008
「――進行方向、敵の姿は無し」
「進むぞ」
アカツキのひそめた声に、直継がハンドサインを返す。
ここは「パルムの深き場所」。「ティアストーン山地」の地下に広がる古代の地下通路だ。このダンジョンに入ってから早くも一五時間。
覚え書き程度に描いているマップでは、すでに直線距離にして20キロほどは移動していることになる。
シロエは〈エルダー・テイル〉のゲーム時代、ここへやってきたこともあるが、こんなにも広大だとはついぞ気が付かなかった。
アキバの街を出発してから3日。
旅はハイペースで進んだ。
シロエ達の操るグリフォンの速度は単純な早さで云えば馬の三倍程度だろうが、地上の障害物の一切を無視しうると云う点を考え合わせれば、時間当たりの移動速度は十倍にもなるだろう。
グリフォンの能力的な制約上、搭乗可能時間は一日四時間に過ぎないが、そうであっても馬に乗ったならば二週間は掛かりそうな距離を、三日で踏破していた。
その旅が暗礁に乗り上げたのは昨日のことだった。
予測はしていたのだが、「ティアストーン山地」にたどり着いたシロエ達は、そこが鋼尾翼竜の住処であることを再確認させられたのだ。ワイヴァーンは亜竜と呼ばれる竜族の亜種だ。竜によく似た姿を持っているが、前肢はなく、魔法や火炎の息を操る能力もない。竜族としてはかなり下等な種類だ。
しかしだからといって与しやすい相手ではない。
竜族は全モンスターの中でも最高位の体力と防御能力、素早さ、攻撃力を持ち、個体によっては高い知能と魔法を操る能力さえ保持している。多くのファンタジー物語においてそうであるように、〈エルダー・テイル〉においても竜は冒険者最大の敵なのだ。
ワイヴァーンも下級亜種族とは言え、その竜の眷属である。
魔法行使能力はないものの、尾は鋭く鋼のような強度を持ち、カミソリのような翼は巨大鷲にも匹敵する移動速度を与えている。
もちろん、シロエ達も最高峰の実力を持つプレイヤーだ。地上でワイヴァーン一匹と戦うのならば、これを難なく葬り去るだけの戦闘能力はもっている。
しかし、山地上空でグリフォン騎乗時にワイバーンの集団に襲いかかられると、勝利を収めることは難しい。
「ティアストーン山地」がワイヴァーンの住処であることは、旧〈エルダー・テイル〉時代からそうであった。シロエもこの事態は覚悟して進んできたために、何も考えずに山地上空に突っ込むという事態が避けられたのは僥倖である。
もし仮に何の策もないまま空中戦闘と云うことにでもなれば、ワイヴァーン数匹の撃退は可能だろうが、数十匹の竜からなる集団の波状飽和攻撃を受けて、やがては地上へとたたき落とされるような結果となっただろう。
空中戦において優雅な引き際というものは存在しない。
敗者は数百メートル下の地上という死刑執行地へと強制送還される運命が待っているのだ。
そんな罠を避けて地上で息を潜めたシロエ達が選べる進路は四つ。
洋上にまで大きく迂回をするか、「ティアストーン山地」の深い森の中を歩いて山岳踏破をするか、そうでなければ「ティアストーン山地」地下深くに眠る古代の坑道とトンネルの複合建築物、「パルムの深き場所」を抜けて更に北を目指すか、山中の道路を登山するかであった。
シロエ達は協議の末、トンネル突破を決意した。
もろもろの事情から考え、それがもっとも短時間で済み、安全面での条件と合致すると思われたからだ。
山麓に広がる森、岩肌に作られた巨大な工事現場の廃墟から坑道に侵入して一五時間。トンネルは思ったように土塊作りの粗雑なものではなく、コンクリートで作られたライトグレーの広い地下通路が、魔法の明かりの中に続いている。
地下下水処理施設の最も広い水流通路のように、定期的に細い連絡通路が左右に伸び、所々に何の目的に使われていたのか、無味乾燥な正方形の部屋が現われる。
設計者の意図も、使用者の痕跡も、長い長い間に風化し、全ては埃と瓦礫の下に封印されてしまったのだろう。
地下水の流れるひたすらに広いこの洞窟の現在の主は、ラットマン達であった。
〈鼠人間〉。
それはこの世界に多数生息する亜人間の中でもかなり下等な種族だ。姿としては鼠の頭部を持った人間と、直立した鼠の中間くらいだろうか。身長は中学生ぐらいだが、毛皮のせいで体型の判別は難しい。全身湿ったような滑らかな毛に覆われ、簡単な道具を使いこなす。
シロエ達のような高レベルのプレイヤーにとってその戦闘能力はまったく脅威ではない。ラットマン達は(もちろん個体にもよるが)ゴブリンやオークよりも更に弱い場合が多いのだ。それでもラットマンのやっかいな武器はふたつ残されている。数と疫病だ。
「ねずみ算」などと云う言葉があるように、鼠の繁殖力は旺盛で驚異的である。ラットマン達もその特徴を備えているのか、狭い地域に集中して、相当な数が生息しているのだ。
現にこの坑道に入ってからも、数m四方の部屋に二十匹以上のラットマンが群がっている光景を何度も見てきた。
通常どんな生物であれ、相手が自分よりも圧倒的に戦闘能力が高いと判れば逃亡を図る。それは野生動物などに顕著だが、当然ラットマンも例外ではない。シロエ達は高レベルプレイヤーであるし、その能力は周囲にも判るのだろう。
その証拠に、アキバの街からここに至るまで、シロエ達は殆ど戦闘らしい戦闘をしないで旅をしてきた。今回の旅はセララという少女、〈三日月同盟〉のメンバーを救出することが任務である。シロエ達は余計な戦闘訓練も探索も省き、一気にここまで移動してきたし、その目的上、モンスター側が逃げてくれるなら都合が良かった。
しかし、ラットマン達のように密集するモンスターが相手の場合、しかもそれらと狭い行き止まりの通路や部屋の中で遭遇してしまった場合は話が異なる。ラットマン達の側が逃げようとしたところで、逃げる先がないのだ。
そうなると、例えシロエ達が引いてやっても逆上して襲いかかってくる事が多い。まさに「窮鼠猫を噛む」を地で行く状態だ。
戦闘で負けるとは思わないが、数の多いラットマン達を倒すのはそれなりに時間が掛かる。精神衛生上も余り良くはない。
もうひとつの問題点は、疫病だ。
ラットマン達は、中世の鼠がそうであったように疫病を媒介するのである。〈エルダー・テイル〉の仕様がここでも忠実に再現されるのであれば、その病気は回復を妨げ、持続的なダメージを巻き起こす質の悪いものであるはずだ。
この坑道のラットマン達のレベルは40前後。
伝染させる疫病にもレベルが存在し、それは疫病の持ち主に準拠する。この場合は、疫病のレベルも当然40前後のレベルを持つはずで、中堅レベルの回復役が一人いれば簡単に治癒できる程度でしかないが、いまのシロエ達には回復役はいない。
マーケットで購入してきた「対病毒ポーション」を飲んではいるが、これは予防手段であって、治療手段とはなり得ない。レベル差がこれだけある状況だと、そもそもそんな攻撃を喰らう可能性はかなり低いが、それでも気をつけるに越したことはなかった。
「この部屋は、そこそこ安全っぽいな。――どうする、シロ?」
「えっと……。そだね。休憩にしよう。直継はドアの近くへ。僕はマリ姐に定時連絡をする。アカツキは……」
「偵察してくる」
返事を待たずにアカツキの姿は闇の中に溶ける。
シロエ達のこの種の行動分担は、すでに定番となってきている。シロエも直継も初めは小柄な少女を一人で偵察に出すことに抵抗を覚えていた。
しかしアカツキにはその能力が十分にあり、彼女のプライドからするとそうやってパーティーに貢献したいのだ。それを理解すると、(諸手を挙げて、と云う訳ではなかったが)この役割分担を受け入れるようになっていた。
確かに偵察はアカツキの得意なジャンルの行動だし、手分けとしては正しい。生真面目な少女は自分の任務にあくまで忠実だ。
がらくたの中から手頃なスチールボックスを引きずり出した直継は、ドアの近くに陣取ると、剣を抱えて耳を澄ましている。仮にラットマンや他の怪物が接近してきてもいつでも応戦できる構えだ。
シロエはそれを確認すると、瞳を半眼にして脳裏にメニューを展開。念話機能を呼び出して、マリエールに連絡を入れる。旅に出てからまだ四日だが、シロエは毎日一回は定期的に連絡をいれていた。マリエールもそれは判っているらしく、すぐさま返事が返ってくる。
『おつかれ、シロ坊。……どう?』
「こっちは問題ないです。昨日はあのあと野営をして、午前中早い時間に「パルムの深き場所」に突入しました」
『んじゃ、いまはダンジョンの中?』
「そうです」
『何でそないに早いねん。まったくお姉さんはびびるで、かなわんわぁ!』
「はい」
マリエールの温かい言葉がくすぐったい。
本当はもうちょっと気の利いた言葉が返せればいいのだけれど、なかなか上手く行かないな。シロエはそう思いながらも、丁寧に返事をする。
マリエールはシロエ達の移動手段――グリフォンを知らない。
この世界の移動手段は召喚笛による馬が一般的だ。
非常に高価なアイテムとして調教した〈戦闘用猪〉などもあるし、中国サーバの一部では〈騎乗用大型狼〉なども使われているという話がある。
また〈召喚術師〉は自らの移動用として〈一角馬〉を初めとして何種類かの召喚生物を呼ぶ能力を持っている。しかし、空中を移動できる召喚生物は高位の〈召喚術師〉でもない限り呼び出せないし、ましてや〈付与術師〉や戦士、武器攻撃職が持っているとは、普通のプレイヤーならば想像の埒外だろう。
『ほんまやで。うちらが向かってたら、まだまだその半分の半分も進めてなかったと思う。ほんま、ありがとな』
「気にしないで下さい。……あの。状況はどうです?」
『ちゃんと連絡は取れてん』
定期的に連絡をしている理由のひとつがこれだ。
シロエたちはセララという少女を救出に〈エッゾ帝国〉にあるススキノの街に向かっている。しかし、シロエ達はセララに念話で連絡を取ることは出来ない。
なぜなら、念話機能はフレンド・リストに登録した相手にしか話しかけることが出来ないからだ。そしてフレンド・リストへの登録は、目の前で実際に対面している相手に対してしか行う事が出来ない。
つまりセララという少女をフレンド・リスト登録していないシロエ達は、彼女と直接連絡を取ることは出来ないのである。
「状況はそのまま?」
『うん。なんか、例の親切な人と隠れてるらしいねん。今のところはひどいことになってないし、大丈夫だってゆうとる』
「了解です。そんな人が居るなんて、ススキノも捨てたものじゃないですね」
『せやね』
セララという少女は、悪質なプレイヤーの集団に目をつけられ、脅迫まがいの勧誘を受けて居る。一時は監禁され、性的な暴行さえ受けかけた。しかし現在はなんとか脱出して、ススキノの街のある場所に隠れているらしい。
ススキノの街は大きさこそアキバの街と同程度だが、いま現在そこを拠点に活動しているプレイヤーは二千人程度――アキバの街の約1/8だという。それは相対的に見た場合一人一人のプレイヤーが目立つと云うことでもある。
たとえばマーケットに食料の買い出しに行くのさえ、人混みに紛れてこっそり行なう難易度は何倍にもなるだろう。その人数では、隠れきるのは殆ど不可能であるとマリエールもシロエも考えていた。
しかし、セララは協力者を見つけたらしい。
詳しくは聞いていないが善意のプレイヤーで、セララが〈ブリガンティア〉という凶悪なギルドから逃れられたのも、その助けがあったからだというのだ。
正体が敵に割れていない協力者が居るならば、買い出しなどは非常に楽になる。それならば救出に行くまでの間、セララが隠れきることも可能だろう。ススキノの街にいるプレイヤーが二千人程度だとすれば、人が隠れられる場所はずいぶんたっぷりと余っていることになる。先ほどとはまったく同じ理由で、潜伏しているだけならば安全が保てる理屈だ。
シロエはそう考えて、少しだけほっとする。
「いまはダンジョンの中だから、ちょっとこの先の予定は見えないです。だから抜け出したら連絡します。ティアストーン山地が事前の予想では一番の難所でしたから――」
『海峡はどないすん?』
「行って考える予定です」
実際はグリフォンで突っ切るつもりだが、シロエは何となく誤魔化す。アカツキは素直に受け止めてくれたが、飛行移動可能な騎乗生物を所持しているなどは、一般のプレイヤーにとっては嫉妬の対象でしかないだろう。
そして、その入手方法を知っているプレイヤーにとって、あのグリフォンを所持していると云うことは死霊が原の大規模戦闘に勝利した証拠となる。一部のプレイヤーにとって、ギルド未加入者が「それ」を達成したと云うことは、許し難い事態なのだ。
『シロ坊達なら、いけそうやな』
シロエの行き当たりばったりにも聞こえる発言に、マリエールはくすくすと笑ってくれる。
(無理してるはずなのに。マリ姐は強いな)
「こちらは今のところ大きな被害もないです。戦闘自体あんまりしてません」
『了解や!』
「では、また」
『はいなぁ! ユーララの神様お祈りしとるっ。直継やんにも、アカツキちゃんにもよろしうなっ。ヘンリエッタが寂しがっとるで!』
最後にはユーララの神などと、この異世界の神官らしい言葉を口にして念話は切れた。
(ここまでの処は、順調……っと)
「主君、状況はどんな感じだ?」
「~っ!」
念話に集中していたせいでまったく気が付かなかったが、いつの間にかアカツキが戻っている。振りかえると直継はもぐもぐと保存食をほおばり食事中だ。
「アキバの街も変わりなし。目標のセララは現在ススキノで潜伏中、トラブル無し。状況は継続中です」
「了解だ」
アカツキは言葉少なく答えると、荷物から大きな水筒を取り出す。
水筒のサイズは同じなのだがアカツキが持つと大きく見えるのだ。
シロエはそんなアカツキに、これも背負い袋から取り出したオレンジを手渡す。全ての食料アイテムが同じ味しかしないこの世界において、素材のまま食べられる果実は、唯一違った味わいを感じられる貴重品だ。
シロエらが持っている背負い袋はマジック・アイテムで、重量200キロまでのアイテムを納めることが出来る優れものだ。バッグが持っているそれ自身の重さ以外、つまり内部に収納した全てのアイテムの重量は、バッグにそのアイテムを格納している限り消去される。そのため持ち運びも小振りなナップザック程度の重さしか感じない。
この種の「魔法の鞄」は〈エルダー・テイル〉の代表的なマジック・アイテムで、納めることが出来るアイテムの種類や限界重量などで幾つかの階級に分かれているが、便利なのでプレイヤーの殆どがひとつは持っているはずだ。
この背負い袋があるお陰で、ダンジョンなどでお宝を見つけても、戦闘を継続できるし、食料や野営道具の持ち運びも苦にはならない。
この世界で生き抜く必須アイテムと云える。
「偵察の報告良いかな。地形照合したいです」
「心得た」
アカツキはナイフで器用にオレンジを剥きながら、偵察の結果を報告する。ダンプカーですら並んで入れるほどの規模を持つトンネルの本体は迷いようがないが、その本道に対して枝道は無数に交差している。
本道を突っ切ればとりあえずの目的は果たせるが、場所によってはラットマン達が集落を作っていることもあるために、迂回した方が良いこともあり、アカツキの偵察情報は貴重なものだ。
そのアカツキの報告を聞きながら、シロエは手元の紙束に新しい枝道を書き記す。
「こんな感じでいい?」
「うん、正確だと思う。……主君はこういう事が得意だな」
背伸びをしてシロエの手元の図面を見るアカツキは、新しく書き足された部分を検分すると、感心したように云う。
「CADみたいなものだよね。僕は〈筆写師〉だしね」
「CADとはなんだ?」
「パソコンでやる製図。大学でやるんです。工学部ですからね」
「主君は大学生なのか?」
シロエは頷いて「もうそろそろ卒業だけどね」と返す。現実世界のことはなんだか遠いような話で、実感が薄れつつある。
「そうか。ではわたしと殆ど同じ年なんだな」
「え?」「まじかよっ!?」
アカツキの言葉にシロエと直継の突っ込みが同時に入る。
「そんなに意外か?」
平静に返すアカツキには悪いが、シロエはアカツキのことを少なくとも3、4歳は年下だと思っていたのだ。
「冗談だろ、ちみっこ。だって、ちみっこ身長無いじゃぎゃふっ」
言葉を叩ききるように鋭い飛び膝蹴りが直継の顔面に入る。
「主君。バカ直継を蹴っても良いだろうか?」
「だからそう言うことは事前に断り入れろよっ!」
二人の漫才はそれとして、シロエも内心冷や汗を流す。口にこそ出さなかったが、シロエがアカツキを年下だと想像していたのも、云われてみれば身長ぐらいしか根拠がない。
「だいたいバカ直継は身長のことをあげつらいすぎだ」
「胸のサイズは更に壊滅的じゃぎゃっ!?」
今度は左の美しい飛び膝蹴りを喰らう直継。二人の身長差からして、アカツキは垂直跳びで2m近く飛んでいるはずだが、鮮やかな空中姿勢で後方に猫のようにひるがえると着地する。
「――アカツキ? 直継死んじゃうよ」
「主君がそう言うなら……」
アカツキは渋々と距離をとる。シロエとしても内心は年下だと思っていただけあって、表立ってではないけれど直継にフォローを入れざるを得ない。
「まさか主君も私が未成年だと思っていたのか?」
迫力あるアカツキの視線に耐えかねて、そんなシロエは口調もボソボソと告白することになる。
「別に身長って云うか――年齢って云うか。……そういう訳じゃなくて、えーっと。ほら、僕も……しばらく面倒見てたというか、一緒に遊んでた双子のプレイヤーが居たから」
「ふむ、どんな?」
「そういやそんな話をしていたな」
「別に深い付き合いという訳でもないんだけど。――その話は、道すがらにでもしない? このトンネルは、まだまだ先が長そうだし」
◆
シロエがその双子と知り合ったのは、もちろんまだこの異世界が異世界ではなく、〈エルダー・テイル〉はただのゲームとして世にあった頃の話だった。
シロエは少し風変わりな――高レベルの〈付与術師〉なんて風変わり以外の何者でもないのだが――ソロプレイヤーとして、アキバの街を活動拠点として日々のゲームを過ごしていた。
〈放蕩者の茶会〉が無くなった頃、シロエは本当の意味での根無し草だった。もちろんそれは悪い意味ではなく、シロエ自身はそんなゲームライフをそれなりに楽しんでいたのである。
あちらこちらのパーティー募集。
アキバの街の広場にいれば、声を張り上げて誘う声はあるし、当時はまだただのゲームでしかなかった〈エルダー・テイル〉においては募集チャンネルというサーバー全域にメッセージを伝達するシステムもあったのだ。
そういったいわば野良のパーティー募集に参加をして戦闘をすることもあったし、時にはマリエールのような顔なじみに誘われてダンジョンに赴くこともあった。もちろん単独で行動して、興味を持ったゾーンを調べたりアイテムを採集したりすることもあった。
〈筆写師〉であるシロエは生産職でもある。〈筆写師〉は書籍や図面、魔術の教本などを複製するのがゲーム中の主な能力だ。生産職は何でもそうだが、最終的に生産するアイテムを作るためには素材となるアイテムが必要とされる。
料理の場合の食材に相当するアイテムは、〈筆写師〉の場合は紙とインクだ。かといって、紙とインクでさえあれば、何でも良いという訳ではない。通常の写本であればインクはノンプレイヤーキャラクターが売っているものでよいが、魔力を込めた高位の魔術書や奥義書を複製するためには、それなりに魔力を秘めたインクが必要となる。
そう言ったインクを作り出すのも〈筆写師〉の仕事であり、そのためにはドラゴンの血液や希少な鉱物などが必要なこともあった。
そのためには、あちこちのゾーンへ出掛けたり、希少なアイテムを見つけるための戦闘なども必要だったのだ。
最初に声をかけてきたのは双子の方だった。
「兄ちゃん、兄ちゃん。へい、すとぉっぷ!」
「あのー。すいません。申し訳ありません。お聞きしてよろしいでしょうか? 質問的なことなのですがっ」
そう声をかけてきたのは、アカツキよりは多少高いがシロエの肩まではないような身長の二人組だった。
少年の方は安っぽい鎧を着けて、刀を背負っている。
少女の方は白いローブに鈴のついた長い杖。
「いいけど、どしたの?」
アキバの街の雑踏の中でシロエは答える。
装備を見ただけで二人は明らかに初心者だと判った。それも最初期の、完全な初心者だろう。ボイスチャットから聞こえてくる声は中学生か、小学生か。とにかく幼いものだ。
「魔法が弱くて、トウヤの傷が治らないんです。聞いてみたら、もっと高いの買えって言われたんですけど、何処で売ってるかわからなくて。もしかしたら、販売場所をご存じですか?」
ボイス・チャットから漏れてくる少女の口調は、ずいぶんとしつけが良さそうだった。
「俺の技も欲しいんだ。兄ちゃん知ってたら教えてよ。頼むよ~」
二人の頭上には名前を示す表記が碧色の文字で浮かんでいる。少女はミノリ、少年はトウヤ。二人ともレベルは6。
〈エルダー・テイル〉における初めのクエストはチュートリアルだ。アキバの街を開始場所に選んだプレイヤーは「カーネル少佐の戦闘訓練場」という専用ゾーンに強制的に送られ、そこでゲーム操作の基本的な実習をさせられる。
ちなみにカーネル少佐は白髭の温厚な紳士という外見を持っていながら一旦切れると何をしでかすかわからないと云う困った設定のノンプレイヤーキャラクターで、少佐なのか大佐なのか判らないと一部では評判の人物だ。
カーネル少佐の1時間ほどの訓練を終えるのがレベル4なので、二人はおそらく、昨日か今日にでもゲームを始めたまったくの初心者と云うことになるだろう。
「もしかして、今日が初日なのかな?」
「はい」「そうだぜっ」
二人の声が唱和する。
人付き合いがそんなに得意ではないシロエとはいえ、別に人間嫌いという訳ではない。ただ損得感情で近寄ってくる他人に対して構えてしまうだけだ。
その意味で、シロエは初心者プレイヤーが嫌いではない。
〈エルダー・テイル〉を好きな一人のプレイヤーとして、初心者は歓迎したいと思っている。古参プレイヤーである責任を考えれば、なおさらだ。
「そっか……。案内するよ。こっちだよ」
街を案内する程度は労苦と云うほどでもない。
そう考えてシロエは二人の先頭に立って歩き出した。
こうしてその二人、ミノリとトウヤという双子と知り合ったシロエはそれからもたびたび二人と付き合うことになった。
物怖じしない性格のトウヤは街中で見かけると必ずシロエに対して大きな声で呼びかけてきたし、ミノリの方は礼儀正しくて折に触れお礼を述べに訪れたりしたからだ。
二人は双子で、その出生時間は僅差であり、ミノリの方が姉、と云うことになるらしい。大人びていて委員長体質の姉が、明るいが向こう見ずで遠慮知らずの弟の面倒を見る。それが二人の基本的な活動スタイルのようだった。
二人は中学二年生で幼いと云えるほどに若く、この〈エルダー・テイル〉が最初のオンラインゲームで、二人とも初めての経験にすっかり興奮している。そんな話は最初に出掛けたフィールドゾーンで二人が口々に説明してくれた。
その最初の冒険は相当に大騒ぎだった。
モンスターを見かけるとまるで誘導ミサイルででもあるかのようにトウヤが突っ込む。それを慌ててミノリが追いかける。二人で悪戦苦闘をして泣きそうになる。
そんな微笑ましい光景が何回も何回も繰り返されるのだ。
〈エルダー・テイル〉には「師範」というシステムがある。
簡単に言うと高レベルのプレイヤーが低レベルのプレイヤーと一緒に遊ぶためのシステムだ。シロエが二人に対してこのシステムを使用すると、90レベルのはずのシロエは、一時的に二人に合わせてレベルが低下する。もちろんレベルだけではなくHPや能力値、攻撃力など、全般的なステータスが大幅に低下してしまう。
これは、低レベルの仲間とでも、同じような強さになって一緒に冒険をするためのシステムだ。
もちろんシロエには古参プレイヤーとしてのゲーム知識があるし、弱体化したとは言え、かなり裕福な装備を持っているから、一般的な初心者に比べればまだ強力だ。しかし、その差はレベルに換算して1~2というところだろう。「師範役」をするのには丁度良くなる便利なシステムだった。
シロエはそのシステムを活用して二人を追いかける。
攻撃魔法を撃って敵の数を減らすのだが、ただでさえ低い威力の〈付与術師〉の攻撃魔法はレベル低下によって見るも哀れな威力になっていた。しかしそれでもまだ駆け出しの二人にとっては心強い援護だったようだ。
「さんきゅー! 兄ちゃん! そら、あっちの敵にも突撃だぁ!!」
「待ちなさいよ、トウヤったら!! ほら、HP減ってるんだってばぁ!!」
そんな二人に引きずり回されて、終日狩り場を駆け巡ったりもした。
弟のトウヤは〈武士〉。
戦士系3職のうちひとつ。〈エルダー・テイル〉において、魔法も剣技も「特技」として表現される。特技には固有の名称や効果の他に、消費MPと、発動時間と再使用規制時間と云う数値が設定されている。
発動時間は使用を決定してからその特技が発動するまでの時間。いわゆる「タメ」に相当する時間だ。再使用規制時間はその特技を一回使用したあと、再び使用できるまでに掛かる時間をしめす。
〈武士〉の特徴は多くの技の再使用規制時間が長いことにある。
威力は強力だが、連射の効く特技は少なく「一回の戦闘に一回か二回しか使用できないような大技」が多い。それは細かい技を積み重ねてコンボを成立させてゆく〈武闘家〉とは逆の特徴だ。
〈武士〉は強力な特技が多いため、「戦闘が短時間」という条件を満たせば戦士系職業の中ではもっとも攻撃力が高い。その意味では爽快感のある人気職業だ。
一方、使いこなせないと、手持ちの特技を使い切ってしまい、全てが再使用準備中というハメになって、打てる手が無くなってしまう。とっさの対応や保険がなくなるという特徴も持っていて、極めるのはなかなか難しいクラスでもあった。
「行っけぇぇぇ~っ! 〈兜割り〉ッ!!」
突っ込んだトウヤが一匹のゴブリンに向かって正面から太刀を振り下ろす。その攻撃はゴブリンの中途半端な装甲を断ち切って一撃で大きなダメージを与えるが、トウヤ自身は技後硬直で大きな隙が生まれる。
「グガァッ!」「ガフッ! ガフッ!」
ゴブリンの群はその隙を見逃さず殺到する。トウヤは慌てるが、硬直時間は回避行動さえ取れない。
「ああっ。トウヤっ。下がって、危ないっ! ううっ。〈禊ぎの障壁〉っ!!」
ミノリが鈴のついたスタッフを振るうと、水色に輝く鏡のようなエフェクトが現われて、ゴブリンの攻撃を受け止めた。
姉のミノリは〈神祇官〉。
回復職3職のうちひとつ。回復職は全てHPを回復し、仲間の状態異常を治療する職業だ。また様々な形で仲間の能力を高める多くの呪文を持っている。
全ての回復職は、仲間のHPを回復するという点では似たような呪文を持っているが、それ以外にも、それぞれ固有の回復特技を持っていて、そこが特徴付けにも一役買っている。
古き神々の使徒たる〈神祇官〉のもつ固有回復能力は「ダメージ遮断」だ。特定の仲間や仲間全体を対象にするこの呪文は、ある種の結界を張り、一定量以下のダメージ全てを「吸収」してしまう。
総合的な回復能力では3職の中では比較的劣るが、「ダメージ自体を無かったことにする」という特殊性は、場合によっては非常に強力なアドバンテージを発揮する。
しかし一方、敵の攻撃の種別や範囲を事前に予測しなければならないために、使いこなすのがなかなか難しい能力であるとも云えた。
〈エルダー・テイル〉においてはどのメイン職業でもそうなのだが、なかなか一筋縄ではいかないように設計されている。それが「奥深い」部分でもあるから仕方ないが、トウヤとミノリの双子は、そんな事とはお構いなしに純粋にゲームを楽しんでいるようだった。
シロエは二人にせがまれて、アキバの街近郊の様々なゾーンを案内したし、買い物にも付き合って、色んな質問にも答えた。
シロエは一度「もうちょっと良い装備とかあげようか?」と尋ねたことがある。良い装備とは云ってもレベル10程度のものであれば、シロエはいくつでも手に入れることが出来たし、簡単にマーケットで購入することもできた。
しかしトウヤは「えー。要らないよ。だってわざわざゲームやってるんだよ? 一番面白いところは集めるところなんだから、貰っちゃったら、遊んでるだけ損だよ~」と云って断った。ミノリは「ごめんなさい、ごめんなさい。トウヤが生意気を云って本当に済みません。でもシロエさんには本当に良くしてもらっちゃってますからっ」と何度も頭を下げた。
そんな二人だから、シロエも安心をして「師範役」を務めることが出来たのだ。シロエを便利な古参プレイヤーとして扱わない双子と遊ぶのは、楽しい経験だった。そしてそれは「あの日」の〈大災害〉が起きる直前まで続いたのだった。
◆
「へぇ、そんな双子がいたのかぁ。そんで?」
「それで、って?」
「その双子のその後ことは判らないのか? 主君」
三人は魔法の明かりでトンネルの内部を照らしながら進んでいく。シロエの身長の何倍もあるような天井は闇に溶けて、地下であるにもかかわらず、そこは夜の内側のようだった。
話ながら進めば、ラットマン達も事前に気が付いて逃げてくれるのではないかと、三人は気配を殺すのをやめてこうして雑談をしながら進んでいる。どうやらその作戦は当たりのようだった。
「フレンド・リストにはいるよ。……実はあの〈大災害〉のあとにも何度か見かけた」
「やっぱし巻き込まれたのか」
「直前まで一緒にいたから。……僕も、多分あっちもアキバの街に巻き戻されたから、そこでばらばらになっちゃった訳だけど」
「私も廃墟の中に転移させられた」
やはりあの瞬間、プレイヤーは手近な街に待避させられたらしい。
「声、かければ良かったのによ。あっちはあっちで大変だったろうに。素人なのにこんな事になっちまって」
直継はそういう。
〈放蕩者の茶会〉に居た仲間は多かれ少なかれ面倒見がよい人間ばかりだったけれど、その中でも直継はずいぶん下の面倒を見るプレイヤーだったとシロエは思い出す。
(みんなのことを守る〈守護戦士〉なんて、面倒見が良くないと出来る事じゃないよね。……直継の場合、その言葉遣いで損してる感じなんだけど)
シロエは密かに思う。
アカツキのことをチビ扱いしていようと、その件で膝蹴りをされようと、ひとたび戦闘になれば仲間に危害が及ばないように全力を尽くすのが直継という男だ。
「最初の数日、僕たちも精一杯だったし、余裕がなかったんだよ」
正確に言えば、シロエ達だけではなく、全プレイヤーがそれどころではなかったのだ。全員が自分以外のことを考える余裕を失っていた。
「それに、その次見かけたときは二人ともギルドに入ってて」
「へぇ、そうなのか」
「あの頃は勧誘も激しかった」
アカツキの語る言葉に、そう言えばそうかと直継も頷く。
「レベル20だっけ? それくらいなんだよな」
「いまではもう少し育って居ると思う」
「じゃぁ、ギルドに入っておくにこしたことはないか。右も左も判らないもんなぁ」
直継はそういうと、大きくのびをしながら身体ごとくるりとシロエを振りかえる。
「で、そのミノリって娘は可愛いのか?」
「……え?」
シロエは思い出す。……しかし考えてみれば、二人のことをちゃんと見ていたのはゲームとしての〈エルダー・テイル〉でのことだ。当時は画面の中のポリゴン人形でしかなかったのだから、可愛いも何も判る訳がない。〈大災害〉のあとは面と向かって話した訳でもないので、そんな事を聞かれても困る。
「いや、良いんだって。そーゆーのは。ボイス・チャットで喋ってたんだろ? 声から判るじゃないか、可愛いかどうかってのは」
シロエがわからないと云ったにもかかわらず直継は食い下がる。
二人の会話に呆れ気味なアカツキは数メートル先を無言で歩いてゆく。
「んー。可愛いか可愛くないかで云えば……。やっぱり判らないよ、そんなの。……話し方で云うと、女の子らしくて丁寧で――育ちがよい感じ? かな。ヘンリエッタさんとは違った意味で、しつけの良い家庭なんじゃないかって思う」
シロエが思い出しながら説明するその言葉のひとつひとつに、直継はうんうんといちいち頷く。非常に嬉しそうだ。
「そうだよなぁ。女子中学生おぱんつはそうでなきゃ行けないっ!」
「なんでそこでぱんつがでてくるのさっ!」
「なんだよ。シロは『ぱんつはいてない女子中学生』のほうが好きなのかよ。まったくむっつりだなぁ」
「僕はパンツ魔神じゃないっ」
あまりにあんまりな直継のぱんつ談義にシロエがさすがに言い返す。
「ふんっ。シロ、いいか? 自分で脱がすのが楽しいんだよ。判るだろ? プレゼントと一緒だ。最初からはいてないなんてはしたないぞ? それともシロエは履かせるプレイが良いのか?」
「僕が変態みたいな前提で話進めるなよっ」
「主君。このバカを蹴っても良い……か?」
アカツキがシロエと直継から離れてじぃっと見つめてくる。普段なら蹴ってから確認してくるはずなのに、微妙に引いてるような表情なのがシロエに深いダメージを与えた。
「ちょっと待ってアカツキ。僕には変な趣味はないからね」
「異性の下着に興味を持つのは変な趣味とは云えない。わたしだって理解しているつもりだ」
アカツキが生真面目な表情のまま、慰めるような口調でシロエに語りかける。
「おい、ちょっとまてちみっこ。じゃぁ、何で普段の俺は蹴られてるんだよ。打撃技コンボ祭りかよ」
「個人的に腹立たしいから」
「そうだよな。そんな理由だよな……。ってそんな理由なのかよっ」
アカツキと直継の言い合い。
(直継への突っ込みには膝くらい入れないと追いつかないよ、堅いから。――じゃなくてっ。待て待て。このままじゃ駄目じゃないかっ)
「とにかく、アカツキっ」
シロエはアカツキに近寄ると、その肩をしっかりと押えて正面から云う。
「僕は異性の下着に興味はない」
「同性の下着にしか興味がないみたいだなぁ、ええ? シロ」
「ニヤニヤして混ぜっ返すなよ直継っ!!」
「そうだったのか……? 主君」
アカツキが珍しく怯えたような声を出す。
「ああっ、もうそうじゃなくてだなぁっ!!」
結構純情な〈付与術師〉が真っ赤になって否定をくりかえし、なけなしの精根が尽き果てるまで、直継とアカツキの二人は、自分たちの参謀をからかい続けるのだった。
◆
長い長いトンネルを抜けたのは夜明けの最初の光が、地平線を飾る山々の稜線を紫色のラインで縁取る頃だった。長い間地下にいたシロエ達は、冷たくもかぐわしい風に吹かれて大きく身体を伸ばす。
別段腰をかがめなければいけないような小さな洞窟にいた訳ではないが、それでも頭上に何億トンもの大量の土砂が存在するというのは、予想外に重圧のある体験だ。
いまはただ、まだ藍色の闇の残る夜明けの初夏の空が頭上にあることが嬉しい。
「風が冷たい」
森と海を見下ろす大岩の上に身軽に飛び乗ったアカツキが云う。
「でも、気持ちいいぞ。やっと抜けたなっ。難所越えたぜ祭りっ」
そんな二人をシロエは追いかけて、その大岩へと上る。
確かに風は冷たいが、見下ろす景色は圧倒的だった。黒に近いほど濃い緑の原生林を、薔薇色の光が筆を大きく振るうように染め上げてゆく。
夜明けの風に流されてゆくペースの速い雲が、森の梢の上に影を投げかけて、それが渡ってゆくのさえ美しい。
「綺麗だぞ」
「すっげぇな」
仲間の短いコメントが、それで全てを表していた。
そう言えば、これは初めてだ、とシロエは思う。
(この景色を見るのは、僕たちが初めてだ。――アキバとススキノの間を渡りきった人間は、この異世界ではまだ居ない。この景色を見たのは、僕たちが初めてなんだ。
ゲームとしての〈エルダー・テイル〉なら夜明けのこの場所を通りかかったプレイヤーなんて沢山いる。
でも、この異世界では僕たちが初めてで、初めってって云うのは……)
――やっぱ冒険って云うのは初体験って訳よ。もうね、どきどきわくわくでガクブルジョーってなもんよ。え? なに? 漏らすな? 漏らしたって良いのよ楽しいんだから。楽しくないの? 楽しいでしょう。だってこんなにすごいもん見れたんだもん、丸儲けよね! はははははっ!!
〈彼女〉の台詞を思い出す。無闇に自信満々で、根拠なんて無いくせに確信に満ちていて、思いつきとハッタリと勢いだけの発言で構成されていた〈彼女〉。それでいていつでも正解が判っていた〈彼女〉。
〈彼女〉だったならば、この景色もきっと勲章として胸に飾っただろう。
「僕たちが初めてだよ」
だからシロエはその気持ちのままに、二人の仲間に声をかけた。
「僕たちがこの景色を見る、この異世界で最初の冒険者だ」
シロエは自分で意識して初めて異世界だと言い切った。
どんな小理屈よりも明確に、眼前の圧倒的な自然は伝えている。こんな景色は、ゲームなんかでは見られない。こざかしいVRではありえない、夜明けの風と、冷たい空気と、木々を渡るかすかな音と、ミリ秒単位で変わっていく夜明けの光景。
この世界へとやってきて、周囲の全員がパニックになっていたときも、目的を見失って治安を悪化させるプレイヤーが居たときも、シロエはどこかで落ち着いていた。しっくり来ていた、と云っても良い。
(……我ながら環境適応能力があるな、なんて思ってた。直継が居て茶化してくれるから辛さを忘れられるのかな、とも思った。アカツキと合流して日々が騒がしくなってそれで救われたのかとも思った……)
そう言った要素がないとは思わないが、それだけではないとシロエは判った。この異世界にやってきたとき、アキバの街の古木に埋もれた廃墟に感じた美しさ。それに異世界を感じたように。
(ここは異世界で、僕は冒険者なんだ)
一瞬怪訝そうな表情でシロエを見つめたアカツキが、何を納得したのかしっかりと頷く。直継はにやりと男らしい笑いを見せて、大きく息を吸い込む。
「そうだな。俺達が一番乗りだ。こんなすごい景色は、〈エルダー・テイル〉でだって見たことはねぇ」
「わたし達の、初めての戦利品」
二人は、その景色を慈しむように見やると、シロエに合図をする。
シロエはそれに答えるように、東の空に向かってグリフォンの召喚笛を高らかに吹き鳴らすのだった。
2010/04/20:誤字訂正
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/13:誤字訂正