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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
供贄の黄金
62/134

062


 〈奈落の参道〉(アビサルシャフト)攻略チームは一週間の時を準備に充てた。

 野営地強化と数十回にわたる強行偵察。そして、討伐可能なボスエネミー以外の排除。考えうる限りの支度を整えて部隊は再戦へと向かう。

 フェデリコは浅くなる呼吸に気がついて、無理に息を吸い込んだ。

 眼前には一週間前とほとんど同じ光景が広がっている。

 それは巨大な円形闘技場(コロセウム)に鎮座する暗紫の巨像、〈七なる庭園のルセアート〉の威圧的な姿だ。

 一週間前激戦を繰り広げた闘技場は、砂埃さえ見当たらぬ静けさの中にある。

 フェデリコはパーティーリーダーであるシロエを意識しながら合図を待った。

 この無口な青年はこの一週間で随分と変わったとフェデリコは思う。

 あの敗北をきっかけにメンバー全員とよく話すようになった。以前から腕の良い〈付与術師〉(エンチャンター)だとわかっていたが、この一週間はその腕も更に冴えたようだ。荷物から引っ張りだしたらしい新しい杖を装備した姿に、フェデリコたちはすぐに馴染んだ。

 四の五の言っている場合ではないのだ。勝率を上げるために必要なことはなんでもする。そのフェデリコたちにシロエはよく応えたと思う。

 この一週間、レイドチームの食糧事情が好転したのもシロエたちのおかげだ。

 彼らが〈魔法の鞄〉(マジックバッグ)から食料素材を惜しみなく提供したので、食事の量も質も向上した。チームの食事を預かる素人料理人のルギウスは感謝をしていた。「いままで出し惜しみをしていたのじゃないか?」という意見も聞こえたが、それは小さかったし、すぐに消えてなくなった。

 〈シルバーソード〉側が彼らをお客扱いしていたという事実もあるのだ。一方的に責められる話ではない。

 それに、あの全滅の件は大きい。

 “死”はおぞましく辛いものだが、時に人と人を結びつけもする。高校時代の友人とも大学時代の友人とも決して仲が悪かったわけではないが、いまのレイドチームは別格だ。あの辛い経験を分かち合ったというのは大きくて、むしろ友人というよりは戦友と呼ぶべき関係なのかもしれないと思える。

(嫌いな奴とは友だちにはなれないけどさ)

 フェデリコは唇を噛んだまま思う。

(戦友は嫌いなままじゃいられないよ)

 それはシロエに対してそうであったし、デミクァスもそうであった。


 瞑想するかのように両目をつむって座るアザレアが軽く右手を上げる。

 〈召喚術師〉(サモナー)の特技〈幻獣憑依〉(ソウル・ポゼッション)を用いて、召喚した従者モンスターに憑依、その姿のまま偵察を行っているのだ。憑依を解除したのだろう、そのまま頭を二、三度ふって、彼はウィリアムに「待機位置変化なし。その他、敵影なし」と簡潔な報告を上げた。

 この一週間偵察を繰り返した通りの結果だ。

 協力を覚えたらしいレイドボスだが、彼らには彼らの考えや好みがあり、それは完全無欠ではない。それはこの一週間〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のシロエが何回か口にした言葉だ。話してみると物腰が柔らかく思慮深い青年なのだが、アキバからの噂を信じるのならば、地獄の兵卒さえ操るような邪悪な黒幕であるという。

(どちらであっても大した問題じゃないな)

 フェデリコは考える。

 たしかに、シロエは内向的だ。気むずかしい表情で壁を感じる。説明も小難しく、周りくどい。しかし、そんなものは些細な欠点だ。〈シルバーソード〉のメンバーだって他人のことを言えた義理ではない。廃人集団なのだ、多かれ少なかれクセのある連中ばかりである。シロエは変わり者かもしれないが、フェデリコの仲間の中では常識人の分類だ。

 そのシロエが短くキーワードを唱えると、魔法が発動した。〈エリクシール〉の呪文だ。〈付与術師〉が用いるこの援護魔法は、対象の使う回復呪文の威力を底上げする。

 仲間のルギウスは左掌を上に向けて〈ハートビートヒーリング〉を試してみたようだった。鮮やかな緑の光とぬくもりがフェデリコに降り注いだ。確かに回復量が増している。順番に援護呪文をかけていくシロエの背中にフェデリコは感謝した。


 準備の時間は終わった。ここからは〈シルバーソード〉の時間だ。

 ウィリアムが吐き出すように叫んだあの夜の続きだ。

 小さなカウントダウン。ゼロのタイミングを奪うように真っ先に駆け出したのは直継だ。第二パーティーの〈守護戦士〉が他のメンバーを大きく引き剥がして、たった一人で〈七なる庭園のルセアート〉に向かう。

(まだだ。まだ……)

 水平に伸ばしたウィリアムの左手と戦場を視界に収めながら、フェデリコたちはじっと堪える。直継の背中を見つめたまま、最初の一合(ファーストアタック)を待つのだ。

「〈キャッスル・オブ・ストーン〉!!」

 直継はルセアートの直前で盾を掲げると叫んだ。すべてのダメージを無効化する守護戦士の絶対特技。わずか十秒間だけの無敵時間を使って、直継はルセアートが振るう最初の大規模攻撃、〈聞け月下の弔鐘〉の一撃をやり過ごした。

「いまだっ!」

 掛け声とともにウィリアムが駆け出す。

 フェデリコもそれと争うような勢いで後を追った。

 〈聞け月下の弔鐘〉と〈跪け暗銀の大杭〉は黒騎士モードのルセアートの必殺技とも言える攻撃だ。あのふたつは援護とヒール満載のトップタンク、ディンクロンでもなければ防御は難しい。直継というシロエの仲間は、それを〈キャッスル・オブ・ストーン〉一発でやり過ごしたのだ。〈聞け月下の弔鐘〉の再使用規制時間(リキャストタイム)は前回の戦闘で九〇秒だと判明している。つまり、ルセアートはあと八七秒の間、〈聞け月下の弔鐘〉が使えないのだ。今のルセアートに強力な範囲攻撃はない。〈跪け暗銀の大杭〉は確かに脅威だが単体攻撃だ。この隙にフェデリコたちは所定の位置へと安全かつ完璧に移動することができる。

 レイダーにとっては当然の連携だが、中小ギルドの守護戦士がそれを完璧にこなしてみせる姿にフェデリコの口角はつり上がった。


 いまでも“死”は怖い。

 でもそれにもまして心が高揚している。

 戦友と肩を並べて突撃する瞬間、難しい連携が決まったこの瞬間、フェデリコの心は風に遊ぶグライダーのように舞い上がった。それはおそらく世間では馬鹿にされる幼稚な感情なのだろうが、フェデリコの認めるギルドマスターの言葉を借りるなら「クソ食らえ」だった。

 あの夜の叫びがこの世界にたたきつけた挑戦状のとおり、自分たちで選んでやっているのだ。

 フェデリコはこの異世界に来てから、何度も死んだ。

 何度もあの暗い思い出の中に連れ戻された。それは後悔と失意の再体験だ。

 しかし〈シルバーソード〉の仲間がその思い出に登場したことは一度もなかった。周囲の仲間たちと話をしてもそうだ。それがフェデリコには嬉しい。遊びだったのだから当然だという声もあるかもしれないが、それでも、自分自身にとって〈シルバーソード〉は恥じることのない仲間たちであり、居場所なのだと、それが証明された気分になる。

 ――友だち。

 その言葉を使うのが照れくさくなってから随分と時間がたった。

 この歳になると、どこまでが友だちで、どこから先は知り合いなのか、そんなことは考えるだけ面倒くさいし、仮にそんな言葉面の定義を決めたとしても人間関係なんてなるようにしかならないのだ。ことさら親しくするのも、ことさら遠ざけるのも、同じくらいに無益だと、新米社会人のフェデリコはそんな風に感じていた。

 たかが高校生のギルドマスターから「友だち」という言葉を聞いて、目頭が熱くなるなんて、びっくりするような体験だった。自分自身の気持ちなんてわからないものだ。

 もしかしたらいずれ元の世界に戻れるかもしれない。

 自宅と職場を往復する毎日に戻って、今の状況を思い出し、死を覚悟するなんて馬鹿げていると思うかもしれない。

 それはそれで悪いことではないけれど、だからといって今自分たちが立ち止まれるかといえば、はっきり否だと言えた。ここはレイドゾーンで、自分たちはレイダーなのだ。

「〈ヴァイパーストラッシュ〉!」

 高く跳ねて暗紫の籠手を足場にし、フェデリコは炎刃剣(フランベルジュ)をルセアートの腕に叩きつけた。毒蛇の一撃ヴァイパーストラッシュは大きなダメージを与えたわけではないが、出血アイコンとともにルセアートの攻撃命中率を低下させる。その数値は四%。

 たかが四%だとレイダーは決して言わない。この四%は同じだけの回復呪文を節約できる可能性であり、MP消費を抑えて戦闘を継続できる四%であり、フェデリコの自惚れでいわせてもらえば戦闘勝利の可能性を増やす四%なのだ。

 直継から防御役をスイッチしたディンクロンが前に出る。

 〈シルバーソード〉でも有数の優男だが、全身を幻想級(ファンタズマル)で固めた防御力は“黒剣”アイザックにだって引けは取らない。そのディンクロンが普段の優しい声とは裏腹に、鼓膜を振るわせる叫びを上げる。〈ウォークライ〉だ。アイテムの効果で延長されたそれは、周囲の状態異常耐性を引き上げた。

 フェデリコの身体にもビリビリとした振動とともに力が宿る。

 前回よりも鈍重にさえ思えるルセアートの背後に回りこむように、その力をのせて攻撃を続けた。白兵特技を縦横に繰り出してダメージを蓄積させるのが攻撃役(アタッカー)の役目である。今回の作戦を考えれば、スタートダッシュは極めて重要だった。


 〈七なる庭園のルセアート〉をめぐるその戦いから十メートルほど離れたコロセウムの西端では控えめと言っても良い金属音が二度響いた。

 〈シルバーソード〉の武士(サムライ)、羅喉丸が〈斬鉄剣〉を使用したのだ。

 あらかじめ調査したとおり、鉄格子のうち一本が切断され、人間サイズであれば比較的簡単に通り抜けられるほどの隙間があらわれた。

 フェデリコはそれを視界の端で見ながらもさらなる攻撃を加える。

(まだまだ)

 一気に出力を上げた攻撃陣の猛攻は少なからぬダメージをルセアートに与えてゆく。今のルセアートにできることは少ない。頼るべき大ダメージ攻撃は直継によって無効化され、ディンクロンの堅守を突破できるような攻撃は持ち合わせていない。

 仲間に助けを求めるのであればフェデリコたちは一蹴されるだろうが、ルセアート自身はまだHPの一割も失っていないのだ。助けを呼べるはずがない。――とは思いながら、フェデリコは内心で怯えを噛み殺していた。

 保証はないのだ。いつあの二体のレイドボスが乱入してくるかもしれない。あるいは別のボスが現れるかも――そこに絶対の保証はないのだ。偵察をして確かめたこのゾーンのマップと守護者たちの協力体制に対する推測だけがある。

 じりじりとすぎる時間の中でフェデリコたちは攻撃しながらも持ちこたえ、作戦開始の時を待つ。

 勝ちたかった。

 勝ちたいという気持ちだけで、必死に攻撃を重ねた。

 フェデリコの愛剣〈ムスペルの吐息〉は〈冒険者〉の剛力によって小型の台風のように振るわれ、ルセアートの鎧に何度もたたきつけられた。赤熱するほどの苛烈さに異形の鎧は結晶質にひび割れ、飛散する硝子片がフェデリコの髭面を傷つける。それさえも気にならなかった。

 フェデリコ自身、今まで自分がそんな人間だとは思ってもいなかったが、どうやら正しいことが好きであるらしかった。

 それをこの一週間で知ったのだ。

 勝ちたいというのは、この強敵を打ち破りたいであるとか、栄誉や宝物を手に入れたいであるとかではなかった。ましてや怒りや憎しみという気持ちは欠片もなかった。

 たったひとつ、正しい報いが欲しいのだ。

 ウィリアムが涙ぐむほどに勝ちたかったレイドだ。

 〈シルバーソード〉が幾度もの死線を乗り越えてきた戦いだ。

 それが無駄であったとは思いたくない。自分たちが愚かで無意味な挑戦を続けていたとは思いたくない。もしそうであったとすれば、悲しすぎるではないか。

 ルセアートに恨みはない。むしろ敬意さえ覚える。

 フェデリコが、そして〈シルバーソード〉が欲しいのはただひたすらに証なのだ。

 お前たちは間違ってない。そして、正しく強かった。

 欲しいものはその証明だけだった。


「臨界っ!!」

 ウィリアムの鋭い声とともに援護役(バッファー)回復役(ヒーラー)が迂回するように駈け出した。〈七なる庭園のルセアート〉が変わってゆく。ひび割れた鎧を脱皮するように脱ぎ捨てて、その身体を雪のような色に――白騎士モードへと変貌してゆくのだ。

 砕け散った黒い鎧は影色の沼となって広がり、無数の戦士を生み出す。ルセアートの用いるトラップゾーンはその内部にいる〈冒険者〉の動きを制限する。足首に粘りつくような粘着質の範囲攻撃だ。そのエリアを避けて、レイドチームは陣形を変える。

「急げ! 切り込みはシロエ班だ!」

 ウィリアムの指示に従い、一行はつぎつぎと鉄格子の先の通路へと踊り込んでいった。この先にいるのは〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉。

 フェデリコたちの反撃はここに始まるのだ。




 ◆




 西側の通路に真っ先に飛び込んだ一団の中にデミクァスはいた。

 天井の高い花崗岩の通路は巨大な柱を装飾としながらもまっすぐに続いている。通路の先は薄暮に霞んでいるが、その先の大空洞(ホール)には炎蛇イブラ・ハブラがいると偵察でわかっていた。

 周囲をきょろきょろと見回したデミクァスだが、まっすぐに駆け出す直継の後を追うように、自身もまた移動を開始した。

 金属鎧で身を守る〈守護戦士〉直継は、デミクァスから見れば鈍重な亀のようなものだ。必死に急いでいるらしいがその速度は軽装である自分の半分ほどでしかない。もしデミクァスが本気になって〈ファントムステップ〉や〈ワイバーンキック〉を使えば一呼吸で置き去りにできるだろう。

 しかし、そのようなことをすれば、デミクァスが真っ先に炎蛇(レイドボス)に突っ込むことになる。それを避けるためには、忌々しいが、直継のあとについて移動するしかない。

 一行は直継、デミクァスを先頭とした縦隊で移動している。

 第一パーティはチームの筆頭タンク、ディンクロンを最後尾において影の戦士を防ぎながらの撤退だ。速度は出ないだろう。彼ら主力防衛パーティーが後続の相手をしている間、代理で先頭を引き受けるのがデミクァスたちの役割ということになる。


 作戦の冒頭部分は単純だった。

 あの地獄のような壊滅の時、〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉と〈四なる庭園のタルタウルガー〉は、鉄格子のゲートを開き(、、)、現れた。

 そう、彼らは鉄格子の隙間を通り抜けられるようなサイズではない。そしてあの巨大な檻ともいえる門は、通路側からしか開くことができない。

 おそらくこれが尋常のレイドコンテンツであれば〈七なる庭園のルセアート〉を倒したあとに両方のゲートの鍵が開くのだろうが、現状ではそうではない。

 この作戦は、その迷宮構造を利用したものだ。

 すなわち、コロセウムをルセアートを隔離する牢獄とすることが、作戦の要旨となる。ルセアートはコロセウム側から鉄格子の降りた通路へは、入ることができない。西側の通路に逃げこんだ一行を追いかけてくることはできないのだ。もちろん、破壊などの手法によって侵入してくる可能性がないとは言い切れないので、攻撃能力の低い白騎士モードへの誘導を行った。影の戦士を倒しきらなければ、白騎士モードの間ルセアートが移動できないことも織り込み済みだ。


 鉄格子の隙間から侵入させた隠密型の召喚獣をもって、この先の状況の偵察もすでに済んでいる。作戦はいくつかの場合分けで十分に伝達されているが、その中で最も恵まれたケースは次のとおりだ。

 ルセアートは鉄格子を抜けることも破壊することもできないために実質上無力化される。東通路の先にいる氷の巨人タルタウルガーも、東のゲートを開けてコロセウムまで来ることはできるかもしれないが、西のゲートはルセアートと同じ理由で開けることはできない。彼らは、事実上戦力外となる。デミクァスたち一行は炎蛇イブラ・ハブラを撃破し、その先へと進みこのゾーン最奥に到着、このダンジョンの覇者となる。

 ――しかし、そんな単純に勝利を得られると考えているレイドメンバーはいなかった。

 炎蛇イブラハブラを突破したとしても、更にその先にレイドボスがいないとは限らない。シロエによればこの迷宮の構造は、十分に遠回りさえすれば、通路の東側からでさえ鉄格子をとおらずにここまで来ることは可能だということだった。イブラ・ハブラが苦戦をすればすぐにでも〈四なる庭園のタルタウルガー〉が、駆けつけてくるに違いない。

 そもそもルセアートやタルタウルガーが鉄格子を破壊できないというのも希望的観測にすぎない。足止め程度にはなるだろうが突破される可能性は考慮すべきだ。そして、一度突破されたとすれば、それらは破壊されてこの作戦は二度と実行できなくなる。

 そうなのだ。デミクァスたち〈冒険者〉は復活可能だとしても、状況は常に変化を続けている。同じ機会は、二度と訪れない。それがわかっている〈シルバーソード〉の面々は強い緊張のなかで通路を走りつづけていた。


(ちくしょうっ!)

 だが、そんなことは当たり前(、、、、)なのだ。

 完全に予測可能で安定した未来なんてあるはずがない。そんなことは小学生でも判る世界の常識だ。あらゆる計画には不確定要素がつきもので、自分以外の誰かが介入してくるおそれは常にある。日曜の朝起きだしてテレビを見ながら朝飯を食う。それだけのことが自分の思うままにできたことが何度あるだろうか? 生きているのなら、うまくいかないなんて、当然なのだ。

 その当たり前をすっかり失念していたのがこの異世界(エルダー・テイル)だった。ゲームだと思い込み、なんでも自分の思い通りにできると思っていた。なんでもできるから、なんでもしていいのだと錯覚していた。

 そして、シロエに叩きのめされた。

 デミクァスは思い知った。思い通りにならない事があるここは、紛れも無く現実なのだ。しかしそれを思い知ってなお、何度も錯覚をしてしまう。この世界のチンケなゲーム風の表面に騙されてしまう。今度だってそうだ。何度も何度も気を引き締め、決して油断をしないと戒めてみても、緩んだ水道の蛇口のように警戒心が漏れだして、舐めてしまったのだ。

(つまるところ、俺は油断して負けたんだ。舐めているから負けたんだ。……あいつらを、バカにしてるから、負けたんだ)


 肉付きの悪い娘が腰に手を当ててこちらを見ている姿を思い出す。

 憮然とした表情だ。デミクァスのことを軽蔑しているのだろう。それも当たり前といえた。デミクァスは〈大地人〉に酷いことをしたのだ。殺しこそしなかったが暴力をふるい、売り飛ばし、無理やり働かせていた。好かれているはずもない。体力に差があるから殴りかかってこないだけだ。

 色気に乏しい、鶏ガラみたいな女だった。ギラついた瞳で強く見つめながら、皮肉そうに笑った。口先だけで主人ぶるならさっさとわたしを殺しなさいよ。それが口癖だ。殺さないのならどきなさいよ、掃除ができないじゃない。そうもいわれた。

 デミクァスはこんどこそ、完璧に負けた。


 〈大地人〉は死んだら死ぬのだ。それがわかっているのに、そのたったひとつの命をかけて生きている。自分の意地を通すためになけなしの全存在をベットしているのだ。デミクァスの安い命では、到底釣り合いが取れない。

 この異世界を舐めていた。

 たかがゲームだと思いあがり、だからシロエに負けた。

 その思い込みを正せないうちに、無力なはずの当の〈大地人〉にすら負けた。

 〈シルバーソード〉にも負けた。酒場で遭遇したその初回に打ちのめされ、そのあと何度も床を舐めさせられ、〈ブリガンティア〉は壊滅状態となった。

 そしてレイドボスにも負けて、それだけであればまだ救いがあったかもしれないが、ウィリアムにはギルドマスターとしてすら敗北した。あんな壊滅をしたにもかかわらず、あのゲーム廃人にはついてくる仲間が二十人もいるのだ。

 デミクァスには何も残されていない。


 石組みで作られた白亜の通路は突如終端を迎えた。

 もとより高かった天井は六階建てのビルほどにもなり、大きな円形の自然空間に飛び出したのだ。それは半径三〇メートルほどもある卵を立てたような計上の大空洞だった。

 周囲は鮮やかなオレンジ色の斑を持つ黄土色の岩で作られている。その岩壁を螺旋状に降りるような幅数メートル坂道が続いている。所々にある水たまりは青。びっくりするほど鮮やかな色を持つ大空洞は、白い光で照らされていた。

「この匂いは」

「ああ、温泉祭りだぜ」

 後方のシロエに答えた直継のセリフでデミクァスも理解した。硫黄の匂いだ。この鮮やかな色の岩たちも硫黄や化学物質に染まったものだとすれば納得できる。

 一行はその螺旋をえがく外周回廊を駆け下りていく。大空洞の底には身を横たえた大蛇〈イブラ・ハブラ〉が眠っているようだ。

 それがおそらくあのレイドボスの待機状態なのだろう。

 かねてからの打ち合わせ通り、直継はその大蛇に向かって最後のスロープを飛び降りた。

 援護は少ないが、かといって入念な準備をするほどの時間敵余裕はない。ないものとして行動している。

 てとらの〈反応起動回復〉(リアクティブ)と、ルギウスの〈脈動回復〉(ヒール・オン・タイム)を背中に受けて突撃する。その姿は、デミクァスから見ても躊躇いを感じさせない見事なものだった。


 デミクァスも竦んでしまいそうな自分を振り切るように空中に躍り出る。〈シルバーソード〉の面々もそれに続いて次々と飛び降りては戦闘に参加していく。

 一気に乱戦になった。

 おそらくこの大空洞の片隅からさらに続く洞窟のような下り坂が「正解」だ。あの先にこのゾーンの最奥、ゴールが存在する。だが洞窟の入口には都合のよい鉄格子の存在もなく、これ以上の分断は不可能だ。ここで炎蛇〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉だけは始末しなくてはならない。それも〈四なる庭園のタルタウルガー〉が増援として現れる前に、だ。

 遠距離攻撃パーティーが焦れたように氷の呪文を矢継ぎ早にはなった。

 デミクァスは悪態をついたが、直継はなんとかイブラ・ハブラを引き受けきったようだ。

 眼の前に迫る炎の嵐のような、モンスターというよりも何かの災害か事故現場のような光景の中で、金属鎧の祭ダルマがアンカーハウルと叫び、敵愾心を煽るための剣を必死で繰り出す。戦闘開始直後のこのタイミング、モンスターからタンクへと向けられるヘイトが安定しないことをデミクァスだって学んでいた。一刻も早くダメージを与えたい攻撃職の言い分もわかるが、焦ればターゲットが変更されて事故になる可能性だってあったのだ。


「〈フォートレス・スタンス〉っ! 新しい盾と鎧の性能、試させてもらうぜっ」

 直継が壁を背負うようにどっしりと腰を落とした姿勢をとる。足元から青いオーラが噴出すその技は〈守護戦士〉(アーマーカカシ)の得意とする守りの構えだ。掲げた大型盾で相手を牽制しながら、その背後から長剣による攻撃を繰り出す。移動力を失う代わりに防御力を上昇させるその技は、デミクァスのような〈武闘家〉(アーティスト)には無いものだった。

 しかし、デミクァスにだって直継にはない能力、機動力という翼がある。

「おおおおお! 〈オーラ・セイバー〉っ!」

 デミクァスは空中から金色の光で武装された蹴りを振り下ろした。

 大きな斧のような軌跡を描いた一撃は、炎蛇の燃え盛る外皮に突き刺さる。効いていないはずはない。〈オーラ・セイバー〉はその特性上、防御力にさほど影響を受けないダメージを与えることが可能な特技だ。それに、〈森呪遣い〉(ドルイド)の〈エナジープロテクション〉で火炎ダメージは相当軽減されている。少なくとも攻撃の度に瀕死になるということはない。

 デミクァスは振り回される〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉の小型バスほどもある尾を〈ファントムステップ〉で避けた。空中に躍り上がり、そのまま残像を引きずるかのように〈ワイバーン・キック〉を放つ。

 〈ワイバーン・キック〉。

 そして〈ワイバーン・キック〉。

 金属の塊を削って作ったような重装甲突撃専用長靴シュトゥルムアサルター・サバトンブーツの底から、ガツン、ガツンと脳天まで突き抜けるような衝撃が伝わってくる。ススキノでこれをすれば、廃墟ビルを正真正銘瓦礫の山にすることが可能なほどの連打攻撃だ。デミクァスだけではない。デミクァスが緑の光で打ち抜くその横では、フェデリコが何度も炎刃剣を振るい、その他にもレイドチームの近接攻撃職がイブラ・ハブラからすれば、巨体に群がる小人のように張り付いている。


 突如、デミクァスの両足が、銀色に輝きだした。

 シロエの操る強化呪文〈キーンエッジ〉だ。

(くそ野郎がっ)

 デミクァスは忌々しげに舌打ちをした。唾でも吐きたいところだったが、炎蛇の放つ熱気のせいで、口の中はカラカラだ。その代わりにデミクァスは目の前に巡ってきたイブラハブラの巨大なアギトをかち上げた。〈タイガー・エコーフィスト〉だ。命中率が悪いこの技でも、レイドボスの巨体相手なら思う様に叩きこむことができる。

 月長石のように白く濁った爬虫類の瞳がデミクァスを見下ろして、無機質な殺意を向けてきた。

「広範囲、離れろっ!!」

 ウィリアムの号令で一斉に離れる前線の中でデミクァスは仁王立ちになって、両腕を眼前でクロスさせる。炎の攻撃を、デミクァスはその両腕で防ぎきるつもりなのだ。

 それは侮りでも油断でもなかった。デミクァスなりの決意表明だ。

 イブラハブラの吐き出した火炎の渦に飲み込まれる中で、デミクァスはたった一回の瞬きさえもしなかった。




 ◆




 直継の目の前で炎が逆巻いた。ゲーム画面で見るのとは違う、粘着性さえ感じられるような毒々しい真紅が暴れ狂う獣のように直継を飲み込む。

 しかしそんな煉獄の中でも、直継は目を細めて前傾姿勢を維持していた。

 確かに全身が熱い。炎に焼かれているのだから当たり前だ。しかし、一方でその熱さは真夏の炎天下、アスファルトの上で裸になった程度のものでもあった。確かに肌がちりちりするが、耐えられないほどではない。

 炎には流れと波があり、直継はそれを冷静に観察し、間隙を見つけると大きく息を吸い込んだ。水中に潜るように呼吸を止めていたのだ。肺を焼かれぬようにした用心だが、この調子なら吸い込んでも致命傷にはならなかったかもしれない。

(それに、あの傲慢武闘家、やるじゃないか)


 直継に今かかっているのはてとらの〈反応起動回復〉にルギウスの〈脈動回復〉、さらには東湖の〈ダメージ遮断障壁〉だ。これらの擬似回復呪文はクラスヒールと呼ばれている。先ほどの広範囲焼滅攻撃、〈慈悲なき煉獄の宴〉は強力だった。〈神祇官〉の〈ダメージ遮断障壁〉でおおよそ六千のダメージを無効化、〈施療神官〉の〈反応起動回復〉で九百ほどを取り戻したとしても、この程度の被害では小さすぎる。直継は先ほどの攻撃で瀕死になってもおかしくはなかったのだ。

 その直継のダメージを肩代わりしたのがデミクァスだった。

 おそらく〈カバーリング〉だろう。近距離のグループメンバーのダメージを肩代わりして受ける特技である。たしかに〈武闘家〉であるデミクァスは直継よりも属性攻撃に対する耐性も高く、HPそのものの量も多い。こうしてダメージを分散すれば、直継はまだまだ前線に立ち続けることができるというものだ。直継は、ほんの少しだけデミクァスを見直した。


「おうっし、もういっちょだ! 〈タウンティングブロウ〉っ!」

 直継はヘイトを稼ぐために特別製の一撃をイブラ・ハブラに食らわせる。

 確かにこの大炎蛇は恐ろしい。巨大な頭部が迫るさまはダンプカーの突撃のようだし、赤黒く開いた口内は有無を言わせぬ建設重機のような迫力だ。それが列車事故のような速度で迫ってくるのだから、足がすくむし、視界さえ狭くなる。

 しかし、直継はその迫力を振り切るように、唇を笑いの形に釣り上げる。

 やせ我慢だ。本当は笑うほどの余裕なんて無い。

 しかし余裕というのはいつだってあやふやなものなのだ。ないと思えばないし、あると思えばある。三連休でたっぷり時間があっても台所の磨き掃除をする余裕なんてありはしないし、決算の修羅場で会社に泊まることになった時だって、コンビニで新開発のプライベートブランドなプリンを探す程度の余裕はある。そんなものだ。

 だから、笑えさえすれば余裕はある。もしなかったとしても生まれる。

 そう信じて直継は再び剣を振るう。

 タウントを叫び、盾を掲げて防御態勢を取り、一歩も引かない。

 そして不敵に笑っている。直継にとってレイドの第一防御役プリマ・ディフェンダーとはそういうものなのだ。


「いいぞっ!」

 直継のその短い叫びで全てを察したのだろう。ウィリアムは後列から「左に回り込みながらダメージ出せぇ!」と指示を出した。

 直継の笑みが深くなる。思ったとおり、ウィリアムはわかっている。

 いや、この〈奈落の参道〉(アビサル・シャフト)に侵入してから三週間以上。その時間が意思の疎通を可能にしたのだ。今や、直継にはウィリアムの考えがわかる。ウィリアムだって、直継の希望がわかるはずだ。

 直継の身体に回復呪文が次々と浴びせられ、HPが上昇を始める。

 デミクァスの機転があったとはいえ、そのHP総量は三割ほどに低下している。ワンポイントリリーフでかばったデミクァスと違い、直継には強力な通常攻撃も間断なく降り注いでいるのだ。剣山のように逆だった鱗が直継に向かって何度も発射される。それら被害を軽減し、次の巨大攻撃に備えるために、直継のHPを回復するのはチーム全体の安全のためにも必要なことだ。だから直継だって遠慮なんてしない。


 呆れるほどの激戦の中で、直継は昔を思い出していた。

 もちろん異世界化したこれ(、、)にくらべたら遊びもいいところだったかもしれないが、直継だって〈放蕩者(デボーチェリィー)の茶会〉(・ティーパーティー)でメインタンクを張っていたのだ。レイド経験がないわけではない。むしろ呆れるほどのレイドを繰り返してきたのが〈茶会〉というグループだ。そもそもカナミはレイドの勝敗さえ度外視していた節がある。レイド戦闘は観光の障害排除程度に考えていた女性だ。「新しい景色を見るため」だけに海外サーバーのレイド攻略にまで顔を突っ込んでいたのだから笑うしかない。


「ほっ! よいせっ」

 新しい装備〈銀嶺の宣誓の鎧〉は頼り甲斐があった。全体のつながりが滑らかなせいで安定感がある。どこにもバタバタと跳ねるようなパーツがないのだ。〈獅子王の剛盾〉も優秀だ。以前よりも格段に腕に伝わる衝撃が緩和された。これならば何時間でもこの激しい戦いを続けられそうだ。視界できらめく光点を盾の中心部に誘導すれば、イブラ・ハブラの尻尾でさえも退がることなく弾き返せる。防御力がずいぶんと上がった実感がある。

「まだまだいけるぞおお! もっと来やがれ祭りだあっ!」

 直継は蛮声を張り上げた。

「ひゃお。直継さん、ノリノリだあ!」

 いつの間にか再接近してきたてとらが軽やかな声をかける。

 直継はてとらを炎からかばうように一層前傾姿勢を取ると「任せろ、こんなもん!」と叫びかえした。てとらは直継の肩に手をかけて飛び上がると、広間にむかってよく通る声を掛けた。

「みんなー! ノリノリかーい?」

 戦闘は激しく、具体的な返事がてとらに返ることはなかった。しかし、全員がてとらを見ている。それも当たり前だ、倒すべき目標〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉を攻撃するということは、その猛攻を一手に引き受ける直継を見るということであり、てとらは今やその直継の肩ごしに戦場に叫んでいるのである。

 轟くような響きが広間を満たす。それはそれぞれが死力を尽くすという形で小さなアイドルの問いかけに応えたレイドチームの意思だった。剣や斧が立て続けに振り下ろされ、あるいは氷と雷撃が巨大なモンスターを殴打する。

 てとらはその響きに微笑みをこぼすと、挑戦的な表情で、右手のロッドを天高く突き上げた。

「よーっし、いっくよー! みんな、がんばれ! がんばれるから、がんばれぇ!」

 てとらの勇ましい声がここが地下であることを忘れさせるほどに響いた。その声は天に一度登ってから仲間たちに降り注ぐ。

 上空に光が満ちて七色のオーロラが現れる。光のカーテンは揺らめき、その中に無数の流星を抱えながらも優しい音楽を奏でた。〈オーロラヒール〉は特別な呪文だ。〈エルダー・テイル〉における回復三職、それらが持つ数多の回復呪文の中で、〈オーロラヒール〉だけが対レイド専用ともいえる呪文なのである。その回復範囲はオーロラの下に集う仲間すべて、たとえそれが百人であろうと癒やしの光を分け与える。

「景気がいいぜ祭り!」

「あったりまえだよ、ボクって天使だからねー!」

 満面の笑みを浮かべた〈施療神官〉はくるくると回りながら矢継ぎ早に呪文を繰り出す。その速度は手練であるはずの〈シルバーソード〉の回復職さえ上回っていた。シロエの援護を受けてのことなのだろうが、堂々たるレイダーっぷりだ。

 直継もその勢いに乗るように、次々と攻撃を繰り出す。

 ここまでは順調だ。どうやらシロエの予想通り〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉は〈七なる庭園のルセアート〉よりも最大HPは少ないらしい。また形態変化による回復などももってはいない。範囲攻撃と接近しただけで体力を奪われる灼熱のエリアがイブラハブラの「特性」なのだ。

 しかしそれを予測していたチームは、荷物の中からありったけの火炎耐性装備に変更をしているし、それ相応の援護呪文も付与されている。〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉のHPは莫大だが、すでにその半分は削りきった。この調子でダメージを与え続ければ、撃破できるはずだ。

(油断なんてしてやらねえけどな)

 直継は炎蛇の動きに目を凝らしながらも周囲の状況に気を配る。


「でかしたぜ!」

「まかせてにょんっ!」

 てとらにのみ聞かせているわけではない。周囲の全員にアピールしているのだ。

 自分たちの盾は信用できる。まだ平気だという信頼感がレイドの防衛役には必要なのだ。

 「勝てるぞ」「勝てるはずだ」などという気持ちひとつで困難が解決するのならば、誰も苦労などしない。シロエの策など必要ないだろう。しかしその一方で、「負けそうだ」「負けるかもしれない」という気持ちひとつで実際に敗北するのがレイドである。

 仲間を鼓舞するのならば大声も張り上げるし小芝居だって引き受ける。

 肩に手が添えられて炎の熱とは全く別な、柔らかいぬくもりが全身に広がる。てとらの小回復が発動しているのだ。〈施療神官〉のもつ回復能力を最大限まで発揮するために、小さな手は炎渦巻く最前線までやってきて、そしていつもの陽気な減らず口で直継の相方を務めてくれた。

 てとらにもわかっているのだ。このくだらない掛け合いがみんなの力になるということを。直継はそれを知って、良い気分になった。みんなを安心させるためではない本当の笑みを浮かべることができた。


「直継さん、ボクに惚れた?」

「断じてNO!」

「ここって色々フラグが立つシーンじゃないの?」

「そのセリフで全部台なし祭だぜっ」

 槍のように突き出された尾の先端を盾の示す光点で横に流しながら、じゃれてくるてとらの質問に否定を返す。本当にわかっているのか不安になる問いかけだ。さっきまでの温かい気持ちを返せと言いたい直継はてとらを横目で睨みつけた。

「直継さんに報告があるんですよ」

「なんだよこのクソ忙しい時に!」

「だってこういう時じゃないと言い出しづらくて」

 もじもじ、とわざわざ声に出しながら身体をくねらせるてとらだが、激しい戦闘は続いている。砕けた硫黄石がてとらの方向に飛ばないように手足で弾きながら、直継は一応「なんだってんだよ?」と付き合ってみた。

「ボク実は〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)に入るんです」

「え?」

 横目で見るという段階を超えて直継は振り向く。

 そこにはいつもどおり自信満々の表情で、頬を紅潮させるてとらがいた。

「嘘だ祭り」

「まじです」

「なんでだよ」

「そりゃ直継さんと遊ぶためですよ」。きしし、と笑いながら細かい〈ヒール〉を連発する自称アイドルはこの上なく上機嫌だ。回復呪文をするたびに子猫のような仕草でロッドで直継の脇腹装甲をガツン、ガツンと叩くのだけがいただけない。

「だいたい誰の許可を得てそういう話になってんだ!?」

「シロエさんですよ?」

「おいシロっ。余計なことすんなよ祭りっ」

 しかしそんな笑い話だけを続けている訳にはいかない。

 テーマパークのモニュメントのように直立したイブラ・ハブラが大きく口を開き、吸気を開始する。轟々と音を立てて吸い込まれる大気と炎。それは先ほどしのいだ巨大ダメージ範囲攻撃〈慈悲なき煉獄の宴〉の予備動作だった。

「来るぞっ!」

「前衛引けっ! フェデリコは残ってデバフ継続。ダメージを減らせぇ!」

 直継とウィリアムの叫びはほぼ同時だった。

 陣形がまたしても変化する。潮のようにひきあげるレイドチームの近接攻撃部隊。

 火炎嵐の攻撃範囲から引き上げて全体の被害を低減するためだ。被害を減らすというのは回復職の手間を減らすばかりではなく、MPを温存するためにも重要なのだ。


 しかし、その陣形移動が乱れた。

 第四パーティー、遠距離攻撃をしていたはずの〈召喚術師〉アザレアがなにもないはずのところで転ぶと、直継にまでは聞こえないが何か叫び声を上げる。その警告にウィリアムが「ディンクロン、後方!!」と指示を飛ばした。

 慌ただしい再編成の暇もあらばというほどの勢いで、新しい戦いが始まる。

 この地下大空洞の出口はふたつ。ひとつは直継たちが入ってきた上方の白い花崗岩の通路。そしおてもうもうひとつは空洞下部から伸びる洞窟通路だ。

 今その洞窟通路から、野卑な毛皮をまとう巨大な蛮族戦士、青ざめた巨人〈四なる庭園のタルタウルガー〉が参戦したのだった。




 ◆




 広間に動揺がなかったといえば嘘になるだろう。

 それは前回の手痛い全滅を経験していれば当たり前だった。しかしそんな一瞬の硬直は、ウィリアムの叱咤で即座に解除される。

 〈シルバーソード〉の誇る〈守護戦士〉ディンクロンは弾丸のように飛び出すと〈キャッスル・オブ・ストーン〉を使用して霜の巨人に突撃をした。直径だけでも数メートルはあるような棍棒の横薙ぎを、エルフの戦士は冗談のように叩き落として通路入口に自らの陣地を定める。歴戦のレイダーらしくその動きには無駄というものがなかった。

 シロエは激しい運動でずれている眼鏡を押し上げて、ついでに流れ落ちる額の汗を拭った。とりあえずふたつ目の予想は的中だ。


 あのコロシアムの鉄格子は、〈七なる庭園のルセアート〉には開けることができないらしい。

 しかし、コロセウムの東西先で自らの陣地を守るイブラ・ハブラとタルタウルガーは、コロセウムに入ることができるし、コロセウムではない別の奥まった通路を経由して互いの場所へ移動することもできる。

 ルセアートをだし抜けたとしても、炎蛇イブラ・ハブラと霜巨人タルタウルガーの二体を同時に相手取らなくてはいけないということは予想の範疇であったのだ。普通に考えれば、それは手詰まりを意味する。レイドボス二体の攻撃を受け止めて壊滅しない二十四人(フルレイド)は存在しない。彼らの攻撃は、あまりにも圧倒的だからだ。

 しかし、本当にそうだろうか?

 シロエはあの目覚めの瞬間、それを疑い、この計画を考えついた。

 コロセウムの決戦において〈シルバーソード〉とシロエたちが全滅したのは、レイドボスの合流という予想もしなかった事態に混乱して連携が乱れたという側面もあるが、被害部分にだけ着目してみれば、炎蛇イブラ・ハブラの火炎属性広範囲攻撃と、霜巨人タルタウルガーの冷気属性広範囲攻撃を同時に受けたことによる。どちらか片方であれ後衛にとっては致死級の攻撃なのに、そのふたつを同時に受けてしまっては絶命せざるを得ない。

 しかし、片方であれば前衛は耐えられたのではないか?

 ルセアートの攻撃を覚えているシロエは、同じゾーンのレイドボスがあれをはるかに超える攻撃力を持っているとは思わなかった。あれ以上ではあるかもしれないが、倍するということはありえないだろう。イブラ・ハブラであっても、タルタウルガーであっても、その攻撃に耐えることは不可能ではないとシロエは結論する。

 レイドボス同士の|攻撃範囲を重ねなければ《、、、、、、、、、、、》、耐えるだけは可能だというのがシロエの出した結論であり、作戦の骨子だ。

 この地下大空洞はそれを行うだけの十分な広さがある。西南端の壁には直継が陣取りイブラ・ハブラの攻撃を食い止め、東北側の通路入口にはディンクロンという〈シルバーソード〉を支えてきた〈守護戦士〉がタルタウルガーを釘付けにする。

 ふたりの盾役が位置を調整して範囲攻撃からお互いを守る。

 位置調整はかなりシビアだ。ふたりには専属の回復役がそれぞれにつくが、それでは十分とはいえない。何人かの回復職は遊撃的に直継とディンクロンの両方を回復する必要があるが、ふたりの距離が遠すぎては手遅れになってしまう。離れれば離れるほど範囲攻撃からは安全地帯が得られるが、こんどは回復呪文が届かなくなってしまう。

 ぎりぎりの距離を保つのならば、この大空洞内部では「どちらの範囲呪文にも入らないで済む安全地帯」はなくなるということが予想された。後衛の魔法使いや弓使いにとっては、常に襲いかかるどちらからかの範囲攻撃を避けながらの、細かく位置調整を続けなければならない綱渡りの戦闘となるだろう。

 しかし、シロエの作戦を聞いたウィリアムは壮絶な笑みを浮かべて答えた。

 勝つだろう、シロエさん、と。

 今その言葉を証明するように、手を休めることなく一条の線に見えるほどの射撃を繰り返しながらも、“ミスリルアイズ”は矢継ぎ早の指示を飛ばしている。


 シロエも一切の出し惜しみをせずに戦っていた。

 もはや遠慮などしている場合ではない。

 たしかに恐るべき二体のレイドボスの一撃を受け止めることはできた。しかし、それはディンクロンの〈キャッスル・オブ・ストーン〉という必殺技を使用してのこと。そのために初戦ではそれを温存する作戦をとったのだ。戦況を安定させるためには、ふたりの盾役を回復呪文で支える必要があり、それはチームに六人しかいない回復職のMPをハイペースで消費することと同義なのだ。この状況を予想してここまでは呪文を抑えてきたメンバーだが、この先下手な節約志向では前衛の命を失うことになるだろう。タイトロープな戦闘である今、盾役が崩れることは戦線崩壊を意味するし、そうすれば即座に全滅という結果に繋がってしまう。

 そしてそれはこのゾーンでの希望がついえさることを意味する。


「フェデリコ、攻撃力低下バフ、攻撃範囲低下バフ」

「わぁってる」

「てとらさん、回復出力上げて」

「これ以上上げられないよっ」

「支援する。――〈フォースステップ〉!」

 シロエは特殊援護呪文をととらに投射する。てとらの持つ全ての〈再使用規制時間〉タイマーを加速するのだ。速度増加は二割弱だが、その数字は決して小さくはない。〈オーロラヒール〉の再使用規制時間は通常六〇〇秒。〈フォースステップ〉を途切れさせなければ四八〇秒でもう一度使用可能になる。その分消費の激しくなるMPすらも、シロエは〈マナ・サイフォン〉で供給をおこなう。自身のMPを仲間に渡す〈付与術師〉の管理特技だ。

 一般的な狩りを行うパーティー戦闘において、MPは休憩をすることで比較的簡単に回復する。そのためにMPそのものを管理したり回復する〈付与術師〉(マナコントローラー)はその価値を低く評価されやすい。

 しかしその希少な特性をシロエは愛し、今までずっと育ててきたのだ。

 MP減少のくらくらするような酩酊感とともに、シロエは攻撃し、計測し、MPを供給し続ける。てとらやルギウスのような回復職には回復力強化を、フェデリコやデミクァスのような攻撃職には攻撃力強化を。広がった近くの全てで戦場を体感しながら、シロエはその細部に意識を向ける。


「ここだあっ!」

 ルギウスが硫黄臭の沸き立つ水たまりのひとつに片腕を突っ込んで、長い詠唱を解き放つ。それは〈森呪遣い〉(ドルイド)が用いる従者召喚のなかでもとびきり特異なものだった。毛皮のアームガードから伸びた光は大気を求めるように高く伸びて、いきなり緑色に実体化をする。自然や精霊を従える〈森呪遣い〉のなかでも高位レイドを持って契約できる召喚術〈生命のセコイア〉だった。

「四斑、寄れっ!」

 ウィリアムの指令すらももどかしく、大樹の木陰に魔法使いたちが集結してゆく。

 〈生命のセコイア〉として知られるこの召喚術は、魔法の力を持つ広葉樹を現出させるのだ。その木陰には緑の光が満ちて、周囲にいる仲間たちのHPを継続的に回復させてゆく。回復量は〈森呪遣い〉本人が用いる〈ヒール〉に数段劣るが、木陰に身を寄せる仲間全員に長時間回復を続けられるというのはこの上ないアドバンテージだ。

 シロエは計算する。

 ミノリが演じてみせたという戦闘演算のその先を宿して、眼鏡の奥の鋭い瞳で未来に向かって思考を伸ばすのだ。

 人数二十四人はミノリが扱ったパーティー六名の四倍である。しかし、人数が四倍に増えただけでその特技や行動の組み合わせは爆発的に増大をした。そのひとつひとつの可能性を検討、そぎ落とし、拾い上げ、あるいは組み合わせ、「読み取る」。

 仲間の攻撃の一振り一振りを、あるいは回復の一滴を。

 怒濤のように積み上げられる弱体化魔法(デバフ)による敵の脅威度の変化を。目に見えないヘイト残量と、その余裕における行動オプションの可塑性を。

 絶え間なく変化を続ける仲間たちのHPはシロエの中でイコライザーパネルのようだった。

 減少を続ける戦闘のタイムラインの中で潮流を感じ取り、シロエはそれを微分する。

「直継、加速!」

「あいよぉっ!」

「ボロネーゼさん、退がって」

「承知だ」

 ひとつひとつはただの「文」なのだ。

 それが連なり、目的を持った「文章」となる。

 シロエの脳裏に直継の顔が浮かんだ。てとらの笑みや、ウィリアムの狷介そうな苦笑いも。フェデリコ、ルギウス、デミクァス。〈シルバーソード〉の面々も。

 シロエは我知らず深く頷いていた。

 ウィリアムの言ったことは、シロエにだって判る。

 いま戦いはひとつの「物語」となってシロエの元へ届いた。

 それはくじけそうになる心を奮い立たせて進むひとつの行軍歌だ。

 ウィリアムが「秘密」と称したなにかにシロエも触れた。それは茶会でシロエが包まれていた、あの懐かしい安らぎと同質のものだった。

 全力管制(フルコントロール)戦闘(エンカウント)と呼ばれた演算のすべてを解放したシロエの〈滅びたる翼の白杖〉から、口ずさむ呪文が飛翔する。空気を切り裂く大鳥にも似た〈カルマドライブ〉は炎蛇イブラ・ハブラに着弾し、無数の輝くアイコンを弾けさせた。


(十五%……十六%……十八%……)

 シロエは唇を噛んで精神を集中する。

 ルギウスの用いた〈従者召喚:ライフセコイア〉は好手だった。あの呪文で合計十名のHPが三割以上回復できる。

 炎蛇の広範囲攻撃〈慈悲なき煉獄の宴〉はおおよそ一八〇秒ごとのようだ。次の一回をルギウスの〈マーシィレイン〉と〈ライフバースト〉で凌ぐ。その次は三六〇秒後だ。この一撃は〈再使用規制時間〉の回復した直継の〈キャッスル・オブ・ストーン〉で無効化。さらにその次、五四〇秒後にはてとらの〈オーロラヒール〉が回復している。

 視界が色を失うほどの集中の中で、シロエは読み切る。

 七二〇秒を迎える前に〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉を沈めることは可能だ。シロエの〈カルマドライブ〉の効果は、あの炎蛇にクリティカルヒットを与えた仲間のMPを回復する。この出力でダメージを推移すれば、遅くとも七〇〇秒でイブラ・ハブラにとどめを刺すことができる。

 その後は全戦力を霜巨人タルタウルガーへと反転しこれを討つ。

 残されたMPリソースを考えればとても余裕を持った戦いとは言えないが、ギリギリで勝利することは可能だ。

 薄氷かもしれないが、それは勝利の可能性。

 それをこじあけるためにシロエはいる。

 そのためにできる演算を最後まで途切れさせはしない。オーバーヒートしそうな心をアイスボックスに入れてシロエは依頼した。

「ダメージ出力はこのままを維持してください」

「お前ら聞いたか、腹黒がそういってんぞ! 気合いを入れろ、潰せ! 出し惜しみすんなっ!!」

 ウィリアムが一行にそう号令を掛けたその瞬間、不吉な黒い塊が広間に落下してきた。


 ぼとり。

 ぼとり。

 それはへばりついた地面から立ち上がると、非人間的な動きで武器を構えなおした。

 影の尖兵――〈七なる庭園のルセアート〉から生み出された分裂体ともいえる戦士。その戦闘能力はルセアートには遠く及ばないが、それでも〈冒険者〉数人は簡単に相手取ることができる。

 叫び声をこらえてとっさに上方に視線をやったシロエが見たのは、コロセウムに続く回廊からしみ出す漆黒の闇だった。天井に広がったその闇は垂れ下がり、重油のような滴となって、影の戦士を生み落とす。

 確かにルセアートは鉄格子のゲートを通り抜けることはできないのだろう。

 しかし、彼の生み出した人間大の黒き尖兵たちは、シロエらがそうしたように門の隙間を通り抜け、この戦場へと姿を現したのだ。


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[一言] 誤字報告 〜それは半径三〇メートルほどもある卵を立てたような計上の大空洞だった。 「計上」→「形状」
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