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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
カナミ;ゴー・イースト
83/134

083

◆30



 一方、エリアス達の戦いから百メートルほどの所では、レオナルドと金髪の少女ラスフィアが対峙していた。

 上空から緑のリボンに見えた森林は、渓流の水を求めて生い茂っているようだった。この荒れ果てたアオルソイの大地では、流域の潤った土地だけが、森と呼べるほどの木立を維持できるのだろう。

 その森の枝の上で向かい合ったふたりは、いまや互いに互いを何度も攻撃し合いながら、木立を駆け巡っていた。


 レオナルドは〈暗殺者〉(アサシン)である。

 武器攻撃職と言われる〈暗殺者〉、〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)〈吟遊詩人〉(バード)は物理的なダメージを与えることに特化している。前衛で戦うことも多い彼らは高いダメージを与える筋力はもちろんだが、敵の攻撃を回避したり、攻撃に有利な位置を占めるために、敏捷性も高いレベルで身につけているのだ。

 ましてやレオナルドは九〇レベルの〈冒険者〉だ。その身体性能は高く、ノーマルランクのモンスターにおめおめと引けを取るようなことはない。例えその相手が、八九レベルという、ほぼ同格の相手であったとしてもだ。

 しかしレオナルドは有効打を入れることには成功していなかった。

 速度では勝るはずのレオナルドがここまで手こずっているのは、ラスフィアの奇怪な体術のせいだった。

 ラスフィアの動きは、人間のそれではなかったのだ。

 抜き手を木の幹に突き立て、あるいは逆さまにぶら下がり、奇怪な動作でレオナルドを翻弄し続けている。

 それは体術ではないのかもしれない。

 二本の脚で移動をするという原則を少しも気に掛けない運動思想。唐突で気味の悪い動きは、まさにある種の昆虫のようだった。ラスフィアは、鋭い爪と爪先を用いて、逆立ちの態勢のまま、かさかさと木の幹を登る。

「愉快ですわ、愉悦ですわ」

 鈴の鳴るような声で笑うラスフィア。

 あらぬ方向に関節を折り曲げ、虫のような動きを見せるラスフィアは、人形のような美貌を持った美少女であるだけに、悪夢のような印象をレオナルドに与えた。

 そしてそのグロテスクな印象を決定づけている要因がもうひとつあった。

「黙れっ!!」

「ギヒッ!」

 レオナルドの一閃が、ラスフィアの腕を切り落とす。

「嗚呼っ! 鋼が。食い込みますわ切り裂きますわ。これが痛み、あるいは疼き。夕暮れよりも朱く、彼岸花より赤く、毒苺よりも紅く――嗚呼、ああっ!!」

 歌うような嬌声の直後、ラスフィアは切り落としたはずの腕でレオナルドに反撃する。その爪は鋼で作られた短剣のように伸び、冷気を伴ってレオナルドの皮鎧を切り裂いた。

(ちっ!! またか)

 レオナルドは、続く連続攻撃を身を捻って躱すと、距離を取る。

 その繰り返しが、ラスフィアの印象を一層陰惨なものとしている。

 切り落としたはずのラスフィアの腕。それが視線をやればまた繋がっているのだ。

 脚であっても胴体であってもそれは同じだ。奇怪な不死性を眼前の少女は有しているらしかった。ラスフィアはそれが判っているのか、典雅な笑い声を漏らしながら冷気をまとった四肢を振るう。

 ノーマルランクのモンスターとは、「同レベルの〈冒険者〉が一対一で戦うに相応しい戦闘能力を持つ」と定義されたモンスターである。しかし、そのバランス調整における〈冒険者〉とは、「そのレベルを有し、レベル相応の店売り武器防具などを装備し、いまだ習熟ポイントなどによる特技強化がされていない者」を指していた。

 それは言ってみれば「レベルにおいて最低限の実力を持った〈冒険者〉」という意味である。

 レオナルドは上位ランカークラスの〈冒険者〉ではなかったが、それでもベテランとして十分以上の経験を積んでいる。装備は、大規模戦闘産出のものを中心に最低でも製作級のものでまとめているし、その特技は習熟ポイントによって、最大限まで強化されている。

 そのレオナルドが、たかがノーマルランクモンスターに手こずることなど、あり得ないのだ。もちろん瞬間的に決着がつくというわけではないだろうが、戦いが数分以上長引くなどありえない。

 レオナルドとラスフィアのレベルは拮抗している。そしてラスフィアのランクはノーマルだ。しかしだからこそ、〈冒険者〉であり装備を整えたレオナルドは、わずかに、だが決定的に彼女の戦力を凌駕しているはずだなのだ。

(タネは、それか――っ)

 視界をちらちらと明滅するステータス表記。〈ラスフィア〉という名称は〈灰斑犬鬼〉のそれと、交互に切り替わっている。その明滅には規則性が無く、幻惑するようなリズムを刻んでいるのだ。

 どのような仕組みかは判らないが、このラスフィアというNPCは明滅を自らの意志でコントロールしているらしい。

 数度の激突でレオナルドは察した。

 この女は『ダメージを受ける名前』を制御しているのだ。

 コッペリアの言葉を借りるのならばそれは魂ということになるだろうか? 〈二重なる者〉(パラレル・ワン)とコッペリアは言っていたが、ラスフィアの挙動を見れば、二重だなどという生やさしさで済まないことは明らかだ。この女は、最低でも数十の『魂』を持っているとレオナルドは直感する。

 レオナルドのカタナが当たる直前に、『名前』を反転させたラスフィアは、使い捨ての『名前』によってダメージを肩代わりして『廃棄』しているのだ。

(……普通じゃないっ)

 二度、三度。

 ラスフィアのたおやかな手が猛禽類の鋭さをもって突き出される。確かにその速度には瞠目すべきものがあり切れもある。しかしラスフィアの身体そのものは、十代前半の少女と変わらない。リーチの差というアドバンテージを活かして、レオナルドは回避をする。

 そのレオナルドの頬が裂ける。

 ラスフィアは可憐な美貌を傾けて微笑んだ。

 突き伸ばした指先から先は、幻のように霞み、毛むくじゃらの手へと変化している。そこに握られているのは、無骨な作りの円月刀だ。

 〈灰斑犬鬼〉の腕と握った武器は、現れたときと同様ちらつきながらも唐突に消え去る。

 レオナルドの驚愕に畳みかけるようにラスフィアは接近した。

 ゴシックなドレスが、宙に咲く薔薇の花のようにほころぶ。たっぷりとしたドレープから覗くレースのペチコート。そこからレオナルドにするすると伸びてくるのは、灰色の斑を持ったジャッカルの後ろ足だ。

 レオナルドが間一髪避けなければ、目玉をえぐり出すように振られた爪先だった。それは、見つめる目前でシルクリボンをあしらった小さなパンプスへと変化する。

「どうしたのです? 諦めたのです? 萎れたのです? 日の光浴びぬ花のように、故郷を失った渡り鳥のように?」

 レオナルドは、ラスフィアの嘲笑に決意を固める。

 まだ完全に会得したとは言いがたいが、躊躇っている場合ではないと決意したのだ。

(守ってれば、じり貧だっ)

 距離を詰める。もうふたりの間には身をもたせかければ触れあえるようなそれしか残されてはいない。その空間を嫌うように、レオナルドは左手を突き出す。その意図は攻撃ではなく起動のためのトリガーだ。

 構え(スタンス)から、一閃放たれる攻撃は〈デッドリー・ダンス〉。〈暗殺者〉(アサシン)の特殊攻撃特技。連続で使えば、その威力は徐々に上昇してゆくが、途中でミスをすると逆に攻撃力が低下するという一風変わった技である。

 レオナルドは、その技を脳裏のアイコンからではなく、あえて動作入力で起動したのだ。


 いま現在この世界において、戦闘時戦技の起動方法は二種類ある。〈エルダー・テイル〉時代と同じく、アイコン選択による特技の発動。もうひとつは、そのモーションを真似ることにより実際自分の身体を入力装置に見たてて発動を行なう任意発動。

 圧倒的な主流はアイコンによる発動だ。

 一口に戦闘をする、攻撃を当てるなどというが、敵モンスターの体格や戦場の地形は様々だ。格闘技や戦闘の経験がない一般地球人でしかなかった〈冒険者〉たちは、いくら身体能力の強化を受けているといった所で、その技術はたかが知れている。

 そんな〈冒険者〉にとって、アイコンを選択すれば、現在目の前にいる敵に対して追尾を行ない、最適のモーションで攻撃を命中させてくれる戦闘特技は白兵戦闘職の中心的な攻撃手段である。

 しかし、それをあえて、自らの身体を用いて任意発動する。

 それがあの日見た、カナミの強さの秘密。

 もともと〈武闘家〉(モンク)はコンボ職などと呼ばれるとおり、ひとつの技で複数回の攻撃を行なう特技が非常に多い。

 〈エアリアル・レイブ〉はモンクの持つ連続攻撃特技の中でも最も華麗なもののひとつだ。この技は、左右のパンチを連続して敵を空中に跳ね上げるとともに、浮いた敵を膝蹴りでさらに突き上げ、そこからかかと落とし、流れるように後ろ回し蹴りに繋げる五連続攻撃となっている。一回ずつの攻撃ダメージそのものは通常のそれより少し控えめなくらいだが、五連続するこのコンボは合計すれば甚大なダメージをモンスターに与えるのだ。

 そして一方〈トリプルブロウ〉は右、左ストレート、右フックという三つの強力なパンチを連続して放つ特技だ。

 レオナルドは〈武闘家〉では無いゆえに、正しい理解に辿り着くまでに時間が掛かったが、このふたつの特技が推理のきっかけになった。

 つまりカナミは、〈トリプルブロウ〉後半の攻撃ふたつを利用して、〈エアリアル・レイブ〉最初のふたつのパンチという発動条件を満たしていたのである。

 特技の発動中は、別の特技を発動できない。それは〈エルダー・テイル〉の常識であった。現に今でも、特技発動中は脳裏のアイコンは輝きを失い、入力を受け付けない状態となる。

 しかし、実際の肉体を用いて行なう特技発動では、その種の入力無効時間が存在しない。もしくは存在したとしても、キャンセル待ちのような処理で連続入力が可能となる。

 〈エアリアル・レイブ〉は強力な連続攻撃だが、そのダメージは、後半のかかと落としや後ろ回し蹴りというような蹴り技に頼っている。序盤のパンチは、あくまで「敵を浮かせる」ためのものであり、ダメージ的には微々たるものだ。しかしアイコン入力発動の場合、この一連の流れは確定しているために、途中から始めることも途中で終わることもできない。

 不必要な打撃であっても、省略することはできないのだ。

 カナミはこの常識を破壊した。ダメージ的に期待できない序盤の体勢を崩すための攻撃を、強力な〈トリプルブロウ〉で代替えすることにより、ふたつの特技の合計性能を跳ね上げたのだ。

 もちろん、これは口で言うほど容易いことではない。

 視界内アイコンから発動された特技は、瞬時に自分自身の態勢や地形、敵の体格や間合いを読み切って、〈冒険者〉の行動をアシストしてくれる。

 しかし任意発動をする特技はそういった補助機能がない。そもそも任意発動には相当な幅があるのだ。たとえば〈デッドリー・ダンス〉の基本形は、左手を突き出して溜めを作ったあと、右手の刃を一閃させる。それだけの技だが、レオナルドが確認しただけで、七種類の異なったモーションで発生させることが可能だ。左手を突き出すタイミングや角度、溜め時間の許容範囲などは実に様々である。

 こういった様々なバリエーションを、レオナルド自身が選択して目の前の状況に合わせて使用しない限り実戦中では有効な攻撃とはならないだろう。自動追尾性能のない任意発動攻撃は、よほどの習練を積まない限り、アイコン発動の攻撃に比べて命中率で下回る。難易度が高すぎて、メリットがなければ練習する気にならないほど複雑な体系を持っているようなのだ。

 だがメリットは存在した。

 レオナルドは右の刃を振るう。その斬撃は描線となってラスフィアに吸い込まれた。脳裏のアイコンが光を失い、砂時計状にゆっくりとした回復を見せて行く。その間、一秒。一秒後にもう一度〈デッドリー・ダンス〉を使えば、二回目の攻撃の威力は、七パーセント向上する。

 しかしレオナルドはその一秒を無駄にしない。

 左手ですくい上げるような攻撃を加える。その特技は〈クイック・アサルト〉。そして直後に〈デッドリー・ダンス〉。さらに、〈ステルス・ブレイド〉から再度〈デッドリー・ダンス〉に繋げる。「左手を突き出す」というただのポーズを、両手に構えたニンジャ・ツインフレイムでの攻撃の手段としたレオナルドは刃の嵐となる。


 〈暗殺者〉には〈武闘家〉のような多彩なコンボ攻撃は存在しない。ゆえにレオナルドはカナミの戦い方(スタイル)をそのままコピーすることはできなかった。

 それに気が付いたレオナルドが苦心して練り上げた戦闘技法が、この〈パラレル・プロット〉だった。通常直列にしか処理されない特技の連鎖を「溜め」と「モーションの隙間」を利用して、二重に攻撃手法とする。

 今は〈デッドリー・ダンス〉を中心にした組み立てしかできないが、レオナルドの用いる三〇あまりの技全てに、任意発動における「自由度」が存在するはずだ。それらを組み合わせ、あるいは研ぎ澄ますことにより、レオナルドは〈暗殺者〉の上限を超えたダメージをたたき出すことが可能になるだろう。

 レオナルドはいまだ完成には程遠い彼自身の戦い方(スタイル)を突きつけた。



◆30




「この速度――っ!? その輝きは――」

「黙れっ!!」

 ふたつ。三つ、四つっ!

 もはやラスフィアも黙ってはいなかった。相打ち覚悟で打ち込んでくる腕からは幻惑の刃が無数に飛び出してくる。

 その攻撃を受けたレオナルドの胸や額から、血のしぶきが上がる。

 〈ガスト・ステップ〉で回避をしたレオナルドは、ラスフィアの背後に現れざまに、六つめの斬撃をたたき込む。〈デッドリー・ダンス〉に込められた破壊力は、すでにその一撃のダメージを一七五パーセント上昇させていた。通常攻撃の二倍近いダメージを受けて、ラスフィアの四肢が脆く崩れ去り、即座に『再発生』する。

 レオナルドにも余裕がなかった。

 彼は〈暗殺者〉――武器攻撃職でしかないのだ。

 前線で敵の攻撃を受け止めることを生業とする戦士職でも、自分を癒すことができる回復職でもない。魔術師系と比べれば防御能力で勝るが、そのHPには限界がある。

 倒される前に倒しきる。それが武器攻撃職におけるソロ戦闘におけるセオリー。しかし眼前に奇怪な少女はあでやかな微笑を浮かべつつも、レオナルドの攻撃を何度もくぐり抜け、冷気をまとった突きを繰り出してくる。

 レオナルドは失われてゆく自らのHPをあえて無視して、さらなる攻撃を繰り出す。いずれにせよ、攻撃職たる彼にはそれしか手段はない。――攻撃を加えて対象を沈黙させることしか。


「なんですか、その力はっ。憐れなる羊の子がっ。愚かなる仮宿の迷い子がっ!」

「うるさいっ! レイドボス如きが何を言うっ」

「レイドボス? ふふっ。ふふふふふっ。――嗚呼っ! それは滑稽、それは喜劇っ。生々流転の秘密をつかみしオルノウンの一柱かと思えば、砂浜で遊ぶ童子よりも頑是無きことを。それゆえおぞましく甘いっ。その罪万死に値しますわっ」

「何を」

 言っているのか。

 どういう意味なのか。

 レオナルドは問いを続けることができなかった。

 不意に眼前までせまったラスフィアの、濡れたような唇に視線を奪われた瞬間、鋭い痛みが走る。彼女の切り裂かれたゴシックドレスの隙間からは〈灰斑犬鬼〉の頭部が現われていたのだ。

 レオナルドの肩口に牙を突き立てた〈灰斑犬鬼〉はその真っ赤にそまった口内だけを幻のように残して消え去る。

 噛み千切られた肩はまだ動くが、HPの残りは少ない。

(今は語らいの瞬間(とき)じゃないっ)

 レオナルドは意志の力を振り絞り、攻撃の連鎖を続行する。

 〈デッドリー・ダンス〉の入力許容時間は二秒足らず。その間に次の〈デッドリー・ダンス〉を実行しない限り、今まで育ててきた攻撃力上昇効果は霧散する。

 熱を持ってうずく肩から意識を引き剥がして〈クイック・アサルト〉。ラスフィアの減らず口にたたきつけるように〈デッドリー・ダンス〉。

 攻撃力の上昇は二一二パーセントに達する。

 心の清澄さが技につながる。レオナルドは努めて目の前だけを見つめた。耳鳴りのような痛みは遠くなる。邪魔だった自分自身の体温さえもだ。そこはレオナルドの操る二十数種の攻撃特技しかない世界。それぞれの〈起動時間〉(キャストタイム)〈硬直時間〉(モーション・バインド)〈再起動規制時間〉(リキャスト・タイム)を組み合わせ、最短経路を駆け抜ける。

 正解はひとつではない。敵の防御や回避、間合い、体重や利き足と利き腕の位置。むしろそれは時間経過tにつれて移り変わるRGB(カラーグラフ)の万華鏡。そのなかで最適の一手を求め、そして攻撃を途切れさせる袋小路を避けて、レオナルドは内なる疾走を続ける。

 自らの肉体の反応速度という遅延を意識できるほどに伸長された時間間隔の中で、攻撃のために組立て(アセンブル)された手段(コード)が発火する。


「なんて激しい、でもそれすらも児戯ですわっ」

「それでいいさっ」

 レオナルドは心の底からそう思った。

 児戯で結構。

 プログラムとは生い茂った樹木、そして森なのだ。

 とてもちいさく単純な命令(コード)を組み合わせて関数(ファンクション)をつくる。その積み重ねがより大きくて利便性の高い処理(パーツ)をつくりあげ、やがてそれはひとつのアプリに。さらに動的に結合し、通信しあい、サービスを作り出す。

 結果を求めるためには、とても単純な作業を続ける必要があることを、レオナルドは知っている。巨大建築に匹敵する芸術を見るためには今眼前の欠片を組み上げなければならない。

 その遠さを知っている者をギークと呼び、

 その尊さを体現する者をハッカーと呼ぶのだ。

 レオナルドは喜んで精密操作を続けた。

 今の攻撃力上昇は二四五パーセント。

 児戯と呼びたければ好きなだけ呼ぶがいい。その児戯がラスフィアを追いつめる。レオナルドはそう信じる。ギークを信じる。


「何度でも」

 空に咲いたサルビアのような血煙の向こうにラスフィアの繊手が見える。

 またひとつ〈デッドリー・ダンス〉を重ねたレオナルドの首を狙うその攻撃を、体幹のねじりだけで避けて追撃する。今の反撃でレオナルドが次の攻撃として選べる特技のうち三つを失った。選択可能な特技は残り四つ。その中で次の攻撃、次の攻防へとつながる一手を選びさらなる一撃を加える。

「〈パラライジング・ブロウ〉っ!」

「けひひっ!」

 いいやそんな思考さえも邪魔だった。

 あるのはただ膨大な経験に裏付けられた反射に近い判断。レオナルドは自分の探索した分岐枝を信じた。あの大岩の上の訓練が、生死を分けるこの戦いの中に息づいている。


「飽きました。死になさい、蒙昧なる(やから)踊る葦(レックレス)!!」

 いらだったのかラスフィアはレオナルドの剣を回避もせずに大ぶりの一撃を放った。

 その袖口は風船のように膨らみ、奔流のような〈灰斑犬鬼〉を放つ。鉤爪を、牙を、剣や斧を、怒涛のようにたたきつける。「名前」でダメージを無効化できることを前提にした、それはラスフィアの相打ち狙いのような必殺の攻撃だった。どの攻撃を避けても致命傷を与えずにはおかない。そんな異形の決意に満ちた奔流だったのだ。

 しかしレオナルドもまたその一撃を待っていた。

無謀者(レックレス)!? 上等だ!」

 〈トリックステップ〉を発動しながらレオナルドはその攻撃に身を躍らせる。地上二十メートルの樹上で恐れげもなく生死のダンスを踊る。レオナルドが憧れたヒーローの姿そのままに、澄んだ心で攻撃を放つ。

 逃げるレオナルドを決して逃がさぬ攻撃であるのならば、逃げなければいい。包囲してくる集団攻撃ならば嵐の中心にこそ生がある。

「〈デッドリー・ダンス〉!!」

 それは文字通り生死の舞踊だった。

 切り替わるラスフィアの攻撃とレオナルドの攻撃。

 その狭間にこそ勝利は揺蕩(たゆた)っている。

「愉快ですわ、愉悦ですわっ。しかしまだ」

 レオナルドは剣先で切り飛ばしたラスフィアを追走する。「名前」がぶれる。それは先刻予想済みだ。被弾数は多い。レオナルドにも時間がない。

 しかし心は静かだ。

 彼女の声だって思い出せる。

 レオナルドは彼女を傷つけた。

 人形扱いをした。

 ヒーローの謝罪はひとつしかない。

 たったひとつしかない。

 笑みの形に表情をゆがめるラスフィアに時間は与えない。

 (おぼろ)な影のように消えるラスフィアの胴体。しかしそれは『再発生』の予兆に過ぎず、ラスフィアの愉快そうに細められた瞳には、レオナルドの姿が映っている。

 一拍。それは一呼吸の四分の一。長い戦いの間につかんだラスフィアの『再発生』にかかる所要時間。

 そのわずかな隙間に強引にねじ込めるだけの速度を持つ技をレオナルドは探し当て、実行する。

「悪いな。先約があるんだ」

 〈デッドリー・ダンス〉あとの残心さえ起動モーションの一部に利用した、最速、最高威力の絶対奥義を。

 〈絶命の一閃〉(アサシネイト)

 〈暗殺者〉の誇る極大出力の単体攻撃特技。その威力は、全十二職のうち最高を誇る。

「っ!! ――。――」

 真紅の世界を切り裂いて等分にする手ごたえは、もろい土器を両断したかのように乾いたものだった。追撃に全力を振り絞ったレオナルドは体勢を崩し、もう左右に分割された美少女の姿を見ることしかできない。

「消え失せろっ!!」

「あ……嗚呼っ。――時計の針を――あと十一の――」

 壮大な冗談を聞いたように呆気にとられた表情の少女は、苦しむでもなくうわごとのようなつぶやきを残すと粒子にかえっていった。

 それを見届けたレオナルドだったが、その一瞬後には自分もまた落下中だったことを思い出し、地上までの紐なしバンジージャンプを満喫するのだった。


 ◆32




「くそったれ。紐なしバンジーとかバカじゃないか」

 レオナルドは腐葉土の上に大の字になって倒れていた。

 あたりの木立は荒れ果てて、ラスフィアとの戦闘の痕跡をとどめているが、現在の所付近は静けさを取り戻しているようだ。

 渓流の涼やかな音にいつの間にか小鳥の声が混じる。

 先ほどまでは遠く近く響いていた、おそらくエリアス達の戦闘音もなくなった。

 どうやら、決着がついたようだ。

 と、いってもレオナルドは身を起こすことができなかった。

 HPはもうギリギリで、レッドゾーンに踏み込んでいる。ラスフィアの凍えるような手刀は、冷気属性のダメージが付与されていたようだ。戦闘中に確認する余裕はなかったが、十を超える数のバッドステータスが蓄積されている。ひとつひとつの継続ダメージは微量だが、総体としてはバカにならない量だ。

 それらのダメージと、非戦闘時の自然回復がレオナルドのHPバーの上で拮抗している。

 すぐさま死んでしまう気配はないが、自然回復は当分望めない。それ以外にも凍傷にかかったのか四肢には痺れが残っている。

(だけどな。くそったれ。やってやったぜ)

 しかし、レオナルドとしてはさばさばしたものだった。

 やるだけのことはやったのだ。

 おそらくだが、少なくともこの支流沿いの〈灰斑犬鬼〉による侵攻は食い止めた。レオナルドが見たあの二人が今回の大規模戦闘の黒幕だったことは、間違いがない。

 大規模戦闘級の黒竜はKR(ケイアール)に任せきりのためどうなったかは判らないが、レオナルドは疑っていなかった。

 ちんけなこのギークが戦い抜いたのだ。あの飄々としたKRが負ける道理はない。そもそも黒幕を失った黒竜が戻ってくる気配はない。レオナルドの心配など、あの青年は必要としていないだろう。

 しかし、それはもはやどうでも良いことだった。

 この世界は〈エルダー・テイル〉のそれではない。

 レオナルドは今こそ素直にそう言うことができた。

 〈エルダー・テイル〉であれば、大規模戦闘はゲームのコンテンツであり、その攻略は討伐の正否や、レアアイテムの取得で語られてしまう。

 しかしここは〈エルダー・テイル〉ではない。たとえ黒竜の討伐に失敗しても、レアアイテムを入手できなくとも、よしんばKRやレオナルドが道半ばで倒れてしまったとしても――モンスターの侵攻を食い止められればヒーローの勝ちなのだ。

(これであの村へは、被害が及ばない。――よな)

 レオナルドは血を失って妙に澄んだ思考でそうまとめた。

 あの村の人々がこの戦いを知ることはないだろうと思う。それどころか、レオナルド達があの村に再び訪れるかどうかさえ怪しい所だ。

 でもそれで良いじゃないかとレオナルドは思う。

 ヒーローとはそういうものだ。

 レオナルドの憧れであるあの四人も、そんなものには頓着しないで戦っていた。救ってやりたい人がいるならそれを助け理不尽を倒せばそれで良い。


(それにしても――)

 レオナルドは思い出す。死闘を繰り広げた金髪の少女のことを。あの存在はあまりにも生々しかった。あまりにも規格外れで狂気をにじませていた。

 ゲットーあたりにたむろしているプエルトリカンの売人でさえ、あそこまでイかれたヤツはいない。ラスフィアの表面的には穏やかで可憐でもある口調と、熱に浮かされたような視線を思い出す。

 NYは確かに治安が世界一良い街というわけではなかった。街を歩いていて銃声を聞いたことだって一度や二度ではない。イかれたやつだって大勢住んでいる。

 しかし、そんな連中と彼女は違ったように思うのだ。

 ――生々流転の秘密をつかみしオルノウン。

 ラスフィアの言葉は、普通に考えれば、クエスト上の何らかのヒントなのだろうが、レオナルドにはどうしてもそうは思えなかった。そんなことよりももっと悪質なトラブルの気配を感じ取ってしまう。

 生々流転(うんめい)の秘密を掴むだなどとばかばかしい。そんなことができるのは神様だけだ。神様っていうのは天に座りただ微笑んでいる。それだけだ。

(あのクレイジーな目の女だって、コッペリアだって)

 レオナルドのいままでの解釈によれば、彼女ら二人は人間ではない。

 ラスフィアはモンスターだし、コッペリアはBotだ。

 でもそれはこの世界において間違いなのだろう。幾ら理屈ではそれが正しい結論であろうと、ヒーローの魂が違和感を訴えている。そうであれば、レオナルドはその魂を信じる。コードをレビューするのは技術かもしれないが、レビューしたいという衝動は魂からやってくる。レオナルドをレオナルドにしているのは、魂なのだ。


「おーい、けーろナールドーぅ」

 脳天気な声に上半身を起こすと、下流からやってくるのはカナミを筆頭にした三人の仲間たちだった。どうやら彼らも無事に〈灰斑犬鬼〉を退けたらしい。

 元気よく手をぶんぶんと振るカナミの表情に、レオナルドの気持ちは急激に弛緩した。もめ事の予感はあっても、今はどうでも良いと心から思えた。

 どうせこの世界には、もめ事以外などそうそうありはしないのだ。ヒーローの生き様は、トラブルの予感とトラブル本体、そしてトラブルの後始末からできている。平和はほんの幕間、間奏曲に過ぎない。

 もっともっとタフにならなければだめだと、レオナルドは小さく笑う。タフさが男の生きる条件なのは、懐かしいビッグ・アップルでも、ここアオルソイでも、なんの違いもありはしない。

 KRの姿はないが、すでに別れは済んでいる。

 おそらくまた出会うこともあるだろう。レオナルドはもう、日本サーバーにたどり着く自分を疑ってはいなかった。自分の危地を救ってくれた、あの口の悪い〈召喚術師〉をレオナルドは忘れない。いずれKRが窮地に陥ったとき、助けるのは自分だと、そのことを誓った。

 騒がしいカナミは、エリアスと何か言い合いをしているようだ。「感謝が足りない」とか「感謝をしている」という言葉が、レオナルドの耳に届いてきている。そして二言三言も経たないうちに、大きな水音。川に蹴落とされたエリアスと、陽気に笑うカナミ。騒がしいこと、この上なかった。

 その視界が陰り、西の傾きつつある陽を背負ってコッペリアがレオナルドを覗き込んだ。いつも通りの無機質な美貌に淡泊な表情を載せた少女は、小さく首をかしげると、レオナルドに訊ねる。

「コッペリアはHPの大規模低下を指摘しマス。治癒をご所望デスか?」

「コッペリア」

「ハイ」

 レオナルドは、大地の上に堂々と横たわりながら、初めてコッペリアの瞳を深々と覗きあげた。その瞳の中に、彼は探してきたモノを見つけたような気がして、胸が温かくなる。言わなければならないことがある。

「ごめん」

「コッペリアは、謝罪の文脈を確定できませんでしタ」

「いいんだ」

 小首をかしげる少女に、レオナルドは本当にふさわしい言葉を探す。

「僕はレオナルドだ」

「ハイ。サー・レオナルド」

「それから治癒、頼むよ」

「了解しました」

 初めて名を呼んでもらい、初めて治癒を頼んだ。治癒の輝きは、ほんのりと紅を混ぜた白で、その色は穢れがない無垢を思わせた。コッペリアの回復呪文は、温かい繭のようにレオナルドを包み、苦痛と疲労を取り去ってゆく。

 無口なコッペリアは、生真面目な表情でレオナルドの怪我の様子を注視した。その表情があまりにも真摯で、レオナルドはやっと正しい言葉を探し当てることができた。

「コッペリア」

「ハイ」

「コッペリアには、魂、あるぞ」

「?」

「ちゃんとある。僕には見える。コッペリアの魂の色は――」

 細い指先からあふれる、治癒の桜色だと。

 レオナルドは断言するのだった。


そんなわけで「カナミ;ゴー・イースト」も連載終了となりました。Ep10タイトルは「ノウアスフィアの開墾」です。早めに始められると良いなあ。

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