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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
4章.モンスターと寄り添う者
106/321

17. 歴史を知る者

前話のあらすじ:


ガーベラ、大満足。

   17



 喉の渇きを覚えて、おれは湯呑に手を伸ばした。


 一息に残りを飲み干す。

 話をしている間に、お茶はぬるくなってしまっていた。


 とはいえ、気持ちを切り替えるのには、これで十分に用が足りる。


 空になった湯呑をテーブルに置いて、おれは口を開いた。


「悪かったな」

「……あら?」


 正面に座る『霧の仮宿』は、垂れ気味の目を丸めた。


「謝られるとは、思っていなかったわ」


 言いながら、ひとつに纏めて胸に垂らした金褐色の髪を撫でる。


「むしろ、文句を言われるかと思っていたのに」

「文句? どうしておれが?」

「今回、旦那様はかなり不快な思いをしたはずでしょう?」

「……ああ」


 そういうことかとおれは頷き、続いて首を横に振った。


「そこは否定しないが、おれの仲間たちはこの滞在を楽しんでいたからな。おれとしては、あんたを責めるつもりはないよ」

「……なるほど。そういう性質だから、あなたはなにも変わらなかったのね」


 腑に落ちた様子で、『霧の仮宿』は頬に片手を当てた。


「どういう意味だ?」

「これはさっき言ったけれど、『霧の仮宿』は別世界を創造する魔法。現実を書き換える力があるわ」


 おれが尋ねると、『霧の仮宿』は指を一本立てて説明を始めた。

 話す姿は楽しげだ。人間と接触を繰り返していたことと言い、話好きなのかもしれない。


「現実を書き換える……もっと具体的に言うと、ここでは迷い込んだ者の望みが現実になるのよ。たとえそれが、本来なら『ありえないこと』であってもね。幻惑による認識阻害は、あくまでもそれをおかしいと思わせないために働いているに過ぎないわ」

「ここであったことは、全て現実。幻惑は、あくまでも魔法の一部……そういえば、さっきもそんなふうに言っていたな。おれが違和感を覚えていたのは、あんたのいう、その『ありえないこと』に関してか」


 どんなことでも望みは叶い、現実との整合性がないことは気にならない。

 なるほど、まさにそれは『夢の世界』だ。


「とすると、おれがシランたちを覗き見たときに、シランの契約精霊の感知が働いていないことに気付けたのは、『迷い込んだ者の願望を実現させた結果として生まれた矛盾を誤魔化す』っていう、本来の『霧の仮宿』の能力から外れた行為だったから……ってところか。幻惑で精霊の感知を誤魔化すことはできても、誤魔化したという事実そのものまでは隠蔽できなかったと」

「恥ずかしながら、その通りよ。わたしは『霧の仮宿』という魔法の構築に特化しているから、それに関わること以外では、一段も二段も落ちる力しか持っていないのよ」

「それだけでも、十分にすごいことだと思うけどな。『ありえないこと』に、誰も気付いていなかった……」


 そこまで言って、ふと気付いた。


「そういえば、おれがここにいる間、違和感を覚えない相手もいたけど、それはなんなんだ?」

「簡単よ。違和感がなかったということは、普段となにも変わりなかったということ。旦那様や真菜ちゃん、あやめちゃん、ケイちゃんは、なにも変わっていなかったわ」

「それは、つまり……」

「現状に満足している、ということね」


 なるほど。

 それで、最初の『そういう性質だから、あなたはなにも変わらなかったのね』という台詞が出てきたわけか。


 確かにおれは、リリィたちがいてくれれば、大体それだけで満足してしまっている部分がある。

 大事な彼女たちが幸せであるなら、それ以上は望んでいない。


 加藤さんやケイ、あやめも似たようなものだということか。


 他のみんなは、なにかしら望みを抱いている、と。


「……」


 いまのおれは、すでに幻惑が解けている。

 おれだけは、誰のなにがおかしかったのかがわかっている。


 とはいえ、その『変化』が、どんな『望み』を反映したものなのかまではわからない。


 ……いや。ひとりだけわかるか。

 ガーベラだけはわかりやすい。彼女は単純で、素直だ。


 惚気みたいになってしまうが、そこが好ましく、可愛らしくもある。


 それだけに、男として忸怩たるものを感じたりもするのだが……。


 ……せいぜい、体を鍛えるとしよう。

 あれだけ求められているのだから。


「説明してくれてありがとう。すっきりしたよ」


 おれは笑みを浮かべて礼を言った。


「ここ三日というもの、自分はなにに巻き込まれているのか、ずっと頭を悩ませていたからな」

「それについては、本当に申し訳なく思っているわ」

「さっきも言った通り、責めるつもりはないから気にしないでくれ」


 苦笑する。


「まあ、不安な思いをしたのは確かだけどな。それにしたところで、ひとりで踊っていたようなものだし……」


 と、言ったところで、左手に小さな痛みが走った。


 見れば、がじがじとアサリナが指を食んでいた。


 おれの苦笑は、別のもっとやわらかいものに変わった。


「そうだな。ひとりじゃない。お前もいたんだったな」

「サマー」

「……そういえば、なんでおれたちだけ幻惑の効きが悪かったんだ?」

「ああ、それはね、その子の幻惑に対する耐性が高かったからよ」


 おれたちのことを微笑ましげに見ていた『霧の仮宿』が答えた。


「繋がっている旦那様まで、影響があったのね」

「なんだ、アサリナのせいだったのか」

「サマー……」

「別に責めてないから安心しろ」


 しおれるアサリナを指先でつついてじゃれていると、『霧の仮宿』がくすりと笑った。


「ついでに言うと、ガーベラさんもかなりぎりぎりだったわ。あの子は、本当に規格外ね」

「そうなのか?」


 これは少し意外だった。


「おれはてっきり、あんたのほうが強いんだと思っていたんだが。少なくとも、ガーベラより長く生きているんだろう?」


 ガーベラはおれに出会うまで心を得ていなかったが、『霧の仮宿』は違う。

 各地で目撃した伝承が語り継がれている以上、彼女は人間を襲うことなく、これまで長い年月を暮らしてきたはずだ。


 彼女が意思持つモンスターでなかったら、こんなことはありえない。


 しかし、おれの能力の助けなしに、心を手に入れるには時間がかかる。

 悲劇の不死王カールあたりは元人間だから条件が違うにしても、ガーベラと比べても長い年月、『霧の仮宿』がこの世界を流離ってきたことは、まず間違いなかった。


 なら相応の力も持っているだろうと思ったのだが、『霧の仮宿』はおれの言葉に首を横に振った。


「言ったでしょう。わたしはこの『霧の仮宿』の魔法を構築することに特化していると。むしろ、それ以外に関しては、あまり力はないわ」


 濃い金褐色の髪を揺らして、『霧の仮宿』は目を伏せ気味にした。


「わたしは、ただ長くこの世界を漂ってきただけの存在よ。それだけ、たくさんのものを見てきたけれど……」


 そこまで言った『霧の仮宿』は、軽く頭を振った。

 気を取り直すように茶目っ気のある笑みを浮かべてみせる。


「ふふ。この異界にしたところで、燃費はすごく悪いのよ? 発動してしまえば、せいぜい三、四日しか維持できないのに、必要な魔力が莫大でね。発動までには長い年月をかけて、少しずつ魔法を編み上げなきゃならないんだから。最終的に魔法陣に込められた魔力は、ちょっとした量になるわ」

「長い年月って……どれくらいかかるんだ?」

「そうね。大体、四十年くらいかしら?」

「よんっ……」


 さらりと告げられた年月に、おれは絶句してしまった。


 言われてみれば、『霧の仮宿』は数十年に一度、目撃されているという話だった。

 その周期は、魔法を発動させるのに必要な準備期間だったというわけだ。


 それだけの時間をかけたものを、今回、彼女はおれたちのために使った……。


「……なあ、『霧の仮宿』。あんたは、なんのためにおれを自分の世界に連れてきたんだ?」


 その理由がなんなのか、気にならないはずはなかった。


「理由は、ふたつあるわ」


 多分、『霧の仮宿』も訊かれることを予想していたのだろう。

 返答はよどみないものだった。


「ひとつには、あなたたちのことを知りたかったから。モンスターを率いる者と、彼を慕うモンスターたち。その関係をこの目で見たかった。ここ三日というもの、あなたたちを見ていたけれど……本当に、お互いのことを大事にしているのね。あなたの大事な女の子たちは、みんな可愛らしかった」


 くすくすと笑う。声には、好意的なものが滲んでいた。


「いくらかお話も聞けたけれど、ちょっとあてられてしまったくらい」


 なんの話を聞いたのだろうか。

 少し気になるが、そこに触れるのはやめておいた。


 おれにも、羞恥心というものはある。


「もうひとつの理由というのは?」

「旦那様と友好関係を築きたかったのよ」


 ここで、『霧の仮宿』は細い肩を落とした。


「……こちらはちょっと失敗しちゃったんだけれどね」

「結果オーライだ。おれはあんたに感謝している」


 おれはかぶりを振ってみせた。


「それで結局のところ、おれたちのことを知り、その歓心を買っておいて、あんたはなにをしたかったんだ?」


 そもそも、どうして『霧の仮宿』はおれたちに接触してきたのか。

 そこには、なにか目的があるはずだった。


 おれが問い掛けると、『霧の仮宿』は笑みを引っ込めた。

 穏やかな雰囲気はそのままだったが、その眼差しはとても真剣なものに変わる。


「お願いがあるの」


 居住まいを正して、彼女は口を開いた。


「旦那様の旅に、わたしもついていかせてほしい」


 これまでになく、はっきりと輪郭のある声だった。


「そして、わたしに、旦那様の行く末を見届けさせてほしい」

「行く末を……?」


 おれが戸惑ったのは、その言い分の奇妙さのせいか。

 それとも、空気がはっきりと変わったことを感じ取ったせいだろうか。


 こちらを真っ直ぐに見詰める『霧の仮宿』の言葉からは、ただおれと一緒に行きたいという以上の、なにか決意めいたものが感じられたのだ。


「わたしはね、あなたのような人を探していたのよ。長い年月、ずっとね」

「……どういうことだ?」


 眉をひそめる。


「おれのような人……だって? 『この世界にやってきた転移者を探していた』ということか?」

「いいえ。ただの転移者ではなくて、あなた」


 一番ありそうな答えを探したが、否定される。


「『モンスターと心通わせる力』を持つ、旦那様のような人を探していたの」


 ますます困惑を深めるおれに、『霧の仮宿』は続けた。


「旦那様は、わたしのような『意思持つモンスター』の存在を予想していたのよね? だけど、それはあなたが力を持っていたから。それを予想できる立ち位置にいたから。この世界では、わたしのような存在は知られていない。そして、同じように知られていないことはたくさんある……」

「知られていないこと……?」


 おれは、鼓動が早まるのを感じた。


 なにかひどく重要なことを知らされようとしているような予感があった。


「なんの話だ?」


 無意識のうちに、テーブルの上の掌を握りしめていたおれに、『霧の仮宿』は告げた。


「旦那様は、自分のような存在が……『モンスターと心通わせられる存在』が、この世界で初めて現れたと思う?」

「……」


 虚を突かれたおれは、すぐに言葉を返すことができなかった。


「……違う、のか?」


 おれは、少なくとも、そんな存在を他に聞いたことはなかった。


 例外は、工藤陸。

 もうひとりのモンスター使いにして、魔王となってしまった少年だけ。


 そのはずだった。


「それじゃあ、なんだ。お前は、この世界にモンスターと心通わせられるような人間が、他に存在するっていうのか?」


 動揺を隠せないままに、おれは尋ねた。


「だけど、そんな馬鹿な。おれは、この世界の人間社会に接してすぐに、自分みたいな存在がいるのかどうか調べたぞ? 異世界からこの世界にやってきた歴代数十人に渡る勇者……自分と同じチート持ちに関わる伝説を聞いた。そのなかにも、モンスターと心を通わせた人間の話なんてのは……」

「旦那様は、歴史が常に真実を語っていると思う?」

「……」


 投げかけられた質問は、おれを沈黙させるものだった。


 おれ自身、シランからこの世界の勇者の伝説を初めて聞いたときに、それを『綺麗過ぎる』『作り上げられたもの』だと感じたのは事実だったからだ。


 異世界から現れた勇者たちは、ひとりの例外もなく勇敢にモンスターと戦ったと伝説に語られている。


 しかし、おれがこの目で見た自分たち転移者の有り様は違っていた。


 おれたちは英雄ではない。当たり前に、弱い人間だ。

 その弱さが、十文字という災厄を生み出し、高屋純を狂獣に変えた。


 工藤が魔王となったのも、そうした人間の弱さに踏みにじられ、それを醜いものだと憎んだからに他ならない。


 千人規模で樹海深部という危険地域に放り出されたおれたちの事情が、かなり特殊なものであったのは事実だ。

 しかし、これまでの長い歴史のなか、ひとりたりとも道を誤った者がいないというのも考えづらい。


 そうした『不都合な事実』は、『勇者の伝説』には語られていない。


 なかったことにされている。


 であるならば、それ以外にも『隠蔽された不都合な事実』がなかったといえるだろうか?


 たとえば、エルフについて思い出してみればいい。

 精霊と契約する彼らは、精霊がモンスターの一種と見做された時代に、『モンスター使い』の亜種として人類の裏切り者と石を投げられ、迫害を受けたのだという。


 勇者から『モンスター使い』や、それとはまた別のかたちで『モンスターと心通わせる存在』が現れたとして……この世界は、それを語り継ぐだろうか。


 語り継がれなかったからこそ、彼らが知りえたはずの『モンスターは意思を持ちうる』という事実は、これまで一般に知られることもなかったのではないか。


 ここで『霧の仮宿』が示唆したのは、そういうことだった。


 そして、それをここでこうして指摘してみせたということは……。


「『霧の仮宿』。お前は『おれ以外の例』を知っているのか?」


 その存在を、その過程を、その結果を。


 知っているからこそ、おれに興味を持ち、こうして接触の機会を設け、歓心を得たうえで同行させてほしいと申し出てきたのだとすれば……。


「……お前は、なにを見てきたんだ?」


 問い掛ける。

 しかし、『霧の仮宿』は首を横に振った。


「わたしからは、これ以上を語ることはできないわ。わたしは、ただ見ていただけ。目撃者であっても、当事者ではなかったから。単なる傍観者には語る権利がない……という以上に、同じ言葉を語っても伝わらないものがある」


 申し訳なさそうな口調であると同時に、その声色には断固としたものが感じられた。


「旦那様。わたしは、あなたとあなたの眷属の関係を尊いものだと思うわ。応援もしてる。だけど……いえ、だからこそね。これ以上のことを知りたければ、どうかアケル北部にある『昏き森』を訪れてほしい」

「アケル北部の『昏き森』……?」


 おれは、頭のなかで地図を広げた。


 キトルス山脈の西側の裾野には、樹海が切り拓かれたあとに残った切れ端である『昏き森』が広がっている。

 北域五国のひとつであるアケルと、帝国領のロング伯爵領との境目になっている森だ。


「そこに、なにがあるっていうんだ?」

「歴史を知る者がいるわ。もしも旦那様が、大事なあの子たちとこの世界を生きていきたいというのなら、きっと有意義な話が聞けると思う」


 そんなふうに言われてしまえば、おれとしては興味を惹かれないわけにはいかない。


「……」


 ここまでの話でも、ある程度、状況を推測することは可能だった。


 そこが『昏き森』である以上、森の主である定住性の強力なモンスターがいるはずだ。


 恐らくは、そのモンスターこそが、おれ以外の『モンスターと心通わせる存在』となんらかの関係を持っていた『歴史を知る者』なのだろう。


 その『歴史を知る者』と『霧の仮宿』とがどのように関わっていたのかはわからない。


 気になるところではあるが、そこまで踏み込むのは時期尚早だろう。

 きっとそれは、『おれ以外の例』と『歴史を知る者』との間にあった『なにか』にも関わってくることなのだろうから。


 いまは、これがおれたちのことを思っての言葉であることさえわかれば、それでよかった。


「……わかった。覚えておく」


 おれがこう答えると、『霧の仮宿』はとても嬉しそうに口元をほころばせたのだった。

◆もう一話更新します。

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