スタンピードのボスに立ち向かおう!
「……一体、なにが来る?」
疑問形で口にするが、晴輝はすでに判っている。
魔物の群れが通り過ぎた後、やってくるのはそれを扇動した大将――ボスだ。
現れた魔物は、見た目がシルバーウルフ。
だがサイズが二回りは大きい。
晴輝と同じくらいの背丈がある。
おまけに前傾姿勢の2足歩行で移動している。
あれはシルバーウルフの希少種――ワーウルフだ。
理解すると同時に、晴輝は敵に背中を向けて全力で逃げ出した。
勝てるはずがない!!
相手は中級冒険家が相手にする魔物である。
初級冒険家では相手にならない。
だからこそ晴輝は全力で逃げた。
だが、
「――がはっ!」
背後から突進を受け、晴輝はのけぞりながら10メートルほど吹き飛ばされた。
地面に衝突し、転がり、転がり、転がり……ようやく停止。
骨は……無事だ。
どこも折れていない。
だが、衝撃の残留が酷かった。
脳が揺さぶられて、平衡感覚が狂ってしまっている。
ワーウルフは晴輝の全力疾走に追いつき、さらに10メートル吹き飛ばすほどの速度で突っ込んできた。
その気になれば、瞬き一つで絶命するだろう。
爪楊枝の柄を折るように。
にもかかわらず、ワーウルフは不気味なほど静かに歩み寄る。
さあ、立て。立ち上がれ。
そして戦え!
そう言うかのように、威風堂々とワーウルフが晴輝を見下ろす。
ああ……こりゃダメだ。
ワーウルフを直視して、晴輝は理解する。
少し強くなったからこそ、理解出来た。
自分の力がほんの少しばかり強いだけなのだと。
敏捷を1上げて……いや、無理だ。
敏捷をたった1上げただけではこれの速度を上回れない。
もしそれで逃げられても、あとはどうする?
外に出られたら、晴輝が生き延びる可能性は上がる。
だが、ワーウルフも外に出てきてしまう。
晴輝の代わりに、誰かが死んでしまう。
晴輝が逃げたせいで死んでしまう。
晴輝が戦わないせいで、死んでしまう。
そんな未来は、さすがに許容できない。
晴輝は足に力を入れて立ち上がる。
構えるまでに1秒。
それだけあれば、ワーウルフは晴輝を殺せていただろう。
だがそれは待っていた。
まるで宿敵と出会ったかのように。
あるはこれから晴輝が、どのような戦いを見せてくれるか楽しみにしているかのように……。
「この視線を向けられると、案外ぞっとしないもんだな」
まるで鏡に映った自分を見ているみたいだ。
常々魔物を観察している晴輝は、そう呟いて苦笑した。
短剣を抜くと同時に、ワーウルフが動いた。
ワーウルフが軽く腕を薙いだ。
晴輝はそれを、眺めることしかできなかった。
あまりに早すぎて、反応出来なかった。
爪が構えただけの短剣にぶつかる。
重い衝撃。
それを反射だけで堪える。
遅れて晴輝の体が鳥肌を立てる。
これでジャブ。
これでもジャブだ!
それが筋肉の動きで、判ってしまった。
なんて奴なんだ!
まだ辛うじて、目で見える。
霞みを捕らえられる。
だがこれ以上は、霞むことさえない。
集中しろ。
集中するんだ!
脳に働きかけて、意識をコントロールする。
パニックに陥りそうな、自らの感情を抑制する。
観察し、察知し、想像し、防衛する。
動く瞬間のワーウルフの動きを、晴輝は認識する。
認識し、察知する。
右!
想像した通りの位置より、僅かにポイントがズレた。
ほんの少し、拳が頬をかすめる。
その衝撃で目眩。
僅かなブランク。
気づけば、晴輝は膝を突いていた。
腕力も相当。
まともに食らったら意識が根こそぎ持っていかれそうだ。
こめかみを、冷たい汗がつぅっと伝って落ちた。
ワーウルフが『それで終わりか?』という、挑発めいた目で見下ろした。
「……っく!」
歯を食いしばって立ち上がる。
そこからまた、1撃、2撃。
重たい攻撃を紙一重で受けていく。
「――っく!」
重たい攻撃を受けて、吹き飛ばされる。
何度も、何度も、何度も。
攻撃を受け、飛ばされ、転がり、立ち上がるを繰り返す。
「はぁ……はぁ……」
体はボロボロだ。
飛ばされる度に、心が悲鳴を上げる。
もう逃げろ。
諦めろ。
あとは自衛団に任せるんだ、と。
他人に任せれば、こんなに辛い思いをしなくていい。
無駄な足掻きで、痛めつけられなくて済む。
だから今すぐ逃げてしまえ!
しかし晴輝は、首を横に振る。
外に出れば、一体何人が犠牲になるかわからない。
冒険家は人を救う職業だ。
誰かを犠牲にする道を、晴輝は選べない。
攻撃を受ける度に、相手の予備動作、筋肉の動きを必死に脳に刻む。
予測したポイントと、結果をすりあわせ、修正を繰り返す。
相手にとっては軽い攻撃。
けれど晴輝には苛烈なそれを、何度も何度も短剣で受けていく。
生きている心地が全くない。
手も足も、攻撃を受ける度に反応が鈍くなっていく。
けれど――面白い。
晴輝はそんな状況を喜んでいる。
絶体絶命だというのに、笑っていた。
事実、ワーウルフが彼を見定めたように、
彼もまたワーウルフを見定めた。
面白い。
こんなに楽しいことはない。
「いいね。実にいい!」
狂っているのか、壊れているのか。
晴輝は攻撃を受ける度に、笑い声を上げた。
相手は強い。
自分よりも、圧倒的に強い。
対して晴輝はボロボロ。
もう死にかけだ。
そんな状況だというのに、体が熱を帯びる。
通常戦闘では顕れない力が、全身にあふれ出してくる。
どんどん、ワーウルフの攻撃を上手く防げるようになっていく。
知れば知るほど、見えてくる。
やればやるほど、精度が上がる。
ワーウルフの動きは、晴輝が出会った魔物の中で最も洗練されていた。
予備動作。筋肉の使い方。しなやかさ。重心。隆起。
すべてが綺麗に、無駄なく結果へと収束する。
まるで数式だ。
美しいからこそ、結果が自明になる。
目では捕らえられない攻撃なのに、直前の動作ひとつで判ってしまう。
これを楽しまずにはいられようか!?
ワーウルフが速度を上げた。
それでも晴輝は対応する。
もうワーウルフの攻撃はかすむことさえなく、かき消えている。
だが晴輝は攻撃を防ぐ。
攻撃するコンマ1秒前の、筋肉の躍動だけで、晴輝はワーウルフの狙いを割り出していた。
どこまでも戦えるような気がした。
なにかが出来ると、確信さえ出来た。
けれどまだ、足りない!
ワーウルフの全力だったのだろう。
攻撃を防いだ晴輝は、全力の防御態勢でさえ吹き飛ばされてしまった。
ワーウルフの腕力を止めるだけの力は晴輝にはなかった。
晴輝とワーウルフの距離は30メートル。
次に立ち上がったときが、最後だろう。
そんな予感がした。
予感を肯定するように、ワーウルフから強い殺気が放たれる。
晴輝はスキルボードを取り出して、ポイントを1つ割り振った。
そして短剣を持って立ち上がり、仮面を装着する。
晴輝が立ち上がった姿を見て、ワーウルフがにやりと笑った。
あたかも、戦友の健闘を称えるかのように。
そして晴輝がいよいよ自らを殺しに来る事を、
次の攻撃が最後だということを、彼も確信したようだ。
ワーウルフの姿がかき消えた。
「――ッ!」
次の瞬間、
ワーウルフは晴輝の目の前で攻撃を繰り出していた。
だが晴輝は既に防御の体勢を取っている。
次に、どの位置に攻撃が来るかは判っている。
晴輝はただそれを、なぞるだけで良い。
そしてそれは丁度、晴輝の狙い通りの攻撃だった。
ワーウルフが、トップスピードのまま晴輝を切り払おうと腕を振るう。
にやり、晴輝は笑う。
僅かに受けのタイミングをズラし、右の短剣で攻撃を滑らせ流す。
そして、
「おぉぉぉぉっ!!」
晴輝は自らの予測ポイントに、
ワーウルフと全く同じ綺麗な動きで、
左の短剣を突き出した。
それは先日、朱音から購入した魔剣。
ブラックラクーンを討伐しているあいだにずいぶんと切れ味が増している。
-技術
模倣0→1
晴輝がワーウルフの動きを模倣して、流れるような動作で突き出した。
ブラックラクーンで成長させてきた魔剣が、ワーウルフの胸に入り込んだ。
ワーウルフの勢いを利用した。
そのため、魔剣は思いのほか深々と突き刺さった。
だが、
「――ガハッ!!」
晴輝は衝撃をもろに食らってワーウルフと共に吹き飛んだ。
仮面が飛び、短剣と魔剣が手を離れる。
地面に落下し、何度も転がる。
手足が千切れたのではないかと思うほど、激痛が脳を刺激する。
僅かな空白。
痛みに顔をしかめながら、瞼を開く。
地面に倒れた晴輝の横に、胸に魔剣が埋まったワーウルフが倒れていた。
胸からはドクドクと血液が流れ出している。
ワーウルフの目はまだ動いていた。
だが、それだけ。
立ち上がろうとしない。
心臓を突き刺したのだから、立ち上がられては困ってしまう。
ワーウルフが晴輝に目を向ける。
その瞳に、憎悪はない。
むしろとても人間らしい色を浮かべていた。
『あーあ、やられちまったなァ』とでも言うみたいに。
「……割と楽しかったよ。でも、もうこりごりだ」
そりゃそうかい。
軽口を叩くみたいにワーウルフは笑い、そして瞼を閉じた。
途端に、ぼぅっと体に激しい熱が宿る。
いまだかつて無いほどの熱量だ。
起きていることさえ出来ず、晴輝はそのまま意識を失った。
次回、いよいよ晴輝くんの存在感が成長します。