野宿の夜
微修正(12/15)
自転車を押す異世界人と、旅装のエルフが森を歩く。
片方は黒髪黒瞳の小柄な男性。濃緑のカーゴパンツにスニーカー。明灰色のTシャツの上に、ダークグリーンとライトグリーンで迷彩柄を模したようなデザインの長袖のフード付きパーカーを羽織っている。斜め掛けした革の鞄は、荷物でいっぱいに膨らんでいて、ちょっとそこまで買い物に行った帰りのようだ。
もう片方は隣を歩く男性とほぼ同じ背丈。淡い金髪に翠瞳の細身の女性。尖った耳からエルフと判断がつく。くすんで擦り切れているものの、丈夫そうな薄い若草色のローブ。オリーブ色の乗馬ズボンに脛上まである革のブーツ。厚手の布の服の上から、肩当てのない軽そうな革の鎧。小振りな背嚢の下部に毛布を丸めて括りつけ、幅広い革ベルトには大小さまざまなポーチや革袋。左腰には中型細身の刺突剣。背嚢から少しはみ出した短杖。ときおり、革紐で鳩尾あたりにぶら下げられた弦楽器を気ままに摘弾く。旅の吟遊詩人そのものの姿である。
森の中、清水が湧き出る泉。その近くの少し開けた空き地を野営地と決め、準備にとりかかる。直時はキャンプの記憶を辿りながら手順を考えるが、旅慣れたフィアがほとんどこなしてしまう。それも魔術で済ませてしまうので、直時としては手伝えることが無い。風で地面を掃き清め、魔法陣で竃に火を起こす。落ち葉を風で集めたのは毛布の下に敷く簡易マットだ。
「魔術ってのは便利なもんだなぁ。是非とも教えてもらいたいな」
せめてこれくらいはと、薪集めをしながら直時が感嘆の声を上げる。
「精霊術は魔術っていうより魔法かな。こればっかりは適性がないと駄目なのよね。精霊と通じ合うことができないと使えないの。でも、人魔術は魔法陣で魔力を制御する技術だから、頑張れば憶えることが出来るわよ」
竈にかけた鍋をかき混ぜながら答える。
フィアからもう充分だと言われ、薪集めを終えて竈を挟んだ向かいに腰を下ろす。
鍋の中には、周辺で採取した香草を含む野草と茸、千切った干し肉がくつくつと煮え始めている。味付けは少しの香辛料と岩塩だけである。
鍋を煮込みながら、フィアが大きなドングリの皮をナイフで剥く。掌一杯分のそれを丁寧に渋皮まで取り除き、予め火の中に放り込んであった平らな石の上で煎る。焦がさないようにナイフで転がしていると、香ばしい匂いが漂い始める。
「さて。聞きたいことは山程あるだろうけど、どんなことから話そうか?」
「この世界の一般常識と習慣、主な国の政治体制かな。非常識な振る舞いで眼を付けられたくないし、息をするにも税を取られるとか、王様や貴族が平民を気儘に殺しても平気な国とかには近寄りたくないし……」
「習慣は種族ごとにかなり違うしなぁ。共通の一般常識と習慣、それとヒビノは普人族みたいだから普人族のそれが必要ね」
「普人族?」
「異世界人だから本当は違うのだけど、見た目がそうなのよ。この世界では間違いなく普人族だと認識されるわね。続けても良いかしら?」
「話の腰を折って悪かった」
「その普人族だけど、政治体制はどこも似たり寄ったりよ。王と、それに連なる貴族がいて民を守る代わりに税だの賦役だのを課すって感じかな。あまり無茶苦茶やってる国は、無いとは言えないけど少ないわ。反乱が起きたりして国を乗っ取られたり、他国に攻め込まれる原因になったりするからね」
(基本的に専制君主国家なのか……。暴君は少ないとはいえ、専制国家の制度的にいつ生まれるとも限らないしなぁ。商人が力を持った商業都市国家とかもあるんだろうか? あるとすれば大量輸送に有利な沿岸部だろうな。どうせならそっちの方が性に合う気がするな。しかーし! そんなことは後回しだ!)
「主要国の情報は聞いておきたいけど、今一番聞きたいのは魔術についてなんだ。うちの世界には無かったからね。魔術とか魔法とか精霊術? そのへんの区分けとかわからないけど、是非とも御教授して欲しいっ!」
突然の異世界で多くの不安が湧きあがる中、それらをあっさりと覆す衝動が魔法であった。ゲームや漫画、小説の中にしかなかった能力が手の届くところにある。のんびりぼんやりした印象しかなかった直時が、太い眉毛を釣りあげ、眼を爛々と輝かせる。
「ちょっと! 興奮しないでよっ。ある程度使えるようになるくらいは教えてあげるから。でも、対価は貰うから何か考えておいてね」
「くぅっ! 有料か!」
「あはははは。ま、気長に待ってあげるから。術が一番って言うけど、ここはやっぱり世界の成り立ちを知ってもらわないとね。これから『アースフィア』で生きていくのなら、この世界に対する当然の礼儀じゃない?」
「……確かに。聞かせてくれ」
フィアが弦楽器を手にする。
「それでは、この世界の成り立ち。神話のはじまりの物語…」
(神話からかよ…。長くなりそう)
覚悟を決めて耳を傾ける。
宵闇が辺りを包み始めた森の中、ゆっくりと流れる弦の音に乗り、朗々とフィアの詠声が響き始める。
この世にあまねく生きるもの 其の始まりの物語
虚無の波間に顕われし ひとりの神の御姿
神の言霊響きたる
世界よ在れ 汝の名は『アースフィア』
はじまりの神より生まれしは 二柱の男神と女神
男神をアリル 女神をイリス 二柱に声は云う
世界を拓け わが子らよ
二柱は大地を創る 大地をこねては形を創る
高く積み上げ山を創り 低く掘り裂き谷を創る
流れた汗は大河となって 波の打ち寄せる海へと変わる
……。
突然詠声が止む。怪訝そうにフィアに眼を向ける直時。
――キュゥ。
フィアから可愛らしい音が聞こえた。
「まずはご飯にしましょう」
真っ赤になり、プイと横向く。
「ぷっ(含笑)」
「食べられるときに食べるっ! 旅の鉄則よ!」
「了解!」
笑いを噛み殺す直時に、不機嫌になりながらも山菜鍋をよそってくれる。煎ったドングリは大きな葉っぱに乗せて差し出される。
「じゃあ食べましょう」
「そうだね。いただきます」
料理を前に両手を合わせる。
「それって、ヒビノの世界の習慣?」
「うちの世界ってより、うちの国かな? 料理を作ってくれた人と、食べ物として自分の血肉になってくれる食材に対するお礼みたいな感じ」
「そっか。そういう考えをする人なら、もしかして精霊も応えてくれるかもしれないね」
「そうなら嬉しいね」
山菜鍋は塩味だけの素朴なものであったが、干し肉からの出汁と茸の風味が味わい深く、香草の清冽な香りが後味を清々しいものにしていて、大変美味であった。
「美味いっ!」
「ふふっ。お口に合って嬉しいわ」
直時の賛辞にフィアも満更ではなさそうだ。
煎りドングリは香ばしいながらも、中はほっくりとして僅かな甘みがありこれも美味だった。甘みが少ない焼き栗といった感じだろうか?
満足のいく食事に、思い出したかのように直時が鞄を探る。
「魔術とか色々教えてもらう報酬なんだけど、これなんかどうかな? 異世界製の果実酒!」
元の世界で購入したテーブルワイン(赤)を取り出す。1・5リットルのペットボトルに入った安物だが、『異世界製』を強調し希少感を煽る。
「おおおっ! これは興味深い! 是非ともっ!」
疾風の早さで何処からか出した盃を差し出す。
「え? もう開けるの? 売ったりしないの?」
「何をおっしゃる! 初めて出会ったお酒を飲まないなんて、お酒に対する冒涜よ」
チッチッチと人差し指を振り持論を展開するフィア。さあ! とばかり催促される。
「御注ぎします」
トクトクトク……。コップを満たす赤ワインを無言で見つめる眼は真剣そのもの。軽く香りを嗅いで、一口含む。コクリ。
「素晴らしい香り。それに果実酒特有の甘ったるさが殆ど無い。少しある渋味も後味に残らずコクを与えている。喉越しもすっきりとしてまるで流れるようね。美味しいっ! 素晴らしいっ!」
ゴキュッゴキュッゴキュッぷはーっと、残りを一気に飲み干す。
「ちょっ? 語り出したかと思えばただの酒飲みかいっ! 一気飲みすんなよ」
「あははははは。食べられるときに食べる! 飲めるときに飲む! これが正しい在り方なのよっ。ほら、ヒビノも飲みなさい!」
新しい盃を突き付け、自分へのおかわりも要求する。
「ぷはーっ。いやー、こんな美味しいお酒は初めてだわ。知識でも世界情勢でも魔術でもどーんと任せておきなさい!」
控えめな胸を叩くフィアにそこはかとなく不安を抱く直時である……。
弟の結婚式でした。うらやましくなんかないんだからね!