表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キョーハク少女  作者: ヒロセ
第一章 キョーハク少女
36/163

七夕の日の放課後

 僕の意識は保健室で覚醒した。

 学生服を着たまま寝ているせいで布団が気持ち悪い。いい寝心地とは言えない。

 それに全身が痛い。

 高いところから床に叩きつけられたような痛みだ。

 痛みを我慢しながら僕は体を起こして辺りを見渡した。

 でもベッドを囲うカーテンが閉められていて何も見えない。

 昼からの記憶がないけれど、今は一体何時だろう。まだお昼かな。でもカーテンの向こうから射す陽が少し赤みを帯びている。きっと、もう放課後なのだろう。つまり僕は五時間目と六時間目をここ保健室で寝て過ごしたわけだ。……うう……もうすぐテストがあるのに……。

 何時かを確認するためにも、一度カーテンをあけなきゃ。

 ベッドから足を投げ出し上履きを探す。見当たらない。仕方がないので靴下のまま床におりた。

 そしてゆっくりとカーテンをあける。


「……えーと……」


 誰もいないみたいだ。

 ひとまず時計時計……。

 四時。

 ちょうど六時間目が終わったころだ。

 うう……。確か午後からの二時間は英語と数学だったような気がする……。大切な二教科を逃してしまった……。

 悔やんでいても仕方がないのでぺたぺたと保健室の扉へ向かう。出て行く訳ではないけれど、とりあえず外の様子を見て見たくて。

 扉に手をかけ、開けようとする。しかし、僕が開けるより先に向こう側から扉が開けられた。


「うわっ」


 驚き足を滑らせてしまった。靴下のせいだ。

 尻餅をつく僕と、それを見下ろす女の子。

 誰だろうかと顔を上げてみる。


「あ、く、楠さん……」


 楠さんが素敵な笑顔で見下ろしていた。


「おはよう。よく眠っていたね。もう大丈夫?」


「あ、うん」


 何が起きたか正確に思い出せないけど。


「……あ、そ、そうだ! 楠さんは大丈夫?!」


「大丈夫って、何が?」


「え、その、クラスのみんなとの、関係……」


 楠さんは、みんなから責められていたんだ……。あの後どうなったのか、僕は気を失ってしまったので分からない。


「……とりあえず、ベッドに戻ろうか。今起きたばかりなんでしょ?」


「え、あ、うん」


 指示に従い立ち上がりベッドへ向かう。ベッドの横に腰をかけ楠さんに視線をやる。


「はいこれ。君のカバン」


 保健室で眠る僕の為に教室からカバンを持ってきてくれたみたいだ。

 カバンを受け取りベッドの上に置く。


「ありがとう。あの、その、僕の上履きは、知らないかな……」


「ベッドの下にあるよ」


「あ、そうなんだ。ありがとう」


 保健室を出るときに履こう。

 今はそんなことを気にしている場合じゃなかったね。


「あの、それで、楠さんは……」


「気になる?」


「う、うん。気になる……」


 あの後、どうなったんだろう……。


「隣、いい?」


「え、あ、どうぞ」


 横にずれて楠さんの座るスペースを確保する。


「ありがとう」


 にっこりと笑ってそこに座った。


「何が起きたかは、覚えてる?」


「うん。気を失う前までの記憶はばっちりあるよ」


「そっか。綺麗な弧を描いていたよ」


「……そこは覚えてない……」


 やっぱり殴られたんだね、僕。


「ふふふ。それで終わりだよ」


「え?」


「そのあとは、ほとんど何もなし」


「え、え? じゃあ、楠さんは、みんなから……」


 僕のしたことは無意味だったのかな……。体を張っても友達を守ることができなかったのかな。


「ううん。私は、みんなと和解できたよ」


「えっ、あ、……よかった……」


 これで一安心だね。やっと表情を緩められるよ。


「佐藤君が気を失った後、有野さんが言ったの。『優大が全部悪い。若菜悪くない。こいつがすべての元凶だ。でもなにがあったかは深く追求するな。この件を掘り返そうとしたら殺す』ってね。君が全部悪い事になって、みんな私に謝ってきてくれたよ。前橋さんもね」


「そ、そっか……」


 喜ばしいことだけど、僕の人生終わったね。いじめられない事を祈ろう……。


「みんなとしては、うやむやのまま終わったみたいだけど、多分誰もこの件を探ろうとはしないよ。それくらい有野さん迫力があったから。みんなだって佐藤君みたいになるのは嫌だろうしね」


「そ、そんなに僕酷かったんだ……」


 すぐに気を失ってよかったのかも。


「ねえ、なんで私を庇ったの?」


「え?」


 不思議そうに、嬉しそうに聞いてきた。


「私を庇って、自分が罪を被って。君の一人損じゃない。なんでそんなことしたの?」


「……えっと、誰かが不幸になるのは、嫌だし、その、楠さん、僕の事を、友達って、言ってくれたから……」


 友達の為に何かをするのは当然だ。それに僕は勇気を出すと心に決めたんだ。あそこで何もしなかったらきっとこれまでの人生が続いていたことだろう。しかし、今日勇気を出したことで人生が楽しくなったのかな……。失敗した気がする。


「そのためには自分がひどい目に遭ってもいいの?」


「う、うん。誰かがひどい目に遭うよりは、自分が泥をかぶった方が、いいよね」


 楠さんが、楽しそうに嬉しそうに笑う。


「バカみたい。人の罪とか重りを背負って、自分の人生泥だらけにしてさ。本当に自分に優しくない優しさだね。もっとうまく立ち回れば、君の事好きになるのに」


「う……ごめんなさい……。…………って、え?」


 今最後になんて言ったの? 聞き間違いでなければ、嬉しいことを言われた気がするけれど。


「ぼ、僕今、好きって言われた?」


 確認作業をとる僕の前に本当に明るい楠さんが現れた。


「あはは。君はうまく立ち回っているのかな?」


「う……そうですね、うまく立ち回っていないからこうなっているんですよね……」


 つまりは別に好きではないということだ。

 落ち込む僕に楠さんは何も言ってこない。

 いつもならうじうじするなとかシャキッとしろとか目障りだとか言ってくるのだけれども、今日は落ち込むことを許してくれるらしい。

 そこから無言が続く。

 おしゃべり好きの楠さんとこんな無言の時間を過ごすのは初めてだ。

 なんだか緊張する。何か僕が話題を振った方がいいのかな。でも僕は何も面白い話を持っていないし……。

 カーテンの開いた僕らの座るベッド。

 保健室の先生がいないけれどどこにいるのだろう。あちこちに視線を動かし探してみる。誰もいない。白い部屋に置かれた様々な雑品。左右に視線を滑らしただけでは薬品らしきものは見当たらなかった。もっと恐ろしい薬品があってもよさそうなのだけれど。

 目で確認できないのなら耳だ。耳を澄まして音を手繰り寄せる。誰かの廊下を歩く音。外からは誰かの話声。テスト週間中なので部活の音は聞こえない。とても静かだった。静かすぎて、自分の脈がうるさい位に喉のあたりから鳴り響いていた。

 目でも耳でもダメなら鼻に頼ろう。保健室特有の匂いが胸を締め付ける。不安なのか病気なのかは分からない。胸を押さえて床を転がりたいけれど隣に人がいるのでやめておこう。

 保健室の中には特に何もない事が分かった。

 することが無くなったので、目で、耳で、鼻で楠さんの様子をうかがう。

 綺麗な姿勢で真っ直ぐに正面を見ている楠さん。微かに息遣いだけが聞こえてくる。保健室の匂いに飲みこまれない良い香りが周りを包んでいた。


「佐藤君」


 楠さんが突然僕の方を向いて話しかけてきた。

 慌てて顔をそらす。

 もしかして様子をうかがっていたのがばれてしまったのか。怒られてしまうのだろうか。


「君は本当に格好悪いね」


 う。こそこそ観察していたことに対しての言葉なのだろうか。


「君は本当に格好悪い。好感度で言ったら100の内7くらいかな」


 ……ひ、低いね……。仕方がないけれど……。


「でも」


 と僕に笑いかける。


「今のところみんなマイナスだから」


「……? えっと……、つまりそれは……?」


 七しかないけれど、他の人と比べたら僕の好感度が一番高いってこと、だよね?


「みんなのことは『大嫌い』だけど、君は『嫌い』くらいかな。喜んでいいよ」


「……う、うん」


 素直に喜んでいいものかどうか微妙だ。複雑な気分。


「佐藤君は?」


「え?」


 何が?


「佐藤君の中で、私の好感度はどれくらい?」


「え、ええええ!?」


 いきなりの質問に思わず楠さんの顔をまじまじと見てしまう。

 何その質問! 答えづらいよ!?


「なに? 私に言わせておいて君は言わないつもり? 酷いねそれ。好感度下げちゃお」


 ジト目の楠さん。


「えっ、ま、待って待って!」


 下げられたらもっと嫌われてしまうよ。そんなの嫌だ。

 でも自分から言ってきたのに僕にもそれを強要するのは、その、どうなのかな……。

 そんなことを言う勇気が僕にあるわけでもなく、僕は諦めていう。 


「ぼ、僕の中での好感度は、も、もちろん、100だよ」


「ふーん。私のこと好きなんだ」


「え、違う、あ、違わないけど、その、あの、みんな、100……」


「……有野さんも小嶋君もみんな?」


「う、うん……」


「ふーん」


 自分が一番ではないと分かって少し不機嫌そうだ。101と言っておけばよかったかな……。


「……まったく、君は臆病だね」


「う、うん」


 臆病と言われ思わず顔を伏せる。

 何度も言われた。僕は臆病。やっぱり変わっていないらしい。臆病者のままなんだ。勇気を出したところで、臆病は根本から変えることができないんだ。


「でも――優しいね」


「え?」


 先ほど俯かせた顔を慌ててあげる。


「こう言ってあげなきゃ、これからやっていけないでしょ? みんなに冷たい目で見られるんだから」


「う……つらいよ……」


 僕、これからどうなるんだろう……。楠さんを脅して酷いことをしたウジ虫野郎という目で見られるんだよね……。憂鬱だ……。


「まあ、今までの生活とあまり変わらないのかな? もともとみんなの評価が高かったわけじゃないし」


「そ、そうですね……」


 評価が低いことは知っていたけれど、人から言われたらくるものがある……。

 僕の人生、お先真っ暗だ……。


「みんなと仲良くなろうと頑張っていた君だけど、その結果は私と仲良くなっただけでした」


「……え? 楠さんと? 仲良く?」


「あれ? 嬉しくないの?」


 驚いたように聞いてくる。僕は慌てて答えた。


「え!? い、いや、嬉しいよ! もちろん、嬉しいけど……、その、僕なんかが……」


「お弁当の時と同じ問答を繰り返すの? 私が君と友達になりたいからそう言ってるの。あ、なるほど。もう一度私の口から言わせたかったんだね。酷い人。ピロリン、佐藤優大の好感度が1下がった」


「う?! ご、ごめん! そう言うつもりじゃなくて、その、あの、ごめんなさい!」


「良いよ。許す」


 あれ。サクッと許された。


「だって、友達だもんね」


 にっこりと、ほっこりと笑う。


「う、うん……」


 なんだか小恥ずかしい。


「有野さんから私に変わったっていうことだね」


「……え? どういうこと?」


「今までは有野さんだけが君と仲良くしていたけど、これからは私だけが君と仲良くするっていうこと」


「え? どうして楠さんだけなの? 雛ちゃんはどうしたの?」


「ふふ。ブチ切れていたよ。君を消滅させる勢いでね」


「……そ、そうですよね……。早く、謝らないと……」


「許してくれるかな。親友だと思っていた男の子に突然クラスメイトとのキスシーンを見せつけられて怒らない人はいないよ」


「……そんなぁ……」


 ……でも、まあ、仕方がない……よね……。

 かなりショックが大きい。何も考えられない。今回の一件で、僕には得る物があったのかな……。無い気がするよ。

 落ち込む僕の顔を楠さんが覗き込む。


「損しかしてないって思ってる?」


「え、う、うん」


「そうだね、損しかしてないよ。でも私はとっても得をしているよ。ありがとう」


「……うう……素直に喜べない……」


「ふふふ……」


 僕はこれから先どうなるのかな。


「さってと」


 楠さんが勢いをつけて立ち上がった。それでもどこか優雅だ。


「佐藤君」


 長い黒髪と、綺麗な横顔に見とれていた僕に、楠さんが正面を向いたまま話しかけてくる。


「いつまでベッドの上で落ち込んでいるの。そんなことをしている場合じゃないでしょう」


「え?」


 何かあるのかな?

 楠さんが顔だけ僕に向け言った。


「今は、テスト週間だぜ」


 雛ちゃんを真似たような男前な口調で、男前な笑顔を見せてくれた。どんな表情でも、どこまでも似合う。


「……そうだったね」


 そう言えばそうだった。

 僕はバカだから、早く帰って勉強しなくちゃ。今日逃した二教科を取り返さなくてはいけないから、今まで以上に頑張らなければ。


「君が寝ていた授業の分のノート、見せてあげようか?」


「え?! いいの!?」


「いいよ。じゃあひとまず教室に戻る? それとも、君の部屋に行こうか?」


「え、あ、じゃあ、教室でお願いします」


「ふふ、だよね。じゃあ、先に行って待ってるから」


 綺麗な黒髪を掻き上げて、いい匂いを振りまく。

 このいい香りはシャンプーなのかな? とかそんなどうでもいいことを考えているうちに、楠さんは保健室を出て行った。

 色々と、問題は残っているけれど。

 今はとにかく勉強に集中しよう。

 これからの人生を考えるよりも目の前に迫った危機を回避しなければ、それどころではないからね。

 ベッドの下から上履きを引っ張り出してきて立ち上がる。

 今日は七夕だ。

 織姫星と彦星が出会える年に一度の日。

 ついでに僕らの願いを叶えてくれるらしい。

 今の僕なら、何を願うのかな。

 なんでも叶うとしたら、僕はなんと短冊に書くのかな。

 頭が良くなりたいし、運動神経もよくなりたいし、背ものびてほしいし、おいしいものも食べたいし、今日をやり直したいという気持ちもある。

 なんて書くのかな。

 ――どうでもいいや。


「うん」


 何故だかわからないけれど、何に対してかわからないけれど、僕は一度頷いてから楠さんを追った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ