第四話
雲雀と会話してからは誰にも引き止められず、二人は寮の自室へと戻る。本来ならば寮は一人暮らし専用であるのだが、十歳である空音を放任するわけにもいかないと翼がベッドを一つ増やした。飛行練習を行えるよう個室は大きめに作られているため、二人で住むことになっても十分に広い。無駄に広い部屋は開放感よりも虚無さを際立たせる気がして、翼が小さなインテリアを随所随所に置いている。ぬいぐるみを置かれた場所が唯一いたずら書きをしたようなところだ。
「入隊式おわったー!」
部屋着に着替え、空音がベッドにダイブした。やっと緊張感から解放されたのか思うままに体を伸ばし、ゴロゴロ転がって猫の鳴き真似をしては翼を苦笑させる。
「にゃんにゃんにゃにゃーん」
鼻歌を奏でながら空音は本棚から一冊のアルバムを取り出す。ベッドの上に戻るとうつ伏せになって写真を眺めていた。
「……空音は相変わらず空の写真を見るのが好きだな」
「うん! じいじがいつも見せてくれたの! 写真とか絵とか、いっぱい!」
アルバムには朝焼けから夜空といった風光明媚な空の写真が揃っていた。息を呑む迫力があり、自分がその写真の中に立っているような気分にさせてくれる。色あせた写真も見えることから、撮影して数十年経過したものもあるようだ。最も新しいものでも天蓋が施工された2030年代の日付だ。
「そーそーツーちゃん」
脈略もなく空音はアルバムから視線を外し、翼へと顔を向けた。
「ヒバヒバにひどいこと言っちゃだめ。ヒバヒバは一般人ぽよ。一般人には一般人なりの感覚があるんだぽよ」
「己の視野の狭さを他人のせいにするのは愚かなことだ。私にも非があるとするならば、私と人間には溝があるってことなんだろうな。……それよりも空音は自分のことを、一般人だと思ってないのか?」
「一般人は、空を見たいとは思わないんだって。空音には……わからない」
空音の感覚は一般人のものからずれている。子供の破天荒さを強調すれば誤魔化せるかもしれないが、空音は強烈に空を求めている。彼女が空や魔法少女について知っていたのは祖父から聞いていたかららしい。身寄りをなくしたときにどうすればいいのか考え行動に移したのも、自我が完成されていない子供には離れ業だ。
「お前は私についてきたことを後悔してるのか?」
うつむいた空音を翼は後ろから抱きしめ、己の膝の上に乗せた。手で空音の白い髪を梳くと、指はすんなりと通っていった。
「後悔はしてないぽよ。ツーちゃんに会って、コーノに色々教わって……空音は幸せだよ」
大輪の花のように空音は笑い、気持ちよさそうに目をつむる。
「ならいいんだ……雲雀と衝突するのはなんだろうな。自分とどこか似ているからかもしれないし、全く違う生き物からかもしれない。同じ魔法少女になるんだから、問題は起こさないようにしないといけないんだが……。案外視野が狭いのは私の方だったか」
「ツーちゃんならヒバヒバと友達になれるよ!」
「その時はお前も友達になるんだぞ」
「ふわーい! 今日のご飯何かなー」
飛行警備隊は一応隊という体裁をとっているものの、少女しかなれないということで構成員の大半は学生である。ゆえにアルバイト感覚で魔法少女になる者も多いため、一本筋である翼が気にいらないのも仕方ない。
翼も空音も生い立ちゆえにいかなる教育機関にも通っていない。学歴社会において二人は異質であるが、当人達は特に気にすることもなく生活している。隊の寮を利用できることになったのは僥倖だった。下手に他人と関わらなくてすむ上に、緊急出撃に駆り出される可能性があるとしても、誰にも邪魔されずに生活できる空間は大きいものだった。
突如ピンポーンと来客を知らせる音が鳴り、翼は空音を膝から下ろして立ち上がった。誰だろうと思ったが少女しかいない寮であるので来客は女の子だろうと、翼は身構えずに扉に近付く。
「こんにちは。私は飛行警備隊二級隊員・金糸雀よ」
扉の向こうに金色の髪を束ねた少女が立っていた。少女というよりも大人のおっとりした色気をもつ彼女はタレ目をより垂れさせて柔らかく笑った。
「一級隊員翼と二級隊員空音の先輩としてつくことになりました。明日の初出撃の補佐も私よ。わからないことがあったら気軽に私に聞いてね」
金糸雀の丁寧な語り口には好感を持てる。ふわふわとした外見は翼の警戒心を溶かしているのだが、それが計算なのか生来の気質であるかは図りかねない。
「わざわざ来てくださりありがとうございます。私は翼と申します。空音は――」
「ツーちゃん、お客さん?」
空音が翼の後ろまで歩いてきて、そっと顔をのぞかせた。
「あら。あなたが空音ちゃんね。私は金糸雀っていうの。よろしくね」
余裕のある笑みを浮かべ、金糸雀は手を差し出した。金糸雀は膝を曲げて空音と同じ視線の高さに合わせており、彼女の包容力のある笑みは空音に手を握り返させた。
「空音ぽよ! カナおねーちゃん、よろしくぽよ!」
「まあまあ……お姉ちゃんなんて」
会って数秒で打ち解けたようで、空音は金糸雀に無遠慮に抱きついた。ツーちゃんよりも柔らかいとむにむに抱きしめる。あんなところやこんなところを触られ、金糸雀はくすぐったそうに少しだけ身をよじる。ちょっとだけならいい、と言いたげに照れる様子は相手を煽るような仕草で、空音はまだむにむに攻撃を仕掛けている。
「……はぁ、すみません。こんな奴で」
「いえいえー、十歳だもの。これぐらい元気な方が可愛いじゃない」
翼の言葉に金糸雀はそう返し、空音の姿を羨み焼き付けるように目を凝らした。数秒後にはため息をつき、空音から一歩離れる。
「それに魔法少女は少女がなるからいいのよ。大人がなってしまったら、子供を見捨てることになるもの。
あなた達の境遇は上から聞いているわ。一級と二級の魔法少女さん。……三級の子と衝突したらしいけれど気にすることないわよ。アイドル気分で魔法少女になる子は多くて……そういう子に限ってずっと三級のままだけど」
「金糸雀……さんは二級なんですよね。一級の方は私以外にもこの地域にいるんですか?」
「畏まらなくていいわよ。空音ちゃんと話すようで構わないわ」
朗らかに言うと、金糸雀は肩を寄せて縮こまらせた。
「ここだと九藍という子があなたと同じ一級よ。ちょっと謂れというか噂の絶えない子で、私も直接会話したことはないわ」
天蓋の構造上、大都市を丸々覆うしかできなかった。事実上県という概念が消滅したのも都市が優先されたからだ。それぞれの天蓋にはいくつかの魔法少女隊が存在しており、機械を提供している民間会社が勢力を削りあっている。勤務時間外に担当地域外を魔法少女姿で滑空することは認められているが、その地域を管轄している魔法少女に喧嘩を売るような行為であるため誰もしていない。
一級・二級・三級は主に能力で格付けされている。万年三級でいる者は勤務態度や飛行能力がよろしくないと判断された者達だ。通常は数ヶ月や一年もあれば二級へと昇格できるため、三級でいるのは怠惰としか言いようがない。試験を通過した以上、機械のせいで飛べないなどという言い訳はできないのだ。
「一級が最も特別であることは、対象の殺傷を許されているところよ。翼ちゃんが銃刀の携帯許可をお偉いさんからいただいているのも聞いたわ。多分ないとは思うけど、他の魔法少女に武器を向けるような真似はしないでね」
「肝に命じておく」
金糸雀から忠告され、翼はそんなことなければいいなと肩を落とす。
二人が会話している間に空音は部屋に戻ってしまっていた。お腹が減ってしまったのか、冷蔵庫の中にあったプリンを美味しそうに食べている。
「で、本題なんだけど……パーティ、しない?」
「は?」
夕方前、金糸雀がパーティ用としてケーキやジュース等を持参してきた。彼女の力で翼と空音の部屋は小さなパーティ会場に様変わりし、テーブルクロスをひかれた机には豪華な――いや、質素で定番な料理が並べられていた。
「ケーキケーキ! 空音、ケーキ大好き!」
フォークを手の中でいじくりながら足をばたつかせ、空音はケーキを取り分ける金糸雀の手をじっくりと観察していた。
食い意地がはっているのは悪いことではない。翼は頬杖をつきながら、楽しそうな空音と金糸雀を目で追った。
二人に注目されている金糸雀は意気込んで腕をまくり、左手首に巻かれているデジタルコードを露出している。慣れた手つきでショートケーキのホールを三等分させると、各々の目の前に皿を置いた。
「ありがとぽよ、カナ」
「…………」
手を上げて喜ぶ空音に対し、翼はケーキを視界から消すように視線をずらした。
「翼ちゃん、ケーキ苦手だった?」
そう金糸雀が尋ねるも翼は一向に答えようとしない。二人が黙り込む中、空音だけが嬉々として料理に手を伸ばした。二人とも食べないの? と目を丸くすると、あっと空音は声を上げた。
「ごめんね、ツーちゃんは食べられないんだった」
バツが悪そうに食事の手を止める空音。コップに注がれたコーラがしゅうしゅうと音を立てている。
金糸雀の垂れた目が少しだけつりあがった。真剣な表情と態度には嘘をつかないで答えてという優しい脅迫が見え隠れしており、彼女の金色の目は翼の退路を塞ぐ。
「翼ちゃん。食べられないって、どういうこと?」
「……私の体については聞いていないのか。口を通しての食事はできない。消化できないんだ、何も。……詳しくは後で話す」
「ごめんなさい……私、食事を用意しちゃって」
「気にするな。最初に言わなかった私に落ち度がある。私は……空音が楽しんでくれればいい。空音、おいしいか?」
「うん!」
純粋な子供は己の欲求に素直で、そのせいで誰かを苦しめていると気付かない。ただ空音の笑顔に翼が救われているのも事実だ。食べこぼしがついた空音の頬を、翼はハンカチで拭う。恐らくこの関係は夢が終わり、どちらかが大人になるまで続くだろう。十歳の少女は親が知らぬ間に成長していくものだから。
「改めまして、魔法少女への入隊おめでとう。翼ちゃん、空音ちゃん」
「……ああ」
「うーい! 空音、空を飛ぶことが夢だったの。ずっとずっと……!」
今から四年前、空音は『魔法少女にさせてください』という立札を掲げ、風で広がった空音の白い髪を目にとめて翼は立ち止まった。
温かな思い出。魔法少女になるために積んだ訓練と勉強。
あの空へ、黒い天蓋の向こうへ――。
飛び立つ夢を見て、まどろんだ日々。
写真の中に求めていた夢へ一歩踏み出し、こうして今、二人は「魔法少女になれた」ということを実感するのだった。
06/20 誤字修正