第十話
子供のため、と罪を犯す魔法少女。法は彼女を裁けるが、人の情は彼女を裁けなかった。
社会の淀みが末端に集まるのは致し方ないこと。子供をないがしろにした親への処罰も近日中に決まるだろう。そして人の目を盗んで罪を重ねていく伝説的魔法少女へも。
金糸雀の寂しそうな顔を忘れることができずに、翼は明後日の方向へぼんやりと視線を投げつける。作り物の天蓋の下に広がるミニチュアワールド。宇宙はこうした閉鎖空間にすがりつく人類を見て、嘲弄するのだろうか。
寮の部屋に戻ると、空音が一人でジグソーパズルを組み立てていた。真っ白な額面にはめられていく小さなピース。そのピースが全てはまったとき、物語は息を吹き返す。
「おかえり、ツーちゃん」
「ああ、ただいま」
空音に話しかけられ、翼は反射的に笑顔をなす。けれどもそんな作り笑顔は連れ添ってきた家族に通じない。
「ツーちゃん、何かあったの?」
「……また誘拐事件が起きたんだ。……犯人の目星はついているのに、逮捕しに行かないんだと」
「どうして捕まえにいかないのー? 誘拐はハンザイだって、空音習った」
「これは難しいことなんだ。私にも……わからない」
どうしても言葉尻が弱くなってしまう翼。
空音は翼の異変に気付き、飛び立つように大きく腕を広げた。
「元気だしてツーちゃん! 空音がいるもん!」
「……ん、いや、そんなことないよ。いつも通りだ」
「いつもそんな顔してたの……?」
「…………っ」
空音の発言は翼の胸を強く締め付けた。
十歳の子供にこんな台詞を言わせるとは、という己の無力さに嘆いてばかりいる。六歳で魔法少女になることを決めた少女は曇らず真っ直ぐに育った。他人の悪意に気付かず、しかしその悪意を見抜いて善意へと導く聡さは天性の才能で、成熟した人物ばかりと関わっていたことが彼女の賢さを伸ばしすぎてしまった。今はまだその弊害は出ていないものの、いつか八方塞がりの状況に陥って滅びの道へ進んでしまいそうだ。
「ごめんな、空音。お前を……ただの子供に育ててやれなくて」
空音を抱きしめて、翼は懺悔するように謝った。声色は重く、謝るというよりは自責しているという言葉がふさわしい。
空音を取り巻いていた人々は良い意味でも悪い意味でも個性的な者達であった。そこには初等教育など存在せず、高度な言葉ばかりが用いられた。それゆえ空音は狼に拾われて育てられた羊のように成長した。食べられなかったのは羊が狼のようになろうと努力したからか。それとも狼が羊を種族を超えて愛したからか。果ては狼が羊に捕食されると錯乱してしまったからか。翼は自ら答えを出そうとはせず、ありきたりな羊の生き方を選ばせてあげられなかったことについて深く後悔していた。
「空音は空音だよ。子供だから空音でもなくて、空音だから子供でもなくて、空音は空音ぽよ」
子供が大人になりたいと背伸びをするのではなく、むしろ子供扱いしてくる大人を一刀両断する思想。文献から引用していない、自らの頭と心で生み出した言葉には強さが込められており、中身のない張りぼてとは違った。
十歳といえば小学校に通学して勉強をしたり遊んだりしている年齢だ。小さなことで喧嘩して、数日後には仲直りして。大抵の人間が経験しているはずであろうことを空音は知らない。
翼の黒い瞳が揺れているのを見て、空音は「どうしたの」と赤い瞳を丸くする。言葉のやり取りをせずに相手の態度や心の機敏に敏感なのは育て方を間違ったのか。
空音の「わからない」はそう至った気持ちが理解できないという意味であり、どうしてこうなったのかという経緯は十分に噛み砕き咀嚼した上での発言であった。
「ねーねーツーちゃん、空音変なこと言った?」
「変じゃない……お前は変じゃない……」
毒が体を蝕む。変だと思ってしまったら、自分と空音を否定することになってしまう。それゆえ変だとは思っていない。思うわけがない。……思うわけにはいかない。
第三者から見てこの関係は「変なもの」なのだろうか、と数度自問するが翼は答えを導けなかった。
「なでなでなでなで。空音、ツーちゃんといられて幸せだよ。笑ってツーちゃん……空音がいるからぁ」
無条件で笑えるほど、世界は愛を教えてはくれない。
だからといってこの境遇が不運であるとも幸運であるとも判断されたくはなく、翼も空音も一生懸命に生きていた。二人の気持ちは少数派のものであるとしても、多数派から迫害されるいわれはない。
笑って、という空音の哀願が何度も空気を唸らせる。窓の外に何者かがいることまでには気付かず、涙ぐんだ声が響き渡った。
と同時に、二人の部屋から走り去る足音が廊下に鳴った。
橙色のツーサイドアップが走る様子に合わせて揺れる。胸を騒がす何かを押さえつけて、橙色の少女は逃亡した。
「綺麗な心だ……自分が異質であることを受け入れている」
全てを見守る紺は夕方から夜へと移り変わる空のよう。赤から青と変わっていく瞬間はそれこそ魔法に見え、原理が解明された時代でも人々は心を震わせ一時の苦悩から解放されるように心を洗い流したという。
白を基調にした制服に藍色の幾何学模様が施されている。金色のベルトだけが存在感を放ち、藍色のマフラーは細い肢体に巻き付いてはつかんでみてよと挑発している。短めなスカートから伸びる生足は女体特有の柔らかさを感じさせず、ほんのりと朱がさす頬も作り物じみていた。
美しい人を人形と評することもあるが、それは本当に褒め言葉なのだろうか。開ききった目、特徴的なポーズをとっているが動かず、汗をかくこともなく人を惹きつけるような臭いを放つこともなくただそこに存在しているもの。盤上の駒の方が無駄のない造形をしているとは思わないか。
九藍は部屋の窓から翼と空音を観察していた。気付かれないよう壁に隠れ、一部始終を確認してからは壁によりかかって顔を上げた。広がるのは黒い傘。空を映すことのない天蓋。蓋をされた世界は小さく、隔離されたゆえに閉鎖的な空間を作り出す。
「でも、このままでは君達の夢は叶わない。空を飛ぶという夢は手段であって目的ではないだろう? 青い空に惹きつけられたのは、触れたいと思ったからだ。生身の人間は天蓋から出られない以上、本当の意味でも悲願は実らない。どうするのかな君達は。どうやって夢を叶えるのかな。ここまでおいで翼――君の名前の通り、ここまで羽ばたいておいで」
表情を変えずに九藍はひとりごちる。手に止まってきた黒カラスをしばらく可愛がり、空へ飛び立たせた。羽ばたきとともに落ちてきた羽を拾うと、九藍はポケットの中に仕舞いこむ。
夢を抱くということは夢を叶えたいという強迫観念に囚われることだ。時には寝食を忘れ、時には本来すべきことである責務への集中力を奪ってまで心血を注ぐことを強いられるのだ。
天蓋が作られてから、すでに破滅への系譜は始まっている。無邪気に笑っていられるうちはいい。大人になるための儀式を迎えた時、本当に今までの笑顔を浮かべられるか悩み惑え。
「――うぬ、木花。近日中に被検体と接触する。接触方法は君に任せよう」
季節はずれの藍を見つけ出し、その花びらをぷうと口で吹く。
「楽しみだね」
饒舌に語る少女の瞳には、憧憬が宿っていた。