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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ゲームの終わり(下)
36/134

036

 上陸は夜明け前となった。

 サファギンの抵抗は予想以上に強く、〈オキュペテー〉のからの上陸は時間が掛かってしまったのだ。〈オキュペテー〉は実験艦として様々な機能を持たせてはあるが、やはり基本的には輸送船である。

 軍用の強襲揚陸艇ではない。


 水中活動を自由に行なうモンスターが相手では、制圧能力に不安が残り、大胆な作戦が執りづらかったのも事実だ。

 しかし夜半になると、直継とにゃん太が召喚したグリフォンによる少人数の空中移動により、チョウシの町側にも戦力が補充され始める。両岸に〈召喚術師〉(サモナー)が揃えば、一定範囲からサファギンを駆逐するのは時間の問題だった。


「やぁ、シロ坊きてくれるとは思わなかったっ」

 大きく笑うのはマリエールだ。


 いつの間に現われたのか、日が沈むのと同時に街中から歩いてきたシロエは限られた人員を再配置して、町の北側の畑にも防御ラインを構築し始めた。


 シロエは〈記録の地平線〉主催である。

 つまり〈円卓会議〉に名を連ねる11ギルドリーダーの一人だ。だが、その肩書きに比して、知名度は相当に低い。

 もちろん、アキバの街は自由の街だ。〈円卓会議〉成立の顛末やその内情も、危機管理という意味では問題があるほど、一般の〈冒険者〉の間に情報は流れている。

 その意味で、シロエの名は決して知られていないわけではなかったが、「その顔の知名度」という意味では、クラスティやアイザックのような大手ギルドのギルドリーダーや、広い交友範囲を持つマリエールに比べて知られていないのが現実だった。


 確かに話してみれば情に厚くて好青年だけど、初めのうちはちょぉっと取っつきがたいかなぁ……などとマリエールなどは思う。


(いい子なんやけどなっ!)


 マリエールは一人そう結論して首をこくこくと振るが「マリエールにかかっては大抵の〈冒険者〉はいい子ですもんね」とヘンリエッタには云われてしまうだろう。


 そんなわけで、その風貌が広く知られているわけではないシロエだが、彼が到着した衝撃は決して小さくはなかった。そのひとつには、例え顔は知らずとも〈円卓会議〉設立に関わる勇名が響いていたと云う事もあったであろうし、マリエールや直継を始め、夏季合宿兼チョウシ防衛班の主要メンバーが、彼を深く信頼して折に触れてその名前を挙げていたと云う事もあるだろう。


 さらに云えば、シロエは今回アキバの街を出発した遠征軍の参謀本部付きとしてチョウシの町に来たという事実もあった。


 シロエは突然街中に現われたが、それはほぼ時を同じくして現われた〈オキュペテー〉部隊を率いてやってきたような印象を疲れ切った防衛部隊に与えたのだった。


 マリエールもその効果を最大限利用した。

 サファギンの物量作戦に疲弊していた防衛部隊は、援軍到着の報でいっきに戦意を取り戻した。〈オキュペテー〉から召喚された精霊や召喚動物が超遠距離支援を行なう中を、新人プレイヤーに至るまでが三面六臂の活躍でサファギンを駆逐してゆく。


 水辺に倒れたサファギンの死体は、干潮の波にさらわれ、あるいは一定時間が経って霧散してゆくが、激しい戦闘はその中で夜半まで続いたのだった。


 戦闘が何とか〈冒険者〉の勝利で終わった夜半。

 へとへとに疲れた、夏季合宿参加の〈冒険者〉達は、ザントリーフ大河と浜辺の中間にある開けた集会場で、思い思いの格好で潰れていた。


 街の防衛や見張りは、まだ体力に余裕がある、〈オキュペテー〉で到着した部隊に交代をして貰っている。この広場に集まっているのは、ゴブリンからの防衛戦、サファギンからの防衛戦をフルタイムで戦い抜いた夏季合宿のメンバーだけだ。


 本来であれば、もうちょっと示しがつくような態度をとるべきなのかも知れないな、なんて考えながら、そのマリエールさえもべったりとマントにくるまって突っ伏していた。


(はぁぁ……。なんとかなったぁ……)


 大規模戦闘や攻防戦など一切経験のない〈三日月同盟〉である。マリエールも、こんなにも複雑な戦線の指揮を執った経験など無い。

 まったくのド素人といっても良いところなのだ。今回の防御作戦が成功したのだとすれば、それはひとえに新人冒険者達のモチベーションの高さと、直継を始めとするベテランプレイヤー達のサポートあったればこそだと、マリエールは考える。


「大丈夫かぁ、マリエさん?」

 思いもかけず近いところから声が降ってくる。

 それはいま思い出していた当の本人、直継だった。


「ひょわぇぇっ!?」

 跳ね起きるマリエールの隣に、直継は腰を下ろす。いつの間にか着替えたのか、直継がいま着けているのは、夏用の涼しげなチュニックシャツにゆったりとしたズボンだ。


「なんて声出すんだよ、マリエさん」

「うっわ、ずるくない? 直継やん。何で着替えてるん!?」

「いや、だって……。鎧重いしよぉ。今晩は当直変わったんだし、良いじゃねぇか祭」

 直継はマリエールの追求に視線を泳がせる。


 周囲を見渡してみれば、精根尽き果てていた仲間達も、みなゾンビのようにのろのろした動きながらも身を起こして、何とか着替えくらいはしようとしているようだ。


「ううう、うちも」

「大丈夫なのか?」

「いや、あんまし大丈夫や無いけど」

 マリエールはこめかみをおさえる。度重なる魔法の使用で、頭の奥が痺れたように重い。


 〈施療神官〉(クレリック)は回復呪文のエキスパートだ。固有の回復呪文以外にも、多種多様な形態の魔法を持っていて、防御能力と回復性能だけならば回復職中でも頭ひとつ抜けたバリエーションを誇る。

 今回の集団戦闘にあたり、マリエールはあえてパーティーを組まずに、単騎のリーダーとして戦闘地域を駆け回った。外部から回復呪文を掛けて回る、いわゆる「辻ヒール」という作戦をとったのだ。

 その作戦はあながち間違っていたとは思わないが、結果としてこの頭痛が起きてしまっている。一日でMPが10回以上空っぽになるなんて、マリエールにとっては初めての経験だ。


「もうちょっと休憩してれば?」

「ううう~」

 正直に云えば、マリエールとしてもあまり動きたい気分ではない。


「お風呂満杯だろうし」

「お風呂あるんかっ!?」

 風呂と云えば、アキバの街にでさえ最近登場した先端施設だった。その最先端の施設がチョウシの町にある事に、マリエールはびっくりしたのである。


「そりゃあるよ。アキバの街に風呂がなかったのは、〈冒険者〉が作れる家具にお風呂がなかったわけでさ。正確に云えば、お風呂はあったけど、形だけのモデリングでお湯を作ったり貯めたりする機能がなかったって云う理由だけだろう? 〈エルダー・テイル〉の頃は俺達お風呂に入る必要なんて無かったんだから。でも〈大地人〉は最初から風呂に入りたいし、そのための施設持ってるよ」

「そ、そうだったんかぁ!?」

 マリエールは頭を抱えてそのまま突っ伏す。


 それならばアキバの街でも、住んでいるわずかな〈大地人〉の家に行けばお風呂があったのでは無かろうか?


 ギルドのキッチンで、夜中にこっそりお湯を沸かして、小さなタライで汗を流していたらヘンリエッタに見つかって、凄まじい騒ぎになりかけた事をマリエールは思い出す。あの時のヘンリエッタは怖かった。思い出すだけで表情がどんよりとしてしまうほどだ。


「でも、満杯なんだって。宿屋と町長の家の風呂には、俺達が押しかけてるから。ちなみに宿屋の風呂は男子専用で、町長の家は女子だぜ」

「うへぇ。わかった。……うち、もうちょい涼んでいく」

「へいへい」

 あぐらを掻いて座り込んだ直継。

 草の上にマントを広げてへたり込んだマリエール。


 二人の上から、月の光が白々と降り積もる。

 頬を撫でる涼やかな風にマリエールは視線だけを直継に向ける。


 直継は、その白い月を見あげながら、手に持った大きな南国風の葉を、団扇のように使ってマリエールを扇いでいるのだった。


(あ……)

 戦いの余熱で火照って騒いでいた血液が、やっと少しだけ落ち着きを取り戻したようにマリエールは感じる。何も云わずに、ただ近くにいてくれる、このひょうきんな青年のお陰で、ざわめいていた気持ちが穏やかになって行く。


「なー。直継やん」

「なんだー」

 のんびりした直継の声が、戦いが終わったという実感をマリエールに届けてくれた。戦った。生き残った。そして、この町を、守りぬく事が出来た。戦闘の最中、敵の攻撃でアキバの大神殿に転送されてしまった〈冒険者〉は居るけれど、それもわずかな人数だ。


「うちら、良くやったよね?」

「もちろんだぜっ。俺達は、この町を守りきったんだ」


 いまの自分は、普段にもまして笑み崩れているだろうとマリエールは自覚する。きっと甘すぎて見ていられないような笑顔だろう。でも、それも気にならない。

 この月明かりの下で、いまはとにかく頬を撫でる直継の心遣いに浸っていたかった。




 ◆




 どこからか遠い鐘の音が聞こえた。

 辺りは爽やかな香りとキラキラとした粒子状の光輝に満たされている。


 ルンデルハウスは、凝った彫刻の施されている大理石の寝台から上半身を起こした。


(ここは……)

 窓から見える外の風景は夜空だ。時間は夜らしい。

 しかしこの石造りの部屋のあちらこちらに置かれた観葉植物からは、不思議な輝きを放つ鱗粉のようなものが舞い上がり、部屋の中を明るく照らし出している。


(そうか、ここが……大神殿か)

 ルンデルハウスは納得する。噂では聞いていたが、中に入るのはもちろん初めてだ。そもそも〈大地人〉は〈冒険者〉とは違って、大神殿への礼拝をおこなったりはしない。聖堂で祈祷を行なう事はあってもだ。


 大神殿は〈冒険者〉にまつわる特殊な施設の1つであり、宗教施設と云うよりは魔法遺跡のようなものだ。ルンデルハウスも〈大地人〉の例に漏れず、このような施設を利用した事はない。


(とりあえず……。良し、動きそうだ)

 そのまま寝台に腰をかけて、身体を慎重に動かしてみた。

 右手、左手、両足、肩――。どこにも問題はないようだ。骨の芯に疲労が残ったように感じるが、それはおそらく転移復活の後遺症なのだろう。


 大神殿による復活は経験値を減少させると聞いた事がある。ルンデルハウスはステータス画面を開いて、その情報量にびっくりする。

 〈冒険者〉用のステータス画面の詳細度は想像を超えていて、様々な能力値の修正値や装備による細かいボーナスまで全て表示されているし、MPやHPのバーも0.1%刻みの詳細なものだ。


 そんな情報に目を奪われかけながらも、経験値の欄をみてみると、やはり相当に減っているようだ。仕方がない。転移復活だけではなく、それに前だつ状態で何度も蘇生魔法をうけたのだ。この経験値ロスは当然の代価だろう。


 死ななかったのだ。

 ルンデルハウスはそれだけで胸がいっぱいになる。


 別に〈冒険者〉の身分や立場に憧れていたわけではないが、その生き様には憧れていた。腐敗した貴族の三男坊として生を受けたルンデルハウスには、〈冒険者〉の自由さも、全ての人を救う正義感も、胸を突かれるほどに眩しかったのだ。


 ふと、視線を引かれて、ルンデルハウスはステータス画面のタブをめくる。そこで発見したのは〈冒険者〉という文字だった。


 名前:ルンデルハウス=コード

 メイン職業:妖術師

 サブ職業:〈冒険者〉


 ルンデルハウスはしばしその文字を呆然と見つめる。

(そうか。ボクは確かにサブ職業を持ってはいなかった。あの契約によって、新しいサブ職業に就いた。それが〈冒険者〉だとすれば……)

 あわててサブ職業の能力を確認するルンデルハウス。そこには確かに見慣れない、だが噂で聞き知ってはいる〈冒険者〉の能力が並んでいる。


 「神殿に帰還しての復活能力」、「念話能力」、「経験値取得補正」、「銀行貸金庫」、「詳細ステータス」そのほかルンデルハウスが内容も知らないような様々な特典が、ここでは能力として記載されている。

(これは、盛りだくさんだなぁ。……これだけの力があれば)

 失われた時は戻らない。ルンデルハウスの過去は変わらない。けれど、これから先、無力に震える事はなく、願っただけの人々を助ける事も出来るかも知れない。


 そしてなにより、正体を隠すことなくアキバの街で暮らす事が出来るのだ。いまでは誰よりも親しく感じる、今回の合宿で深い友情を結んだ仲間達と。ルンデルハウスはもう一度故郷を作り出す事が出来るかもしれない。自分が自分で居る事の出来る居場所を、だ。


 ルンデルハウスは思い出す。

 堕落しきっていた貴族達を併呑していった一人の〈冒険者〉を。

 ああなれれば良いとも思い、ああはなりたくはないと呪った相手だった。もう一度が許されるのならば、自分は冒険者になる。そして自分が願った奇跡の価値を計るのだと、ルンデルハウスは誓う。


 この小さな玄室は、その再出発の地点なのだ。生真面目な顔をした眼鏡の青年もまた〈冒険者〉だという。ルンデルハウスの友人であるミノリとトウヤが尊敬する、彼らのギルドのマスターだ。


(あのシロエという青年ならば、僕の知らない景色を知っているんだろうか……)

 ルンデルハウスは自分の思考と蘇生の歓びに浸っていると、遠くから高い足音が近づいてきた。



「ルディっ」

 祭壇の間の石扉が砕けんばかりに弾き開けられて、五十鈴が入って来る。五十鈴は、怒ったような、困ったような複雑な表情で、戸口からルンデルハウスをにらみつけているのだ。


「やぁ、ミス・五十鈴。……えーっと、どうしたのかな?」

「ど、どうしたのか……じゃ……」

 五十鈴はつかつかと近づいてくると、思いっきり胸を反らした。


 低い寝台に腰をかけたルンデルハウスよりその頭部は高いために、その体勢では見上げても、表情が判りずらい。水っぽくすすり上げるような音がしたが、五十鈴の声は確実に怒っているようだった。


「あんな無理をして死んだらどうするつもりだったの。ルディの馬鹿っ」

「馬鹿とは失敬な。時には命を懸けてでも貫くべき道があるのだミス・五十鈴っ。〈冒険者〉の自由な魂をくびきに繋ぐ事が出来ないように、僕の戦いを止める事は、誰にも出来ないっ」

「わたしが“待て”って云ったら、ちゃんと待つのっ!!」

「そんな理不尽な」

「待つのっ!!」

 五十鈴の声は高圧的で、流石のルンデルハウスもかちんとしてしまう。


 だがしかし、なぜここに五十鈴が居るのかと考えたときに、彼は気が付いた。


 五十鈴は、ルンデルハウスが〈大地人〉である事を察したただ一人の仲間だ。後から考えてみれば、ミノリも察しては居たようだが、ルンデルハウス自らに尋ね、追求し、そしてルンデルハウスの「冒険者になりたい」という願いに協力してくれたのは、五十鈴だけである。

 そして彼女がいま、ここにいると云う事は、転移復活した彼を追いかけてアキバの街に〈帰還呪文〉を用いてまで追いかけてきてくれたと云う事だ。


「すまん、その……。心配をかけたような気がする」

 その台詞をルンデルハウスが言った瞬間、涙が出るほど痛い一撃が、座ったままの彼の頭部に炸裂した。


 何で殴られたのかは判らないが、ルンデルハウスも貴族の血を引き、この歳になるまで暮らしてきたのだ。こういう状況の女性にはとことん下手に出て謝り倒すしかない事などは重々判っている。


「ごめん、悪かった。ミス・五十鈴」「す、すまない。もうあんな事はしないから」「とにかく理由を聞かせてくれないかっ」

 1つの言葉を喋る度に、2回から3回の打撃が加えられる。ルディの頭部は叩かれすぎて熱を発し、もはや意識がもうろうとするほどだった。


「わかった。ミス・五十鈴の云う事はちゃんと聞くっ」

「本当?」

「本当だ。神に誓う」

「ルディの子供時代の事も話すんだからね」

「なんでそんな……。っ!? わ、判った。話す」

「あんな無茶をしてたら命がいくつあっても足りないよ?」

「反省する」

「じゃぁ、お手をしなさい」

 え……?


 ルンデルハウスはその言葉に、五十鈴を見上げる。

 ふてくされたような怒ったような、そばかすの可愛らしい五十鈴の表情の中で、瞳だけがはにかんでそっと手を指しだしていた。


(そんなの、かなわないじゃないか)

 ルンデルハウスは、その手に自分の手をそっと重ねる。


 当然この世界にはない、異界の仕草だ。ルンデルハウスにしてみれば、騎士が淑女をエスコートする仕草を男女逆転したようにしか思えないし、それはそれでひどく気恥ずかしいものであった。


 後日、その仕草は、犬が主人に忠愛を示す作法なのだと五十鈴に聞いて激怒したが、その時は首筋にかぶりつかれて怒りを発揮するような状況でもなかったりする。


 どうやらルンデルハウスは、このそばかすの少女に逆らえない運命を背負っているようだった。




 ◆




 アキバの街を挙げた初めての遠征軍は、後に東の討伐軍と呼ばれ成功裏のうちに帰還した。これは同時期に行なわれた西ヤマトの『スザクモンの鬼祭り』事変とのからみでもあった。


 正確に云えば、遠征軍はゴブリン王を倒しては居ない。その略奪軍をザントリーフ半島に封じ込め、殲滅をしただけである。この作戦は、クラスティら浸透打撃大隊がゴブリン将軍(ジェネラル)を倒してから、約一週間で完結した。


 シロエやクラスティ達は、その間ゴブリン達の本拠地、〈七つ滝城塞〉(セブンスフォール)からの増援があるかと警戒を続けていたが、それはついに現われなかった。

 念のために監視を続けている〈七つ滝城塞〉には、おそらく数千の軍が潜伏しているとみられている。これはゴブリン略奪軍の1/5程度の数であり、数だけに注目すれば大きな脅威ではない。

 しかし、兵力を数だけで語るのは、元の世界での戦力対比的な考え方だ。個人の戦闘能力が、それこそ1歩兵クラスから、戦車相当まで上下に広い分布を持つこの異世界において、人数や兵数というのは、戦力の絶対的な評価にはなり得ない。そのことは、今回のアキバ遠征軍が証明に成功してしまったとも云える。


 〈七つ滝城塞〉には未だゴブリン王が健在で、大型魔獣も数多く存在していると予想されている。今回の略奪軍には参加していなかったゴブリン祈祷師(シャーマン)も待ち構えているだろう。


 戦力数以上の脅威が、〈七つ滝城塞〉には残されていると見るべきだろう。


 もっとも、〈七つ滝城塞〉を後回しにしたのは、攻略が難しそうだという理由ではない。多少強敵が残っていようと、〈冒険者〉の実力を持ってすれば討伐は時間の問題であると、〈円卓会議〉は考えていた。


 ゴブリン王の討伐を先送りにした理由のひとつは、〈自由都市同盟イースタル〉との条約締結を先に済ませるべきであろうという判断が働いた事があげられる。


 もうひとつには〈七つ滝城塞〉攻略戦に〈D.D.D〉が不参加を表明した事による。〈D.D.D〉代表クラスティは〈円卓会議〉の代表でもあり、現在アキバの街の第一人者だ。

 ここで〈D.D.D〉だけが突出してイベントを独り占めしてしまう事は、〈D.D.D〉の勢力暴走を招きかねないという危惧があった。そもそも〈円卓会議〉設立の目的のひとつが、大手ギルドの過剰暴走を防ぐ事にある。クラスティ側からのこの提案は即座に受け入れられた。


 〈D.D.D〉は確かに大手戦闘ギルドであり、練度も高いが、匹敵する団体がないわけではない。特に要塞内部での戦闘ともなれば、96人体制(レギオンレイド)での突入は難しく、24人体制(フルレイド)での攻略となるだろう。そうなればますます〈D.D.D〉のもつ「ギルドメンバーの数の多さ」という利点は相対的にみて失われる事となる。

 〈D.D.D〉が手を引いても戦線維持、ゴブリン王の討伐は可能であり、だからこそ〈D.D.D〉が遠慮をしたという評価は、アキバの街の中でも早々に確定したのだ。


 また、〈円卓会議〉の一部には別の思惑もあった。

 〈円卓会議〉で報奨金を設定して、ヤマト東北地方の村落巡回および、はぐれゴブリンの討伐クエストを大量に発布したのである。


 ゴブリンというモンスターは、今回のような軍勢規模ならばともかく、小隊レベルの数では、さほど強敵ではない。作戦を練っていたとは云え、30レベルそこそこのミノリ達が敵対し得たのがよい例だ。


 そのため、これら討伐クエストは高レベルの〈冒険者〉よりも、駆け出しの、もしくは中堅規模の〈冒険者〉に対する依頼であり、彼らには非常に喜ばれ、多くの〈冒険者〉はアキバの街を飛び出したのだ。彼らはヤマト東北部の森林や山野を駆け回る事になり、〈大地人〉に〈冒険者〉の復活を印象づける事となった。


 こうして城塞外部の少数兵力を削る事により、〈七つ滝城塞〉はますます防備を固め、兵力を集中させる事となる。もし仮にゴブリン王だけを先んじて倒してしまったとすれば、ゴブリン族は統制を失ってしまうだろう。

 統治者を失ったゴブリン族は拡散し、突発的な騒ぎを起こすかも知れないというのが、シロエが〈円卓会議〉を説得した要旨である。つまり、この封じ込めは来るべき〈七つ滝城塞〉攻略戦のための布石であった。


 シロエ本人としては状況がそのようになったから利用したまで、と云う事になるのだが、周囲からは黒い黒い、と云われて憮然とした気持ちを味わっている。軍略の事で白も黒もあるものか、と云うのがシロエの言い分なのだが、本人の把握は少しだけずれているのだった。


 シロエ本人は知らなかったが、その黒いという評価は主にアキバの街の生産系ギルド所属の女性からもたらされたものである。レイネシア演説に端を発しているこの評価において、シロエは一部では鬼畜などという呼称も用いられているのだ。だがそれは、むしろ悪意や敵意と云うよりも「退かれている」という状況であった。

 つまり、何も知らない姫に無理難題を押しつける悪代官的イメージである。


 そんな事も知らずにどんより落ち込んだシロエに、ヘンリエッタは「シロエ様の黒さはまだまだこんな処で留まるものではありませんわ!」と激励をしていたりする。シロエ自身、それはそれでまた微妙な気分になったりもしたものだった。


 こうして稼ぎ出された猶予期間において、〈円卓会議〉は〈自由都市同盟イースタル〉との条約調印という段階までこぎ着ける事に成功した。基本条約、相互通行通商条約、平和条約の三種の条約が締結されたのである。


 ザントリーフでの包囲戦から一ヶ月。

 いま、マイハマでは条約締結を祝う祭典が開かれていた。


 マイハマの都、その煌びやかで美しい街並みには、ヤマト北東部から多くの貴族達が集まっている。領主会議は一旦閉会し、それぞれの領地に戻っていた貴族達は、とんぼ返りのようにマイハマの都へと集ったのだ。もちろん、領主会議とは違い参加は義務ではないため、二三の欠けたる顔もあったが、これは数少ない〈冒険者〉の知己を得る機会である。

 通商条約が締結されたいま、領主達にとっては自分たちの領地の特産を売り込んだり、優先的な契約を結ぶための大きなチャンスなのだった。他の領主達に負けてなるものかという彼らのモチベーションは、お祭りの熱気と相まって熾烈な交渉合戦を巻き起こしている。


 しかし、それは一方でアキバの街に存在する様々なギルドにとっても同じである。

 〈RP.jr〉(レイパーカー)ギルドの「明太子ホットサンド」を見ても明らかなように、現在アキバの街を始め、この世界は、新しい工夫を行なう事で大きな利益を得られる可能性が転がっているのだ。

 それは商業系のギルドにとってもそうだったが、戦闘系ギルドにとっても、護衛や希少なアイテムの採集などでまったく同じである。


 とにかくありとあらゆる物資が不足して、目が回りそうになっているのが現在のヤマトの姿なのだった。


 マイハマの城下町では、全ての宿屋が満室となり、臨時の民宿なども多く運営されている。そちらでの商談は中小の商業ギルドや、護衛を引き受ける小規模のギルドがメインである。この機会にひと稼ぎしてやろうとアキバの街から、ありったけの食材や剣や鎧、とにかく売り払えるもの全てを持って駆けつけてきた行商人を合わせて、マイハマの人口は一時に倍にもふくれあがったようであった。


 王宮では貴賓室や客室だけではなく、騎士宮までも解放して来賓を迎え入れている有様だ。そちらでは領主達が大手ギルドとなんとか専属的な契約を締結しようと交渉に四苦八苦している。

 もちろん〈エルダー・テイル〉のプレイヤーの多くは、地球で云えば老獪というにはほど遠い年齢でしか無く、交渉においては貴族達にアドバンテージがあった。しかし一方貴族達は〈大地人〉であり、〈冒険者〉の要望や機微などを把握できては居ないため、混乱をきたす事もしばしばである。

 結果として、あらゆる交渉は手探りで進むこととなり、手探りの交渉に付きものの「両方が誠実で粘り強いという理解関係」にまでこぎ着ければ、結果はさほど不満のないものになるようだった。


 それはまさに年に一度という規模を越えるお祭りであった。


 ふくれあがった人口を相手にするあらゆる食堂や物売り、飲食店の〈大地人〉達は顔を真っ赤にして働き、冒険者達も寝る間を惜しんでアイテムを作成し、あるいは販売をして回った。誰も彼もがこのお祝いで多少の儲けを得る事が出来、今日の儲けに乾杯をしようとちょっとしたご馳走やら、いつもより良い服やらを求めるために、需要はうなぎ登りであった。


 宮廷の方では臨時雇いも含めた使用人が忙しく飛び回り、あらゆる準備を完璧に遂行しようとする家令の指示に従っていたが、このような騒ぎの中では当然のことながら、完璧な接待などと云うものはあり得ぬもので、生真面目な担当者は卒倒しそうになっていた。

 しかし、その意味では〈冒険者〉は何とも扱いやすい人種であった事も事実である。大半の〈冒険者〉は自分の事は自分でやるという信条の持ち主であったし、食事の際に給仕をして貰うという単純な事にさえ、居心地の悪さを覚える遠慮深い性格のものが大半であったのである。


 もし〈冒険者〉の全てが、食事も着替えも入浴も、最低三人の従僕か侍女が居なければ行えないなどと云いだしたならば、〈自由都市同盟〉随一の巨大都市マイハマの宮廷も完全に麻痺していただろう。


 だが〈冒険者〉は貴族からしてみれば独立独歩の存在で、彼らの華美な生活様式からは無縁のようであった。そうであるならば、聡い貴族ほど、少なくともこの交渉の間は、自身の生活様式も簡素にしようと合わせるものである。

 贅沢好きで我が儘な貴族達も、いまこの祭りの間だけは比較的聞き分けが良くなり、その結果マイハマの宮殿の環境は何とか維持されているのだった。


 そしていままさに、王族から街の人々、出稼ぎや職人、農民に至るまでを巻き込んだ条約締結の祭典、は最高潮を迎えようとしている。


 マイハマの中心、「灰姫城」(キャッスルシンデレラ)の大広間では楽団の奏でる厳かな調べに乗って大舞踏会が開かれようとしているのだ。


 この大広間は「エターナルアイスの古宮廷」のそれよりも広く、無数の蝋燭の煌めきや召喚術の明かりに照らされていた。貴族や街の主立った商人たち、さらには〈冒険者〉を招待して開かれた舞踏会には二百名を越える参加者が集っている。


 期待に震える参加者に、主催であるコーウェン公爵セルジアッドが開幕を告げると、音楽は一段と音を高く澄ませて踊り手達を迎え入れた。

 〈冒険者〉が居るという普段ではないようなシチュエーションに、若手の騎士も姫君達も萎縮をしていたが、その中で進み出たのはクラスティとレイネシアだった。


 ゴブリンの脅威から〈自由都市同盟〉を救ったアキバの街の若き英雄クラスティと、〈自由都市同盟〉を代表する都市マイハマのコーウェン公爵家の孫娘の組み合わせは、それだけでも耳目を引いた。


 その上今回の遠征には、レイネシア姫が単身アキバの街に乗り込んで懇願を行ない、彼女の真心に打たれた〈冒険者〉が義侠心から力を貸したという英雄譚のような逸話も残っている。

 この二人の組み合わせは、エピソード的にも十分心を打つのに加え、見た目も素晴らしいのであった。


 クラスティはあのゴブリン族の将軍と1対1の決闘を行ない破ったという噂をされるほどの騎士であったが、その評判に反して物静かで理知的な風貌をした青年であった。

 眼鏡をかけた横顔は冷静で取り乱したところがひとつもない。背丈だけはその職業に相応しく随分高かったが、巨漢の騎士という言葉にある鈍重なイメージはまったく見られなかった。礼服を洗練した着こなしで纏うクラスティは、まさに白皙の貴公子といった様子である。


 一方、レイネシアと云えば、これは〈自由都市同盟イースタル〉でも屈指の美貌を誇る淑女である。今日の彼女は比較的おとなしめのドレスを着ていた。繻子の布地は淡いブルーからすみれ色で、そこには銀糸を使った細かい刺繍が施されている。

 肩をすっかりと覆う膨らんだシルエットは保守的だが、胸元と背中は殿方の視線を十分釘付けにするだけのカットを見せて、彼女の白鳥のようなほっそりとした首筋の優美さを際だたせていた。


 フロアの中央に進み出た二人に、周囲からはため息とも賞賛ともとれる呟きが漏れる。それは確かに非常に見栄えのする、絵画のような光景だった。


「主君は行かないのか?」

 その広間を見下ろす暗い2階席で一人、黒薔薇茶で喉を湿らせていたシロエは隣に視線をやった。


 そこには、ヘンリエッタに装飾されたのだろう、「エターナルアイスの古宮廷」で見た、あの可憐な衣装に身を包んだアカツキが居る。

 真珠色のドレスは前回と同じものだったが、今日はその上に青紫色のショールを合わせていた。淡い色合いの重なり合うドレスに、アカツキの絹糸のような黒髪はこの上なく映えている。


「僕は今回はパス。今日の主役はクラスティさんだよ。僕が行っても、なかなか場が持たないし……。疲れるしね」

 シロエがそう云うと、アカツキは無言で近づいてきて、シロエの隣に座る。


 この露台(バルコニー)には、小さなテーブルと幾つかの椅子があり、人の気配は薄い。本来は、高位の貴族が休憩などに使うものであろうが、今日は冒険者も参加する祭りのような舞踏会であるから、宮廷の使用人もこちらにまで回す手がないのだろう。


 高い位置から見下ろすと、広間の様子がよく判る。

 揃いの衣装を着けて演奏に集中する楽団。片隅に陣取って、じっくりと楽しむ構えを見せる豪商や老貴族たち。どこかおっかなびっくりに見える〈冒険者〉。悠々たる態度で、騎士や商人と会話を繰り広げる度胸のある〈大地人〉。


 実に様々な人間模様が繰り広げられる中、広間中央に辿り着いたクラスティとレイネシアは、咲き乱れる花のようなあでやかさでステップを開始する。


「……」

 熱心に見つめているアカツキがシロエを振り返って、二人の視線が絡む。アカツキは何かを言いかけようと口を開くが、諦めたかのようにまた唇を引き結ぶ。


 少女のような表情は、困惑したかのようで、シロエはとても優しい気持ちになる。

「何で笑うのだ。主君」

「笑ってないよ」

「いいや、笑った」


 そんな事はないと続けるシロエに、アカツキはしつこく食い下がる。が、ふと語気を和らげて謝罪するのだった。


「わたしは余り役に立たなかった。戦闘以外では、主君の足を引っ張ってばかり居るように思う」

「そんな事はないよ、アカツキ」


 シロエはアカツキの言葉にびっくりしてしまう。領主会議に呼び出されてから一ヶ月に及ぶ今回の事件の間、アカツキはずっとシロエに付き従い、陰となり日向となり、情報収集と護衛の任務を引き受けてくれていた。たった二人で、あのリ=ガンの書斎まで出向き、この世界の謎の一端にも触れる事が出来たのではないか。

 そう告げるが、アカツキはやはり浮かない表情だ。


 シロエはアカツキの額に触れる。

(感謝してる気持ちって、なかなか伝わらないんだな)

 それは当たり前の事なのに、なんだかとても不思議な事のように思えるのだ。

 シロエは自分の居場所を作ろうとして、それを守ろうとしただけなのだ。この無口な少女は、そのシロエの願いを、ずっと支えてくれた。今さらそれに気が付いたシロエは、ほとんど考えも無しに腰を浮かせる。

「踊ろうか?」

「え?」


 シロエは立ち上がり、びっくりした表情で椅子から見上げてくる小柄な少女に片手を差し出す。折しも、階下の大広間からは盛大な拍手と2曲目の前奏が聞こえ始めた。


 輝きに照らされた広間の明かりが、この薄暗い2階席の足下を照らして、あっけにとられたアカツキを、ひどく無防備であどけない少女のように見せていた。


「主君。わたしはその……踊りとかは」

「練習してたでしょ?」

 シロエはそのアカツキの手を引いて、立ち上がらせる。


 あの古宮廷の夜の中庭で、足捌きの訓練をしていたアカツキが思い出される。あの複雑で、武道らしからぬ運足は、シロエがヘンリエッタに教えられたダンスのステップそのものだった。


 この無口で本当は同年配のくせに少女じみた仲間は、あの涼しげな夜の空気の中で、密かにダンスの練習をしていたのだ。何度も何度も。身体に染みこむほどに繰り返した動きは、妥協を知らないアカツキの性格そのままであった。

 そのことを知っているのは、この世界でもシロエだけである。


「主君。……笑うな」

「こっちだって素人なんだ。笑ったりしないよ」


 薄暗く狭い2階席のバルコニーで、〈記録の地平線〉の二人は、流れてきた円舞曲に合わせてたどたどしいステップを踏み始める。

 お互いに遠慮をしながらの、拙いダンスだった。




 ◆




 その同じ円舞曲を、おびただしい輝きに包まれて漂っているのはレイネシアとクラスティである。


 レイネシアから見れば、クラスティは巨大な虎だ。

 目の前には巨大な壁のようなそびえるクラスティは、見かけのイメージを裏切る端正で華麗なステップでエスコートをしてくれている。

 宮廷の評判では優しげな美青年と云う事に落ち着いたようだが(レイネシアはこれを侍女からの噂で仕入れたのだ)、あの戦場での姿を知っているレイネシアとしてはそんな評判に騙されるなどと云う事はない。

(虎です。この人は妖怪虎人間なんですっ)


 騎士にしてはスマートな方です。

 ……などというコメントもあるが、それは背丈があるために遠目に見れば比較的細く見える、と云う事に過ぎない。こうして側近くで腰の後ろなどを支えられてみれば、腕の太さから胸板の厚さまで、まるで自分とは別の人間――というか生物に感じられて仕方がない。


「どうしました? 姫」

「何でもありませんわ。クラスティ様」

 周囲にいる貴族や冒険者達からは笑顔に見える表情を取り繕いながらも、レイネシアは不機嫌な声で囁き返す。


 クラスティの声も潜められているし、管弦楽とざわめきで満たされたこの大広間において、二人の囁きは周囲に漏れる事はないだろう。

 唇の動きから二人が何か囁き合いながら踊っている事に気が付く人間は居るかも知れないが、その表情からもシチュエーションからも、友好的な内容だと判断されるはずである。


 恋のうわさ話(ロマンス)に飢えている宮廷侍女によれば、こうした二人の会話は、あっという間に架空の睦言へと早変わりして、密会や逢瀬の情報が飛び交う事になるのも、レイネシアとしては理解している。事実そのような話は、彼女の耳にも飛び込んできているのだ。


「――腹立たしいです」

「どうしました?」

 一番腹立たしいのは、そう云った噂をまったく否定しないクラスティの態度であった。それは否定されれば否定されたで、その時は苛立たしいのであろうが、かといって余裕を見せつけられるのも我慢が出来ない。


「何でもありません」

「ごきげんを損ねてしまいましたね」

 そんな台詞に、そうさせたのは貴方です。と考えるレイネシアだが、次の瞬間には「まぁ、確かにそうさせたのはわたしですけどね」などと返されて言葉を失う。


(まったく。悪いだなんて思っていない口調ではないですか……っ)


 レイネシアは将来を考えて嘆息する。

 彼女の祖父は今回の件に限っては至って冷淡だったのだ。〈自由都市同盟イースタル〉と〈円卓会議〉が条約を結んだのは、互いに平等な関係性をもってしての事である。これについて、両者は貸し借りの関係にはない。

 一方、ゴブリンに蹂躙されかけた東ヤマトの窮地において、〈冒険者〉に援助を求めたのはレイネシア個人である。この行動において〈自由都市同盟イースタル〉は最大限の感謝と敬意を感じるが、〈冒険者〉に対する借りだとは思わない。

 祖父はレイネシアにはっきりと告げた。


(ようするに、〈冒険者〉様達への借りは、わたし一人で返済しろと云う事ではないですか……)


 今回の祭りやそれに続く祭典では、〈冒険者〉は賓客としての扱いを受けるが、戦費の支払いなどについては応じないという考えだ。レイネシアはそれはそれで、青ざめてしまう。


 アキバの街の演説ではああ云ったが、多少の資金提供や礼金くらいは〈自由都市同盟〉のほうでしてくれると思っていたのだ。これでは、今回の遠征で怪我をした〈冒険者〉への見舞いひとつ出来ない。


 そんな祖父の言葉を思い出しながらではあったが、長い訓練のたまものか、レイネシアの身体はなかば自動的に優美なステップを刻み続ける。


 右へ一歩。さらに右へ一歩。

 1/4ターン。左へステップ。手を掲げて触れあわせる。


 よどみない流れのようなフルート。甘く切ないヴァイオリンにとろけたような陶酔を乗せ、クラスティとレイネシアは舞う。


「そんなにいやですか?」

「そうではありませんが……」

 そんな祖父とコーウェン家の妥協した案が、レイネシアの大使就任というラインであった。本来領主達の貴族文化において、淑女というのは象徴的存在である。その容貌が政治利用される事はあれど、本人に政治的な才能や実務能力が期待される事はあり得ない。


 だが、祖父に寄れば「お前はその保護の囲みを自分から進んで乗り越えた」訳だから、以降そのような気遣いは無用である、との事である。そこで言い渡されたのが、アキバの街に設けられる交流用の大使館責任者の地位である。今後レイネシアは、アキバに建てられた別邸と、マイハマの「灰姫城」(キャッスルシンデレラ)を往復しつつ暮らせ、と云う事らしい。


――借りを作ったのはお前なのだから、お前が側近くにいて、折に触れて頭を下げ続けるのが礼儀というものだろう?

 祖父セルジアッド公は厳めしい顔でそう云ったが、その瞳は笑っていた。あのような表情は珍しいが、きっとレイネシアに対して良い気味だ、と思っているのだろうと思う。

 そう考えると、些か以上にへこんだ気持ちになった。


「三食昼寝付きですよ」

「へ?」

「三食昼寝付きです」

 クラスティは、嫌そうな、諦めたような口調で呟く。


「ですから、アキバの街の大使でしょう? もちろんこれからアキバの街は発展しそうですし、領主達も出張機関というか、交渉拠点を持ちたいのでしょう。それに先駆けてマイハマがアキバに別邸を置くのは判ります。その効果は、それなりにあるでしょうね。

 ……しかしまぁ、わたし達は〈冒険者〉ですから。貴族ほど貴族の貴族的日常に興味はありません。お茶会や夜会なども随分と少ないでしょう。姫がやってくるのはそんな街ですから、三食昼寝付きの引きこもりライフ満喫だろうかと思いますよ」


 クラスティのかったるそうな口調に、レイネシアの胸は希望に満たされる。もしかしたら、これは歓迎すべき事態なのでは無かろうか?

 考えてみれば親元を離れるというのは監視の目を逃れると云う事でもある。これならば長年の夢であった「風呂にも入らないで怠惰に三日過ごす」などと云う計画も実施できそうだ。


「まぁ、三日くらいなら許容範囲ですけどね」

「ひゃわぁっ!?」

 またもや心を読んだクラスティの発言に、レイネシアの頬は、瞬時に真っ赤に染まる。このいけ好かない妖怪人間は、本当に始末に負えない。腹立ち紛れに強く握りしめた手は、クラスティにとって小鳥が止まったほどにも感じていないようであった。


 その様子は、外部から観察すれば、伝説的な武名を誇る若い騎士が、美しい姫をエスコートし、二人の間にある淡い恋心が愁いに満ちた姫の頬を紅潮させているように見えたかも知れない。


 しかし、周囲の噂と、現実というものは、えてして一致していないものである。仮に、一致するとしてもそれは結果論で、細かいディテールなどは周囲に決して理解できるものではないのだろう。


「これでやっと自堕落な生活に戻れます。ね? クラスティ様」

「さぁ、それはどうだか。姫はなかなかに自爆体質みたいですからね」

 噂になっている二人は、自分達がこの後どのような関係になるのかについて、まるで興味がないように、囁き声で反目し合いながら、いまはただ平和を寿ぐ舞踏会の曲の中で、踊り続けるのだった。


以上。ログ・ホライズン第四巻「ゲームの終わり(下)」

が終了いたしました。最後の三回分は一挙掲載でありますよ。

連載も一ヶ月半になり、36回になりました。

お気に入り登録して下さっている皆さん、ありがとうございます。

気が付けば、なんだかランキングもじわーっと上がってきている模様。

足を向けて眠れません(>_<)


さて、以降の予定ですが五巻「アキバの街の日曜日」は

ちょっとライトな感じの話になる予定! (上下巻じゃないですし)

しかし、別件が入って来ていますので、

ここでしばらく連載の方はお休みであります。

スケジュールについては、活動報告で随時ご報告いたします。

改めまして、読んでくれた人に感謝!


2010/05/30:誤字訂正


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