってしまっていますから。いまのわたしでは、なにがどうなるかわからない」
「……戦えるのか?」

 少し不安になっておれが問えば、ふっとシランは微笑を浮かべた。

「無論です。そのためにわたしは、孝弘殿の助けを借りて死の淵から舞い戻ってきたのですから」

 愚問だったらしい。シランは微笑みをおれに向ける。

「任せてください。――いえ。違いますね。一緒に戦いましょう、孝弘殿」
「……わかったよ、シラン。悲劇はおれたちが、ここで終わらせよう」

 おれは頷いた。
 モンスターの大群の襲来から始まり、この騒動では多くのものが失われた。元凶である十文字は、ここでとめなければならない。そのために各々が最後の力を振り絞ろう。

 これが最後の戦いだ。

   ***

「それでは、行きます」

 送り出したシランは、床に転がった剣を拾いあげると、そのまま通路を駆け抜けた。

 目指す先は、直剣を振るう少年と、跳躍する白い蜘蛛との戦場だ。
 自分と同じ眷属である彼女の接近に、いち早く気付いたガーベラが浅く微笑んだ。

「来たか、小娘」
「助太刀します!」

 ガーベラと戦う十文字に、シランは横合いから斬撃を繰り出した。
 さっき彼女自身が言った通り、踏み込みから剣の振り下ろしに至るまで、彼女の動作に危ういところはない。急激に向上した身体能力に振り回されることなく、彼女は剣を振るった。

 十文字がこれを受け止めて、驚愕に目を見開いた。

「なっ……お、お前! さっきと様子がっ!?」
「ええ。既に死したこの身ですが、あなたの放埓をとめるため尽力させていただく!」
「なんだ、それは。どうしてグールが……まさか!」

 呻き声をあげた十文字が、少し距離を取って立つおれの存在に気付いた。

「お前……真島孝弘! 蜘蛛の乱入はそのための時間稼ぎか!?」

 忌々しげな十文字の言葉に構ってやる義理はない。おれは声をあげた。

「ガーベラ! 正面はシランに任せろ!」
「……む。主殿の命とあれば致し方ないの」

 渋々ではあるものの、おれの言葉には素直に従って、ガーベラは身をひいた。小さくシランに言葉を残す。

「奮えよ、小娘。この戦場、貴様が主役だ」
「言われずとも!」

 シランはますます激しく、十文字に斬りかかった。
 踏み込んだ足が煉瓦を割り、振り上げた剣が世界さえ切り裂かんばかりに猛り奔る。

 身体能力そのものは理性なきグールのときのほうが上だっただろうが、それでも人間の枠を外れた彼女の身体能力は生前を遥かに凌駕している。十文字との間にあった理不尽なまでのスペック差は詰まっていた。

 繊細な剣技までは調整が追いついておらず、取り戻し切れていない感があるが、少なくとも彼女は十文字よりうまく剣を扱っていた。

 加えてシランにはひとつだけ、十文字よりも有利な点があった。
 それは、傷に対する回復力だ。

 アンデッド・モンスターとして、シランは並外れた修復力を持っている。
 それに対して十文字は、グールと化したシランとの戦闘中、利き腕に喰いつかれて傷を負っている。それ以外にも、いくつか怪我をしていた。ウォーリアである十文字は回復魔法が使えないわけではないのだろうが、戦闘中に治療できるほど得意ではないらしい。

 そもそも、渡辺を排除した十文字にとって、ここまで抵抗されること自体、想定外だったに違いない。

 勇者が裏切ったという事実に堪えられる人間などこの世界にはほとんどいないことに加えて、彼の反則級の力に対抗できるような人材も稀なのだ。このふたつを兼ね備えた存在にぶつかったことが彼にとっての不幸であり、おれたちにとっての希望だった。

「はああぁああッ!」

 多少なり戦闘力の劣化した十文字なら、いまのシランは真っ向からでも戦える。喰い下がるので精いっぱいだが、それでいい。いまの彼女は、ひとりではないのだから。

「掻き回せ、ガーベラ!」
「あいわかった。任せよ、主殿」

 おれの言葉にガーベラが応える。
 樹海深部の白き暴虐。伝説にさえ謳われる白いアラクネなら、このレベルの戦いにもついていける。蜘蛛脚を持ち、単純な機動力ではこの場の誰をも上回るガーベラが、壁から天井から十文字を強襲した。

 おれが正面をシランに任せ、ガーベラをひかせた理由がこれだった。
 正面はシランに押さえられたうえ、四方八方から襲い掛かるガーベラの攻撃を捌くのは、いくら探索隊のチート持ちであっても難しい。

「ぐっ……くそ!」

 これには十文字も堪らず、ふたりから距離を取った。

 堅実なシランは迂闊な深追いを避け、油断なく剣を構えた。天井に張り付いていたガーベラが、くるりと身を翻してその隣に降り立つ。

 ふたりは肩を並べて十文字と対峙した。
 片や人界を守るためにモンスターと戦い続けてきた樹海北域最高の騎士。片や樹海深部で最強を誇った白き大蜘蛛だ。彼女たちの来歴を考えれば、それは本来有り得ない共闘に違いなかった。

 そして、彼女たちを言葉とパスで繋ぎ、その有り得ない光景を実現するのが、おれの仕事だった。

 闘争に猛るガーベラを、その勢いを殺すことなく御すことができるのはおれだけだ。シランとの信頼関係についても構築できている。
 故に、いまのふたりに穴はない。彼女たちは確実に、十文字を追い詰めていた。

 ……それが、十文字にとって愉快なことであるわけがない。

「なんなんだ、お前たちは!」

 癇癪を爆発させて、十文字が煉瓦の床を直剣で叩いた。

「おれが力を手に入れるための経験値にすらならない有象無象! おれが英雄として名を挙げるためにいる化け物!」

 持ちあげられた剣の切っ先が、シランを、ガーベラを順々に指した。

「お前たち如きが、どうしておれに逆らうんだ!?」

 そして最後に十文字は、リリィに寄り添われて立つおれのことを睨みつけた。

「お前たちは所詮、おれが生きてあの世界に戻るための糧だろうが!」

 相変わらず十文字の目には、おれたちのことはモノとしてしか映っていなかった。

 ……その根底にあるものは、ひょっとしたら、周囲全てに対する猜疑心なのかもしれない。

 これだけの力を持ちながら、十文字は自身の境遇に危機感を抱いている様子だった。
 こんな世界に迷い込んでしまって、自分はいつまで生きていられるのかと不安に思う。それは極々当たり前な感情だ。

 そして、不安というものは積み重なる。誰もがそうであるわけでもないが、かといって、誰もが不安を解消できるわけでもない。そうして不安に駆られて周囲を見れば、全てが自分を害する存在であるかのように思えてしまっても無理のないことではあった。

 抱えた事情は違っていたが、おれ自身もこの砦にやってきてから、周囲を警戒して過ごしていたことがある。だからわかるが、あれは酷く精神を削られる状況だ。

 それでも、おれにはリリィがいた。あやめもいたし、アサリナもいた。信頼できる彼女たちといる間は、おれは心安らかでいることができた。

 けれど、そういう存在がいなければどうだろうか?

 考えたくもない。そうなれば、この世はまさに地獄だろう。そんな状況に陥れば、ひょっとするとおれだって、他人をモノと見ることでしか精神を保てなくなるかもしれない。

 ……もちろん、こんなのは想像だ。
 十文字はもとからこういう性質だったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。おれには、いいや、他の誰にだって、十文字達也という人間を語ることはできないのだ。

 それに、たとえなにか事情があったところで、十文字の独りよがりな行為によって、多大な犠牲者が出た事実は変わらない。彼の罪が許されるわけでもない。この世界において、彼はあまりに危険な存在に成り果ててしまった。

 だけど、いまの十文字を見ていると、おれはひとつ思わずにはいられなかった。

「……ひょっとしてお前のその力は、ないほうがいいものだったのかもしれないな」

 ぽつりと零したおれの言葉に、十文字は怪訝そうに眉を寄せた。
 すぐにその表情は、嘲り嗤いに取って代わられた。

「なにを今更。お前たちにとっては、そうだろうさ」
「いいや。お前にとってもだよ、十文字。お前にはわからないかもしれないが……」

 おれにとっては、眷属たちとの絆と想いが詰まったこの力だ。
 けれど、なんの想いも伴わなければ、こんなの不幸の原因でしかないのかもしれない。周りにいる人間たちにとっても……ひょっとすると、本人にとってさえ。

 なぜなら、チート能力なんてものさえなければ、十文字は悪魔にならずに済んだのだ。コロニー崩壊のときだってそうだ。なまじ力があったために、ただでさえ未熟な少年たちが短絡的な判断に流れやすくなった部分がなかったとはいえない。

 なんなのだろうか、この力は。
 おれたちは、もっとこの力について理解を深めるべきだったのではないか。

 ……なにを言っても、もう遅いが。

「終わりだ、十文字」

 おれの言葉に、十文字が目を剥いた。

「ふ……ふざけるな! こんなところで、こんなところで! このおれが終わるか!」

 口角泡を飛ばして怒鳴る。

「おれはひとりで生き残る。お前ら有象無象を喰らい尽くせば、あの世界に戻れるんだ! おれの身の備わったこの力なら、それが可能なはずなんだ。これは、そのための力なんだ! だったら、それはつまり、お前たちはおれに喰われるために、この世界に一緒に落とされたってことだろう!?」

 彼にとってだけ筋の通った理屈を喚き散らすその姿に、取り澄ました『勇者』としての顔はない。

「お前たちは、大人しくおれの糧になればいいんだ!」

 直剣を手に十文字が駆け出した。

 狙いは……案の定というべきか、おれだった。
 展開される赤い魔法陣。第三階梯の火魔法だ。それを確認して、おれは目を細める。

 十文字の襲撃は、先程とまったく同じ筋道を通っている。怒りが彼の攻撃を単調なものにしていた。

「迎撃しろ、リリィ」

 おれの指示に従い、待ち構えていたリリィが魔法を起動させた。
 爆発する無数の火球と、乱舞する風の刃。砕かれ、切り裂き、互いに魔法が相殺し合う。

 それは先程もあった光景だ。けれど、いまは迫りくる十文字を迎え撃つ存在がある。

「ガーベラ!」
「シャアァアアアッ!」

 爆炎と風の刃が吹き荒れる空間をものともせず、白い蜘蛛が十文字に襲いかかる。多少の怪我など度外視した挙動は、十文字の虚を突いた。
 しかし、それでも対応してくるのがチート持ちの戦闘能力だ。

「ぐっ、邪魔だ、化け物!」

 鋼が唸りをあげて、炎を突きぬけて襲いかかるガーベラを迎え撃った。

 がぎぃん、と耳障りな破砕音がして、蜘蛛脚の一本がへし折れた。

 押し負けたガーベラがバランスを崩して、床に叩きつけられる。それでも、振り乱した白い髪の間に垣間見えた彼女の口元は、会心の笑みを浮かべていた。

「うぐっ……!? こ、こいつ……」

 押し殺した十文字の悲鳴。脚一本へし折れることさえ厭わずに放たれたガーベラの捨て身の蹴撃は、腕に怪我をしていて握力が足りなかった十文字の手から、直剣をもぎ取っていた。

 十文字の直剣が、魔法の炎も風も弱まった空間に舞い――そこで、シランが前に出た。

 十文字やガーベラに比べて、エルフの少女の体はあまりに脆い。一定の範囲を蹂躙する爆炎と風の刃は、彼女にとって鬼門と言える。ましてや、いまの彼女は魔法が使えないのだから、対処の術さえない。

 だからこそ、彼女の投入はこのタイミングでなければならなかった。
 ガーベラと時間差をつけて繰り出された攻撃は、十文字を完璧に捉えている。これは、避け切れない。

「はあぁあああ!」

 横薙ぎに振るわれたシランの剣が、防御に回された十文字の腕を斬り飛ばした。
 だが、そのせいで剣速が微妙に鈍る。もう少しというところで、切っ先は十文字の喉元三センチ先を通り過ぎた。

「あっ、ぁあ!? ぁあああぁあ!?」

 片腕の喪失と激痛に十文字が絶叫し、シランはすかさず剣を切り返す。

「終わりです!」
「やらせるかァ!」

 怒声とともに、十文字の脚が跳ね上がった。
 二の太刀を放とうとしていたシランの腹に、靴先がめり込んだ。本来なら破れかぶれでしかない攻撃のはずが、チート持ちの力はそれを凶悪無比な一撃に変える。

 鎧が拉げ、シランの腹部が破壊される。
 がほっと噎せてシランは膝を折り、吐き出された血が顎を伝って床を汚した。

 そんな彼女を見て嗤う十文字が、弾かれて宙を舞う直剣に手を伸ばした。

 アンデッド・モンスターとなったシランは、この程度のダメージで行動不能に陥ることはない。だが、次の挙動に移るまで、ひと呼吸の時間が必要だった。その間に、十文字は剣を手に取り、彼女を斬り捨てる――

「……あ」

 ――その未来を、伸ばされた蔓が絡めとった。

 剣を掴もうとした十文字の手が、虚しく宙を掻く。
 伸びてきた蔓の先を、十文字の目が辿った。

「お、前……ッ!?」

 寄生蔓・アサリナを走らせたおれと、奴の目が合った。最後の最後まで、その目はおれのことを同じ人間として見ていなかった。

「いまだ、シラン――ッ!」

 なにかを喚こうとする十文字に先んじて、おれは叫んだ。
 蹲ったままのシランが腰だめに剣を構える。

「やあぁあぁあああ!」

 立ち上がるのと同時に、放たれる一撃。
 逆袈裟に走った斬撃が、十文字の体を深々と斬り裂いた。
◆風邪ひいたり修羅場ってたりで、お待たせしてしまいました。
楽しんでいただけたら幸いです。

◆とりあえず投稿いち。
見直し次第、順次投稿。
+注意+
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