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世界の色、ヒラギのイロ 作者:双色
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第一章:日常の色

 春の雰囲気が漂う今日この頃は、入学式を間近に控えた三月下旬である。
 本来ならば来る高校入学式に俺も心を震わしている時期なのだろうが、残念ながら今の俺の心境はそうではない。
 いろいろと事情があって、俺は高校へ進学せずに就職することになった。
 それはそれで違った意味で心を震わせていたりもするのだが。
 自分で言うのもなんだが中学での成績は人に誇れるものでもなく、容姿だってテレビに出て食べてけるほどではない。それでは、なぜ中卒の資格しか持たない俺が就職することが出来たのか。実のところそれは俺にも解らない。
 春休みという休暇期間中だが、俺は現在中学時代の制服を身に纏い、今春から務める職場へと赴こうとしている。
 この春から入社する新入りに会っておきたいのだと、昨日の晩に突然電話が掛かってきたからだ。電話の声は女の声。面接と称して、高級ホテルの一室に呼ばれた時は男が対応していたが、どうやら社長は女らしい。声からして歳は結構若いと予想できる。
 ちなみに何故俺が制服かというと、それはスーツという物を持っていないために代わりとなるものが制服だけだったからである。
 目的地に思しい建物の前で立ち止まり、俺はポケットの中からルーズリーフの切れっ端を取り出し、場所を確認する。どうやら間違ってはいないらしい。
 階段を上がっていき、事務所らしき雰囲気のある扉をノックした。
「どうぞ」
 聞こえたのは女の声だった。この時点で違和感を感じなかったのは、俺が少し前まで中学生だったからだろう。とはいえ――流石に扉を開いたときには驚愕させられたね。
「初めまし――」
 言葉を区切ったわけは、端的に言うと驚いて続けられなかっただけ。何故ならそこにいたのが少女だったからだ。
 俺と同じ……もしかしたら俺より年下かもしれない。
 絶句しその場に立ち尽くす俺を、少女はえらく不機嫌そうな表情で眺めると、今度は珍しい野生動物でも見つけたように興味を抱いた目で近寄ってくる。
「あんたが新入り? ……まるでガキじゃない」
 そう言ったとき既に少女は俺の正面にまで来ていた。足元から徐々に上がってくる視線が俺の眼球に突き刺さる。刃物のように鋭利な視線が眼球に突き刺さり、俺は言葉に詰まる。何も言えずにただ茫然と少女を見返すのみである。
「あんた歳幾つ? 見た目は相当若そうけど」
 同じ事をそのまま返してやりたい。
 年齢不詳の少女は、かくりと首を傾げて俺に尋ねる。
 容姿端麗。少女の白い顔に備え付けられたパーツはそのどれもが整っていた。
 その中でも抜きん出て俺の目を引いたのは少女の目だった。漆黒の色を灯した大きな瞳は、どこか遠くを見ている様。まるで誰にも見えない何かを見据えているような遠い瞳の輝き。視線を合わせているだけで吸い込まれてしまいそうな、そんな深い色。
 腰まで伸びた黒髪は光の加減で茶色交じりに見える。その長髪が、かさりと揺れる音で俺は我に帰った。
「……ちょっと待て、お前は誰だ? いや、何者だ?」
「はあ? あんた誰に呼ばれてここに来たのよ?」
 俺が今日ここに来たのは、この職場の社長なる人物に呼び出されたからだ――。とここで俺はあらぬ考えをしてしまった。両手を腰に当てて俺を見上げるその少女に俺が言った。正直、冗談交じりであった。
「お前が……社長?」
「そう」
 肯定の言葉が即座に返信されて耳に届き、改めて驚愕する。その少女は明らかに俺と同年齢ないし年下である。今は大学生でも社長になれる時代らしいが、こんな小娘が事業を起こせるとは思えない。
 いつまでもアホ面を晒す気の無い俺は喉を鳴らし、睨むような視線を俺に向けている少女に訊いた。
「そう、って、お前こそ幾つなんだよ。正直、お前みたいな奴が社長だとは思えないぜ」
天羽あまねヒラギ、十五歳。女の子に歳訊くって、あんたいい度胸じゃない。それともただの常識が無いガキって言うべき? んで、何か問題でもあるの?」
 大有りだ。十五というとつまり俺と同年齢であり、中学を卒業したばかりという事だ。それを伝えようとする俺だが、口を開こうとしたときまた天羽ヒラギが発言する。
「無いわね? ほら、あたしは名乗ったんだから、あんたも答えなさいよ」
 女の子に歳を訊いておいて、ダンマリは許さないわよ。とヒラギは続けてから、また鋭利な視線を俺の眼球に飛ばす。気が進まないが、ここでバックレル事が出来ないのは雰囲気で理解できる。
 やれやれと溜息を吐きながら首を振り、俺は吐き捨てるように自らの名前と年齢を答えた。
「十五って、なに? 中卒? ……もしかして、飛び級でもう大学出てるとか?」
 残念ながらそのような事実は無い。俺は公立中学を出ただけだ。
「そうよね。あんたみたいなのが、飛び級なんて出来るわけ無いわね。なるほど、それでこれね」
 俺を置き去りにして、勝手に何かを解釈したヒラギが振り返り、オフィス感を漂わせるデスクの上から何やらの物体を持ち上げ、俺に突きつけた。感触は軟らかい。それはクリーニングから返ってきた衣類のような状態だった。
「これ、あんたのだから」
そう言って渡されたのは例えではなくビニール製の袋に入った衣類とそして――

「生徒証明書?」


 ◇


 四月某日。俺は入試も受けていない高校へ登校していた。名前も場所も少し前に聞いたばかりであり、俺がこの通学路を歩くのも当然初めての事である。
 真新しいブレザーを着込んで歩く俺に吹き付けてくる春風が、妙に重たい向かい風に感じるのは俺の精神上の問題であるといって差し支えない。これは3月下旬に事務所へ行ったときに、社長を名乗る美少女、天羽ヒラギに渡された物である。どっちかと言うと、渡すと言うよりも押し付けられただけのような気がするが。細かい事は気にしないことにする。制服を渡されたという事実はどのように形容しても揺るぐ事の無い真実なのだ。
 中学しか出ていない人間を雇うほど、うちは人材不足じゃない。そう言った社長こと、天羽ヒラギ。もっともな事を言ってくれるが、奴も年齢的に中学しか出ていない身である。もしかすると飛び級で大学卒業しているのか? ……いや、それはないな流石に。漫画じゃあるましし。
 ともあれ、受験無しに高校へと入ることが出来たのは素直に喜ぶべき事である。俺が通うことになった高校は、中学で仲のよかったツレが何人か通っているし、何より、高校に通えることこそが嬉しい事である。
 入学式と書かれた生徒会手作り――俺の予想だけどさ――の看板が校門に立たされているのを横目に俺は初めて校内へと入った。本来なら、入試のときに一度入るはずなのだが、何分俺は受験していない身分である。裏口入学とかいう、夢見たいな事が行われたのは、俺が面接を受けたニ月の頃であるそうな。その時に誰も俺の姿を見ていないのは確かであり、在学中に知り合いに「あれ? お前入試の時いたっけ」とか言われて口を滑らせないように気をつけなければならないな。
 体育館に集められた俺たち新入生は、妙に肌寒い感覚に耐えながら、校長が壇上で演説するのを黙って眺めていた。桜の蕾が花開く頃――から始まって、今はどういった事か校長の自慢話へと内容が移り変わっている。どうでもいい話を長々と真面目に語りやがるのは、どうやら高校だろうと中学だろうと変わらんらしい。
 ここで、公平だと思いたいクラス分けの結果をお伝えしよう。俺の名前は一年六組と書かれた枠の中に存在した。体育館で校長のうざったい演説に耐えた同士たちと共に教室へ入り、黒板に書かれた出席番号順の席へ目を通し、俺は小学生時代からすっかりお馴染な窓際の席へ向かった。何分窓際だから気分は悪くならない。これが廊下側なら暗澹とした気分にもなるだろうが。
 ダラダラと歩く俺たち一年六組の生徒が、皆仲良く一部屋に落ち着くと同時にジャージ姿の体育会系教師が入室する。上下赤いジャージ。幼稚な擬音表現だが目がメラメラと燃えているように見えるのは錯覚だろう。
 拳を固めて、無駄に気合の入った自己紹介をした担任教師の名は高橋(たかはしというらしい。高校時代は運動系の部活で汗を流していたと思える体つきをしているのだが、意外にも彼の担当する教科は国語らしい。人は見かけによらないとはこの事である。彼はその自分が野球部の顧問をしている事を話してくれた。別に聞きたくも無いが。それによる唯一の収穫が、なるほどそれであのガタイか、と合点が行くという事ぐらいである。
 話すことが無くなった教師の逃げ場というのは、いつも次の言葉から見出されるもので、次は皆に自己紹介をしてもらいたい――などと、セオリーどおり彼もそのセリフを吐いた。
 当然のごとく用意されていたその行事は、出席番号順に並んだ席の端から順番に行われていく。まあ、こんな展開はお決まりだし、驚いたり狼狽したりもしない。俺は体育館で無駄な時間を過ごしたわけではなかった。校長の毒電波を左から右へと受け流し、俺は脳内でこの時の為に言葉を用意していたからな。
 というわけで恙無く簡単な自己紹介を済ませた俺は教室中の賞賛を浴びながら、愛想笑いが張りついた面で着席する。これが結構疲れるんだよ。
 ここまでの出来事など、実にありふれた入学式時の教室の風景に過ぎず、俺も平然と過ごせていた。そう――隣の席に座ったあいつが自己紹介を始めるまでは。
 立ち上がった黒髪の長い女は、聞き覚えのある名前を口走った。その名前に驚きを覚えた俺は、窓の外に咲き乱れる桜に向いていた視線を半回転させて、起立している女の顔を見上げる。
 整った表情を何が気に入らないのか苛立たせてそこにいたのは、俺を採用し、裏口からこの高校に入学させてくれた会社――俺のイメージでは事務所っぽかった――の社長。天羽ヒラギに他ならなかった。てか、何で今まで気付かなかったのだろうか。俺は。
 始めてその姿を目撃したとき同様に、俺は開いた口がふさがらぬまま目を見開いた。事務所(会社)で見た姿とは違う魅力があったが、それと俺の絶句は関係の無いことである。決して制服姿がどうとか言う不埒な考えがないと断っておこう。


 ◇


 入学から一週間後が初出勤の日となっているのは、自称社長が高校生だからだろうかと、俺が疑問に思う理由は、つまり隣の席に座っている女こそ、俺に社長だと言った女だからだ。しかしながらいかんせん信じがたいことである。冗談でも言ってたのだろうか。
 とはいえ、そのときの天羽ヒラギの表情を思い出してみるとそれは冗談を言っている時のそれとは思えなかった。それでも実際信じるのが難しい事には相違ない。さすがに今の時代でも、高校在学中の十五歳が社長になるなど、おそらく不可能だろう。
 入試も受けていないのに高校に入れたことに関しては、嬉しさ半分、後微妙な気分が半分だった。
 そんな気分のまま俺は登校し、教室へ入って席に着くや隣の席人に話しかけた。
「なあ、天羽」
 名前を呼ぶとヒラギは俺に視線を向けた。目が合う。
「なに?」
 感情のまるで無い返事が返ってくる。
 もう少しマシな言い方があるだろうに。
「お前が社長だっての、あれ冗談だろ?」
 そう問う俺に対して、
「どうして?」
 とヒラギは無表情に訊き返す。俺は改めてその顔を観察した。今は無表情であるが、おそらくコイツが笑うとかなり可愛いと予想できる。そんな事今はどうでもいい事なのだが……。
「そりゃあお前、高校生が社長なんて聞いた事無いからだ」
「だから?」
 言っている意味がまったく解らないという表情で、小柄な自称社長が言った。だから? と言われてもつまり用件は最初の一言に全て含まれており、これ以上付け足す言葉は無い。
「いや、だから、あれだ、そういう事だよ」
「はっきりしなさいよ。意味わかんない」
 自分の思うことを包み隠さず言葉にする、こいつはそういう性格なのだろう。
 無駄な分析かもしれないが。
「いや、すまん」
 謝ってしまったのは、雰囲気的にそうするのが唯一の逃げ道だと悟ったからである。
 幸いなことに、俺がその言葉を発した約十秒後に予鈴が鳴り、発生した気不味い空気が消えた。


 ◇


 昼休みの事である。中学が同じだった奴らはポツリポツリと居るのだが、その殆どが話をしたことも無いような、外で顔を合わせるとせいぜい建前の挨拶くらいは交わす程度の仲だった奴らで、昼休みの醍醐味である昼食を共にする気にはなれなかった。だからと言って、他のクラスに押しかけるわけにはいかない。
 俺は改めて教室を見回した。
 学食へ向かうのか教室を後にする者、周囲と机をくっ付けて弁当を突付く者。それは昼休みの教室にありふれた光景。どこにでもありそうな日常的風景だ。
 ふと俺は隣の席に視線を向ける。黒い長髪の小柄な娘が、鞄からコンビニの袋を取り出している姿が目に映る。
「お前は弁当、一人で喰うのか?」
 何となく気になって訊いてしまった。
 黒い双眸がゆっくりと俺を見上げる。
「そうだけど悪い? あっ、あんたも一人なの。惨めね」
「それはお前だって同じことだろ。惨めとか言うな」
 そう言いつつ、ナプキンに包まれた弁当箱を広げ、昼食を開始する。
 黙って喰っているのはどうかと思うので、俺は適当な話題を隣人に振ることにした。
「俺がこの高校には入れたの、お前の(はかりごと)か?」
 玉子焼きを一口サイズに切り離しつつ、視線を箸の先に向けながら隣の少女に訊く。少し返事が来るまで時間が掛かったのは、口に入れた物を飲み込んでから話すという、常識をヒラギが弁えているということなのだろう。
 ごくんと聞こえるはずの無い音が聞こえたように思うと、
「まあね。さすがに、高校は出ていて貰わないと困るから」
 微弱ながら感情らしきものを感じさせる声色で返事が返ってくる。
 今朝の事を思い出して、俺はこの娘と初めて会話らしい会話をした気がした。今後、このように会話が成立する可能性はいかほどか考えてみようと思うが、そんな無駄な事は結局無駄にしかならず、誰にとっても不利益であって利益にはならない。そんなわけで憚る事にしよう。
「あんたさ」
 イイワケ染みた事を考えていると、意外な事に今度は天羽ヒラギが話しかけてきた。
 自分から話し掛けるならともかく、声を掛けてきた相手にそっぽを向きながら返答するのはよくないと思い、玉子焼きをもぐもぐしながら首を捻る。
「どうして就職なんてしたわけ? 普通に高校入ればよかったでしょ?」
 無表情だが、朝見たそれとは違う。人間らしいと言うか、何と言うか。その漆黒の瞳には興味に似たモノを見出すことが出来た。こいつにもこんな表情が出来るのだな。
 片手に握ったツナマヨネーズのおにぎりを齧る間も、ヒラギの黒い瞳は俺を見据えていた。
「いろいろあってな」
「家庭の事情?」
「どうだか」
 そう言って俺は弁当箱に視線を送る。答えたくない質問というのは、誰にでもあるだろう。無論俺にもそういう質問が存在する。その場合はさっきのように適当に誤魔化して逃げることにしている。
 ヒラギはそれほど空気の読めないヤツではないらしい。
「解った。あんたアホッぽいから、入試受けても無駄だと思ったんでしょ?」
 その表情は、イタズラっぽく微笑んでいるように見えた。偶然にもそんな表情を目撃できたことを、素直に嬉しく思う。……いや深い意味は無いのだが。
 俺が重くしてしまった空気を、その言葉で軽くしようとしたのだろうか。真意は解らないが、これ以上ヒラギはこの話を続けようとしなかった。俺はといえば、黙って昼食(コンビニで売っているパンやおにぎり、弁当は無かった)を食べ進めるその横顔を、何度か窺いながら弁当を口に運ぶのであったとさ。


 ◇


 高校の授業とは実にツマラン。教師どもは当たり前のように問題を解いて見せて、適当な解説と説明を偉そうに壇上で行うと、次は俺たち生徒に応用問題を解いてみろとか言い出す始末。理屈を解っている人間が、解っていない人間の気持ちなど解らないのだろう。正直、もう少し授業のレベルを下げて欲しいものだ。
 理数系の授業はほとんどがそれである。
 一限目の数学では、新学期初めの授業だというのに担当の教師は自己紹介も無しに俺たちの学力を測る抜き打ちのテストを行った。そんなもん、受験のときにやってるからいいだろ。とは、俺は言えないのである。何分裏口入学者なわけで、自分の学力がこの学校の標準学力に達しているかさえ不安なのである。
 続く二、三限目も意味不明な日本語ともつかぬ――ちなみに言っておくと、二限目は現代国語、三限目は英語である――言葉を教師たちは待った無しに投げ掛け続け、俺の脳細胞を半数以上破壊した。
 今は四限目の物理であり、壇上の教師は板書事項の公式をつらつらとブラックボード――つまり黒板だ――に書き殴り、それが一段落すると、実に満足げな表情で黒板を見上げる。そんな満足気に見上げても、白のチョークはモナリザを描いたりはしていないぞ。そこにあるのは幾何学文字で構成された謎の式とその応用だ。
 俺としては黒板の書き写しなどたいした苦痛ではないのだが、恐ろしいのはこの後で、あの自己満足教師が黒板に書いたことを俺たち生徒が理解したと判断したときである。
 これまでの経験から言って、この教師も俺たちに奇妙奇天烈な問題を解かせるだろう。生徒の印象がアヤフヤな新学期だけにおそらく、指名されるのは出席番号の若い俺だと予想できる。さっきの授業も、これまでの学生生活でもそうであった。
 職員室で授業を終えた教師たちが俺を指名しても答えなど出ないと噂してくれれば、助かるのだが……。
 とそんな事を考えていると、壇上で腕組している教師と目が合う。急いで逸らすが、時既に遅し、ニヤリと不敵な笑みをこぼしたこの教師は、ピンと付く立てた人差し指を俺に向けて問題を解くように指示する。他の生徒からしてみれば、俺はいい避雷針だろう。たまにはどこかに外れて落雷して欲しい。
 俺の頭脳レベルは俺自身が誰よりも理解している。解けるはずが無いと、黒板に新たに書き表された問題を忌々しく思いながら睨む。
 これまでの授業でもそうであったように、俺は問題の回答などさっぱり解らん。授業時間が惜しいと思う教師は、黙りこくった俺を見ると皆同じ対応を取るのだった。
「天羽、代わりに解いてみろ」
 俺の代理として、隣の女子が指名される。安堵からか、自分の情けからか俺は息を漏らし、黒板の前から立ち退く。代役を任されたヒラギが、俺を凝視するように見ていた。というよりも睨んでいた。腕組して、明らかに不機嫌な表情をしている。
 この表情を見るのも、これで四度目である。そろそろ謝りなさいよ。無言でヒラギが言っている気がする。
 俺はすれ違いざまにヒラギの声を聞いた。
「バカ」
 真実をそのままにした言葉である。そう言われて反論できないのは、事実俺はバカであるし、なによりヒラギは俺の代役で指名された際、全ての問題を正答しているのだ。死語かもしれないが、ぐうの音も出ないとはこの事だろう。
 かくして、今日の午前授業が無事とは言えずに終了した。昼休みに入る。
 相変わらず一人で弁当を突付く俺。その隣でコンビニの袋を開くヒラギ。
 どうにも気まずい沈黙が流れている中、箸を使って魚の切り身をバラしながら俺は、ヒラギ本日の昼食を垣間見た。
 今日の昼食は菓子パンである。あんぱん、ジャムパン、メロンパン、クリームパン。そんなモノが昼食になるのかは定かではない。
「そんなんで腹膨れるのか?」
 俺は口に魚の切り身を放り込み、噛み砕いて飲み込んでから声を掛ける。こいつに声を掛けてしまうのは特に理由が無く、いや理由ならある、つまり他に会話する相手がいないからだ。
 摂氏マイナス二百度くらいの冷たい視線が俺に向いた。
「あんたには関係ないでしょ?」
 小柄な女子生徒は、俺を鋭利な視線で突き刺しながら言うのだった。確かに、俺には関係のないことだ。だからってそんな怒声交じりにいう必要は無いだろう。
「あたしのお腹の心配するよりもあんた、自分の心配するべきじゃない? 正直、やばいと思うわよ」
「何のことやら」
 そう俺は惚けるが、実際のところ、ヒラギが何を言いたいのか解っている。
 わざとらしく首を傾げる俺のしぐさが、気に喰わなかったらしい。クリームパンに齧りつくのを中断したヒラギは、不機嫌そうな表情から、誰が見ても不機嫌だと理解することの出来る表情に変移する。ちょっとだけだが俺はその表情に恐怖を感じたりもした。みっともないとはいわんでくれ。
「せーいーせーき! あんたね、あんなに簡単な問題も解けなくて、この先大丈夫なの?」
「なにを言うか。あんな問題とお前は言うが、俺にしてみればかなりの難問だ。少し俺の頭脳を過大評価しているんじゃないか?」
「教科書見たわ。この先ね、もっともっと難しい問題がいっぱい出てくるのよ? あんた、そんなのについていけるの?」
「さあな。何でお前にそんな事言われなければならん」
 この一言が引き金を引いた。怒りに燃える瞳が大きく開き、握っていたクリームパンを机に勢いよく叩きつけ(それでも、中身が飛び出さないように配慮しているように思える)、腰を上げた。
「自分のことでしょ! そんな曖昧な返事しないでよ!」
 落ち着けと、俺は言おうとする。しかしヒラギは暴走機関のごとく、今にも頭から蒸気を昇らさんとばかりに凄まじい勢いで俺に怒鳴る。
「あたしはね、はっきりしない奴が大嫌いなの! 自分のことぐらい、ちゃんと解っときなさいよ!」
「落ち着けよ天羽。そう、まずは座れ、そしてパンを手に取れ。さっきまでの格好をしろ。何事もなかったように」
 呆れた声である。逸早くこの場から逃げ出したい。しかし、事の発端は俺であり、この場から逃げ出すのはよくない。次の授業中にでも、その事でヒラギが爆発しかねないからな。
 俺は周りの様子を窺った。皆が皆、時間が制止したかのように動きを止めて俺たちを注視している。箸を止めて口を開きっぱなしの男子生徒が、実にアホらしく見える。
 ヒラギも自分が注目の的になっていることに気が付いたらしい。腰をどっかりと椅子に落とし、またパンを食し始めた。しかしヒラギは頬を赤ら占めたりはせず、まったく恥ずかしいという感情を表に出さなかった。
 そんな姿を、いつの間にか立ち上がった俺が眺めていると、
「なによ?」
 そんな怒声染みた声が俺の鼓膜を揺らすのだった。
 さて、昼休みは弁当を片付けるだけには、少し長すぎる時間である。弁当箱の中身を片付け終わった俺はそれをもう1度ナプキンで包み込み、そして鞄の中へとしまい込んだ。
 ヒラギはヒラギで、俺の気づかぬ間に菓子パンの軍勢を全滅させて、忽然と教室から姿を消している。
 小柄な長髪の黒髪娘を無意識に探す俺に声を掛けたのは、浜中はまなか)という男。
「随分言われたな」
 馴れ馴れしく話しかけてくるが、はて、俺はこいつとそれほど仲がよかったか? 顔と名前が一致するのは、中学のときにクラスが一緒だったからであるが、俺はこの男と親しくしていた記憶がない。
「お前、あいつとどういう関係なんだ?」
「社長と社員」
「はあ?」
 バカを見る目で俺を見るな。しかしそんな目をされるのも当然だろう。社長と社員とは、俺も一応冗談のつもりで言ったのだが、事実そうであるというから、浜中がそれを本気と受けってしまってもしょうがない。
「同じ目に遭いたくなければ、お前はあいつに関わらないことだな」
 俺がそう言ったのは、せめてもの思いやりという奴だ。


 ◇


 この高校の教師どもは、どうやらテストを行うことが趣味らしい。入学して一週間も経たない今日、本校の新入生たちは、学力テストなどという名目で配布された用紙と格闘している。
 空欄に自信のある回答を埋められるのならいいが、それすらも出来ない俺は、問題文を半分くらいまで読むと、そこで強烈な目眩と吐き気を催したために、勇気ある撤退を決意したのだった。
 記号問題はそれらしい回答を勘で選び、一応全て埋めてある。アからオの中から選べという問題が五つあり選択肢が五つということは……まあ一つくらいは正答しているだろう。
 腕組して教室を循環する教師は穴だらけの俺の解答用紙を横目に見て小さく鼻で笑う。その笑が俺に対する嘲笑か、自分の作った問題を誇ったものかは解らない。なんとまあ、実に腹立たしい微笑である。
 俺の隣に座っている娘はテスト開始から十五分くらいすると、決まって腕を枕にした常態で机に突っ伏しているのだった。眠っている横顔からは普段の不機嫌フェイスからは想像できない、実に愛らしいモノであった。その表情がテストをやり遂げた達成感からくるのか、それともその他のことからくるのかは、俺には予想すら出来ないことである。
 公立のクセに妙に生徒の成績を気にするこの高校は、今回のテスト結果を廊下の踊り場に張り出すらしい。ワースト三十人、トップ十五人の名前が点数とともに晒されるそうで、俺の名前がワーストの枠に入っていないことを願いながら、机の上に悠然と横たわる問題用紙と睨み合うこと四十五分。ようやく四限目のテストが終了した。
 弁当組みと購買組みもしくは学食組み。俺のクラスでの割合は大体十分の三くらいが弁当組みで、弁当組みが明らかに少ない。俺はというと三十パーセントの少数組みで、人影に乏しい教室で昼休みを過ごすのが日課である。
 隣のヒラギもそうで、今日もビニール袋の中から昼食を取り出している。……鶏だし弁当。通学路にある弁当屋の看板商品が、ヒラギの今日の昼食らしい。
「なによ。なんか文句あるの?」
「いいや」
「ふん。それで、あんたテストは出来たの?」
 パキッと音がして、ヒラギの持っている割り箸が綺麗に真っ二つ。
「それなりにな。お前こそ、どうなんだ。人の心配する余裕あるのか?」
「それなりよ」
 微妙に口元が緩んだように見えた。山彦のように、俺の言った言葉を返してきたヒラギは、その無表情の下に爆笑を隠しているのかもしれない。根拠は無いけどさ。
 昼休みが終了し、活気の見受けられない表情でクラスメイトたちが帰ってくる。男子の九割が死んだ魚の目をしているのは、おそらく皆俺と同じく、テストにことごとく脳細胞を破壊された同士なのだろう。これ以上無駄な血を流すわけにはいかない。勇気ある撤退を決意すべきだ。
 撤退を決意しようがしまいが、結局のところ、もともと俺には問題用紙とまともに向き合う気力など残っていなかった。脳に栄養分を送ることで少しは脳が活性化すると思ったが、それは勝手な妄想であるから、自分の知識に対する自信と、僅かに残った気力が消えうせた。いやはや何でこんなもんが存在するんだろうね。人間の素晴らしき知識はテストなんぞのために存在しているのではない。もっと有効活用するべきだ。


 ◇


「一緒にきて!」

 俺の腕を引っ掴んで、こんな事を言うのは天羽ヒラギである。
 状況を説明すると、今は放課後であり、場所は校外。当然下靴を履いていて、鞄を持っている。
 さっさと帰って、疲れきった脳を休めてやりたいと思うが、そうは問屋、もといヒラギが許しはしない。
「どこにだよ?」
「いいから!」
「おいコラ、腕組むなよ」
 ヒラギの勢いに怯む俺。周りには下校中の生徒たちがうじゃうじゃいるのだが、ヒラギはその大勢から発せられる視線をもろともせず、ただ自分の目的を遂行していた。俺の腕を掴んで……。
 人ごみの中を突き進むヒラギ、腕を拘束された俺はその動きに否が応でも付き合わされることになる。
 振り払ってしまえばいいのだが、ヒラギはその小さな身体からありえないほどの強力で腕を締め付けていて、どうにも逃れられない。
「なあ天羽、とりあえず腕放してくれよ。ほら、周りの目とか考えろよ」
「ちゃんと脚動かしなさい! あんた、引っ張られてるからって楽しないでよね!」
 俺の言葉などまったく気にしていないそんなヒラギの声は、妙に楽しそうである。人目を気にしないというよりも、こいつは恥ずかしいという感情が無いのだろう。ふと俺は思った。天羽ヒラギに付属されている感情は、全部で幾つだろうかと。どうでもいい疑問なので、直ぐに消えてしまったが。
 かくして、ヒラギは俺を目的地まで連行したのだった。
 俺の家からは完全に逆方向のルート、その先にあったヒラギの目的地は意外な場所。
 金属音が耳に届く。大きいか小さいかで言えば、小さい部類に入るだろう。ここはバッティングセンターである。中学時代に野球部の友人に誘われて何度かきたことがある。
「ここか、お前が来たかった場所は?」
「そっ。バッティングセンター」
 受付のおっちゃんから券を受け取り、俺に脱いだブレザーを預けて、百三十から百四十キロを示す紙が貼り付けてある扉を開けた。三本ほど置いてある金属バットから適当に一本を選び、購入した券を機械に入れる。よもや、現役高校生野球部でも弾き返す事が困難であろうこのマシーンに挑もうというのだろうか。
 まさしく、ヒラギはそのつもりだった。
 シャーと機械の回転する音が場内に響いて、壁の穴から白球が飛び出してくる。素人とは思えない見事なフォームで、ヒラギ向かってくる白球を弾き返した。金属棒に直撃した白球は進路を変更し、スーと地点の頭上をものすごい勢いで跳び越し、ホームランと書かれた的の隣を直撃。
 感心よりも驚きが勝る。あんなちっこい身体のどこから、あれほどの打球を放つ力が生まれるのだろう。
 続く二球目三球目も、ヒラギは弾丸のごとく猛スピードで向かってくる軟式野球ボールをホームランの的から数センチくらいの位置へと弾き返していく。気が付けば、この場内にいる客の半分以上が、その姿を見物していた。衆目を集める才能がある奴だ。色々な意味で。
 買った券は十球分らしい。最後に特大の一発を放ったヒラギが、実に満足そうな笑顔で扉を開いた。場内にいた全員が見物客と化している。勢いよく伸びる白球と、ヒラギの満足げな笑みには、さすがの俺も清々しい気分を覚えていた。
「うん! スッキリした!」
 勢いよく扉が閉まる音がしてから、ヒラギはそう言った。ホームラン競争の観客全員が、それぞれの思うままに動き出す。
「一回やってみたかったのよね、こーれ!」
 額の汗を拭う仕草に、変な感情を覚えてしまう。別に大した意味は無い。
 妄言だ。
 俺はヒラギの発言に対して言った。
「もしかして、お前初めてなのか?」
「まあね。テレビで見て、それで面白そうだったから、ちょうどテストで気分が晴れなかったしさ」
 パシフィックリーグの開幕戦が、一昨日辺り放送されていたかなと俺は思いならが、改めてヒラギを観察した。身長は平均よりも低いだろうか。袖をまくったことで露になっている腕は細く、筋肉質とはどう見ても程遠い。身体の曲線が緩やかであり、スタイルはいいと思える。どこからあんな打球を放つ力が沸くのか、本当に解らない。
「ほらっ! 次はあんた!」
「なぜ俺が!?」
 受付で買った券は二枚だったらしく、ヒラギはそれを俺に渡して、扉の中へ押し入れた。
 百三十キロから百四十キロの球に、俺がかすることも出来なかったことは言うまでもあるまい。外で眺めているヒラギが腹を抱えて笑っていた。


 ◇


 かくして、俺の週末は終わった。蛇足だがバッティングセンターにて最後にまぐれで当たった打球がセンター返しになったのが、素直に喜ばしい。
 たった十回バットを振り回しただけなのに、後日俺は筋肉痛に顔を歪めるのだった。そういえば、バッティングセンターに辿り着くまでの距離は結構あったし、その間を猛スピードで走り抜けて行ったのだから、これぐらいの筋肉痛はあり得る事だ。
 日曜が終わり、月曜がやってくる。当然の世界の摂理である。
 まあ、当然のようにやってきたこの月曜は俺の初出勤の日であったりするのだが。
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