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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
異世界の始まり(上)
4/134

004

 五日目の朝、シロエと直継はいつもの宿を抜け出してマーケットに向かっていた。目的は本日の食料を仕入れることである。寝起きのせいか、直継は珍しくテンションが低い。とぼとぼと歩いている。


「どうしたの?」

「なんかよぉ。あのマズメシを食い続けるのかと思うと、俺ぁ、しょんぼりな気分だよ」

 シロエにだって直継の気持ちはよく判る。別にグルメを気取ったことはなかったし、元の世界でだって他人に自慢できるような食生活を送っていた訳じゃない。けれど、こうなってみると日本の食生活というのはずいぶん恵まれていたものなんだなぁ、と思い知らされる。


(ホカ弁の唐揚げ弁当。……美味しかったな。

 68円の袋ラーメンとかも、焼きそばパンとか。

 いま考えてみると、あれすごいご馳走だ)


 それに紅茶に、珈琲、炭酸飲料。

 飲み物が何であれ水道水的な味しかしないというのは本当に堪えた。そもそも殆ど全ての飲料アイテムは、井戸水と何らかの素材の組み合わせで作られているはずだ。

 試しに飲んでみたら、井戸水でさえ水道水的な味なのだった。と、すると水道水と感じていたのはシロエたちの舌の問題で、要するにただの水と云うことだ。

 水に何かを混ぜても水のまま、というのはなんだか騙されたような気がして仕方ない。


「……あれしかないんだよね」

「まぁ、それはそうなんだけどさぁ。刑務所だってもうちょっとなんか、ましなもの喰わせてると思うんだよ。俺がTV特番で見た網走刑務所の給食って結構美味そうだったもの」


「うん」

 そう言われてみれば、そんな気もする。

 シロエだって中学までは公立校に通っていた。そこで食べた給食はグルメとはほど遠かったが、確かにこの世界の全面的濡れ煎餅よりはマシだ。


「で、俺思ったんだけどさ」

「なにさ?」

「これって、俺達にマズメシを喰わせ続ける神様の拷問部屋なんじゃね?」

 そんな馬鹿な……と思いかけたシロエだったが、よく考えてみると、それを否定できるだけの材料がない。確かに空想的で馬鹿げた想像だったけれど、もはや現実が空想的でばかげた事態なので、ありとあらゆる与太話を一笑に付せないのだった。


「だとすれば、拷問センスがかなり良い神様だよね」

「俺もそう思う。……毒みたいな味で食うと血反吐を吐いちゃうんだけど、食わせ続けられるって、地獄っぽいじゃん? 鬼の獄卒が無理矢理食わせるとか」


 ああ、そう言えば仏教の地獄にそんなのはありそうだ、とシロエは思う。


「でも、そうじゃないんだよな。そこまでは不味くない訳。

 我慢すれば我慢できなくはない程度の不味さ。

 でも、それ以外が一切無いの。際限なく続く。どんどん暗い気持ちになってくる訳だ。――それって嫌がらせとしてはかなりハイエンドだぜ?」

「だからそのあたりが拷問センスってなんだよ。その――やなセンスだけど」


 カツン。

 そんなささやかな音がして、足下のアスファルトに小石が跳ねる。


 視線をあげたシロエは、元は何かの商店だった3階建ての崩れかけた建物の入り口に立つ長身の男を認めた。


「アカツキだ」

 黒髪、黒装束。目鼻立ちの整ったその長身の男は、口元をスカーフのような布きれで隠したまま、シロエに対して視線だけで礼をする。


「知り合いか?」

「うん。この人はアカツキさん。〈暗殺者〉(アサシン)だよ」

 アカツキに近づきながらシロエは直継にアカツキを紹介する。


 シロエがアカツキと知り合ったのはかれこれ一年くらい前のことになる。アカツキは極端に口数が少ないプレイヤーだった。

 というのも、彼はボイス・チャット全盛のこのご時世に文字チャットの使用者なのだ。もっとも〈暗殺者〉と云う職業の雰囲気を出すためには役立っている。

 〈エルダー・テイル〉にはアカツキのようなロールプレイヤーも少なくはない。ロールプレイヤーというのは、シロエの感覚で云えば雰囲気を大事にするというポリシーを持つプレイヤーだ。

 〈エルダー・テイル〉がこうなってしまう前から、アカツキは「アカツキというキャラクターでゲームをしているプレイヤー」ではなくて、「この世界に住んでいるアカツキという人間」としてゲーム中の全ての言動を行なってきた。

 演技と云ってしまうと失礼にあたるだろう。それはそういう種類のゲームの楽しみ方なのだ。他人が口出しするような事ではない。


 それにその点を差し引いたとしても、アカツキはなかなか腕の良いプレイヤーだとシロエは思っていた。無口だし、無愛想で、愛嬌なんて薬にしたくてもない。その意味ではマリエールの対極にいるような存在だと云えた。

 しかし一緒にパーティーを組んだときは、己の役割は完璧に果たして、他の仲間への気遣いも忘れない。何も気遣いというのは明るい言動だけで表現されるものではないのだ。

 昨今、そんなプレイヤーは貴重だ。


 なによりシロエとしては、沈黙が苦にならないのがよい。黙りこくる雰囲気が苦痛になる関係もあるが、アカツキとシロエはある種似た部分があり、二人で狩りを続けていても沈黙が苦痛にならなかった。

 シロエとしては、それは沈黙ではなく、言葉以外の何かで会話をしているせいだと思っている。


 例えば連携のタイミングや、援護に入るちょっとした仕草。

 戦闘と戦闘の間の休憩。そんな些細な気遣いとやりとりで、「会話」は成立するのだ。

 一緒に探索をして頼りがいのある職人肌の〈暗殺者〉。それがシロエのアカツキに対する印象だった。


「アカツキさん。どしたんです?」

 アカツキは顎をわずかに振るという仕草で己の意志を示すと、その崩れ落ちそうなショップの奥に引っ込んでいく。どうやらこのショップは個別でゾーンを構成するタイプではなくて、アキバの街に直接設置された巨大なオブジェクトでしかないらしい。


 シロエ達はアカツキの招きに応じて、薄暗い廃墟に入る。

「なぁ。シロ。こいつどうヤツなんだ?」

「アカツキさんはロールプレイヤーだよ。無口だけど……腕は良い。すごく。――でもこんな事になっちゃやっぱりへこんでるよなぁ」

 直継の小声の質問にシロエはやはり小声で答える。


 アカツキの姿はすでに見えない。一人で廃墟の中にどんどんと入って行ってしまったのだろう。その行動は、普段のアカツキの言動からすれば些か違和感を感じるほど性急だった。


 湿った埃の匂い。朝の光は崩れかけた壁の隙間や、細い窓からまっすぐのラインとなって差し込んでいる。


 やはり何らかの店、しかも飲食店だったのだろう。入ったその空間は広々としていて、いくつものテーブルや椅子、ソファが斜めになったりひっくり返った、ひどく混乱した空間だった。


 アカツキはそこで振りかえると、直継を困ったような、何処か咎めるような視線で睨む。


「アカツキさん。これは直継。〈守護戦士〉(ガーディアン)。僕の古い知り合いで、かなり頼りになる人。信用して良いよ」

「俺は直継。よろしくなっ! お前がオープンだろうとむっつりだろうと、おぱんつは全てを歓迎するぜっ」

 アカツキの視線にシロエは直継を紹介する。

 直継は直継らしい、あんまりに直球の挨拶を返す。初対面なのに、と頭を抱えかけるシロエだが、そんな挨拶には気も払えないとでも云うように、アカツキは思い詰めた表情をしている。


(こんなにぴりぴりした人だったっけかなぁ……アカツキさんて)

 気詰まりな沈黙が流れる中、シロエは一人でそんな事を考える。


(口数こそ少なかったけれど、結構フットワークの軽い、戦闘好きなプレイヤーだったと思ってたんだけど)


「探してた」

 しばらくの沈黙の後、アカツキは聞き取れるかどうかと云う幽かな声でそんな言葉を漏らした。それはひどく細く頼りない声だった。


「僕に用事?」

 アカツキはシロエの言葉にこくりと頷く。

 彼はそれでもひどく何かを悩むように二三度大きな呼吸を繰り返した後、意を決したように告げた。


「〈外観再決定ポーション〉を売って欲しい」


 アカツキの声は細かったけれど、内容自体は誤解のしようがないほどはっきりと伝わった。しかしその内容が耳に到着するのと脳に到着するの間にはひどいタイムラグがあって、シロエは何を言われたのか理解するためにしばらく考え込むことになる。


 〈外観再決定ポーション〉。

 それはシロエがまだ〈エルダー・テイル〉をプレイし始めた頃にイベントで配られた、限定アイテムだった。

 たしか〈エルダー・テイル〉のユーザー拡大を目指した販促キャンペーンの景品で、その販促キャンペーン自体がWebラジオと提携した、ひどくお粗末な物だったような記憶がある。名前も知らないような泡沫声優が出演して場当たり的に決めた新曲発表と絡めたようなひどい出来のイベントで、〈エルダー・テイル〉の運営サイドとしても、いわゆるひとつの「無かったことにしたい過去」だろう。

 20年もの歴史があるゲームだと、そんな愚にもつかないようなキャンペーンも数多くあるし、その時限りのアイテムなどと云うものも、数え切れないほど存在するのだ。


 〈エルダー・テイル〉においてプレイヤーの分身となるキャラクターは、ゲーム開始直後に作られる。

 8つの種族、12の職業、名前、性別。そのほか、身長や体型、顔のテクスチャ、髪型、髪の毛の色や瞳の色等細かい調整項目がある。体型に至っては、胸囲や足の長さ、胴回り、肩幅など十数カ所の数値を調整可能。

 もっとも、体型や顔は戦闘や成長などのゲームバランスそのものには影響しないから、玄人のユーザーはわりとあっさりと決めてしまうことも少なくはない。


 〈外観再決定ポーション〉とは、文字通りゲーム開始直後に作られたキャラクターの外観データを再決定する水薬だった。もちろん先ほど述べたとおり外観はゲームの難易度には影響を与えないから、これは一種のジョークアイテムとでも云うべきもので、販促イベントの不出来さと相まって非常に希少で、しかも使用用途の無いアイテムである。


 少なくとも、いままでは。


「ア、ア、アカツキさん。も、もしかして……」

 シロエの態度にアカツキはにらみつけるような視線を注いでくる。


「女だったの?」

 アカツキはその精悍な、いかにも腕利きの職業的な殺し屋といった風貌に似合わず、こくりと素直に頷いた。

 先ほどからの細い声。無理に作っていたけれど、それはやはり女性のもの。文字チャットの無くなってしまったいまのこの世界では隠しようのない特徴。


「これまたびっくりだわ」

 シロエの隣では、直継も硬直していた。



 ◆



 銀行の貸金庫から〈外観再決定ポーション〉を引き出してきたシロエは、崩れかけたショップで待っていたアカツキにそれを渡す。薄いオレンジ色の薬瓶を受け取ったアカツキはほっとした様子だった。


「少し待っていて欲しい」

 アカツキはそういうと、店の奥に消える。

 奥とは行っても別の部屋ではなく、厨房との敷居にあるついたての影のような部分に、アカツキの荷物が置いてあるらしい。


「大丈夫かー?」

「心配ない。……うっ」

「どうしました?」

「このポーション、結構痛い」

 アカツキは早速ポーションを飲んだのだろう。ついたての影から、ポーションと同じオレンジ色の光が漏れてくる。

 それと同時に、割り箸を数本まとめてへし折るような音や、濡れた雑巾をそのまま千切り引き裂くような、どうやったらそんな風な音が発生するのかけして知りたくない響きさえも漏れ出す。


「ぐうっ……。ううっ……」

 アカツキのうめき声。それは改めて聞いてみれば確かに女性の。それも少女然とした艶やかなものだった。

 ボイス・チャットによる音声会話を行なわなかったのも当然だ。そんな事をしたらプレイヤーが女性だというのがあっという間に判ってしまうし、それは暗殺者をロールプレイするアカツキにとってはひどく都合が悪い事だったのだろう。

 シロエは今さらながらにそれに気が付く。


「色々あるなぁ」

 埃を払って並べ直したストゥールに腰をかけた直継はそんな風にため息をついた。シロエだってびっくりしている。

 しかし、あり得る事態ではあった。ボイス・チャットシステムが主流の今のオンラインゲームにおいて、プレイヤーとキャラクターの性別が違うというのは余り一般的ではない。でも、絶対にお目にかかれないと云うほど珍しい事例という事でもない

 〈エルダー・テイル〉はオンラインゲームの中でもかなり複雑で本格的な、玄人向けと評されるゲームだった。性差に関係なくオンラインゲームは楽しまれているが、いつだったかシロエが読んだ雑誌記事の統計に寄れば、女性はやはりライト級のゲームを好む傾向があるそうだ。

 シロエの実感している限りでも、〈エルダー・テイル〉の男女比は男性が七割、女性が三割という所だろう。


 アカツキはシステムの理解も深かったし、何より戦闘好きだった。だからシロエはアカツキが女性だなんて一回も疑っていなかったのだ。


「もう、大丈夫だ。――感謝する」

 そう言ってついたての陰から現われたのは、身長150センチ弱の長い黒髪をゆらす少女だった。声から想像はしていたけれど、相当な美少女だ。

 30センチ以上も縮んでしまった身長のせいで、先ほどまで着ていた男物の黒装束はひどくだぼついていて、まるで子供が父親の仕事着を借りてきているようだったけれど、何重にもロールアップした裾から覗く細くて白い足首や、まくり上げた袖から覗くちょこんとした指先は小動物めいた可憐さを感じさせる。


「うわっ。美少女だぜ。ホンモノだわ」

 直継が口を半分開けて呟く。

 それはシロエも同感だった。

 この世界では、容姿の基本的な造形や髪型などを〈エルダー・テイル〉のモデル設定から引き継ぐらしい。けれど、ここ最近の観察結果に寄れば、その容貌はおそらく現実世界のプレイヤーの要素を継承する。


 シロエはこの世界の種族ではハーフアルヴというアルヴと人間の混血種族だ。細身の身体で好奇心が旺盛という設定の種族なのだが、宿屋の鏡で確認したところ、顔の作りそのものにはやはり現実世界での自分の特徴……三白眼ぎみの目つきの悪さと、よく言えば思慮深そうな表情が出てしまっていると認めていた。


 同じ理屈をアカツキに適用して考えてみると、種族は人間。その身長は、歩くときの違和感を考えて、現実世界に合わせてあるのだろう。つまり、本当に150センチ程度の身長だと云うことになる。

 そして容姿の方は、これは掛け値無しの美少女だった。

 黒眼の大きな瞳に、白い卵形の頬。墨で引いたような眉毛。影響下にあるこちらの容貌がこれなのだから、本体の方だって正統派美少女だと云える。


「駄目だな、お前」

 そんなアカツキとの間の言い難い緊張感を破って言い放ったのは直継だった。

「さっきの言葉は訂正だ。お前はオープンスケベにもむっつりスケベにもなれない。なぜなら男じゃないからだ。お前はおぱんつをはく側だ。身分を弁えろっ」

 それは確かにそうだろうが、余りにも理不尽な宣告に、アカツキは話を理解も出来ずにきょとんとした表情をする。


「シロエ殿。この人は頭がおかしいのか?」

「頭がおかしい訳じゃなくて……えーっと。おかしな人なだけだよ?」

「なんでそうなるっ!!」

「おかしいという点では一緒だな」

 横目でちらりと見ながらアカツキはそういう。


 ボイス・チャット縛りが無くなっただろうか。

 アカツキは〈エルダー・テイル〉でゲームをした頃よりも、流暢に受け答えをする。しかし、その言葉を節約したような男言葉は、シロエの中のアカツキのイメージを損なうものではなかった。


(いや。声が可愛いくて戸惑うなぁ)


「誰がおかしいってんだっ! おパンツを愛好するのは一人前の男に生まれたものの崇高なる使命なんだぜ。まぁ、お前のような女子供に云っても判らないだろうがな……」

 意味もなく胸を張る直継をアカツキは一別すると、小さく鼻を鳴らす。


「でもま、苦しそうだったな。まぁ、飲めよ」

 直継がひょい、と井戸水のボトルを投げる。

 それは、もう何を購入してもただの水でしかないと諦めたシロエたちが最近買っている、一番安い井戸水を水筒に詰めたものだ。


「世話をかける」

 ちょっと意外そうな表情のアカツキ。変な男なのか面倒見が良くて気が付く男なのか計りかねたのだろう。それでもその水筒をキャッチして、結構な分量を一気に飲み干した。ずいぶん喉が渇いていたらしい。


 三人は湿った匂いのする店内でそれぞれ立て直したストゥールやカウンターに思い思いの姿勢で陣取って話し始める。


 アカツキはこの五日間の間、人目を避けながらろくな食い物も飲み物もとらずに廃墟の中で暮らしていたらしい。

 シロエとしては、何でそんな事を、とも思ったが話を聞いてみるとそれも納得した。

 元の身体と身長差がありすぎたアカツキは、歩くことも不自由するようになってしまっていたというのだ。もちろん街中でゆっくり移動するだけなら平気だったろうが、トラブルに巻き込まれたら対処することが出来ない。


 そしてそのトラブルは高確率で予想された。

 文字チャットが無くなってしまった今のこの世界では、買い物をするにせよ知り合いと連絡を取るにせよ、音声を使わないでは済まされない。筆談をすれば何とか意思疎通だけは出来るだろうが、それにしたって不審者扱いを受けるだろう。

 声を出しても別段それでペナルティを受ける訳ではない。女性の声を持っている男性と云うだけのことだ。が、高身長の精悍な殺し屋が女声というのは、如何にも不似合いで興味を引かないではいられない。トラブルを予想したアカツキはおそらく正しい。


「それで、以前パーティーを組んだときにシロエ殿が話していた〈外観再決定ポーション〉を思い出した。それがあれば……とりあえずこの苦境は脱出できると」

「なるほどね」

 直継が相づちを打つ。


「なんだかなぁ。そもそも、最初からこのちみっこモデルでプレイしてれば良かったのに」

「ちみっこ云うな」

 彼女は鋭い目つきで直継を睨む。

 アカツキの視線は強い。それは以前からであったけれど、こうして自分自身の姿を取り戻したいまでは、その意志力を乗せた生真面目な視線は雄弁で、岩をも穿つほどだとシロエは思う。


「ちみっこはちみっこじゃん」

「おかしな人に言われたくはない」

 しかし、そのアカツキの視線を直継はものともせずにからかう。

 もっともただからかうだけじゃなくて、荷物から飲み物や食料を出して勧めたり、さり気なく気を使っているのが直継らしい。アカツキもそれが判っているから、本気で噛みつけないで、どうも勝手が違うようだ。


「現実には出来ないことが出来るからゲームは楽しいのだろう? ファンタジーだろうがSFだろうがそうではないか。私にとっては高身長がそれだったんだ」

 アカツキは拗ねたように少し口を尖らせて答える。

 そう言われてみればそれはそれで正論だ。


「あー、そりゃまぁ、仕方ねぇか」

 直継は同情したような声でアカツキをちらりと見る。

「……」

「うん、仕方ないよな。アカツキは悪くない。俺はアカツキの味方だ。人間誰だって夢見る権利はあるもんな」

 そういうと、何もかも判ったというような笑顔で親指を立てる直継。次の瞬間アカツキは華麗なポーズで飛び膝蹴りを直継の顔面にたたき込んでいた。


「膝はないだろっ! 膝はっ!」

「シロエ殿、おかしな人に膝蹴りを入れて良いだろうか?」

「入れたあとに聞くなよっ!!」

 二人のやりとりにシロエは笑いを堪えることが出来ない。

 二人とも仲が悪い様には見えなくて、それが一層笑いを誘う。


 直継からは「一人で良い子ちゃんになりやがって」という非難を受け、アカツキからは「もうちょっとこの変な人をどうにかして欲しい」という要請を受けて、そしてまたひとしきり笑いを堪えたあと、シロエはアカツキに聞いてみる。


「やっぱり、自分に近い身体の方が楽でしょ」

 アカツキはその問いにしばらく考えたあと、やはり生真面目な表情のまま答えを返す。


「男の身体は格好良いしリーチもあるけれど……とても困る」

「そっか? そんなに困るか?」

 直継が尋ねる。


 この二人は初対面なのにあっという間に馴染んでいるようだ。アカツキはどちらかと云えば人間関係には慎重なタイプだったとシロエは記憶しているが、直継の空気というのはそんなアカツキの警戒心もほどかせるらしい。


「えっと……トイレが困る」

 うつむいて口ごもるアカツキ。

(セクハラだ。直継)


「あー。ちんちんついてるもんな!」

(追い打ちをかけるなよ! 直継!)


「話を変更するとして! その外観はだいたい本当の体型とリンクしたサイズにしたんでしょう?」

 シロエは下手くそに話題転換を図ると、赤くなって居心地の悪そうなアカツキをフォローするように尋ねる。彼女の身長は女性にしたってずいぶん低い方だろう。


「うん、そう」

 アカツキはだぶついた衣服のあちこちを引っ張りながら、真剣そうな表情で頷く。


(直継のセクハラ親父発言への照れ隠しもあるのだろうけど……)

 それにしても、妙に生真面目な、人間や物を見るときにじっと凝視する娘だな、なんてシロエは思う。

 アカツキは何かを見つめるとき、視線を逸らさないで見つめてしまう癖があるようだった。その癖はおそらく元の世界のアカツキ本人がもっていたものなのだろう。その仕草は懸命で必死そうな印象を華奢な少女に与えていた。


「じゃぁ、身長差の問題は解決だな。歩行も楽になったろ?」

「助かった」

 言葉少なく礼を言うアカツキ。

 ぶっきらぼうな口調と唐突さ、じっと見つめてくるような癖。

 その組み合わせは、シロエの中で、寡黙な職人肌の攻撃職だった昔のアカツキに重なってゆく。表れてきている表現に違いはあるけれど、おそらくどちらも「真面目」という点では一致しているのだ。

 シロエは目の前の小柄な少女と、シロエの知る「アカツキ」との溝が埋まっていくのを感じていた。


「幾ら払えば良い? わたしの全財産で良いかな?」

 アカツキは例の睨みつけるのとすれすれの一途な視線でシロエを見つめながらとんでもないことを言い出した。


「3万くらいしかないんだけど――。これで許して欲しい」

「そんなの、良いよ」

「そう言う訳にはいかない。さっきのポーションはイベント限定アイテムだと云っていた。と、云うことはもう入手不可能な希少アイテムだ。本来であれば値段なんてつけようのないアイテムのはず。3万なんてはした金なんだろうけど」


 理屈としてはその通りだ。

 今まで貸金庫の肥やしになっていたけれど、この状況下では大きな値がついても、不思議とは云えない。


「……」

「……」

 しかし、とは云っても、では、全財産をもらうほどのアイテムか? と云われるとシロエとしても首をかしげざるを得ない。


「その。あー。……無料じゃダメかな?」

「忘恩の誹りを受けたくはないのだ」


 シロエにしてみれば、アカツキの睨んでくるような上目遣いというか、自分を凝視するようなその仕草というのは結構居心地が悪い。なまじっか整った美少女なものだから相当な破壊力がある。


「そんなに気になるんだったら、そのお礼はおぱんつにしようぜっ――がっ」

 再び直継の顔面にアカツキの小さな膝が綺麗な形でたたき込まれる。幾ら直継が瓦礫の上に座っているとは言え、良い角度で決まるものだ。

「アカツキさんは運動神経良いんだなぁ」

「ちょ、おいむっつりスケベ。お前はどっちの味方なんだよっ」

「シロエ殿。この変態に膝をたたき込んで良いだろうか?」

「だから蹴る前に相談しろよっ」

 シロエは、直継を指さして許可を求めるアカツキの仕草が可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。


「まぁ、いいや。んなポーションの値段よりさ、おいアカツキ」

「呼び捨てするな」

「それはどうでも良いからさ、ちみっこ」

「そんな、とは云ってもこれは大事な話なのだ。シロエ殿の限定アイテムを無料でせしめたとあっては末代までの恥となる」

 頑なに言い張るアカツキ。

 そんな風に口を尖らせるアカツキを眺めていた直継は、シロエに振り向くと、アカツキと見比べて、続ける。

「いや、そんなのはまさに『そんな話』だよ。そんな事よりも、アカツキ。お前さ、しばらく俺達と一緒に行動しないか?」


「――え」

 その言葉はアカツキにはよほど意外だったようだ。

 まるで一時停止をかけた様にその動きが止まる。


「参謀、説明」

 直継は言いたいことを言ってしまうと、後はまるでシロエの役目だと云わんばかりに丸投げをした。

 打ち合わせもしていないようなことをふりやがって。シロエはそう思うが、提案自体は理解できなくはない。


「……うん。悪くない話だ、と思うよ」

 しかし、悪くない提案だというのとそのことを説明する平易さとは必ずしも結びつかない。シロエはアカツキに無理強いするつもりはないし、直継だってもちろん善意で云いだしたのだろう。

 しかしそう言う善意とは別に、なんだか罰ゲームでナンパをさせられているような気恥ずかしさがつきまとうのも確かだった。


「……云いたくはないけど、アカツキさんは女の子だし、小さいし。容姿と声の間の整合性がとれても……んっと。

 もめ事には巻き込まれる……んじゃないかな。何よりアカツキさんは、今だにギルド未所属だし……。どこかギルドに入る当てはないの?」


「どこかに所属するのは苦手だ。一匹狼が〈暗殺者〉の生き様だから」

 シロエの言葉にアカツキは思い詰めたように眉を曇らせる。


「まぁ、そうだろうなぁ。俺達も似たようなもんだ。フリーの冒険者だ。自由気ままだぜ。自由なおぱんつフリーダムだ」

「……黙れ変態」


「どこかに所属する予定があるのならともかくさ……。いま未所属はなんだかんだで絡まれるみたいだよ? 大手ギルドが戦力増強を企てて、片っ端からスカウトをかけてるんだ。女性プレイヤーなら、なおさらだと思うし」


「そうなのか……」

「ねぐらの確保とか、いまの状況の情報の共有。……多少つながりはあっても、いいんじゃないかな」

 その言葉にアカツキは頷く。


(アカツキは愛想がよい訳じゃないからなぁ)

 シロエだって自分の愛想が良いだなどとは思っていないが、アカツキの無愛想さは相当なものだった。ゲームとしての〈エルダー・テイル〉時代、アカツキの気遣いという物は無言のそれで、気が付くようなプレイヤーは非常に少なかったのだ。

 気むずかしい戦闘職人でもあったアカツキの知り合いは、シロエの知る限り相当少なかった。自分が一番アカツキと出掛けていたのではないかと思う。


 もちろん、それはそう言うスタイルのプレイであるからゲームである時代はそれでよかった。


 しかし、現在この世界はゲームだとは云えない。

 〈エルダー・テイル〉では女性プレイヤーの割合は三割と云うところだろう。男性と比べて希少な訳で、女性であると云うだけで色んな注目を集めずにはおかない。それがギルド未所属だとなればなおさらだ。

 アカツキの無愛想さは、本人がこんなに美少女であると判明してしまった以上、必ずやトラブルの火種となる。


(直継がそこまで考えていたのかどうかは判らないけど……。その意味でもしばらく一緒に行動するというのは悪くない……んだけど)


「良いじゃん。〈暗殺者〉ってのは、暗殺が得意技なんだろ? 俺達が戦っている隙に背後に忍び寄ってさくっとモンスターを一撃。ナイスコンビプレー。悪者成敗祭りだぜ」

 直継はそんな事をにこやかに云う。


(まぁ、連携としては間違ってないんだけど。……その変な祭りはいったい何なんだ?)


「むぅ。シロエ殿は、それでも良いのか?」

「歓迎だよ。三人になった方が何かと心強いしね」


「そうか、では忍びとしてシロエを主君と仰ごう」

 シロエの言葉に、アカツキはしばらく迷っていたけれど、彼女独特の一途なまでにまっすぐな眼差しでこくりと頷く。


 忍び?

 主君?

 アカツキは暗殺者じゃなかった?

 そんな疑問が浮かんでは来るけれど、シロエにとってそれはよい報せだった。


「絶体絶命の男性化の危機から救ってくれた恩であるからには、それ相応の働きで返さなければならないだろう? これぞ報恩というものだ。私はこれから主君の忍びとして身の回りを守ろうと思う」


 アカツキは、彼女にしては珍しく目を泳がせながらそんな事をボソボソと告げた。鼻を中心に紫色のあざを作っている直継は、そんなダメージにもめげずにシロエをニヤニヤと笑っている。


「んじゃ、そう言うことでチーム結成だ。よろしくな、ちみっこ」

「うるさい、馬鹿」

「えらくでこぼこトリオだけどな。お手柔らかに」


 シロエたちは、金色の光が差し込む薄汚れた店舗の中で、それぞれの手に持った水筒を打ち鳴らして、チーム結成を祝うのだった。



 ◆



 アカツキが仲間になってからの数日。

 シロエ達三人は活動の中心をアキバの街近郊のフィールドゾーンに移しつつあった。


 理由はいくつもあるのだが、まずひとつは覚悟を決めて直継と出掛けた「書庫塔の林」での戦闘が思いの外厳しかった点がある。

 この世界の戦闘は、その基本的な構造や戦略という点で〈エルダー・テイル〉の仕様を忠実に再現しているが、個々の参加者の戦術や戦闘技術という点では圧倒的に異なる。

 ゲームであったときはプレイヤーが関与しなかった、細かいひとつひとつの要素――たとえば剣の振りや盾を突き出す角度、足場、その移動と云った細かな点が大量に紛れ込んでいるのだ。視界の問題や連携のとりづらさなども大きな問題だ。そしてなによりも恐怖感を初めとした精神的なハードルが高い。


 直継と初めて出掛けたときの感想は「これはかなり大変だぞ」というもので、その後数回の日帰り遠征を行なった後は「一筋縄ではいかないな」という物に変わった。


 しかし、アカツキは完全な戦闘職だし、この世界で生き抜くことを考えると戦闘になれるならば早い方が良いだろう。当面の間は一緒にいると云うことにしたが、何時までもそうでいられるかどうかは判らない。一緒にいる間に、戦闘の基本を身体に染みこませた方が良いと三人は考えたのだ。


 もう一点は、ギルド〈三日月同盟〉の存在だった。

 シロエ達はあれからもちょくちょくと〈三日月同盟〉のギルドハウスに通っては情報交換を行なっていた。シロエ達とは違い〈三日月同盟〉には生産職のプレイヤーも居る。シロエも一応は高レベルの生産サブ職業〈筆写師〉の持ち主なのだが、〈三日月同盟〉の方には他にも様々な職人が居るし、人数も多い。

 街中での顔も利く彼らの方が、同じ時間活動しても街中の情報は効率良く集めることが出来る。


 情報交換を考えた場合、フィールドゾーンで様々な調査をしながら実地訓練を行なった方がましだというのが、もうひとつの理由だった。


 アキバの街は日本サーバ最大の市街地で、新規参加したプレイヤーのスタート地点でもあった。だからその周辺のゾーンは、初心者でも比較的廻りやすい、低レベルのモンスターが出てくる安全な場所が多い。


 シロエたちはそう言った初心者向けのゾーンをひとつひとつチェックしては徐々に高レベルゾーンへと歩を進めていく予定だった。シロエも直継も、それを言うならアカツキもレベルだけならば90である。

 低レベルの初心者ゾーンでは例え敵に襲われても殆どダメージは受けない。敵の方もこちらの実力が判れば、むやみには襲ってはこない。


 その意味では、モンスターとの戦闘を回避することも可能だったが、シロエ達はなるべく多くの種類のモンスターと手合わせするように心がけていた。


 敵の攻撃そのものは大きな脅威ではなかったが、それでも様々な怪物に突然襲われたときは一瞬身がすくんでしまう。画面でゲームをしていたときには決して判らなかった耳障りな獣の呼吸、息が詰まるような血の匂い、こちらに向けられる殺気。

 そう言った実戦の恐ろしさは例え低レベルの敵であってもシロエたちをひるませるに十分だった。

 シロエたちは、例え経験値が手に入らないような雑魚のモンスターであっても、戦ったことがない相手であれば少なくとも数回は相手をして、動きの癖や対処法などを研究するための実験を繰り返した。


 シロエたちの戦闘は、直継を先頭に押し立てたフォーメーションを基本としている。


 戦闘は、直継の突撃で敵との間合いを詰めることから始まる。


 〈守護戦士〉(ガーディアン)である直継は、自慢の重装甲と盾の技を生かして敵の攻撃を受け止める。〈タウンンティング・シャウト〉は〈守護戦士〉の基本的な技のひとつで、モンスターを逆上させる効果がある。逆上したモンスターは激しく直継に攻撃を仕掛けて、そのためにシロエやアカツキは敵のマークから外れるという訳だ。


 しかし、やはり考えていたとおり、前線で剣を振り回し、激しい戦闘を行ないながらステータスを確認するのは容易なことではないらしい。

 ゲームとしての〈エルダー・テイル〉を遊んでいるときには、攻撃したいモンスターを指定するだけで、後はキャラクターが自動的に攻撃を繰り返してくれていた。敵の攻撃もこちらの回避能力に従い、自動的に一定の確率で回避し、剣で受け流したり盾で食い止めたりもプレイヤーが意識をする必要はなかった。

 特技を使用したいときはアイコンをクリックすればそれで済んでいたのだ。


 だが実際にこの異世界で戦うためには、目の前に現われた実物のモンスターに向かって、踏み込み、あるいは飛び退り、何度も両手を振り下ろして武器を叩きつける必要がある。


 目の前に迫ったモンスターを相手にすると視界も狭まるし、モンスター側がどんな動きをしているのか確認できないことも多い。


 シロエたちは相談を繰り返して、幾つかのフォーメーションや作戦コードを考え出した。前線から離れて全体を見渡せるシロエが二人に指示を出すのが、結局は安全だという結論になったのだ。


 シロエは魔法で援護をしながら周辺警戒や仲間のステータスに気を配る。〈付与術師〉(エンチャンター)の魔法は、地味なものが多い。〈キーンエッジ〉は他の職に自慢できる〈付与術師〉の数少ない魔法だが、その効果は仲間の武器の攻撃力を3割ほど引き上げるというものだ。

 これは魔法を使用さえしておけば数時間は持つので、戦闘中にかけ直す必要はない。もちろんそのほかにも数多い呪文が使えるのだが、それらは戦闘状況を見ながら臨機応変と云うことにして、目下シロエのメインの役割は周辺監視と、仲間のステータスの確認だ。


 アカツキは何回か戦闘をすると、シロエと直継の連携に馴染んできたようだった。


 〈暗殺者〉は武器攻撃職3職のうちひとつで、瞬間的な最大ダメージでは全12職中最強の力を持っている。武器攻撃職――〈暗殺者〉(アサシン)〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)〈吟遊詩人〉(バード)も、戦士系と同じく剣や斧、槍、あるいは弓などでの戦闘を得意とする職業だ。戦士系との違いは、戦士系が前線で敵の攻撃を引き受ける事が得意で、それを特徴としているのに比較して、武器攻撃職はそこまで防御能力もなければ、敵を引きつけることも得意とはしていない点にある。


 つまり、武器攻撃職の役割とは戦士系が引きつけた敵を殲滅することにあるのだ。その武器攻撃職の中でも〈暗殺者〉は敵の排除、すなわち抹殺に特化した性能を持っている。〈暗殺者〉の使う必殺技〈アサシネイト〉は瞬間的に一万近いダメージを発生させることさえ出来るのだ。


 直継が敵の攻撃を引き受け、その注意を自分に集中させれば、アカツキは自分の仕事に専念できる。


 戦場を身軽に走ってゆくアカツキの姿。

 小柄な身体は驚くほど敏捷で、敵に接近する疾走の最中にも、時にぶれたようにその姿を視認するのが困難になる。それは〈暗殺者〉の持つ技のうち、敵の死角に走り込み直後の攻撃の成功率を高める〈ハイドウォーク〉と云うものらしい。

 その黒髪をなびかせてゆく走りは、まるで液体が流れていくように滑らかで時にはシロエが見とれてしまうほど華麗だった。


 直継が盾で受け止めた敵の牙をそのままはじき飛ばすように後退させれば、彼女は自慢の小太刀をすかさず突き立てる。あるいは、直継の隙を狙って攻撃を企む敵の脇腹をざっくりと切りつけてその意図を阻止する。


 前衛-後衛の連携が大局的で戦術的であるのに対して、前衛-前衛の連携はひどく直接的で戦闘的だった。だからこそ、互いの癖を直感で理解するほどの場数が必要になる。


 一方シロエは二人のステータスを確認して、敵の動きを制限するために戦場移動を指示したり、時には〈付与術師〉の持つ様々な魔法を駆使して敵の動きを押さえ、あるいは騙して有利な局面を演出する。


 そして一週間が経つ頃には、シロエたちは75レベルほどの敵と戦えるようにまでなっていた。


 探索をスローペースで進めるもうひとつの理由は、拡張パック〈ノウアスフィアの開墾〉だった。

 あの大騒ぎでシロエたちは手近な都市ゾーンであったアキバの街へと転送され、この異世界へと引きずり込まれてしまった。


 しかしあの瞬間、正確にはどういう現象が起きたか、シロエは覚えていない。


(あれからずいぶん色んな人に聞いてみたけど……)


 あの黒い闇が広がる画面。

 輝く炎の文字と、切り取られたように白い月。


(あのデモのようなイメージを断片的に覚えている人はいる。……けど、その数は多くないみたい。こちらから話して、初めてうっすらと思い出す人も多いし……。

 あのデモが『あった』事は間違いがないけど。

 それが拡張パックに関するものなのか、それとももっと他の『何か』に関することなのかは判らない)


(だけど可能性がある以上、拡張パック〈ノウアスフィアの開墾〉はすでに適用されていると見たほうが安全だよな。その前提で動いた方が、予想していないよりもいくらか対処がしやすいだろうし……)


 〈ノウアスフィアの開墾〉は〈エルダー・テイル〉の拡張パックにしてはずいぶん秘密主義的に開発が進められてきていた。発表されるスクリーンショットは謎めいたものばかりで、むしろそこで喧伝されるのは新しいアイテムの増加や、新しい要素の追加などが中心で、拡張パックの中心であるはずの新しい冒険の舞台や新しい敵モンスターについての情報は少なかった。

 ただ、広報によれば「いままではまったく想像もされなかった闇の勢力がこの世界へと魔の手を伸ばしてきた」とされていて、最高レベルの引き上げと共に、今回も厳しく挑戦的なコンテンツが満載だろうとプレイヤーには期待されていたのだ。


 その新拡張パックが適用されているのであれば、いままで慣れ親しんだゾーンであっても、若干の変更が加えられている可能性はある。

 いままでの拡張パックなどの伝統によれば、それは多分、ちょっとした新しいアイテムやオブジェクト、ノンプレイヤーキャラクターの追加という形をとるだろうと思われた。


 新しい拡張パックが追加される。すると、いままでも慣れ親しんでいた既存のゾーンにも新しいノンプレイヤーキャラクターなどが増える。その新しいノンプレイヤーキャラクターは失われた大陸や、新しく発見されたダンジョン、最近流れ始めた妖しくも危険な噂について語り始めるのだ。

 シロエたちプレイヤーはその新しい情報の真偽を確かめるために、噂を追いかけてゆく。そうすると、自然と、いままでに入ったこともないゾーン、新しく追加されたエリアへと招待される、もしくは迷い込むといった寸法だ。


(もし新しいゾーンが追加されているとすれば、それは当然レベル上限引き上げに合わせて、レベル90以上のモンスターが跋扈する危険なゾーンになるだろな……。

 僕たちはこうして連携の練習をしているけど、だとしてもこの異世界の戦闘は〈エルダー・テイル〉のそれよりもずっと厳しいことは確かだ。恐怖感を克服したとしても、戦場での視認性や周辺確認の問題はついて回る。

 第一僕たちは三人で、パーティー制度の上限である六人の半分しかいない。おそらく僕たちは頑張ったところで、レベル85程度のゾーンに挑戦するのが精一杯。

 だから仮に90レベルを超える高難易度ゾーンが追加されていたとしてもそれに挑戦することは自殺行為)


(しかし、もしその導入部分の噂があるのならば、それを確認するのに早いと云うことはない。

 第一、そんな噂の有無を確認するためだけに、低レベルのゾーンをしらみつぶしにするのは非効率的で、何回も繰り返したいことではない。僕はそんなのはまっぴらだし、直継やアカツキだってまっぴらだろう。だったら、戦闘訓練をしながらゆっくりとでも確実に探索を進めたほうが良い)


 シロエたちはそんな風に考えて、腕ならしや探索を含めて中難易度のゾーンでゆっくりと戦闘を行なっているのだった。


2010/04/20:誤字訂正

2010/04/24:誤字訂正

2010/05/29:誤字訂正

2010/06/13:誤字修正

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