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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1941長岡ーベルリン3

 総統官邸の閣僚会議室は、異様な雰囲気に包まれていた。
 日本帝国から提示された外交文書の内容を、しどろもどろに説明する外務大臣リッベントロップに向けられる視線には、殺意すら込められているようだった。
 会議室のテーブルに並ぶ政府首脳、ナチス党最高幹部からからのそのような視線に押されるように、リッベントロップの声は次第に小さくなっていた。
 最後まで読み終えたときは、上座に座るヒトラー総統は聞き取り辛かったのか、不満そうな顔をしていた。

 そのヒトラー総統は、リッベントロップが喋り終わったあとも、しばらく無表情で手元の外交文章のコピーをじっと見つめていた。
 その沈黙に耐えられなかったように、親衛隊長官ヒムラーが勢い良く立ち上がると、半ば罵詈雑言のような非難をリッベントロップ、それに彼に随行していた外務省の役人たちへと投げつけた。
 いつの間にかヒムラーの援護をするように、宣伝省大臣ゲッベルスが要所々々に一言を加えていった。
 確かに、宣伝省を任されたゲッベルスにすれば、日本帝国からの最終通告、宣戦布告にも等しい重みを持つこの外交文書は、頭の痛い問題だった。
 ドイツにまた新たな、そして強大な敵国が現れたということだからだ。

 ヒムラーとゲッベルスに影響されたのか、他の参加者たちも次々と、外務省に対する批判の声を上げ始めた。
 リッベントロップがおろおろとしているものだから、日本帝国の参戦という状況をつくり出したのはいつの間にか外務省の責任にされかねない様子だった。
 それを止めるように、大きく手を上げると、ゲーリング元帥が立ち上がった。
 自分に、ヒトラー総統を覗いた周囲の視線が集まったことを確認してから、ゲーリング元帥は、肥満体故か大きく、よく通る声でいった。
「ここで外務省の諸君らを責め立てても仕方あるまい。身内の恥を晒すようで心苦しいが、我が空軍が英国本土への攻撃を始めた時、すでにロンドン上空には日本帝国からの義勇兵が飛んでいて我々と戦っていたのだ。だからこのような事態となるのは単に時間の問題ではなかったのかな。むしろ、義勇飛行隊の派遣まで行ったにもかかわらず、ここまで日本帝国の正式な参戦を引き伸ばした外務省諸君らの手腕を評価し、そして今後の方針を建設的に考えるべきだ」
 感謝のつもりか頭を下げたリッベントロップに軽くうなずくと、ヘス副総統に向き直った。
 司会役を務めるヘスに、これ以上外務省の批判で無駄な時間を過ごす前に、議事を進ませるためだった。

 しかし、ヘスが何かを言う前に、窓際から声が聞こえてきた。
「この…日本の新しい指導者、山本とかいうのはどういう男なのかね」
 ナチス党最高顧問の肩書きを持つエッカートは、会議卓からやや離れた日の当たる窓際で、一人だけ肘掛け椅子に座っていた。
 今年で73歳になるエッカートは、最初期からヒトラーと共に活動に加わってきたナチス党幹部の一人で、彼らの中では最高齢となる老人だった。
 かつてはヒトラー総統らとともに政治運動に加わり、ナチス党による政権掌握に活躍したエッカートだったが、ヒトラー総統が大統領職と首相職を兼務する総統職に就任し、文字通りナチス党がドイツ国政の頂点にたった直後から体を壊して、最近ではかつての論客の姿はなく、やもすればうらぶれた老人にも見えた。
 ただし、ヒトラー総統の信任厚い最高顧問職であるエッカートは、未だに古参の幹部たちも無視できない存在だった。
 そのエッカートは、興味深そうな顔で、ヒムラーを見た。

 うろたえたヒムラーは、慌てて後に控える親衛隊の制服を隙なく着込んだ随員に振り返った。
 まだ三十代に入ったばかりに見えるその若い随員は、自信ありげに頷くと手元のメモをちらりと見てから説明を始めた。
 おそらくこのような質問があることを想定して準備していたのだろう。
 ゲーリング元帥は、感心しながら、その随員の名前を確認していた。
 ヴァルター・シェレンベルク、それが彼の名だった。


「山本五十六は現在57歳。軍人や貴族ではなく、日本帝国議会の衆議院、つまり民衆から選ばれた議員ですが、出自は日本の古い戦士階級であるサムライの一族です。また現在は民間人ですが、退役軍人でもあります」
 ゲーリング元帥は、興味深そうな顔で尋ねた。
「シェレンベルク君。彼の退役の理由はわかるかね。除隊には若すぎるように思えるが…」
 説明の途中で声をかけられたにもかかわらず、シェレンベルクは、間髪をいれずに答えた。
「負傷による除隊のようです。山本は過去の戦闘で片腕を亡くして負傷による勲章と引き換えに除隊を余儀なくされています。その後政界入りしたようです」
「彼は何処で負傷したのかね」
 会議卓にいたほぼ全員がぎくりとして上座を見つめた。
 いつの間にか、ヒトラー総統が外交文章から顔を上げて、シェレンベルクを見つめていた。

 さすがに緊張の色を見せながら、シェレンベルクはいった。
「資料によれば先の大戦における西部戦線での事のようです。彼は海軍士官ですので、おそらく18年の我が国の春季攻勢の際に陸戦隊の指揮をとっていたものではないかと…」
 ヒトラー総統は、片手を上げてシェレンベルクの説明を遮ると、椅子から立ち上がった。
 そのまま思案顔で、窓際を行きつ戻りつしてからいった。
「私もあそこにいたのだ」
 何人かは困惑顔でそれを聞いていたが、ゲーリング元帥ら何人かの西部戦線従事者は頷いてみせた。
 ヒムラーとゲッベルスは、ゲーリング元帥の頷きに気がつくと忌々しそうな顔を見せた。
 彼ら二人は西部戦線どころか、従軍経験か実戦経験がそもそもなかった。

 ヒトラー総統は、とぼとぼと窓際を往復しながら続けた。
「彼は、山本は私とそっくりではないか。私も西部戦線で負傷勲章をうけたのだ。彼は負傷することで軍を追われたそうだが、私は違う。私は戦線の背後で薄汚く陰謀を練っていたアカどもによって軍を追われたのだ。私だけではない、誇り高い軍人たちの多くが卑怯極まりない共産主義者達によって追放されたのだ。そうではないかゲーリング」
 しゃべり続ける内に興奮してきたのか、ヒトラー総統の声は段々と大きくなっていた。
 ゲーリング元帥は、素早く立ち上がるといった。
「はい総統。おっしゃるとおりです。我がドイツは前線で戦う連合軍ではなく、背後からの一突きによって敗れたのです。我が栄光あるリヒトホーフェン大隊も革命ごっこに勤しむ共産主義者共によって潰されたのです」

 悔しげに吐き捨てるゲーリング元帥に近寄ると、ヒトラー総統は哀れみを抱いた目で親しげに肩をたたいた。
「そうであろう。我々の真の敵は連合国ではなかった。共産主義者なのだ。ソビエトなのだ…ならば何故日本帝国と我々が戦わなければならないのか。そのような理由が何処にあるのか、あろうはずがない。そうであろう」
 今度はゲーリング元帥に対抗するようにヒムラーが立ち上がっていった。
「その通りです総統閣下。日本帝国などさほどのものでもありません。我々の真の勝利は、総統閣下が常々おっしゃられている通り、ソビエトを打倒し、東方生存圏を確立してこそ得られるものとなるでしょう」
 満面の笑みを浮かべるヒムラーだったが、ヒトラー総統は、激しく首を左右に振った。
 自分はなにか失言をしたのか、そう思ってうろたえるヒムラーだったが、意外なことにヒトラー総統は父性すら感じさせる笑みを見せた。

「ヒムラー、君は若い。君はあの大戦において日本人と戦ったことがないからそのようなことを言うのだ。日本のサムライは、野蛮で勇敢な勇者達だったのだ。そのことは認めなくてはなるまい」
 ヒムラーは、一度頭を下げてからゆっくりと席を下ろした。
 西部戦線従軍者の中に、少なからぬ数で日本帝国を過大評価するものがいるとヒムラーは常々苦々しく考えていたが、ヒトラー総統がその急先鋒なのだから始末に悪かった。

「しかし…しかしだ。私は今まで常に日本帝国との戦いを避けるように努力をしてきた」
 くるくると表情を変えることの多いヒトラー総統だったが、再び怒りを覚えたのか、一転して紅潮した顔を会議卓に向けた。
「先ごろも日本の皇帝に、我がドイツは日本との協調を望むと親書を送ったばかりではないのか。日本帝国が恥知らずにも義勇兵と称してロンドン上空を飛び回っていた時にだ。リッベントロップ君」
 いきなり名前を呼ばれたリッベントロップは、おろおろと立ち上がった。
「何でしょうか我が総統」
 ヒトラー総統は、リッベントロップを睨みつけながらいった。
「私の親書は、間違いなく日本の皇帝に届けられたのであろうな…」

 リッベントロップは、恐る恐ると言った様子でいった。
「確かに東郷大使に私自らが手渡しました。駐留武官大島将軍も日本帝国の本国へと送付すると確約してくださいました…」
 ヒトラー総統は、しばらく思案するような顔で宙を眺めた。
「大島将軍か…東郷大使は、どうもユダヤ人びいきで信用できぬが、大島将軍は信頼出来る男だ。彼ならば確かに日本の皇帝に渡してくれたことだろう。しかし…それならば何故日本帝国はこのようなものを送ってよこしたのか、私には理解できぬ」
 悲しげな目で、ヒトラー総統は卓上の書類を眺めた。

「私が総統に就任する以前、いやそれどころか、我が国家社会主義ドイツ労働者党が弱小政党に過ぎなかった頃から、私は常に日本帝国に礼儀を尽くし、彼らのために便宜を図ってきたではないか。カワサキがBMWやユンカースから技術導入する際に、我が党はあれだけ尽力してやったではないか。日本帝国海軍が潜水艦を導入するときには、海軍を追われた技術者達を日本本土まで派遣してやった。それの便宜も全て我が党が、私が日本帝国のためにしてやったことではないのか」
 眼光鋭く、周囲を見渡してから、ヒトラー総統は、肩を落とすと悲しげにいった。

「我々の日本帝国に対する貢献を彼らは忘れてしまったらしい。恩を仇で返すとは…きっと日本帝国の指導者達は、今や戦士階級ではなくヤマト魂とかを忘れた商人たちに違いない…」
 そこへ、ゲッベルスが大きく頷きながらいった。
「総統閣下のおっしゃられるとおりですな。もしかすると日本帝国の首脳部には既に汚らわしいユダヤ人の息がかかっているのかもしれません。日本海軍が追放したユダヤ人をマダガスカルへ移送する護衛に名乗り出てのもそれが原因だったのかもしれません。早急に調査が必要かと思われます」
 ゲッベルスが脇のヒムラーに向き直ると、我が意を得たりとヒムラーは重々しく頷いていた。
 ヒトラー総統も感心したかのように何度も頷いていた。
 ゲッベルスのユダヤ人による陰謀論は、ヒトラー総統も気に入ったようだった。

 ゲーリング元帥は、ユダヤ人を過大評価しているような気がして首を傾げていた。
 ヒムラーの後ろに控えるシェレンベルクが、妙な表情でわざとらしくあらぬ方向へと顔を向けているのに気がついたのは、窓際のエッカートだけだった。
 おそらく笑い出したくなるのをこらえているのだろう。


 いつの間にか話題は、ユダヤ人の陰謀へと移っていた。
 エッカートは、思わずため息をつきながら窓の外へと視線を向けた。
 ―――もうこの男も駄目かもしれんなぁ……大島中将が信頼出来る男だとはな、彼は確かにヒトラーびいきかも知れないが、もはや日本陸軍の中では親独派は主流ではあるまいに。
 ユダヤ人の害悪について大きな身振り手振りを交えながら演説を始めた窓に映るヒトラー総統の姿を見ながら、エッカートはそう考えていた。
 あるいは、ヒトラー総統に権限を集中させすぎたナチス党そのものが機能的な限界へと達していたのかもしれない。
 最も、ヒトラー総統とナチス党以外の誰かが政権についたとしても、おそらくは同じような路線をたどるしかなかっただろう。
 ドイツの再軍備という方針自体は、ワイマール体制の中で、ナチス党による政権奪取以前に進められていたからだ。
 だが、エッカートは、ドイツがここまで世界を相手にするほど敵を作ることになるとは思わなかった。

 ナチス党が日本帝国と友好関係にあったのは事実だった。
 ただし、ナチス党に見返りがあったのも確かだった。
 ドイツ国内のメーカーなどからの技術供与への便宜と引き換えに、日本帝国の企業等からナチス党にはかなりの額の政治資金が提供されていたのだ。
 もちろん、それらは日本帝国政府も承知のことだった。
 日本帝国だけではなく、イギリスやシベリアーロシア帝国も、当時はナチス党を支援していたからだ。
 彼らにしてみれば、ソビエト連邦という共産主義国家との防波堤として、ドイツの政権には反共主義を掲げる政党が望ましかったのだ。
 その中ではユダヤ人排斥などは一部の人権家以外は問題にもしていなかったのではなかったのか。

 そのような状況が一変したのは、ナチス党やヒトラー総統が、独ソ不可侵条約を締結し、共産主義国家と妥協してまでポーランドへと進行したからだった。
 ヒトラー総統は、独ソ不可侵条約は方便にすぎないと思っていたようだったが、日本帝国はそうは受け取らなかったようだった。
 裏切られたとヒトラー総統は考えているようだが、日本帝国も同じようにヒトラー総統に裏切られたと考えているのではないのか。

 だが、すでに戦争に突き進んでいるドイツが、日本帝国からの親書のとおりに占領地からの撤退など行えるはずもない。
 そんなことになればドイツ国内では、今までナチス党が封じ込めてきた矛盾が一気に吹き出してしまうだろう。

 エッカートはこれからのドイツの行く先を考えて大きなため息をついていた。
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