第三十一話 ヘルムート王国貴族事情。
「はあ……。疲れた……」
その日の夕方、エーリッヒ兄さんの結婚披露パーティーは無事に終わっていた。
花嫁さんも含めて、エーリッヒ兄さんは役場の同僚や友人達から暖かい祝福を受け、エルやイーナやルイーゼもそれに混じって楽しい時間を過ごしていたようだ。
「大変だな。やっぱり、モンジェラ子爵がしつこかったのか?」
「いや、あの人は抑えに回ってくれたんだ。おかげで、アレでもマシだったんだから」
一方の俺はと言うと、式の間中ずっと多くの参加者達に囲まれ続けていた。
この時になって、俺はようやくエーリッヒ兄さんの謝罪の意味を知ったのだ。
俺がブランタークさんと古代竜を退治した話は、ほぼ正確に僅かな時間で王都中に広まっていた。
ブランタークさんが自分の魔法では古代竜は倒せないと知り、魔道飛行船に留まって船の防衛に努めた事や、古代竜を昇天させた聖魔法を撃ったのは俺だと言う事実まで。
おかげで、いちいち人に『その話は違います』という手間が省けた分。
俺は、彼らパーティーの参加者達に新しい玩具の如く弄られ続けてしまう。
まさか、今日自分達が参加する結婚パーティーに、噂の竜殺しが参加しているとは思わなかったのであろう。
更に、花婿の実の弟であったという事実もだ。
目敏く気が付いた連中の中には、どうにかパーティーに参加して俺と接触をしたいと考えた貴族や商人もいたらしく、彼らの無理な懇願を上手く波風立てないように断ったのが、ルートガーさんとブランタークさんと、ブラント家の寄り親をしているモンジェラ子爵であった。
背は百九十センチほどで高いが、その体は細身で肌も白く、いかにも官僚と言った面持ちの四十歳ほどに見えるモンジェラ子爵は、大切な寄り子の結婚披露パーティーなのに俺が主役みたいな結果になるのを失礼だと感じたらしく、定期的に長時間俺に食い下がる連中を連れ出してくれたのだ。
なるほど、そういう細かい配慮が代々官僚を務める家に相応しいようにも見えた。
「モンジェラ子爵様に感謝だな」
式の間、酷い連中は、せっかくのエーリッヒ兄さんの正装姿や花嫁さんのドレス姿に視線すら向けず、俺に一方的に話し続けていたのだ。
家臣や使用人候補として、自分の知り合いや子供を紹介したり、妾でも良いからと自分の娘を紹介したり、酷いのになると怪しげな投資話や借金の申し込みだったりと。
おかげで最初は、エーリッヒ兄さんに申し訳ない気持ちで一杯だったのだ。
ただ、俺が苦労している横で、エル達も混ぜて楽しそうにしている時点でその申し訳なさはかなり薄らいだのだが。
「お前ら、楽しそうだったな」
「まあね」
その後パーティーは無事に終わり、俺はブラント家が用意した客室のベッドの上で寝そべりながらエルと話していた。
エーリッヒ兄さんの計らいで、王都滞在中はこの部屋に泊まれる事になっていて、俺とエル、イーナとルイーズで二人部屋が二つ割り当てられていた。
「一応家臣なのに、助けにも来ないで」
「今はまだ名目上だけだし、給金も貰っていないからな」
「正論なだけに、何も言い返せない」
エル達が名目上の家臣になっているのは、俺に群がるであろう五月蝿い就職希望者を避ける狙いがあるからだ。
今は同じ冒険者志望で、パーティーメンバーでしかない。
家臣としての実が伴うのは、俺達が冒険者を引退してからになる予定であった。
「しかし、ヴェルもこれから大変だな」
「王都から離れれば……」
「どうせそんな事も無いから、夏休み中は王都の観光でも満喫していたらどうだ?」
突然ドアがノックされたので開けると、そこにはブランタークさんが立っていて、しかも俺達の会話が聞こえていたようだ。
突然、そのような事を言ってくる。
「えっ? そんな事も無い?」
「ああ、これから坊主の争奪戦が始まるんだよ。おかげで俺も、暫くは王都で坊主達の御守りだからな。楽だから良いんだがよ」
突然古代竜を討伐し、その功績でここ二百年以上も叙勲者がいなかった勲章と、準男爵位を与えられた若者がいる。
更には、その若者は討ち取った古代竜の骨と魔石の売却で莫大な富を得た。
ならば、この国の富と権力を司る貴族達の考える事は一つだ。
「押し掛け家臣に、嫁・妾志望者なんて序の口なんだよ。まず、争いになる件がある」
「誰が寄り子にするかですよね?」
「おおっ! エルの坊主は、意外と知恵が回るんだな」
「微妙に傷付くなぁ……」
「すまんすまん。これで、俺が坊主達に付いている理由がわかったよな?」
寄り親と寄り子。
この制度を一言で言えば、貴族社会の本音であろう。
騎士爵も公爵も、王家から爵位を与えられた貴族達は同じ王家の臣である。
これが建前とすると、経済力は一つの村から税を徴収できる程度で、動員できる兵員は数十名の騎士爵と、その領地と経済力は小国にも匹敵し、その動員兵数が万を超える辺境伯や公爵が同じ立場であるわけがない。
これが、本音の部分であろう。
それと、あまりに多過ぎて王国でも管理が面倒な騎士爵と準男爵などを、中央と地方の上級貴族に管理させる。
王国側のこのような思惑もあって、この制度は王国の成立直後から続いていた。
俺の実家であるバウマイスター家の寄り親は、当然ブライヒレーダー辺境伯である。
理由は、王国南部を取り纏めているのがブライヒレーダー辺境伯家だからという理由が大きいが、普通は領地持ち貴族は近場で固まるし、中央の法衣貴族も世襲している役職などで固まっているのが普通だ。
実際、エーリッヒ兄さんが婿入りしたブラント家も代々財務関係の仕事に就く事が多く、寄り親はルックナー財務卿の腹心であるモンジェラ子爵という事になっていた。
「でも、変ですね。ヴェルの寄り親なら、ブライヒレーダー辺境伯様に優先権がありませんか?」
「普通に考えるとそうだな。だが、そう考えない奴がいるんだよ。しかも、その考え方が間違っているわけでもないしな」
簡単に言うと、俺はブライヒレーダー辺境伯の寄り子であるバウマイスター家の出で、今は冒険者を目指してブライヒレーダー辺境伯領内にある予備校に通っている。
卒業後は、ブライヒレーダー辺境伯領内を含む南部が活動エリアになるであろうし、となれば俺を寄り子にする権利はブライヒレーダー辺境伯にあると考えるのが普通だ。
「本当は、お館様は坊主をお抱えにしたかったんだがな。あの食えない陛下の横槍で、直臣にされちまったが」
そう、準男爵となった俺はブライヒレーダー辺境伯と同じく王国貴族なので、ブライヒレーダー辺境伯の家臣にはなる事が出来ない。
しかし、その事を意図して俺を貴族にしたのだとすると、やはりあの陛下は相当に食えない人のようだ。
「坊主が誰の寄り子になっても、陛下は何も言わないだろうけどな。万が一の時には、王家の方が優先権があるんだから」
寄り親の命令よりは、主君である王家の命令。
まあ、当然であろう。
「じゃあ、ブライヒレーダー辺境伯様が寄り親で決まりなのでは?」
「ところが、そういうわけでもない」
まず、俺が領地を持たない法衣貴族扱いなのが問題らしい。
「坊主のように、過去にも功績を挙げて同じような形で叙勲された例は多いんだよ」
功績が大きいから、貴族にして年金とそれを子孫に継承させる権利を与えた。
だが、領地は無いし、何かの役職に任命されたわけでもない。
年に一度は年金を王都に貰いに行く必要があるが、あとは基本的に何をしていても自由。
俺のような立場の貴族は、実は結構な数存在しているらしい。
「領地があれば、その地方で顔役になっている中級貴族とか、ブライヒレーダー辺境伯様のような方面を統括する大物貴族の影響下からは逃れられないからね。選択肢は縮まるものなのさ」
続けてドアがノックされ、今度はパーティーも終えて普段着に着替えたエーリッヒ兄さんが現れる。
「でも、その選択肢が狭まらないと?」
「僕の立場で言うと、出来ればルックナー侯爵の寄り子になって欲しいかな?」
「あれ? モンジェラ子爵様なのでは?」
「モンジェラ子爵の寄り親が、ルックナー侯爵なんだよね」
ここが寄り親・寄り子の制度のややこしい部分なのだが、モンジェラ子爵はブラント家の寄り親で、ルックナー侯爵の寄り子でもあるのだ。
ブラント家が、ルックナー侯爵の寄り孫と言えば分かり易いのかもしれないが、さすがに寄り孫という言葉は無いらしい。
「ルックナー侯爵ですか?」
「ヴェルは、陛下に謁見した時に会っているはずだよ。財務卿をしている人だから」
「ああ、あの骨と魔石の売却代金をケチろうとした……。おっと、失言」
「まあ、あの方はね……。でも、財務卿ともなると、色々と大変なんだよ」
「予算だって、無尽蔵じゃないからな。陛下がケチ臭い事を言うと、民衆や貴族からの人気も落ちる。時には、陛下の代わりに嫌われる事を言うのも仕事なんだよ」
ブランタークさんは、あの謁見の際の骨と売却代金の値切り騒動には、そのような裏があったのだと説明する。
財務卿が必要以上に値切って俺に嫌われ、それに陛下が助け舟を出す。
そのお礼に陛下が、魔導飛行船予算の余り分を、他の予算が不足している事業などに回す許可を財務卿に与える。
完全に、ギブアンドテイクの関係らしい。
「ルックナー侯爵は優れた政治家だし、職権乱用をして財産を増やすような事もしないからね。陛下からの信用も厚いし」
「それは結構なんですけど、何かここ数日でお腹一杯です」
正直、魔法なんていくら使えても、それで面倒の種が消えるわけでもないのだ。
前世と同じく、面倒なのは人間関係というやつであった。
「それで話を戻すけどよ。坊主は、うちのお館様の寄り子になるよな?」
「現状で、他に選択肢が無いんですけど」
今の俺は、ブライヒブルクにある、ブライヒレーダー辺境伯が経営している冒険者予備校で特待生をしているのだ。
卒業後も、暫くはブライヒブルク周辺を拠点とする予定なので、ここで他の貴族の寄り子になる意味がなかった。
「エーリッヒ兄さんには悪いんですけど……」
俺は、ルックナー侯爵の寄り子にはなれない事を伝える。
「別に、気にする必要は無いよ。もしそうなればラッキー程度にしか、ルックナー侯爵も思っていないだろうし」
いくら中央で財務卿を世襲するルックナー侯爵家とはいえ、南部のまとめ役であるブライヒレーダー辺境伯家を敵に回すような愚は冒さないはず。
それに俺は、自分の寄り子であるエーリッヒ兄さんの実の弟なのだ。
もう十分に縁が繋げているので、これ以上欲をかいてもと思っている可能性が高いそうだ。
「本当、貴族の習性ってお腹一杯になるなぁ……」
「もう何千年も飯のタネにしているからね。僕も、その入り口につま先で立っていた程度なんだけどね。ヴェルに押されて、少し奥に入り込んだかな?」
新しいブラント家の当主であるエーリッヒ兄さんは、ルックナー侯爵の寄り子の寄り子という小物な立場にあるのだが、今回の件でルックナー侯爵の印象に大きく残った。
それに、エーリッヒ兄さんは物凄く頭が切れる。
多分、これからルックナー侯爵に重用されていくのであろう。
「エーリッヒ殿が出世すれば、仲が良い弟の坊主への印象も良くなる。そうなると、後に色々と坊主に頼める可能性が高いからな」
「ええと、何を俺に頼むんです?」
「あと十年、あるか無いかはわからないがな。アームストロングの奴が、お前の事を知ってパルケニア草原問題が動く可能性があるんだよなぁ……」
そのアームストロングなる人が何者かは知らなかったが、もし貴族なら碌な目に遭わないかもと思い始めてしまう。
出来れば、関わり合いたくないものだ。
「そのパルケニア草原がどこにあるのかは知りませんけど、俺は未成年ですし、ここの所、魔法じゃなくて変な貴族間の権力闘争に巻き込まれていて不幸だったんです。残りの休みは、王都見学とか買い物とかグルメ三昧とか、普通に遊ぶ予定ですからね」
「でもなぁ、坊主。相手あっての事だからな。それに、その観光とか買い物とかも、謂わば女にいいように尻に敷かれているだけとも言えるぞ」
「別に、イーナやルイーゼは俺の恋人でも奥さんでもないですし……」
残りの休みは、広い王都の名所を観光したり、買い物をしたり、美味しい物を食べに行ったりしたい。
決して、イーナとルイーゼから『何日も放置して!』と文句を言われたので、そのお詫びとは考えておらず、俺自身も自分が観光などを楽しみたかっただけなのだ。
「ヴェル、奥さんと一緒に私も付き合うから」
さすがに、今年で二十三歳となり結婚もしたエーリッヒ兄さんなので、もう自分の事を僕とは言わなくなったようだ。
それでも、俺と話しをしていると昔に戻るのか?
たまに、僕が混じるようであったが。
「えっ、良いんですか?」
「三日ほどお休みを取ったからね。案内役の僕達も遊びなのさ」
ようやく結婚パーティーも無事に終了し、明日以降は普通に夏休みを満喫しようと俺は固く決意したのであった。