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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一六章 合衆国海軍、マーシャルへ
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一〇一 絶対国防圏の範囲外

 一九四三年一二月八日、午前一一時二七分(現地時間)。マーシャル諸島メジェロ環礁。

 太平洋戦争の勃発からちょうど二年が経ったこの日、メジェロ環礁は暖気運転を続ける航空機エンジンの爆音に満たされていた。

 環礁に広がる帝国海軍の飛行場の駐機場に、整然と並べられた機体に整備員が取り付き、操縦席周りの整備等最後の点検にかかっている。

 そして整備が粗方終わったのだろう。それぞれ四列に並べられた五〇機余りずつの艦上爆撃機“彗星”及び艦上攻撃機“天山”から、整備員達が順次離れていく。

 しかし、整備員が離れた機体のエンジンは皆出力を落とされ、申し訳無さげにプロペラが回っている。

 彗星の爆弾倉には重量五〇〇キロの対艦爆弾が収められ、また天山の胴体下には零式航空魚雷がぶら下げられているし、機首の固定機銃や後部座席の旋回機銃に何か異常があるわけでも無い。もちろん燃料タンクはほぼ満タンにも関わらず、である。

 もっとも、マーシャル諸島の防空を担当する帝国海軍第二航空艦隊隷下の唯一の艦上機装備の対艦部隊、すなわち第五〇三海軍航空隊に下された命令が、「敵機動部隊接近につき即時出撃体制にて待機せよ」である以上、燃料節約のため仕方の無いことであったのだが。


 その五〇三空の彗星装備部隊……第一〇七攻撃飛行隊の飛行隊長、呼び出し符合信繁一番こと堀川亮次郎海軍大尉は、搭乗員待機用の小屋の壁に背を預けながら、苦虫を潰したような表情で己の商売道具を見つめていた。

 千葉県は館山の漁師の家に、九人兄弟の次男坊として生まれた堀川は、生まれつき色黒であった顔が家業を手伝う内にさらに黒くなり、おまけに配属先が配属先であるため、口にくわえた紙巻き煙草が発する紫煙越しの顔は、海軍兵学校時代、英国人英語教師にどこかアフリカからの留学生と誤解されたことを疑う人間を消去しながら、えらく近寄りがたい雰囲気を醸し出している。航空服を着ていなければ、田舎の博徒と間違えられても文句は言えない。

 事実、彼は不機嫌だった。

 ただしその原因は、小屋の中で出撃命令を出さない艦隊司令部に対する不満を語る部下達のそれとは違う。

 どういうわけか、ただの大家族に一人だけ突然変異的に秀才が現れることがあるが、堀川はまさにそれであり艦隊司令部が命令を出し渋る理由は理解している。しかし、他の海軍兵学校や陸軍航空士官学校出の中隊長達と一緒に、血気盛んな部下達を宥める気にはとてもなれなかった。

 彼の不機嫌の原因は、艦隊司令部が出撃命令を出し渋らざるを得ない状況にある。

 ――そもそも、これまでいたって平和な前線だったマーシャル諸島が喧騒に包まれたのは、この日の早朝、定期哨戒に出ていた一機の九六式陸上攻撃機から発せられた「我、敵艦隊見ゆ」の緊急信に始まっている。

 この九六陸攻はその後連絡を絶ったが、第二航空艦隊司令部は発見された“敵艦隊”を、一一月二八日にハワイ島ヒロの仮泊地を出撃後、同三〇日にジョンストン島の南二〇〇海里の地点で帝国海軍第四艦隊の潜水艦が所在を確認して以来、完全に行方不明となっていた合衆国海軍太平洋艦隊と断定し、追加の索敵機を飛ばして敵情の把握に努めると共に、指揮下の全航空隊に臨戦体制を命じた。

 その結果明らかになった敵艦隊の陣容は、まず新鋭のアイオワ級とみられる戦艦二隻を中核とする水上砲戦部隊(甲)が、メジェロより方位九〇度距離二五〇海里の地点にあり、そのさらに東側に新鋭正規空母のエセックス級と、軽空母のインディペンデンス級とみられる艦を二隻ずつ含んだ機動部隊が南北に並び(南側、乙。北側、丙)、三つの艦隊で一辺三〇海里の正三角形を描いているというものだ。

 一見すると、マーシャル諸島に対峙する機動部隊の前衛を戦艦部隊が務めているようだが、偵察機が捉えたこれらの艦隊は、相互の位置関係をずらすことなく遊弋しており、マーシャルとの距離を詰める気配も攻撃隊が飛んでくる気配も無い。

 また、大小八隻の空母が搭載する艦上機はおよそ六〇〇機と推定されるが、連合艦隊の擁する航空兵力に比べれば小規模であるし、戦艦部隊にしても弱小過ぎる。どう考えても再建途上の艦隊だ。

 以上から、敵艦隊の目的をマーシャルに対する威力偵察と判断した第二航空艦隊司令部は、基本方針を“受け身”に決定した。

 敵艦隊が攻撃隊を放てば迎撃しこちらからも攻撃隊を出す。しかし、何もしてこないなら何もしない。というわけだ。

 そして、敵艦隊に張り付いている偵察機から「敵攻撃隊出撃せり」などという電文は、いっこうに入らないのである。

 「だるそうだな、堀川」

 煙草を一本吸い終え、紫煙を一際大きく吐き出した堀川に、彼とは対照的に色白かつ背広を着せれば大蔵省あたりの官僚に見えるであろう、いかにも都会生まれの都会育ちといった風の男が話しかけてきた。

 彼の名前は呼び出し符合虎泰一番こと石田香三郎海軍少佐といい、天山装備部隊である第三二五攻撃飛行隊飛行隊長を兼ねた五〇三空の先任飛行隊長だ。

 三〇〇人近い五〇三空所属の飛行隊員の集合写真を一〇〇人に見せれば、九九人はまず真ん中の“白黒”に目がいくであろう。とまで言われるこの二人は、顔だけでなく性格も違う。

 石田は何か壁に突き当たると越える前に別の道を探そうとするが、堀川は何か壁に突き当たると越える前にぶち破ろうとする。

 そんなあまりに両極端な二人の飛行隊長のいる航空隊として、五〇三空のことを指して“白黒航空隊”という呼び名が海軍内に広まりつつあるほどだが、部下達に“磁石”と陰口を叩かれるこの二人の仲はすこぶる良い。

 「そりゃそうでしょう。ここに配属されてどれだけ経ったか、ようやく敵機動部隊との戦いに参陣出来るかと思ったら、敵も味方も揃いも揃って及び腰の連中ばかりなんですから」

 堀川はそう言うと、ポケットから二本目の煙草を取り出し、手馴れた手付きでマッチを擦った。

 「まぁ、そう言うな。貴様が長官だったとしても、出撃命令は出さずに援軍の来援まで時間を稼ごうとするだろう?」

 微笑を浮かべて正論を喋った石田に対し、それは建前論だと堀川は煙草をくわえながら反論を始めた。

 「ほれは分はっていますが、仮にもここは東の最前線。そこを任された部隊が劣勢を理由に出し惜しみをするなど、あってはならんことです」

 「仕方無いだろう。むやみやたらに攻撃隊を出してみろ。死ぬのは俺達だ」

 現在、第二航空艦隊の隷下にある航空戦隊は第二二と第二四の二つが有り、前者が対艦攻撃部隊、後者が防空及び偵察哨戒部隊である。

 そして第二二航空戦隊の隷下には、定数一二八機の艦上戦闘機を擁する第二八一海軍航空隊、定数五四機ずつの艦上爆撃機と艦上攻撃機を擁する五〇三空、定数三二機の陸上戦闘爆撃機と七二機の陸上攻撃機を擁する第七五一海軍航空隊の、計三個航空隊の定数三五〇機の航空機がある。

 その攻撃力は空母機動部隊二個戦隊分に匹敵する強力なものだが、しかし再建途上の太平洋艦隊には遠く及ばない。

 見敵必戦と一方的に攻撃をしかければ、同時に一方的に迎撃を受ける。

 そんなことになれば、最悪第二二航空戦隊は壊滅する。

 艦隊司令部が虎の子部隊を温存しておきたい理由は分かるが、それでは何のために自分達はここにいるのか。存在価値が無いではないか。

 紫煙越しの堀川の両目から彼の心情を正確に察知した石田は、当たり障りの無いことをあえて関心無さげに言いながら、それを口には出すなと念を押した。

 もちろん、堀川の憤りは石田も共有するところだが、二人はあくまで一介の飛行隊長に過ぎず、口に出すのは明らかに僭越だ。そして同時に三桁の数の部下を預かる中堅将校として、軍隊において最も重要な秩序を乱すことは許されない。

 「分かっています。ですが、納得出来んのです。我々が受け身にならざるを得ないことが」

 堀川のことを良く知らない誰かがこの発言を聞いたなら、特に修飾語を付けることなく“状況に不満を抱いている”で済ませるであろうが、幸か不幸か石田の脳内には何とも恐ろしい修飾語は瞬間的に浮かんでいた。

 マーシャルに展開する部隊が物足りない理由は、「敵が来ないのだから」で片付けられる。

 つまり、何の前兆も無しに突然現れたのなら堀川も上層部の判断に納得出来るが、前兆はすでに先月からあったのだ。

 途中で見失ったこともあるし敵艦隊も最短距離を行くとは思えないから、その目的地を断定することは不可能だったであろう。

 しかしだとしても、帝国総合作戦本部の指示に従って連合艦隊総司令部が一週間前に発した命令は、あまりにも戴けないものだったのだ。曰く、「晴三号作戦発動準備。尚、二号または四号作戦に変更の可能性有り」

 現在作戦本部を中心に、合衆国海軍の大反攻を迎え撃つ決戦案として検討されているいわゆる“決号作戦”とはまた別に、今回のようなある意味中途半端な反攻に備えて用意されていた“晴号作戦”であるが、その番号が意味するところが問題なのだ。

 すなわち“一号”が千島列島方面、“二号”がマーシャル諸島方面、“三号”がトラック諸島方面、“四号”が旧蘭領東インド方面、“五号”がインド洋方面……なのだが、もし敵機動部隊が流氷が海面を覆い、寒波が吹き荒れる千島列島近海で作戦行動がとれるなら、早急に白旗を揚げるのが身のため国のためだ。よって一号は有り得ない。

 また日英講和が成立し、今年五月一日に調印された日英講和条約、通称“シンガポール条約”に「英国領土及び施設を対日戦のために第三国に貸与することを禁ずる」とか「ビルマ東部、マレー半島及び周辺島部は、将来独立させることを条件に日本より英国に返還する。ただし英国は、シンガポール島及び周辺島部の日米戦争中の対日無償貸与を認める」とか書かれている以上、五号は四号でカバー出来る。

 堀川等が納得出来ないことは、残る三つの内三号だけが優遇されていることである。

 四号が二の次になっている理由はただ単にハワイから遠いからだが、マーシャルはトラックよりもハワイに近いのだ。

 ラバウルの重爆撃機と一緒に来られては面倒だということを割り引いても、明らかに本土ではマーシャルの優先順位が下げられている。

 何しろ、日英講和後に帝国総合作戦本部で策定された“第四次帝国戦争指導大綱”に書かれた“帝国戦争遂行上絶対確保すべき要域”……通称“絶対国防圏”においてマーシャル諸島はその圏外なのである。

 さて、堀川の不満がマーシャル諸島の外に出てしまうことを危惧した石田が慌てて何かを言おうとしたとき、すぐ近くに設置されたスピーカーから耳障りな高音が響いた。明らかに、誰かがマイクの電源を入れた予兆である。

 「搭乗員整列ッ!」

 声の主は五〇三空司令の増田正吾海軍大佐。内容は耳を疑うものだったが、彼等の身体は反射的に動いている。

 たちどころに集まった搭乗員達を前に、令達台に駆け登った増田は電文を片手に高らかに口を開いた。

 「二航艦司令部より発せられし命令を伝達する。二八一空三五七戦飛隊、七五一空五一九戦飛隊、及び五〇三空は直ちに出撃、敵機動部隊“丙”を撃滅せよ。以上だ。石田、堀川両名は少し残れ」

 なぜ艦隊司令部は突然心変わりをしたのか。という、それなりに重要だが今はどうでも良い考えを頭から追い出した石田と堀川は、増田から耳打ちされた別の命令に怪訝そうな表情を浮かべ、しかし瞬間的に納得したのか、それぞれ飛行隊長の顔を作って競うように部下達の後を追った。

 愛機に飛び乗った二人は、一足早く機体に再び取り付いていた整備員に軽く敬礼を送ると、それぞれの飛行隊の先頭を切って滑走路へと機体を進め、次いで大空へと飛び立っていく。

 そして空中で集合した五〇三空は、ウォッゼ環礁に展開している戦闘機隊との合流のためいったん北上し、その後集結を終えた戦爆雷連合二〇一機の第二航空艦隊よりの第一次攻撃隊は、二つの内北側に位置する敵機動部隊を求め東に向かって進撃を開始した。

 時に午後〇時四一分。後に“マーシャル諸島沖航空戦”と公称が定められた一連の戦いの始まりであった。



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