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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅡ
241/547

ありふれたアフターⅡ ティオ編 王の心得 中編

 荘厳な扉を抜けた先に広がっていたのは、穏やかな蒼穹だった。


「ここは……」


 そう呟いたのはローゼだ。飛空艦ロゼリアへと戻ったローゼは、ハジメが作り出した天空の扉を、飛空艦アベリアや空母艦アーヴェンストと共に潜り抜けた。その先に、自分達の戦場があると覚悟を決めて。


 それでも、先程までの、神話の光景とも称すべき雷炎の海と渦巻く雲海の狭間にあった戦場を思えば、こんな穏やかな空にいると、あるいは夢でも見ていたのではないかと疑ってしまう。


「ローゼ様っ。か、下方に、クヴァイレンッです! 距離1000!」

「え?」


 観測担当からの報告に、ローゼはつい呆けた声を出してしまう。艦橋から見える空は透き通るほどの蒼で、雲海の少し高いところには朝日が昇っている。平和的ともいえる光景の中、なにを言っているのかと、船体下方を映すモニターに視線を向けて……


「ちょっと意味が分からないです」


 思わず、そんなことを呟いてしまった。引き攣り顔&冷や汗を滝のように流しながら。


 それもそうだろう。飛空艦ロゼリアとアベリア、そして空母艦アーヴェンストが浮遊する下方には、今まで近づくこともできなかった故郷の地――クヴァイレン天空神国、否、アーヴェンスト竜王国の浮遊大地が存在していたのだから。


『陛下! しゃんとしろ! ここにはアーヴェンストも来ちまってるんだぞ!』

「っ」


 空戦機のドッグで搭乗しながら待機しているボーヴィッドから叱咤が飛んだ。


 それにハッと我を取り戻したローゼは、奥歯をギュッと噛み締める。同時に、「ハジメ様のあほぉ~~~っ。導いてほしいとは言いましたけどっ、いきなり目標の頭上に放り出すとかっ、あほぉ! ばかっ。鬼畜ぅ!」と、内心で盛大にハジメへ罵倒を飛ばした。


『アーヴェンスト、聞こえますね!? 今すぐ、退避を――』


 主砲どころか、障壁も戦闘機動もできない空母艦アーヴェンストの退避を、指揮をしている艦長に命じようとしたローゼだったが、その前に、


 盛大な警報音が早朝の空に響き渡った。怠惰を貪る者も一発で飛び起きそうな警報に、ローゼはビクゥッと体を震わせる。


 頭の中にはどうしよう、どうしよう、ハジメ様のあほぉ、どうしよう! と同じ言葉と罵倒がリフレインする。パニックになりかけたローゼだったが、そこで、相棒から「しっかりしろ!」と叱咤が届いた。


 ペチッと、無意識に抱き締めていたクワイベルが、その尻尾でローゼの頬を叩いたのだ。抱き抱える相棒に視線を落とせば、そこには、どちらかというと甘えん坊な気質のクワイベルが、ジッと自分を見つめている姿があった。


 揺らぎなく、驚くほどの深い竜眼が、真っ直ぐにローゼを見つめている。


――ああ、そうでした。覚悟なら、みなと共に、既に済ませていました


 ふぅ~~と、一つ、大きく息を吐いたローゼは、次の瞬間、カッと目を見開いた。そして、蒼白になっている艦橋内の仲間と、モニター越しのアベリアとアーヴェンストの仲間をしっかり見渡す。


『戦いましょう』


 静かな、されど確かな威厳と力強さを持った言葉。


『いま、この時も、あの空で戦っている古き友と並び立つために』


 それは、竜王国の女王の言葉。


『囚われの友と、同胞を救うために』


 空賊に身を落とし、幾度となく大切な仲間を失いながらも、決して古き良き時代の想いを捨てなかった者の言葉。


『世界を、変えるために』


 ここにいるのは、戦闘要員だけではない。ただの民もいるのだ。むしろ、彼等の方が多い。普通なら、連れて来るべき場所ではない。だが、そんな言葉を、空母艦アーヴェンストにいる老若男女は聞きはしないだろう。


 ローゼ達を失った彼等に、未来はないのだ。ここが、ターニングポイント。ただ逃れ、弄ばれながら緩やかな滅びを迎えるような未来を、竜王国の末裔達は、誰一人として望んでいない。


 そうでなければ、あの天空の扉をくぐりはしなかった。


 だから、


『戦いましょう』


 女王の呼びかけへの返答一つ。決意の眼差しと、『御意っ』という応えの言葉のみ。


 ローゼは口元に笑みを浮かべた。それは、さっきまでさんざん罵倒していた、あの男が浮かべたのと同じような不敵な笑み。


『全てを奪還します! 変革の一戦、ここにあり! 全身全霊を賭けましょう! 空戦機部隊、全機発進っ。完全に動き出す前に、守護艦隊に可能な限りのダメージを! アベリアは、守護艦隊旗艦を集中砲火! アーヴェンスト、頭上より物理兵器による援護を!』


 乱れ撃ちのような命令が飛ぶ。


 まるで羽化した蝶が一斉に飛び立つように、全ての艦から空戦機が飛び立つ。主要部隊は、先の襲撃で手痛い被害を受け、数を減らしているが、その数は二百に到達する勢いだ。


 正真正銘、船上国家アーヴェンストが保有する最大戦力。中にはまだ教練を終えていない若者もいるし、既に引退した老人もいる。機体も、状態がいいものばかりではない。武装も旧式が多い。


 だが、その戦意の高さは本物だ。


『全部隊、守護艦隊の艦橋を狙え! 守護障壁を張られる前に懐へ飛び込んで離れるな! 守護艦隊の障壁は強力だっ。一度張られた後に、障壁の外にいたら、役立たずになると思え!』


 空戦部隊一番隊にして総隊長のボーヴィッドが指示を飛ばす。腕が未熟ならすぐに衝突して死亡という危険極まりない戦術だ。だが、守護艦隊の障壁は、防御艦隊のそれより強力で、本体から五十メートルくらいの位置に展開される。空戦機の武装では、とても突破はできないし、近づくこともできなくなる。


 逆に言えば、展開される前にその五十メートル以内に接近してしまえば、攻撃は通るということだ。


 そんな無茶な戦術に、しかし、怯む機体は一機もいなかった。あるいは、そのまま特攻でもする気ではと思わせる勢いで、停泊状態からようやく始動を開始した全二十の守護艦隊へと迫る。


「ローゼ様。準備はできております」


 ローゼの背後に控えていたサバスから声がかかる。ローゼはコクリと頷いた。己の意を汲んで動いてくれたサバスに覚悟の決まった不敵な笑みを見せる。サバスもまた、穏やかな微笑みの中に獣のような獰猛さを潜ませて頷いた。


 ローゼが、艦橋内を見渡す。


「みんな、ロゼリアを任せます。クワイベルが戻るまで、どうか耐えてください」

「ぴぃっ」


 ローゼの代わりにロゼリアを受け持つ男――カーター=ギルトンが深く頷くに合わせて、他の乗員達も強く頷いた。


 踵を返したローゼの後に、サバスとクロー姉弟、そして十名の最精鋭近衛部隊員が続く。


 作戦は単純だ。王宮内最深部にある王竜に力を与える泉――【真竜の涙泉】にクワイベルを連れていく。そこで一時的に成竜として覚醒したクワイベルの力で守護艦隊を撃破するのだ。


 艦隊さえ失ってしまえば、王竜としての力を振るえるクワイベルを打倒できる存在など、神国にはいない。グレゴールという王の恐怖と暴力という支配力で成り立っていた国だ。守護艦隊が陥落した時点で、戦意など保てるはずもない。


 問題は、守護艦隊相手にアーヴェンストがどこまで時間稼ぎをできるか。王宮に少数精鋭で潜入し、クワイベルが戦場に戻るまでにアーヴェンストが全滅しない保証はない。


 外で轟音が響き出した。ボーヴィッド達空戦機部隊が死のダンスともいうべき超近接戦闘を開始したのだ。この奇襲で、どこまで守護艦隊にダメージを与えられるか、それがこの戦いの鍵となる。


 それが分かっているから、きっとボーヴィッド達は無茶をするだろう。それこそ、ローゼ達を救うために、ボーヴィッドが己の身を盾にして敵弾を受けたときのように、身命を賭すに違いない。


「どうか、みんな……無事で」


 ロゼリア船底で銃器を装備しながら、ローゼはそう呟いた。決意はあっても、覚悟はしても、愛しい人々が散っていくだろうことに、心を痛めないはずがない。グッと噛み締められたローゼの口元が、何より雄弁に、その圧壊しそうな心を示している。


「ぴぃ」

「くーちゃん……」


 クワイベルの強い瞳。


「ローゼ様」

「じぃ」


 サバスの揺るがない微笑み。


「陛下」

「ローゼ様」


 クロー姉弟の不敵な笑み。


 追従する近衛部隊員も、同じように笑う。


 それらを見て、きっと、アベリアのみんなも、ロゼリアのみんなも、そしてアーヴェンストの愛しき人々も、同じように力強く、不敵な笑みを浮かべているに違いないと、ローゼは確信する。


 死地に赴く決断をしたローゼに、恨み言など一つもなく。


 船底のハッチが開いた。ロゼリアは散発的に始まった地対空攻撃をかわしながら王宮の頭上へと飛行する。流れるように下方を過ぎ去るのは、初めて見る故郷の街並み。


 あぁ、とローゼは心の中で感嘆の溜息を吐く。赤子の頃に連れ出されたローゼに、竜王国の記憶などない。だが、それでも、〝帰ってきた〟という想いが溢れ出す。


 そして、それはきっと、知らない故郷を想う自分より、この国を知っている古参の民の方が、よほど強いだろう。


 空戦機に乗った彼等は、飛空艦や空母艦から眼下を見下ろす彼等は、どんな想いをしているのだろう。


 万感の想いを抱いているのだろうか。きっと、昔と全く同じということはないだろうから、変えられてしまった祖国を見て憤っているのだろうか。その想いを抱えたまま、次の瞬間には死ぬのかもしれない。生存率の著しく低いこの戦場では、彼の想いが爆炎と共に降り注ぐのだろう。


 だが、きっと、誰一人、最後の瞬間まで飛ぶことを止めないに違いない。


 何のため? 決まっている。


――あぁ


 と、もう一度、ローゼは深い想いを吐き出した。


 オートマチックの銃を片手に、その銃身を額に当てて、祈るように瞑目する。


 今、分かった。王とは、自分とは、なんなのか。自分が、何をなすべき存在なのか。


「未来を想い、今を生きるために――決断をする。天秤の両方に、大切なものを乗せて」


 グレゴールは、力の真理を掲げた強奪の王だった。従う者には支配を、逆らう者には死を。それも、一つの在り方だったのだろう。


 ローゼとて、似たようなものなのかもしれない。


 全ては選べない。選択しなければならない。神ならぬ身では、理想は掴めない。選択の結果、誰かを切り捨てることになるのだとしても、全てを失わないために、ローゼは選ばなければならないのだ。


 未来と、今を生きる人々のために、苦楽を共にした戦士達を死地に飛び込ませたように。


 だが、それを間違いだとは思わない。なぜならそれは、自らの意志で応えた戦士達を侮辱することになるから。


 だから、なろう。


「なりましょう。戦う女王に。戦士達の女王に」


 優しい王様は、私の次の誰かがなればいい。その誰かに未来を繋ぐために、自分は戦う王になろう。そんな想いの篭ったローゼの言霊に、サバスは少しだけ寂しそうな表情を、クロー姉弟は瞑目を、近衛達は引き締まった表情を見せた。


 そんな彼等に振り返ったローゼは、


「行きましょう。私達の戦場へ」


 そう言って、躊躇いなく飛び降りた。


 サバス達は互いに頷くと、己を定めた愛しい主に続いて同じく飛び降りた。



 空中に躍り出たローゼ達は、当然、星の理に従って自由落下を始めた。轟々と唸る風の音を耳にしながら両手を広げてバランスを取る。


 一瞬で、地上までの距離がなくなる。眼下にあるのは王宮。


「くーちゃんっ。あのテラスにっ」

「ぴぃっ」


 風にも負けない声量でローゼに言えば、クワイベルが即座に応える。白銀の光を纏ったクワイベルが鳴き声を上げれば、途端、ローゼ達にも同じ光が纏わりついた。


 ふわりとローゼ達の体が重力の楔より解き放たれる。空中で一回転したローゼ達は着地姿勢を取った。クワイベルが落下位置を調整して目標とした王宮の最上階付近にあるテラスへと誘う。


 と、そのとき、乾いた破裂音と同時に鋭い風切り音が響いた。運よく当たらなかった弾丸が、ローゼ達の隙間を抜けて空へと駆け上がっていく。


 見れば、王宮の庭に兵士が数人。ローゼ達を指さしながらライフル銃の銃口を向けている。


「お任せを」


 直後、そんな兵士達に銀色の閃光が降り注いだ。空を切り裂くかのように放たれたそれらは、有無を言わさず兵士達の顔面に突き刺さり、彼等を糸の切れたマリオネットのように脱力させる。


 ローゼがその犯人に目を向けると、彼――サバスは油断なく庭に視線を走らせながら、その指の間に三本の――食事用ナイフを挟み込んでいた。


 どうやら、この執事モドキ、百メートル先の地上にいる複数目標に対して、食器で対応したらしい。


と言っている間にも、銃声を聞きつけた兵士がテラスや庭先に姿を見せた――のだが、


「疾っ」


 食器が飛ぶ。磨き抜かれ、普段は空母艦アーヴェンストの厨房にしまわれている銀色のナイフが!


 スタッと、ローゼ達は無事にテラスへと降り立った。そして、どういう原理なのか、シャコンッと小さな音を響かせて袖口に食事用ナイフを収納したサバスに、何とも言えない表情をしている近衛達を代表して、ローゼが尋ねた。


「なぜ、食器?」

「執事ですので」


 元近衛部隊の隊長で、クロー姉弟を見出してからはその立場を譲り、ローゼの執事となったサバスの経歴は、この場の誰もが知るところ。その実力も、だ。だが、上空から百メートル先の地上にいる敵を、食器で狙撃するような人外じみた技を持っていたなど、誰も知らない。


 一応、現役時代は、旧時代の遺物と成り果てたはずのリボルバーを使ったクイックドロウを得意としていたことは知れているのだが、まさか引退後に新たな技能――食事用ナイフのクイックスナイプ、なんてとんでも技を習得しているとは思わなかった。


「なにをボサッとしております。さぁ、早く先に――疾っ」


 言っている間にも、手品みたいに出現した食事用ナイフが、隣のテラスに飛び出してきた兵士の眼球に突き刺さる。


 更に、慌てて顔を引っ込めた兵士に対し、サバスは躊躇いなく食事用ナイフを明後日の方向へ投げた。食事用ナイフは、テラスの天井付近にある装飾に跳ね返ると勢いよく回転しながら出入り口へと飛び込み――


「ぐぇっ」


 一つの呻き声を生み出した。ついでに、どさりっと何か重いものが倒れたような音が響く。


「「「「「……」」」」」

「どうされました、ローゼ様。早く中へ」

「ア、ハイ」


 戦士の女王になると決めたローゼちゃん。本物(?)の戦士(執事)の超人技を見て、早くも心が折れかけていた。


 気を取り直して室内へと踏み込んだローゼ達。


「じぃ、先陣を。王室の隠し通路から、一気に地下へ行けるはずですね?」

「はい。塞がれていなければ、ですが。グレゴールが己の逃げ道をわざわざ封鎖するとは思えません。おそらく、問題はないでしょう」


 サバスが部屋の扉を僅かに開け、素早く廊下へ視線を走らせる。そして、一つ頷くと王宮内を知り尽くした者として先陣を切った。


 その後を、六名の近衛部隊員が一糸乱れぬ動きで追従し、後に続くローゼの両脇をクロー姉弟が、背後を四名の部隊員が固める。


「むっ」


 突然、サバスが警戒の声を出した。と思った次の瞬間には、一気に加速!


 廊下の角から飛び出してきた兵士に、ズドンッと大砲でも撃ったかのような衝撃音を響かせてボディブローを決める。声もなく、悶絶する暇もなく、ぐりんっと眼球を裏返しにして白目を剥いた兵士が倒れる――


 ことを許さず、その襟首を掴んで立たせた。


 すると、そこへ複数の発砲音。サバスに掲げられた兵士が出来の悪いマリオネットのように踊る。同時に、サバスの掌底が、死体に鞭打つように盾にされた兵士の腹部へ叩き込まれた。


 ほぼ密着状態だったというのに、砲弾のようにかっ飛ぶ哀れな兵士A。


「うおっ」

「な、なんだっ」


 銃撃していた後ろの兵士達は、突然水平に飛んできた仲間の死体に泡を食って回避する。そう、銃撃を中止して。


「ふんっ」

「がはっ」


 再び、大砲モドキのボディブローが兵士Bに炸裂。腹を押さえて前屈みになったまま膝から崩れ落ちる。口から泡の混じった血反吐を吐き、ビクビクと痙攣している。


「てめぇ――」

「ハッ」

「ごぇっ」


 兵士Cが銃口を向けるが、視界に映るのは翻った執事服の端っこだけ。懐に潜り込んだサバスの肘打ちが胸骨の中心部に叩き込まれ、ボギュという聞いたこともないような悲惨な音を響かせる。


 ぐらりと背後へ倒れる兵士Cを気にした様子もなく、サバスは、倒れるに任せて兵士Cの腰のホルスターからハンドガンを引き抜いた。


 ……きっと、兵士Cの後ろにいた兵士DとEは、ゆっくりと倒れる仲間の陰から、真っ直ぐに自分達へ銃口を向ける執事服の老人が現れたという非現実な光景を目にしたことだろう。


 タンッ、タンッ。


 銃声は二発。ヘッドショットも二つ。


 ドサリッと倒れる兵士DとE。


「あ、あそこだっ」

「くそっ、フリッツ達がやられてる! あの執事服の男だっ」


 わらわらと銃声を聞きつけた兵士達が廊下の角から更に現れた。廊下は直線。兵士達が現れた角までは、十メートルほどある。


「じぃっ、もど――」


 ローゼが「戻って」と声をかけようとした。が、その前に、サバスは動き出した。


 前方へ。


 地を這うような低姿勢で、まるで放たれた弾丸の如く疾走する。


 翻る執事服の裾が美しい。


 盛大なマズルフラッシュ。放たれる弾丸の嵐。


 しかし、それは老執事には掠りもしない。


「なんでだよ!?」


 兵士の一人が思わずツッコミを入れた。左右に小刻みに揺れ動きながら、僅かにも停滞せず、銃弾にも当たらない老執事は、もはやホラーの領域だ。


 実際には、銃口の向きから射線を割り出し、撃たれる前に当たらない場所へ退避しているだけなのだが、傍から見れば十分わけの分からない状況である。


「くそったれっ」


 兵士Fが、たまりかねたように廊下の角から飛び出し、腰だめに構えたライフルをフルオートで解放した。


 避けられないよう、左右に満遍なくばら撒いてやろうという意図なのだろう。


「笑止!」


 執事さんが何か言った。


 直後、扇状に薙ぎ払われたライフルの弾丸は、サバスの真下を虚しく通過することになった。そう、サバスは廊下の壁を蹴って、三角飛びの要領で空中に退避したのだ。


 同時に、牽制の弾丸を廊下の角に身を隠していた兵士達に放ちつつ、天井のライトの装飾部分に指を引っ掛けて、振り子の要領で跳躍距離を延ばしつつ更に加速。


 某捻り過ぎな体操選手の有名技であるシ○イも真っ青な空中捻りを見せつつ、兵士Fの頭上でちょうど逆さ状態になる。そのまま、弾の切れたハンドガンを別の兵士に投げつけつつ、兵士Fの顎を掴み、捻る勢いに任せて首をぐりんっした。


 くるくるとダンスでも踊るように回転しながら倒れる兵士Fの影で、華麗な着地を決めたサバスに銃弾が迫る。


カンッ


 と、軽い音がした。


「そんなのありか!?」

「そんなのありですか!?」


 重なったのは兵士Gと女王様のツッコミ。それも仕方ないと言えば仕方ない。なにせ、サバスさんはライフル弾を弾いたのだ。


――どこからか取り出したピカピカに磨き抜かれた銀色のトレーで。


「執事たるもの、銃弾くらいトレーで弾けなくてどうしますっ」

「いや、それはおかし――ぐぇっ」


 一応、サバスの取り出した銀トレーは、銃弾も弾けるよう頑丈に作られた特別製で、更に弾いたというよりも角度をつけて当てることで〝逸らした〟という方が正しいのだが……


 どちらにしろ、普通ならトレーを弾き飛ばされて弾丸を食らうのが関の山なので、意味不明なことに変わりはない。


 取り敢えず、ツッコミを入れた兵士Gは、フリスビーのように飛んできた銀トレーに喉を潰されて、カエルの鳴き声のような呻き声を上げて倒れた。


 ハッと我を取り戻した兵士達がライフルを構え直す。兵士Hの銃口が、眼前まで迫っていたサバスの額をロックオンする。


 が、引き金を引く寸前で、


「き、消え――」

「遅い」


 深く沈み込んだサバスの姿をとらえ切れず、消えたように見えて動揺をあらわにする。そして、下から聞こえた声に戦慄する暇もなく、跳ね上がってきた執事キックに顎を粉砕&首ぐりんっをされて昇天した。


「このっ、ばけもんがっ」

「死ね、じじぃっ」

「てめぇ、ぶっころ――」


 サバスを取り囲む兵士I、J、K。至近距離三方から銃口が向けられる。刹那、三人はそれぞれ短い悲鳴をあげることになった。芸術的な円軌道を描く蹴りの遠心力に乗ったまま、サバスが一回転すると同時に。


 見れば、兵士Iの目には裁縫用の針が、Jの腕には一本のナイフが突き刺さっており、兵士Kの手首からは血が噴き出していた。


 痛みに怯む三人は致命的な隙を晒す。当然、竜眼もかくやという鋭い眼光を放つ老執事が、その隙を見逃すはずもなく、


「疾っ」


 上下逆さとなった世界で華麗にブレイクダンスを決める執事様。


 もう一度、言おう。翻る執事服が美しい。


 サバスの長い足が、円状に振るわれる。光沢のある執事シューズの先からは、鋭いナイフが飛び出している。それが、吸い込まれるように兵士達の喉を撫でた。


 ピシャッと、サバスの足の軌道に合わせて、壁に血一文字が描かれる。


 危険極まりないブレイクダンスから復帰し、片膝立ちになったサバスはサッと立ち上がると、パッパッと裾を払ってから、やはりどこからともなく折り畳み傘を取り出した。


 それをパッと広げると同時に、プシャーーッと血の雨が降り出す。もちろん、傘を差すサバスにはかからない。


 どさりと、頸動脈を裂かれた兵士達が崩れ落ちる。


「ふむ。手慰みに作ってみましたが、少しは役に立ちましたな」


 そんなことを呟いて、折り畳み傘の手元を捻るサバスさん。骨組みが外れ、中棒だけになると同時に、先端からシャキンッと鋭い両刃が飛び出した。


 そして、それを構え直すと、やり投げの選手のように、廊下の奥へ投げる。


「う、うおぉおおおおっ」


 絶妙なタイミングで、どうやら隠れていたらしい最後の兵士が飛び出してきた。そして、ちょうどよく喉に傘の一撃を受けて、キョトンとしながら後ろへ倒れた。


「さぁ、ローゼ様。ひとまず前方の危険は排除しましたぞ。物量で迫られては敵いません。先を急ぎましょう」

「ア、ハイ」


 死屍累々。そんな廊下の惨状に頬を引き攣らせながら、ローゼとクロー姉弟、そして近衛達はサバスのもとへ駆け寄った。


「ね、ねぇ、じぃ。さっき、兵士達に囲まれたとき、なにをしたのですか?」


 兵士I、J、Kが、突然ダメージを受けたときのことだろう。サバスが何かをしたのは分かるのだが、速すぎて何をしたのかまでは分からなかった。


 どうやら、それはローゼだけでなく、クロー姉弟や近衛達も同じだったようで、むしろ彼等の方が気になっているようだったので、ローゼはそんな場合ではないと分かっていながら、つい質問する。


 警戒しつつも、迷いのない足取りで廊下を駆けるサバスは、一瞬、「貴方達まで見えなかったのですか?」と、クロー姉弟と近衛達に鋭い眼光を向けた。ビクンッと震える彼等に、サバスはいかにも嘆かわしいといったように頭を振りつつ答える。


「大したことではありません。口の中に仕込んでいた裁縫用の針を飛ばしつつ、射出可能な袖の中のナイフを飛ばし、同時に裁縫にも使える少々頑丈な糸を飛ばして手首を切っただけのこと」

「そ、そうですか。でも、じぃ。なぜ、裁縫用?」

「執事ですので」


 師匠に当たるサバスの言葉を聞いて、直弟子であるクロー姉弟は思った。「この人、引退して執事になってから更に強くなってやがる」と。そんな、クロー姉弟に、サバスは更に鋭い視線を飛ばした。


「もちろん、この程度のこと、オルガとジャンにも可能ですぞ。……そうだな? お前達」

「イ、イエスッサッーー」

「ら、楽勝でありますぅっ」


 もちろん、できない。同じ状況で、銃を使うのならば、同じ人数の敵を撃破することは二人にも可能だ。だが、ほぼ銃を使わず、一分もかからずに、完全武装した兵士複数を相手に近接戦闘のみで片をつけるなど……


 近衛隊員達が、隊長と副隊長に同情の眼差しを向けている。


 もしかすると、執事という職業に最強がデフォルトで備わっているのは、どの世界でも同じなのかもしれない。


「もう、じぃ一人で大丈夫なんじゃ……」


 思わず、小さく呟いてしまったローゼに、近衛達は遠い目をするのだった。





 しばらく、サバスの鬼神の如き戦いで遭遇戦を踏破していったローゼ達は、遂に王宮の中心部にある王族の私室の一つへと辿り着いた。


「ローゼ様。ここは、ローゼ様のお母上――アベリア様の私室だったお部屋です。生まれたばかりのローゼ様を、アベリア様はこのお部屋で、あやしていたのでございますよ」

「ここが、お母様の……」


 部屋の中は簡素だった。家具や調度品はほとんどなく、代わりに雑多な荷物が置かれている。どうやら誰かの私室としてではなく、物置代わりに使われているようだ。


 それでも、なんとなく、ローゼは想像できた。写真でしか見たことがない母が、ここで、そうきっと、あの窓枠なんかで、赤子の自分を抱きながらあやしている姿を。


「ローゼ様。兵が来ます」


 廊下を見張っていた近衛の一人が小さい声で呼びかける。


 溢れる想いに蓋をして、ローゼはサバスを見た。サバスは一つ頷くと、床の一か所を強く踏みつけた。そして、歩幅を確認するように右へ左へと動きながら五カ所ほどを同じように踏みつける。


 すると、壁の一部が、キィンと小さな機械音を響かせ、手の平サイズの蓋がスライドした。そこには、この世界の文字盤があった。


「――〝誇り高く(ロゼ)共に歩む者(フィ・エルテ)〟でございます。ローゼ様」

「……はい」


 隠し通路を開くパスワード。自分のファーストネームとセカンドネームに語感の似た言葉。自分の名前に込められた想いを胸に、ローゼは文字を打つ。


 壁の奥で、機械の作動音がした。


 刹那、


「ローゼ様っ」

「っ」


 響き渡るのはサバスの声と、連続した発砲音。


「くっ。罠かっ」


 オルガが歯噛みしつつも、調度品の陰から飛び出したセントリーガンらしき自動迎撃機関銃に弾丸を撃ち込んだ。


「じぃっ!?」

「っ、油断しました。認証装置に連動してトラップを張るくらいのことはしていましたか……」


 グレゴールは、ここに追い出した王族が舞い戻ることを想定していたのだろうか。この部屋の隠し通路を開く手順を知っているのは、王国を簒奪される前においても、王族と近衛隊長だったサバスくらいのものだ。


 そして、王族が、ローゼの家族が敵方に情報を漏らすわけなどなく、故に、ここは開けられないと思っていたサバスだったが……


 あの悲劇の日から数十年もあれば、認証装置に細工をするくらい、確かにあり得ることだ。あるいは、認証装置まで辿り着いておいて、その先に進めなかったことへの腹いせなのかもしれない。


 サバスは、気が付けたことに気が付けなかった己に、「鈍っている」と内心で吐き捨てて立ち上がった。その拍子に、ポタポタッと血が流れ落ちる。執事服の脇腹が、黒故に目立たずとも変色しているのが分かった。


「じぃっ、怪我を!? は、早く治療をっ」


 サバスの脇腹に手を伸ばすローゼだったが、その手はサバス自身に止められる。同時に、廊下から銃撃音が響き出した。先程の銃撃で居場所を把握され、兵士達が駆けつけてきたのだ。


 入口に陣取る近衛達が「数、二十以上! 長くは持ちません! お急ぎをっ」と怒声を上げながら応戦している。


 サバスは頷くと、鋭い眼光を、クロー姉弟へと向けた。


「オルガ、ジャン。近衛の本分を全うせよ。ローゼ様とクワイベル様を、真竜の涙泉へ、命に代えてもお連れしろ」

「……はっ。必ず」

「はい、師匠っ」


 とても、負傷したとは思えない覇気を放ちながら、そう命じるサバスに、愛弟子である姉弟は息を呑んだ。サバスの覚悟を感じ取ったのだ。


「じぃ、なにを言って――」

「お行きください、ローゼ様。じぃは、ここで敵を食い止めます」

「何故!? みなで通路に入って、扉を閉めればいいではないですか!」


 サバスは首を振る。そして、部屋の中に飾ってあった絵画目がけて発砲した。


「迂闊でした。隠しカメラです。おそらく、パスワードを知られました。これより先は細い通路が地下まで続きます。上から襲われては守り切れません。これは私の失態。挽回の機会を頂きたい」

「そんなことっ。いいから、みなで早く通路に!」


 廊下へと歩き出すサバスの腕を掴むローゼ。直後、「っ、砲撃! 伏せろっ」と警告が響いた。サバスがローゼを庇うと同時に、扉付近が爆炎に包まれ、応戦していた近衛四人が吹き飛ばされる。


 鍛えられた肉体が気絶を免れさせたようだが、あちこちから血を流して咳き込む口からも血を吐いていることからすれば、内臓を損傷したのは間違いない。明らかに重傷だ。


 無数の足音が響き渡る。駆け込んできた兵士達が扉から顔を覗かせる。


ストンッ


 と、彼等の眼球や咽喉にナイフが突き立った。更に、投げられた黒い物体――手榴弾が廊下に転がり出て爆発する。


 再び響き渡った轟音の後に、廊下から呻き声が漏れ出した。


「オルガ、ジャンッ。ローゼ様を連れていけ!」


 サバスの声が響く。


 廊下へ駆けるサバスは、ナイフで殺した兵士二人のライフル銃を奪うと両手を広げて左右の廊下に撃ち放った。再び、「ぎゃっ」「がぁっ」と苦悶の声が上がる。


「じぃ、戻って! これはめい――」

「覚悟を決めたのではなかったのかっ」


 戻れと命令しようとしたローゼに、サバスの、今まで聞いたこともない怒声が突き刺さった。扉の影に身を隠しては廊下に突き出したライフルの引き金を引き続けるサバスに、絶句するローゼ。彼女にとってサバスは好々爺そのもの。こんな風に声を荒らげられたことなどない。


「じ、じぃ……」

「戦うと決めたのだろう! 大切なものを天秤にかけると誓ったのだろう! 未来のために、今を生きる決断をすると、そう定めたのだろう!」


 ならば、


「選択してみせよ! それとも、この老骨のために、未来を捨てる気か!?」


 そうだ。自分が定めた道は、こういう道だ。王は、選択しなければならないのだ。


 覚悟をしたのだ。それでも、サバスは、親を知らないローゼにとって、本当は……


「……っ。オルガッ、ジャンッ。サバスと共に足止めする人員を選抜しなさい! 残りは私と共に!」

「は、はっ」

「御意っ」


 零れ落ちそうになった目元をごしごしっと拭ったローゼは、隠し通路へと身を翻す。


 そして、吹き飛ばされ満身創痍であるものの、自らライフルを手に取って復帰した近衛四人と共に応戦しているサバスへ肩越しに振り返る。


 サバスもまた、リロードしながらローゼへと視線を向けた。


「サバス、ここを、死守、しなさい」

「ふっ。御意にございます。ローゼ様」


 本当の祖父のように思っていた。あるいは、父親のようにさえ。途切れ途切れの命令に込められた言外の想い。


 それは、確かに、ローゼが生まれたときから傍にあり続けたサバスに届いていた。


 ローゼが隠し通路の奥へと消えていく。オルガやジャン、他の近衛達が、サバスと仲間へ深く頷き追従する。扉が閉まった。


 彼等が通った後に、サバスは文字盤を撃ち抜いた。神国の技術なら、文字盤を壊した程度では、パスワードを知られた以上開けられる可能性は高いが時間稼ぎにはなる。


「進みなさい、愛しい子よ。私も、本当の孫のように思っていたよ」


 サバスの独り言に、直接言ってあげればよかったのに、と残った近衛達が苦笑いを見せる。そんな彼等に気が付いたサバスは、ちょっと照れたように咳払いをした。


「なんだお前達、その目は。ここから先は死地だ。気合いを入れんか」

「くくっ、そうですね。最後までお供しますよ、サバス様」

「鬼の近衛隊長、復活ですね」

「光栄に思います」

「我等アーヴェンスト近衛隊の底力、見せてやりましょう」


 満身創痍でありながら、不敵に返す近衛達。サバスは「ふっ」と笑みを浮かべて頷いた。


 廊下の奥から、先程のようにロケット弾らしきものが覗く。サバスの銃口が、ピンポイントで弾頭を穿ち爆破した。爆炎に包まれる廊下へ近衛達が銃弾の嵐を送り込む。


「お前達、左の廊下をくぎ付けにしろ。三分で戻る」


 そう言って、廊下に飛び出したサバス。右の廊下から銃弾が飛んでくるが、それを壁や天井を蹴って縦横無尽に動きながらかわし、敵が身を隠していた曲がり角へと躍り出る。


 まさか、あの銃弾の中を突破してくるとは思いもせず、あっけにとられる兵士達に、


「さて、女王陛下から死守命令――〝敵を皆殺しにして守れ〟を受けたのでな。一人残らず、逝ってもらおうか?」


 シャキンッと、両の袖から飛び出す食事用ナイフが三本ずつ。それぞれ指の間に挟まれて、まるで銀に輝く爪のよう。


「う、撃てぇっ」


 部隊長らしき者の怒声が響く。


 ついでに、阿鼻叫喚も響き渡るのだった。


いつも読んで下さりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
しつじつおい
[一言] 合掌 サバスチャン シリアスモードでしたね
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