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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

アキバの街の日曜日

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037   アキバの街の日曜日

 神は6日の奇跡で世界を作った後、その後1日は休日にしたのだという。つまり働いた後に休日である。で、ある以上、人間もそれにならうのが良かろうとシロエなどは思う。

 労働のあとには休日があるべき。
 そうでないと、人間壊れてしまう。
 と云うのも最近のシロエは忙しすぎるのだった。

 もちろん、〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)メンバーが意地悪なわけではない。多くの仕事は〈円卓会議〉から振ってくるのだ。その仕事だって、陰湿なパワーハラスメントの結果仕事を押しつけられているわけではない。と、シロエは思う。多分、おそらく。

 むしろどちらかというと責任はシロエの側にあるのだ。

 シロエは、〈円卓会議〉でも自分のギルドでも「知恵の回る作戦参謀タイプ」だと思われていて、本人もそのつもりでいる。けれど、シロエ自身も深く自覚しているのだが、天才的な才能に恵まれて、そんな位置を占めているわけではない。それどころか、自分自身の能力は、凡庸そのものだとシロエは思っている。

 シロエの自己評価における自分自身は、典型的な予習タイプである。事前に十分な情報収集を行ない、考察や検討を加えて、かつ現場での即興性も計算に入れてシナリオを書く事が自分の能力だと感じている。

 おおざっぱな話で云えば、このタイプ自体は珍しくない。
 極論すればゲームをする前に攻略本を読む人間は全てこのタイプに該当する。シロエのそれは、既存の攻略本を読むには飽きたらず、『全ての』既存の攻略本を読んでしまう。さらには、自分で自分専用の攻略本を書く、とまで突き詰めているところに特徴があるだけだ。確かにそこまでのマニアックさは珍しいが、「用意周到な準備体質」という意味では、なにも特別な手法ではない。

 そんな性格や手法はシロエの役回りを考えれば、美点だといえる。作戦参謀などをやるのならば、多少偏執的なまでに用心深いのは長所ではあれ欠点ではないだろう。

 しかし、それは単純に『作業者』としてみると、取り越し苦労で労力がかかりすぎるという欠点にもなる。

 この異世界にはシロエの研究対象がありすぎるのだった。将来の事を考えれば情報は多いほどよいし、その情報は実に広い範囲に及ぶ。20年にわたって続いた〈エルダー・テイル〉世界の攻略情報でさえ膨大だったのに、それに加えて異世界丸ごとの情報量が加算されているのだ。しかもそれは静止した世界ではなく、いま現在、刻一刻と様相を変えてゆく、相互影響的な世界である。

 もちろんシロエだって、ある程度優先順位をつけて、あたりを取りながら必要な情報を調べようとはしている。シロエ自身の自由になるような知己も経済的なバックアップも足りないが、〈円卓会議〉の公的な情報の流れに接する事が出来るし、一定の予算も付いている。〈大災害〉直後に比べ、情報入手ははるかに効率的になったと云えるだろう。
 しかし、それでも知りたいことや知っておくべき事は膨大で、不安の気持ちはいつになっても晴れることがない。

 シロエはなにも自分の好奇心だけで、この世界の情報を手当たり次第集めているわけではなかった。この世界から帰還を目指すにせよ、諦めるにせよ、それ以前にこの世界で生き抜かなければならないのは、もはやこの異世界における〈冒険者〉の共通認識だ。

 そのためには情報が命綱になる局面が少なくはない。情報の集積は、自治を行なう上でも不可欠だ。海を行く船に海図が必要であるように、〈円卓会議〉にはこの世界の情報が必要だ。どのような事態であれ、周辺事情が判らなければ、正確な判断など下せるはずもない。

 そんなわけで、情報の収集と分析は、シロエにとっては公務である。

 だが、アキバの街の自治組織〈円卓会議〉の11ギルドマスターともなれば、日常的な連絡や雑務だけでも結構な時間が取られてしまう。報告書を読むだけでも結構な手間なのだ。
 〈D.D.D〉や〈海洋機構〉のような大手ギルドであれば、そんなギルドマスターを補佐するための人材も揃っているのだろう。ギルドの中でも目端の利くメンバーがバックアップ体制に着いている状態だ。
 それはある意味、私設秘書団を抱えているに等しく、ミチタカやクラスティといったギルドマスターの事務処理能力を支えている。秘書とまでは行かなくとも「ああ、これ目を通して意見聞かせて」と云える仲間が近くにいるというのは心強いものだ。

 しかし、現在メンバー2名を加えて8名となった〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)においては、そのような余剰メンバーなどは存在しない。事務仕事は、渦中のシロエが最も得意であり、次点がミノリ。しかし、ミノリは現在修行中の身であり、シロエの事務仕事の手伝いにかまけていてはトウヤやルンデルハウス、五十鈴とレベルに開きが出来てしまうため、そうそう手伝わせるわけにも行かない。

 結果として、シロエは報告書の山と雑多な事務仕事の山に押しつぶされているわけである。

「うっわぁ、やってられないわ、んなもんっ!」

 ごっちゃりと積まれた書簡の山を前にしてシロエは嘆く。もちろんそれが自分の性分だし、望んでやった側面は強いのだが、だからといってめげないというわけもなく、特に長時間外に出ないと気分も滅入ってくる。

 窓から外を眺める。
 その「窓」はつい先日までは壁に開いた四角い穴でしかなかったのだが、今では細い板で細工された窓枠がはまり、帆布で作られた覆いが掛けられている。

 時刻は午後だが、外は雨だ。
 秋の雨がアキバの街の大地を叩いている。細い銀糸のような雨は、アキバの街のあちこちに生える古木の葉という葉に当たり、またはコンクリートを濡らし、静かな音を立てている。
 〈エルダー・テイル〉がゲームであったときにも、天候エンジンは屋外ゾーンに「天気」を作り出していた。それらは凡百のゲームに比べれば美しかったけれど、いまのアキバの街にくらべれば、やはりゲームでしかない。今のこの世界の天候は、あらゆる意味で地球のそれを凌駕しているように思う。

 同じ雨であっても、例えば夏の夕立、稲光と空気そのものを弾けさせるような音を伴う雷雨、秋の霧のような小雨、それぞれに全て違い、全てが美しかった。

 公共交通機関が発達し、宅配業者が幅をきかせる地球に住み、季節の風物詩なんてNHKのニュースぐらいでしか気が付かなかったシロエには、この世界の「天気」はそれだけで完成したドラマのように見える。

 帆布を細く開けると、街の大気は無限に続く白い線で煙って見える。途切れずに続く秋の雨だ。まだ寒いとまではいかない10月だが、この後はゆっくりと秋が深まってゆくのだろう。街のあちこちでは、雨など物ともせずに歩いている人々もいるし、良い機会だとばかりに自分たちの住むビルや建物の掃除に精を出す〈冒険者〉も見える。

 ザントリーフ半島掃討戦から、2ヶ月が経過していた。
 すでに10月になっている。ザントリーフ半島掃討戦の後始末は、なかなかに手間取っていた。いや、すでに後始末という段階は過ぎて〈自由都市同盟イースタル〉と新しい関係を築くというステップに入っているのだろう。シロエの元に届けられた報告書もそれを裏付けている。ここまで来れば、あとの関係性はきっとシロエの出番と云うよりは、商業系ギルドの管轄だろう。
 その考えれば、シロエとしてもやっと肩の荷が下りた気がする。

 ――たったひとつだけだが。

 目下シロエの気を重くさせているのは、各地から入ってくる情勢だった。今まではアキバの街の事だけで手一杯だったから、意図的に無視をしてきたのだが、いい加減そうも行かなくなってきたのだ。
 伝手を辿り話を聞き、まとめ、手を打って情報を集めてみれば、事態は大きく動いていた。いや、動きすぎていたと云うべきだろう。

(まぁ、まったく予想していなかった訳じゃないけど。よりによって、こうなるなんてねぇ。あっちもこっちもまったく……)

 シロエは藤椅子に身体を投げ出して天井を見上げる。
 頭の中には幾つもの地図、数値、報告書の記憶がよぎる。

 「ハーフガイアプロジェクト」で再現された1/2サイズの日本列島……こちらでいうヤマトには、5つのプレイヤータウンが存在する。シロエ達の住むアキバ、シブヤ、ミナミ、ススキノ、ナカス。これらは五大都市とも呼ばれ、日本の〈エルダー・テイル〉プレイヤーにとってホームタウンとも云える場所だった。

 〈エルダー・テイル〉がMMOゲームだった時代、これらの都市は都市間ポータルと呼ばれる瞬間移動装置によって接続されていたため、距離の実感に乏しかったが、現在ではその機能は停止している。そのため、都市間の移動には相応の時間が必要であり、怪物の徘徊するこの世界に於いては移動リスクも存在する。都市同士の交流は激減していると言って良いだろう。

 〈大災害〉から5ヶ月。
 シロエ達の暮らすアキバの街は大きく様変わりした。外見こそまだ以前のままだが、その暮らし方や、人々の関係は決定的に変わったのだ。〈自由都市同盟イースタル〉や〈大地人〉との関わり方も含め、もはやここがゲームだとは誰にも云えないだろう。そこまで事態は大きく動いてしまった。

 その5ヶ月はこの世界の誰の上にでも等しく流れたはずだった。だからこの街(アキバ)が変わったのと同じように、他のあらゆる場所でも変化は必然だ。シロエはそう考える。
 しかし、アキバの街の変化には、シロエの意思が影響している。影響があってこの速度で変化をしたのだ。となれば、他の都市の変化にもまた「誰か」の意志が影響を与えているのだろうか? その意志を考えると、シロエは腹の底が重くなるのを感じるのだ。

 最も変化が少なかったのはシブヤだろう。
 シブヤはそもそも、5つのプレイヤータウンの中でも特殊な位置づけだった。

 端的に言えば、シブヤの街は、アキバの街に集中したプレイヤーを分散させる目的のために作られた最後発の都市なのだ。分散計画として都市間移動システム「ゲート」を十二分に意識したシブヤの街は、ゲートが死亡している現在都市機能がほとんど麻痺している。
 そのため、シブヤを根城にしていた〈冒険者〉はほぼ全てアキバの街へと合流した形だ。シブヤの街は現在、少数の〈冒険者〉が自由に使う、アキバの街の郊外別荘地のような扱いの場所になっている。

 ススキノの街の変化は、ある意味シロエが予感していた通りだった。〈大災害〉直後の治安悪化から、ススキノはとうとう立ち上がる事がなかった。むしろ、その治安悪化を糧に、無法の都市となっていたのだ。ススキノの街にいた離脱を希望する冒険者は、この数ヶ月の間にほとんど全員が脱出を済ませていた。
 セララのように高速で逃げ出すのでなければ、中堅レベルの〈冒険者〉の集団であっても何とか身を隠し逃げ出す事は出来たのだ。もちろん〈円卓会議〉が編成した遠征班のフォローがあったのも事実である。

 しかし、プレイヤータウンとしては立ちゆかなくなるかと思われたススキノは、いま現在でも未だ200人以上の〈冒険者〉を抱えている。彼らは取り残されたわけではない。自ら意思してススキノの街という環境を選んだのだ。それどころか、アキバの街やミナミからも、わざわざ望んでススキノの街へ移住した〈冒険者〉も少数ながら存在した。

 現実化してしまった〈エルダー・テイル〉の異世界において、「無法」というのは一定のニーズがあるらしい。ススキノの街は、〈冒険者〉が数多い〈大地人〉を支配する街となっているという……。

 シロエは、そこに邪悪を感じなかった。いや、感じなかったと云えば、嘘になるが、それは大きくはなかった。むしろシロエは、ただ怖かった。

 シロエが〈大地人〉の人権を〈円卓会議〉で叫んだのは、大きく二つの理由による。

 一つは明確に生存するための手法としてだ。この世界には〈冒険者〉に十倍する〈大地人〉が存在する。ほとんどの消費アイテムの基礎は〈大地人〉が作り出しているのだ。その〈大地人〉を殺したり支配するような方法をとっていれば、いずれ軋轢が高まり、〈大地人〉との間に争いが起こる。その勝敗がどうなったとしても、大きな傷跡が残るに決まっている。〈大地人〉の人権を守るのは、自分たちの権利を守る手段だったのだ。それはヒューマニズム等ではなくて、功利的な計算だった。

 もう一つは、恐怖だ。
 シロエはススキノの街から帰る途中にたちよった〈大地人〉の村を今でも良く覚えている。あの村で、シロエは〈大地人〉が人間であると始めて感じたのだった。その暖かさや生い立ちや人格や意思を感じて、相手を始めて「人間」として見た。
 現代地球の標準的な教育を受けたシロエにとって、知性ある他人を「奴隷」にすると云うのは、恐怖だった。それはタブーでありすぎるために、正義や悪や道徳といった理屈を飛び越えて、直接的に恐怖と結びついているのだ。もちろん自分が奴隷になるのも恐怖だったが、自分が奴隷を持つ、使役するという考えにすら生理的な恐怖感が存在した。
 シロエがススキノに感じている、薄ら寒さは、それと根を同じにする物だった。

 しかし、それはそれで考えるのが嫌になる問題ではあるが、〈冒険者〉それ自体の人数はススキノ全部で数百人しかいない。その規模の小ささは、まだ、救いがある。

(むしろ、こっちだよな……)

 ミナミは……。
 シロエの予想をはるかに超える事態に、はるかに超える速度で突き進んでいた。



 ◆



「主君。服を持ってきたぞ」
 器用にドアを背中で押し開けて入って来たのは、アカツキだった。

(相変わらずこいつの主従感覚ってのは判らないな)

 そう思いながらも、シロエは部屋の片側にしつらえられたテーブルへと移動する。シロエの部屋は20畳くらいの広い空間だった。もとより大きさだけはたっぷりしたビルだったのだ。何度かの間仕切り移動の結果、今では2階の東側1/3近くがシロエの占有スペースと云う事に落ち着いていた。
 元の地球であれば、パソコン一台はおろか携帯デバイスに収まる程度の情報量であっても、この異世界では幾つもの書架とテーブルを埋め尽くす書類となってしまう。検索にしろ整理にしろ効率は良くないのだが、そうでもしないと、目の前の事態を交通整理することさえ出来ない。

「顔色が悪いぞ?」
 アカツキが下からのぞき込んでくると、シロエはやはりびっくりしてしまう。この小柄な美少女は、自分が美少女だという自覚に欠けている。視線を逸らさずに見つめてくるから、その磨いたように黒く大きな瞳もゼリーのように艶やかに光る唇も、いつでも正面から目撃してしまい、シロエはきまりの悪いドキドキした気持ちになってしまうのだった。

(それに、こいつ最近なぁ……)

 もとからその兆候はあったのだが、最近のアカツキは、間合いに入ってくるのが上手すぎるのだ。それはアカツキが小柄だからなのか、それとも《追跡者》や|《暗殺者》〈アサシン〉による身のこなしスキルのせいなのかは判らないが、シロエがふと意識を逸らした隙や、呼吸の間隙を縫って、驚くほど近くに存在したりする。

 手を伸ばす必要すらなく、ちょっと身を屈めただけで体温を伝えられてしまうような距離だ。シロエとしてはその距離感に居心地が悪い事が多いのだが、アカツキの方は一向に気に掛けていないらしく、小動物じみた生真面目さでシロエの心配をしている。

「そんな事無いよ」
「そうか」

 アカツキはこだわることなく返事をすると、ぱたぱたとソファーの上に服を並べ始める。見覚えの無い服だとシロエが首をかしげていると、アカツキはくるりと振り返った。

「届け物だ。〈円卓会議〉から」
「会議から?」
 手渡された手紙は確かに〈円卓会議〉からのモノで、読んでみれば、縫製系生産ギルドから試作品の提供、と云うことらしい。

 アカツキはシロエのことは放置して、グラスに黒薔薇茶を注ぎ始めた。〈マジック・バッグ〉から取り出したのは、今日のおやつであんパンらしい。小麦の流通量が多いこのヤマトでは、パンは比較的よく食べられる食料だ。もちろん米もあるが、パンは焼いたあとの保存性で米に勝る。最近では、調理研究が進んで、様々なパンが市場に現れ始めた。新しいアイデアのパンは値段が高いが、しばらくして量産が進むようになると安くなってゆく。人々の習性が変わらない以上、この世界でも、商売におけるそういった現象は同じだ。
 飾り気のないこのあんパンは、随分値段がこなれてきたが、おやつにするには、まだ高い。アカツキは、そのあんパンを左手に持ったまま、シロエの方に小皿ごと残りの1個を差し出す。

「いいの?」
「奢りだ。食べて欲しい」
 アカツキは言葉少なく答えた。シロエとしては、なかなかに反応に困る勧めである。

 と云うのも、シロエは〈円卓会議〉の事務作業などが多くて、最近フィールドに出れていないのだ。ミノリやトウヤ達を鍛えるためにフィールドに出ているアカツキの方が、小銭は稼いでいるという現実がある。だから、あんパンを買ってくるアカツキの懐具合に心配があるわけではないのだが、といってシロエはギルドマスターだし、何を言うにも年頃の男性として、小さな女の子(見た目はそうだ)に奢らせるというのは、くすぐったくて居心地が悪い。

 自分でもみみっちいプライドだなぁ、とは感じるのだが、気持ちの問題なので、その抵抗感はいかんともしがたい。とはいえ変に見栄を張るのもかえって格好が付かないだろう。シロエは感謝をしてあんパンを受け取った。
 それを見たアカツキも自分の分のパンをほおばる。低いローソファーに並んで座った二人は足を放り出すようにして、あんこの甘みを楽しんだ。

「主君、手紙は何だ?」
「あー。試供品の提供と、ほら。明日からの」
「ああ」
 アカツキは納得して頷く。

 10月。空気はひんやりとして、一雨ごとに寒くなる季節ではあるが、アキバの街の熱気はまださめやらない。むしろ、〈自由都市同盟イースタル〉との関係が正常化し、商業的な交流が増えたことにより、多くの生産系ギルドは今までにない好景気を迎えている。
 食材や調理、家事、服飾、機械、薬剤、有機素材、あらゆる分類のアイテムが凄まじい勢いで輸入されては輸出されてゆくのだ。いま現在で云えば、アキバの街は加工輸出の街である。食材や鉱石などの一次生産物は、もちろん〈冒険者〉が採取してくることも出来るが、〈大地人〉から購入した方が容易く大量に手に入れることが出来るからだ。

 〈大地人〉達、特に貴族や商人たちは、〈冒険者〉が作り出す高品質のアイテムを希求しているし、その秘密を何とか手に入れようと目を皿のようにしているために、様々な取引が活発なのだ。
 生産者ギルドが活発になれば、戦闘系ギルドもその波及効果を受ける。特に先月から始まった「〈妖精の輪〉(フェアリーリング)解明プロジェクト」によって大量のクエスト依頼がなされてからは、目に見えて外へと向かうパーティーが増えていた。

 そういった状況の中で、降って湧いたかのように持ち上がった話題が『秋祭り』の企画だった。もともと〈エルダー・テイル〉であった時代であっても、公式サイドが企画したわけでもない、ユーザーによる非公式なイベントは多数開かれていた。それらは、小さな物は数人が集まった宴会のようなモノから、街やサーバーを巻き込んだ巨大なイベントまで数多くあったが、もちろん〈大災害〉以降この種のイベント開催は初めてだ。

 〈大災害〉がおきてから、サバイバルや度重なる事件によって、この異世界に放逐された〈冒険者〉は心の安まる暇もなかった。しかし、すでに5ヶ月が経ち、それなりに安定した生活基盤が出来つつある今、こんなイベントの要望も出たのだろうと、シロエは理解している。

 最も、シロエ自身ここのところ事務作業に忙殺されていたから『秋祭り』の件は、そこまで詳しいわけでもない。大食い大会があるというのと、ファッションショーがあると聞くばかりだ。

「主君は、そのぅ……」
「?」
「祭りはどうするのだ?」
「へ?」
 シロエはそう聞かれても困ってしまう。
 首をかしげてみれば思い出すが、そう云えば〈円卓会議〉も協賛をしているはずだ。何らかの挨拶や式典参加はあったように思う。シロエも11ギルドマスターの一人として、何かの役職の一つや二つは割り当てられている公算が大きい。

「どっかで挨拶はするような気がするなぁ」
「そうか。……そうじゃなくてだな」
「?」

「シロエさんっ」
 そこに飛び込んできたのはミノリだった。ミノリは両手の中に大事そうに茶色い紙包みを抱えていたが、戸口のところでアカツキに気が付くとたたらを踏んで立ち止まる。
 口ごもるミノリは、最近好んで身につけている、空色のブラウスに、デニムのスカート姿だ。街中ではこんな格好でいることが多い少女は、問いかけるようなシロエの視線に答えるように、何度か躊躇ったあとに口を開く。

「シロエさん。あの、明日の秋祭りなんですけど。一緒にでませんか?」
「でる?」
「じゃなかった、食べませんか?」
 ミノリが差し出してきたチラシには、鮮やかな色で『ケーキバイキング』と書かれている。制限時間は45分。20組のうち上位2チームが本戦出場――。シロエは訳が判らない。説明を求めようと、アカツキの方へと振りかえると、そのアカツキも、妙に生真面目な表情で、胸の前に同じく『ケーキバイキング』と書かれたチラシを構えているのだった。

「シロエさん。甘い物嫌いじゃないですよね?」
「うん、嫌いじゃないな」
「あんパンを食べる様子から、それは察している」
 適度な甘さなら比較的好きな味である。

「主君。出よう。これは男女で出場すれば何と無料だ」
「シロエさん。出ませんか。無料ですよ? 無料っ」
 チラシを見る限り、異性同伴――つまりカップルが出場条件であり、合計で8つ以上食べれば無料。さらに上位2チームは本戦へと駒を進められるらしい。

(4つか……)

 所詮はケーキである。その程度なら余裕だろう。だがしかし、二人の熱意にはただならないものを感じる。気のせいかも知れないが、アカツキもミノリもお互いを意識しているようにも見えるわけで、シロエとしてはその点が気に掛かる。だが、面と向かって尋ねるのも躊躇われるのはなぜだろう。

(あー。そういえば昔から……)

 そう、昔からそうだ。考えてみれば〈放蕩者の茶会〉でもそうだった。我が儘を言い出すのは決まって女性プレイヤーであり、その筆頭が〈彼女〉だったと云える。シロエはそこまで考えると、心中で深いため息をついた。もし、全ての女性がああいう存在だとすれば(そしてその可能性は限りなく高いわけだが)、ここで逆らうのは余り得策ではないだろう。

「如何でしょう……? シロエさん」
「主君、主君っ」

 シロエとしては、ねだるように詰め寄ってくる二人の少女に白旗を揚げるしかなかったのだった。



 ◆



 着心地のよいフランネルのパジャマのままソファに沈み込んだレイネシアは、ライスボールを口に運んでいる。おにぎりと通称されるこの食料は、アキバの街で販売されている、比較的よく見かけるテイクアウトの軽食である。

(うわぁ。これは落ち着きますねぇ……)

 久しぶりの休暇。
 その甘美さに心底浸りながらも、レイネシアはここ最近の激務を思い出すと、女性らしいしなやかな身体をぶるぶると震わせる。ずっしりと重いため息を吐き出して、レイネシアは肩を落とした。そう、だまされたのだ。クラスティに。

 三食昼寝付きだなんて甘言に乗ってしまった自分のうかつさが悔やまれる。

 ちょっと考えてみれば判るではないか。
 〈冒険者〉は現在、この世界における情勢の鍵を握っているといってもよい存在だ。レイネシアの祖父がとりまとめを勤める〈自由都市同盟イースタル〉の各領主たちもそれを知っていて、軍事的、あるいは政治的に彼らを取り込もう、利用しようとしていたではないか。そもそもその都合のよさに腹が立ったことも、領主会議に啖呵を切ってしまうきっかけのひとつだったのだ。

 あのときは、自分の故郷を守りたくて、かといって〈冒険者〉に対して礼を失した都合のよい願いも押し付けたくなくて、必死だった。
 それは、ある意味報われたといえる。クラスティをはじめとした〈円卓会議〉の好意や〈冒険者〉の義侠心に支えられ、レイネシアの故郷マイハマの都も〈自由都市同盟イースタル〉も救われたのだ。

 しかし、こうしてゴブリン襲撃事件が収束すれば、事態は以前の状態に戻ってしまう。いいや、どちらかといえば、〈冒険者〉がその実力を領主たちに示したことにより、よりはっきりとした展開になってしまったといえるだろう。
 〈冒険者〉は、その戦闘能力だけではなくて、技術力や経済力、団結力なども、〈自由都市同盟〉に示してしまったのだ。もちろん、軍事的な実力をも示した以上、アキバの街を占領しようなど云う領主はいなくなっただろうが、どうにか友誼を得よう、〈冒険者〉と結託して甘い汁を吸おうという領主は爆発的に増えるはずだ。

 いや、実際、この1ヶ月でそんな例をうんざりするほど、レイネシアは見てきた。レイネシアは、祖父から言われてアキバの街に赴任中という……いわば謹慎と武者修行の中間のような立場にあるわけだが、同時に〈自由都市同盟イースタル〉最初の「アキバの街に赴任した交渉責任者」でもある。

 〈円卓会議〉からの要請を受けて式典などに参加することも多いし、貴族令嬢として舞踏会……的な集まりに招かれることもある。こういった集まりについては、生まれてこの方長い間仕込まれてきた、淑女教育のおかげでどうと言うことはない(それでももちろん面倒くさい)のだが、問題はそれ以外だ。

 たとえば、商業を中心的な生業とする家門、〈冒険者〉の言葉で言う〈生産系ギルド〉の重鎮に尋ねられ、商売上のアドバイスを頼まれる。その逆に、〈自由都市同盟イースタル〉の豪商や貴族から、アキバの街の有力者に紹介して欲しいと頼まれる。
 こういった依頼は、内容をよく吟味して紹介やアドバイスを考えないと、信用を失墜させたり、時にとんでもないトラブルを呼び込むことになりかねない。

 もちろんすべて断ってしまえば、失敗することもないのだが、貴族の社交界を考えるととてもではないが断れないような「お願い」もあったりする。いくらヤマト東北部最大勢力を誇る公爵家の娘とはいえ、当主ではなくただの孫娘である。通せるわがままと、通せないわがままがあるのだ。

 またその一方で、〈冒険者〉のほうは、彼女があきれるくらいに謀略的な言動をしなかった。彼らにとっては、彼女がヤマトに二つしかない公爵家の直系であるということは、興味と礼節の対象ではあっても、ことさら膝を屈しなければならないような権威でもなければ、取り入らなければならない利権だとも思われていないようだった。
 彼らは〈大地人〉である彼女に、〈大地人〉としての見解や人のつながりを尋ねにきたのであって、彼女を利用しようという気持ちが薄かった。

 それは、おそらく〈冒険者〉である自分たちは強く、レイネシアはたとえ『貴族』であったとしても――所詮〈大地人〉なのだと思われているのだろうと、彼女は感じる。

 そのことがレイネシアにしてみれば、悔しい。
 もちろん貴族扱いされず、一人の人間として認めてもらえるのは嬉しいが、その嬉しさとこの悔しさは表裏一体なのだ。
 ただの〈大地人〉として嬉しく、そして悔しかった。

(でもですねぇ~)

 そんな気持ちも、もはやこうなってみると、罠だったように思える。

 貴族の付き合いや面子やしがらみを満たすためには、〈冒険者〉やアキバの街について学ばなければならなかった。彼女が言うのも何なのだが、〈大地人〉の、特に貴族や実力者というものは、〈冒険者〉について本当に何も知らないのだ。下手に言葉が通じて、同じような見掛けをしているものだから、判ったようなつもりになってしまうが、生活習慣や文化には大きな隔たりがあった。取引や協力をするに当たって最低限わかっていなければ衝突してしまうような状況は無数にある。
 貴族や豪商に対して、そういった耳に痛いアドバイス抜きで、ただ〈冒険者〉や〈生産系ギルド〉を紹介すれば、いずれ大問題が起きることは必至だった。

 一方で、〈冒険者〉たちの質問はレイネシアを暗澹たる気持ちにさせた。〈冒険者〉というのはいたって現実的な人種で、彼らが求めているのは実際的な知識であることが多い。〈冒険者〉はその一人ひとりにいたるまで高い教育を受けているし聡明だ。彼らと話していると、自分が自分たちの国や生活について、何も知らないことに気づかされる。
 軍人ではないから、文官ではないから、男ではないから……。
 レイネシアは今までさまざまな理由で、公爵家の表向きの政務からは遠ざけられてきたし、それを当たり前だと思っていた。しかし、〈冒険者〉たちと話していると、政治のことはおろか、街の人々や農夫たちが何を食べているか、どんな家に住んでいるのか、何を喜び何に悲しんでいるのかも知ってはいないのだった。

 そんなわけで、貴族や〈冒険者〉の願いにまじめに答えようとすれば、それは膨大な量の知識や調査を必要とすることになり、三食昼寝つきだなどという言葉は、どこを探しても見当たらないほどの激務の連続ということになってしまうのだった。

「うわぁぁ……。本当に際限ありません」

 最悪なのは、こういった学習に「上限」がないという事実だった。何か優れたアイデアやアドバイス、組み合わせを考え付いたとしても、それが「最上」である保証なんて、誰もしてくれないのだ。
 もう少し考えれば、あるいはもう少し調べれば、もっと良いアイデアがあるかもしれない。もしくは、もうちょっとだけ注意深く企画すれば、最悪のトラブルを防げるかもしれない。そういう疑念が四六時中頭の片隅にあり、レイネシア自身が認める「ぐうたら性格」をもってしても、手抜きをさせなかったのだ。

 本当にへとへとになるまで根をつめて書類をひっくり返し、熱を出して倒れたときは、さすがにエリッサにお説教をされてしまった。しかし、まぁ、そのお説教がどうなってかはわからないが、こうして三日間の休養をもらったのだから良しとすべきだろう。

「最高……。おにぎり、おいひぃ……」

 レイネシアはのろのろとした動きでライスボールにかぶりつく。これは彼女がお気に入りの、タラコが入ったものだ。野菜の塩漬けや酢漬けが入ったものもあるが、彼女としては海産物のライスボールには高い評価を与えるべきだと結論している。

 小魚と大豆のスープでライスボールを食べるのは、なんとも落ち着く食事である。もちろん、革命以降の食事は、味わいという意味では以前と比べるべくもない。いまとなっては、革命以前の灰色の食生活など思い出せないほどである。
 しかし、こうして食べる質素な食事には、いわく云いがたい幸せの実感とでも言うものがある。会食会で食べる仰々しいコースよりも、ずっと美味しいのだ。

「あ゛~。幸せです。もうドレスなんてなくなればいいのに。ずーっとパジャマで過ごしたい。……食事は全部ライスボールで良いですよ、もう。ライスボールと、キュウリと、味噌スープで十分です。わたくし……」
 熱いスープを飲む。ライスボールを食べる。付け合せのきゅうりを食べる。最高だ。とくにこんな秋の巣ごもりのような自室で、自堕落な格好で食事をするなどという贅沢がほかにあるだろうか? ありえないとレイネシアは断言できる。

「エリッサ。エリッサ。お茶をお願いしますわぁ」
 ソファに猫背で腰をかけたままのレイネシアは口の中でもぐもぐと、おつきのメイドにお茶を要求する。

 「イースタルの冬バラ」と呼ばれたみずみずしい美貌はそのままに少し寝癖の付いた眠そうな表情だし、誰もがうらやむ伸びやかですらりとしたスタイルは、厚手のパジャマに包まれて多少子供っぽい雰囲気になっている。
 口うるさいメイドに言わせれば「言語道断な服装と態度」ではあるのだが、なんといっても三日間の休養なのだ。この機を逃してなるものか、とレイネシアは決意している。

 今までサボれなかった分、存分にサボるのだ。
 それもこれも、あの悟りの化け物〈脳喰らい〉のクラスティが悪い。あの細目のうそつき騎士にだまされてこんな羽目になっているのだ。

 ことりと置かれたお茶を受け取り、熱い湯気を頬に感じながらすすりこむと、本当に実感する。身体中の関節がじわーっと甘くしびれていくようだ。たっぷりと睡眠をとった直後独特のしみじみとした充実感である。
 ここ最近、睡眠時間も減少一方だったのだ。あれはひどい虐待だったとしか言いようがない。

「まったく。あのいじわる妖怪のせいですよ。こんなに忙しくなるなんて。……こんど一度は本来の力関係というものを思い知らせてやらないといけません」
 お茶をすすりこんで、ほうっと吐息をつくレイネシアに、あってはならない声がかけられたのはこの時だった。

「十分理解しているのでご教示は結構ですよ」
 レイネシア右手のソファに腰をかけたクラスティは、けろりとした表情で、レイネシアに言葉を返す。
 街歩き用のチュニックは諧調の違う何色かの枯れ葉色で染められている。黒い縁取りをつけられた上着とあいまって、秋らしい装いのクラスティは、まるで身支度を整えたばかりのようにこざっぱりとした印象だった。
 この巨漢といってもよいほどの上背を誇る冷酷騎士は、確かに上背はあるのだが、手足も長い上に均整の取れた肉付きをしているために、街中で普通の服を着ている限り、そこまで「巨大」だという印象を与えない。むしろ横顔などは、学者か研究者に見えるほど、ほっそりしている。おまけにいつでもこざっぱりとした清潔感のある装いをしていて、隙というものがない。まったくない。探しても見当たらないのだ。

 戦場ではあんなにも禍々しい気配を放って巨人にさえ見えていた戦士が、街中では物静かに見えるなんて反則である。
 こんなタイミングで出現されたレイネシアは口をぱくぱくさせて抗議をする。

「あ。あっ。ああっ」
「叫んでも暴れてもいいですが、これは置いたほうがよろしいと思いますよ」
 クラスティは静かに言うと、わなわなと震えるレイネシアの手元から、陶製のカップを受け取った。その落ち着いた態度に、レイネシアの脳内は一気に沸騰し、まともな思考が出来なくなる。

「なっ、なっ!!」
 会議はまとまらない。なんでここにいるのか? 誰に許しを得たのか? レディの寝室(執務室でもあるので微妙だが)に踏み込むとは何事か? そんな腹立ち紛れの詰問が浮かぶのだが、この際、それらは後まわしである。

 レイネシアは這うように逃げ出すと、ソファのすぐ後ろにある天蓋付きのベッドから毛布を引っぺがす。貴族である彼女は、もちろんマイハマにいくつもの私室を持っている。貴族文化で云えば、寝室が居室を兼ねるということはありえない。しかし、ここは彼女が派遣されてきた、新設の公邸だったし、部屋数もさほど多くない。引きこもり的生活を切望していた彼女はわがままを言って、ひとつの部屋に天蓋付きベッドとソファーセット、公務を行うための書類机や着替え用のクローゼットなどを詰め込んでもらったのだ(もちろん、その意図は仕事をサボってごろごろするためだ)。

 今回はそれが幸いした。
 ソファから逃げ出した先にはベッドがあり、彼女がお気に入りにしている新作の毛布がある。それを頭からかぶって、まずは防御を固めるというのが、彼女の選択した戦術だった。

「い、いったい何」
「時間で云えば、もう10時になろうかと」
「どうやっ」
「エリッサさんが普通に通してくれましたが」
「なっなっ何で」
「休養と聞いたので嫌がらせをしに」

 レイネシアは絶句する。
 嫌がらせといった。このしれっとした妖怪はこともあろうに嫌がらせと言い切った!

「…… あ」
「嫌がらせなんですかっ!?」
「失礼しました。周囲に貴族の聞き耳がないので、うっかり云い違えました。忙しく仕事をこなしておられたレイネシア姫の、陣中見舞い。いわば激励に来ただけです」
 口元にレイネシアに供されたものと同じお茶を運びながら、クラスティは穏やかな声でそんな言葉を接ぐ。どこからどこまでも嘘で塗り固めた、まるで信用できない言葉だ。

 レイネシアの方はといえば、天蓋付きベッドの中で毛布をかぶって抗戦の構えだ。これはアナグマの攻撃態勢……というか、巣を防御する習性を参考にした姿勢であり、絶対不屈の意思を表すものである。――少なくともレイネシアの心意気としては、その表現だ。
 もしクラスティがこれ以上何かを云ったり近寄ってくるのならば、さらに布団をかぶって外界を遮断。たとえ夜になっても断固としてベッドに篭城し無視をするつもりである。
 せっかくの休暇なのだ。この上、仕事を押し付けられたり面倒事に巻き込まれるのは、なんとしてでも避けなければならない。

 だが、クラスティの押し付けてくる(一見たやすい仕事に見せかけた)無理難題は、レイネシアの予想に反していつまでたってもやってこなかった。クラスティは静かにお茶を飲むだけだ。

 部屋の中に、ゆっくりとした時間が流れる。
 〈冒険者〉から購入したお気に入りの毛布は、マイハマで使っていたそれよりもはるかに軽く、滑らかな肌触りで、小雨の降る秋の部屋の中で、レイネシアをくるみこんで忠実だ。

(何を考えてるんですか。この妖怪は……)

 そんな風に考えている間も、じわじわと時間は流れてゆく。あくびを溶かし込んだような空気はまどろみをつれてやってくる。街の音を遮断するような雨の背景も、柱時計の単調な音も、まるで眠りを誘う凶悪な魔術のようだ。

 レイネシアとしては、一日中惰眠をむさぼるのは予定のうちである。それに関しては望むところ、ではあるのだが、クラスティだけが問題だ。

 毛布の隙間からソファのほうを覗くと、そのクラスティはカップをソファーテーブルにおいて、秋の雨にぬれた街を窓から眺めているようだった。

 秀麗な横顔だ。ゴブリンと戦った悪鬼羅刹のような殺気を、今のクラスティからうかがうことは出来ない。

(考えてみれば、この方は妖怪ですから、何でもばれているんですよね)

 レイネシアは毛布の中でもぞもぞと居心地のよい姿勢を探した。布団のくぼみに身体が包まれて、肺の中の空気さえも落ち着いて楽になる。

(それじゃぁ、だらしないところ見られたって仕方ありません。そもそも、勝手に入ってきたこの人が悪いのに、何で私が遠慮しなければならないんですか。……理不尽ですよね、それ)

 少しだけ。
 ちょっと目を瞑るだけ。
 そんな風に言い訳をして、レイネシアはまどろみの中に沈んでいった。
 肩をすくめたクラスティは、何も云わず、長い間ソファーに座ったまま、穏やかに茶を楽しんでいた。


5巻開始です。
うわ、まだ準備も書き溜めも不十分なのに始めてしまいました。
一応月内という話だったので!
生温かく見ていて下さいませ。
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