決心
「これは、どういうことですかね?」
前橋さんが楠さんに詰め寄る。
「……」
楠さんの顔は真っ青だった。こんな楠さん見たことが無い。
「これって、一体何事ですか?」
「……。さぁ」
無理のある白の切り方だ。楠さんならもっと華麗にやり過ごせるかと思ったけれど、この状況では難しいみたいだ。
「さぁじゃないですよ。ここにあなたの悪行が映し出されているんですよ。何か説明してくださいよ。みんなを馬鹿にしている大層な委員長さん」
「……」
何の言い訳も出てこない様子だ。楠さんのこれを知っていた僕に出来ることは無いだろうかと一生懸命考える。でも僕にできそうなことが見つからない。このままでは楠さんが責められてしまう。何とかしないと。
「あ、あの――」
「優大はこっちにこい」
「あっ」
横から雛ちゃんに引っ張られ僕は楠さんから離れた。
「優大は知ってたのか?」
みんなの視線の外で雛ちゃんが僕に聞いてくる。
「……」
僕は黙る。何も言えない。
みんなの視線の先には楠さんと前橋さん。
「楠さーん? 黙っているだけじゃあ何もわかりませんよー? これは一体何なんですかー?」
「……っ」
顔面蒼白の楠さん。助けたい。でもどうすれば……。
前橋さんが楠さんに詰め寄り、楠さんが押し黙る。
みんなが黙り込み疑いの目で楠さんを見る教室はとても居心地が悪い。
そんな中、誰かが声を出す。
「それが、私たちのことを言っているとは限らないでしょ!」
山口さんだ。いつも楠さんの後ろをついて回っている、楠さんが大好きな女の子。
「私たちのことを悪く言っているっていう証拠が――」
『山口さんも、べたべたべたべた……! 私のご機嫌をとっても何も出てこないってば! 媚を売る人間はみんなウザい!』
「……」
携帯から流れてくる声を聞いて山口さんが愕然としていた。
「楠さん……」
山口さんの口からかすれた声が漏れる。
「あらー。名前まで出しちゃいましたね。言い逃れできませんねこれは」
「……」
ぐっと唇をかみ悔しそうな顔をしている楠さん。
「どういうこと?」
先ほどまで楠さんを庇おうという姿勢を見せていた山口さんが言う。
「にこにこ笑いながら、心の底ではこんなふうに思っていたの? サイテー」
そこから次々に楠さんを責める声が上がり始める。
「若菜ちゃんどういうこと!? 俺たちの事嫌いなの?!」
男子が叫ぶ。
「楠さんずっとこんなこと思いながら私達と接していたんだね」
女子が言う。
「クラスのトップがこんなことを思っているなんて、どうなんですかね? 楠さん?」
前橋さんがニコニコと笑いながら、うつむいている楠さんの顔を覗き込む。
「……ふん」
楠さんは諦めたように顔を上げサッと教室を見渡した。その一瞬、僕と目が合ったような気がしたけれどきっと僕の自意識過剰だろう。
眺めた後は目を瞑りみんなから視線をそらす。そして、
「だったら何?」
開き直ったように言った。でも相変わらず顔は真っ青で声にも元気がない。
「私がみんなのことを悪く言うのがそんなに悪い事なの?」
「な……! いいわけないだろう!」
いつも若菜ちゃん若菜ちゃん言っていた男子が叫んだ。
それにつられるようにみんな口々に責める。
信じてたのにとか、失望したとか、最悪とか、騙されたとか。
みんな、勝手だよ。
「……少し、可愛そうな気もするな」
僕の隣で雛ちゃんが静かに言った。
「優大がいったいどんなことで脅されているのか分かんねえけど、それをばらしたりしねえよな」
「……分からない、けど……」
みんなの気がそれるのならそれもいいと思っている僕がいる。
「でも、今なら証拠が無けりゃあ若菜の言うことは誰も信じないだろうな」
「……」
「あいつ、証拠もってるのか?」
「……多分……」
携帯の中に写真が入っているはずだ。でも、それも今は無意味。
「脅されることは、もうないと思う……」
楠さんが言っていたことを思い出す。「私と君の言葉、みんなはどっちを信じるかな」。楠さんの信用があってこそ通じる『僕が無理やり楠さんにキスをしている』写真。でも今は楠さんは誰にも信用されていない。地に落ちてしまった。
だからきっと、僕が説明をすればみんなそれを信じてくれるはず。そのあとに録音された僕の声も、無効になるはずだ。
もう、脅されることは無い。
「どういう事情かは分からねえけど、お前はもう脅されねえんだな」
「……うん」
なんだかとっても嫌な気持ちだ。
脅迫から解放されたのに、全然嬉しくない。嬉しくないどころか吐き気がする位心が沈んでいる。
「よかったな、優大」
そう言って笑顔を見せる雛ちゃんだけど、雛ちゃんの顔もすっきりしない。
「……本当に、よかったのかな」
僕の口が勝手につぶやいた。
「なんだよ。お前の抱える問題が解決したんだぞ。いい事じゃなけりゃあ、何なんだよ」
怒っていいのか僕に同意していいのか悩んでいる様子が感じ取れる。
「誰かが傷ついて誰かが助かるのって、いい事なのかなって思うんだけど……」
「んなもん知らねーよ。自分勝手に生きようぜ。自分が助かることだけを考えればいいんだよ。人を蹴落とすくらい、みんなしてら」
「……」
そういえば、楠さんが言っていた。「人間はみんなクズ。どうやって上に立つ人間を蹴落とすかしか考えてないんだから」。
だから前橋さんは、こういうことをしているのかな。楠さんの嫌がることをしているのかな。
「私はお前が脅されるようなことをするとは思えない。きっとそれも若菜が悪いんだろ?」
「……」
「だったらさ、いいじゃねえか。もういいじゃねえか。ラッキー、くらいに思っておけばいいじゃん」
「……でも……」
「優しいのも大概にしとけよ。私は優大のそう言うところが好きだけどさ、もっと自分を大切にしてもいいと思うぜ」
「……わがままに、生きろって言うこと?」
「まあ、そう言ってもいいかな」
楠さんも言っていた。自発的に過ごせって。やりたいことをやった方がいいって。
僕のやりたいことって、何だろう。
扉の近くでは相変わらず楠さんが追い詰められていた。
みんなが自然と楠さんを取り囲むように集まっている。
「あなたはこのクラスのトップにふさわしくない。有野さんの方がふさわしいです!」
「そうだそうだ!」
「楠さんは辞めた方がいい!」
「……っ」
目を瞑りツンと顔をそらしているけれど、顔は青い。人だかりの隙間から覗く程度しか見えないのではっきりとは分からないが、目じりには涙が浮かんでいるように見えた。
「なんで、みんなこんなに楠さんを責めるの?」
少し、腹が立ってきた。
「そりゃお前、信じてた人間が自分のこと悪く言ってんだから、裏切られて腹を立てるのは当然だろう」
「でも、信じたのってその人の勝手でしょ?」
「いや、若菜の場合は信じさせたって言った方がいいんじゃねえかな」
そういえば、そんなことも聞いた気がする。「信頼されているんじゃなくて、信頼させている」。信頼していると思わせておいて、実はそうさせるように仕向けていた楠さん。
「信じるなっていう方が難しいだろ、あれは。すげーもんあいつ」
素直に褒める雛ちゃん。やっぱり仲が悪いというわけではないみたいだ。僕がいなければ、きっと仲のいい友達になれているはず。僕のせいで仲良くなれないんだ。僕が悪い。
「すごい奴だからすごい信頼を集めてた。その分、裏切られた時の失望が大きいんだろうよ。勝手って言えば勝手だけど、結局はその信頼を裏切るような真似をした若菜が悪いんだろ。言い方が悪いけど、自業自得だ」
「……」
何か、違うよ。
「優大は一体何が気に入らないんだ?」
不満が顔に出ていたのか、雛ちゃんが浮かない顔で僕を見ている。
「僕は、みんな仲良くすればいいのにって思う……」
「そりゃそうだけど、もう無理だろうな。若菜、これからどういう扱い受けるんだろ。あまり想像したくねえな」
やっぱり優しい。雛ちゃんだって楠さんに言いたいこととか思うところがあるはずなのに、その相手のことを考えて悲しい顔をしているんだもん。優しいよ雛ちゃんは。
「どうしよう」
優しい雛ちゃんに聞いてみる。
帰ってくるのは分かりきった答え。
「どうしようもねえよ。みんなをおちつけさせることができても、もうどうしようもねえよ」
雛ちゃんなら、きっとこの人だかりを散らすことができる。でも、だからなんだっていうんだ。何も変わらない。楠さんの信頼が取り戻せるわけではない。未来は何も変わらない。誰も変えられない。
「……でも、なんで前橋さんは、あの動画を撮れたんだろう……」
「偶然って言ってたぜ。昨日未穂が偶然あの山に登った時に、私たちの秘密基地で陰口を言っている若菜を見つけたって言ってた。私たちが話した後に、あそこで起きたことらしい。私たちがもうちょっとあそこで話しこんどけばこんな事態にはならなかったんだろうな」
「……うん」
……きっと、雛ちゃんの後をつけていたんだ。
僕と雛ちゃんの話を聞いていて、僕らが山を下りて、楠さんが出てきて、僕だけが戻ってきて、僕が帰って、楠さんがストレスを発散して……。そしてそれを携帯で撮って……。
酷いよ。
「そう言えば、優大昨日落とし物したって秘密基地に戻っていったな。落とし物は見つかったか?」
「……ううん。あれ、実は楠さんに呼び出されたんだ」
「え?! なんでだよ! その前になんで若菜がそこにいるんだよ! 私達が話しているときにはもうあそこにいたってことか?!」
「うん……。隠れて聞いていたみたい」
「……趣味わりぃな。監視かよ」
「監視と言うか、多分、結果が知りたかったんだと思う」
「結果ってなんだよ」
「僕が、ちゃんと脅されているって言えるかどうか」
「……なんで脅している相手がそれをチェックすんだよ。おかしいだろそれ」
「楠さん、言ってたんだ。勇気を出せば人生変わるって。わがままに生きた方がいいって。だから、僕が嫌なことをされているって、雛ちゃんに告白できるかどうか、見守っていたんだと思う」
「……お前、脅されていたっていう割には若菜のことを信頼してるんだな」
「うん。脅されていたけど、酷いことはされていないから。だから、脅されていたって言っても、なんでもできる楠さんは信頼に値する人だと思う」
「……そうかよ」
ちょっとだけ不機嫌になった雛ちゃん。僕の中途半端な立場が気に入らないんだと思う。
ぼそりと雛ちゃんがつぶやく。
「あの時、若菜もあそこにいたのか……」
「うん。そして、多分、前橋さんもいたんだと思う」
僕を見守っていた楠さんと雛ちゃんを見守っていた前橋さん。なんだか、不思議だ。
「そう言うことが言いたかったんじゃねえけど……」
「え?」
「何でもねえ。でも、そっか。あそこに二人いたのか。どっちも褒められたことじゃねえな。人の話を盗み聞きするなんて」
「……そうだね……。あまり、いい事ではないね……」
盗み聞きした前橋さんも悪いから、どっちもどっちっていうことにはできないかな。できないよね。
「……」
どうしよう。
「みなさーん! 楠さん、委員長にふさわしくないですよねー?」
そうだそうだ。
辞めちまえ。
信じた私がバカだった。
もう学校も辞めればいい。
酷い言い草だ。
「……。僕、こんなの嫌だ」
「若菜が責められることがか? なんだ優大。お前若菜に惚れてるのか?」
「そう言うことじゃないよ……。そうじゃなくて、間違ってる気がする」
「間違ってるってなにがだよ。陰口を叩いてた若菜が悪いだろ。それを責めることの何が間違いだ」
「……責めなくても、いいと思う……けど……」
「それじゃあ全員気が治まらねえだろ」
「……悲しいね、それ」
「……悲しいけどさ。仕方ねえよ」
仕方ないで済ませていいのか。
……。
いいわけないよ。
「こんなの、絶対に間違ってる」
僕は一歩踏み出す。すぐに雛ちゃんが僕の腕を掴んで止めた。
「……なにする気だよ。何もできねえんだから安全なところにいろよ。飛び火したら面白くないぞ」
「僕は、クラスみんなが仲良い方が、素敵だと思う」
「そりゃそうだけど、どうしようもないだろこれは。いいから大人しくしてろ」
「……僕は、勇気を出すって決めたんだ」
楠さんに言われて、そうするように心掛けてきた。
まだ全然そう言う行動はとれていないけど、それでも人生が変わった気がした。
楠さんの言っていることは間違ってないんだ。
「私と親友なだけじゃあだめなのか? クラスの雰囲気も穏やかじゃねえとお前は満足できねえのか?」
「雛ちゃんが親友なだけで僕はいいよ。でも、クラスのみんなが仲が良ければもっといいと思う」
「そりゃ、そうだろうけど」
「僕、雛ちゃんの親友として恥ずかしくない人間になりたい。雛ちゃんが僕のことを好きだって、胸を張って言ってくれるような人間になりたい」
僕の臭いセリフに雛ちゃんの顔が赤くなる。僕も恥ずかしいよ……。
「……わ、私は、もう優大の事、す、好きだぜ。これ以上ないってくらい」
「でも、もっと好きになって欲しい。僕も、雛ちゃんと一番の仲良しだって、自信を持って言えるようになりたいんだ」
「な、な、な……! そ、それって、お前、あれじゃねえか、あれ。……ほとんど、こ、告……白みたいな……」
「うん。僕今告白したよ」
「……! 優大……!」
雛ちゃんの事大好きだから、もっともっと仲良くなって友達の絆を深めたいよね。その気持ちを告白したけど、素直に言うのは恥ずかしいけど気持ちがいいね。
「あはははは! なら、しょうがねえな! 行って来い!」
僕の素直な気持ちを聞いて納得してくれたようで、真っ赤な顔の雛ちゃんが、掴んでいた僕の手を離してとてもいい笑顔で笑ってくれた。
「優大ならできるぜ! ああ、出来る! 出来なくても、私は行動するその気持ちが、すごいと思うぞ。失敗しようが、成功しようが、関係ない。優大の勇気はかっこいいぜ!」
「あ、ありがとう……!」
褒めてくれた!
「だからさっさと行って帰ってこい。ほら、さっさと終わらせてくれ。この一件が終わるのが待ち遠しすぎる」
僕が勇気を出すのが楽しみだっていうことか。うん、期待されているし、僕は頑張るぞ。
「行ってくるね」
「行って来い! あ、今日一緒に帰ろうぜ!」
「うん」
とても嬉しそうに僕を送り出してくれた。
頑張ろう。