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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
2章.モンスターを率いる者
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04. 人形の願望

前話のあらすじ:

トラウマ先生仕事しすぎ!

   4 ~ローズ視点~



 わたしにとって、創造することは、ほぼ存在意義に等しい。

 いつものようにわたしは愛用のナイフを手に取ると、手頃な大きさに切り出した木材を削り始めた。


 マジカル・パペットならどの個体でも持っているこの魔法のナイフは、思うがままに木材を加工することが出来る。


 とはいえ、勿論、作り手の腕は重要だ。


 通常のマジカル・パペットは必要な時しか道具を造ったりしないものだが、わたしはご主人様の言いつけにより、日々常に新しい道具を作成している。そのためか最近、自分でもそうとわかるくらい、魔法道具作成の技術が向上していた。


 もっとうまくモノを造れればいい。

 そうすれば、もっとご主人様のお役に立てるだろうから。


 こうして木を削っている時間は、わたしにとって至福の瞬間だ。

 役に立っているという確かな実感がある。


 わたしはいま、生きている。

 血の通わぬ人形の分際ながら、そんな大それたことを考えてしまうくらいに。


   ***


 ローズという名前を与えられたわたしにとって、誕生の瞬間は二つある。


 その一つは、マジカル・パペットの名前で呼ばれるモンスターとしての発生である。

 母体であるわたしと同種のモンスターは、この深い森を徘徊するうちに空気中から少しずつ魔力を集め、己の分身を作成した。

 そうしたいくつもの作品のうちの一体が、このわたしということになる。


 そしてもうひとつは勿論、ご主人様に出逢ったあの時のことだ。

 あの瞬間、名もなきマジカル・パペットは、ローズという一個の人格を得た。


 その時からわたしは、武具や防具を始めとした様々な物品を作成するという大切なお役目を、ご主人様から与えられている。


 それはある時は魔法のかかった武具の作成であったし、またある時は生活必需品や簡単な家具だった。


 そして、いまはアラクネの巣で、破壊されてしまった武具を作製している。


「……」


 そんなわたしの作業を、じっと見守っている視線があった。


 ご主人様ではない。

 彼は森へ探索に行ってしまった。

 わたしの反対を押しのけて。……いや、それはいい。

 いまはいい。


 いまは、目の前のこの視線のことだ。


「……見ていて楽しいものですか?」

「はい」


 わたしの問いかけに、シーツに身を包んだ加藤さんは、ほんのわずかな笑みを唇の端に乗せて頷いた。


「なかなか面白いですよ。不思議だなあって思います」


 そういって加藤さんはわたしが作製した丸盾を手に取った。

 滑らかな表面を持つ、黒い盾だ。


「材料はただの木なのに、作り終わったら金属にしか見えないなんて」


 そういって、彼女は盾の黒い表面を、少し伸びた爪で弾いた。

 ぎぃん、と鈍い音がした。


 最近のわたしの作品は、大抵がこうした黒っぽい色合いに変化する。

 変化は見た目だけのものではなくて、性質は硬くて粘り強いものになっている。

 それは本来の木材の質感とは、まるで似ても似つかぬものだ。


 しかし、それがどう『不思議』だというのだろうか。

 わたしはそれが疑問だった。


 わたしが作ったものは魔法のかかった品物になる。

 わたしはマジカル・パペットであり、それがモンスターとしての特性であるから、そこに不思議なことなど欠片もない。

 わたしにしてみれば、加藤さんの疑問にしているところがよくわからなかった。


「不思議、ですか?」

「はい。……あれ? ローズさんにとっては、これって不思議なことじゃないんですか」


 わたしが頷くのを見て、加藤さんは少し難しげな顔をした。


「あ。そっか。ローズさんはわたしたちみたいに、教科書で原子なんかの概念を習ったわけではないですもんね。……そういえば、地球でも昔はツバメだかなんだかが、砂浜にもぐってハマグリになるって考えられていたことがあるって、水島先輩が言ってたことがありましたっけ」


 ぶつぶつとつぶやく加藤さん。

 そして、彼女と受け答えをしつつ、基本は黙々と木材を削るわたし。


 最近はこんな光景がよく繰り広げられていた。


 ちなみに、リリィ姉様は療養のために少し離れたところで休んでいて、この会話には参加していない。そろそろ動いても大丈夫なのだが、心配性なご主人様が、完全回復するまでは休んでいるように姉様に厳命したからだ。


 そういった経緯もあって、加藤さんの話し相手は、もっぱらわたしがつとめることになっていた。


「魔法道具の作成」


 加藤さんは黒い盾を指の腹で撫でた。


「ローズさんにしてみれば普通のことなのかもしれないですけど、わたしからすればすごいことですよ。魔法ってすごいですね」

「わたしのこれは、魔力を利用しているだけで、厳密には魔法ではありませんが」

「魔法ではないとしたら、すごいのはローズさんの腕ですね。これだけのモノを造れるんですから」

「ありがとうございます」

「真島先輩もそう思ってると思いますよ」


 思わずわたしが手元から目を離して顔を上げると、加藤さんはわずかな笑みを浮かべていた。


「……」


 彼女はわたしが何を一番喜ぶか、よくよくわかっているらしい。


「何か手伝うことがあったら言って下さいね」

「……」


 何処までわかっていて言っているのだろうか。

 そんなことを考えながら、わたしはいまのいままでかたちを整えていた丸盾を、彼女に差し出した。


「では、これを廃棄場所に持って行っていただけますか」

「あれ? これも捨てちゃうんですか」

「雑念が混じりましたから」


 まだ大体のところが出来上がっただけの盾を、加藤さんに受け渡す。

 加藤さんはやや眉を下げ気味にして、これを受け取った。


「ひょっとして、邪魔しちゃいました?」

「いいえ。これはそれとは別件です」

「ならいいんですけど。……前々から思っていたんですけど、ローズさんって結構たくさん失敗作を出してますよね」


 離れたところにある木片の小山へと加藤さんは視線をやった。

 それは全部、わたしがここ数日のうちに造っては捨てを繰り返した失敗作だ。


 資源は周囲にいくらでもあるとはいえ、かけた時間はややもったいない気がする。

 けれど、わたしはこと自分の作品について妥協するつもりはなかった。


「わたしの武具にはみなの命がかかっています。少しでも納得のいかないものを提供するわけにはいきません」

「ああ。成る程。ローズさんは職人さんなんですね」


 好ましげな口調で言って、加藤さんはわたしの渡した失敗作を捨てにいった。


 わたしはその間に新しい木材を見繕って、大体のかたちに割っていく。


 木にはそれぞれ癖がある。加工するためには、その癖というものを、きちんと理解しなければならない。それは、魔力を込めて作品を仕上げるわたしであっても変わらない。


 触れていれば、自ずとどのようなかたちが最善であるかは伝わってくる。

 わたしはいま手にしている木片を、細長いかたちに造形した。最終形は剣となる予定だ。イメージはこの時点で、大体頭の中に浮かんでいる。あとは、それに近づけるだけだ。


 そうしているうちに加藤さんが戻ってきて、わたしの目の前に再び座る。

 シーツを引き寄せ、肩にかけるとわずかに満足げに唇がほころぶ。昨日、雑談の合間に聞いたところによると、シーツに包まれていると安心するのだそうだ。『赤ん坊が自分のタオルを持っていると落ち着くようなもの』という比喩は、赤ん坊時代のないわたしには理解しづらいものだったが。


 そうしていつもの通りにシーツに包まれた加藤さんは、おもむろに口を開いたのだった。


「失敗の原因は、ガーベラさんのことですか?」


 ばきりと音を立てて、わたしの手の中で木片が二つに割れた。


「……」


 わたしはしばし呆然としていた。

 わたしの時間が動きだしたのは、申し訳なさそうに加藤さんが頭を下げてからのことだった。


「すみません。今度こそ、邪魔しちゃいましたね」

「……いえ」


 原因は加藤さんだが、やってしまったのはわたしのミスだ。

 わたしは首を横に振って、使い物にならなくなってしまった木材を脇に置いた。


 新しいものを手に取る。それを削りつつ、わたしは尋ねた。


「どうして、ガーベラの件だと?」

「ごめんなさい。以前に真島先輩と話をしているのが聞こえてしまいました」


 というと、三日前の朝のやりとりだろうか。

 ガーベラに対する不信感を、ご主人様に訴えた時のことだ。


 あれを聞かれてしまっていたらしい。

 だとしたら、今更隠したとしても、あまり意味はないだろう。


「加藤さんのおっしゃる通りです」


 わたしの作業を邪魔している『雑念』の正体は、ガーベラに関わることだった。

 わたしはどうしても、あのガーベラのことが気になっていたのだ。


 ご主人様はガーベラのことを許している。

 彼の眷族を自認するのなら、わたしもまた彼女のことを許すべきだろう。

 頭ではそれはわかっている。

 しかし、どうしても感情がついていかないのだ。


 わたしはご主人様の盾だ。

 彼の被る全ての災厄を、わたしのこの造り物の体で肩代わりしたい。

 その結果としてこの身が残骸と化したとしても、わたしは一向に構わない。


 そう思い定めたわたしにとって、ご主人様を守り切れなかったあの夜の出来事は、あまりにも苦すぎる記憶だった。


 あの夜。ご主人様を奪われた時に感じた絶望。

 アラクネの巣に辿り着き、傷ついたご主人様を見た時の激怒。

 どちらの感情も、わたしの中で、いまだに埋み火として嫌な熱を帯びている。


 それだけでも、わたしが彼女を許すことは相当に難しい。


 更には、これは恐らくお互いにとって致命的とさえ言えることだと思うのだが……ガーベラがあのような凶行に至った理由を、わたしはまったく理解出来なかったのだ。


『ご主人様を自分だけのものにしてしまいたい』


 ガーベラが暴走した動機は、彼女生来のそうした衝動にある。

 大切なものを自分だけのものにしたいという情動は、ひょっとしたら、多かれ少なかれ誰でも抱き得るものなのかもしれない。


 ところが、わたしにはその手の感情が全くといっていいほどに存在しなかったのだ。


 これはもうどちらが良いとか悪いとかいう問題ではない。


 確かなことは、持って生まれたこうした性質の違いのために、わたしは彼女を理解することが出来ないということだ。


 誰かを許すということは、その相手を理解することなしには難しいことだ。

 致命的とはそういうことだ。


 わたしにだって、ご主人様が許している彼女のことを受け入れたい気持ちはある。

 ……あるのだが、どうしてもそこがネックになってしまっている。

 許せないと感じてしまう。


 ご主人様がそれを望んでいないと、頭ではわかっていても……


「……お恥ずかしい限りです」


 わたしはご主人様の意に沿えていない。

 それは彼の眷族として、恥じるべきことだった。


「恥ずかしがる必要はないと思いますけれど」


 しかし、そういうわたしに加藤さんは首を横に振った。


「ローズさんは少し自分を殺し過ぎるきらいがありますね」

「自分を殺し過ぎる、ですか?」

「真島先輩のことを第一に考えるローズさんの姿勢はわかりますし、相手を立てようとするところは美徳だと思いますけど……あまりそれがいきすぎると、今度は自分というものがなくなってしまいます」

「それではいけませんか」


 加藤さんの言い分は、わたしにはいまひとつぴんとこなかった。


「ご主人様はガーベラを受け入れると決め、彼女のことを許しました。でしたら、わたしは彼の意に沿うべきでしょう。何故なら、わたしたちはご主人様の望みを叶えるために存在するからです。そのためなら、わたしの意思など、どうだって構わないではありませんか」

「ローズさんならそういうと思っていましたけどね……」


 加藤さんの口調には、苦笑めいたものが混じっていた。


「ですけど、そういうことならそれこそ、ローズさんが自分を殺してしまうことを真島先輩は喜ばないのではないですか?」

「……」


 彼女の言い分を否定することは難しかった。

 ご主人様はわたしたち眷族のことを大事にして下さる。

 ともすると、彼自身よりもわたしたちの方が大事に思っているようにさえ見えるくらいに。


「でしたら、加藤さんはガーベラの件をどうしたらいいと考えているのですか?」


 今度はわたしから、加藤さんに尋ねた。


 現状、わたしはわたし自身を持て余している。

 ガーベラについて、どのような対応をとるべきなのかがわからない。

 だから加藤さんに話を聞いてもらえるこの機会は、決してわたしにとって悪いものではなかった。


 わたしの脳裏には、ナイフの一本さえ持たずに自分自身の戦いに臨んだあの夜の加藤さんの姿が、いまも鮮明に残っていた。

 彼女はわたしたちなどより、余程に人の心というものに通じている。

 彼女なら袋小路にあるわたしの心に、行き先を見出してくれるかもしれない。


 そう期待させるだけのものが、加藤真菜という名の少女にはあったのだ。


「ローズさんが許せると思った時に、許してあげればそれでいいんじゃないでしょうか」


 加藤さんはほんの少し間をおいてから、口を開いた。


「自分の心を殺しては駄目です。それは真島先輩が望むことではありませんし、きっと何処かで歪みが出ます」

「歪みですか」

「たとえば、ローズさんはガーベラさんに対する感情を押し殺していましたけど、それは彼女から贖罪の機会を奪っていたと見ることも出来ます。そうなれば、いつまで経っても彼女はあなたに受け入れられることはない」

「……そういう見方もあるのですね」


 加藤さんの意見はわたしにとって興味深いものだった。

 気付けば、わたしは作業をする手をとめて、加藤さんと向き合っていた。


 彼女との会話にはそれだけの価値があった。


「あとはお互いの努力次第でしょうね。ガーベラさんの方は……まあ、きっと先輩がどうにかしていると信じるとして」


 加藤さんは此処ではない何処かを見る目をしていた。


 昏い目だ。だが、その眼差しはしっかりしている。

 きっと彼女の目に見えている世界は、わたしのそれとは違っているのだろう……


「ローズさんは、ガーベラさんのことを受け入れてあげたいと思ってるんですよね」

「はい。それは勿論。ですが、どうしても彼女のことを許せる気がしないのです」

「そうですか。……そうでしょうね。ある意味、それは当然のことかもしれません」


 当然のこと。

 加藤さんはわたしの現状を、そう表現した。


「ローズさんには欲がありませんから」

「欲……ですか?」

「そう言ってしまうと、悪い印象がありますけどね」


 加藤さんは小さく笑った。


「だけど、たとえば真島先輩だって、『自分のことを愛する人に傍にいてもらいたい』と思ってますよね。先輩が『そうした人たちを愛して、自分もそれに誠実に応えたい』と願っていることは、眷族であるローズさんが一番よく知っているでしょう。これだって、ある種の欲です。わたしはそれを、先輩らしいことだと思います」

「……欲」

「欲と言って受け入れがたければ、望みと言い換えても構いません。それはレトリック上での些細な違いですから。大切なのは、それこそが彼の『人間らしさ』だということです。それは、リリィさんやガーベラさんだって同じでしょう」


 それはたとえば、リリィ姉様ならご主人様に愛されたいと願っている、というようなことだろうか。

 あるいは、ガーベラなら他の眷族に仲間に受け入れてもらうことを望んでいる、と言えるのかもしれない。


「ローズさんはこの欲が偏っているように見えるんです。『何かをしたい』、『してほしい』、そして、『してあげたい』。……欲求には様々なかたちがありますけど、ローズさんはひどくこの最後の一つに偏っているように見えます」

「それはつまり、わたしの人格が欠陥品だということですか?」

「それは違います」


 加藤さんは強い口調でわたしの疑問を否定した。


「偏っているのは、ただ未発達であるだけです。間違ってもそれは欠陥なんかじゃありません」

「そうと言い切ることは……」

「出来ます。言い切れます。だって、ローズさんが心を得てから今日まで、まだ数カ月と経っていないんでしょう? 心が育っていなくたって、当然じゃないですか」


 指摘されたわたしは、虚を突かれた気持ちになった。

 確かにその通りだった。


 わたしには誕生の瞬間が二つある。

 マジカル・パペットとしての発生と、ローズという名の個体としての誕生の二つだ。


 しかし、どちらがより本質的な意味で『誕生』と言えるかといえば、それは後者に違いない。


 意思なき人形としての生など、いくら重ねても薄っぺらな紙束でしかない。

 それに比べて、仕えるべき主を得て、彼のために奉仕する日々の、なんと色鮮やかなことだろうか。


 マジカル・パペットであるわたしには、赤ん坊時代というものがない。

 だが、こと感情という面においては、いまこそが生まれたばかりの赤ん坊のようなものなのだ。


 わたしの情緒は未発達で、未熟だ。

 水島美穂の記憶を持つリリィ姉様はもとより、あのガーベラにさえ及ばない。


 わたしはご主人様のために在りたい。彼のために働きたい。彼のためになる何もかもを『してあげたい』。それだけが、これまでのわたしのすべてであり、未発達であったとはそういうことだろう。

 だからこそ、ご主人様がほしい……つまりは『何かをしたい』という衝動に端を発するガーベラの暴走が、わたしには理解できないのだ。


 ひょっとしたら、人の心の機微がわからないのだって、こうしたあたりが理由なのかもしれない。


「ですが、そもそもわたしに、そうした類の欲などというものがあるのでしょうか」


 それが『人間らしさ』の一つの表れであるのなら、人形であるわたしに十全な情緒が備わっていなくてもおかしなことはないように思える。


 けれど、加藤さんは首を横に振って、わたしのこの懸念を否定した。


「ありますよ。真島先輩が望んでいるのは、都合のいいお人形ではないでしょう。確固たる人格を持った他者であるはずです。だからこそ、いまはこうしてローズさんとガーベラさんの仲は、ややこしいことになっているわけですし。だったら、ローズさんに自分の望みがないはずがない」

「ですが、わたしは何も思いつかないのです」


 わたしが困り切っていることがわかったのか、加藤さんは思案げな表情を見せた。


 考え込むことしばし。

 やがて寄っていた彼女の眉からしわが消えた。


「ローズさんはこれまでに、幸せだなって思ったことはありませんか?」


 加藤さんの問いかけに、わたしは首を傾げた。


「幸せ、ですか?」

「はい」


 加藤さんは頷いた。


「その幸せをもう一度。そんな風に思えるのなら、それはローズさんの望みって言えるんじゃないですか?」

「成る程」


 わかりやすい示唆を得て、わたしはしばし考え込んだ。


 幸せ。

 幸せか。

 ご主人様のために尽くしているいまこそが、わたしにとっての幸せではあるのだが……


「先輩のために働けたとか、先輩の役に立ったとか、そういうこと以外ですよ」


 加藤さんに釘を刺されてしまった。まあ、言っていることはわかる。

 わたしが見付けなければいけない自分の望みは、『何かをしたい』とか、『何かをしてほしい』という欲求でなければならないのだ。そうであればこそ、わたしは、これまでわたし自身も知らなかったわたしの一面を見付け、成長していくことが出来るのだから。


 幸せ。

 しあわせ。


「……」


 その単語を頭に浮かべた時に、ふとわたしの頭によぎったものがあった。


 ――……むしろ、幸せ過ぎて怖くなります。


「ローズさん?」


 それは、わたしの生涯で一番の宝物ともいえる思い出だった。


「何か思いつきました?」

「あ、いえ。その……これは、違います」


 ちょっとした仕草に気付いて尋ねた加藤さんに、わたしは咄嗟に否定を返してしまった。

 誤魔化したというより、これは単なる嘘だった。


 だって、流石に『これ』はないだろう。

 いくらなんでも、『これ』は許されないだろう。


 確かに加藤さんはわたしに、これまでの短い生涯でわたしの感じた幸せの記憶について尋ねた。

 その点でいうのなら、『これ』は完璧だ。わたしの一番の幸せの思い出であり、文句なしに彼女の告げた条件に合致する。


 だけど、それを『もう一度』などとは。

 高望みというレベルですらない。僭越至極とはまさにこのことだ。


 願っていいはずがない。

 望んでいいわけがない。


 わたしはただの人形なのだから。


「ローズさん、嘘ついてますよね」


 加藤さんはざっくりとわたしの言い訳を切り捨てた。

 彼女にしてみれば、わたしの拙い嘘なんてお見通しなのかもしれない。


「ローズさんが『そうしたい』って思ったってことは、もう相当本気で思ってますよね」


 それは、いつかの夜にリリィ姉様を追い詰めていた時を彷彿とさせる容赦のなさだ。


 違うのは、たった一点だけ。

 あの夜はご主人様のために彼女はそうしていた。

 そして、今日はわたしのために、彼女はそうしている。


 彼女は持ち前の鋭い感性で見抜いているのかもしれない。

 わたしにとって、これは絶対に必要な通過儀礼なのだということを。


 そんな彼女の確信を持った台詞に、背を押されたということもある。

 だが、やはり決め手は他にあった。


 わたしは自分の望みを自覚してしまった。

 知らなかった頃には戻れない。

 自覚した望みに従いたいと、ちらりとでも思ってしまったこと。

 それこそが、わたしにとって決定的だった。


「ご……」


 思い切って、勇気を振り絞って、わたしはそれを言葉にする。


「ご主人様に……」


 言葉にしてしまう。



「ご主人様に……抱きしめてほしい……」



 言葉にして……案の定、わたしはそれを後悔した。


 ご主人様に抱きしめてほしい。


 何だ、それは。

 どういうつもりだ。

 言っていいことと悪いことがあるだろう。


 確かにわたしは一度、ご主人様に抱きしめられたことがある。

 ご主人様の学友であったという、卑劣な男子生徒を返り討ちにした日のことだ。

 わたしも彼のことを抱きしめ返して、あの夜は、眠りに落ちたご主人様と一晩中寄り添っていた。


 眠ることのないわたしにとって、あれこそが一夜の夢だ。


 勿論、あれは例外的な出来事だ。

 それはわたしだって重々承知している。


 夢は夢でしかないのだと。

 それを本気で望むのは、愚か者のすることでしかない。

 身の程を知れ。

 お前はただの人形だろう。


 ……そう言い聞かせても、自分の心は偽れなかった。


 なんてことだろうか。

 わたしは本気で、ご主人様に抱きしめてほしいと願ってしまっているのだ……


「……あぁ、もう! 可愛いなあ、ローズさんは!」


 突然、わたしは正面から抱きつかれた。

 加藤さんに。


 硬直していたわたしだったが、我に返ると、恐る恐る彼女の肩を押し返した。


「申し訳ありません。加藤さん。離れていただけますか」

「あ、ごめんなさい。わたしったら、つい」


 ひょいっと体を離して、加藤さんはバツが悪そうに眉を下げた。

 そうしている彼女は、何処かリリィ姉様に似ていた。……違うか。これは多分、姉様の擬態している水島美穂に似ているのだ。

 日常の中にある、極々当たり前の少女の姿。

 だとしたら、こちらが本来の加藤真奈という名の少女の、本当の姿なのかもしれない。


「ローズさんが抱きしめてほしいのは、わたしじゃなくて、真島先輩ですもんね」

「え、はい。その、いや。しかし」

「何ですか?」

「わたしのような人形がご主人様に抱かれようなどとは、僭越というものでしょう」

「そんなことないです」


 加藤さんは咎めるような口調になった。


「そんなことを言って、ローズさんは諦めちゃうんですか」

「いや。こんなわたしの我が侭に、ご主人様を煩わせるわけには……」

「きっと真島先輩はローズさんが我が侭を言ったら喜びますよ」

「我が侭を言われているのにですか?」

「わたしが見る限り、先輩は性格的に、尽くしてもらってばかりいると、かえってそれを申し訳なく思うタイプじゃないかと思うんですよ」

「それは……」


 ……有り得る、とわたしは思ってしまった。

 わたしがご主人様のために尽くすのは当然のことなのに、彼はそれをよしとはしないところがある。


 だったら、これはご主人様にとってもいいことなのか。


 ああ、いやしかし。

 駄目だ。駄目だ。これは悪魔の囁きだ。


「諦めちゃ駄目ですよ」


 加藤さんは言う。

 悪魔の囁きというよりも、むしろそれは、慈母の後押しとでもいうような優しげな声色だった。


「ローズさんは先輩を困らせたくない。だったら、先輩が望んで抱きしめてくれれば、それでいいということですよね」

「それでいいといいますか……それは望外の事態なのでは?」


 あの一夜の出来事が、そうといえばそうだが。

 あんなことが二度とあるとは思えない。


「だから、諦めちゃ駄目ですってば」


 ぎゅっと握られたままだった手に力が込められる。


「望みが実現するように、努力しちゃおうじゃないですか。……ローズさんの望みは、叶えられるものなんだから」

「あなたは、わたしにどうしろと?」

「簡単ですよ」


 加藤さんはじっとわたしのことを見詰めた。


「真島先輩が抱きしめたいって思えるくらいに、ローズさんが可愛くなればいいんですよ」

「わたしが……可愛く?」

「そうです。幸い、ローズさんには道具を造るだけの腕があるでしょう。魔女とか母親の形見の木とか、特別な舞台演出装置がなくったって、自分を可愛く仕立て上げるためのとっておきの魔法が使えるはずです」


 加藤さんの提案は、決して不可能なことではなかった。

 わたしはマジカル・パペット。魔法のナイフを持つモンスターだ。


 わたしにとって、創造することは、ほぼ存在意義に等しい。

 わたしは自分自身の存在だって、もう一度新しく創り上げることが出来るはずだ。


 だが、出来る出来ないは、何も実現可能かどうかだけで決まるものではない。


「ですが、ただの人形でしかないわたしが、そのような真似をして許されるものでしょうか?」

「いいに決まってます」


 加藤さんは断言した。

 それは今日一番、強い口調だったかもしれない。


「いいですか、ローズさん。女の子が男の子に抱きしめてほしいと願った時に、可愛くなろうとするのは当たり前のことです。お化粧をしたり、自分磨きをしたり……そうした行為は女の子にとって、とても大事なことなんです。それを咎める権利は先輩にだってありません」

「ですが、わたしは人形です」

「何を言っているんですか。考えてもみて下さい。お人形さんがおめかしして、ご主人様に抱かれるのは、それこそ自然なことだと思いませんか? 女の子であるにせよ、人形であるにせよ、どちらにせよ、ローズさんが先輩のために綺麗になることを邪魔する理由なんて、ひとつだってありはしませんよ。だって、ローズさんは、人形の女の子なんですから」


 諦めちゃ駄目です、と加藤さんは繰り返した。


 その一途な視線を感じながら、わたしは迷った。


 そんなことをしてもいいのかという一眷族としての非難。

 そんなことをしても意味なんてないという合理性。

 わたしをがんじがらめにしてきた、ありとあらゆる全てのもの。


 それら全てを天秤の一方において、わたしの望みと秤にかける。


 果たしてどちらかに傾くのか。

 その結果をじっと見つめていたわたしは……不意に自分がとても愚かなことをしていることに気がついた。

 そうして秤にかけている時点で、わたしにとって、わたしの望みのもつ重みは明白だったからだ。


 理屈ではない。

 理不尽で、不合理な、この気持ち。

 ああ。そうか。

 これが『何かをしたい』ということなのか。


 その時ようやくわたしは、ひとの心というものの一端を理解したのかもしれなかった。


「たとえば、わたしが精一杯に装ったとして――」


 わたしは最後に尋ねた。

 あとから考えてみれば、きっと後押しがほしかったのだと思う。


「――ご主人様は喜んでくださるでしょうか?」

「きっと喜んでくれますよ」


 加藤さんはわたしの決断を笑顔で祝福してくれた。


 その言葉に嘘はなく、励ましの文句には慈愛が込められている。

 いまのわたしには、それがきちんと感じ取れた。


 本当にありがたいことだった。


 彼女がいなければわたしは、心の中の倉庫に鍵をしてしまっておいたこの望みを、古びて錆付いてしまうまでずっと放っておいたことだろう。

 大切なものを大切だとも気付かないままに、いつかわたしは朽ち果てていったことだろう。


 いまなら、ガーベラのことだって、いつかは許せるような気がしていた。

 彼女のやってしまったことは腹立たしいが、それでも、彼女にそうさせた動機を意味不明だと切って捨てるような気持ちは薄れていた。


 いますぐには無理かもしれないが、いずれは。そう遠くないうちには。きっと……


「勿論、わたしも協力しますからね。ローズさんが可愛くなれるように、全力でバックアップします」

「ありがとうございます」


 わたしは眷族モンスターと人間という枠を越えて、その時、個人としての彼女に純粋な感謝の念を抱いた。


「加藤さんは……」


 だからこそ疑問に思った。


「……わたしたちに腹を立ててはいないのですか?」

「腹を?」


 加藤さんは目をまるくした。


「わたしが? ローズさんに? いったいまた、どうして?」

「ご主人様があなたを保護することに決めてからというもの、我々はあなたをずっと警戒していました。あなたのことを内なる敵として認識していたのです。それは既にご存じなのでしょう?」

「はい。以前にはリリィさんにも、面と向かって言われてしまいましたしね」


 それはガーベラとの死闘の直前の出来事だ。

 本心から気にしていないらしく、加藤さんの口調は何気ない日常の出来事を語る時と変わらなかった。


「それに、あの時にも言いましたけど、以前から気付いてもいましたから」

「でしたら、あなたはわたしに怒りを向けるのが普通なのではありませんか? 少なくとも、あの加賀という男は、ご主人様に殺される前に怒り狂っていましたが」


 わたしはご主人様と目の前の加藤さん以外で、唯一、生きて話をしているところを見たことのある人間の男の姿を脳裏に思い浮かべた。……もっとも、顔立ちはそろそろおぼろげに忘れつつあったが。


「あの人と一緒にされるのは……流石に、ちょっと嫌ですけど」


 相当不愉快なのか、加藤さんのほっそりとした眉の間には、浅い皺が寄っていた。


「申し訳ありません」


 わたしは頭をさげた。


「しかし、あながち的外れではないかと思います。ふつう隠し事をされていたら、人はそれを不愉快に思うでしょう。加藤さんは我々に対して悪感情を抱いていてもおかしくないはずです」


 これだけの手助けをしてもらっておいて、この疑問を放っておくことは出来なかった。

 ともすれば、加藤さんはわたしの悩みを解決するために、こうして時間を割いて話しかけてくれたようにも思えるのだ。


 加藤さんはわたしの指摘に頷いた。


「そうですね。わたしとしては、ローズさんたちの立場なら疑っても仕方ないと思いますけど、それでも、ふつうなら多少なり不愉快な気持ちになるかもしれませんね」

「だったら……」

「でも、わたしは別に怒ってませんよ」


 それは不可解な言葉だった。

 ふつうなら怒るはずのことをされて、加藤さんは特に不愉快な気持ちにはならなかったという。


 わたしが理解できていないことを察して、加藤さんは首を傾けた。


「……うーん。そうですね」


 加藤さんはさっきまで観察していた完成品の丸盾を再び手にとって胸に抱えると、折った指を唇に添えて、シーツの中で考える仕草を見せた。


「わかりやすくいうなら、わたしはあなたたち眷族に共感を覚えているんだと思います」

「共感……ですか? 人間であるご主人様に対してではなく、眷族であるわたしたちに?」

「はい。あなたたちに、です」


 そういう加藤さんの言い分は、成る程、一点を除けば納得のいくものだった。

 わたしたちに共感しているからこそ、その立場に理解を示し、怒りを抱くことはない。

 それはわかる。そのくらいのことはわかる。


 だが、そもそもどうして共感など抱くことになるのかがわからない。


 わたしたちはご主人様の眷族モンスターだ。

 ご主人様に尽くすことがわたしたちの存在意義だ。それは、自身の隠された望みを知ったいまになっても変わらない、わたしのなかの真実だった。


 そんなわたしたちに共感するところが、人間である加藤さんにあるのだろうか。


「それに」


 と、加藤さんは続けた。


「ローズさんには感謝していますしね」

「感謝、ですか?」

「だって、わたしを相手にして普通に、特に疑うことなく、話をしてくれているじゃないですか。そんなのは、ローズさんだけです」

「わかるのですか?」


 わたしが驚いて尋ねると、加藤さんはやや苦笑めいた表情を見せた。


「こうして話を聞いてくれましたし、あの夜だって、わたしのことを最初から一緒に連れて行ってくれるつもりだったって言ってましたよね。それに……ローズさんが素直な性格をしているのは知ってます。腹芸の出来るタイプではないですし、疑っていたらすぐに顔に出るでしょう」

「わたしの顔はのっぺらぼうですが」

「はい。だから、そこの部分は冗談なんですけど」

「……」


 何処まで本気かわからないが、成る程、確かにわたしはわかりやすいかもしれない。


 自覚のあることだが、わたしはご主人様も含めたこの一行の中で、恐らく一番頭が悪い。


 真面目で実直といえば聞こえはいいが、実際のところは愚直で融通がきかないというのが正解だろうと、自分では思っている。ガーベラの件がいい例だろう。


 わたしが仮に加藤さんを疑っていたとしたら、すぐにそれは彼女に伝わってしまっていたことだろう。

 成る程。加藤さんの言い分は筋が通っている。


 確かにわたしはご主人様やリリィ姉様とは違って、彼女のことを疑ったりはしていない。


 裏切るのではないか、とか。

 何を考えているのだろうか、とか。


 そういうことは考えていない。

 あるいは、疑う理由がわからないという方が正確だろうか。


 正直なところ、ご主人様のことを痛めつけたという人間という生き物について、わたしはあまり良い印象を抱いていない。だから加藤さんのことも、初対面ではあまり好いてはいなかった。

 だが、彼女とともに過ごすうちに、わたしの中での彼女の立ち位置は徐々に変わっていった。


 このあたりの事情は多分、リリィ姉様とわたしでは違っているはずだ。

『戦う力のないご主人様』の身の安全を守る役割を与えられたわたしと、『戦う力のない彼女』との間には、もともと、ある程度の親和性があった。また、水島美穂の記憶を持つリリィ姉様とは違って、わたしが自我を得てから長い時間を過ごした他者として、加藤さんの占めるウェイトは大きかった。


 こうしたことから、わたしは白いアラクネに襲われたあの夜も、加藤さんをともに連れて行くことに躊躇はなかった。

 その上、加藤さんはご主人様のために体を張って行動してくれたのだ。


 今更、彼女を疑う理由がない。


 というよりも……

 これはあまり考えたくないことだし、決して口に出すつもりはないのだが……


 わたしの目からは、加藤さんに対するご主人様の疑り深さは、やや異様なものに見えていた。


 異様というか、はっきりいってしまうと、異常だとさえ思っていた。


 とはいえ、ご主人様がそうなってしまっている原因は、人形のわたしでも推測出来てしまうくらいに明白だった。

 ご主人様の心に刻まれた大きな傷。

 その痛みが彼のことを苛み続けているのだ。


 恐らくはその痛みが癒えない限り、ご主人様は加藤さんのことを受け入れることは出来ないだろう。


「わたしのことを信じて下さっているローズさんには、本当に感謝しているんですよ」


 その結果として、孤独な境遇になってしまっている加藤さんのことは、以前からずっと気になっていた。


「出来るなら、お友達になってほしいくらいに」


 だから、こんなことを言い出されてしまった時に、わたしは驚くとともに納得もしていたのだ。


「友人に、ですか……?」

「難しいですよね、やっぱり」


 難しい、とわたしは咄嗟に思った。

 彼女には恩がある。ご主人様のこともそうだし、わたし自身についても今日は世話になってしまった。


 わたしはその恩を返さなければならない。


 しかし、わたしは眷族で、彼女は人間だ。

 立場が違う。立ち位置が違う。価値観が違う。そして何より、種族が違う。

 何もかもが、絶望的なまでに違ってしまっている。

 友人になることは、だから難しい。


 いや、しかし。

 大事なのはそこではないのか?


「……駄目ですよね、やっぱり」


 加藤さんは、言ってみただけといった風情で、薄く笑みを作っている。

 いまのは冗談なんですよ、と。かたちだけの笑みをかたどっている。


 そんな風に儚く笑う彼女の顔を見ていると、心がぎゅっと締めつけられる感覚がした。

 わけのわからない感情が、わたしの中で暴れ回っている。


 これまでなら、わたしはそうした衝動的な想いを、即座に無用なものとして押さえつけてしまっていたかもしれない。

 だが、いまのわたしはそれが何なのか知っていた。

 それは、つい先程知ったばかりのものだった。

 教えてもらったばかりのものだった。

 それが大切なものなのだと、わたしはきちんと弁えていた。


 衝動に背を押されて、気付けばわたしは彼女の哀しい笑顔に語りかけていた。


「わたしはご主人様の命令があれば、あなたに刃を向けるでしょう」

「はい?」


 加藤さんは目を丸くして、わたしの言葉に驚いた顔をみせた。

 それは驚くだろう。わたしだって、わたしの台詞に驚いている。


 ややあって、加藤さんは不思議そうに首を傾げた。


「どうして突然、そんな当たり前のことを?」


 これを当たり前のことだと思っているのか。

 それなのに、わたしに友人になってほしいと言ったのか。


 その心理は、いまのわたしには推測することさえ出来ない。

 わたしには加藤真菜という少女の内面は、ほんの欠片でさえ推し量ることが出来ていない。


 ただ、そんなわたしにも、はっきりしていることが一つだけあった。

 それは、彼女が本気でさっきの言葉――友人になりたいという希望を口にしたということだった。


 だったら、わたしもそれに誠実に応えよう。

 幸いなことに、わたしは『何かをしたい』という気持ちを、他ならぬ彼女から教わっている。どうすればいいのかという合理よりも、どうしたいのかという衝動に後押しされて、わたしは彼女に応えた。


「それでもよいとあなたがいうのなら……」

「はい」

「わたしは……わたしも、あなたの友人になりたいと、そう思います」

「……え?」


 加藤さんが目を見開いた。


 何を言われたのかわからない、というように。

 歳の割に幼げなその顔立ちに、じわじわと理解の色が広がっていった。


「あ」


 ほんの一瞬だけ、泣きそうに彼女の顔が歪んだ。


「……ありがとうございます、ローズさん」


 加藤さんはそれを驚異的な精神力で持ち直した。

 けれど、こらえ切れなかったかのように、その口元には微笑みが刻まれていた。


 それだけで、わたしは自分のこの選択が間違いではないと確信することが出来たのだ。


「それじゃあ、これからよろしくお願いしますね、ローズさん」


 加藤さんがわたしに手を差し出した。

 それはガーベラに力を合わせて立ち向かったあの夜の再現のようでいて、明確に違った光景だった。


「って、今更な感じもしますけど」

「いえ。これは必要なことなのでしょう」


 わたしはナイフから手を離して、差し出された加藤さんの手を握った。


「こちらこそ、これからもよろしくお願いします。加藤さん」



 これが、わたしが真菜と友人になった、その最初の日の出来事だった。

◆主人公不在のアラクネの巣での出来事。ローズ回です。

それと同時に、加藤さん回でもあります。


◆次回更新は2/15(土曜日)となります。

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― 新着の感想 ―
[一言] そんな加藤気持ち悪いか?人間味がない気はするけど創作やし
[気になる点] 加藤がすごく気持ち悪い
[気になる点] 他人の心に土足で上がり込む加藤嫌いやわ~ 図々しいくて無能
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