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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
異世界の始まり(上)
9/134

009

 セララが隠れ潜んでいるのは、ススキノに数多い断熱材を用いた簡易住居だった。2LDKほどのその簡易住居は、ススキノの廃ビルの内側に造られている。

 世界崩壊によって旧時代の文明が失われ、その遺跡とも云える巨大建造物があちこちに残るこの世界。もちろんプレイヤーであるセララには、それがどうやら現実世界の日本をモチーフにしていることは判っている。ススキノは現実で云う札幌市街の一部であり、このプレイヤー・タウンもその面影をとどめていた。


 地球では歓楽街だったススキノには多数の雑居ビルが存在している。〈エルダー・テイル〉の世界のデザインを受け継ぐこの異世界におけるススキノの街では、その殆どが無骨な青い鋼で補強された城塞風の建物に改修されていた。

 どこか角張っていて、レトロな機械帝国といった風味が、この北海道――こちら風に云うならば〈エッゾ帝国〉のデザインモチーフなのだ。


 そのように鉄骨とビスと巨大なボルトとナットで強化された廃ビルは、雪や風には良く耐えるが、冬の寒さは防げない。そこでススキノの人々は、要塞化された雑居ビルの内側に、断熱材でもうひとつの家を建てる。こちらは暖かさや居住性を重視した作りだ。


 面積あたりの居住人数から云えばはなはだ非効率的であり、現実世界の日本で実行することは出来ないが、〈エルダー・テイル〉というゲーム世界内では十分可能であり、それは異世界のここでも同じだった。


 セララはそうした断熱材で作られたひとつを隠れ家として潜み暮らしている。助けてくれた同居人が借りてくれたのだ。


 彼女は、日がな一日、その二間続きの部屋を掃除している。

 別に掃除が趣味という訳でもないし、ましてや部屋が散らかっていたり汚れている訳ではないが、他にやることもないのだ。TVもWebも無いこの世界では、暇をつぶすのがとても難しい。


 それにセララは〈家政婦〉だった。このサブ職業は、ゾーン内の清掃や小物の管理。様々な消耗品や備品の管理。メンテナンスに必要な特技を与えてくれる。


(……どーしてこんなマイナーで役に立たないサブ職業を取得しちゃったのかなぁ)


 セララは何度目になるか判らないため息をつきながらも掃除の手を休めない。


 〈エルダー・テイル〉において、メイン職業はキャラクター作成時に選択するために交換不可能だが、サブ職業は、サブ職業の経験値が一旦ゼロに戻るという覚悟さえすれば、比較的簡単に交換できる。


 セララのメイン職業は〈森呪遣い〉(ドルイド)で回復職のひとつだ。

 セララ自身は、この複雑で奥が深いと云われるゲームで、商人のまねごとが出来たらいいな、と思ってゲームを開始した。

 商人プレイを楽しむプレイヤーは数多い。他のプレイヤーと交流したりお金を貯めるのには独特の楽しみがあり、それはそれで〈エルダー・テイル〉の一つのプレイスタイルなのだ。


 もっとも、商人プレイをするのであらば〈交易商人〉や〈会計士〉をサブ職業にするのが定番である。これらのサブ職業は商取引に関するボーナスを与えたり、ノンプレイヤーキャラクターとの取引において若干の値引きを可能にするスキルが揃っているからだ。

 また、生産系のサブ職業というのも堅実な選択肢だろう。様々なアイテムを作成しての商売人プレイというのは、〈エルダー・テイル〉においてメジャーなスタイルのひとつだった。


 しかしセララがゲームを開始したときに見ていた入門サイトに寄れば、〈交易商人〉や〈会計士〉は一定の能力値が必要であり、かつクエストをこなさないと取得できないとのことだった。また生産系のサブ職業は、素材を入手するために一定の資産がないと上手に育てられないとの情報もあったのだ。


 それならば、メインである〈森呪遣い〉を多少あげて、ある程度お金を貯めてから余裕を持ってからサブ職業を再選択すればよい。どうせ品物を仕入れるにせよ、どこかで購入するにせよ、財産とメイン職業のレベルはあって邪魔になる訳ではないし……と考えて、とりあえずサブ職業の隙間を埋めるために、一番簡単そうなものを選択した結果が、〈家政婦〉なのである。


 つまり、セララが〈家政婦〉なのは、消去法的結果であって、たまたまに近い偶然だった。


(ううう~。こんな事なら、当分あげられなくても生産職つけておけば良かったぁ。〈細工師〉とか〈裁縫師〉とかぁ)

 セララはそんな事を考えながらも、テーブルをから拭きする。


 断熱材で造られた簡易住居の内部はカントリー風だ。

 正確に言うならば「風」ではなく、れっきとした木造であり、美しい木目のフローリング床に、木材はめ込みの天井、丸木作りのような壁をもっている。

 〈エッゾ帝国〉は天然資源の宝庫で、日本サーバ管理区域内では有数の鉄鉱山や林業資源を持っている設定だ。


 フローリングの床も、深い飴色の木製テーブルも〈エッゾ帝国〉の特産とも云える品で、丁寧に磨けばそれだけでつやつやと美しい輝きを放つ。


 ログハウス風簡易住居の中を、ひっつめ髪にした地味な女性……つまりセララが細々と動き回る。動きやすいネルのシャツに、デニムのパンツ。ひとつにまとめた髪。化粧っ気のない顔は、絶世の美女というわけではないが、清潔感があってぱっと見には若奥様風だ。


(で、暇すぎてついついレベルあげしちゃうのよねぇ……)


 セララがため息をついてメニューを開く。本日になってから〈家政婦〉の経験値がまた入ってしまった。サブ職業のレベルと経験値はメイン職業とは完全に独立して存在し、こちらの方がずいぶんとシンプルな構造となっている。経験値が10貯まるごとに1レベル上昇。レベル上限はおそらく90か、100。

 〈家政婦〉レベルは昨日は42だったのに、今日はもう44である。最近では毎日のように3レベルずつ上がるペースであり、驚異的だ。このままではススキノに潜伏している間に〈家政婦〉をコンプリートしてしまいかねない。


(引きこもり生活で技能カンストは勘弁して欲しいなぁ~。それはいくら何でも切ないよぉ)


 日がな一日中掃除だの洗濯だの家の用事だのをやっていれば、それはレベルも上がるだろう。しかしこれでは家政婦ではなくて、主婦ではないのか? とセララ自身思わないでもない。年頃の少女としてはそれはそれで悪い響きの言葉ではないのだが、照れくささが先に立つ。


(なんちゃってっ! なんちゃってっ! 猫の旦那様迎えて家を整える乙女だったりしちゃって。こんちきしょーぅ)


 照れくさくなってせっせと食器磨きを始めるセララ。

 時間つぶしの方法としては他人に迷惑も掛けないし、客観的に見れば平和な光景ではある。


 驚異的な速度で成長を続けるセララのサブ職業だが、全てのサブ職業がそうだという訳ではない。


 たとえば〈鍛治屋〉などは育てるのが難しく、レベル90にするためには非常な労苦を伴う。〈エルダー・テイル〉時代、その苦しみは「あれはマゾだけがやる職だ」と云われていたほどだ。


 一般的に云って、生産系のサブ職業は、その職業がターゲットとするアイテムを生産することによって経験値を得る。

 たとえば〈料理人〉であれば食料アイテムを、〈木工職人〉であれば木製の楽器や武具、弓などを作ることによってレベルが上がってゆくのだ。そしてレベルが上がるごとに新しい「レシピ」を覚えて、それにより生産可能なアイテムのレパートリーが増えていくという構造を基本としている。

 しかし、生産アイテムを作ると云うことは、その原材料となる素材アイテムが必要だ。

 素材となるアイテムの種類は当然生産職の種類によって異なるが、いずれにせよアイテムを作る場合、素材アイテムを自分で集めるか、マーケットなどで買い求めるという行程が必要不可欠になる。

 レベルを上げるためには簡単なアイテムばかりを作っていても駄目で、自分の現在のサブ職業レベルに相応しいアイテムを作成し続けないと経験値は得られない。そして当然だが、高レベルのアイテムを作るためには、より高レベルの、そして多くの原材料を必要とする。


 〈鍛治屋〉の場合、レベルが80のアイテムを作ろうと思ったら、青玉鉱石や高純度炎石、妖精銀や紫苑鋼が必要になる。これらはいずれも強力な敵が出現するゾーンで算出する鉱山系資源だ。

 こういった原材料が、鎧ひと揃い作るにしても相当な量必要になり、その鎧を100単位で作らないとレベルが上がらない。

 それが「〈鍛治屋〉はマゾ職業」と云われる由縁だった。


 そこへ行くと〈家政婦〉は原材料が要らない分、レベルを上げるのは楽である。もちろんそのぶん作業時間は掛かるのだが。


「セララさん、かえりましたにゃ」

 ドアを開けて一人の奇妙な男が帰ってくる。


 このゾーンは独立していて月極で借りているために、登録者以外は侵入出来ない。セララが考えたとおり、入って来たのは痩せた体型の一人の〈猫人族〉だった。


 ほっそりした身体を、緑のコーデュロイジャケットに包んだ姿は絵本に出てくる中世の銃士のよう。手足が長く細いために、余計にすらりとした印象を与える。変わっているのはその頭部で、なかなかに落ち着いた凛々しいナイスミドルなのだが、頬には髭と、頭の上に猫耳がついている。


 彼のなまえはにゃん太。

 〈エルダー・テイル〉でプレイヤーが選べる八種類の種族のうち、猫族の特徴を備えた亜人種〈猫人族〉だ。


「おかえりなさい、にゃん太さん」

 セララはぴょこんと頭を下げる。

「街は、どうでした?」


 にゃん太はちょっと首をかしげて曖昧に笑う。いつでも細められて糸のようになった瞳は日だまりの猫のようで安心感を与えてくれるけれど、細かい表情はセララには判りづらい。


「相変わらずですにゃ。良くもなく、悪くもなく」

 その言葉にセララの表情が曇る。にゃん太は「悪くもなく」と云ってくれるが、良くなっていないのならば悪いままなのだろう。ススキノの治安は悪化の一途を辿っている。人口が少ないために自浄作用が機能していないのだ。現在のススキノの街は、弱肉強食の国である。


 その原因の大きな部分は、〈ブリガンディア〉と呼ばれるひとつのギルドだ。〈エルダー・テイル〉がゲームであった頃から評判の良くなかったこのギルドは、アキバの街やミナミから放逐された悪評の高いプレイヤーが寄り集まって作った所帯だった。

 利益優先でかなり強引なプレイを行なっていたこの集団は〈大災害〉以降、あっという間に殆ど本物の野盗集団と化してしまったのだ。


 PKなどは日常茶飯事で、場合によってはPKで得られるアイテムの半分だけでは飽きたらず、脅迫や粘着行為によって他のプレイヤーから多くの金品を巻き上げるに至っている。


 彼らの悪行はプレイヤーばかりか、ノンプレイヤーキャラクターにも及んだ。


 一般にノンプレイヤーキャラクターは様々な意味で、プレイヤーからのその種の行為を受ける理由がない。たとえば戦闘行為禁止区域を守るための衛兵は戦闘能力もレベルも高く、通常のプレイヤーから攻撃を受けても簡単に撃退してしまう。

 また、フィールドゾーンにいるノンプレイヤーキャラクター、旅商人や郊外の農民、冒険のヒントをくれる住民などは、戦闘能力も低く自衛能力を持たないが、逆にプレイヤーのような財産を持たない。

 また、中にはクエストのヒントをくれる存在も居るために、普通のプレイヤーであれば、ノンプレイヤーキャラクターを攻撃しようとは、なかなかに思わないはずだったのだ。


 しかし、彼らはそう言ったことを意に介さず、しかもノンプレイヤーキャラクターの財産の無ささえも無意味化するような行為――それ自体を商品化する、すなわち「奴隷商」を始めたのだ。


 〈エルダー・テイル〉においても、プレイヤーはノンプレイヤーキャラクターを雇用することが出来た。それには様々な用途があるが、一番一般的な用途は、住居の管理だ。住居を購入できる〈エルダー・テイル〉において、自分の住居を清掃管理する人材は一定の需要があった。

 またある種の特殊技能を持つノンプレイヤーキャラクターは戦闘にこそ連れてはいけないが、ギルド活動などにおいては有用な場合もある。こうしたノンプレイヤーキャラクターを雇用するというのは、けして珍しい話ではなかった。


 セララの持っているサブ職業〈家政婦〉がマイナーである理由のひとつは、ノンプレイヤーキャラクターによって代替えできる仕事だというものだ。

 たとえば〈メイド〉のノンプレイヤーキャラクターを雇えば、月に金貨800枚ほどで、小規模の屋敷までならいつでも綺麗に整えておいて貰えるのだ。〈家政婦〉をあげようとするプレイヤーが減るのも納得というものである。


 当然ながら〈エルダー・テイル〉はどこまで行っても良くできたオンラインRPGにすぎない。〈メイド〉や〈採取人〉、〈助手〉などの少数で例外的なノンプレイヤーキャラクターは特殊な能力でプレイヤーを助けてくれるが、それ以外のごく一般的なノンプレイヤーキャラクターの能力は限定的だ。

 姿形こそプレイヤーと同じモデルを使用しているが、コミュニケーション能力はちょっとしたAIでしかなく、設定されたキーワードの情報をくれるか、選択式の会話が出来る程度でしかない。つまり「襲うほどの価値はない」はずだった。


 しかし、〈大災害〉が様々な常識を打ち壊してしまった。

 ゲームは現実となり、日常は悪夢となったのだ。


 〈大災害〉以降、大きな変化を遂げた点は星の数こそあるが、ノンプレイヤーキャラクターの変化は目を瞠るほどだった。今や彼らは、この世界において血肉を備えた実在の存在だ。


 会話能力も行動能力もプレイヤーとほぼ遜色はない。

 もちろん設定されていない限り、戦闘能力や専門的な能力はプレイヤーに大きく劣るが、メニュー画面で確認しない限り、会話しているだけでは相手がプレイヤーなのかノンプレイヤーキャラクターなのか判らないこともしばしばだった。


 ノンプレイヤーキャラクターの数が爆発的に増えたという点もある。おそらくそれは、ゲーム時代、ノンプレイヤーキャラクターは睡眠も休息も必要としなかった事に起因するのだろう。今ではノンプレイヤーキャラクターも睡眠や休息、食事を必要とするようだ。そのために、交代要員としての人数が世界に追加されたような印象をセララは感じていた。


 ノンプレイヤーキャラクターが限りなく人間に近づいたこと。そして数が増えたこと。この二点が、〈ブリガンティア〉のような悪辣なギルドの目の前に熟れた餌のようにぶら下げられたとき、「娯楽としての人身売買」なるものがこの世に生まれてしまったのだ。


 もちろん、二千人しか人口の居ないこのススキノにおいて巨大な市場があるはずもない。それは経済活動の戯画化された醜い似姿であり、利潤を求めての行動ではなかった。


 ノンプレイヤーキャラクター狩り――質の悪いことにそれさえも暇つぶしなのだ。


 そしてあらゆる愚行と同じくそれはエスカレートして、ノンプレイヤーキャラクターに対する虐待や搾取は、現実の女性プレイヤーであるセララにも向けられた。


 そのことを思い出すと、セララは自分から血の気が引いていくのが判る。目の前に薄暗くなるヴェールが降りて行き、はっきりと体温が低下してゆくのだ。

 目の前の男性、にゃん太が助けてくれなかったら酷い目にあっていたと思う。


「まぁ、まぁ。セララさん。そう考え込まずに。そんにゃに思い詰めていたらあっという間に老け込んでしまいますにゃ」

 にゃん太はそういうと、セララの目の前で手のひらをひらひらと振る。

「そう言うときは深く考えずに、果物でも食べると良いのですにゃー。……はいどうぞ」

 小さく頷いたセララに林檎を渡してくれる。

 赤いその果実からは甘やかな香りが漂ってきて、セララはほっとする。


「今日もおうちは綺麗ですにゃ。セララさんはきっと良いお嫁さんになりますにゃ~」

「そんな事はないですっ。はい」


 ダイニングキッチンのテーブルから椅子をひき、そこに座ったにゃん太はのんびりとそんな感想を漏らす。その言葉に、セララは下がりきっていた体温が上昇するのを感じる。


 にゃん太本人は自分のことを「年寄り」だと云う。

 たしかに声の感じからして、セララより遙かに年上だろう。高校二年の自分より、二倍以上であってもおかしくないとセララは思っている。

 だからといって、本人が言うような「年配」という感じはまったくしない。一度そう本人に言ったら「それはゲーム世界のグラフィックのせいですにゃ」と返されたが、セララはまったくそう思わない。


(にゃん太さんは、きっと、あれだ……。美中年だ。スマートだし、格好良いし、大人だしっ。爽やかだしっ)


 にゃん太は頼りがいのある大人の男性という感じだ。まったく荒ぶったところがないのに、一緒にいれば守って貰えるという不思議な安心感がある。銀色の房が混じった黒髪も、高級な猫のようでとても素敵だし、細い身体も格好良い。


(にゃん太さんはとてもスマートだから、一緒にいるとあたしは太めに見えちゃうのよねぇ。そこだけが困る。……ちょっとぷよちゃんだからなぁ、あたし……)


 客観的に見れば、女性らしい体型と云うだけのセララだが、にゃん太を見るとそんないじけた気持ちにもなってしまうようだ。

 にゃん太の方はと云えば、身体のパーツのあちこちが、実際はそうでないにしろ、印象で云えば鉛筆で構成されたようなイメージである。


「お迎えのほうはどうですにゃ?」

 にゃん太は買ってきた荷物をダイニングテーブルの上で整理しながら尋ねてくる。セララの所属ギルド、〈三日月同盟〉から依頼を受けた三人の救助部隊が、アキバの街からこのススキノに向かってきているというのは、セララもにゃん太も知る、最近の共通の話題である。


 その速度はすばらしく、〈ブリガンディア〉の悪党達からセララをかばって逃げてくれたベテランプレイヤーであるにゃん太も感心していたほどだ。彼らと直接連絡は取れないが、〈三日月同盟〉のギルドマスター、マリエールから届く毎日数回の連絡で、セララはおおよその位置を掴んでいる。


「はい、もう少しです。明日の昼前には到着だろうって云ってました」

 セララは報告する。

 救出部隊が到着すれば自分はアキバの街に帰る。何時までもこんなススキノの街にいる訳にはいかない。


 しかしにゃん太はどうするのか? それを聞くことを、セララはまだ出来ないで居た。

 善意で助けてくれただけのにゃん太にどこまで望んで良いかセララには判らない。本当はとっくに返しきれないほどの恩を受けているような気もするのだが、それを言う度に「若人を助けるのが年長者の義務であり喜びなのですにゃ」と笑っていなされてしまう。


(そう言ってくれるのは嬉しいけど……。やっぱりそれって子供扱いなんだよねぇ……)


「ではもうちょっとの辛抱ですにゃ。こんな狭い家に閉じ込められて、セララさんもさぞや窮屈だと思いますが、もうちょっと頑張りましょう。大丈夫、ちゃぁんと助かりますから」


 にゃん太の微笑みにセララはまたしても問いかけるチャンスを失ってしまった。



 ◆



 そしてまた昼と夜が過ぎ。

 シロエ達は予定通りススキノの街へとは十数分というところで偵察用のキャンプを築いていた。


 ススキノの街は、フィールドゾーン〈エッゾの帝都〉に存在する、市街ゾーンだ。〈エッゾの帝都〉は旧世界の札幌に当たる地域なのだが、現在ではフィールドゾーンとして設定されている。

 多くのノンプレイヤーキャラクターが暮らす、農業地域を含む城塞都市としてのエリアだ。


 シロエは慎重を期して人目につかない倒壊した家屋を郊外に見つけると、そこに一旦落ち着いてススキノゾーンの出入り口をチェックする。


「今のところ、警戒すべきところはないな。主君」

「だけど、やっぱうろんな雰囲気だぜ。活気がねぇ」

 二人の言葉に頷いたシロエは、懐から取り出した紙に、簡単にススキノの構造を書き込んでゆく。


「ススキノの街は、メインストリートを中心にしてる。……こんな感じ。繁華街は東側を通っている。中心となる広場は、東側の、ここ。僕たちは……」矢印を書き込むシロエ。「――西側から侵入する」


「街の外で待ち合わせではまずいのか?」

「それは下策だな。ちみっこ」

「そうなのか? えろ直継」

 相変わらずちみっこ、エロと言い合う二人をいまばかりは窘めて、シロエが解説する。


「僕らの所属都市はアキバだ。最後に立ち寄った都市がアキバだから。……だから僕たちが全滅すると、死体は一定時間たったあとに、アキバの街へと運ばれてそこで復活する。

 でも、救出対象のセララさんはそうじゃない。死んだ場合はこのススキノに戻ってくることになる。

 つまり、僕らが無事に合流を果たしたとしても、もし万が一全滅してしまった場合、僕らはアキバ、セララさんはススキノとはぐれて最初からやり直しになってしまう。それは避けたい」


「そうか。うん」

 素直に頷くアカツキ。直継は判ったかという自慢そうな表情だ。


「続いて、フォーメーションの確認。まず、アカツキ……は最初から〈隠行術〉と〈無音移動〉を使用。気配をけしてついてきてくださ」

「敬語禁止」


「うー。判った。――直継と僕、そして気配をけしたアカツキは通常通りゲートから街に侵入。合流地点の廃ビルを目指す。アカツキはどこか付近の隠れられる場所を見つけて、ビル全体を監視。トラブルがあったら僕に念話で連絡して」

 黒髪の少女は、真剣な表情でこくりと頷く。


「直継はビルの入り口付近に陣取る。出来れば通りと内側の両方が見える場所がよい。その場所で外側と内側のトラブルに備えて待機。僕はそのままビル内側に入り、セララさんと合流。速やかに連れ出して直継の処まで戻る」

「おっけー。えーっと、なんだ。協力してくれる第三者ってのはどうするんだ?」

「まだはっきりとはしないんだ。個人的には、とりあえずその人もろとも一回ススキノからは脱出しちゃおうと思う。アキバまで一緒に行くかどうかはともかくとして」

 シロエは考え込みながら言葉を続ける。


「低くない可能性として、ススキノの治安悪化の原因だって云うギルドに、セララさんはフレンド登録されていると思うんだ」

 フレンド登録は、その機能名称とは裏腹に、目の前にいるプレイヤーであれば相手の許可を得ることなく登録が出来る。そして一旦登録すれば、相手がオンラインかどうか? そして同じゾーンにいるかどうかまでは判明する。


「もしそうだとすれば、いままで隠れていた借り部屋を抜け出した時点で、同じススキノの街にいることは知られる可能性がある。追っ手が掛かる可能性は低くない。そうなる前にススキノを離れた方が良いはずだ。ゾーンをふたつやみっつも離れれば、追跡はされない……と、思う」


 この辺りは旅の間中シロエが考えてきた作戦で、スムースに説明が出来た。かなり念入りなフォーメーションを組んだのも念のためであって、トラブルが実際に起きる可能性は高くない、とシロエは思っている。

 しかし、それはススキノの問題プレイヤー組織とやらがどの程度執念深いか、悪辣なのかによる。モンスター相手の狩りと違って全滅したら街へ戻ってまたやればよい、と云う訳にはいかないのだ。


(――最悪の事なんて幾らでも起こる。こんな考えが考えすぎだとか内向的だとか言われる原因なんだろうけれど)


 取り越し苦労ならそれで何の問題もないんだけどな。そう考えているシロエに、直継とアカツキは大きく頷く。


「早ければ一時間後にはススキノをさらばだな」

「主君の作戦を支持する」


 そのほかにも細かいコールサインや、非常時の待ち合わせなどを打ち合わせて、三人はススキノの街へと向かう。


 街のゲートは青い鋼で強化された城門のようなデザインだった。

 やたらと角張った鉄の留め金が八方につきだし、威圧的な外見を持っている。

 〈エッゾ帝国〉はヒューマンの征服帝アル=ラーディルが開いた若い国家で、日本サーバの管理区域内では武力に優れた好戦的な国家と設定されていた。そのため、街の至る所には武器が掲げられ、色とりどりの旗もどこか軍国調となっている。


(やっぱりアキバとは雰囲気が違うな。ゲーム時代に来たことはあるけれど、こうやってみると印象からして段違いだ……)


 ゲームの時には背景として気にならなかった、街の装飾や匂い、細かいディテールなどのひとつひとつがシロエには新鮮だった。それは直継も同じ事らしく、ウールで作られた厚手のマントを巻き付けたまま、興味深そうに辺りを見回している。


 市街地へと向かう長い通り。

 そこには多数のノンプレイヤーキャラクターが歩いていたが、その表情はどれも覇気が無く精気にも乏しい。見かけるプレイヤーの多くも元気が無く、思い詰めたような表情の者も多い。


「やっぱ雰囲気わりぃな。住みたくねぇや」

「うん」

 周辺に聞かれないように声を潜めた直継に、シロエも同じように答える。何か手を打って改善したい気持ちはあるのだが、いまはその具体的な手段も実力もない。


 シロエは気になって何度か背後を振り返ってみるが、アカツキの気配は全くない上にどこにいるかも判らない。多分ついてきてくれているはずだとは思うが、ここまで見事に気配がないと不安にもなる。


 そうこうしているうちに、「―ラオケBOX」という壊れた看板をへばりつけたひとつの廃ビルが見えた。マリエールとの打ち合わせで確認した目印のあるビルだ。シロエは手を小さく振ってハンドサインを送ると、直継とそのビルに入ってゆく。

 あちこちにひびの入ったコンクリートは鉄骨で補強され、アキバの同じようなビルよりも状態はよい。少なくともコンクリートの強度は残っているように見える。


 直継はビルのエントランスを入るとすぐさま右に折れ、守衛室を確認。中で小さな音が聞こえるのをどこかで意識しながら、シロエは奥へと進み、階段を上って2階へと辿り着いた。


 マリエールに念話を入れ取り次いでもらうと「すぐにそこに向かう」という返事をもらう。ここまでのところ予定通りで、シロエは少しだけ安心する。ススキノの街のゾーンに入ってから6分経過。順調だ。

 


「あ、あのっ」

 近づいてくる二組の足音に十分余裕を持って振り返ったシロエに、回復職特有の柔らかい曲線を持った皮鎧の少女が声をかける。後ろで束ねたポニーテール。可愛らしい頬のラインと清潔感のある容姿の女の子だった。


「〈三日月同盟〉のセララですっ。今回はありがとうございます」

「って、班長じゃないすかっ!!」

 ぴょこんと頭を下げた少女には申し訳ないけれど、シロエは思わず最大級の声で突っ込みを入れてしまう。


「おやおや。誰かと思えばシロエちではないですかにゃ。道理で神速果断の救出行だと思ったのですにゃー」


 セララの背後を守るように立っていた長身の影。

 それは〈放蕩者の茶会〉で「班長」、「猫のご隠居」と呼ばれていた猫耳の〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)、にゃん太だったのだ。



 ◆



 にゃん太は〈放蕩者の茶会〉でもある種独特の空気を持ったプレイヤーだった。いつでも穏やかで、淡々とした雰囲気を感じさせる、柔らかな人柄を持っていた。

 日向ぼっこをしている猫のような雰囲気とでも云えばよいのだろうか。とかくお祭り好きの多い、一歩間違えると暴走ぎみのプレイヤーが多い〈放蕩者の茶会〉では貴重な常識人だった。


 にゃん太は、本人曰く「年寄り」であり、その言葉に偽りなく大人の落ち着きを持っていた。ボイス・チャットが導入されていた〈エルダー・テイル〉において、声から年齢を推し量るのは決して不可能ではない。

 年寄りと言い張るにゃん太の年齢は、声からして50と云うことはないように思えた。いって40代。渋い30代。そのような推測が妥当だろう。


 もちろんネットワークゲームは若い文化だ。

 30代のプレイヤーは珍しくはないが、40代となるとぐっと減る。本人はその辺りを意識して「年寄り」と名乗っていたのかも知れないが、シロエ達周囲の認識は違った。


 この場合「大人」というのは実際の年齢とは関係ない。

 にゃん太はその性格と人生経験を感じさせる言動から、周囲に大人だと認められていたのだ。

 かといって、それは子供達が大人に持つ「自分たちの遊びを邪魔しに来る空気の読めない輩」に対する嫌悪すべき称号としての「大人」ではなく、もっと別の「振りかえるといつでも見守ってくれる相談者」としての大人であった。


 にゃん太は悩んでいる仲間や困っているメンバーの相談に乗るのを躊躇わなかった。かといって過剰に手を貸す訳でもなかったが、その穏やかな声を聞いていると、どうにもならないと思い悩んでいた問題でさえ、なんだかがんばれるような気がすると、若い仲間には尊敬を受けていたりもしたのだ。


 一部では、「班長」や「ご隠居」というあだ名をつけられていたのも、みんなの好意ゆえだった。


 〈放蕩者の茶会〉はギルドではなく、ただの集まりだった。


 そこにはギルド未所属者も多かったが、もちろん様々なギルドの所属者も居た。だが一般的に大規模で規律の取れたギルドは、加入者が部外者と深い交流を持つことを嫌う。

 それは別にゆえのない差別ではなく(もちろん差別である場合もあるのだが)、ギルド内部の人的資源の流出を恐れての事である。たとえば、ギルドの上級プレイヤーが、ギルド外の新人や他のギルドの若手を指導しているくらいならば、同じギルドの若手を指導して欲しいと思うのは当然だろう。本来ギルドは自分に足りない部分を補い合うための互助組織でもあるのだから。

 そういった観点から、〈放蕩者の茶会〉に参加するようなギルド加入者は、中小ギルドのメンバーが多かったのは必然だと云える。


 にゃん太はギルド〈猫まんま〉の所属者だった。

 とは云っても、シロエはにゃん太以外の〈猫まんま〉メンバーというものを見たことがない。中小というのも愚かな零細ギルドだった。


 そのことをシロエが尋ねたとき、にゃん太は「気に入った縁側だけど家は老朽化。そんな感じだにゃー」と笑っていた。


 そんなにゃん太だが、では〈放蕩者の茶会〉のご意見番というか、実力者であったかというと、そうでもない。むしろにゃん太は全体の方向性に自分が影響を与えるのを恐れていたようにシロエは思う。

 にゃん太もまた、物静かな態度と楽しみ方ではあったけれど、〈放蕩者の茶会〉に起きる沢山のお祭りが好きだったのではないだろうか? 彼の云うところの「若者」に混じって、それを楽しみたかったのではないか? ……シロエはそんな風に思っていた。


「あっ。えっと、すみません。セララさん。僕はシロエと云います。こっちのご隠居と知り合いです」


「そうそう、セララさん。この子はシロエちといって、とっても賢くて良い子だにゃぁ。見所のある若者なんだにゃぁ。彼が来てくれたならば今回の作戦は成功間違いなしなんだにゃー」

「とってつけたような猫語尾は健在ですね班長」

 シロエは意地悪な笑みを浮かべる。

 にゃん太のこの語尾をからかうのは、〈茶会〉時代からの彼の楽しみなのだ。


「何を言ってるのかにゃ? シロエち。これは我々猫人間の公式語尾だにゃ。にゃんとわんだふるな言語なんだろうにゃぁ」


 陽気に交わされるにゃん太とシロエの応酬に、セララは目を白黒させている。それでもなんとか気を取り直したように「二人はお知り合いなんですか?」と尋ねることに成功した。


「わりと知り合いだにゃぁ。昔はシロエちに蚤取りをお願いしてたにゃ」

「そんな事をした覚えはありません」

 蚤取りだったら私がしたいのに、とも言い出せないセララは二人の言葉に黙って頷くことしかできない。


「シロエちが来たということは……あとの二人は?」

「直継とアカツキという娘です。腕は良いです。〈暗殺者〉(アサシン)で90。連携訓練は約三週間で160単位」


「直継っちも来てるですかにゃ。それに新しい仲間ですかにゃ? ……良いことですにゃ。シロエちも、そういう時期ですにゃ」

 いつも微笑んだように眼を細めているにゃん太は、わずかにその笑みを深めてシロエを見る。


「にゃん太班長……〈猫まんま〉は?」

「風雪に耐えかねて母屋が倒壊したにゃ。我が輩も、このススキノの地を離れてアキバへと赴けという思し召しかも知れないにゃぁ」


「それは……。あ、まって」

 寂しさよりも透明さを漂わせるにゃん太の言葉。その意味を問い直そうとしたシロエの耳元で、鈴の音に似た柔らかい音がする。


『ビルに接近する集団有り。柄はかなり悪い。おそらく〈武闘家〉(モンク)を筆頭に武器職3、回復職2。パーティー編成をしているものと思われる。街路を広く半包囲しながら接近中、接触まで最短2分』

 簡潔で要点を得たアカツキの念話に、シロエの頭は先ほど描いたススキノの市街図を想起する。


「こっちに向かってくる集団を発見しました。〈武闘家〉を筆頭にした6人パーティー。心当たりは?」

「それはっ」

「おそらく〈ブリガンティア〉のリーダー、デミクァスだにゃ。90レベルの〈武闘家〉で仲間も同じようなレベルにゃ。……今回の事件の首謀者。つまり敵だにゃ」

 にゃん太ははっきりと「敵」という言葉を使った。

 ゲームでは他のプレイヤーに対して使ったことのない言葉を、躊躇いなく言い切ったにゃん太に、シロエの覚悟も決まる。


「このビルに裏口は? 必要があれば突破します」


2010/04/20:誤字訂正

2010/04/24:誤字訂正

2010/05/29:誤字訂正

2010/06/13:誤字訂正

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