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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

異世界の始まり(上)

7/122

007

「本当にええんか?」

 三人を見送りに来たマリエールは、もう何度目になるか判らない確認の言葉をくちびるに載せる。
 場所は「ウエノ盗賊城址」ウエノローグキャッスル。夜はデミヒューマンやノンプレイヤーキャラクターの盗賊団であふれかえるこのゾーンも、いまは朝靄の中に白く浮かび上がってただ美しい。
 しっとりと水気を含んだ朝の空気が、シロエ達三人とマリエール、それから見送りに出てきてくれた〈三日月同盟〉のギルドメンバー達数人を包んでいる。

「心配要らないって。マリエさん。その娘、可愛いんだろう? 俺がナンパする前に他の男には触れさせないぜ。遠征ナンパ祭りっ!」

 聞きようによっては不謹慎な直継の発言に、アカツキが「黙れ馬鹿」と肘鉄を入れる。

「大丈夫です。野営慣れもしてるし、この二週間くらいで訓練したから……」

 シロエはマリエールに請け合う。
 客観的に考えて、マリエール達が向かうよりは自分たちの方が成功率が高い。それは確かなのだが、それ以上に昨晩切ってしまった見栄が恥ずかしくて、なかなかマリエールと視線をあわせることが出来ない。

「これ。……いつもので悪いんだけど、食い物だから。道中でさ、食って。シロ先輩、ごめんな」
「アカツキちゃん。これはメンバーが作った傷薬ですわ、お気をつけて」

 〈三日月同盟〉の心ばかりの支援物資を、アカツキもシロエも受け取る。シロエは軽くありがとうと云い、アカツキはこくりと頷いただけだったけれど、それでも〈三日月同盟〉のギルドメンバーには伝わったようだった。

「マリ姐こそ気をつけてください。……その、PKとか」
「うん、うちらは平気っ。ちゃんと情報も集めておくっ」

「ばっち任せておいてよ。マリエさん」
「あはははっ。直継やんも、ちゃんと帰ってくるんよ? シロ坊はいらんみたいだから、直継やんにもませたげるからなっ。
 ほれほれ。お姉さんのは柔らかいぞぅ」
 マリエールは照れ隠しのように笑いながら、直継の腕を抱き寄せて、かなり人目を引くサイズのバストに抱え込む。

「ちょ、マリエさんっ。タンマっ」
「なんだよぉ。直継やんもシロ坊と同じく拒否組なのかぁ?」
「そういうわけじゃないけどさっ」

 ざっくりと男気があって姉御肌で面倒見の良いマリエールは、照れくさくなるとこうやって自ら下ネタに逃げ込むのだ。女性的な性格ではないと自分で公言してはばからない人だから、えろネタを話しても相手にはされないんだと大口を開けて笑っていた記憶がある。

(もてないと思ってるのは、マリ姐本人だけだと思うんだけど……)
 シロエが横目でアカツキを見ると、アカツキは両手をこっそり口元に当てて「ばーかばーか。エロ直継死ね」と囁いていた。

 〈三日月同盟〉のギルドメンバーが苦笑しているのを見ると、日常的な光景らしい。

「駄目なんか? こんなおっぱいは価値無しかっ?」
「ちょ。……そ、そういうのはですねっ。据え膳だと返って揉めないって云うかっ。あー、もうっ。とにかく、そんなのとは関係なく助けてくるからっ!! そう言うことは言わないようにっ」

「直継が云っても説得力がない」
 アカツキが直継を小さく蹴飛ばす。
 当然そんなキックは、〈守護戦士〉(ガーディアン)の重厚な甲冑に阻まれて鈍い音を立てるけれど、直継はそれを切っ掛けにマリエールを引きはがす。

「無事に帰ってきたら、うちの脂肪なんてどうしたって良いからさ。……ん。行ってらっしゃい、うちらのためにありがとう。気をつけてな」

 その言葉を受ければ、旅立ちはもう目の前だった。
 マリエールのハグから脱出して、頬を染めていた直継は照れくさいのを誤魔化すようにもう朝靄の街路を歩いている。

「シロ坊、直継やん、アカツキちゃん。頼むなっ。セララのことっ」
 直継が朝日の中で振り返って大きく盾を振り上げる。
 シロエも手をふり、アカツキは少しだけ小太刀を引き上げると、音高く鞘に落とし込む。

 それを別れの挨拶として、三人は遙か北の地へと向けて旅立った。


 ◆


 初夏のもやは朝のほんの一時だけの現象だったようで、その後は爽やかな青空が戻ってきていた。一行は崩れた高架道路――古代世界(つまり今までにいた現実の世界)においては首都高と呼ばれる陸上橋のような道路を通って北へ北へと進んでいた。

 首都高から見渡す限り、今まで通ってきたゾーンはそこそこ平和に見えた。生息しているのは、凶暴なモンスターと云うよりも野生動物が多く、鹿の群や、時にはのそのそと歩き回る熊が、足下に広がる森の中を動くのを見ることが出来た。

 〈エルダー・テイル〉の世界は現実の地球の、数千年後なのだろうと、プレイヤーの間ではほぼ公式設定であるかのように話されていた。〈エルダー・テイル〉の世界内の伝承に寄れば、何らかの巨大な争いが起こり、この世界は砕け散り……そして神々の奇跡によって再構築されたのだそうだ。ファンタジーゲームにありがちな創世神話である。

 時節バージョンアップされる優秀なグラフィックエンジンにより描画される世界の美しさは、〈エルダー・テイル〉プレイヤーを魅了していたけれど、異世界に巻き込まれて眺める景色は、どんな高性能なグラフィックボードの映像をも越えて美しかった。

 〈エルダー・テイル〉において旅とは目的地までの移動を指し示していたが、こうやって風の匂いを嗅ぎながら大地を駆け抜ける行為は、それそのものが目的となるほどの新鮮な感情を三人に呼び起こす。

 三人とも、現実世界では乗馬の経験など無いものの、この異世界では易々と乗りこなすことが出来る。〈エルダー・テイル〉において馬は比較的メジャーな移動補助手段だった。
 どんなプレイヤーキャラクターであっても特別な練習などせずに馬に乗ることが出来る。馬は馬屋で買うことも出来るし、また一定の日数レンタルすることも出来た。中堅レベル以上のプレイヤーは皆自分の馬を持っているのが普通だった。

 ゲーム時代、馬はある種の召喚アイテムとして表現されていた。
 馬を購入、もしくはレンタルするとホイッスルのようなアイテムを得ることが出来る。プレイヤーは好きなフィールドでその笛を吹くと、馬がすぐさま出現するといった具合だ。

 この異世界においてもそれはある程度は再現されているらしい。
 ホイッスルを吹くと、自分の乗用馬が遠くから駆けつけてくるのだ。これならばダンジョンに潜るとき馬を何処に繋いでおくのか考えなくても済むし、その安全を確保することも出来る。
 (もしかしたら馬は馬なりにどこかで酷い目にあい、突然呼び出しに応えなくなってしまうかも知れないが、それは現時点ではシロエ達には判りようがないことだった)

 三人の旅は、フィールドゾーンを経由して進む予定だった。フィールドゾーンとはゾーン種別のうちひとつで、主に広大な大地そのものを表すゾーンだ。
 この世界の全てはフィールドゾーンを基本に構成されている。たとえば建物なども、状態が良くて内部が閉鎖される大規模建築などは独立したゾーンになっていることもあるが、廃墟などは基本的にフィールドゾーンに置かれたオブジェクトである方が多い。

 フィールドゾーンの特徴のひとつは、境界線の曖昧さだ。
 密閉型のゾーンはその接続をドアや落としぶた、階段などで表現しているが、フィールドゾーンには接続のための定まった「ゲート」となるシンボルが存在しない。
 ゾーンの終端に辿り着くと継ぎ目無しに別のゾーンに接続されているのだ。だから地上の旅を続ける限り、ゾーンの境界線や今自分がどのゾーンにいるかという情報は、実は余り意識されない。
 メニューから情報を呼び出したとき、自分の所在ゾーンの名前がわかる程度である。

 三人が進む高速道路だった道は、今やあちこちが崩れ、瓦礫が転がっていることも多かった。場合によっては馬を下りなければならないこともある。一度などは道を飲み込んでしまったヒースの、もはや密生した森と呼んでも良いサイズの茂みを迂回するために、灌木の生える荒れ地を進まなければならないこともあったくらいである。

 三人が馬を下りたのは正午を少し過ぎた辺りだった。
 風の吹く高架道路は複雑な曲線を描いて、より太い道路と合流している。しかし、先ほどから足下のアスファルトは不気味な脆さを見せていて、そろそろこの経路を辿るのも危険な兆候を見せ始めていた。

「降りて食事にしようか」
 シロエの提案に先行していた直継も馬を下りて、太いため息を吐く。

「馬は良いんだけどさ、馬術とかは身体が勝手にやってくれるけど。やっぱり尻は痛くなるよな」
「そうだね」
 頷くシロエ。それに対して怪訝そうな表情でじっと見つめてくるアカツキは「そうか?」と不思議そうだった。
 身長で云えば30cm近く違うアカツキは、体重は半分くらいしかないかも知れない、とシロエは思う。そんな彼女なら身軽だし、余り負担には思わないのかも知れない。

「どれくらい来たかね」
「まだ半日だ。気が早いぞバカ直継」
 アカツキのそんな言葉にも、直継は平然とした表情を崩さない。こんなやりとりも今ではすっかりお馴染みになって、気を悪くすることさえないのだ。

 シロエは先頭に立ち、崩れて斜めになった辺りから、高架道路を降りてゆく。この辺りも古代には住宅地だったのかも知れないが、今では地面のあちこちから電信柱の頭部だけが覗いた、木々もまばらな荒れ地に過ぎない。

 赤茶けた地面のうねるような連なりから、三人はテーブルに使えそうなほど大きな岩を見つけ出してそこで休息をとることにする。
 岩の表面にクロスを広げ、その上に出したのは食料と水筒。それに地図と筆記用具だった。地図には日本の全体図と、シロエの覚えている限りのゾーン名が記されている。

「これはどうしたんだ? 主君。ずいぶん立派な地図じゃないか」

 アカツキが目を丸くしたとおり、確かに紙に書き込まれた地図はずいぶん詳細だった。
 折り込まれた紙は広げると1m四方ほどのサイズで、そこには日本によく似た形――〈エルダー・テイル〉の日本サーバー管轄エリアが書き込まれている。
 4色ほどの色インクで描かれた地図には河や森、村落まで書き込まれていて、素人の手書きには見えない。

「僕はこれでも〈筆写師〉だからね。アキバの文書館にある地図を写してきた」
「なるほど。主君、やるな」
「で、俺達はどの辺なんだ?」
 水筒のキャップをゆるめながら直継が尋ねる。

「おそらく、この辺じゃないかな」
 シロエは指先で地図の1点を差す。アキバの街とさほど離れていない、東京の北部だ。
「全然さっぱりだな」
「仕方ないよ。まだ半日だもの。……午後は飛ばすことになるけど」
「了解」
 直継とシロエは、そんな会話をしながら、バスケットに詰められたターキーサンド(に見える、湿った煎餅)を食べる。
 アカツキは通常、こういう会話には参加しない。興味がないと云うよりは、自分たちを信頼してくれているのだな、とシロエは最近そんなふうに考えるようになった。
 興味が無くて聞いていないかというと、話の内容自体はちゃんと把握しているのである。

 三人が食事をしている間に、馬たちはしばらく辺りの枯れかけた茶色の草などをはんでいたが、それにも飽きたのかどこかへ行ってしまった。馬から降りてしばらくたつと、去ってしまうのだ。
 どうせホイッスルを吹けば戻ってくるので、三人とも気にしない。

「……このまま、ギスギスするのかな」

 ターキーサンドもどきを小さな口で囓りながら、アカツキが云う。
 視線は遙か前方、荒れ地の奥をじっと見つめたままだ。ともすれば独り言なのかと聞き逃してしまいそうなその台詞は、おそらく内容がずいぶんと省略されている。

(――世界の雰囲気の話なのかな)
 シロエはそう思う。

 確かにこの世界は〈エルダー・テイル〉の仕様が良く再現されている。しかし、〈エルダー・テイル〉はゲームであってこんな異世界体験ではなかった。〈エルダー・テイル〉には眠りも痛みもなかったのだ。この世界は、ゲームではない。

 〈エルダー・テイル〉の仕様や記憶を受け継いではいるものの、ここは全くの異世界だと考えるべきだ。シロエはなぜか強くそう確信している。シロエには、この世界を〈エルダー・テイル〉だと考えた瞬間に、何か途方もないミスを犯すのではないかと云う不安が、〈大災害〉後の初日から根強くあったのだ。

(みんな大事なことを忘れてる。重要なことを未確認のまま、次へと行こうとしている。それが何かは、よく判らないけど。
 これは〈エルダー・テイル〉と関係あるにしたって、別の世界のことなのに……。だからみんなおかしくなっているんだ)

 そう考えれば、治安は悪化なんかしていないのだ。
 『治安が悪化』というとまるで当初は治安が良かったように聞こえるが、本当はそうではない。
 この世界は〈エルダー・テイル〉とは独立した異世界、だとするならば、その誕生当初から「治安」と呼べるようなものなど存在しなかったという認識が正しい。

 かろうじてあるのは戦闘行為禁止区域というゾーンの設定のみ。〈エルダー・テイル〉の仕様を再現しました、というお題目のために作られたような制限でしかない。
 そのような物は、法でも何でもないではないか。
 この世界には、最初から悪化するような「治安」など無い。
 無法の世界なのだ。

 もちろん、そんな事はアカツキにだって判っている。

 判っていても呟いてしまった独り言。
 生真面目な視線の瞳の奥に揺れている気持ちは、何なのか。

(よく判らないな……)

 アカツキの気持ちは、シロエにははっきりとはわからない。
 それは不安なのかも知れないし、ある種のホームシックなのかも知れない。でも、それに似たものをシロエの中に探すとするならば、そしてアカツキを見ていて感じるのは、云うならば苛立ち。
 それは反発。
 「こんな風」になってしまった現在に対する嫌悪感。

 「このまま、ギスギスするのかな?」の主語は、もちろん「この世界は」でもあるのだろうが、と同時に「わたし達は」でもある。

(僕たちって、結局その程度って事?
 つまり、僕たち、舐められてるんじゃないの? 所詮ちょっとつついてやれば奪い合って、殺し合って、勝手に騒いで勝手に泣いて、勝手に絶望していくような奴らだと思われてるんじゃないの?)

 それは自分への問いかけ。わたし達は、たかがちょっとした無法の荒野に投げ出されただけで、すぐさま仲間を襲って財産を奪ってしまうような人間だったのか? そんな、問い。

 それが判るからシロエは答えた。

「そんな事はないよ」
 そんな事はない。ただこのまま落ちていくなんて事はない。

 腐った果実が地に落ちるように、さもそれが自然であるかのように。なんだか世界がこすっからく、チープで、格好悪くて、凛々しさとも高潔さとも無縁の場所になっていく。そんな事はあって良いはずがない。もしそれが仮に「自然の成り行き」なのだとすれば、シロエはそんな成り行きは認めたくない。

「そんなのはつまんねー」
 直継が短い言葉で自分の中の気持ちを言い表す。
「……」
 アカツキはずっと地平線を見ている。

 あの時、シロエが〈三日月同盟〉のマリエール達に代わって救出に行くと申し出たのは、自分たちの方がレベルの面から見ても、この世界の戦闘への熟練度から見ても〈三日月同盟〉の救出メンバーよりも任務の成功確率が高いと計算したからだ。
 もちろんそれが理由のひとつではある。

 でもそれは「引き受けても構わない」理由であって「引き受けるべき理由」にはなり得ない。

 親しくしているとは言え、〈三日月同盟〉は一個の独立したギルドで、シロエ達のようなギルド非加入者がわざわざ危険で日数の掛かるような任務に従事するような義理はない。
 それは普通ではありえないことだ。

 それが判っているからこそ、マリエールは当初、シロエ達に「留守番の若手の様子を時々見る」事を希望したのだ。自分たちとシロエの関係性からは、それが掛けられる迷惑の上限だと考えたのだろう。それが常識的な見込みというものであった。

 二人だってそれくらいのことは理解しているだろう。
 自分たちには彼らの仲間を救出しに行く義理なんて無いことは。

 シロエは、この任務を受けたかったのだ。
 理屈だとか計算だとかは、もちろん大事だ。頭の中で何度も組み立てて呼吸を止めて考えた。でも、その根底にあったのは、強い苛立ち。自分の中にこんなにも感情豊かな鉱脈があるとシロエ自身もびっくりさせられた。

 そしてその気持ちを言葉にするまでもなく、あのとき同じように感じてくれた仲間を大声で祝福したい気分になった。
 ――そんなのはつまらない。
 ――綺麗じゃない。

(恥ずかしい事言っちゃったけれど……)
 思い出して火照り始める頬を強い風が通りすぎている。波のようにさらっては押し返す気持ちの起伏の中に、くすぐったいような嬉しさと、不安と、ふわふわしたような……幸福感。

 それは格好悪くなりつつあるこの世界への反抗の気持ち。
 どうせだったら思うようにやってみたい。
 せめて手の届く範囲だけでも。
 自分のいる間だけでも。

「身内が泣いてたら助けるしょ。それ普通だから。
 “あいつら”が格好悪くたって、“全部”が格好悪くたって、俺らまでそれに付き合う義理はねーよ」
 シロエがぼんやりとそんな事を考えていると、直継が最後のひとくちを大きく囓りながらその背中を叩いた。

 そんな格好悪くてダサくてつまらなくて救われない世界に流されたとは思いたくない。シロエはそこまで自分を嫌いにはなれない。世界には〈放蕩者の茶会〉のように格好良くてすごいものだってあるはずだ。
 言葉にすると恥ずかしいからなるべく考えないようにしているけれど、シロエが感じていたのはつまりそう言うことで、それがすなわちシロエの出した答え。『他にやるべき事』だった。

「ったくだ。無理矢理襲うなんてのは、おぱんつ様に対する冒涜だ」
 直継の言葉で一挙に場の空気がぐだぐだになる。

「えー。直継としては、じゃぁ、どういうぱんつなら良いのさ」
 アカツキは白けた視線で直継を見るが、シロエはあえて反抗的にその話題に乗る。なんだか青春臭いことを考えていた自分がいたたまれないほど恥ずかしかったのだ。

「そんなの色々あるよ。みせぱん。はみぱん。下されぱんに初めてぱん。ま、色々あるけど、やっぱり基本は『ぱんチラ』。
 これだね。チラリズム。Yes。ロマンの香。基本は大事だよ、基本を抑えるのが大事。古代の賢人も云っていた。『俺達はぱんつが見たい訳じゃない。ぱんチラが見てぇんだ』ってネ」

「基本は大事だよな。戦闘連携だって基本の積み重ねだもんねっ!」
 直継の言ってるぱんつは、半分もどんなぱんつなのか判らなかったが毒喰わば皿までの気分で、シロエはやけくそ気味に大声で答える。

「そうそう。連携ってのは大事だ。あと戦術ね。地形効果。階段でぱんチラ。そんでもって直後に逆ギレ。勝手に見せておいて逆ギレ。これが最強だ」

(最強も何もそれってかなり質が悪い言いがかりなのじゃないかなぁ)

 そんな事をシロエが思ったとしても、当然それはアカツキに届く訳もなく「直継の馬鹿はともかく主君は主君らしくしろ。馬鹿主君」と言われるのだった。


 ◆


 ――食後。それからめっきりと冷淡になってしまったアカツキが馬を呼び寄せようとするのをシロエが止める。シロエは荷物から竹で作ったような流麗な透かし彫りの施された笛を取り出す。
 馬を呼び寄せるホイッスルに似ているが、まるで芸術品のような美しさだった。同時に直継も同じ笛を取り出す。

「それは何なのだ? 主君」
 小首をかしげて尋ねてくるアカツキに微笑むと、シロエはその笛を空高く響けと吹き鳴らす。直継の吹き鳴らした笛の音と絡み合ったそれは、まるでもつれ合う二匹の小鳥の囀りのように荒れ地の風に乗って青空に拡散してゆく

「それって、もしかして……」

 アカツキの問いかけは、鋭い鷲の咆吼で中断される。重い羽根音を響かせて飛来してくる、二つの巨大な影。まるで馬車のような大きさのそれは、シロエ達の頭上を大きく二度廻ると、荒々しい勢いで着地して、もう一度鋭い鳴き声を立てたあと、その逞しい首をシロエと直継の足下に低く差し出す。

「グリフォンではないかっ」
 シロエたちのもとへやってきたのは、鷲獅子(グリフォン)と呼ばれる幻想種だった。巨大な獅子の身体に、鷲の頭部と羽根、そして後ろ足を持っている飛行種族だ。戦闘能力は亜種や年齢によるが、合成竜(キマイラ)に匹敵する。

「まぁ。うん」
 シロエはグリフォンの首筋を二三度撫でると、荷物から取り出した生肉を与える。生肉はこのときのために、マーケットからかなりの分量を仕入れてきてある。食料アイテムの素材となる採取アイテムなので、安いのだ。

「まさか馬で北の最果てまで行こうなんて考える訳無いだろ? そんなことやってたら年寄りになっちまうよ」
 直継も、些か意地悪にアカツキを冷やかす。

「それにしたって何でこんな獣が……。乗るのか?」
「乗るよ。アカツキさん……」
「アカツキだ」
 シロエの言葉にアカツキは鋭く注文を入れる。何度シロエが云っても呼び捨てを強く希望するのだ。

「アカツキ――は僕の後ろ。……だめかな?」
「ダメではない。のだが……」
 アカツキは怯えたようにグリフォンから距離をとって遠巻きに見ている。手際よくグリフォンに腹帯と鞍を装着する直継。シロエは餌を与えて、グリフォンの耳の後ろを掻いてやっている。

「そんな召喚笛があると聞いたことがある。――死霊が原(ハデスズブレス)大規模戦闘(レイド)をくぐり抜けたプレイヤーに与えられたって言う」
「昔ちょっとね」
 シロエはアカツキに答える。

 それは〈放蕩者の茶会〉の残した、いまは知る人も少なくなってきた伝説のひとつ。

 シロエと直継がこの笛を手に入れたのは、死霊の王たる上級アンデッドの眠る地下墳墓の奥深く。生命の秘密を邪悪に歪めるための魔法装置の祭壇で、死霊王の四人の騎士との激しくて長い戦いの思い出としてだった。
 精霊山の地下エネルギーを盗み取り、その力を持って永遠の生を手に入れようとしていた死霊王の目論見をくじくために共闘をした〈翼持つ者たちの王〉(シームルグ)が友情の証として与えてくれた物だ。

「何でそんなものを持ってるんだ」
「びっくり隠し芸の時便利だろう?」
 アカツキの質問に今度は直継が答える。

(やっぱり恥ずかしいな、これ)

 別に隠している訳でもないし隠したい訳でもないけれど、改めて云うのは何となく照れくさい。シロエと直継にはそんな気持ちもあった。
 〈グリフォンの笛〉は、希少ですごいアイテムかも知れないけれど、所詮アイテムは大事な記憶を思い出すためのよすがに過ぎない。

「小太刀の鞘はいつもよりしっかりとベルトに固定して。背負い袋も。風に流されるものは畳んでしまって」
 シロエは腰が退けているアカツキに手を伸ばす。
 アカツキは何度か躊躇った後に、シロエの差しだした手を掴もうとして、何かに気が付いたのか少しだけ赤くなり、勢いをつけるかのようにその手を掴む。

 シロエはそのアカツキを、殆ど腕の力だけでひょいと自分の後ろに引き上げる。彼女が小柄だからなのか、それとも引き上げられるタイミングで地を蹴ったからなのか、あっけにとられるほどのアカツキの軽さにシロエはびっくりしてしまう。

「準備はOK?」
「うむ、主君。問題ない」
 自分の後ろでもぞもぞと身体をゆらすアカツキに一抹の不安を覚えて、シロエは後ろを向く。
「もうちょっと腰を落ち着けて。で、僕のことを掴んでね。怖かったらしっかり掴んで良いからね。って、お腹の肉は掴まないでっ!」

 アカツキのやりとりに笑いを堪えていたらしい直継は、とうとう笑い出してしまう。直継はアカツキとシロエの非難の視線にもめげず、そのまま自分のグリフォンの首筋を軽く叩く。

「お先に失礼っ!」
 その言葉は残すと言うよりも、むしろ烈風に千切り飛ばされて、その次の瞬間に青空の中に舞う逆光の影となる。

「ったく。――アカツキ。良い? じゃぁ、僕たちも行くねっ」
 アカツキが応とも諾とも返事をする前に、シロエはブーツのかかとでグリフォンに合図を送る。逞しいとも云えるグリフォンの鷲羽根が起こす風は殆ど暴力的とも言えるほどで、どちらが天でどちらが地下もわからないような感覚のまま、アカツキはただ垂直方向に圧縮されるのを感じる。

 何処か天高いところへ無限に投げ出されるような――あるいは遙か眼下の大地に真っ逆さまに落下するような感覚を、アカツキはシロエのすらりとした背中にしがみつくことで耐える。
 学究肌のシロエらしい無駄な肉のない背中へと、周囲を見ないように顔を埋めていると、やっと平衡感覚が戻ってくるのが判った。

「良い景色だよ」
 一方シロエの方も、自分に必死にしがみついてくるアカツキに気が気ではない。なにせ、アカツキは小さいのだ。自分の肩まで、下手をしたら胸のあたりまでしかない身長のない小柄な少女は余りにも軽すぎて、うっかり風に持って行かれるのじゃないのかと心配になってしまう。

 もしかしたら後ろに乗せててしがみ掴んでもらうより、前に載せてしっかりと押えておいたほうが良かったかも知れない。
 そう考えるシロエだが、それはそれでアカツキにとってはしがみつく場所が無くて怖いかも知れない。

(それに僕がアカツキの何処を掴んで押さえるかって云う問題もあるし……)
 頭の中で詳細に分析をしてみても、グリフォンの手綱を握りながら左手で押えられるのは腹部か胸部しかないと結論し、腹部であっても胸部であっても押える場所がずれたらとかんがえると、赤面と冷や汗が止まらない。直継が爆笑するような問題ならいいが、空中から突き落とされる可能性を考えると、その想像だけでシロエは狼狽してしまう。

「大丈夫?」
「うん――主君。これは、すごいな。青空の中に、浮かんで居るみたいだ」

 轟々とうなりを上げて後方に千切れ、押し流されてゆく空気。
 いまやグリフォンは無駄に羽ばたくことなく、両の翼を固定して気流の波にしっかりと乗って滑空している。
 大気の中のその波は、河のように緩やかに左右にうねっては、時に上昇し、時には低くなっているようだが、グリフォンはその頭部をいただいた鷲のように鳥類独特の視角でも持っているのか、自分たちに都合の良い上昇気流を選んで、どんどんと空の階梯を上ってゆくのだ。

 気がつけば直継のグリフォンも、サファイヤのような日差しを受けて蒼穹の中を隣に並んでいる。

「どうだすげぇだろ!!」
 直継の言葉は自慢げと云うよりは、ただ純粋に空を飛ぶことの興奮に輝いていた。その笑顔に、普段は大人げない下品な仲間を貶してばかり居るアカツキも、釣られたように――本当に珍しい、花が開いたような笑顔を向ける。

「すごい。――うん、すごい。空の碧さが透き通るみたいだ」
2010/04/20:誤字訂正
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/13:誤字訂正
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