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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
4章.モンスターと寄り添う者
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36. わたしには気付けない

(注意)本日2回目の投稿です。













   36   ~加藤真菜視点~


 しばらく部屋で過ごしたあと、少し名残惜しげにしながらも、キャスさんは帰っていった。


 彼女を玄関先まで見送ったリリィさんが、部屋に戻ってくる。


「どうしたの、加藤さん? 考え事?」


 声をかけられて、わたしは自分が眉間にしわを寄せて考え込んでいたことを自覚した。


 なぜだろうか。

 なにか心に引っ掛かるものがあった。


 原因は、さっきのキャスさんの話だった。


 自分の思考に、違和感を覚えたのだ。


 だけど、なにがおかしいのかがわからない。


 ――竜の姿になれる人間ではなく、竜そのものになった彼。

 ――獣の姿になれる人間ではなく、獣そのものになった彼。


 ――他のなにかになる能力者が、人間ではなくなったという共通項。

 ――それを、自身を変化させる能力に避けがたく起こりうる変化なのではないだろうかと考えた。


 こんなの誰だって思い付くような推測であり、言い換えれば、自然な発想とも言える。


 なのに、どうにもこの違和感は消えてくれない。

 しっくりこない。

 喉の奥に魚の骨でも引っ掛かったかのような気持ちの悪さが残っている。


 これは、そう。

 まるで、到達していてしかるべき結論に達していないかのような……。


 考えが足りていない?

 それとも、ひょっとして、わたしは考えることを無意識に避けて――……。


「加藤さん?」

「あ」


 呼びかけに、わたしは我に返った。


 心配そうな顔のリリィさん。


 いけない。

 また、ぼうっとしていたみたいだった。


「いえ。なんでもありません」


 曖昧な笑みを浮かべて、わたしは返した。


 あまりにもこの違和感は漠然とし過ぎていたし、どう説明すればよいのかもわからなかったからだ。


 そもそも、こんなのただの考え過ぎ、単なる勘違いかもしれない。


 そう考えると、リリィさんに心配をかけてしまって、悪い気持ちがした。


「すみません。ちょっと、ぼうっとしてただけですから」


 気持ちを切り替えて、にこりと返す。


「そう? なら、いいんだけど」


 部屋を横切ったリリィさんは、ベッドに腰を落ち着けた。


「だけど、もしもなにかあるなら、話したほうがいいんじゃないかな」


 膝の上に本を広げながら、気安い言葉をかけてくる。


「ただでさえ、抱え込むタイプなんだから」

「……」

「ほら。結論は出せなくても、一緒に悩んであげることはできるし、それだけで気持ちが楽になることだってあるでしょ?」

「……ありがとうございます」


 わたしは、さっきより幾分自然な笑顔を返すことができた。


「ですけど、本当に大丈夫ですから。ちょっと益体もない考えに耽っていただけです」

「ん。なら、いいんだけどね」


 納得して、リリィさんは本の文字を追い始めた。


「……」


 その横顔を、わたしはつい見詰めてしまった。


 さっきのリリィさんとのやりとりは、なんだかとても懐かしい感触がしたのだった。


 本に目を落としたその姿も、懐かしい誰かにかぶって見えた。


 ひょっとして……という思いがあった。


 いや。それは、前々から感じていたものだったかもしれない。


 ――たとえば、たまにこうして本を読むようになったこと。

 あるときから、突然、リリィさんは熱心に文字を覚え始めた。


 ――あるいは、今日の昼先でのキャスさんを交えた会話。

 ふと思い出したように、雑学が会話に顔を出した。


 そうした何気ない振る舞いが、もう二度と手の届かない記憶を、ちくちくと刺激するのだった。


 ……もちろん、本当のところはわからない。


 彼女がいつか真実を口にする日を待つしかないのだろう。


 そう結論付けて、わたしはリリィさんから視線を外した。


 そこで、床にぺたりと座り込んだロビビアちゃんの姿が視界に入った。


「なにをしてるんですか、ロビビアちゃん」


 彼女は足の間に置いた荷物袋のなかを、ごそごそ探っていた。


「なあ、真菜。望遠鏡ってどこにやったっけ?」


 お目当てのものが、見付からないらしい。


 こういうことは、割とよくあった。


 わたしたちは、意外と大荷物だったりする。

 それなりに人数がいるので、そもそも旅の必需品が多くなるというのもあるし、ローズさんがいろいろなものを作っているというのもある。


 本当なら持ち歩くのに苦労するくらいの量になっているのだけれど、そこは魔法の道具袋を利用することでクリアしていた。


 魔法の道具袋には、空間拡張によって大量の物品が入るうえに、食料などの保全効果があり、加えて、内部に入れた物品自体の重さも軽減される。


 唯一、欠点があるとしたら、魔法道具なので非常に高価なことくらいのもので、そのため、行商人は大荷物を車いっぱいに乗せて移動するのが普通だ。


 だけど、わたしたちにはローズさんがいる。

 ひとつ作るのにそれなりに時間はかかるとはいえ、通常なら手に入らない魔法の道具袋を複数所有することが可能だった。


 加えて、この魔法の道具袋、複数個あるのなら、別の袋に入れることもできたりするので、収納には非常に便利だ。


 最近では、使い捨てのかたちにすれば、工程のいくつかを省略して完成までにかかる時間を大幅に減らせることがわかり、食料などは何日か分ずつにわけて、この簡易式のほうに収納することにしていた。


 ただ、荷物が増えた以上、自分の荷物ならともかくとして、どこになにがあるのかがわかりづらくなってしまうのはどうしようもないことだった。


 ロビビアちゃんが困り顔で助けを求めてきたのは、ローズさんの傍にいて、大量の製作物に触れる機会が多いわたしが、最近では荷物の把握を行っているからだ。


「えっと、ローズさんが作った天体望遠鏡なら、この袋のなかにありますよ」

「お! ありがとう、真菜」


 探し当ててあげると、ロビビアちゃんはお礼を言って、望遠鏡を受け取った。


 嬉しそうな姿に和みつつ、わたしは尋ねる。


「でも、どうして望遠鏡なんて探していたんですか?」

「明日、狩りにいくときに持ってこうと思って。あったら便利だろ?」


 なるほど、明日の狩りで。

 それで、妙に嬉しげにしていたというわけだ。


 どうやらロビビアちゃんも、明日を楽しみにしているようだった。


 それは大変けっこうなことなのだけれど、ただ、望遠鏡を使おうという考えは、ちょっと考え直したほうがいいかもしれない。


「里の外の森で狩りをするんだったら、霧で見通しが悪いから、望遠鏡は使えませんよ」

「……あ」


 望遠鏡は便利な道具ではあるが、場所が悪い。


「そっか……」

「ただ、折角ですから、キャスさんに望遠鏡を見せてあげるというのはいいかもしれませんね」


 がっかりした様子の彼女に、わたしは提案した。


「驚くかもしれませんよ。この世界では、望遠鏡に触れたことのある人はあまりいないみたいですから。確か以前に、シランさんも使ったことがないと言っていましたし」

「おや。シランさんが、そのようなことを?」


 と、ローズさんが不思議そうな声を出した。


 自分の作った道具に関わる話題だ。聞いていたら覚えているはず。

 一緒にいることが多いわたしが知っていて、自分が知らないことが疑問だったのだろう。


「ほら。アケルに来る途中、キトルス山脈に入る直前のことなんですけど、立ち寄った開拓村であったちょっとした出来事で、ケイちゃんがショックを受けてしまったことがあったでしょう? その夜に、リリィさんたちが望遠鏡を持ち出していたじゃないですか」

「ああ……そういえば、ありましたね。そんなことが」


 思い出したのか、ローズさんは頷いた。


「わたしは、先輩とシランさんと一緒に、少し離れた場所で魔法の勉強をしていました。そのときに、シランさんからいまの話を聞いたんですよ」


 ローズさんはリリィさんたちと一緒にいたので、シランさんの話を聞いていなかった、というわけだ。


「キャスさんも、それなりに長い年月を生きています。だから断言はできませんけど……こんな里に引き籠っていたわけですし、触れたことのない可能性は高いと思います。普通に暮らしていて必要なものではないですし、ひょっとしたら、望遠鏡の存在自体知らないかもしれません。見せてみたらどうですか?」

「……確かに。知らなかったら、びっくりするかもしれねえな」


 ロビビアちゃんは頷き、ローズさんのほうに振り向いた。


「ローズの作ったもんは、みんなすげえもんな。うん、きっと驚く」

「そうですか?」


 素直な賞賛の言葉を向けられて、ローズさんは口許に優しい笑みを作った。


 今回の里への訪問を通じて、このふたりの距離も縮まったのかもしれない。


「ですが、これに関しては、構造さえ知っていれば、作るのはそう難しくありませんよ。レンズを準備して、作り方をきちんと学べば、出来のよしあしは別にしてロビビアでも作れるでしょう」

「本当か!?」


 ロビビアちゃんは、目を丸くした。


 彼女はひねているくせに、こうした感情表現はとても素直だ。


 わたし自身、子供が好きなのもあるけれど、見ていて和む。


 くすりとしたわたしに気付いて、ロビビアちゃんがこちらを向いた。


「む。なんだよ、真菜。笑うことねえだろ」

「ああ、いえ。別に、知らないことを馬鹿にしたわけじゃないですよ」


 反応が微笑ましかっただけなのだけれど、誤解をされてしまったようだ。


 唇を尖らせたロビビアちゃんに、わたしは弁明する。


「わたしも、ロビビアちゃんと一緒で、望遠鏡を自作する方法なんて知らなかったですから。真島先輩も似たようなことを言ってましたし」


 先程、シランさんの話をしたせいか、同じ夜にあった、先輩とのやりとりをふと思い出した。


 ――望遠鏡って作れるんだな。

 ――倍率は大したことないみたいですけどね。


 他愛のないやりとりだ。


 だけど、それもまた、この胸を温めてくれる思い出のひとつには違いない。


 わたしは口元に微笑みが浮かんでしまうのを自覚する。



 ……そんなふうに温かな時間を過ごしていたからこそ、その問い掛けは、この空気を掻き乱す不協和音めいて、部屋に響いたのかもしれなかった。



「ご主人様が、なんて?」


 リリィさんが、こちらに目を向けていた。


「ご主人様は、なんて言ってたの?」


 まるで奇異な話でも聞いたような、ひどく怪訝そうな表情だった。


「えっと……」


 どうしたのだろうか、と思いつつも、特に隠すようなことでもない。

 わたしは素直に答えた。


「『望遠鏡って作れるんだな』みたいなことを……」


 最後まで、言い切ることができなかった。


 ばさりと、音がした。


 リリィさんが立ち上がっていた。

 足元の床には、大切にしているはずの本が、開いたまま落ちている。


 だけど、そんなものには気付いた様子もなく、リリィさんがこちらにやってきた。


 両肩を掴まれた。


「本当に? 本当に、そう言ってたの?」


 ひどく真剣な声色だった。

 鬼気迫るという表現さえ、あながち言い過ぎではないくらいに。


「は、はい。そう、ですけど……?」

「リリィ姉様、どうかしたのですか?」


 さすがに様子がおかしいと思ったのか、ローズさんが諫めるような口調で問い掛けた。


 ロビビアちゃんも困惑した様子を見せている。


 リリィさんはそのすべてに気付いた様子もなく、のろのろと視線を落とした。


「……ありえない」


 ぽつりと漏れたつぶやきは、まるで白い布に落とした墨汁の一滴のようだった。

 温かだった空気が、別の色に染め上げられる。


 背筋にぞくりと悪寒を覚えたのは、きっと、わたしだけではなかったはずだ。


「真菜ちゃんは、変だと思わなかったの?」

「な、なにが、ですか? というか、え? 真菜ちゃん?」

「だって、学校であった星空の観察会に……違う。そうだ。深津くんが言ってた。真菜ちゃんは……」


 ぶつぶつとつぶやく。

 目まぐるしく思考しているのがわかる様相だった。


 しばらくして、リリィさんは目を上げた。

 いや。本当に彼女は『リリィさん』なのだろうか。


 わたしは、これまで抱いてきた疑問が確信に変わるのを感じた。


「水島、先輩……?」

「よく聞いて、真菜ちゃん」


 わたしの言葉は否定されなかった。


 だけど、ひょっとすると、彼女がわたしの言葉を否定しなかったのは、それが真実を突いたものであったからというよりも、いまはそれどころではなかったからかもしれない。


「高校入学直後、四月の最後にあった一年生の行事で、星の観察会っていうのがあったのを覚えてる?」


 二度と会うはずもなかった親しい先輩は、再会の挨拶の代わりに、奇妙な質問をわたしに投げ掛けたのだった。


「は、はい。わたしは行かなかったですけど……」

「知ってる。深津くんが言ってたから」

「深津くんが?」


 どうしてサディアスさんの同行者である彼の名前がここで出てくるのかわからないけれど……どうやらわたしが星空の観察会に出ていないことを、水島先輩――この場合は、リリィさんか――は、彼から聞いていたらしい。


「真菜ちゃんは、あの行事に参加していなかった。だから『気付けなかった』んだね」


 わたしの両肩を掴んだままで、水島先輩は続けた。


「わたしはね、真菜ちゃん。一年生のときに、あの行事に参加したの。他にも三十人くらいの参加者がいて、たとえば……そうね。『闇の獣』の二つ名で有名だった轟さんなんかも参加してた。飯野さんとわたしが初めて知り合ったのは、彼女の親友だった轟さんの紹介だったんだよ」

「そう……なんですか?」

「うん。そして、あの行事には、真島くんも、鐘木くんと一緒に参加していた」

「……」


 どうにも話が読めなかった。


 確かに、水島先輩の言っていることは、少なくとも、わたしは知らないことばかりだった。


 だけど、わざわざ一年半ちょっと前にあった行事のことを、ここで語る意味がわからない。


 ……いや。

 それともこれは、まだわたしの知らないことがあるからだとでも……?


「いい? 真菜ちゃん」


 水島先輩は、わたしの顔を覗き込んだ。

 氷のような声だった。


「わたしたちは、あの行事で『手製の望遠鏡を作った』んだよ」

「――」


 一瞬、全てのときがとまった。


 無論、錯覚だ。

 現実はとまらない。


「そのために、わざわざ虫眼鏡まで買っていった。高校に入学して、すぐの行事。ただでさえ印象には残ってるし、そもそも、まだ二年も経っていない。なのに、真島くんの口から『望遠鏡って作れるんだな』なんて言葉が出るのは、どう考えてもおかしいでしょう」


 言い終えた水島先輩が、ゆっくりとわたしから離れた。


 流れ出した時間のなか、わたしだけが取り残されている。


 硬直したまま、脳裏にはひとつの出来事が思い出されていた。


 いつか飯野さんと河原で話をしたとき、ローズさんの作った望遠鏡を見て、彼女は『懐かしい』と言っていた。

 以前に、親友である轟さんから手作りのものを押し付けられて、一緒に天体観測をしたことがあるのだと。


 それはきっと、轟さんがあの学校行事で作ったもののことだったのだ。


「な……なんで」


 辛うじて、わたしは疑問を紡いだ。


「水島先輩のいう通り、確かにおかしいです。けど、あのときの真島先輩は、本当に知らない様子でした。そ、そんなの、まるで……」


 喉の奥につっかえたみたいに、言葉が粘り気を帯びて出てこない。


 だけど、思考はとめられない。


 さっき、自分が無意識のうちに、なにを考えないようにしていたのか。

 それをわたしは、ようやく理解したのだ。


 竜の姿のほうが楽だったという『彼』には、人間の感覚はなくなっていただろう。

 狂獣に成り果てた『彼』には、人間らしい知性なんて残ってやしなかっただろう。


 ベクトルは違うとはいえ、どちらもなんらかのかたちで人間性を喪失している。

 それこそが、自身をなにかに変化させる能力に特有に起こりうる変化なのだと考えた。


 だけど、それなら先輩はどうなのか。


 以前、先輩はシランさんから指摘を受けた。

 その魂は、徐々に人間のものではなくなってきているのだと。


 肉体と魂との違いはあれど、自身の変化を伴う能力を持つことは、真島先輩だって変わらない。


 そして、実際に先輩は、普通なら忘れないようなことを覚えていなかった。

 それはつまり、ただ忘れたのではないということだ。


 ……確かめなければならない。

 先輩の身になにが起こっているのかを。


 わたしたちは、先輩のもとに向かった。

◆やっとここまで書けました。

情報自体は全部既出なので、気付いた人もいたかも?


ちなみに、問題の主人公の発言は、第3章13話なので、丁度、一年くらい前に書いたところですね。

書籍だと5巻。挿絵が入ってるとこです。

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