プロローグ
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黒い傘に覆われた世界は、窮屈で息苦しい。
息を吸って吐いても暗雲漂う気分から逃れられず、明確な形をもたない何かに胸を塞がれていく。どこまでも続いているはずの空も海も、彼らの手の届くところにはなかった。空と海に見放され、陸のみが人類の手中に残された。
オゾンホールの拡大は紫外線の増大をもたらした。
人間の居住可能地域は徐々に減少していき、人々は真っ黒な〝天蓋〟に守られた地域での生活を余儀なくされる。
無論、宇宙開発も外国との交流も断念せざるを得なかった。地球は人間の住める場所ではなくなり、人々は残された土地を奪い合うようにして細々と生きるか、地下にわずかな希望を託して地下の奥底に隠れ潜んだ。
紫外線がもたらした転換はそれだけではない。食べ物を始めとし、地上にあったものは毒され、変質した。社会は以前のような贅沢な暮らしを維持できなくなり、かつての繁栄が跡形なく消え去るのも時間の問題であった。――というのは文明が未発達であったときに見えた未来。人々には創造という力があった。機械は量産され、紫外線があけた人口の穴を埋めていく。減った人口はアンドロイドによって補填されたのだった。
天蓋の外に出られるのは、許可証を持つ機械のみ。機械は自我を宿され、作り物の自己で考えながら世界を、日本を、良い方向に導いていると思われていた。
全ては幻想。ただの気休め。外に向けられない感情は内側に向けられ、徐々に精神を汚染していく。
大人になるための訓練も準備も、シミュレーションで克服できるようになった時代。同時に多くの者が現実に背を向けて仮想にすがった時代。
灰まみれの心を救えるのは、己を写す曇りなき鏡を宿した穢れなき少女達――通称魔法少女。
〝天蓋〟の警備にあたる飛行警備隊には地位や権力をかざさない少女らが選ばれた。少女だけが選ばれたのは、飛行機器への調和が全体的に高く、そしてなによりも「未熟な少女が戦う」ということに人類は興奮を覚えたのだった。健気な弱者の努力は強者の心を動かす。それが人類の歴史だ。弱者を守るという心が一方でとある欲に繋がるとしても。
機械と魔法少女という二つの車輪で小さな世界はかろうじて動いていた。
しかしこの二つも変化を強いられ、単純には解決できない淀みと歪みを抱えていた。
魔法少女は夢を見る。大空へ飛び立ち、天蓋の向こうにある世界へ放たれる夢を。
魔法少女は夢を見る。己の希望を盲目的に求め、空から落ちる、そんな夢を。
「きょーも……おそら、みえない……」
まだ十分に話せない幼い少女が、白い羽のような髪を揺らして人気のない路地に佇んでいた。腐った木で作った立札を手にし、立札に貼り付けた紙を道行く人に精一杯見せようとする。
『まほーしょーじょにさせてください』
ミミズが這いつくばったような文字は、一目見ただけでは解読できない。紙いっぱいに書かれ読みやすさを欠いた文章は難読さに拍車をかけた。
まほーしょーじょ。まほうしょうじょ。魔法少女。空舞いし飛行警備隊。
少女よりも童女という表現が似付かわしい白き幼子は、己を魔法少女にさせてくれる人間を見つけようと震える足で立つ。
そんな「明らかに異常である」少女を目にして、人は関わりたくないとそっぽを向く。知らない子供に憐れみの念を抱き温情を与えたとして、その子供は己の利益になってくれるだろうか。恩返ししてくれるだろうか。打算的な考えが渦巻く小道は手入れされずに荒れている。
「……だれか……だれか」
一人また一人と少女の前を通り過ぎていく。
確かに少女の服はぼろぼろで擦り切れており、本来白いはずの髪も曇っている。いわくつきに見える彼女の痩身を見て眉をひそめるのも仕方ない。それほど彼女の体は病的なまでにやせ細っていた。
ただアルビノ特有の赤い瞳だけは美しく、見たものの心を虜にする。同時に瞳の美しさはあまりにも強烈で、逆に誰も近寄せない要素となっていた。
風が吹いて、白い髪が羽のように広がった。その光景だけ見れば少女を天使や神様といった神格性に照らしてしまいそうになるが、少女はあくまでも少女であり、心は年相応に清く未熟だ。
ゆえに誰かが助けてくれると思っている。街にいれば誰かが手を差し伸べてくれると信じている。
「お前、魔法少女になりたいのか?」
――カラスが羽ばたいた。
白き少女の前で足をとめたのは黒で身を固めたくろうと。背は少女よりも頭数個分高く、腰まで伸びた髪の艶は深淵の闇に一筋の光を導く。均等の整えられた体型は人形かと疑うほど人類の理想体型に近い。やる気のない半開きの目も特徴的で、威圧的な美しい外見と自堕落で疲れた瞳が印象的だった。
「……お前、話せるか。私の声、聞こえているか」
自分よりも大きな黒い人間に凄まれ、しかし声をかけてもらったのは初めてであるため、白き羽を宿した少女はみるみるうちに笑顔へと変わった。
「空音、まほーしょーじょになりたいっ! お空とびたい!」
「空が飛びたいのか。だが魔法少女は危険だ。空を飛ぶのにも訓練が必要であるし、時と場合によっては人間と戦う必要が出てくる。お前はそれらをわかった上で、魔法少女になりたいと言うのか」
白い少女は黒い人間の言葉に少しだけ体をすくめた。それから数秒間を置いて彼女は頷く。
「うん。まほーしょーじょになって空を飛びたいの。でね、青い空を見たいの――」
少女にとって魔法少女への思いは誰にも邪魔できないほど崇高で、穢れのない夢であった。黒く塗りつぶされた空の下で、少女は眩しそうに夢を語る。
天蓋に守られて生きている者達は青空も曇空も雨空も知らない。たまに天蓋に何かがぶつかるような音を耳にすることはあっても、その現象が雨であることを昨今の人々は知らない。空を見て元気づけられることもなく、星を見てうっとりすることもなく、黒い空は閉じた世界を構築していた。
「お前、いくつだ」
と黒い人間が尋ねると、
「ろくしゃい!」
少女は六歳だと示したいのだろうが、両手を開いて十と表した。
それを見て黒い人間は溜息をつき、子供をあやすように口を開く。
「お前じゃ幼すぎる。数年待て。十歳になったら考えてやらなくもない」
体も心も育っていない少女が空を飛ぶのは危険すぎた。悪意を知らないためにそそのかされたり騙されたりすることもあるだろう。最悪白い羽をもぎ取られる可能性だって出てくる。
黒い人間は様々なことを考慮した上で白い少女に言い聞かせようとしたのだが。
「まてない……じいじ……死んじゃった……。ベッドで……だまって……うぐっ」
赤い瞳に透明な雫が溜まり、ひと滴ずつ頬を伝う。
「父親と母親はどうした?」
黒い人間は少女の泣き顔を見ても心一つ動かさずに、少女の頭を撫でた。
「ちちおやとははおやってなあに?」
「父親と母親っていうのはな――」
言いかけて黒い人間は口をつぐんだ。知らない方が幸せなこともある。知って自分の境遇が普通ではないと悩ませるぐらいなら、親という存在を教えずにいた方が少女には幸せかもしれない。
「私と来るか……? お前のための寝床も食事も私が用意しよう」
「ぽよ? 空音をまほーしょーじょにしてくれるの?」
「ああ。私がお前に空を見せてやる」
ありがとう、と少女は黒い人間に抱きついた。白い髪は黒い人間の黒髪に触れ、さらりと落ちる。白くて小さな少女と黒くて大きな人間。対照的に見える二人であるが、もともと一対の存在であったかのように空気が混じり合い調和する。
「やった! 空音の名前は空音!」
「私は翼だ。よろしくな空音」
「よろしくね、ツーちゃん!」
ツーちゃんと呼ばれ、黒い人間の鉄仮面が剥がれ落ちる。怖くないと優しく微笑んで、白い少女の――空音の小さな手をつかんだ。
「綺麗な髪だ。まるで羽が生えているかのような……」
「ツーちゃんの髪もきれいだよっ! カラスさんが飛んでるみたいっ」
「カラス……褒め言葉ではないな」
「そー? カラスちゃんかわいいよ! チョンチョンってよってくるの! パンくずとか出すと喜んでくれるの!」
「……わかったわかった。カラスは可愛いよ」
親子のように二人は歩き出す。一歩一歩同じ歩調で、互いが互いに寄り添うように同じ道程を踏んだ。
歩みを止めて過去を振り返ったとき、二人はこの出会いをどう思うだろう。希望へ至るものか、あるいは絶望へ堕ちるものか。夢を見るのは簡単だ。ただその夢から覚めたとき、もう一度笑いあえるだろうか。
あの空にまで飛んでいきたい。
魔法少女になったら、どこまでも飛んでいけると思っていた。
でも現実はそんなことなく、あの空までいけることはなく、ただ地面の餌をつつく鳥のようなもの。
じいじが子供の頃、空はまだ〝空〟として絵の具を転がしていた。
青と白に、それから黒。
でもでも黒は他の色を塗りつぶすのではなくて、優しく包む色だから。
だって黒の向こうで星が楽しそうに輝いているの。ぼくを目立たせるために黒くなってくれてありがとう、って。
空を、空を飛んでいきたい。
陸も海も越えて――空へ宇宙へと。
そのために魔法少女になるから。
だからツーちゃん。ずっと一緒にいてね。
09/03 イラスト追加