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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

異世界の始まり(上)

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003

 その後、直継とシロエは連れだって街へと繰り出すことになった。
 話し合っては見たものの、結局は根本的に情報が足りないというのはいかんともしがたい。二人はいまは少しでも情報が欲しかった。〈エルダー・テイル〉をプレイしていたときには当たり前だったことであっても、いまやそれが通用するかどうかは判らなかったからだ。

 念のために直継とシロエはパーティーを組んだ。
 パーティーとは〈エルダー・テイル〉のコミュニケーション機能のひとつで、一緒に戦闘をしたり戦闘を行なうチームを結成する事を指す。ギルドとは違いパーティーは臨時の関係で、このパーティーを組んだ状態になるとお互いのHPや状態異常の確認が出来るし、同じゾーンにいればお互いの存在の方向と距離が判る。

 アキバの街は戦闘行為禁止区域だ。
 この街で戦闘行為をすれば――相手がノンプレイヤーキャラクターだろうと普通のプレイヤーだろうと、途端に街の警備兵が飛んできて、牢屋に強制転移させられる。攻撃を仕掛ける相手が警備兵である場合、それは警備兵に対する反逆だと見なされて、その場で討伐される。

 〈エルダー・テイル〉では街に住む人々などのプレイヤーでないキャラクターも沢山いて、彼らはゲームシステム的にはノンプレイヤーキャラクター、ゲーム内世界的には〈大地人〉と呼ばれている。
 彼らの多くは店員として様々な物を売っていたり、ギルド登録所のようなサービス施設を受け持っていたり、話しかけると情報を教えてくれたり、クエストをくれたりするのだ。

 強い警備兵はレベルで云えば100のものも居るために、プレイヤーは抵抗することなんて出来ない。
 もちろんこの街はモンスターの出現がない区域でもあるので、ゲームとしての〈エルダー・テイル〉の常識で云えば、これは世界でもっとも安全なゾーンのひとつだと云うことになる。

 廃ビルを出ると、夏の始まりのような、温かくて何処か水気を含んだような風が街を渡っていた。湿った土の匂い。風にゆらされた葉や草たちがさらさらと音を立てる。

 それらは余りにも自然で、シロエは自分の中からゲームという意識が蒸発していくのを感じる。五感を通して感じられる世界は圧倒的にリアルで、異世界であるという感覚ばかりが強くなり、ゲームという感じはもてない。

 路地を曲がると4車線の太い道路に出る。角には複合素材で造られたインテリジェントビルのモノリスじみた姿。アキバの大交差点。その先には駅前広場。どの建物もツタに絡まれて、あるいはすでに建物は倒壊して巨大な古代樹にとって変わられている。
 そこに現実世界の秋葉原のお洒落さやハイテクの街の印象はない。

 色とりどりの看板や派手な電飾もそのままに砕けて、斜めにかしいだり、二つに折れたりして、ビルに寄り添うように巨大に生長した銀杏や楡の古木に支えられている。
 すっかり土に浸食された道路は、表通りこそまだアスファルトが見えるが、裏通りは全て湿った土と腐葉土、碧色の苔に覆われて自然公園のようだ。

 古代の時代から放置されたハイブリットカーは、風化し雑草に覆われて、小動物の住処となっている。
 でも、そんな無残な姿さえも、それはそれで絵のように美しかった。洗練された様式美ではないけれど、色とりどりの緑と混在するビル達は廃墟なのに生命力がある。

 雑多な建物を勝手に占拠して住み着いたプレイヤーやノンプレイヤーキャラクター達が作り上げた仮設の店舗や出店は、南国の屋台のような雰囲気で並んでいる。それはシロエの知る〈エルダー・テイル〉の故郷、アキバそのままの姿だった。

 いつも通りの〈エルダー・テイル〉の風景ならば、駅前広場にはプレイヤーがたむろしたり、手持ちのアイテムを他のプレイヤーに売りつけようと露天を開いていたり、探索や戦闘に出掛けるための仲間と待ち合わせのために時間をつぶしていたりする、非常に活気のある場所だ。

 しかし、いまこうして訪れてみると、そこにある雰囲気は当惑と混乱、そして錯綜する苛立ちだった。
 ざっと見回しただけでも数百人のプレイヤーがこの広場にはいる。
 その上、広場を見下ろす廃ビルの中や、いくつもの狭い路地――もっと云ってしまえば、崩れて使い物にならなくなっているはずの高架線の上からも視線を感じる。

 おそらく皆、何かしらの救いを求めて集まってきたのだ。
 もしかしたらこの広場に運営サイドの人間が突然現われて、今回の事件のあらましを説明して「コレでイベントは終わりです。どうですスゴかったでしょう?」……なんて云ってくれるのではないか。そんな希望を持って集まっているのだろう。

 そんな儚い希望をもったプレイヤー達でさえも、広場に集まりきったり他人と打ち解け合うのは怖いのだ。こうやって広場に出てきても、そこで交わされている会話の声はいつもよりずっと低い。
 何人かずつの少人数であちこちに集まり、周囲には警戒の視線を向けている人々が大勢いた。そしてときにはすすり泣きや、耐えかねたような怒声が漏れる。

 やっぱりみんなも意識しているにせよ無意識にせよ気が付いているに違いない。こんな状況では何が起きるかわからないと云うことに。
 シロエはそう思うとわずかな苛立ちを覚える。

(この人たち座り込んだまま何時までも過ごすつもりなのかな……。まじかな、うわ。目があった)
 シロエはびくっとして視線を外す。

 何かをねだるような不幸を訴えるような視線を向けられたのだ。
 シロエとしてもそこまで自分が繊細だとは思わないけれど、どんどん見てくれと思うほどタフでもない。

 それに。
(それに……いらいらする)

 しゃがんだままねだるようなその姿に。
 自分では何一つしないままに不満の声だけを上げるようなその姿に。判っては居たけれど、こうして何百人ものプレイヤーがうなだれている姿は、精神衛生上よくはない。

 シロエがいまこうやって積極的に動けているのも、最初の悲嘆をうやむやのうちに乗り切れたからだし、直継との話し合いで落ち着きをもらったせいだと云うことを、シロエだって判っている。
 自分とその人たちの間にそこまでの優劣は存在しないことくらい、シロエだって判っている。だが、だから余計に、と云うのもあったかも知れない。

「シロエ? シロ坊やんっ!」

 大きな声で呼びかけてきたのは、一人の女性だった。さして大きな声ではなかったけれど、暗い雰囲気で押し黙った人の多い広場で、その鈴を振るような明るめの声はずいぶん目立ってしまっている。
 シロエは弾かれるようにその声の主を捜す。

「マリ姐、マリ姐。そのっ。あのっ。め、め、目立ちますからっ」
「目立つも何も、こんなお葬式みたいなのの中じゃどっちこっち無いって」
 シロエはマリエールの腕を引っ張って見る。そんなシロエに構わず話し続けるのはマリエール。通称マリ姐と呼ばれる女性プレイヤーだ。

「丁度良いとこやった。うちシロ坊のこと探してたんよ」
「……えっと、その、何で……いや、いいです。……はい」
「わ。おねいさんぱんつ?」
「直継、今はぱんつは勘弁して」
 どんどん歩いて広場を離れ、何とか人目につきにくい路地へと進む。別に何か後ろ暗い訳ではないけれど、あの広場の雰囲気は胃に悪い。これから話す相手のマリエールはシロエよりも更に顔が売れていることを考えても、周囲には気をつけたい。

「こんなトコ連れ込んでからに。シロ坊ったらおませやな」
「そう言うつもりは全くないですっ」
「彼女出来たのかぁ、うりうり」
「そんなんじゃないです。ごめんなさい、ごめんなさいっ。あ、で、こっちは直継」
「直継です。シロの友人。……お姉さんは?」
「うちはマリエール。マリエとかマリ姐って呼んで。おお! 直継やんも格好ええな! 君らコンビ?」

 くすくすと笑うマリエール。シロエは台詞の真偽を確かめようとじっと見てみるけれど、笑み崩れた顔からはまったく悪意というものが見て取れない。というか、真意で云っているとしか思えないので始末に負えない。

 女性にしてはすらりと背の高いマリエールは〈施療神官〉(クレリック)だ。
 回復系3職のうちのひとつ〈施療神官〉は回復職の中ではもっとも高い治癒能力を持っている。敵からの攻撃に反応して自動的に発動する「反応起動回復」は戦闘ではパーティーの屋台骨を支えてくれる。

 回復職というのは、生存性能は高いが攻撃力は低い。その意味では〈付与術師〉であるシロエと同じく、パーティーを組んでの冒険に向いた、逆に言えば単独活動には向かない職業だ。
 他人を助けるという1点により、一般には控えめな性格の人が多い回復職だがマリエールはその中でも異色だ。

 施療者の白いローブの揺れる緑の長い髪。どちらかと云えば整った顔の多いハイエルフ。それらは〈エルダー・テイル〉時代から同じだ。美形なのはゲーム世界だからどんなプレイヤーでも一緒なのだが、それでもなぜか人気のある女性、男性というのは存在する。
 ボイス・チャットが存在する〈エルダー・テイル〉ではそれは一層顕著で、マリエールは関西出身の明るい口調と世話焼きな性格で、実はかなり人気のある存在なのだ。もっともその人気は異性としての、と云うよりも人気者としてのそれに近い。理由は本人の余りものオープンさによる。

 女性的なべたついたところがないマリエールは、男女の別なく慕われている。古参だから顔見知りの多いシロエと違って、本当の意味での知り合いの多い面倒見の良いプレイヤーでもある。
 ギルド〈三日月同盟〉の代表者として数十人の仲間の面倒を見ているし、普段はアキバの街の酒場でだべったりしているために、〈エルダー・テイル〉では事情通として知られている人物だ。

「自分はえらい難しい顔してるな」
「……えと、まぁ」

 シロエはそんなに難しい顔をしているのかな、と不安になる。
 こんな状況だから表情が多少険しいのは仕方がないことだが、どちらかというと、この大事件以降感じている「元の世界の容貌の特徴が、こちらの世界に投影される」現象を考えてのことだ。

 元世界では、「目つきが悪い」といわれて少々コンプレックスだった。眼鏡をコンタクトに切り替えないのも、切り替えたせいで余計に視線が険しくなったらと思うと踏ん切りがつかないためだ。
 こうして異世界化した〈エルダー・テイル〉において「難しい顔をしている」なんて云われると、元世界の目つきの悪さがばれてしまったようで、慌ててしまう。

(でも、マリ姐だって……)

 そのつもりでちらりとマリエールを見てみると、やはりその顔は典型的な森の妖精族、エルフのそれとは明らかに違ってきているように見える。

「まぁ、うちかて難しい顔もしたくなる。気持ちはわかる。もういっぱいいっぱいや。ふざけてないと頭おかしくなるわぁ」

 明るいハシバミ色の瞳。貴族的なはずのエルフの顔に、太めの眉と、ちょっと大きめの笑みを湛えた口が配置されているだけで、親しみやすくて温かいマリエールらしい顔になっていると思う。
 マリエール本人には一度も会ったことがないはずなのに、シロエには何よりもはっきりと「ああ、マリ姐なんだな」と判るのだ。

「何やその視線。ははぁん、普段通りやないですかって具合やろう? じぶん」
 マリエールはシロエの額を指でちょこんっと押す。

「普段のおふざけは趣味や。いまのコレは積極的な逃避やん。もうねー、むっちゃね、困っとる」

「シロ。このお姉さん、いつもこんな感じなのか?」
「……いつもこんな感じ」
「で、今は偽装でこんな感じ、と」
「区別はつかないけどね」
 マリエールの言葉に、直継もぽかんとしてたけれど、次第にそう言う性格の人なのだと納得したようだ。たじろぐ直継にコロコロと笑うマリエール。しかし、シロエと直継が見つめる先で、その笑い声が途切れて、小さく吐息をはき出す。

「やー。うん。……えらいことになってるね」
「はい。……情報交換します?」
「せやね。どの辺から話そうか……。いや、そか。うん。用心した方が良いんかな。うっとこに行こう。直継やんも、それでええ?」

 シロエ達をマリエールはギルドホールに誘う。
 そこまで行けばとりあえずは安心という話なので、三人はフレイグの酒場を迂回して、ギルド会館を目指す。

 ギルド会館は何処の街にもある施設で、多くの場合幾つかの施設が複合されている多目的の大きな建物だ。

 アキバの街の場合は、それ自体がひとつのゾーンを構築していて、入り口ホールには何人ものノンプレイヤーキャラクターが忙しく働いている。
 彼らはこのギルド会館の職員で、話しかければギルド設立の手続きを行う事が出来る。また、ギルド未所属の人間がギルドに所属する手続きをとったり、また逆に脱退する処理をしたりする事務作業も彼らの仕事だ。
 さらにここには銀行の支店があり、全てのプレイヤーはこのゲーム内銀行に口座を持ち、お金を預け入れたり、貴重品を預かってもらうことが出来るのだ。

 その他にもこのギルド会館の重要な目的のひとつに、ギルドホールの貸し出しがある。
 ギルドホールとは独立した中規模のゾーンで、3部屋から大きなもので10部屋くらいの居住兼、事務用のスペースだ。

 〈エルダー・テイル〉においては、幾つかのゾーンは販売中となっていて、個人で購入することが出来る。購入したゾーンは出入りに制限をかけることによって特定のプレイヤー以外は入れないようにしたり、ゾーンの設定をいじることが出来るために、自宅として中小規模のゾーンを購入するプレイヤーも多い。
 購入とは云っても大きな頭金を払うと共に、その1/500程度の金額を月々維持費として支払わなければならないために、それなりの財産を持っていないとなかなか手が出ない代物でもある。

 ギルドホールはその変種で、ギルドとして購入できる専用のゾーンを指す。それなりの大きさを持つギルドは、ギルド会館でギルドホールを借りるのが普通だ。そうすればこのギルドホールにモンスターから得た戦利品や素材、生産したアイテムを貯蔵しておくことも出来るし、ギルドメンバー同士の会合に利用することも出来る。

 〈三日月同盟〉もまたそのようなギルドのひとつとして、このギルド会館にスペースを借りているのだという。

 シロエ達二人はギルド会館の2階へと広々とした階段を上がる。
 大きな観音開きのドアの前でゲスト登録をしてもらったシロエは、〈三日月同盟〉のギルドホールにお邪魔させてもらうことになった。

 秋葉原のギルド会館で貸し出されるギルドホールは、くたびれたオフィス風の基本インテリアを持っている。基本インテリアと云っても、床と壁紙がそんな雰囲気だ、程度に過ぎない。
 借りたり購入したゾーンをどう飾り付けるかは、完全に購入者の自由なのだ。〈三日月同盟〉のギルドホールはメンバーの努力によって綺麗に清掃され、居心地が良いように改装されているようだ。
 壁には木材が貼られ温かい家庭的な雰囲気を醸している。

「ここなら、余計な邪魔もはいらんやろ?」
 マリエールはそう云うとギルドホールの奥へと進んでいった。


 ◆


「こっちや。ああ、気にせんでええから、そこら座ってたってや。直継やんも適当になっ」
 ギルドホールの奥まった部屋に入ったマリエールはピンクのふかふかとしたクッションで埋め尽くされたソファに飛び込むように身を投げ出すと、シロエ達にも座るように身振りで促す。

「なんか女っぽいなぁ」
「せや。うち、一応ギルマスやからね。隊長の威厳を部屋で表現しとる訳よ」
 ピンクのクッション。熊のぬいぐるみ。天蓋付きのベッド。巨大な犬が偉そうに胸を張っている図柄のタペストリーにベージュのレース付きカーテン。威厳とはほど遠いインテリアがシロエの視界に映っている。 直継はコメントを漏らしたが、シロエはそうも行かない。
 なんだか他人のプライベートな空間のようで、微妙に居心地が悪い。相手が開けっぴろげなマリエールだからまだ救われてるが、これが女性の個人的な部屋ならば撤退準備を始めているところだ。

 しかし多少ファンシーな趣味に過ぎるとはいえ、このかなり広い部屋をギルドマスター専用にして、そのほかにも5、6個の作業室や荷物置き場を持っているギルドホールだと考えると、かなりの金額を必要とするだろう。

(んー。頭金で、金貨4万。月間維持費が金貨80枚……ってとこかな)

 シロエはそう見当をつけてみたりする。当然、このギルドホールへと招かれるのは初めてだ。

「マリ姐のトコの状況は、どうです?」
「うちを含めて19名がオンライン。そのうち18名はアキバの街にいる。殆どはこのギルドホールに集まっとる。……ああ、気にせんでええよ。よっぽど大騒ぎでもせん限り、声は漏れん」

 あらかじめ確認してあったのか、よどみない返答が返ってくる。
 18名がアキバに居る、って事は残りの1名は別のゾーンなのだろうか? シロエがそう尋ねてみると、もう1名はたまたまそちらに出掛けていて別の都市にいるのだそうだ。

「まぁ、知っとるところでいうと、シブヤもミナミもススキノもナカスも同じ状況だって云う話や」
 だとすれば、日本サーバーの五大都市全てでこんな状況だということになる。知人の多いマリエールは、念話機能で確認をとったのだろう。

「もしかしてさ、今って」
「そうや。都市間のトランスポート・ゲートは現在機能を停止しとるみたいや」
 直継の疑問に、マリエールは答える。それは新しい情報だった。

 アキバ、シブヤ。そしてミナミ、ススキノ、ナカス。
 この5つは日本サーバにおける5つの大型プレイヤー都市だ。それ以外にも商店があったりノンプレイヤーキャラクターが住んでいる街はいくつもあるが、サービスの充実度で云うとこの5つが群を抜いている。
 これら五大都市は拡張パックと共に追加されてきた、初心者がスタートをすべく設計されている街なのだ。だから、日本サーバーの全てのプレイヤーはこの5つの街のどこかをホームタウンとして定めて活動を行なっている。
 そしてこの5つの街には互いを繋ぎ一瞬で移動を可能にする転移ゲートが設置されているのだ。その転移ゲート――トランスポート・ゲートが機能を停止している。

「ってことは、シブヤはともかく、他の街へ行くのは結構大変だよな」
「シブヤだって、えーっといくつや? 7つか8つくらいゾーンを越えないと辿り着かなかったんちゃうかな」
「最短では4です」

 シロエは上の空で応える。都市間ゲートが機能停止と云うことは、結構問題だ。遠方の都市との連絡は一気に難易度が上がったことになる。たとえばススキノは、現実の日本地図で云えば札幌の位置にあるプレイヤータウンだ。アキバ……東京の位置から行くには相当数のゾーンを経由する必要がある。
 おそらくゲーム内で旅をするとしても、1週間以上掛かってしまうだろう。それはもちろんゲーム内時間なのだが、このゲーム内時間はもはやリアル時間そのものと云って良い。

「なぁ、自分。……どうしてこうなったか想像つく?」
 シロエ達は沈黙を選ぶしかない。
 マリエールのちょっとへこんだ表情を見ると、この質問に答えられれば良かったのに、とはシロエは思う。しかし、現実にはシロエにその質問に答える力がない。

「まぁ、元気出せよ。お姉さん。……確かにひどい事態だけどさ、最悪って訳じゃないんだし」
「そやろか……」
 しょんぼりしたマリエールに直継は続ける。

「異世界に取り残されたって云ったって、多分数万人の日本人が居るんだぜ? 海外サーバの連中も居るんだとすれば、数十万人だ。境遇が同じ連中がこれだけ居るなんて、最悪からはほど遠いだろう?
 言葉も通じるし、手持ちの財産も多少はある。島流しになった直後にこうやって部屋の中で話してられるのがその証拠じゃん?
 まだ確認した訳じゃないけど、俺達の体力もキャラクター次第で強化されてるし、魔法や剣技だってつかえそうだ。つまり、この世界で生き抜く力は最低限は備わってることになる。
 異世界漂流やら次元島流しの古典的ファンタジーに比べて、俺達は相当に恵まれてるぜ。楽勝祭りって云ったっていいや」

 多少少女趣味のギルドマスタールームで直継は断言した。

「もしかして、直継ってその手の詳しいの?」
「おお、そこそこはな。学生の時は読んだもんだ」
 たわいのない質問をしながらも、シロエは結構直継を見直していた。云われてみればその通りだ。自分はどうやら物事を斜めに見る癖がつきすぎていて、素直に受け取れなくなっていたらしい。

「そっか……。そやね!」
 それはマリエールも同じであるようだった。
 感謝の表情を浮かべて直継を見ると、おもむろにぎゅっと抱きしめる。

「うんっ! よく言った! 偉いぞ! 直継やん! かっこうええだけやないんやな! お姉さんは感動したぞ、救われたぞっ!」
「ちょっ。なっ!? 何なの、この人っ!?」
 マリエールの胸に抱え込まれた直継は泡を食ってもがくが、マリエールはそれをぎゅっと抱きしめる。

「マリエ? お客様?」
 ノックをして入ってきた眼鏡の女性がそれを見て、ひどくばつが悪い表情をする。

「お邪魔してます、ヘンリエッタさん」
「ごきげんようシロエ様――。出直します?」
「むしろ止めて欲しいです」

 シロエの要請で部屋に入ってきた女性、ギルドの会計を預かっているヘンリエッタはマリエールの肩を掴むと引っぺがす。「こら、マリエ! 無自覚にそう言うことはやめなさい」一喝する。

「わお! ヘンリエッタ? 今いい話を聞いたんよ。この直継やんは良いこと云った! 偉いことを言った!」
「そうじゃなくって! 状況考えなさい、こんな時にっ!!」

 赤くなってぐったりしている直継、そしてマリエールとヘンリエッタとのやりとりを眺めながら、シロエは小さく笑う。

 ヘンリエッタは〈三日月同盟〉の幹部の一人で、シロエとも面識がある。〈吟遊詩人〉(バード)であり、ギルドのお財布を預かるなかなかの切れ者だ。シロエの方では、勝手に眼鏡をかけている同士と云うことで親近感を抱いていたのだが、こうして異世界化したヘンリエッタを見てみるとちょっと恐れ多いと感じる。

 蜂蜜色の髪はウェーブをしていて卵形の顔を縁取っているし、その容貌も栗色の瞳のちょっと視線は険しいもののなかなかの美女。それも出来る秘書風の美女である。コスチュームはフリル付きの少女趣味なので、正直本人の印象とは似合っていないのだが、そのへんは個人の自由というものだろう。

 ヘンリエッタが参加したことで四人は今までの話のおさらいと、簡単な状況報告をしあう。とはいえ、この世界で気付いてからまだ半日程度しか経っていない。何が判るという訳でもなかった。



「どうしたもんかねー」
「当分は仲間の連絡を密にして、混乱を避けるのに集中すべきかと思いますわ」
 ヘンリエッタは至極冷静な判断を述べる。シロエもその意見には賛成だ。余り遠い先のことは考えずに今できることをやらないと“飲み込まれる”。それがシロエの持っている印象だった。

「そうですね、マリエ。シロエ様が仰ることも直継様が仰ることももっともでしょう。幸いうちにはギルドホールがありますし、しばらく寝泊まりは……少々窮屈ですが、集団で行なった方が良いと思いますわ」
「そうやなぁ」
 ヘンリエッタとマリエールの会話に微妙に直継は腰が退けている。

「どうしたの? 直継?」
「何でもないっ。突然すぎて困っただけだ」
 シロエの小声の質問を慌てて否定する直継。いつもは散々なシモネタを云うくせに、直接攻撃はさすがに堪えるらしい。

「なんや、直継やんはおっぱい苦手なんか? 触るか?」
 明るいマリエールの言葉に、直継は慌てて視線を逸らす。その割りにはちらちら見てるあたり、そこはそれ、やはり男のサガだ。

(マリ姐は美人だからな。胸大きいし、気持ちはわかる)
 シロエも胸の中で頷く。シロエも出会った頃にこれの洗礼は受けているのだ。もっともシロエの方は強情を張り続け「はい? なんですか? この脂肪のかたまりは。重いですね、どかしてください」という態度を貫き通したため、いまではマリエールも飽きたのか接触攻撃をしてこなくなった。
 改めて書くまでもないが、見栄である。

「何でこの姉ちゃんこんなにオープンなんだよ。怖いよ」
「マリエは女子高育ちなんですよ。大阪人が純粋培養受けるとこうなっちゃうんです。……マリエ!? ゲームならそれでも良かったけど、今は非常事態なんだから少しは用心しなさいっ!!」

 ヘンリエッタのお小言を受けるマリエール。マリエールはしょんぼりと素直に叱られている。ギルドマスターであるにも関わらず、ちゃんと叱られている辺りがマリエールの良いところなのだろう。

 現在ギルドに参加してないし、いまでも何となくギルドというシステムそのものを信用しきれないで居るシロエだが、でもだからと云ってギルドに入っているプレイヤー全員を目の仇にしている訳ではない。
 ギルドというシステムに嫌悪感を抱いていたのは数年前の話で、割り切れない気持ちも残ってはいるけれど、いまでは納得している。
 マリエールやヘンリエッタとは何度かパーティーを組んだし、知り合いの多い彼女には便宜を図ってもらったこともある。シロエの錯覚でなければ、人間関係に臆病で距離を置きがちなシロエに対して、明るくて世話好きのマリエールはそれを判った上で気を使ってくれていたように思う。

(マリ姐も、直継とは別の意味で大人だよな)

 それはシロエに対してコネを作っておく事による損得とか利用とか言う関係ではなく、マリエールの自然な人柄と面倒見の良さがもたらした恩恵で、シロエだけに特別に分け与えられた物と云うよりは、マリエールが身の回りに存在する人々全てに向ける物だろうとシロエは考えていた。

(まぁ、たしかにスキンシップは……困るんだけど。ああ、そうか。直継と空気が似てるから、こんなに簡単に馴染めたのかぁ……)

 〈三日月同盟〉のメンバーは、そんなマリエールを慕って集まってきたギルドの参加者なのだろうし、20名近いメンバーを取りまとめて気を配るのは正真正銘大変な作業だ。

 マリエールは信頼できる気の良いプレイヤーで、そうであるならばいま予測できる範囲を出来る限り伝えるべきだろうとシロエは考えた。

 マリエールは、戦闘における留意点では注意深く耳を傾け、幾つかの鋭い質問をした。そしていまサーバにいる人数と、今後は人間同士の間でトラブルが発生する可能性が高いことに触れると眉を曇らせた。

「そっか。……そやね。その可能性は、云われてみれば高いんやろね。暴力的な事件の他に、詐欺や嫌がらせも考えられるし……」
 自分の身さえ守ればそれで済むシロエと違って、マリエールには守るべき仲間もいるのだ。そしてそれ以上に、マリエールは女性の身でもある。

「そうだそうだ! あのなっ! お姉さん。さっきみたいなのを気軽にしてはダメだぞ。もうちょっと常識弁えろよっ。ぱんつにかけて、お前は脳みそ軽いぞっ」
「うっ!? たしかになっ! うちは胸は重いが頭は軽い! だけど会ったばっかりの直継やんがそこまで言うことないやん。直継やんのいけずー。あほあほーっ」
「いーえっ。ここは直継様が正論です。ところ構わず抱きつく女子高癖はいい加減矯正なさいませ、マリエっ」
「いいやんっ。そんなんっ。だいたいヘンリエッタなんて本名梅子のくせにっ」
「きぃ~っ! それは云わない約束でしたでしょうっ!!」
 どうやらリアルでも知り合いのようなヘンリエッタとマリエールのやりとり。結構シリアスなことを伝えたはずなのに、どこまで伝わったのかと思うと頭が痛くなるシロエだった。

「もうっ。このお馬鹿娘は良いとして……。それでは、やっぱり早急な解決は……」
「期待しない方が良いと思います……」
 実際的なヘンリエッタにシロエは答える。


「何か打てる手は、無いやろか……」

 シロエはシロエとしてその問いはもう考えてみた。その結果、直継と手分けをしての情報収集という現在の行動をとっているのだ。
 しかしシロエ達に出来ることとして優先順位が高い情報収集が、誰にとっても最優先の事とは限らない。

 マリエールはシロエとは違いギルドマスターだ。当然守らなければならない者も多いけれど、逆に言えば打てる手も多いと云える。

 もちろんギルドとは言え、その実体は様々だ。活動や目標による違いや、規模による違いなどで本当に沢山の方向性がある。

 活動の種類として、まず第一にあげられるのが戦闘系ギルド。これは〈エルダー・テイル〉の大きな楽しみのひとつである、戦闘を援助する目的のギルドだ。メンバーは屋外やダンジョンのゾーンにおいて戦闘することを主な活動目的とする。ギルドの役割は、その日の戦闘仲間――つまりパーティーを組む仲間を募集しやすくすることだ。顔見知り同士なら声もかけやすいし、連携も上手に決まることが多い。
 アキバの街は日本サーバ最大のプレイヤータウンとしての大人口を誇っているが、そのアキバで有名な戦闘系ギルドといえば〈黒剣騎士団〉や〈ホネスティ〉、〈D.D.D〉、〈西風の旅団〉等があげられる。

 もうひとつは生産系ギルド。〈エルダー・テイル〉では戦闘能力を司るメイン職業の他に、様々なサブ職業が存在する。その中の生産系サブ職業による、アイテム作成を行なうプレイヤーを「職人」などと呼ぶ。メイン職業とサブ職業のレベルは独立していて、もちろん同時にあげることも出来るが、中にはサブ職業による街での静かな商人プレイを楽しみたい人もいるのだ。
 そのようなプレイヤーが所属するのが生産系ギルドで、こちらの方が大規模になる傾向がある。ギルドに期待される役割である、素材の一括購入や倉庫での管理など、人数によるメリットが生かされやすいからだ。アキバ街で有名な生産系ギルドと云えば〈海洋機構〉や〈ロデリック商会〉だろう。

 マリエール率いる〈三日月同盟〉は小規模な冒険サポート系ギルドだ。冒険サポートとは戦闘でも生産でも、メンバーのやりたい方向を助ける互助的なギルドと云える。どっちつかずのために、メンバーが受ける利益は少なくなるが、その分アットホームな雰囲気が売りで、実際、中小規模の多くは冒険サポートといった性格を持っていることが多い。

 〈三日月同盟〉はそのなかでも、比較的名の知られたギルドだ。大手の戦闘系ギルドには知名度や支援能力で劣るし、大手の生産系ギルドには収入と規模では敵わないけれど、中レベルの冒険者の支援やフットワークの軽さには定評がある。

「とりあえず、身を守る。のが先決だと思います」
「そうだぜ。このギルド、見た感じ女の子多いんだろう?」
 シロエと直継の指摘に、ヘンリエッタが頷く。街の中は戦闘行為禁止区域とは言え、何が起きるか判らない。だいたいのところ戦闘行為禁止区域の設定が生きているかどうかも確かめなければ確証はないのだ。

(そのへんも後で何とか調べないと)
 シロエは頭の中のメモに付け加える。

「それから、マーケットのアイテムを引き上げた方が良いと思います」
「へ? マーケット? なんでやん?」
「ああ……。そうですね」

 マーケットというのは、大規模都市にある特定ノンプレイヤーキャラクターが提供しているサービスだ。プレイヤーは特定のノンプレイヤーキャラクターに、自分の持っているアイテムを預けて価格を設定しておくことで、自由に手持ちのアイテムを販売することが出来る。
 プレイヤー間の商取引には多くのやり方があるが、生産アイテムや余剰アイテムを捌くだけならマーケットは非常に便利な機能だ。

「〈三日月同盟〉だと、結構な資材を持っているでしょ? ギルドメンバーも個別にマーケットに出品しているアイテムが多いと思います。いまはこういう状況なので、古いアイテムであっても、価値が激変するって事はあります。
 何か新しい効果が加わっていたり、いままでにない使い方が発見されるとかもあるかも知れない。お金がそこそこ手元にあるのならば、いまは一旦アイテム販売は様子見をした方が良いと思います」

「うん。わかった。その通りやね」
「それから僕たちはもうWebが見れません」
 マリエール達は神妙に頷く。

 〈エルダー・テイル〉をゲームとして遊んでいたとき、シロエたちの身体はモニターの前にあった。シロエたちは気軽にゲームをしながら、インターネットをすることが出来た。むしろそのスタイルでプレイするのが普通だったのだ。
 〈エルダー・テイル〉の世界は広大で信じられないほどの複雑さを持ったゲームだ。その情報量は一人のプレイヤーが把握しきれる分量ではあり得ない。

 そんなプレイヤーを助けていたのが数多い攻略サイトだった。
 あちこちのゾーンの地図や特徴、接続の経路、出現モンスター、アイテム、何処に行けばどんなノンプレイヤーキャラクターがいるのか?
 それらの情報を見ながらプレイするのは、むしろ〈エルダー・テイル〉においては当たり前のプレイスタイルだった。
 もちろん攻略サイトだって万能とはほど遠かったけれど、それでも人気が高いエリアや効率がよいとされる稼ぎ場所については記載されていることも多かった。
 そして、「絶対に近寄るべきではない危険な場所」についても。

「情報交換に来ておいて何ですけれど、これから情報はすごく大事です。新拡張パックのこと、覚えてますよね?」
「〈ノウアスフィアの開墾〉やろ?」
「ええ、それで追加されるゾーンだけじゃなくて、いままであったゾーンや街についても……多分情報が必要です。『ちょっと迷ったから攻略サイトを見るか』なんてことは、もう出来ないんですから」
「そうですわね……」

 その後、4人は覚えている限りの範囲内で、アキバを中心としたゾーン同士の接続図を書いた。
 日本サーバに存在するゾーンが幾ら数万を超えると云ったところで、それは宿屋の一室や小さな廃ビル、このギルドホールのようなプレイヤーに貸し出されるプライベートなゾーンを含めての数だ。

 森や丘陵や、朽ち果てた市街地、遺跡などを含んだ屋外を表す「フィールドゾーン」、古い地下鉄の構内や巨大建築物などの「ダンジョンゾーン」はそれよりもずっと少ない。もちろん少ないとは言えそれだけで数千はあるだろうし、シロエだって把握しているとは言いきれない。

 しかしそれでもシロエは八年のキャリアを持つ古参プレイヤーなのだ。他のプレイヤーよりはずっとこの〈エルダー・テイル〉の世界に慣れ親しんでいるはずだ。直継は休止期間があるとは云え、古いゾーンについての知識は十分だった。マリエールやヘンリエッタとも記憶を照らし合わせ、おそらく非常に不完全ではあるがゾーン接続図を掻き上げる。

 多くのゾーンを書き込み、その接続を線で表した図は、シロエたちが普段行動するようなフィールドゾーンを中心に数百の名称があげられていた。

 このひとつひとつを調査していく事が必要なのか不必要なのかは判らないけれど、それでも手元に何もないよりは、こんなメモであってもあるだけまだマシだろう。

「おおきにな、シロ坊。直継やん」
「お世話になってますし」
「別に大したことはしてねーすよ」

「助かってん。うちはシロ坊のこと、良いやつだと思ってるん」
 マリエールはそういうと、シロエに向日葵のような笑顔を見せる。

(マリ姐は……笑顔、満点だよな。疲れているときでも、いらだっているときでも。僕も見習った方が良いんだけどな)

「マリ姐は放っておけないです」
 シロエ的には精一杯に云ったつもりだが、やはり言葉が足りなかったらしい。

「なっ!? シロ坊にまで云われたんうちっ! うちもうお終いや。頭の軽ーいバカ女キャラ確定やで。どないしよ、ヘンリエッタ!?」
「とりあえず色気で押しておいたら?」
 シロエは早速視線を逸らす。

「おっぱい揉むか? 触ってくか?」
 シロエに振られたマリエールはその隣の直継に話を振る。直継は無言でマリエールの頭を叩く。

「ぶ、ぶった!?」
 マリエールのこの種のシモネタ発言は、照れ隠しなのではないかとシロエは思っているのだが、考えてみれば、それは直継にもそう言うところはあるように思う。その直継がこういう反応を返すのも面白いものだ。


「お前さんは反省機能がないのか、このおぱんつ女がっ!」
「ぱんつ言うなっ! だいたいなんやねん、直継やんは。うちの胸がそんなに悪いんかっ。うちの事を年増扱いするんか!?」
「良くわかんねーけど年増とか。俺らだいたい同じ年代じゃないですか?」
 直継はボソボソと生年を告げると、ヘンリエッタは頷く。

「マリエのほうが三つ上ですね」
「やっぱうち年増やんね。……もう不良在庫やんね。だから直継やん不良になってしまってん。うちに逆らうんよ? 可哀想なうちのおっぱいなんてしわくちゃプリン扱いするん」
 マリエールはソファーの上で足をばたばたとさせて不満の意を表明する。

(この状況下でそれが出来るマリ姐はある意味尊敬する)
 シロエは呆れる。異世界漂流初日にこのノリが出せるのは天性の才能だと思う。
 しかし直継は意外にも、駄々をこねるマリエールの頭をぽんぽんと軽く叩いていた。それは大型の犬を慰めるような風情だったけれど、次第にマリエールも落ち着いてくる。

「とにかく。僕はそろそろ行きますね。時間結構使っちゃったし。……もう少し様子を探ってきます」

 まだ多少ふてくされているマリエールと、こっちは生真面目なヘンリエッタに軽く頭を下げて、シロエは立ち上がる。

「ん。俺も行くぜ。……邪魔したな!」

 あの惨事からもう半日以上経っているはずだ。誰か気合いの入った人が、モンスターと一回や二回は戦っているかも知れない。

 シロエと直継は立ち上がると、まだソファに座ったままの二人に辞去を告げる。ヘンリエッタは「おかまいも出来ませんでした、ごめんなさい」と丁寧な挨拶をするが、マリエールはじたばたしていたソファーから立ち上がると、シロエと直継をまっすぐに見つめて話し始める。

「なぁ、シロ坊、それから直継やんも。……えっとさ。うちにさ……つまりさ〈三日月同盟〉に入らん?」
 マリエールは彼女には似合わない躊躇いがちな声をかける。

「いや。シロ坊がな。ギルド云うんになんだか居心地悪い気持ちをもっとるんのは、知ってるんよ。でも、このご時世やろ。ギルドに入るのも無駄やないん思うんよ。直継やんも見た感じ、未所属みたいやん。……どないやろ思うて……」
 困ったような表情は、説得するようなものに変わる。
 その声の中にはシロエ達を利用しようとか戦力を増強しようとか云う意志はなくて、ただ単純で、素朴な好意だけ。

「うっとこははゆるいギルドやん。束縛とかせぇへんよ? シロ坊の嫌がることはせぇへん。うちの若い子とも、シロ坊は何回かダンジョン行っとるやろ?
 ほらシンジュク地下道とか、ナカノモールとか。
 直継やんがなんでギルドはいっとらんのかは判らんけど、うちは……その、わりと居心地良いと思うんよ。どうやろ……?」

 シロエの沈黙をどう受け止めたのか、慌てたように手をふってマリエールは言葉を継ぎ足す。施療者の白いローブの上に流れる緑の髪が揺れる様は、彼女の気遣いを示している様にシロエには見えた。

「……」
 直継は黙ってシロエの方を見る。

 その視線の意味するところは明確で「お前に任せるよ」というものだった。ここに腰を落ち着けるのも、まだ未所属を貫くのも、任せる。直継はシロエにそう云っている。
 シロエだってもう中学生ではない。
 昔された心無い道具扱いが未だに憎い訳でも、割り切れない訳でも有りはしない。ただ、言葉には上手くできない何かが、シロエの決断を妨げているのだ。

「ごめん。マリ姐。――やっぱだめそう」
「そっか……。……ん。ほな、しゃぁない」
 マリエール姐は残念そうな表情を一瞬で消すと、いつも通りの微笑みを浮かべる。その笑顔はやはり向日葵のように明るくて、シロエは救われたような気分になる。

 もし元の世界に帰ることが出来たとして、神様の奇跡に恵まれ、何かの偶然だとしても、どこかで出会ったならばシロエはマリエールを必ず見分けられるだろう。シロエはそう確信する。
 施療者のマントも、緑の豊かな髪も〈エルダー・テイル〉の用意したポリゴンデータを現実化したオブジェクトに過ぎないかも知れないけれど、マリエールの浮かべている笑顔はマリエールだけの物で、それは誰かに真似できるようなものではない。
 ましてや決してゲームのプログラムが再現できるようなものではないのだから。

「何でも云って。僕ら手伝うから」
「そうだな。腕の良い〈守護戦士〉(ガーディアン)が必要なら声をかけてくれよ」
「うん。おおきにな。シロ坊。直継やん。そっちもなんかあったら連絡飛ばしてぇな」

 シロエ達も手をふって別れを告げる。出来れば自分もマリエールと同じような強さを持てれば良いと願いながら。


 ◆


 ――四日が経った。
 あのふざけた異世界漂流騒ぎから四日。

 マリエールの元を辞去したシロエ達はその後アキバの市街を巡り、古い馴染みのプレイヤー何人かと情報交換を行なった。
 それ以降も、それからの四日間を殆ど情報収集に費やした。

 当たり前だが、毎日のように新事実が判明する。
 まず、簡単に判ったのは、シロエ達は腹が減るという事実だった。

 実を言えばマリエールの元を出た頃から微妙な違和感は感じてはいたのだ。しかし、異常な状況の緊張感や恐怖が勝っていたらしく、その夜まで、シロエ達はその違和感を空腹感だとは気付かずに、足を棒のようにして聞き込みを続けていた。

 しかしとうとう空腹に負け、明け方の時間帯になると、シロエ達二人はマーケットで食料を購入して、始めに合流した廃ビルまで引き返してきた。夜食兼朝食という少々不健康な食事をとろうと思ってのことだった。

 結論から言うと、ひどい経験をすることになった。

 その夜、シロエが購入してきたのはローストチキンのオレンジソースとトマトのサンドウィッチ、ショコラケーキに緑茶。直継が買ってきたのは海鮮ピザとベーコンポテト、シーザーサラダに、オレンジスカッシュ。
 豪華に聞こえるが、シロエと直継は90レベルプレイヤーであり、それなりの資産をもっているし、これらのメニューは職人プレイヤーが作り出した食料アイテムで、マーケットにはいくらでも売っているのだ。
 見た目は瑞々しく、色鮮やかな豪勢な食事。
 しかし、それら全ての食べ物は同じ味がしたのだ。

 直継が吐き捨てるように批評した言葉を借りるなら、その味はすなわち「まったく塩味がしない煎餅を水分でふやけさせたモノ」ということになる。この評価にはシロエも頷かざるを得ない。
 ちなみに飲み物に関しては、色はついているモノの、味は全部ただの水道水だった。

 即座に吐き出すほどに不味い訳ではない。おそらく毒でもない。量を食べれば腹はふくれるので食料であることは確実だけれど、正直これにはシロエたちも参った。
 食った瞬間怒鳴りつけたくなるほど強烈に不味い、と云う訳ではないのが余計に始末に負えない。食べれば食べるほど、どんどん微妙な気分になり、しみじみと希望がなくなっていくような、そう、云ってみればしょぼくて情けない種類の不味さだった。

 それでも様々な種類の食料を買い込んで、幾つか判ったこともある。
 シロエらが食べている食料品はどれもプレイヤーが作り出した物か、ノンプレイヤーキャラクターが販売しているものだ。
 〈エルダー・テイル〉にはメイン職業の他に無数のサブ職業が存在する。その中の比較的メジャーなサブ職業に〈料理人〉があって、これら食料は彼らの持つ「調理スキル」によって作られる。
 サブ職業はメインの12職とは無関係に習得できるから、〈エルダー・テイル〉の世界にはたとえば〈武士〉(サムライ)の〈料理人〉や、〈妖術師〉(ソーサラー)の〈料理人〉が居ることになる。

 彼ら〈料理人〉は、その技能によってシロエたちの食べている食料アイテムを作り出すことが出来るのだが、〈エルダー・テイル〉における料理というのは相当にインスタントな行為だ。
 調理台のオブジェクトに近づき、荷物から素材になるアイテムを取り出し、指定する。素材になるアイテム――食材はあちこちのゾーンで採取できる物もあるし、モンスターから取れる肉などの場合もある。また、ダンジョンから拾ってくる場合もある。中には畑に種をまいておけば栽培できる穀物のようなアイテムも存在する。
 もちろん基本的な食材はノンプレイヤーキャラクターが販売してくれるし、素材だけをマーケットで他のプレイヤーから入手することも不可能ではない。

 いずれにせよ、そうした食材を指定すると、作成可能な料理のリストが表示され、その中から作りたい物を選択。十秒ほど待つと食材が光って料理済みアイテムが出現するという流れだ。

 どうもこのインスタントな調理というのが、問題なのではないか?

 それがシロエと直継の出した推論だった。

 なぜならば釣ったばかりの魚はやはり魚臭いし、ノンプレイヤーキャラクターから購入した塩や砂糖は、しょっぱかったり甘かったりするからだ。にもかかわらず、それらを混ぜ合わせて作られたはずの最終的な料理が、全て「味のしない湿気た煎餅」になるのは、理屈に合わないと云うことになる。

 まぁ、理屈が判ったところで解決が出来ない以上、仕方ない。
 シロエらは食料アイテムの他に単純な素材としての塩を買い込み、「湿気た煎餅」に振りかけて食べるという方法で飢えを凌ぐことを覚えた。
 つい昨日判ったのは、素材アイテムはそれなりの味がすると云うことだ。だから、オレンジや林檎などの果実は瑞々しくて美味しい。飲み物も水しかないような現状、これは嬉しい発見だったが、気が付いたときにはマーケットの果実は殆ど誰かに買い占められた後だったのが悔やまれる。

 食事があれば排泄もある訳で、それが必要だと云うことも極簡単に判明した。シロエと直継は男だから、これはさほど問題にはならなかった。屋外でしてしまうと言うことに慣れさえすれば、だ。あえて云うならば、ティッシュペーパーが欲しいなぁ、と云う程度の事だろうか。
 直継が「女子は大変だなー」なんて呟いていたのをシロエは聞いたのだが、そこは聞こえない振りを決め込むことにした。

 世の中にはシロエが考えたって仕方ないことが沢山あるのだ。

 睡眠が必要なことも判った。
 この世界の肉体は現実のシロエの身体と違い、体力はかなりある。幾ら魔術師系とは言えレベル90にもなればそれなりの能力値を持っている訳で、それが反映されているらしい。
 しかし、疲労と睡眠欲というのは別物のようで、一定時間の活動を続けるとシロエも直継もかなり眠くなってきてしまった。

 シロエたちは宿屋に入ると短期間のゾーン貸し出しを受けて、住まいを作った。こんな機能はゲームとして〈エルダー・テイル〉を楽しんでいた頃には使用したことがない。疲れがたまれば、アキバの街の適当な路地に座ってログアウトすればそれで良かったのだ。
 しかし今では寝ている間にも実体としての身体が存在する。それなりの警備がしかれた場所にねぐらを定める必要があった。

 そしてもちろん眠りから覚めたとき、元の世界に戻っていると云うことはなかった。

 元の世界に戻ると云えば、気になっていたひとつの事実も判明した。

 今現在この〈エルダー・テイル〉の世界においても、死からの復活はあると云うことだ。この世界で死んだプレイヤーはしばらくのタイムラグを置いて、アキバの街の聖堂で復活を遂げる。
 もとのゲームの常識が通用するのならば、経験値や所持金に一定のペナルティを受けて居るはずだが、それについてはシロエも直継もまだ直接経験した訳ではないので判らない。

 死からの復活が存在すると云うことは最悪の可能性――死んだらそのまま消滅する――が無くなった訳だからその意味では朗報とも云えたが、死ぬことによって元の世界に復帰するという望みが絶たれたことをも意味した。

 シロエたちがこの復活に気が付いたのは、二日目の昼のことだった。
 アキバの街を歩いていると、余りのストレスに耐えかねたのか、一人のプレイヤーが街中であるにもかかわらず、いきなり街の衛兵に攻撃を行なったのだ。
 幾らベテランプレイヤーとは言え、非戦闘地域の衛兵に直接攻撃を仕掛けるのは自殺行為だ。……事実、彼は死を望んでいたのだろう。
 呼吸二つか三つをする間に、彼の身体は衛兵の巨大な剣に刺し貫かれて息絶えていた。数分後、その身体が光を放って消えたのを確認したシロエたちは、そのまま神殿へと向かい、そこで彼が復活するのを目撃した。
 そのプレイヤーは虚脱したような顔で座り込んでいたが、復活するというのはどうやら間違いがないようだった。

 食事と死。

 これらの生きる上での基本的な事から判るのは、どう控えめに言ってもここがひどく矛盾して歪んだ世界だと云うことだ。
 この世界は一見すると〈エルダー・テイル〉のゲーム世界を忠実に現実化したように思える。〈エルダー・テイル〉の仕様の殆どが再現されているからだ。
 しかし、そのせいで実際に肉体を持って過ごす場所としてのこの世界はひどい矛盾を抱え込んでしまったようだ。

 その代表例が料理だ。素材に魚と塩を指定して作成したはずの「焼き魚」は、魚の味も、塩の味もしない「形だけが焼き魚に見える、実際は湿気た煎餅」になってしまう。
 かといって、その「焼き魚」に塩をかけても塩味がしないのかと云えば、ちゃんと塩の味が追加される。「塩をかける」行為は塩味をもたらすが「塩を材料として料理する」行為は塩味を無化してしまう。
 試みまでに、たき火などの熱源でごく普通に生の魚を加熱してみた。しかしそれはどうやってもシロエ達の知っている「焼き魚」にはならない。黒く炭化した正体不明のアイテムが出来上がるだけだ。

 睡眠や排泄もそうだ。
 それらはゲームの仕様としては必要がないはずだ。
 だけど、現実化した〈エルダー・テイル〉のこの世界で、シロエたちは眠る必要がある。どう考えたってこの世界はおかしい。
 もちろん、世界として成立している以上、どこかにルールがあるはずだ。けれど、この世界は〈エルダー・テイル〉のルールで動いているのか、それとも異世界なりの物理法則のある理解出来るルールで動いているのかが判らないのだ。

 四日の間に判明したことはまだまだ多くあった。

 あの災害から二日目。
 シロエと直継は覚悟を決めてフィールドゾーンへと出掛けた。アキバの街からゲートで移動できる隣接ゾーン「書庫塔の林」だ。
 「書庫塔の林」はスタート街に近いだけあって難易度はかなり低い。レベル20台前半のモンスターが徘徊する典型的な廃墟型のフィールドゾーンだ。アキバの街に似た廃ビルを、やはり緑のツタや寄生植物が覆い尽くしている。
 「書庫塔の林」はその名前から予想されるとおり、古い書店や図書館、研究所などが多く散在するゾーンで、幾つかのダンジョンゾーンにも繋がっている。敵は弱いが、お宝として魔法書や秘術書を落とすことが多いので、駆け出しの冒険者には美味しい稼ぎ場所として有名だ。

 相手は20台前半の雑魚モンスター。
 シロエと直継は90レベルで、装備もかなりそろえた高レベルプレイヤーだ。敵を何匹倒したって経験値も入らないほどレベル差があるような初心者向けのゾーンに出掛けたのは、もちろん用心のためだったけれど、シロエたちはそこで想像以上に厳しい現実を思い知ることになった。

 戦闘が思うように進まないのだ。

 決して敵が強い訳ではない。直継の剣の直撃があれば、ゴブリンであろうが灰色狼であろうが一撃で倒せた。それどころか、魔術師系でもっとも弱い攻撃力しか持っていない〈付与術師〉であるシロエの攻撃呪文でさえ、命中さえすれば敵を一撃で葬り去ることが出来る。
 それだけのレベル格差があるのだ。

 しかし、敵を倒せるからといって、戦闘の厳しさはまた違うものだった。初めて狼に出会った時、錆と血液で汚れた斧を振り回す緑の小鬼が群れをなして襲いかかってきた時、シロエは正直言って膝から力が抜けて立っていられなくなるほどの恐怖を味わった。

 呼吸は普段の十倍も速くなって、しかもそれだけ空気を取り込んでいるにもかかわらず酸素が足りなくなったように息が苦しく、視界が狭くなる。相手の攻撃は自分にダメージなんか与えられない――そうやって自分自身に必死に言い聞かせなければ、逃げ出してしまっていたかも知れない。

 もっともしばらく後にその言い聞かせは事実だと判明した。
 90レベルのシロエのHPは8000を少し越えているし、12職のうちもっとも防御力に秀でている〈守護戦士〉の直継に至っては12000を記録している。そんなシロエらに対してゴブリン達の攻撃は、数点のダメージしか与えられないのだ。
 恐ろしげな奇声を発して振りかぶった斧が凄まじい勢いで振り下ろされたとしても、小学生にパンチを受けたほどの痛痒も感じない。

 そんな事実を確認して、シロエたちはやっと落ち着きを取り戻すことが出来たのだった。

 落ち着いたシロエたちは戦闘でダメージを受けることはなくなったけれど、戦闘の厳しさはその後も続いた。ここでも物理的に当たり前の法則と〈エルダー・テイル〉の仕様の板挟みになったような奇妙な引き攣れがシロエたちの前のあちこちに顔を覗かせていたのだ。

 〈エルダー・テイル〉の戦闘において、パーティを組んだシロエたちのような仲間は、ステータス画面に映るお互いのHPを確認し合いつつ連携や作戦を無意識に選択する。

 目の前の敵と戦っている最中に他の敵が接近してきやしないか?
 敵が合流したり増援を呼ばないか?
 どの敵を優先して殲滅するか?
 ある程度無力化しておけば後回しにして良い敵はどれなのか?
 そう云った要素は戦闘の結果に対して重要な要素となり得る。

 しかし、現在の環境だと互いのHPを確認し合うことからして難しい。もちろんおでこのあたりに意識を集中すれば、頭の中にぱっとHPバーや数字なんかは浮かぶ。しかし、瓦礫の多い不安定な足場で頻繁に移動して戦闘をこなしながら、他に気をとられるような行為をするのは至難の技だった。

 周辺の警戒にしたって、目の前に敵が迫ってくれば視界は悪くなって満足に見えなくなる。魔術師のシロエはまだ後列から戦場を見渡す余裕があるが、前線で敵を引きつけて仲間を守るべき〈守護戦士〉である直継にとっては〈エルダー・テイル〉で得られていたはずの情報を殆ど手放して、手探りで戦うに近い状況のようだった。

「こりゃ、一筋縄じゃ行かないわなー」
 昼飯代わりの中華まん(やっぱり湿った煎餅味)を食べながら、直継は深いため息をついた。今は相手が雑魚だからHPも気にせずに戦えているけれど、同格の敵相手だと何処まで通用するのかはなはだ疑問だ。

 シロエたちは結局、経験値も得られないような雑魚と夕方までみっちりと戦闘を行なった。アイテムも役に立たないようなものばかりだから、これはもう完全に訓練のための戦闘だと云える。
 シロエも直継も現実世界での格闘技経験はない。
 だからどうすれば戦闘中の感覚や恐怖に馴れる事が出来るのかは、素人でまったく判らなかったし、こんなやり方で身につくかどうかも判らなかった。
 けれど、20台の雑魚モンスターにびびっているようでは、この先やっていけないことだけはお互いに確認するまでもなく理解していたし、今はこれ以外によい練習方法も思いつかなかったのだ。

 こうしてシロエたちは街中での情報収拾と、近隣ゾーンでの情報収集に明け暮れた。

 幸いなのは二人の身体が予想していたのよりずっと強靱だったことだ。
 高レベルのシロエたちの身体は疲労に無縁で、戦闘や移動で疲れたにせよ、数分の休憩ですっかり活力を取り戻した。シロエと直継は日のある時間の殆ど全てを屋外で過ごし、夕方から夜にかけては街の酒場や知り合いの所に出掛けては、新しい情報を求めて似たような境遇のプレイヤーと雑談を繰り返した。

 その四日間の間、アキバの街は表面上、静けさを保っていた。

 シロエが予想したような大きなパニックは起きていなかった。
 それはあるいは、(非常にがっかりな味であるとは言え)食糧供給の目処がたったせいもあるかも知れないし、この世界での死亡がすなわちそのまま消滅に直結はしないと判明した安心感からかも知れなかった。

 だが何も起きなかったという意味ではもちろん無くて、大きくはない、でも決して見逃す訳にはいかないいくつもの影響があちこちに出始めていた。

 まず、マーケットの品物がどんどんと無くなっていった。
 どうやら多くのプレイヤーがシロエたちと同じ結論に達したらしく、自分の出品アイテムを取り下げているのだ。
 後に残ったのは、幸運にもあの運命の日にログインしていなかったプレイヤーが出品したと思われるアイテムだったが、それらも日を追うにつれどんどんと売り切れになっていった。
 一部の大手職人ギルドが素材を買い占めている等という噂も流れ、品切れで手に入らないアイテムも目立つようになっていった。生産職をもったプレイヤーも多くいたはずだが、彼らもこの状況に活動を見合わせているようだった。

 もうひとつは、ギルドの勧誘合戦。もしくはギルド未所属プレイヤー達の所属ギルド探しだった。
 人間はやはりどこかに所属して安心を求める生き物であるらしい。今までは気楽に生きていた無所属プレイヤーも今回の災厄を前にしてギルド所属を決意したものが数多くいたようだ。

 あるプレイヤーがどんな名前で何処のギルドに所属しているのかという情報は、視界内にそのプレイヤーが居ればメニューから確認することが可能だ。しかし、ゲーム内から統計として全体を簡単に調べる方法は存在しない。

 シロエ達の立場では、確実なことはそれゆえ云えないが、実感としても未所属プレイヤーはその数を減らしていった。
 もちろん、90レベルの未所属プレイヤーであるシロエや直継も、街を歩いているだけで、多くのギルドから誘いの声をかけられた。
 しかし、シロエも直継も誘いの全てを断った。

 シロエはともかくとして、直継はギルドに対する拒否感はない。シロエがそれを聞いてみると「つるむのは、結果だよ。まず走って、走ってみたら仲間が出来たってのが普通だよ」と笑う。

 〈放蕩者の茶会〉がギルドではなかったし、ギルドという手段以外で成立していた。そこに所属していた二人にとってギルドとはただの名前であって、名前は重要なものではなかった。
 ギルドに所属して何かに守って貰えるとは、二人ともまったく考えていなかった。

 しかしシロエたちのその考え方とは別に、多くのプレイヤーの感覚や常識はそれはそれで独立しているのも確かだった。無所属プレイヤーのどこかへ所属したい、と云ういわば安心を得るための欲求と表裏を為すように、幾つかのギルドは拡大戦略を続けているようだった。
 もちろん無所属プレイヤーを入団させて人数が増えるという形もあったが、それ以上に多いのは小さなギルドの幾つかが合併したり、大手のギルドがこれはと目星をつけたプレイヤーを引き抜いたりする事例だった。

 この時期に何でそうなるのかピンとこなかったが、マリエールに聞いてみると、どうやらアキバの街での居心地に関係するようだった。
 あの災害からこっち、この異世界に島流しにされたと考えるプレイヤーは数多く存在するようだ。
 かくいうシロエ達だって多かれ少なかれ、理不尽さを感じている。

 しかし、マリエールの話によれば、そういうプレイヤーのささくれだった気持ちは態度に表れるのだそうだ。それはむしゃくしゃした気持ちと八つ当たりの関係。
 そんな気持ちがギルド単位で共有されると、ギルドの外側への排斥になってしまうらしい。すなわち「オレ達の仲間以外はみんな敵」という事なのだろう。
 同じギルドの仲間は信頼できるが、それ以外は信頼しない。それはこの荒んだ空気の中では当然の自衛的な活動だから、シロエ達にも否定は出来ない。

 だがそういう空気が行きすぎて、ギルド間の摩擦は少しずつ増大してきているようだ。もちろんアキバの街は戦闘行為禁止区域だから突然襲われると云うことはない。戦闘を仕掛けようとしたり、盗もうとしたり、拘束しようとすれば自動的に衛兵が転移で現われて、攻撃しようとした側を強制的に捕縛する。
 だけど、とげとげしい言葉や嫌がらせの全てが戦闘行為に当たる訳ではない。戦闘行為の隙間をくぐり抜けて、嫌がらせをする方法は沢山あるし、ましてやこんな風に肉体ごとこちらの世界に来てしまえばなおさらだ。

 小規模ギルドはそう言った嫌がらせの対象にされることが多い。マリエールはそう言って、困ったような、それを取り繕うような表情をしていた。

 ゾーンについて重大なことが判明したのは、マリエールとそんな話をしていた時だった。何の気無しに開いた脳内メニュー。情報メニュー、ギルド関連の項目の更に下に見慣れない項目が追加されているのを発見したのだ。

 それは見慣れないけれど、決して見たことがないメニューではなかった。
 現在自分が居るゾーンの情報を表示するメニューであり、そこには当たり前のように
 『日本サーバー/アキバの街/市街地-モンスター出現無し/戦闘行為禁止区域/進入許可(無制限)/退出許可(無制限)』と表示されていたのだ。
 シロエとマリエール、それに直継はアキバの街の人気のない街路で立ち話をしていたのだ。だから、その表示は自分たちの居るゾーン、アキバの街を表すもので、何の問題もない。

 問題はその次の行だった。

 『このゾーンは現在特定の所有者を持っていません。このゾーンを購入するには金貨7億枚、月間維持費として金貨120万枚が必要です。購入しますか?(y/n)』

 ――その表記はたとえば小さな廃ビルや、ホテルの一室、そうでなければ〈三日月同盟〉のギルドホールのような、小規模なゾーンを購入するときに見られるメニューのはずだった。
 それが莫大な金額を必要とするとは言え、アキバの街そのものも販売対象になっている。

 シロエの指摘に最初は笑っていた直継やマリエールも自分のメニューで確認した後には絶句をしていた。
 〈エルダー・テイル〉歴の長いシロエは高レベルプレイヤーだし、プレイヤーの中では比較的裕福な部類に入る。そのシロエの銀行預金は、金貨にしてだいたい5万枚だ。金貨7億枚となると、個人で購入出来る金額ではないと断言できる。
 しかしそれは、絶対に購入できない保証とは言い切れない。
 大手ギルドが総力を挙げた場合、それでもおそらく不可能だとは思うが絶対とは云いきれないものがあるのも確かだった。

 もし仮にアキバの街が誰かに購入されてしまうようなことになれば、購入者はアキバの街に進入制限をかけることが出来る。気に入らないギルドでも、気に入らない個人でも――合法的に立ち入り禁止にすることが出来るのだ。

 マリエールに号令で集められた〈三日月同盟〉のメンバーと手分けをして調べたところによれば、この販売状況はどうやら殆ど全てのゾーンで起きているらしい。
 つまり、市街地であれフィールドであれダンジョンであれ、全てのゾーンが所有者無しで販売に出ていると言うことである。例外はひとつ。すでに所有者が設定されている……たとえば〈三日月同盟〉のギルドホールのような場所であること。その場合はゾーンの所有権を証書のアイテムに還元する選択肢が追加されるらしい。

 あの騒ぎから四日目。

 シロエたちは、大手ギルドの戦力増強も素直な拡大戦略としてだけ見過ごすことは出来なくなっていた。
2010/04/20:誤字修正
2010/04/24:誤字訂正
2010/04/26:誤字修正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/13:誤字訂正
2010/06/13:誤字修正
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