010 異世界の始まり(下)
「こっちだにゃ」
「大丈夫ですか? セララさん?」
「もちろんですっ」
セララは先頭を走るにゃん太に必死について行く。自分の少し後方、しんがりには救助に来てくれたシロエという青年。
(にゃん太さんと知り合いなんだ。……ちょっと気むずかしそうだけど賢そうな人だなぁ)
シロエの鋭い目つきにセララはそう思う。
シロエ本人は三白眼ぎみの自分の瞳の印象を柔らかくしようと丸い眼鏡を頑なにかけ続けているのだが、直継に云わせるとその辺が「腹ぐろ」な印象を与えるらしい。
セララのこのときの感想も、残念ながら直継の正しさを証明する結果になっている
シロエの予想通り、自分は〈ブリガンティア〉に目をつけられていたのだろう。隠れ家からススキノの街へとゾーン移動してきた事をフレンド・リストから察知した〈ブリガンティア〉は、かねてから怪しいと思っていた簡易住宅の多い地区をしらみつぶしに探しているようだ。
セララはそう考える。だとすれば、見つかってしまうのは時間の問題だ。ススキノの街の構造は単純で、殆どの街路は直角に交差する碁盤の目状の構造を持っている。幾ら裏道に逃れても、相手の人数が多ければどこかで捕捉されてしまうだろう。
にゃん太とシロエはそれも把握した上で、突破を選んだ。
アキバの街へと戻るならばどこかで必要になる賭けである。
シロエはおそらく存在の露見していない直継とアカツキに念話機能で連絡を取っていたのだろう。そのまま急いで、しかし焦りもせずに西側の大通りへと向かって歩を進めていく。
果たして予想は正しく、ゲートにも〈ブリガンティア〉のメンバーはたむろしているようだった。
セララが見つからずにゲートを抜け出せる可能性は、これで殆ど無くなった。
「ススキノの街は戦闘行為禁止区域ですにゃ。あいつら何を考えているんだか……」
「1回は見過ごすつもりでしょう」
シロエは口では「1回見逃す」と云ったが、それはあくまで「1回」に過ぎない。おそらく本格的な攻勢は戦闘行為禁止区域を脱出した後。そう言う作戦を〈ブリガンティア〉は立てているし、シロエやにゃん太にだってそれは判っているはずだとセララは思う。
「そう言うことですかにゃー」
セララに気を使ったのか、にゃん太もシロエの言葉の足りない感想に特に問い返しはしなかった。
だがその穏やかさは普段のそれとはまったく別の何かのようだった。それが“何”かは判らないが、セララは我知らずぞくりとする。
「どうすればいいでしょう……。わたし」
セララは声を震えさせる。一度、デミクァスに手首を掴まれたことがある。そのグロテスクなまでの筋肉のついた腕と、気持ちの悪い笑い方を思い出しただけで、心が萎えていくのを感じる。
「……そうですね」
シロエは遠くを見るような瞳をした。その横顔から音もなく表情が抜け出て行く。その様子はシロエを一層怜悧に見せて、セララは少しだけ怖くなる。
「脱出させてくれるのですから、ここは脱出してしまいましょう。街から出られるなら好都合です」
「……え?」
シロエの言葉に、セララは目を丸くする。
一度街を出てしまえば、そこは戦闘行為禁止区域ではない。
捕捉されてしまえば、おそらく戦闘は避けられないだろう。〈ブリガンティア〉の人数から云えば、街から出入りする大通り全てに見張りを置く余裕はある。
そうなれば、にゃん太とシロエと自分は、容易く殺されてしまう。
それがセララの予想だった。にゃん太とシロエが如何に手練れであれ、シロエと一緒に来たという援軍が高レベルであれ、合わせて5人でしかない。しかも、30レベルにもなっていない自分を含めてだ。
PKを仕掛けられれば、とても抵抗できるような形にはならないとセララは思う。
それが当たり前だ。人数が違いすぎる。
「逃げ切るにしろ、隙を作る必要があります。
近距離から追跡を受ければススキノの街を出たあともどこまでも追われることになるでしょう。セララさんに協力者がついているのは向こうも把握しているはずです。そうでなければ食糧補給が出来るはずがないですから。そして、その協力者が少人数だというのも把握していると推測されます。
以上から〈ブリガンティア〉の作戦は戦闘禁止区域から多少離れたところでの包囲PK戦闘。優先目標は、協力者。その上でセララさんの意志をくじいて、云うことを聞かせる。
この路線でほぼ確定したと思われます」
シロエの言葉はどこまでも分析的で、セララにとって見れば他人事めいていた。
「わたし達、やられちゃうんですよ!? それをそんなにっ」
「まぁまぁ。セララさん。そう心を波立ててはいけないですにゃ。シロエちがそうだというなら、そうなのですにゃ。そしてシロエちがここにいるから、大丈夫なのですにゃ」
セララの緊張や恐怖とは無縁に、にゃん太はどこかのんびり言い放つ。シロエは〈ブリガンティア〉のメンバーや戦力に関する情報をにゃん太から聞き取っているが。セララから見れば状況はかなり追い詰められている。二人の余裕がセララには理解できなかった。
「班長」
「にゃんですかな?」
「そのリーダーは一対一なら」
「愚問ですにゃー」
シロエの質問に、にゃん太はこくりと頷く。そのにゃん太にセララはびっくりしてしまう。ベテランプレイヤーだとは聞いていたけれど、PKとの戦闘はモンスターの戦闘とは違う。〈エルダー・テイル〉がネットゲームであったときからそうだったのだ。
数少ない攻撃技を繰り返す「本能」に支配されたモンスターと違い、プレイヤーは何をしてくるか判らない。戦いの緊張感は数倍どころではなく、どんな腕利きでもミスをする――少なくとも、セララはヘンリエッタなどからそう聞いている。
そのPK戦にこんなにあっさり頷けるような腕を持ったプレイヤーを、セララは見たことがなかった。
「では作戦はそれで行きましょう。まずはゾーンから三人で出る。
〈ブリガンティア〉は街に逃げ込めないような多少距離があるところでPK戦を仕掛けてくる。敵ボスを倒したらその隙をついて脱出する」
(そんな冗談みたいなっ!)
セララは青ざめる。
それでは作戦ですらなく、殆ど行き当たりばったりではないか。ある意味自殺行為のように思える。それを咎めようと声を出そうとするが、上手く言葉にもなってくれない。
「ばっちりですにゃー。相変わらずですにゃ、シロエち」
しかも、信じられないことににゃん太がそんな相づちをうつのだ。びっくりして振りかえるセララに、にゃん太は細い眼を右目だけ見開いて応える。
「久々に食い散らかしますから、セララさんもよく見ているですにゃ~。大丈夫、セララさんには手出しをさせないですからにゃ」
セララはその様子を見て、にゃん太が自分のために戦ってくれるのならば、どんな恐怖にでも耐えようと誓うのだった。
◆
そしていま。
事態はシロエ達の予想通りに進んでいた。
〈ブリガンティア〉の下卑た視線に耐えながらくぐり抜けたゲート。セララ達三人が通り抜けるのを、まるで遠巻きにするように、10人近くの〈ブリガンティア〉達がぞろぞろとついてくる。
街から十分に離れたところで攻撃を仕掛けてくるつもりなのだろう。殺気などと無縁の生活をしてきたセララにさえ、その害意とも悪意ともつかぬようなうねりが感じられるのだろう、肩の震えがそれを表している。
(信用して欲しいって云うのも無茶だよね)
セララの懸念も先刻承知のシロエはそう思う。確かにセララの予想は、ある程度は正しい。〈ブリガンティア〉の戦力は大きいのだ。
こちらの勝利を信じられないのも無理はない。
一歩一歩歩く度に周囲の緊張感が高まる。
背後でススキノの街へと続くゲートは遠ざかって行き、〈ブリガンティア〉の輪はじわじわと狭まってくる。
「ここらで良いでしょう」
シロエは呟くと、大声を張り上げる。
「〈ブリガンティア〉のデミクァスさんってのはどなたですかっ~?」
その言葉に周囲のプレイヤー達がざわめく。まさかそこまで明白に挑戦をしてくるとは思わなかったのだ。
「やあやあ。シロエち。そんな大声を出してものを尋ねるのは失礼なのにゃー。我が輩が知っているにゃ、あそこにいる大男にゃ。――おーい、デミクァス~」
にゃん太の声に引かれるように出てきた逞しい男こそ、〈ブリガンティア〉のリーダー、デミクァスだった。
逞しい筋肉のついた身体をレザーを主体にした軽装の防具が覆っている。両手に装備しているのは、虎の爪を模した格闘武器。本来同じポリゴンモデルから作ったのだろうから、この男も十分にハンサムになるはずだったろうに、その卑しい表情が内面を表している。
「セララの周りを飛び回っていたのはお前達二人っていうわけか」
「我が輩だけなのにゃ。それから一人じゃなく、一匹なのにゃん」
にゃん太はあくまでマイペースで指摘する。
台詞の内容とは裏腹に、声だけは大人の落ち着いた、渋い美声なのだからやる気をそがれることおびただしい。
しかし続く言葉は辛辣だった。
「……若者の無軌道は世の常。その青春の熱を許容するのが大人の器量とは言え、そこには自ずと限界というものがあるのにゃ」
「何を言ってるんだ、半獣がっ」
「これから云うのにゃ。よーく聞くにゃ。――デミクァス。お前の所行はやり過ぎにゃ。どうせPKで襲いかかってくるつもりなんだろうから、手間を省いてやるにゃ。若造の高く伸びた鼻をへし折るのも大人の務め、胸を貸してやるから一対一で掛かってくるにゃ」
(班長にしてはずいぶん挑発的だ。相手のやったのは完全に犯罪レベルだ。無理もない、か)
シロエはそう思いながらも、脳裏のメニューで周囲の敵戦力を確認する。
「はっ! 何をいってやがる。何で俺達がお前達の流儀に付き合わなきゃならねぇんだ。こっちは十人からの仲間がいるんだぜ?」
「お話中済みません。デミクァスさん。あなたじゃなくてもこちらは構わないです。むしろ、その……灰色のローブの。それって『火蜥蜴の洞窟』の秘法級アイテムですよね? あなたの方が強そうです。〈武闘家〉じゃなくあなたと戦った方がどっちも納得できる。にゃん太班長、あの魔法使いとやり合おうよ」
「俺が“灰鋼の”ロンダーグだと知って云っているのかっ」
「それもそうだにゃ……。白黒つけてはっきりさせるにゃ」
打ち合わせとはまったく違う展開にセララが驚愕する中、シロエはデミクァスの脇に控えていた魔術師系の男にターゲットを変える。にゃん太までもがそれに合わせた発言をしたために、〈ブリガンティア〉のメンバーには戸惑ったざわめきが広がってゆくのだ。
あるものは魔術師ロンダーグを見、他のあるものはデミクァスを伺うといった具合に、微妙な温度差がシロエ達にもはっきりと見て取れた。
(やっぱり一枚岩じゃない訳だ。こんな急造ギルドじゃ仕方ないけれど。あのロンダーグとか言う男がNo.2でデミクァスの知恵袋ってヤツだな。
どれくらいギルドメンバーを掌握しているのか、見せてもらうことになりそうだよ。デミクァス)
シロエは気持ちが静まりかえって底の方でめらめらと揺れるのを感じる。
確かにシロエは他人と関わるのが苦手だ。騒がしい馬鹿につきまとわれるのは嫌いだと云って良い。だからといって、それが「出来ない」訳ではない。
平和主義だしプレイヤーと戦うなんてしたくはない。
でも「やれない」訳ではない。
むしろ逆だ。
この状況下になればシロエとて自覚する。
シロエの心の中には黒々とした夜の海のような感情が広がっている。それは苛立ちをベースにした破壊的な衝動だ。
戦闘を避けたい人間は避けるべきだ。平和を愛するならば他人を害するべきではない。
しかし、自分から他人を害したとなれば。
――それは「やられても仕方がない」連中なのだ。
「食い散らかす」。
にゃん太はそう言った。いつもの穏やかな日だまりの笑顔が崩れ、にやりと笑った口元には猫族の牙が見えた。
それと同じ牙をシロエでさえ心の中に秘めている。
剣にて人を傷つけるものは自らも剣にて失う覚悟をすべきだと、シロエの無意識は確信している。容赦は、無い。
「“灰鋼の”ロンダーグさんでしたか。二つ名持ちですね。そっちのデミクァスさんよりも、僕らもその方が納得できる。……こっちはこのにゃん太班長。〈盗剣士〉が相手です。勝負と行きましょう。
逃げるつもりはありませんから」
「さっさとやるにゃ。その装備ならお前も一流の術者にゃ? 戦闘で白黒つけるのが、お前達のやり方にゃんだろう? 我が輩のレイピアが怖くて一斉攻撃にこだわるデミクァスは放置するにゃ」
最後の一押しになったのは、にゃん太のデミクァスをけなす一言だった。その言葉に逆上したデミクァスは怒りと緊張と嘲りを含んだ表情でにゃん太の目の前まで進み出でる。
「良いだろう、俺がやろうじゃないか。お前みたいなふざけた野郎は、俺の拳で引導を渡してやっ――るっ!」
一対一を承諾するように見せながらも、デミクァスの力任せの拳がにゃん太に不意打ちで襲いかかる。にゃん太はその拳を鼻先に見つめながら回避するとそのまま数メートルも飛び退き、腰に差していた二本のレイピアを構える。
「わーお。すごいパンチだにゃ!」
「当たってないから大したことはないです。それより、援護を頼まなくて良いんですか?」
激しいパンチが二つ三つと繰り出される中、シロエは更に野次を飛ばす。デミクァスは一層怒りを強めたように「この猫親父をつぶしたら、お前もいたぶってやる!」と吠える。
「まぁまぁ。その前に我が輩が相手するにゃ。……ご婦人の前ゆえ、むごたらしいシーンは見せたくないにゃん。手加減して欲しかったら早めにいうにゃ?」
「ほざけっ!!」
身軽に飛び退るにゃん太との距離をまるで無視するような、デミクァスの一撃。
まるで砲丸投げのようなフォームから破壊力のある左のフックが2つ、3つと放たれる。その攻撃のあるものはレイピアでそらされるが、いくつかはにゃん太の身体に命中して鈍い音を立てる。
そもそもHPでいえばデミクァスはにゃん太より3割は多い。
そしてその攻撃は重く、半分以上は回避したとしても、必然的ににゃん太の防御網をかいくぐった突きや蹴りはHPを奪ってゆく。
「そらそらっ!」
喜色を浮かべて接近するデミクァス。
デミクァスの職業は〈武闘家〉。
戦士系3職のうちひとつで、その意味では〈守護戦士〉、〈武士〉と同系統の職だ。戦士系は前線で敵を引きつけることに特化し、防御力を重視する。
そこへ行くと、最大で皮鎧までしかできない軽装備の〈武闘家〉は戦士の中でも異色の職業だと云えるだろう。
主な特技の再使用規制時間が長い〈武士〉と比べ、〈武闘家〉は使い勝手の良い主要な特技の再使用規制時間が短い。具体的には〈ライトニング・ストレート〉や〈ワイヴァーン・キック〉などだ。こういった基本性能の高い技を中心に、手数を多く出すことで〈武闘家〉は間断のない波状攻撃を得意としている。
防御能力に関しても、確かに装甲という意味では3職の中でもっとも薄いが、身軽なために回避能力は最も高い。また〈守護騎士〉には盾を用いた防御的な特技があるように、〈武闘家〉には回避的な防御特技がいくつもある。分身を残して敵の攻撃を回避する〈ファントム・ステップ〉や炎や氷の攻撃から身を守る〈サンライズ・スタンス〉等がそれである。
〈武闘家〉の防御は装備ではなく、本人の身体能力や特技によって支えられているのだ。高級かつ希少な装備が無くとも一線級の戦闘能力を持てる〈武闘家〉は、戦士系の中でももっともバランスが取れているという評価も高い。
「どうだぁ? あん、防戦一方かっ!?」
デミクァスの攻撃をなんとかいなし、二歩距離をとるにゃん太。
しかしその数メートルの距離を、デミクァスは暗緑色のオーラを纏う飛び蹴りで一気に近接する。にゃん太はその蹴りも回避するが、デミクァスはそんな事は気にもしないで左右の連打につなげる。
デミクァスの蹴り技は〈ワイヴァーン・キック〉。
そもそも距離を詰める置き技のつもりで、彼はキックを発動させているのだ。〈ワイヴァーン・キック〉を牽制兼接近用の移動用技と割り切り、常ににゃん太に密着して左右の高速連打をたたき込んでくるために、にゃん太は自分の距離を保てない。
(わりと上手いな。……にゃん太班長が距離をとらせて貰えないよ)
シロエは密かに感心する。
先ほどはギルド内部の矛盾を伺わせる不安定な空気だった〈ブリガンティア〉のメンバーにも安堵が広がる。このままリーダーが完全勝利を収めると予想した野盗達の反応なのだろう。
しかし、大振りのフックをかわしたにゃん太は、無防備になったデミクァスの脇腹に至近距離で軽く膝を入れると、その羽根のような一撃を足場に空中で体勢を入れ替える。
「にゃんっ。にゃんっ!」
空気を切り裂くようなレイピアの一撃は、デミクァスの太ももの防具を切り裂き、アイスピックを打ち込んだような傷口を残す。
にゃん太は手元で新しい防御の構えを作ると、デミクァスを冷徹に観察し、剣先をまるで燕のように空中で遊ばせる。
にゃん太の職業は〈盗剣士〉。
近接攻撃系のひとつで、二刀流を用いる数少ない職だ。その本分は両手の武器を活かした目にも止まらぬ連撃と回転を生かした広範囲攻撃。物理的攻撃力を重視する武器攻撃職において、一撃の威力は〈暗殺者〉に大きく劣るが、攻撃の手数で総合的なダメージを稼ぎ出すスピードファイターと云える。
〈盗剣士〉は武器の選択や、使用する特技の何を重点的に鍛えるかによって、同じ〈盗剣士〉であっても広いバリエーションを見せる職業だが、にゃん太のスタイルは「ツイン・レイピア」。
両手にナイフを持つ「ツイン・ダガー」に続く攻撃速度を誇る、まさにスピードキングと云えた。
さらに〈盗剣士〉を特徴付けるのは、様々な付帯効果付きの剣戟だ。「攻撃速度低下」、「回避性能低下」、「防御性能低下」など、余りにも正確な〈盗剣士〉の攻撃は、対象の長所を奪い、短所をより致命的な弱点として暴き出す。
「毛むくじゃらの太ももが見えてしまってるにゃ。お毛々がぼーぼーにゃん」
からかうようなにゃん太の言葉にデミクァスの顔が赤黒く染まる。しかしにゃん太はその隙を逃がさない。武器で攻撃しているとは思えない、まるでタイプライターのような余りにも軽い響きを持って、にゃん太のレイピアは正確にデミクァスの四肢を穿ってゆく。
腕に残る4つの傷口は〈ヴァイパー・ストラッシュ〉。腕の健を傷つけることによって数十秒、敵の攻撃の命中率を下げる攻撃。
太ももに残る3つの傷口は〈ブラッディ・ピアッシング〉。脚を切りつけて敏捷な動きを奪い相手の回避性能を低下させる攻撃。
外科医さながらの観察力と計画を断固遂行する意志で、相手の戦闘能力をはぎ取りに掛かるにゃん太。そこには「ご隠居」などと呼ばれている穏やかな相談役の面影はない。
「くぁっ! 貴様、ひらひらとっ。正々堂々と打ち合えっ!」
「お前に正々堂々なんて云われると、言葉の方が汚れてしまいそうですにゃ」
HPでいえばデミクァスの方が優勢だ。にゃん太のそれは、もはや全体の30%程しか残っていない。デミクァスは戦士職だけあってにゃん太の二倍以上HPを未だ保持している。
しかし、いま、戦いのイニシアチブを握っているのは誰から見ても、細く痩せた一人の〈盗剣士〉だった。
正確なレイピアの動きは、突き刺し、弾き、あるいは眩まし。
空中に銀と火花のレース模様を描き、指先よりも細い鋼鉄の一筋が、デミクァスを阻む鉄壁の防御となりおおせている。
デミクァスには戦闘開始時の速度も攻撃能力ももはやない。
何より刻一刻と続く四肢からの出血が、デミクァスのHPとMPを、血液と一緒に失わせていっているのだった。
先ほどまでは静まっていた〈ブリガンティア〉達もにわかにざわめき始める。そこには自分たちのリーダーが負けるのではないかという恐怖と不安、そして隠しようがない好奇心と期待の表情があった。
おそらくデミクァスは組織の中でもずいぶん専横的に振る舞ってきたのだろう。そのデミクァスが衆人環視の中で負けることに対する野次馬的なたちの良くない喜びの感情が、〈ブリガンティア〉の中にもあるのだ。
シロエはそれを感じて、セララに合図を送る。
セララは祈るような表情で、自分の手のひらに爪が食い込むのも気が付かないほどの必死さでにゃん太の奮戦を見ていたが、肩先に触れたシロエの指にはっと意識を引き戻す。
その耳に聞こえた聞き取れるかどうかの幽かな声は「合図をしたら全体に脈動回復呪文を」というものだった。
もちろん勝利したにゃん太を回復するのは回復職の端くれとして当たり前だが、合図をしたら、とはなぜなのか? そしてなぜにゃん太にではなく、全体になのか? そう自問するセララの瞳が大きく開かれる。
「くそっ! しゃらくさい。こんな決闘ごっこなんてやってられるかっ!! ヒーラーっ! 俺の手足を回復しやがれっ、〈暗殺者〉部隊っ! この猫野郎をぶち殺せッ!!」
目前の剣士の技の冴えに耐えきれなくなったデミクァスが、〈ブリガンティア〉達に一斉攻撃の号令をかけたのだ。
◆
その怒声は戦場に一瞬の間隙を生じさせた。
ノンプレイヤーキャラクターに対する奴隷商売や恐喝、PK。そして更に悪辣なことをやってきた〈ブリガンティア〉達だが、だからこそその命令には一瞬の躊躇が生まれる。
そもそも〈ブリガンティア〉達は無法者の集団なのだ。
しかし、無法者と云うが、真実の無法では、集団は形作れない。完全な無秩序は、コミュニティの存続そのものを無効化してしまうからだ。無法者には無法なりの秩序があり、その秩序とは、極論すれば力。暴力である。
〈ブリガンティア〉という無法者の集団は、力によって統治されていたのだ。そのリーダーであるデミクァスが、一対一の決闘において、自慢の攻撃力を封じ込まれ、回避力を削られて、普段バカにしている「女子供の武器」の代表格であるレイピアなどに、良いように切り刻まれている。
そして切り刻まれている現実に対して、どこからどう見ても救援要請であるような怒鳴り声で、包囲殲滅を命令してきている。
“本当にこのリーダーの命令に従っても良いのか? こんなリーダーに従っていたら、自分たちもいずれは負け組になってしまうのではないか?”――そんな思いがさしもの〈ブリガンティア〉達、無法者でさえも躊躇させたのだ。
(これで躊躇って。不安になって。疑心暗鬼で固まってくれれば。僕らにとってはその方がラッキーだ)
しかしその躊躇は一瞬だった。
確かにリーダーの姿は無様だが、暴力的無法者集団にも看板というものがある。いや、いっそ無法者集団であるからこそ看板が大事なのだ。〈ブリガンティア〉がススキノの街で、他のプレイヤーから搾取をしながらも好き勝手出来ているのは、〈ブリガンティア〉が刃向かうものなき無法者集団であるという評判の効果が大きい。
どのような手段を使ってでも恐怖を維持しないと、自分たちが狩られる側に廻ってしまう。
普段狩っている側だからこそ感じる恐怖が、リーダーであるデミクァスを助けると云うよりも、この場の目撃者である三人の口を塞ぐという方向に意志決定するまでに掛かった時間は3秒ほど。
その決定さえ下されれば、無法者達は、口々に雄叫びを上げて、雪崩のようににゃん太を飲み込みにかかる。
しかし、その3秒をシロエ達は誰一人として無駄には使わなかった。
怒声を放ち駆け寄る8人の〈ブリガンティア〉の前に一陣の疾風となって直継が現われる。視界外から突然の参戦に、〈ブリガンティア〉達は勢いを殺すどころか更なる悪意を持って殺到する。
「〈アンカー・ハウル〉っ!!」
直継の叫び。それは範囲内の敵対存在全てを自分に引きつける、前線の城塞〈守護戦士〉の特技。8人の〈ブリガンティア〉は射すくめられたように直継の前で脚止めをされる。
「にゃん太さんっ!! あれじゃぁっ!!」
「回復開始っ」
「は、はいっ! 〈ハートビート・ヒーリング〉ッ!!」
セララはシロエの叱咤に自らの持つ最大級の回復呪文詠唱を開始する。
「脈動回復」は〈森呪遣い〉が持つ特殊な固有回復特技。
〈神祇官〉のもつ「ダメージ遮断」や、〈施療神官〉のもつ「反応起動回復」に対応する、〈森呪遣い〉に与えられた特殊回復呪文だ。
脈動回復系呪文とは、簡単に言えば持続型のHP回復を行なう呪文をさす。設置型の呪文でもあり、この回復が仕掛けられた仲間達は、10秒から30秒の間、1秒ごとに一定量のHP回復呪文を受ける。一回ずつの回復量は通常の回復呪文に及ばないが、総量では遙かに凌駕し、MP効率も良い優秀な呪文だ。
更に云えば、高効率の回復呪文である以上に、この「脈動回復」には大きな利点がひとつ存在する。それは一度設置してしまえば、術者の手が空くと云うことだ。その空いた時間を利用して術者は、攻撃、もしくは防御といったそのほかの行動をとる余裕が生まれる。
しかし――。
「ダメですっ。耐えきれませんっ。私じゃレベルがっ」
セララは悲痛な声を立てる。
〈エルダー・テイル〉において回復術者の能力は大きい。
訓練された回復術者と前衛戦士の組み合わせは、同レベルの敵対的攻撃者4人から受けるダメージを支えきることが出来る。
しかしセララのレベルは現在19。90レベルの直継の防御力は群を抜いているが、同じく相当に高レベルの物理攻撃職であろう〈ブリガンティア〉8人の攻撃を支えきることなど、初めから不可能事だった。
「うちの戦士は無視して、いまはにゃん太回復。落ち着いて、味方のHPを監視っ。出来ない事を見ないで、出来ることを見つめてっ」
パニックになりかけるセララにシロエは冷静な声をかける。
予想外に強い言葉に、セララは背筋を叩かれたように力が戻るのを感じる。回復職のやれることは、回復。
わめき立てて救える命を救わなかったら、マリエールにどれだけどやされるか判らない。
そのころ、直継から離れたもうひとつの前線では、にゃん太とデミクァスの戦いが佳境を迎えていた。後衛からの回復呪文をもらったのだろう。デミクァスの腕の傷は癒え、攻撃力を取り戻している。
脚の傷は残っているものの、もはや回避は捨てて掛かっているのだろう。デミクァスの表情は大きな余裕を取り戻していた。
そもそもデミクァスは戦士職のひとつ〈武闘家〉だ。武器攻撃職のひとつ〈盗剣士〉とは、同じ直接戦闘職であても、基礎となる体力が違う。後衛からの援護を受けられる状況なら、泥沼の殴り合いになったとしても体力で押し切ることが可能。それがデミクァスの思惑だった。
小娘の〈森呪遣い〉が後方から目前の剣士を回復しているらしいが、その総量は自らの与えるダメージを超えることはない。
そう確信してデミクァスは猛る。
「そらっ! そらそらっ! その玩具のような剣は何だってんだっ。お前みたいな軟弱野郎に仲間を守ることなど出来るものかっ!!」
「失敬な。突剣は紳士の武器ですにゃー」
「そのこざかしい軽口も聞けなくしてやるわっ! ほら、お前の仲間の戦士はもう沈むぞっ!」
「それはどうですかにゃー?」
剣と拳、銀光と打突音を互いに交換しながらも、にゃん太とデミクァスの戦闘は一層に激しさを増して行く。
激しい土煙を巻立てて、確かに直継は追い込まれていた。
8人からの連続波状攻撃を受けて、そのHPは残り2400。実に8割を失っている。しかし直継はその状況下でもなお冷静に、半身に構えた構えを崩さずに〈ブリガンティア〉達の攻撃を捌き、その隊列を誘導する。
パニックになりかねない状況でも冷静さを失わない。それは優秀な前衛として不可欠の能力だったが、直継の異様なまでの滑らかな動きは、経験の足りないセララには凄まじい気迫を伴って目に映った。
「呪文準備」
シロエの囁き。馬が走るようにうるさい自分の心臓の鼓動を、耳の中で聞きながら、セララハうわずった声で「はひぃっ」と返答する。
「そろそろ行くぜっ。シロエっ! 〈キャッスル・オブ・ストーン〉っ!!」
直継は叫ぶと共に、盾を引き寄せて不動の構えをとる。直継の盾も、鎧も、そして剣さえも悠久の歴史を感じさせるような大理石の光沢を帯びて魔力と気をまき散らす。
「なっ。なんだっていうんだっ」「知るもんか、あと一息だ。仕留めろっ!!」「喰らえっ! 〈アサシネイト〉っ!!」
8人の〈ブリガンティア〉の中に〈暗殺者〉が混じっていたのだろう。巨大なダメージを生み出す必殺の技を直継に向ける。その剣は空気を灼くような擦過音を立てて直継の鎧に吸い込まれ、致命傷を与えるはずだった。
しかし、〈暗殺者〉の放つ必殺攻撃は、硬質な響きと共に直継の盾に跳ね返される。
〈キャッスル・オブ・ストーン〉。
〈守護戦士〉に許された強力な防御技のひとつ。10秒という短い時間ながら、全ての攻撃からダメージを受け付けなくなる緊急防御特技だ。大理石の城塞と化した直継は、不破の盾となって前線を支える。
「云ったですにゃ? 直継っちはそうそう落ちないですにゃ~」
「いまだ、セララっ。直継に多重回復っ!!」
セララは弾かれたように我知らず一歩を踏み出すと両手を天にさしのべる。
詠唱するのは、対個人用「脈動回復呪文」。すでに詠唱されているパーティー全体用「脈動回復呪文」に、更にもうひとつの「脈動回復呪文」を重ねるのだ。
それでもセララは止まらない。
2つの設置型呪文を重ねたあとに、更に即時回復呪文の詠唱を始める。19レベルという限られた自分の実力の幅を限界まで使って「知っている限りの回復呪文」を、前線に送り続ける。
回復職である自分に出来ることはたったひとつ。
自分を守ってくれる前線を、自分の回復呪文で守ること。
セララの耳にはギルドマスターである〈施療神官〉の懐かしい声が響いている。
「脈動回復呪文」の真のメリット。
それは、設置型ゆえに空いた残りの時間を使い、更なる回復呪文を多重詠唱できることにある。回復だけに全てを賭けた〈森呪遣い〉のポテンシャルは想像を超えて高い。瞬間的な回復力であれば、他の2職を凌駕する。
そしてそれは例えレベルが19であっても侮ることは出来ない実力を示す。残り2割を切っていた直継のHPは、セララの矢継ぎ早な回復呪文を受けながらみるみると治癒してゆく。
「無駄な時間稼ぎをっ!」
一方にゃん太に迫るデミクァスはより一層の憤怒を募らせる。
たしかに〈キャッスル・オブ・ストーン〉は強力な防御特技だ。同じ戦士職として〈武闘家〉であるデミクァスが羨望を覚えるほどに。しかし、どんな強力な技にも弱点は存在する。
〈キャッスル・オブ・ストーン〉で云えばそれは再使用規制時間の長さにある。あの不破の奥義は10分に一度ほどしか使えないのだ。
10分の時間があれば、目の前の猫たちを10回殺して尚釣りが来るだろう。それにそもそも〈キャッスル・オブ・ストーン〉を使用したということは、とりもなおさず、あの戦士が自分たちの攻撃に耐え切れていないと云うことを示して居るではないか。
十分間、つまり600秒のうち10秒だけ物理ダメージを遮断する技。そう言い換えれば、〈キャッスル・オブ・ストーン〉が無敵の奥義などではなく、むしろ窮余の一策であることは明白だ。
〈キャッスル・オブ・ストーン〉の効果時間が切れたときが、こいつらの最後なのだ。デミクァスの脳裏では、もはやそれは確定した未来として映じていた。
デミクァスの熾烈な攻撃に、にゃん太もみるみる追い込まれていく。セララはパーティーのステータスを確認しながらも、自分の実力の低さに悔悟の念が押えきれない。
前線で8人の〈ブリガンティア〉を相手取っているあの〈守護戦士〉も、そしていままでずっと自分を優しくかばってくれたにゃん太も、傷ついている。
自分の全力の回復でも二人を救うことは出来ないし、その回復呪文をささえるMPさえも、実力限界に迫る連続詠唱でみるみる減少してゆく。
「そろそろいいですかにゃ、シロエっち」
「いつでもやっちゃって、にゃん太班長」
しかし、そんなセララの悲嘆を遙か高く、青空のような陽気さでシロエとにゃん太は言葉を交わす。
風に揺れる柳のように滑らかな動きでデミクァスの懐に入り込むにゃん太。一瞬驚愕するデミクァスだが、目の前の細身の男をはね飛ばすかのように膝を蹴り上げる。
しかし次の瞬間、にゃん太はその蹴り上げられた膝を足場にするように空中へと躍り上がる。
きらめく銀光。
にゃん太の左右の手に握られた2つのレイピアは風を裂き、紫電の早さで踊る。三つ、四つ、五つ――セララに追えたのはそこまでで、無数に分裂したかのようなにゃん太の剣は、いつの間にかびっしりとデミクァスの身体に設置された瑠璃色の茨を正確に突き破る。
全12職中最速の攻撃を誇る〈盗剣士〉の二刀流多段攻撃はシロエの攻撃能力強化により切れ味を付与され、さらには設置されたトラップ呪文〈ソーンバイド・ホステージ〉を起動させてゆく。
にゃん太の斬撃。
シロエの〈ソーンバイド・ホステージ〉。
そのふたつが1セットになった攻撃が、2秒弱のうちに10回も繰り返される。にゃん太が斬撃を放つたびに、起動した呪文は電球が破裂するような閃光と衝撃波が当たりにまき散らしてゆくのだ。
弾倉という極度に狭い空間で起きた爆発が、圧縮されながらその破壊力を高めるように、棒立ちになったデミクァスはまるで透明人間に四方八方から突き飛ばされたようによろめき、一言を発する間もなく絶命した。
「なっ!」「ギルマスがっ」
動揺が広がるのは早かった。
回復役がしっかりついていたはずの90レベル戦士が一瞬で事切れたのだ。その光景は、〈エルダー・テイル〉のプレイ経験があるものであればあるほど、疑心暗鬼と絶望を駆り立てる。
「にゃん太さん……」
セララの呆然たる呟きもそれを示している。目の前で起きた一瞬の攻防に理解が追いつかないのだ。
――目前の男達はいったい何者なのか?
――デミクァスを葬り去った攻撃力はどこから得たのか
――まさか彼らのレベルは90を越えているのではないか?
――そしてその正体は他の地区からの粛正部隊ではないのか?
シロエが予測していた、そして突こうと思っていたのはこの隙だった。信じられないものを見てしまった〈ブリガンティア〉の硬直に直継が大音声を放つ。
「剣を引けっ、お前達っ!」
直継の一喝。その声にお互いの表情を伺い合う〈ブリガンティア〉のメンバーは、自分たちの後方から響く悲鳴に今度こそ蒼白になる。
そこにあったのは、倒れた仲間のヒーラーと、ギルドのNo.2、灰色のローブを着たロンダーグが片腕を切り落とされてうずくまる姿だった。
空白の3秒間をもっとも効率よく使った黒髪の少女は、花のように可憐な姿を、冷酷な殺人兵器の気配で包み、ロンダーグの首筋に小太刀を押し当てる。
「いつの間に……。そんな……」
その凶暴なまでの戦闘能力でギルドをまとめていたリーダーのデミクァス。そしてデミクァスとはそりが合わないながらも、その知謀で〈ブリガンティア〉を支えていたロンダーグ。
二人の指導者を失った野盗達は、まだ戦力の殆どが温存されたままだったにもかかわらず、もはや抵抗する精神力をへし折られていた。
「僕たちは『パルムの深き場所』を越えてやって来ました」
シロエは進み出でて、大地に這うロンダーグに語りかける。
「アキバの街とここは、もはや往来できないほどの距離ではありません。僕らがその方法も地図も手に入れ、報告しましたから。――こんな騒ぎは、もうお終いです」
現実はそこまで楽観視できるものではない。
シロエ達はグリフォンの助けを経てここまでやってこれたが、全てのプレイヤーがその速度で旅を出来るかと云えば不可能だ。
いまだに〈エッゾ帝国〉まで来るのは長い旅を必要とする難事業だと云うのが事実である。
しかしシロエは敗北感を植え付けるためにあえて断定的な口調でたたみかける。ロンダーグの首筋に小太刀を突きつけたアカツキは、シロエの言葉を冷たい刃の感触で強調する。
「この場は僕らの勝利です」
シロエは素早く懐から抜いたダガーで、ロンダーグの首を切り裂く。 この異世界にやってきて何度も行なった、動物の相手の解体作業。
感触としてはまったくそれと同じなのに、相手も同じ人間だと考えると、刃に当たる筋肉や気道の抵抗感がひどく気持ち悪い感触に思われた。
(……PKしちゃったな。僕も)
しかし、それは彼らが支払うべき代償であり、異世界に生きる自分たちの業だとシロエは思い定める。
(それに……。アカツキや直継、にゃん太班長に手を汚させて、僕がキレイなままで居る訳がない。居られるはずもない)
シロエの見せた冷然たる態度と射殺すような凝視に〈ブリガンティア〉のメンバーはじりじりと下がる。
凍り付いた沈黙を切り裂いたのは、〈鷲獅子〉の鋭い鳴き声だった。西の空から現われた三騎のグリフォンは矢じりのような編隊を持って些か乱暴にシロエ達に向かって舞い降りてくる。
「セララさん。来るですにゃっ!」
いつの間にかレイピアを納めて手を差し出したにゃん太はセララを引き寄せると、一瞬迷ったあとに横抱きのように彼女を抱えてグリフォンに飛び乗る。
それを生真面目な表情で眺めていたアカツキに、自分のグリフォンへとまたがったシロエは手をさしだした。
「アカツキ、行こうッ!」
「行くぜ! 出発進行、脱出祭りだぜぇっ!」
まるで騎兵隊の突撃宣言のような台詞を叫びながら飛び上がる直継のグリフォン。それに続いてにゃん太の砂色のグリフォンが大地を蹴る。シロエは最後まで残り、〈ブリガンティア〉に視線を注いでいたが、諦めたかのようにため息をつくと、背後のアカツキに声をかける。
「行こう」
小さく頷くアカツキを背中に感じて、グリフォンにブーツのかかとで合図を送る。
こうして三頭の巨大な飛行生物は、呆然とした〈ブリガンティア〉が見守る中、雄大でどう猛な羽ばたきを残して、南西へと飛び立っていった。
2010/04/20:誤字訂正、タイトル変更(第一期分割)
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/13:誤字訂正