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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp10 ノウアスフィアの開墾

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084 ノウアスフィアの開墾

  ◆01


 こんにちは。
 何と書き始めるのか迷ったのだが、最初の言葉は挨拶がふさわしい。
 Hello, world. Hello, shiroe.
 私は今、ヤマト中央部、サフィールの町の宿屋にてこの手紙を書いている。
 この手紙は書き終えた後、知己ミノリへと託すつもりだ。
 読むのはログ・ホライズンのシロエと聞いている。その名前を聞いて私は不思議な気分になったものだ。わたしの中にはあなたの記憶が残っているからだ。

 あなたたち〈冒険者〉が異なる世界からこのセルデシア世界へと受肉した存在であるように、私たちもまた異なる世界からこのセルデシア世界へと受肉した存在である。
 私の名前はロエ2。
 私たちは私たちを〈航界種〉(トラベラー)と呼ぶ。きみたちから見れば異世界の知性体だ。
 同時に私自身はあなたの妹でもある。

 おそらくあなたは期待しているだろうし、それに関しては申し訳ないと謝罪をすることしかできないが、私たち〈監察者〉(フール)も私たちと同じく〈航界種〉に属する〈採取者〉(ジーニアス)も、〈合致〉(エクリプス)――あなたたち風にいうと〈大災害〉についてあなたたちに何かを説明することは出来ない。正確にいうならば、説明することは出来るが、それは私たちなりの〈合致〉に対する理解であり、原理の解明でもないし解決策でもない。
 それでも私たちはあなたたちよりもわずかではあるが先へ行っていると信じその義務を履行しようと思う。わたしはあなたの妹でもあるけれど、ミノリと約束したように、姉でもあるからだ。
 その点、私がなぜロエ2であるのか。
 なぜ妹であるのか。
 そのあたりから説明をすべきだろう。

 私たち〈航界種〉はあなたたちと同じく、あの〈合致〉によりセルデシアにたどり着いた。しかし、私たちの世界はセルデシアよりはるかに遠く、また私たちはそもそも物理的な形状や形状データをもたない種族だった。
 この世界にたどり着いた私たちは、それゆえ、この世界に既に存在した肉体を化身として借り受けるという形になった。
 ミノリの言葉が正しいのならば、あなたは非常に察しが良い知的な人物だという。
 ここまで説明すればお分かりだと思うが、私の現在の肉体は、月にて保管されていたあなたのものであり、この世界風にいうならば「魂との接続」がない状態であったものだ。
 無断で借りた形になるが許してほしい。
 この肉体にはあなたの思考や記憶が色濃く残っている。
 私がこうしてあなたに説明できているのは、あなたの語彙データを再構築してのことだ。この世界の言葉をしゃべることができるのもあなたのおかげが大きい。その恩義に報いるのも、この手紙を書く動機の一つだ。
 願わくば寛容の精神でこの手紙を読んでほしい。
 破り捨てるのはいつでもできるのだから。



  ◆02



 シロエは天井を仰いで何度目になるかわからない溜息を吐き出した。
 手の中には折り目の付いた数枚の便箋。
 ミノリ経由でシロエのもとへともたらされた手紙だ。
 几帳面な文字の形には見覚えがあった。誰のものだったかと手近な書類をめくれば、自分の筆跡である。筆跡まで似ているのかと、シロエは頭痛を抑えるように眉間をもんだ。
 ここは〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のギルドホームだった。
 アキバ北部に立つ廃ビルをリフォームをしたそこは、いまやシロエにとって「家」ともいえる場所であった。それはなにもこのレンガ風の外壁を持つ七階建てのビルをシロエが有り金をはたく勢いで購入したからではなく、シロエを迎えてくれる仲間たちがいつでも一緒にいてくれるからだ。
 このギルドホームにはシロエを含めて、直継、アカツキ、にゃん太、ミノリ、トウヤ、五十鈴、ルンデルハウス、新しくメンバーに入ったてとら――九名の〈冒険者〉が暮らしている。ビルは古代樹に貫かれているために、それぞれのフロアの中央部は利用できないのだが、それでも各階に三つから四つ程度の部屋が存在するため、メンバーはそれぞれの私室をひとつずつもっているし、狭苦しいという感じはしなかった。
 この部屋はシロエの執務室だ。
 九人というのは零細でこそないけれど明らかに中小ギルドの規模である。本来であれば「執務室」などという大仰なものは必要ない。私室に書類机が一個あれば十分だ。しかし〈記録の地平線〉は〈円卓会議〉参加十一ギルドのひとつであり、シロエの処理しなければならない相談や陳情は数多い。来客もである。そのための執務室だった。
 シロエはメンバーから「引きこもり」と言われかねないほどの時間をこの執務室で過ごしている。それは仕事が多いことももちろんだが、シロエが思索にふけりがちで、そんな自分がほかのメンバーに心配をかけてしまうと思っているせいでもあった。
 もっとも、〈記録の地平線〉のメンバーの多くはそんなシロエの考えを一顧だにしないことが多いのだったが――。

 シロエは執務用の椅子の背もたれで背中をぐっとそらせた。
 指先は腹の上にある手紙を折りたたんで封筒に戻している。
 重大だった。
 重大な問題提起をはらむ手紙だった。
 しかしそれを考えてシロエは眼鏡の奥の目をつむり溜息を吐いた。
「確かにこの手紙は大問題だけどさ。そんなこと言ったら、〈円卓会議〉のことだって、ミナミのことだって、〈神聖皇国ウェストランデ〉のことだって、クラスティさんのことだって、全部重大なんだよなあ」
 口に出して改めて気が付いたのだが、どれもこれも洒落にならない事態だ。

 クラスティ自身はともかく、彼のギルド〈D.D.D〉は運営上の問題が発生している。そもそもギルドリーダー不在でここまで問題が起きなかったほうが不思議なのだ。運営スタッフが優秀なおかげで今のところ周囲にまで問題は広がってないが、内部的には疲労がたまっているという報告も受けている。

 〈神聖皇国ウェストランデ〉のことも問題だった。調査によれば、大規模でこそないものの、徴兵や騎士団の再編などの活動が見られるとのことだった。
 アキバを中心に東ヤマトをまとめた〈円卓会議〉、ヤマトの西半分をまとめ上げた|〈Plant hwyaden〉《プラント・フロウデン》。思想の違う組織が二つできてしまったが、シロエはそのこと自体を悪いことだとは思っていなかった。そういう風に分裂した状態でも〈冒険者〉は結局現代日本に根を持つ現代人である。そうである以上、戦争になるということはないと思っていた。いいや、今でも思っている。
 しかし、その常識は〈大地人〉には通じないらしい。
 西を取りまとめる〈神聖皇国ウェストランデ〉は〈自由都市同盟イースタル〉と戦争をするつもりであるように見えた。そしてひとたびそれが始まれば自分たち〈冒険者〉も決して無関係ではいられないとシロエは思っている。無関係を通せるほど自分たちの心を冷たくすることは出来ないだろう。
 〈冒険者〉は良くも悪くも現代日本人なのだ。

 〈Plant hwyaden〉がそのことに気が付いていないなんてありえない。インティクス女史はそういうところに対して、鋭敏という言葉では足らないくらいの洞察力のある人だとシロエは思っている。
 ミナミでは何が起きているのか、シロエはある程度の情報を得ている。それを考えると憂鬱な気分になる。それはアキバがかつてたどりそうになった道でもあるし、今でさえその可能性がなくなったとは言い切れない道なのだ。
 〈円卓会議〉。
 そう、〈円卓会議〉はいままさに、また新たな岐路に差し掛かっているようにシロエには思われた。モンスターや大異変などの目に見える危機であればここまでシロエはここまで思い悩まなかっただろう。アキバの街には、クラスティこそ今は行方不明だが、アイザック、ソウジロウ、そのほかにもたくさんの英雄的な〈冒険者〉がいる。戦闘であればたいていの障害を排除できる自信がシロエにはある。
 だが今回の問題はそうではないようだ。
 それはどちらかと言えば、〈大災害〉直後の空気に似ていた。〈クレセントバーガー〉で振り払ったと思っていた、あの絶望が再びよみがえってきたようにシロエには見える。人々の倦怠と諦観は、見たことのない〈戦争〉さえ育むのだろうか。経験のないシロエには、それがどういうことだかもわからなかった。
「っていうかなんでこんなになってるのかってそんなこと考えても無駄なんだけど、考えずにはいられないし仕事減らないし、ああもうっ」
 シロエはバタンと机に突っ伏した。
 死んだふりをしてたら厄介ごとが去らないかな、と甘いことを考えたが、ちっとも去らなかった。その象徴が投げ出した手紙であり、書類の山だ。

「シロエち」
 ノックに続いて扉を薄く開けて覗き込んできたのは、にゃん太だった。
 シロエがどうぞ、と招くと、にゃん太はほっそりとした身体をすべり込ませてきた。
 それを見たシロエは手紙をデスクの引き出しに突っ込んで、応接セットに移動した。意外そうなにゃん太もそちらにシルバートレイから飲み物を下ろした。
「にゃん太班長も座ろうよ」
「お仕事はいいのですかにゃ?」
「疲れちゃった」
 シロエは素直に笑った。
 にゃん太ものそのシロエの言葉に「にゃはは。それならご相伴するにゃ」と腰を下ろしてくれた。
 二人はそのままホットチョコレートのような飲み物に口をつけた。それは温かくて、とびきりに甘かった。
 シロエはカップの表面に浮かぶ渦巻のような模様に視線をおとした。対流の影響なのかそれはゆっくりと回転をしている。マーブルの模様が螺旋のようだ。こういうどうでもいいことが気になるのは疲れている証拠だとシロエは自己診断した。甘さが染み入るようだった。
「シロエちは頑張りすぎですにゃ」
「班長もね」
 シロエが小さく笑い、にゃん太はびっくりしたような表情をした。
 にゃん太が最近すこし思いつめているのは、シロエだって気が付いていたのだ。それはミノリたち年少組の護衛として西へと向かってからの事だった。にゃん太からは、起きた出来事の報告は受けている。物静かなにゃん太は多くを語らなかったが、何を見たかシロエには想像できた。
(班長は、この世界になじめなかった〈冒険者〉に出会ったんだ……)
 それはアキバでも徐々に顕在化してきた問題だった。

「〈大災害〉からもう少しで一年たつんだね」
「あとひと月もたてば、そうなりますにゃ……」
「うん」
(この一年が、人々を分けてしまったんだ)
 〈大災害〉が短期間で解決する一過性の事件であればきっとそれは問題にならなかった。驚嘆すべき未曽有の事態にショックを受けるのは人間として当然だし、茫然とするのも、取り乱すのも無理はない。
「長いようにゃ、短いようにゃ時間がたちましたにゃ」
「うん。帰りたい人、いるんだろうね」
「そうですにゃ……。たぶん……全てを捨ててもと、そう願っている人はいるのでしょうにゃ」
「そうだよね」
 シロエだって帰りたくないと言えば嘘になる。しかしそれは「帰れるならば」だ。〈大災害〉から〈円卓会議〉を経て、アキバの街の住民のほとんどがこの世界に馴染むことができた。「もちろん帰りたい。帰れるならば」といえる程度には。それは「帰りたい」と思う一方で「帰れないのならば、仕方ない」という覚悟をも内包する言葉だ。
 全てを捨てて、というのは大きな言葉だ。
 全てを想像できる人も、捨てられる人も、いやしないとシロエは思う。
 それはむしろ、自分を消し去りたいという意味なのではないか? 何もかもをどうでもいいと無に帰すようなそんな思いなのではないかと想像する。
 しかし誰もがこんな頭のおかしくなるような事件に対応できるわけではない。それは、仕方がないことだ。そして一年間という時間は、その人々が、馴染むことができなかったことを証明することになった。
 彼らはこの世界にいたいとは思っていないのだ。それは比較をするのならば「帰りたい。帰れないとしても」という言葉になるだろう。
「その気持ちはわからないわけではないけど……」
「ええ、わかるのですにゃ。ですから責められないのですにゃ」
「切ないね」
「つらいですにゃ」
 二人はチョコレートを覗き込むようにして、静寂を共有した。
 人々の中に未来を見ることができないほどの絶望が存在する。それは、どんな強力なモンスターよりも鋭い痛みをシロエに与えた。
「シロエちは……」
 にゃん太が珍しく言いよどんだ。雄弁なその沈黙が砕ける前に、彼は優しい声でシロエに「帰りたいですかにゃ」と尋ねる。
 シロエはその優しい声色が哀しかった。にゃん太に無理をさせているのはこの世界だ。そして自分の不安そうな表情だとも思う。だがそう思っても、自分の中に答えなんて見つからない。
 小さな溜息の後、シロエは絞り出すように言った。
「帰るべき、なんだと思います」
 ずっと考えてきた、シロエがたどり着いた、それは当たり前で薄っぺらな結論。どう考えてもそれ以外はないという正論。
「僕たちはやっぱりこの世界にとって異物です。この世界に生きて歪んでしまう人もいる。この世界を歪めてしまう人もいる。それはもしかしたら元の世界にいた時だってそういうことは起こるかもしれない。いや、起きてたんだと思う。でもやっぱり、避けられる悲劇なら避けるべきだし、僕らは――」
 にゃん太が小さくうなずいたのはわかったが、シロエは胸が詰まってその先を言うことはできなかった。手元の手紙を信じるなら、帰れるとは言わないまでも出来ることはあるのだろう。
 だがシロエが見詰める三十秒先においても、夜明けはまだ遠く、夜は深かった。



  ◆03




「ああ」
 ため息のような声が唇からこぼれるのをリーゼは聞いた。
 顔を上げて窓の外を見れば、クリーム色の光が古代樹を照らしている。多くのメンバーが訓練や調達遠征で出払ったギルドホールはひっそりとしていた。
 リーゼの手元の書類は十数枚を数える。
 書式に沿ったきれいなものではない。
 余白にはみっしりとメモや考察が書きこまれた、不格好なものだった。その手際の悪さに、リーゼは自嘲するような笑みを浮かべる。
 このメモはリーゼの足跡。残さなければ遭難してしまうような闇の荒野で、命綱のように書き連ねた奮闘の記録。

 回答は多くの場合シンプルなものだ。「今月、訓練用の代替武器は五百ほど購入する」。それだけのことであったりする。しかし、その結論を得るためには、どんな思考をすればいいのだろう? 思考ではなくてもいい。議論でもいいし、計算でもいい。とにかく回答を得るためには何をすればいいだろう? それがリーゼにはわからなかった。
 〈D.D.D〉においてそれらの決定はほとんど半自動的なもので、現場では希望書類を書いて提出すれば集積されて次の月には配布されていたからだ。しかし、その種の自動的な分配処理は、〈エルダー・テイル〉外部に存在する〈D.D.D〉公式サイトのメンバー機能によるものであった。
 〈大災害〉によってこうした外部サイトの事務支援は受けられなくなったが、すぐさまそれで問題があったわけではない。メンバーはそういった申請/支給という手続きに馴れていたし自主的にそういった事務書類を作成した。運営本部は書類を取りまとめて必要な物資を支給しつづけた。そういった仕組みは現在も生き続けているし、ヤマトサーバー屈指の超巨大ギルド〈D.D.D〉を生かし続ける重要な原動力となっている。
 しかし、一方でそれは〈D.D.D〉の物資調達能力がほぼ無限大であったころの仕組みだ。「訓練用の代替武器五百」が入手できないとき、調整する機能はシステム上に存在しない。さらにいえば、そのような既存案件の調整や変更というだけではなく、全く新しい要望や、部門ごとの職掌をまたぐような案件が次々と生まれてくる。

 リーゼは|〈Drei-Klauen〉《三羽烏》と呼ばれる〈D.D.D〉の幹部の一人である。このギルドの運営システム理解に対しては自負があった。事実、外部サイトを用いた物資手配やスケジュール管理についてギルドマスターから一任に近い扱いを受けていたのだ。
 しかし、すでに稼働しているシステム――しかも半自動調整や事務補助を内包したシステムに乗りそれをただ管理することと、何らかの案件について正しい解決策を探りそれを手順化し、周知し、システムとして運用可能なまでにデザインするというのは……全く別のことだ。
 ――全く別のことであるということが、わかっていなかったのだ。
 リーゼはその事実に苦く笑う。
 |〈Drei-Klauen〉《三羽烏》なんて道化の名前だ。
 櫛八玉はそれ(、、)が分かったから離れたのだろう。今は素直にそう思えた。

 大きく伸びをすれば、仮設執務室はうっすらとレモン色の光に染まりつつある。午後も深まったようだ。夕暮れの茜色ではないが、やがてそれが訪れることを示す、柔らかい光。三月という初春においてそれは熱を持たず穏やかに美しかった。
 リーゼは気持ちを入れ替えるように立ち上がると、水差しから冷たいお茶をグラスにいれた。
 この仮設執務室は殺風景で茶器もない。二十人ほどが入れる会議室を間借りして使っているのでそれも当然だった。〈D.D.D〉にはもちろんちゃんとした執務室があり、豪奢でありながらも迫力のあるまるで貴賓室のような雰囲気なのだが、リーゼには少々精神的に使いづらかった。クラスティと一緒に過ごしていたころは、その空間を当然のように扱っていたのだから不思議なものだ。ギルドマスターには周囲の仲間たちさえふてぶてしくさせる、ある種魔法のような能力があったに違いないとリーゼは小さく笑った。

「おっとっとリーゼさん」
 ノックの返事も聞かずにひょいと顔をのぞかせたのは、陽気そうない富をした青年〈第八商店街〉のカラシンだった。カラシンは気やすい調子で滑り込んでくると、ドアを閉めて荷物を下ろす。かなりの頻度で通ってもらっているために、カラシンの側もリーゼの側でも日常となっていた。
「お疲れ様です。カラシンさん」
「あははは。もうねー。やばやばですねー」
「ヤバいですか」
「鬼忙しいですもんね!」
「もう、いつもそんな軽口ばっかりですね」
 リーゼはそのまま指先で椅子をすすめた。カラシンは両肩から左右に下げたキャンバスバッグをおろして抱えた紙袋の中身を整理しながら、話を続ける。
「そんなこと……あるかあ。まあリーゼさんも忙しそう」
「手際が悪いだけですわ」
「またまたあ。本気で言ってるから始末に負えない」
 リーゼは視線で書類を指し示す。
 レベル七十五、七十七、八十一、八十五に属する〈大規模戦闘〉(レイド)計画書だ。この程度の戦闘、〈大災害〉以前の〈D.D.D〉であれば週に三百回は行っていた。レベル帯からしても「挑戦」ではなく「巡回」に属する大規模戦闘である。しかし、今ではすべてが様変わりしてしまった。
 現実化したこの世界における戦闘難易度はかなり上がっている。レベル七十五のレイドなど、以前はレベル七十~七十二程度の〈冒険者〉が挑戦するコンテンツであった。しかし現在ではそのレベルでの完全勝利は難しいだろう。たとえ可能であったとしても、それ相応の消耗を覚悟しなければならない。参加人員のレベルを吟味しなければならないのだ。
 また移動コストの増大も大問題だ。〈妖精の輪〉(フェアリー・リング)による移動が難しい現在、遠征はすべて騎乗生物によるものとなり、野営や食料も持ち込まなければならない。「腕試しの大規模戦闘だ、これからちょっぴりやっつけてやろうぜ」。そんな風にいえるダンジョンは数えるほどになってしまった。
〈大規模戦闘〉(レイド)っすか」
「ええ、近場で適正なものを選んで、ですけど」
 見ても? というカラシンの問いかけにうなづくリーゼ。その目の前でカラシンはぺらぺらとめくる。注釈とメモは多いが、枚数は多くない。計画はシンプルだ。
「〈幻想級〉の素材、やっぱ欲しいですもんね」
「ええ」
 リーゼはうなづいた。
 技術開発ラッシュで沸いているアキバであり、いまはその活況のなかで、ありとあらゆる物資が売買されている。食料もそうであるし、武器や防具といったアイテムもそうだ。様々なものが値段を乱高下させている混沌の中で、値段がうなぎのぼりなものがふたつある。
 ひとつは複製の利かない嗜好品だ。例えばおいしい料理や、娯楽の品などは、非常に高い値段をつけている。マンガや手作りのフィギュアなどは天井知らずだ。こんなファンタジー世界に閉じ込められたとはいえリーゼたちは現代地球人であり、心の渇きは何かで癒さなければならないということなのだろう。リーゼだって新開発のケーキと宣伝されればお財布のひもが緩んでしまうのは避けられない。
 もうひとつが〈幻想級〉の素材だった。
 この世界で「素材」というのは、ほかのアイテムの作成時材料になるアイテム一般のことを指す。料理を作るにあたっては、小麦、トマト、サンマ魚、ほくり芋、すべてが素材だ。対して素材を加工したアイテムは加工品と呼ばれる。加工品も別のアイテムを作る際の素材になることもあり得る。
 これら「素材」は世界そのものから得ることが可能だ。木材は森林から。鉱石は鉱山から。魚は海から。畑や牧場といった人の手を要する素材入手ポイントも存在する。そういった場合素材の生産者はほとんどの場合、〈大地人〉だ。
 〈冒険者〉になじみが深いのはモンスターのドロップ品であり、こちらは特にドロップ素材やモンスター素材などと呼ばれる。
 素材には多くの場合、明示的ではないにせよレベルが存在する。例えば同じ「鉄鉱石」であっても、低レベルのものと高レベルのものが存在するのだ。低レベルのものはモンスターが弱くて少ない安全な鉱山で入手できるし、高レベルのものを得るためにはそれ相応のリスクが必要だ。
 〈幻想級〉の素材とは、そんな素材の中で最高峰の入手難易度をもつ素材である。それらは〈大規模戦闘〉で討伐しなければならないモンスターからドロップする素材なのだ。〈幻想級〉の素材は貴重な資源である。それは〈幻想級〉の武器防具を補修するために必要だというだけではなく、それらの武具を作り出すためにも今や必要となった。それどころか、〈大災害〉あとのこの世界においては武器防具だけではなく、あらゆる発明品や実験で需要がうなぎのぼりなのである。〈ロデリック商会〉が〈竜鱗煉瓦〉で超高温炉を作ったのは有名な話だ。

「補給のほう、いけそうです?」
「そりゃまあ、もちろんばっちりですよ。食料も補修素材もね」
「モンスター素材はいいんですけどね。それ以外がやっぱり滞りがちで」
「その辺は手分けってことにしましょうよ」
「はい」
 〈D.D.D〉は本来完結性をもった単体ギルドである。少なくともクラスティの興味はそこにあったとリーゼは理解している。「補給機能を内側に抱えた単体で機能し続けられるギルド」だ。
 しかし〈大災害〉を経た現在、その機能も欠損が目立っている。ゲームならばともかく、これだけ複雑化して〈円卓会議〉の一部となった状況で完結性は絵に描いた餅だ。遠征長期化に伴い、外部からの補給重要性は増していて、カラシン率いる〈第八商店街〉との連携は不可欠になっている。

「リーゼさんは頑張り屋ですからねえ。ミノリちゃんといい、アキバの女性陣はみんな、こう、眩しいなあ」
 遠征に必要な食料や補給、その受け渡し方法(現地まで配達してくれるのであればそれに越したことはない)について短くはない階段を済ませた後、カラシンはおどけるような口調でリーゼに告げた。
「そんなことありません」
 否定するリーゼに、カラシンは苦笑しながらも「比べる相手が悪いんですよ」という。
 それはそうなのだろう、とリーゼは思った。
 クラスティ(ミロード)はやはり特別だ。彼の作った〈D.D.D〉という巨大組織(システム)に触れて、理解が深まれば深まるほど思い知らされる。リーゼが思いつくような問題点などとっくに予想済みで対処した形跡があとからあとから見つかるのだ。それどころか、リーゼが「不必要だな。簡略化したほうがいいな」と思った手続きでさえ、バランサーであったり、トラブルに対する冗長性であったりする。
 リーゼは「組織」という形の芸術品や作品があるということを、この数か月で初めて知った。〈D.D.D〉はクラスティの作品で、それは間違いなく隔絶した才能の作り上げたものだった。
 クラスティは特別で、比べるべきでないというのはリーゼにだってわかる。
 でもリーゼにはほかに手本になるべき教師はいないし、この世界にはテキストだってないのだ。

「あー。そう、えーっと。ね。はらぐろ殿なんかがいいと思いますよ?」
「シロエさん、ですか?」
「ええ、そうそう。それ。シロエ殿」
 口ごもってしまったリーゼにかけられたのは意外な、そしてずいぶん無責任な口調な言葉だった。
「なぜでしょうか?」
「シロエ殿も不器用なとこありますしね。見た感じ、リーゼさんタイプでしょう?」
 いぶかしむリーゼにカラシンは滑らかに答える。
 まるで用意していたような回答だった。
「そうなんですか?」
「五割くらいそうですよ。シロエ殿、ほんと」
「五割なんなんですか?」
「シロエ殿ってば、五割凡人なんですよねー。四割秀才で一割やけくそっていうか」
「へ?」
 腕を組んで口をとがらせるカラシンの口調はおどけるようだった。
 五割凡人――。
 リーゼはその意味をかみしめる。
 ああ、そうなのか、と腑に落ちた。
 五割凡人で四割秀才とは言いえて妙だった。くすりと笑ってしまう。
 すっかり凡人であれば、自分の立ち位置さえもわからない。自分がどんなにわかっていないのか、無知なのか、わかる程度にはわかっているから、凡人であるにもかかわらず手が抜けない。それはそういう意味なのだろう。
 リーゼの作った小さな足跡と一緒だ。
 何日も必死に考えて、調べて、A四程度のメモが五枚。それが等身大のリーゼなのだ。リーゼの中の「賢さ」はそのメモを作れとリーゼ自身に命じた。それが正しいやり方を身に着けるための唯一残された方法だと「賢いリーゼ」はわかっていたからだ。
 しかし、その一方で「凡愚のリーゼ」はそのメモを五枚しか作れなかった。それが今のリーゼの実力なのだ。不器用で、察しが悪くて、無能力。でも、それは仕方がない。今のリーゼの現実はその程度なのだから。
 たしかにそれはとても情けないことだけど、一方でホッとすることでもあった。
 この五枚はリーゼの領土だ。このメモに書かれたリーゼの考察は、リーゼが十分に考えて悩んだ範囲だ。もちろんその外側にはリーゼがよくわかっていないことがたくさんある。長年過ごした自分のギルドですらわからないことだらけなのだ。そしてリーゼにはこうしていやになるほどゆっくり領土を増やしていくことしかできない。それに絶望しかけていたけれど、カラシンの言葉でそれは違うのだと気が付かされた。
 ゆっくりであることは仕方ない。それが等身大なのだ。
 むしろ、そうして領土を増やしていくしかないのだと、どんなに迂遠に見えてもそういう手法でいいのだと、気が付かされた思いだ。
 同じ方法で〈円卓会議〉を立ち上げて、クラスティに深い笑みを浮かべさせた青年がいる。そのことをカラシンはリーゼに教えてくれたのだ。

「十割鬼なほうのスーパー眼鏡さんよりはまだ参考になると思いますよ?」
「ええ」
「えへへへ。やっと瞳がしっかりした感じっすね」
 顎に手をやったカラシンは気取ったポーズで、リーゼにほほ笑んでくれた。この明るい青年に気を使わせたのかもしれないと、リーゼは恥ずかしくなった。リーゼを助けてくれる人はたくさんいる。アキバレイドからの毎日は、今まで気づかなかった助力に気づかされる日々でもあった。
「いえいえ。このカラシン、何も言わないでもわかってますよう。どら焼きどうです?」
「あーっ。わっかだんな、またナンパですかあ!?」
 カラシンが紙袋から取り出したどら焼きを受け取ろうとした時、響くような音を立ててドアを開け放ったのは、半ズボンの少年だった。たしか〈第八商店街〉で伝言や取次を何度か頼んだ、カラシンの仲間だったはずである。
「タロ、そうじゃないって」
「それさっき僕が買ってきた奴じゃないですか。本当に油ばっかり売って。ほらほらア、納品行きましょうよう」
「あ、じゃ、リーゼさん? またー! あ、あ。元気出たら今度食事でも!」
「仕入れありがとうございます」
「え、まじ? タロ。今のナイス反応だったんじゃない?」
「カラシンさん、ほらほら。どうせ空振り三振だからあきらめて」
「これは仕事の潤滑油的な会話なんだってばタロ」
「だから潤滑油的にフラれるんですようっ」
 少年に引きずられていくカラシンの声が小さくなっていくのを、リーゼはくすくすと笑いながら見送った。高山三佐ももうじき義手の更新から戻るだろう。自分は恵まれているとリーゼは思った。
 〈円卓会議〉は苦難の時代を迎えている。それはリーゼにもわかっている。
 だから今は少しでも実力をつけたかった。
 それはレベルではなく、この異世界とも関係なく、リーゼという一人の少女が未来の自分に期待する、ひとつの決意だった。



  ◆04


 アイザックはもともと春という季節が好きではなかった。
 ちょいと天気が良くなり気温が上がった程度の話であり、空気は埃っぽくて仕方ないし、夏でもないのに冬でもないだなどと中途半端な季節であることはなはだしい。
 街が奇妙に浮かれ始めるのもよくわからなかった。まあ、決算期やら学校で言えば学年の切り替わりがありそわそわする雰囲気になる理由はわかるが、だからと言ってそれはアイザックにとってメリットがあるかと言えばなく、どちらかと言えば面倒くさいことに属していた。
 子供時代、学生時代を通して春はただ面倒な時期であり、しなくていいケンカをする季節だった。稼ぎを得るようになってからは多少マシになったがそれは浮かれている連中から距離をとる自由が手に入ったことに起因する。
 とにかくアイザックはもともと春という季節が好きではなかった。

 しかしこちらの世界の春はそれとはやや趣を異にしているようだった。
 元の日本よりは冷え込みがきついこの世界において、冬はなかなかの厳しさだった。もちろん〈冒険者〉であるアイザックたちにとって降りしきる雪も凍り付いた森も何ら障害になりはしなかったが、〈大地人〉にとってはそうではない。
 アイザックが二月から断続的に滞在しているマイハマの街は、位置で言えば千葉に当たる。それゆえ豪雪に埋もれることこそなかったがたっぷり二ヶ月は雪景色に覆われたし、池の氷は四〇センチメートルを越えたと聞いた。
 〈冒険者〉の装備を持たぬ人々にとっては、活動が制限される季節だったのだ。
 ヤマト東部を占める〈自由都市同盟イースタル〉は貧しい同盟ではないし、いまとなっては〈冒険者〉由来の新技術により様々な恩恵を受けているが、やはり冬ともなれば夏や秋に比べて様々な収穫物は減少する。雪国ほどではないがそれはマイハマも同様で、保存食を中心とした地味な食生活になりがちだ。春は春というただ埃っぽい中途半端な季節ではなく、冬の終了を意味する季節なのだ。
 ダウンジャケットで動き回り、小腹が減れば街道沿いのファミレスで何でも自由に食べられた日本人として、その辺はすっかり抜けてたわとアイザックは多少反省した。
 心の中で「すまねえお前ら、存分に浮かれろ」とつぶやいた程度だったが。

 そんな考え、というまでもない感想を浮かべたアイザックは、いま四月の風が吹く丘の上で大樹の幹に背中を預けて休憩中である。
 マイハマの都から走って三十分ほどの郊外である。
 このあたりは厳密にいえばマイハマの都の内側ではないのだが、都周辺の村々はほとんどその境界が隣接するほど近く、のどかな田畑が広がっている。
 〈円卓会議〉というよりはシロエの頼みを聞き入れたアイザックら〈黒剣騎士団〉は、この地でマイハマ所属の公爵領騎士団である〈グラス・グリーヴス〉を鍛えていた。
 といっても、騎士団を鍛える実務にアイザックが出ていったら示しがつかない、と団員に止められたアイザック自身は暇である。かといって完全に放り投げるわけにもいかず、こうして教練を丘の上から眺めてあくびをかみ殺しているというわけだった。

 丘はおおよそ半径1キロメートルほどの円形である。小高い中心部は小ぶりな校庭ほどサイズの雑木林があるのだが、それはアイザックの背中方向に広がっている。見通しが悪いというほどもなく、何か動物がいたとしても野犬か狐かイタチくらいのものだそうだ。
 アイザックの見下ろす丘の斜面は、水で洗ったばかりのような鮮やかな緑の春草が茂り、そこを一隊が駆けあがってくる。アイザックが率いる〈黒剣騎士団〉の団員三名ほどを先頭にした〈グラス・グリーヴス〉の一部だ。総勢四十名ほどだろうか。
 〈グラス・グリーヴス〉の教練と言っても大人数では効率が悪い。
 全体を五つほどに分け、三部隊ほどがこの丘周辺にいる。丘のふもとをぐるぐる走り回ったり、木立に突撃の練習をしたりしているはずだ。セルデシアで生まれ育ったわけでもない、ましてや騎士なんかでもないアイザックにはさっぱりわからないが騎士教練だといわれれば、ああそうなのかと思うだけだ。
 春の若草というのは意外なほどに水気たっぷりである。
 〈グラス・グリーヴス〉は騎士団の名を関する通り、コーウェン公爵家から支給された金属鎧をまとっているためにそこそこの重量がある。そんな連中が青草の斜面を教官役にあおられて駈け上ってくるのだ。足元の濡れた草に足を取られ無様に転がるものも多い。訓練が始まって三十分もたてば、手入れをされた銀色の鎧も、青草と泥にまみれてしまう。
 しかし〈グラス・グリーヴス〉の連中は文句ひとつ言わずに跳ね起きると、自分の隊列へと戻るために猛然と駆け出すのだ。
 先頭を走る三人の〈冒険者〉、鋼暴丸、えふり、リィ=ジェントはそれへ向かって「オラオラ! 腕ふり甘え!」「声出せオラア!」などと叫んでしごいていく。まったく暑っ苦しい連中だとアイザックは思ったが、そもそもアイザックが教練から外されたのは、〈大地人〉が耐えきれないほどの熱血体育会系スパルタ指導を行って、部下からさえもドン引きされたからだということを本人は知らないでいる。
 うららかな日の中で他人事として眺めながら考えているのは「暑っ苦しいバカどもだなあ」「本当にあいつら脳みそ入ってんのかよ」「いやだめか、〈黒剣騎士団〉(うち)の団員は頭悪いやつばっかりだし」「いやほんと救われねえわ」といういささか失礼な感想ばかりである。とはいえ呆れながらも頬は緩む。アイザック自身はそのバカが嫌いではない。むしろ可愛くて仕方ない部分もある。嫌いだったら、一秒だってこんなむさくるしいギルドのリーダーなぞやるわけがない。

「止まれ、止まれ!」
「三十分の休止!」
「休めー! 軟弱ぽんちども!」
 と教官役が百メートルほど先で声を張り上げた。アイザックの仲間たちである。なんだかんだ言っても楽しんでいるのがまるわかりなのだ。三人はアイザックのほうをちらりと見るとこそこそと話し合って、ぺこりと頭を下げた。こちらへ報告すべきことはないらしい。教練中は自由にやれと言ってあるので、アイザックも適当に手を振っておいた。
 連中ならばうまくやるだろうと思っている。
 むしろびっくりしているのは〈大地人〉側だ。
 公爵領騎士団〈グラス・グリーヴス〉はこのマイハマを守るコーウェン家の騎士団である。コーウェン家は〈自由都市同盟イースタル〉の事実上の盟主のような位置であり、その領が有する騎士団なのだから、〈大地人〉の中では精鋭である。そんな事前説明をアイザックは受けている。
 まあ、とはいえそれは〈大地人〉基準である。レベル二十五程度しかない集団なのだ。強いわけはないだろうと思っていた。まあその辺は今でも思っている。強くはない。
 しかし、思ったほど、弱くもないのだ。
 〈グラス・グリーヴス〉の連中は根性があるのである。
 いまだってあの鎧を着て二時間のランニングをこなした。

 もちろんそれは九十レベル〈冒険者〉からすれば朝の散歩程度ではある。いやそもそもレベルという概念が存在するこの世界において、そこまで称賛されることではないのかもしれない。しかし、連中は汗みどろになり、泥まみれになり、部外者であるアイザックらにどなられながらも、今までにないほど厳しい訓練を受けながらも、弱音を吐かないのだ。なかなかの根性だと言わざるをえない。
 宿舎に戻ったアイザックの仲間たちも、〈グラス・グリーヴス〉のいないところでは、彼らを褒めていた。教練を始めてはや二ヶ月である。〈黒剣騎士団〉と〈グラス・グリーヴス〉は互いのことがわかりあってきたということなのだろう。
 全体を五つに分けた残り二つのうち一つは市中で休暇だが、最後のひとつは〈ドゥヴァーチャーのバードランド〉でモンスターと交戦中である。さらに小規模に編成した班にバラし〈黒剣騎士団〉の先導のもと、レベルの高いモンスターを狩らせているのだ。いわゆるパワーレベリングである。
 〈大地人〉は成長速度で〈冒険者〉には大きく劣る。報告ではおおよそ五分の一ほどであるらしい。しかしその不利があっても、二十レベルも格上のモンスターを立て続けに倒させれば、〈大地人〉の常識から見れば冗談のような速度でレベルは上がっていく。
 もちろんレベルを上げさせて放置をすれば戦闘力の使い方がわからなくて問題を引き起こすだろう。だからパワーレベリングをさせた後は、こうして肉体をいじめる様な教練をさせて、さらには模擬戦を気絶するほど行い、自分の肉体性能の上昇に慣れさせるのだ。このルーチンが〈黒剣騎士団〉がこの二か月やってきた、レベル上げの教練だった。

 アイザックは瞑っていた目をうっすらとあけた。
 そして再び閉じる。
 何か聞こえたような気がする。気のせいだろう。
 しかしスルーしようと思った現実は「アイザックさまー」というあどけない声でアイザックを捕まえにやってきた。
 何とも軽やかな仕草で走ってきた一人の少年が大樹に寄りかかったアイザックの近くで止まると、頬を染めて呼吸を整えた。白い肌に銀色の髪をもつ利発そうな少年だ。もともと色素が薄いのだろう。体格を見ると頑強さが微塵もない。だからわずかな距離を走っただけで、頬がバラ色に染まって呼吸が乱れてしまう。
 ほとんど苦しそうなほど喉がなっているのに、その表情に浮かぶのは満面の笑みだった。
「アイザックさま!」
「アイザックでいいよ。おまえの呼び方はきもちわりぃ」
 息継ぎのために途中で途切れそうになる呼びかけに、アイザックは上半身を起こした。あとを追いかけてきたフードの〈冒険者〉と侍女たちが、陽ざし除けの巨大パラソルを立てて木陰を拡張すると、アイザックがずれてやった場所に帆布をひく。少年は許可を求める様な表情でアイザックをうかがうが、フードの〈冒険者〉――アイザックの副官レザリックが「どうぞ座ってください」とすすめたので、ちょこんとそこに腰を下ろした。
「でも」
「子供が様とかいうのって鳥肌立たねえか?」
 アイザックは口をへの字に結んで飲み物の準備をする侍女に話しかけた。侍女のほうは困ったような笑顔で「はあ、さようでしょうか……」とあいまいにいうばかりだ。雇い主の子供の礼儀について語るのははばかられるということなのだろう。いいおっぱいなのにもったいないことだとアイザックは、さらに口をへの字にする。
「お前さ」
「イセルスです」
「あー。イセルス」
 侍女から遠まわしに何とかさせる作戦をあきらめたアイザックが話しかけると、イセルスは嬉しそうに応えた。どうしてこんなに懐かれてるんだ俺は、とアイザックは自問する。
「どーにかなんないのか、その口調」
「父様と母様から、礼儀正しくしなさいといわれました」
 父様、母様ときたものだ。アイザックはげんなりとした様子で額を押さえた。
「俺はそういうの苦手なんだよ」
「アイザックさまは〈冒険者〉だし、いまマイハマの騎士団を鍛える、指南役を勤めてくださっているし、それにマイハマを守ってくれたこともあるのです」
 こういう上品で面倒くさいものは元の世界でも〈エルダー・テイル〉の中でも、アイザックは避けてきた。それはクラスティやシロエ、つまり眼鏡連中の担当で、アイザックの担当ではなかった。
 だが、この小さな子供は何を勘違いしたのかアイザックを気に入ったらしい。
 子供で、賢くて、弱っちい。まったく始末に負えないとアイザックは口をへの字にして横目でにらんでやった。
 しかも、イセルスは何を思ったのかにこにこしてる。
「そういうのは全部好きでやったんだよ」
「そうなんですか」
「そうなんだよ。俺ぁ別段さま《、、》とか殿とかそういう大したもんじゃねえんだ。そういうのが得意なエリート眼鏡はもっか旅行中でな」
「旅行ですか」
「まあ、お前の知ったことじゃねえか」
「はいです」
 イセルスはクラスティを知らないので当然だが、疑いを持つこともなくうなずく。
 そもそもあの〈狂戦士〉(バーサーカー)がいれば、自分はこんな役回りにはならなかっただろうと、アイザックは考えている。根っこはアイザックと似たようなところがある癖に、猫のかぶり方だけは超一流。クラスティこそ、〈大地人〉騎士団の教練にはうってつけだったのだ。
 原因不明の行方不明と聞いているが、アイザックはさほど〈狂戦士〉クラスティの身を案じていない。ひょっこり顔を出して、「ご迷惑をおかけしましたね。実は新しい〈大規模戦闘〉クエストを発見しまして」などと言いだすに違いないと思っている。
 ただ、彼の不在のせいで、アキバにきな臭い匂いが漂っているのも事実だった。
 旗印(リーダー)はチームそのものであると言ってもよい。それがいなくなった集団というのは脆いものだ。アイザックは幾つも見てきたのだ。それは大抵が、面白くもない結末だった。だからと言ってクラスティの〈D.D.D〉が無防備だとは思わないが。――そう考えるアイザックにどこか茶化すようなレザリックが呼びかけた。
「アイザックくん」
「おめえはくん付けやめろ」
「ほらイセルスさま。くん付けでよぶといいですよ」
「アイザックくんですか」
 普段は貧乏くじを引いている副官は、アイザックをからかうことのできるチャンスは逃さない。そんな含み笑いでアイザックをちらりと見た。
「お前らマジで――」
「なんだか、かっこういいです。アイザックくん」
 イセルスとレザリックがサラウンドで輪唱してくる。何が面白いのか、イセルスはかくんかくんと頷いては納得している。その様子に侍女たちまでくすくすと笑いはじめる。
「口が四角くなってますよ、アイザックくん」
 レザリックの厄介なところは、いつもいつもアイザックが爆発する寸前で踏みとどまってくる点だ。まるでチキンレースのように、沸点ぎりぎりのラインで言葉を引っ込めてくるのである。
「くっ。お前らマジで〈ソード・オブ・ペインブラック〉つかうかんな!?」
 アイザックの叫びに肩をすくめると、レザリックはさっとイセルスの手を引いて「ささ、騎士団の訓練を激励しましょう。領主一族の仕事ですよ」などと言い始めた。
 前髪をぐしゃぐしゃとかきむしり、アイザックは視線を訓練中の騎士団へと移した。
 見れば、そろそろ駆け込みの足が鈍り始めている。レザリックにからかわれた憂さばらしも兼ねて、あいつらに喝を入れるのもいいだろう。
 アイザックは愛剣をとって、ゆるやかな丘を下っていった。
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