第十二話 ??⇔トモダチ⇔カレシ⇔カノジョ⇔??
お盆に、オムライスと水の入ったグラスを載せて、大崎君は食堂の扉を押した。
彼らは二階のカフェテラスに行くようだった。
栄次は頬杖をついて、彼らの声に耳をすました。
声は次第と遠くなっていった。
栄次はテーブルクロスをつまんで、いった。
「もう行ったぜ」
「ほんとでしょうね」
薄暗いテーブルの下で、紗枝は両膝の間に顔をうずめて、三角座りをしていた。
「イタい子に見えるから、お止めなさい」
栄次は同情をこめていった。
紗枝は、もそもそとテーブルの下から這い出てきた。
顔を赤くしたまま、栄次の向かいの椅子に、紗枝は腰かけた。
「何で隠れるの?」
栄次は、困った顔で尋ねた。
「何か……まだ今は、会うのが悔しいから」
紗枝は、目を伏して、いった。
「何、まだ好きなの?」
頬杖をついて、栄次はいった。
「好きというか……分かんない。好きなのかな、あたし?」
「俺に聞くなよ」
栄次はまた困ったようにして、首を傾いだ。
紗枝はむうと、頬に空気を含んだ。
「んー、とにかく!」
紗枝は両手を広げていった。
「とにかく、何かこう。もっと綺麗になってから、ばばーんとお目見えしたいの」
「ばばーんと、ね」
「そう」
顔をますます赤くして、紗枝は栄次に訴えるように何度もうなずいた。
「そっか」
栄次は力の抜けたそっけない返事をした。
「そうなの、悪いの?」
「いや、悪くないけどね」
頬杖をついて顔を少し右に傾けていた栄次は、そのままの姿勢で紗枝の瞳をじっと見つめた。
「そのままでいいのに」
紗枝のノドが、こくりと鳴った。
それは、まだ小さすぎて、栄次には聞こえない音だった。
「―何よ。エステ、紹介したくせに」
腕を伸ばして、紗枝はゴツリと栄次の頭をパンチした。
「あいで」
栄次は、負けじと自分も、紗枝を小突いた。
「あいたー。女の子を殴る?」
「殴ったんだから、当然」
テーブルに、ようやく笑いが戻った。
緊張がほどけた様に、二人はけらけら笑い、お互いをバシバシと叩きあった。
食堂にいた何人かの学生が、二人を見ながら、くすくす笑って、いった。
「ね、見てみて、あの二人」
「可愛いねー」
「ね……付き合ってるのかな? あの二人」
もちろん紗枝と栄次には、彼らのひそひそ話は聞こえていなかった。
その時、《ががが》という音が、二人の間に割って入った。
「あ」
栄次は、手元の携帯を見た。
テーブルに置いてあった栄次の携帯が、バイブで振るえている。
「あ、彼女でしょ?」
紗枝はぴたりと手を止め、栄次に聞いた。
「おう、多分ね」
栄次は携帯をとり、メールを開いた。
すると、急に真顔になって、栄次は黙りこくってしまった。
「……」
画面に食い入る栄次を見ながら、紗枝はノートを片付け始めた。
紗枝が席を立ったとき、栄次は、はっと顔を上げた。
紗枝は微笑んだ。
「あたし次、授業あるから。栄次は?」
「あ、俺、次は休みだわ」
栄次はいった。
「そっか。じゃあまたね」
紗枝は手をふって、テーブルから離れた。
紗枝なりに気を遣ってくれたのが、栄次には嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
「おう、また」
栄次は、はなれていく紗枝に手をふった。少し困ったような、寂しいような表情をして。
*
紗枝はそそくさと食堂を出て、教室へ向かった。
授業はもう始まっていた。紗枝は後ろのドアから、そっと教室に入った。
同じクラスの、エミの背中が見えた。
紗枝は静かにエミの隣にきて、椅子に腰かけた。
「あ。紗枝ちゃん」
エミが小声でいった。
「ごめーんエミ。途中までのノートを見せてもらっていい?」
紗枝は手を合わせて頼んだ。
エミは紗枝の方にノートをずらして見せてくれた。
紗枝がノートを写している間、エミがそっとささやいた。
「ね。紗枝ちゃん。最近、牧野君と仲いいね?」
「え?」
小声で紗枝は、驚きの声を出した。
「大崎君のこと、吹っ切れたみたい……?」
「あー。うん、まあそれは」
困ったように、紗枝はいった。
紗枝は、あまり自分の恋愛について女友達には話さない主義だった。
でも、噂は自然に広がっていくものだ。
エミは紗枝から聞かなくても、大崎君との事について、誰かから聞いてしっているのだった。
「でも、栄次とはそんなんじゃないよ。だって彼女いるし」
「えー、そうなの?」
エミが驚いた顔をしていった。
―あ。やばい。シークレットをもらしたかも。
紗枝は慌てて、エミにいった。
「これ、秘密にしといてね」
「うんうん。もちろん」
エミは微笑んで、強くうなずいた。
約束は絶対に破られるだろうと、紗枝は思った。
紗枝からノートを返してもらうと、エミは再び授業に集中した。
紗枝はノートを読み返しながら、教授の講義を聞き流し、全く別の事を考えていた。
―そうだよねぇ。あんまり栄次と仲良くしてると、彼女さんに悪いかな。
紗枝は、まだ会ったことのない、栄次の彼女について考えた。
栄次の彼女が他大学の人だとは聞いていた。
なので、紗枝も大学での栄次との付き合いに、遠慮が無かったのは、確かだった。
―友情と恋愛って全然違うのに。はたから見たら同じに見えるのかな……
紗枝は、となりのエミをちらりと見た。
―エミには、あたしと栄次が付き合っているように見えたのかぁ。
でも、友情と恋愛って全然違うよね……
紗枝はそう思いながら、大崎君と栄次を、交互に想像してみた。
すると、やはり大崎君のイメージが、紗枝の胸を切なくさせるのだった。
あの、ドキドキしていた頃。好きだけど告白もせず、大崎君の姿を追っていたあの頃の気持ちに戻るのだった。
*
「あと十分で、食堂を閉めるよ」
食堂のおばさんが、テーブルを拭いてまわりながら、学生たちに声をかけた。
食堂に残っていた栄次は、開いた参考書とノートの前で、呆然と携帯の画面を眺めていた。
「何なんでしょうねぇ」
栄次はその場で一人、ポツリとつぶやいた。
「あと五分で閉めますからね」
おばさんが栄次のテーブルにも来ていった。
「はーい」
栄次は物憂げに笑って、携帯を閉じて、ノートをしまった。