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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第二章 ホーロウ中年
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ホーロウ中年

 八月十三日。

 夏休みはもうすでに折り返している。

 宿題は当然終わっていない。昨日の勉強会でそれなりに進んだとは思うけど、これからが勝負だ。どれだけ怠けずに続けられるのかは分からないけれど、日に日に焦っていくという事は分かっている。

 でも、青春時代の大切な夏休みにこれだけ多くの宿題を出すのは少しおかしいと思うな。

 勉強も大切だけど、それ以上に思い出を作ることが大切なんじゃないかな。

 ……でも、もう宿題を終わらせている人もいるし、僕がバカなのが悪いのかな……。

 昨日のみんなの様子を見ると、なんだかんだで雛ちゃんもほとんど終わっていたし、三田さんももう終わりそうだった。楠さんはすでに終わっていて、「偶然居合わせたついでに教えてあげる」といって僕に勉強を教えてくれた。恥ずかしくて頭に入ってこなかったけど。

 その時に聞いたのだけど、三田さんが強盗に襲われた情けない僕のことを知っていたのは、楠さんが女子に連絡網を回してくれたおかげだったらしい。なんでそんなことをしてくれたのかを聞いてみたら、「夏休み明けヒーローになれるんじゃない?」と答えてくれた。どうやらクラス全員から冷たい目で見られている僕を気遣ってくれたらしかった。本当に、ありがとう。

 宿題と言えば、小嶋君。

 昨日の晩に小嶋君から電話がかかってきて、宿題のことを聞いてみたらまさかのノータッチ。見せてあげようかと言ったら移す時間すらもったいないとのこと。男らしすぎて少しだけ惚れ惚れしてしまった。でも、すごく僕の良心が痛んでるよ……。僕がアニメなんかを紹介しなければ……。

 はぁ。

 過ぎたことを悔やむのはやめよう。これがマイナスに作用するとは限らないんだから。

 強盗に襲われた関連で言えば、お姉ちゃんのことだ。

 あの時自分のせいだと落ち込んでいたお姉ちゃんはもう完全にいつも通りの姿になっており、昨日は久しぶりにぺたぺたと引っ付いてきてくれた。鬱陶しいとは思ったけれど、懐かしい感じがしたので僕は抵抗しなかった。お姉ちゃんと仲直りで来て嬉しいな。祈君と共に文化祭にも来てくれるみたいだし、これでJNO(女子高生が握るおはぎ)喫茶は無事に開くことが出来るね。よかった。喫茶店の内容は全くよくないけど。

 そう言うわけで、今日の朝はなんだか気分がいい。

 小躍りの一つでも繰り広げたいけれど暑さで頭がやられたとは思われたくないのでやめておこう。


「今日も暑いなぁ」


 カーテンを開けて空を眺める。

 いつもよりも青空が澄んでいるようだ。

 あ、しまった。昨日みんなに星を見に行こうと誘うのを忘れていた。でも、そんなにあわてなくてもいいよね。夏休みはまだ終わっていないのだから。

 僕は清々しい気分で一階へ下りた。

 お盆休みのおかげでみんなが家にいる。そのおかげで清々しい気持ちがもっと清々しくなった。


「おはよう」


 みんなが挨拶を返してくれる。


「兄ちゃん、なんだかいい顔してるね」


「そうかな?」


 嬉しさが顔に出るなんて、僕はなんて分かりやすいのだろう。


「よかったね、姉ちゃんと仲直りできて。俺も嬉しい」


「うん。本当によかった。とっても、嬉しいよ」


「やっぱり姉ちゃんと兄ちゃんは気持ちの悪いくらい仲が良くなくちゃ」


「気持ちの悪いくらいって……。祈君は、お姉ちゃんとぺたぺたしないの?」


「しないよ。なんだか兄ちゃんを巡ってのライバルと思われてるし」


「僕を巡っての……」


 僕は誰のものでもないのに。


「僕は、二人にも仲良くしてもらいたいな」


「別に仲が悪いわけじゃないよ」


「そうなの?」


「そうだよ」


 本当は、僕も分かっていたけどね。

 すごい二人が、仲悪いわけないもん。

 祈君が先ほどまで見ていたテレビに視線を戻した。

 僕は朝食の置かれたテーブルにつき、耳でニュースを聞く。先ほどまで意識していなかったニュースを脳が理解し始める。


『――町で起きた殺人事件の犯人が、十二日深夜に出頭――』


 驚いたように声を上げる祈君。


「あ、隣町で起きた殺人事件の犯人捕まったんだ」


 それはいいニュースだ。良い事っていうのは続くんだ。

 僕はフッとテレビに視線をやった。

 そこに映し出されていたのは犯人の顔。

 僕は手に持っていたパンを荒々しくお皿に置いて席を立ち、祈君の目の前にあったリモコンに飛びつき慌てて電源を切った。


「……」


「……どうしたの兄ちゃん」


 突然の僕の奇行にみんなが驚き僕を見つめていた。

 みっともない姿勢で電源を切ったので僕は立ち上がり姿勢を正す。


「……あっ、その、テレビの、チャンネル、変えようと思って、間違えて……」


「そ、そうなんだ。兄ちゃん、顔真っ青だけど、どうしたの?」


「別に、僕は普通だよ」


 リモコンを出来るだけみんなから遠くに置いて、僕は言った。


「ちょっと、食欲が無いから、その、僕、あ、着替えてくるから、ご飯は、置いておいて」


「に、兄ちゃん? 落ち着いて」


「……僕は落ち着いてるよ」


 何も理解できないけれど。


「その、僕、ちょっと二階へ行ってくるけど、何も心配はいらないから」


「そう……?」


 僕は、誰かがテレビをつけ直す前に急いで自室へ引っ込んだ。

 自室へ戻った僕は狂ったようにアニメのDVDをプレイヤーにセットして再生をした。

 震える手を抑え込み、動く絵を凝視した。

 そして、アニメを見始めてすぐに玄関の開く音と、どたどたと階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。その音はそのまま僕の部屋の扉を蹴り飛ばすように開けた。


「優大!」


 そこに立っていたのは雛ちゃんだった。


「優大! お前、テレビ見たか?!」


「……見てないよ」


「なら早く見ろ!」


 雛ちゃんが床に視線を滑らせリモコンを探す。そんなことをしても、リモコンは僕が持っている。


「あ! 優大! それ貸せ!」


 雛ちゃんが僕の手からリモコンを奪おうとする。しかし僕はさっと後ろに隠して雛ちゃんにそれを渡さなかった。


「ゆーた! リモコンよこせ!」


「駄目だよ。僕は今、アニメを見ているんだから。雛ちゃんも、一緒に見よう」


「んなもん今はどうでもいいからニュース見ろ! あの――」


「雛ちゃん!」


 それ以上は言わせなかった。


「……雛ちゃん、僕は、これが見たい……」


 僕は雛ちゃんを見上げた。

 雛ちゃんは僕が上げた大声に悲しそうな顔をしていた。


「……怒るなよ。私は、さっきニュース見て――……。……――優大、お前、泣いてんのか?」


 僕の目を見て、悲しそうな顔から居た堪れないような表情になる。


「……その、感動するアニメだから……」


 このアニメは最後には涙が必要になるアニメだから。だから僕は泣いているんだ。


「そっか。……アニメ見るか」


 雛ちゃんが僕の隣に座ってくれた。僕に寄り添うように座ってくれた。

 そして、僕に言う。


「優大。なんで泣いてるのかは知らねえけど、私がついてるからな」


 視界の隅で、雛ちゃんが僕の顔をじっと見ていた。

 僕は涙を拭いて雛ちゃんの方を向いた。


「僕、泣いてないよ」


「泣いてないな。泣くことはねえもんな」


「うん。何もなかったから」


「そっか。そうだな。……なあ、優大……。私が……ついてるからな。私なら、慰めてやれるからな……」


「僕は、何も悲しんでなんかいないよ。何も見ていないから」


「優大」


 雛ちゃんが僕の顔を両手で包み込んでくれる。

 じっと見つめ合う僕ら。


「お前が、何を悲しんでいるかは知らねえけど、それはいらねえ感情だ。間違いとは思わないけど、持つべき感情じゃないんだ。なあ優大。忘れろとは言えないけど、深くは考えるなよ」


「うん」


「……優大……。私は、側にいるからな」


 そして、ゆっくりと僕に顔を寄せてきた。吐息がかかる距離。雛ちゃんの目はじっと僕を見つめていて、僕は、何の抵抗もせずに、それを待ち、そして、そのまま、


「キス魔は有野さんじゃない」


 楠さんが登場した。


「は?!」


 雛ちゃんがばばっと声の方を見る。

 僕もゆっくりとそちらを見る。

 楠さんが開け放たれた窓に頬杖をついて面白くなさそうに僕らを眺めていた。


「な、なんてところから入ろうとしてるんだてめえは!」


 初めてここへ来た時と同じように屋根からだ。


「別にいいでしょ。お邪魔します佐藤君」


 土足で僕のベッドに上がる楠さん。


「お前靴脱げよ!」


「これは失礼。でも佐藤君は地べたに寝るような子だし多少汚れててもいいでしょ」


「何言ってんだお前! いいから帰れよ!」


「帰りません」


 ベッドの上で靴を脱いで屋根の上に靴を置いたあとベッドから降りてきた。


「こんなアニメなんかよりも面白いものが見れるよ。佐藤君リモコンかして」


 雛ちゃんと同じようにリモコンを探す楠さん。でも僕はアニメが見たいんだ。


「……今、いいところだから」


「いいからリモコンをよこしなさい」


 キッと睨み付けてくるけれど、僕はリモコンを渡さない。


「楽しいニュース見たくないの?」


「見たくない」


「現実を見たくないの?」


「見たくない」


 楠さんが一瞬驚いた顔をして、すぐにいつもの顔に戻し続けた。


「有野さんとキスしたくないの?」


「……えっ、それは、その……」


「したくないって言ってよね。面白くない」


 楠さんが雛ちゃんと同じように僕の隣に座ってきた。二人に挟まれる僕。

 僕を挟んで始まる言い合い。


「おい若菜。お前帰れよ」


「痴女野さんが帰れば?」


「痴女野って誰だよ。不法侵入者には言われたくねえよ。つーか、普通に玄関からこいよ」


「だってお姉さんに会うのが嫌だったんだもん。面倒くさいから」


「まあ、そうかもしれねえけど、お前のしてることは泥棒と同じじゃねえか」


「殺人よりはいいでしょ」


「なっ、お前っ、馬鹿……」


 雛ちゃんが慌てたように僕の顔に目をやったけれど、慌てる理由が僕にはわからない。

 だって僕は、何も見ていないのだから。


 僕は、知ることで大人になっていくのだと思ったけれど、それは少し違うらしい。

 知ることで大人になるんじゃなくて、思い知らされることで大人になるんだ。

 どんなことでも知るだけなら誰にでもできる。思い知るためには、一度それに関わらなくてはいけない。思い知るという事は、つらい現実を見るという事だ。大人になることは、つらいことを知るという事なんだ。

 僕は大人になりたくないらしい。

 馬山さんの名前は、知らなくてもいいことだと思ってしまったから。思い知る度胸が無かったから。

 馬山さんの本名は、僕だけが知らないままだ。


「若菜、帰れよ」


「私が帰ったら佐藤君を襲うでしょ? それは、どうなのかな。委員長としてみすみす見逃せないよ」


「委員長関係ねえだろ」


「かもね」


 馬山さんが手紙を残してくれた。


『信じることは無駄なこと』


 これを信じることはできないけれど、信じることは無駄ではないと思うけど――



 ――信じ続けることはとても疲れる事なんだと知った。



 この夏、僕は少しだけ、大人になってしまった気がする。




(第二章終わり)

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