24. 蹂躙劇
前話のあらすじ:
聖堂騎士団の蹂躙が始まった!
トラヴィス「……」
24
「て、撤退! 撤退だ! 体勢を立て直す……っ!」
ローズの魔法道具によって、大きな被害を出した聖堂騎士団本隊は、撤退を余儀なくされた。
無論、これで騎士団が戦闘不能になったわけではない。
ローズの現状使える最大威力の攻撃を叩き込んだというのに、死者、重傷者を除いても、戦える人間はまだ半数以上……三十名ほど残っていた。
性根はどうあれ、この世界でも最精鋭の騎士だけあるということか。
殲滅できたら楽だったのだが、そこまでうまいことはいかないらしい。
とはいえ、彼らがこのまま闇雲に襲い掛かってくるようなことはなかった。
できるはずがない、とも言える。
ローズの『ファイアワークス』が、あと何発撃てるのかを彼らは知らないし、そもそも、攻撃手段がなんなのかさえわかっていない。
出鼻を挫くと言う意味で、ローズの攻撃はこれ以上ない成功を収めていた。
指揮官の指示に従い、騎士たちは一時的に撤退して体勢を整えようとする。
隊列を整えたうえで、防御を固めてから、改めて攻めてくるつもりだろう。
補助魔法を使えるのだから、魔法耐性を高めてくることは十分に予想できた。
さっき与えた傷も、ある程度は癒してしまうはずだ。
それでも、ローズはあえて攻撃をしたりはしなかった。
虎の子の『ファイアワークス』は設置型の魔法道具なので、追い掛けて叩き込むことはできない。
いまから撃とうにも、射程が長くなれば、それだけ命中率も下がってしまう。
あと一発しか使えない以上、この場は温存すべきだ。
また、自身の消耗のこともある。
魔法道具とて、使えば魔力を消費するのだ。
撤退するなら、すればいい。
ローズはそう判断していた。
というより、この場面、むしろ無闇に攻めかかられていたほうが、都合が悪かったくらいだった。
なぜなら、無闇に攻められてしまえば、戦装『ファイアワークス』を使わざるをえない。
さらに大きな被害を与えることができていたにせよ、それで殲滅はできない。
そう遠くないうちに、ローズはこの場所を放棄せざるをえなくなっていただろう。
それを思えば、一時的にでも追い返すことができれば十分だった。
もっとも、正確に言えば……『それを狙って、ローズは初手から回数制限付きの最大威力の攻撃を二度叩き込んだ』わけだが。
「いまのところ、狙い通りですね」
たとえ戻ってきたところで、彼らは慎重になっていることだろうし、行軍の足は鈍る。
敵の殲滅は、自分の仕事ではないのだ。
というか、『自分の仕事』なら、『こうしていることでもう果たしている』とも言える。
無理をする必要はない。
撤退する騎士たちの背中を見送って、ローズはぽつりとつぶやいた。
「それにしても、リリィ姉様も言っていましたが……」
慕う姉の、悪戯っぽくも魅力的な笑顔を虚空に思い浮かべる。
「確かに、『これ』はいささか『反則的』ですね」
***
白い雷が落ちた。
そんなふうにしか、感じられなかった。
それは、別動隊の騎士たちが、森を歩いている最中の出来事だった。
「ぐぎゃっ!?」
悲鳴をあげたのは、先程、『本隊』の同僚を馬鹿にしていた騎士だった。
周囲を歩いていた騎士たちが凍り付く。
巨大な白い蜘蛛が、彼を押し潰していたからだ。
「なんで、こんなところに……!?」
行軍途中、突然戦列に飛び込んできた敵の姿に、騎士のひとりが驚愕の声をあげた。
囮の『本隊』を繰り出して、秘密裏に森を越えようとしていたのが、この別動隊だった。
奇襲を仕掛ける側であった彼らは、攻撃を受けることなんて想定していない。
どうして自分たちが襲撃を受けたのか。
疑問と驚愕にいっぱいにされた頭は、しかし、次の瞬間に別の感情に塗り潰された。
ゆらりと、白い蜘蛛ガーベラが、伏せていた少女の顔を持ち上げたのだ。
……美しい。
相手はおぞましいモンスターだと認識していても、騎士たちはそう感じた。
それは、人間にはありえない美の極致。
下半身の蜘蛛のことさえ忘れてさせてしまうような、魔的なまでの美貌だった。
白い蜘蛛の美しさは、戦いのなかでこそ、最大限の輝きを放つ。
けれど、彼女はいまや重い病にでもかかっているように窶れていた。
体を覆い、首元から頬にかけてのぞく刺青のような紫色の文様が、少女を蝕んでいるのだ。
そんな少女の様子は胸が痛むほどに危うげで、だからこそ、どこか退廃的で背徳的な美しさを覚えさせるものだった。
ある種の人間にしてみれば……組み伏せて、痛めつけて、汚してやりたいという思いを抱かせるような。
不幸なことに、この場にはそうした性質の者がいた。
「樹海深部の白い蜘蛛!」
騎士のひとりが叫ぶ。
その声には、残虐な悦びの生み出す熱があった。
「恐れることはない! こいつはトラヴィス隊長の『聖眼』を受けているぞ!」
その事実は、第四部隊に所属する者にとって、絶対の保証に等しい。
どんなに強大なモンスターにも通用する聖なる呪縛。
こうして弱らせたモンスターを、彼らはこれまでいくらでも屠ってきた。
それは、伝説の白い蜘蛛であっても例外ではない。
確かに、強襲を受けたことは驚かされた。
なぜここにいるのかという疑問はある。
だが、そんなものは殺してしまえばどうでもいいことだ。
嘲笑を浮かべた騎士は、自慢の剣腕を振るって――
「え?」
――不用意に踏み込もうとした彼の腹を、蜘蛛の脚がぶち抜いた。
「ごぶ……っ」
血の塊を吐き出して、腹を抉られた騎士が剣を取り落とす。
「な……ぁ……?」
彼が最期に見たのは、あたりの空間を覆い尽くすように広がった蜘蛛の糸だった。
「うっ、わあぁあああ……!?」
撒き散らされた蜘蛛の糸が、騎士たちに絡み付く。
すかさず、ガーベラは蜘蛛の糸を引いた。
巨大な膂力もさることながら、不意を突かれたこともあって、多くの者が引き摺られて無様に地面を転がった。
もはや隊列もなにもあったものではなかった。
咄嗟に堪えたものや、糸を防いだ盾を手放した者も、思わぬ惨状に息を呑む。
……なんだこれは。
白い蜘蛛は、『聖眼』の抗えない鎖に縛られていたはずではないのか。
先程よりも大きな驚愕は、その直後、これまでで最も大きな感情に塗り潰された。
すなわち、恐怖の色に。
「ぐぎゃ……!?」
地面に転がった者をひとり踏み殺して、ガーベラがゆらりと上体を揺らした。
「……認めよう。確かに、いまの妾はこれ以上なく弱体化しておる」
口にしたのは、一片の嘘もない事実だった。
本来の彼女なら、さっきの蜘蛛の糸の不意打ちで絡めとった者は、転ばせるなんてものでは済まさなかった。
全員纏めてゴミ屑のように拉げさせてやったはずだった。
それができなかったのは、まさに弱体化の結果だ。
そのうえで、ガーベラは問う。
「しかし、それがどうした?」
体は重い。
うまく息ができない。
欠伸が出るほど動きは遅く、精彩を欠いている。
忌々しい『聖眼』は、いまもガーベラを蝕み続けている。
しかし、彼女は『聖眼』を喰らった直後に、己の主に告げていた。
自分は戦えるのだと。
ならば、その言葉に嘘はない。
「この程度のことで妾の首を取れるとは、思い上がったな小僧ども」
白い髪が垂れ下がり、その隙間から血を固めたような目が騎士たちを睨み付けた。
「……ひっ」
騎士たちは、否応なしに思い出す。
ここにいるのは、伝説に謳われる白い蜘蛛。
樹海深部で最強を誇ったモンスターなのだということを。
「貴様らは、触れてはならんものに手を出した。それを悔やみながら、死んでいけ」
この程度で、白い蜘蛛を縛り付けることなど叶わない。
地面に転がった者たちを八本の蜘蛛の脚で蹂躙して、ガーベラは跳躍した。
「シャァアアアア――ッ!」
蜘蛛脚が盾を叩き、鎧を傷付け、剣を弾いて、人を吹き飛ばす。
敵は百人近い聖堂騎士。
正面からぶつかりあえば、さすがのガーベラでも押し負ける数と質だ。
けれど、『聖眼』の呪縛を引き摺る悪条件にありながら、ガーベラは十分に騎士たちと渡り合えていた。
理由はふたつある。
ひとつ目の理由は、ガーベラの戦闘経験だ。
長い時間を樹海深部で生きてきた彼女は、非常に戦闘経験が豊富だ。
その戦闘の経験値が、こうして体力、筋力、敏捷力を奪われてなお、戦闘能力の低下を最小限のものに抑えているのだ。
特に、その真価は単独戦闘。
守る者のいる戦いは得意ではないが、今回は暴れ回るのが役割。彼女の真価を発揮できる戦場だ。
ふたつ目の理由は、場所の有利だ。
「く、くそ、囲め! 囲め!」
木々を利用して、ガーベラはありとあらゆる角度から、騎士たちに襲い掛かる。
どうにかして数の有利を生かそうとする騎士たちだが、機動力に掻き回されて、うまくいかない。
弱体化魔法も、もっと広い空間ならともかく、木々の間に見え隠れする影が相手ではうまく捉えることができない。
そういうふうに、ガーベラ自身が振舞っているのだ。
それが、彼女にはできた。
なぜなら、ここは樹海。白い蜘蛛のホームグラウンドだ。
この場所での戦い方を、彼女はこの世界の誰よりも心得ている。
だからこそ、ガーベラはこの戦場に投入された。
そして、ここで投入されたのは、彼女だけではなかった。
「ぎゃあぁあ――ッ!?」
完全にガーベラに気を取られていた騎士たちの一角に、風の第三階梯魔法が吹き荒れる。
鮮血が飛び散る戦場に、亜麻色の髪を靡かせて、ひとりの少女が舞い降りた。
その姿は可憐で、それでいて、禍々しい。
「――部分擬態『悪魔ノ腕』」
少女の腕は、文字通りの悪魔の腕と化していた。
熊の腕が生み出す剛力によって、指の一本一本に生えたカマキリの鋭利な大鎌が振るわれれば、騎士たちは数人纏めて骨まで断ち切られた。
致命傷を免れた者も、カマキリの大鎌の刃先から分泌される毒によって蝕まれて、青い顔で膝を突く。
いかにガーベラに気を取られていたとはいえ、あっという間に十名近くを殺されて、騎士たちは愕然とした。
しかし、それも当然。
ガーベラが不調のいま、真島孝弘の眷属で最大の戦闘力を持つのは彼女なのだから。
「ば、馬鹿な……!?」
騎士団は彼女の存在も知っていた。
彼女はリリィ。
真島孝弘の持つ手駒のなかで、主力の一角を担うモンスターだ。
それが、ガーベラと一緒にここにいるという事実。
「まさか『モンスター使い』は……自身最強の守りを、どちらもこんなところに!?」
状況を認識した騎士たちは、その蛮行に目を剥いた。
「な、なにを考えている、真島孝弘……!?」
悲鳴のような声があがるのも、無理はなかった。
本来なら本隊が受け持つはずだった眷属の総攻撃を、こともあろうか、別動隊である彼らが受けることになってしまったのだ。
たかをくくっていた彼らとしては、たまったものではない。
想定していない事態だけに、このような不利な場所での戦いともなってしまった。
「なぜ、こんな馬鹿なことを……!」
と、混乱する彼らは気付けない。
彼らがありえないと思うような『迂闊な判断』で、真島孝弘が手駒最強のふたりを自分のもとから離したこと。
その眷属ふたりと、こうして別動隊の彼らが『不幸にも』不利な地形で遭遇してしまったこと。
そして、本来ならリリィ、ガーベラの不在を突けるはずだった本隊が、ローズが初手から叩き込んだ全力の攻撃によって『思わぬ足留め』を喰らっていること。
これらすべてが偶然ならば、この世に必然などなくなってしまうだろう。
だから、リリィは思う。
これは少し『反則』だなと。
だからといって、手を抜くことはないけれど。
「こ、殺せ殺せ殺せぇえ――!」
騎士たちは必死の表情で叫んだ。
さらに数名の犠牲者を出したあと、ようやくのこと、彼らは何人かで密集隊形を取ることに成功する。
前衛と後衛とに分かれて、迎撃の体勢を整える。
しかし、ガーベラとの戦いも含めて、すでに二十名ほどが倒され、さらに十名ほどが重傷や毒で戦闘不能に陥っていた。
これは別動隊の三分の一の人員に当たった。
「は、話が違うぞ……!」
「そう思うだろうねえ」
戦慄する彼らにリリィは理解を示した。
話が違う。
そう思うのも、無理はないことだ。
最初に、その事実に気付いたのは、彼女の愛しいご主人様、真島孝弘だった。
彼が不審に思ったのは、トラヴィスが撤退していったシーンだった。
悠々と退いていく、その姿に違和感を覚えた。
あのとき、トラヴィスは五十名ほどの聖堂騎士を連れていた。
それは、あの場面で十分な戦力とは言えなかった。
ガーベラも言っていた通り、彼女とリリィのふたりなら十分にやり合える程度のものでしかなかった。
たとえば、森に隠れていた他の眷属たち――特に、ロビビアあたりと一緒に攻撃していれば、トラヴィスはかなりまずい状況に陥っていたに違いない。
実際には、他のみんなは離れた場所で隠れていたから、そのような指示は出せなかったのだが、そんなこちらの事情を、あの時点でのトラヴィスたちが知っているはずがない。
なのに、あれだけ平然としていたのは妙だった。
とすれば、考えられることは、ひとつだ。
彼らは本気で、あの場での自分たちの有利を疑っていなかったのだ。
孝弘が口にしていた、トラヴィスたちの『大きな勘違い』とは、このことだった。
考えてみれば、これはおかしなことではない。
確かにトラヴィスたちは、真島孝弘の情報を得ていた。
しかし、それは完璧なものではなかった。
たとえば、最近になって眷属に加わったロビビアの存在などは、知るはずもないのだ。
実際、トラヴィスはあの村に真島孝弘が現れるとは想定していなかったようだし、このことからも最新の情報を得ていなかったことがうかがえる。
現時点での孝弘がロビビアという戦力を温存しており、そのためにリリィたちを動かせるとは予想もできなかった。
また、リリィが伝説の白い蜘蛛に近いレベルに達しているなんてことも知らなかった。
加えて、ガーベラがまだ戦えたというイレギュラーも生じている。
「ぎゃっ!?」
悪魔の腕とは逆の手に握った槍に突かれて、またひとりの騎士が倒れた。
この攻撃の隙を逃すまいと、後衛の騎士は第二階梯の風の弾丸を撃ち込む。
しかし、それは『悪魔ノ腕』の掌にある乱杭歯の口に吸い込まれて消えた。
「残念でした」
にこりと、リリィは微笑みかける。
「どうするの? このままじゃ、全滅しちゃうよ?」
「……!」
容姿がなまじ可愛らしいだけに、それは悪夢の光景とも見えた。
「ぁ、ああああ! 正面の女だ! あいつを狙え!」
悲鳴のような声があがった
「身体能力を奪う! 一気に行くぞ!」
指示を出した騎士の判断は、間違いではない。
このままでは、じり貧だ。
戦力は少しずつ削られている。
特に凶悪なのが、リリィの『悪魔ノ腕』だった。
仲間の補助魔法で強化した騎士の腕力でさえ敵わない、見た通りに熊のような腕力。
爪はあまりにも鋭利で、防げなければ、真っ二つにされる。
防いだところで盾に深々と切り込みが入り、鎧に当たれば肉まで届き、肉まで届けば毒が回る。
囲んで叩こうにも、ただでさえ戦いづらい森のなかにいるうえ、ガーベラが邪魔をする。
リリィの言う通り、このままでは先がない。
ならば、どうする?
こんなふうに一方的に攻撃を受けているのは、相手がふたりだからだ。
相手がひとりだけなら、十分に戦える。
そのように、指揮官は判断したのだった。
木から木に飛び回っているガーベラと違い、さいわい、リリィは正面で戦っている。
そのために被害がどんどん増えているが、良い的とも見える。
どうやら魔法攻撃は、掌にあいた不気味な口に食べさせることができるようだが、補助魔法ならそうはいかない。
そのはずだったのだ。
しかし……。
「な、なんで、弱体化が効かな……ぐげ!?」
疑問を口にした、騎士の喉を黒色の槍の穂先が抉った。
どういうわけか『悪魔ノ腕』を解除して、槍一本で戦い始めたリリィの動きに淀みはない。
対象の魔法抵抗力を貫通するトラヴィスの『聖眼』ほどの凶悪さはないにせよ、身体能力弱体化の重ねがけは、それに匹敵するほどの効力を発揮する魔法だ。
それが効かないとなれば――
「――くっ、くそっ、相性か!」
状況に気付いて、騎士のひとりが吐き捨てた。
弱体化魔法に限らずだが、魔法というのは常に効果を発揮するものではない。
百種類のモンスターがいたら、そのすべてに効果的な魔法など存在しないのだ。
たとえば、アンデッド・モンスターに効力を発揮する聖なる光などがわかりやすいだろう。
あれは、通常のモンスターには意味がないものだ。
身体能力弱体化の魔法もまた、無機物系統などの一部のモンスターには効果がない。
場合によっては、ほとんどすべての弱体化魔法を弾くものもいるが、さいわい、リリィの正体はスライム。その条件には該当しない。
「別だ! 別の魔法にしろ!」
「……さすが、対応が早い」
相性の問題。
そう即座に見抜いたのは、さすがだとリリィは思う。
ただ、だからといって焦りはしなかった。
騎士の考え自体は、決して間違っていなかったが、いささか本質を外していたからだ。
彼らはもう少し考えるべきだったのだ。
なにが、なにと、相性が悪かったのか。
リリィとの相性が悪かったのは、身体能力弱体化の魔法――ではなかった。
聖堂騎士団の集団戦術。
高度に構築されたその戦術そのものが、リリィを天敵としていたのだということに気付かないまま――。
「――喰らえ!」
一斉に放たれたのは、火属性の弱体化魔法。
これは、群青兎討伐作戦の際に、リアが紅玉熊相手に使っていた水属性の弱体化魔法と同じ類のものだ。
生き物であれば、大抵の場合は火で負傷する。
通常の攻撃魔法に比べれば、嫌がらせのような威力しかないが、それも数が揃えば話は別だ。
騎士たちの正面で、踊るように戦っていた少女の体に、何重にも炎が巻き付こうとする。
「……?」
丁度、前衛で戦っていた騎士は、その瞬間、不思議なものを見た。
耳だ。
少女の亜麻色の髪を掻き分けるようにして、頭に動物の耳が生えていた。
丸っこい、熊の耳だろうか。
戦いの極度の緊張が、自分の脳味噌を狂わせたのかもしれないと彼は思った。
けれど、その幻覚は消えることなく、少女の口元が動いた。
――あ・り・が・と・お。
「……!?」
絶大な危機感。
その可憐な笑顔には、ぞっと背筋を凍らせるものがあった。
けれど、彼になにか対応する時間は与えられなかった。
「あぁあああああ!?」
次の瞬間、リリィを中心として、地面が激しく燃え上がったからだ。
弱体化魔法の相性について気を付けるべき点を話すのなら、効果がないよりも、もっと恐ろしいことがある。
それは、結果として相手を強化させてしまうことだ。
たとえば、火を操るモンスターに火属性の弱体化魔法をかけてしまえば、どうなるか。
火勢は強まり、むしろ敵に利することにもなりかねないだろう。
現在のリリィのようにだ。
「駄目だよー、紅玉熊に火魔法なんか使ったら」
リリィの全身から、炎が零れ出していた。
それは、ここアケル西部で、最も厄介なモンスターとして知られる紅玉熊の固有能力。
全身から炎を噴き出し、周囲を焼く能力だ。
それはいまや、敵であるはずの聖堂騎士団渾身の補助魔法によって、これ以上ないくらいに強化されていた。
リリィの言う通り、騎士たちは火魔法なんて絶対に使ってはならなかったのだ。
けれど、だからといって、別の魔法ならよかったのかといえば、そうではない。
風なら風の、水なら水の、地なら地の。
対応するモンスターの力を、リリィは再現することができるのだから。
あらゆるモンスターに通用する弱体化の魔法がない以上、数多のモンスターの性質を擬態するリリィには、絶対に弱体化魔法は通じない。
聖堂騎士団の戦術にとっては、リリィの存在はまさに鬼門だ。
彼らの手札のなかで、リリィに通用するものをあえて挙げるなら、対象を選ばないトラヴィスの『聖眼』くらいのものだろう。
ガソリンでもぶちまけたかのように燃え盛る炎に炙られて、騎士たちが悲鳴を上げて右往左往する。
こんな状況でまともに戦えるはずもない。
黒槍が翻るたびに、炎にまかれた騎士たちはばたばたと倒れていった。
ガーベラもまた、積極的に攻勢に出た。
炎が収まった頃には、百名近くいたはずの騎士たちは、残り四十名ほどに減っていた。
それも、全身に火傷を負っている。
そこに『悪魔ノ腕』が振り払われ、蜘蛛脚が叩き込まれる。
絶対の戦術を破られ、数を減らされ、士気はボロボロ。
それでも、リリィとガーベラが手を抜くことはない。
ここで速やかに聖堂騎士団の別動隊を壊滅状態に陥らせることが、自分の役割だと理解しているからだ。
村の出入口を守っているローズが、切り札を使ってさえ本隊を全滅させることはできないと自覚していながら、足留めができれば十分だと判断していたのはなぜなのか。
それはつまり、こちらの別動隊を姉妹が殲滅して戻ってくるまでの時間稼ぎこそが、自分の仕事だと認識していたからにほかならない。
だからこそ、ここにリリィとガーベラという最大戦力が投入されたのだ。
ローズが全力で時間稼ぎをしている間に、敵戦力を削るために。
傍から見れば綱渡りのような作戦だが、現状、うまく行っていた。
それは、なぜなのかといえば……。
「やっぱり『反則的』だよねえ」
苦笑して、リリィは愛しい彼を想った。
「ね、ご主人様」
◆ガーベラとリリィ回。
ただただ強いガーベラと、相性最悪なリリィとの聖堂騎士団絶望の戦いでした。
◆モンスターのご主人様、登場人物の誕生日情報を追加。
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