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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1941長岡ーベルリン2

 降雪はないが、それだけに墓石の並ぶ長興寺の墓場は寒々としていた。
 さして広くもない長興寺の境内には人気はなかった。
 山本は、2本の石柱が立つ長興寺の門前でしばし立ち止まると、曇り空を見上げてからゆっくりと墓地へと入っていった。

 田中青年が振り返ると、慌てて陰に隠れようとするホームで見た男の姿が見えた。
 今度はその姿を捉えることが出来た。
 ハンチング帽に擦り切れたような背広を着た、さして特徴もない中年男だった。
 店屋の間の狭い路地に慌てて身を隠していたが、コートの先が影から出ていた。

 山本が長興寺の墓場に入ってからも田中青年がその方向に見ていると、山本の様子をうかがおうとしたのか、ひょいと顔を出したその中年男と真正面から顔を見合わせる様になった。
 田中青年と真正面から向かいあったその中年男は、照れ隠しのためか、締りのない顔で笑みを見せるとまたひょいと顔を隠してしまった。
 意外なことに人畜無害そうなその中年男の様子に、田中青年は呆気にとられていた。

 そのせいか、一足早く山本に続いて長興寺内に入っていた男から声をかけられたのに気が付かなかった。
「田中さん、行きますよ」
 こちらも意外なほど透明な声に、一瞬誰から声をかけられたのか気が付かずに田中青年は呆けていた。
 山本に続いて墓に向かう男の背中に、慌てて小走りに山本を追いかけていた。


 ゆっくりと歩く山本が立ち止まったのは、思った通り養父の山本義路が眠る墓の前だった。
 近くには実父である高野貞吉の墓もあるはずだった。
 山本は、やはりしばし墓の前で立ち止まった。
 そして珍しく思いつめた表情で頭を垂れた。

 山本は異様な雰囲気だった。
 それを見守る男と二人で立つとまるで舞台のようだったが、同時に作り物のような印象も受けた。
 田中青年は違和感を感じて立ち止まっていた。

 僅かなシャッター音に気がついて田中青年が振り返ると、いつの間にか長興寺の門の前に立っていた先ほどの中年男がカメラを構えて続けて盛んにシャッターを切っているところだった。
「いけねぇや」
 外見通りの濁声を出すと共に、中年男は、すぐに慌ててカメラの軍艦部を弄って、シャッタースピードか何かの設定を操作すると、続けて何度かシャッターを切ろうとしてレンズを山本達に向けようとした。
 そこで、中年男は再び田中青年と顔を見合わせた。

 ―――こいつはブンヤだったのか
 田中青年は慌てて中年男を止めようと走りだそうとした。
 だが、山本の近くにいたはずの男が、いつの間にか再び田中青年の腕を掴んでいた。
 衝動的に怒りにかられて男を突き飛ばそうとしたが、やはり腕を掴む力は強く、引き剥がせなかった。
 咄嗟に山本を見たが、何事もなかったかのように墓の前に立っていた。
 その光景にまるで舞台のような雰囲気を感じた田中青年は、力が抜けたようになっていた。


 いつの間に写真を撮り終えたのか、中年男は姿を消していた。
 それを確認したのか、山本はこちらに向き直っていた。
「市川くん、彼はいい写真を撮れたかな…」
 また面白そうな笑みを浮かべた山本がいった。
 市川と呼ばれた男は、田中青年の手を離すといった。
「彼もプロフェッショナルでしょうから…しかし写真が取れなくとも季節外れの墓参りをする先生の姿を見れば有ること無いこと書いてくれるでしょう」
 満足そうに山本は頷くと、理由を尋ねるように怪訝そうな顔をしていた田中にいたずらっ子のような笑みを見せた。

 だが、山本の口から出たのは全く異なることだった。
「どう思うかね田中クン、今度の戦争にイギリスは勝てると思うかな」
 韜晦するような山本の台詞に、しばらくしらけたような顔をしていた田中青年は、渋々といった様子で言った。
「私は軍事の専門家ではありませんが…イギリスがドイツを占領するのは難しいでしょうが、同時にドイツはイギリスを屈服させることは出来ないでしょう。確かにドイツは強い。欧州の陸上戦では負け知らずです。だがドイツには物がない。確かにUボートはイギリス本土を締めあげているようですが、イギリスにはカナダもあればインドもオーストリアもある。息切れするのはドイツの方でしょう…勿論確証は全くありません。実際には再び英国本土で航空戦でも起こってイギリスは崩壊してしまうかもしれない」
 にやにやと笑みを見せながら山本は頷いた。
「まぁ概ねそんなところじゃないかと俺も思うよ。この戦争はね、我が国がイギリスに力を貸せば勝てるんだよ。だがそれにはいくつか問題があるとは思わないか」

 田中青年はわずかに口ごもってからいった。
「第一次欧州大戦とは状況が異なります。我が陸軍の装備はずっと重く、兵員数は削減されている。それにフランスの大陸軍は既に無い。これでは陸軍国ドイツを屈服させることが出来るだけの戦力を送り込むことはできないでしょう」
 つまらなそうに言う田中青年に、山本はさらに笑みを大きくした。
「兵員数は大した問題じゃない。イギリスには、本国を追われた西欧諸国の王家や政府が亡命している。フランスはまぁビシー政権が本国で樹立しているが、自由フランスとか言う亡命政権が誕生しているそうじゃないか。彼らの多くは本土以外にもアジアに多くの植民地を持っている。そこから兵を募れば多くの兵員を調達できるだろう。まぁその装備は我が国が貸し与えなければならないだろうがね」
 田中青年はあきれたようにいった。
「つまり第一次欧州大戦の再来というわけですか。我が国は再び連合国…いや国際連盟側とでもいいますか、その武器工場となるわけですか」
「そんなところさ…だが1番の問題は我が国の国民にあるとは思わないか」
 怪訝そうな顔で田中青年は山本の顔を見つめた。

「私が君ぐらい若いころはロシアの脅威論が盛んだったものだがな、あれから40年、もはやロシア帝国はシベリアの辺境にある友邦国だ。我が国民ももうロシア帝室にぞっこんじゃないか。それを反映して脅威は友邦ロシア帝国を害するソビエト連邦へと移った。
 そこまでは良かったが、敵の敵は味方とばかりにドイツに過剰な期待や友情を抱くようになってしまったのではないかな。あの独ソ不可侵条約の締結で裏切られたと感じたものも多かったはずだが、それでも親独派は少なくない」
 次第に山本の目は真面目なものになっていた。
 それに引き込まれるように田中青年は、山本の目を見つめた。
「陸軍さんの中にも親独派は少なくなくてな。だがまずは世論を対独強硬路線に持っていかなくてはならん…ところで近いうちすぐに英国本土決戦に参加した義勇航空隊の搭乗員が何名家帰還することになっておる。彼らはドイツ空軍の爆撃で破壊されたロンドンの悲惨な様子を語ってくれることになっている。それにマダガスカル島に移送されたユダヤ人からドイツ国内及び占領地で行われているユダヤ人への虐殺を証言することになっている。しばらくは新聞もそれで持ちきりになるだろう」
「それで世論を誘導するというわけですか」
「短期的にはね、それを機にしてドイツへの最終通告がなされることになるだろう。占領地からの撤退とユダヤ人差別の撤廃が盛り込まれる通告は、たとえドイツ政府が受け入れてもドイツ国民が受け入れるとは到底思えんが…一応は和戦両様の構えでいくつもりさ」

 田中青年はふと首をかしげた。だがこの話と先ほどの中年男はどう関係してくるのか。
 ふと山本は、田中青年から視線を外すと義路の墓へと目を向けた。
「実は先日のことだが、近衛さんに呼ばれてね。どうやら大命が下りそうだという話だった…近衛さんの口からは言えないだろうが、開戦内閣になるかもしれない総理が五摂家出身の華族ではまずいのだろう」
 田中青年は一度大きく目を見開いてから、首をかしげた。
 確かに山本は衆議院でも大物の議員だったが、まさかこの局面で総理大臣に就任するとまでは思えなかったのだ。
「しかし…先生でなくとも、この局面で衆議院出身者を総理としても、軍が黙っているとは思えません。今の近衛政権でも、米内海相はともかく、東條陸相が反対なさるのではいですか。そうなれば組閣そのものが不可能です」

 山本はそう言われると、苦笑しながらいった。
「いやぁ、その場には実は東條さんもいてね。私が総理になれば、そのまま陸相に留任してくれるそうだ」
 田中青年は意外そうな顔になったが、山本は苦笑顔で続けた。
「みんな、あの人を誤解しているようだがね。東條さんに権力欲だとかは全くないよ。それにあの人は陛下の意向には忠実だから…」
 一度周りを見回してから山本は続けた。
 いつの間にか、付き人らしき男は、二人から離れて注意深く周囲を見回していた。

「他にも宮様内閣という声もあったようだが、五摂家の近衛さんを外して宮様というわけにもいくまい」
 田中青年は、宮様の正体を脳裏にそっと思い浮かべた。
 親王殿下方ではないだろう。おそらくは年齢や職歴から行って現役の陸軍大将である東久邇宮ではないのか。
「こいつはな田中クン」
 いつの間にかニヤニヤとまた笑みを浮かべた山本が、面白そうな声になっていった。
「さっきの新聞の話と同じさ。要は軍人政権や貴族政権ではなくてな、国民から選択された形の衆議院から総理を出すことに意味があるんだ。ドイツの総統も形はどうあれ、国民が選んだわけだからね、こちらもそれに対向する為に衆議院から選ぶ必要がある、という判断のようだ。それにそろそろ我が国も有事でも政党内閣で乗り越えても良い頃だろう……それに、これだ」
 そう言ってから山本は失くした腕が入っていたはずの、中身の無い背広の袖を軽く叩いた。
「この腕を奪ったのはドイツだということはみんなが知っている。そんな男が総理になるんだ。誰だって日本は強硬路線だと思ってくれるさ」

 山本はそこでわざとらしく周囲をもう一度見渡してからいった。
「実のところ、今回の長岡入りも、身辺の整理という理由もあるが、世論作りももう一つの目的でね。この時期に現首相に呼ばれた代議士が、季節外れの地元入りをして、祖先の墓に墓参りをする。実にそれらしい動きだとは思わないか。近衛さんが総理を下りそうだという噂は以前からあった。次の総理は誰だと調べているものも少なくないだろう…そう考えたんだが、案外釣れたのは小物だけだったようだな。まさかカメラの使い方も分からない男しか来ないとは思わなかった」
「あれはブンヤさんでも物書きの方でしょう。カメラの操作に慣れた感がありませんでしたし、シャッターを押す指にはペンだこがありましたよ。カメラマンの付けられない予算のない大衆紙のライターでしょう。しかし、ああいう大衆紙のほうがそれらしい記事を書いてくれるでしょう」
 田中青年はぎょっとして振り返った。
 そこにはあの男が近づいていた。
 足音もさせずにいつの間にか近くに来ていたらしい。

 田中青年が怪訝そうな顔をしてみていると、山本がいった。
「紹介しておこう。私の個人護衛をしてくれることになった市川海軍少佐だ」
 市川とよばれた男は、にこやかに田中青年に頭を下げた。
 慌てて頭を下げる田中青年に市川少佐はいった。
「市川です。田中さんのことは山本先生から聞かされていますので」
 軍人らしからぬ柔らかな口調だった。
 だが、やわらかな外観の影には確かに鋭さが隠されているようだった。

 田中青年は、唐突に市川少佐の正体に思い至っていた。
 ―――この男は海軍警務隊員か……
 畏敬や恐れが入り混じった複雑な表情で田中青年は市川少佐を見ていた。

 海軍警務隊は、長年に渡るシベリアーロシア帝国という異郷の地での海軍陸戦隊の常駐という、海軍にとってこれまでになかった事態に対して編制された組織だった。
 その任務内容は、陸軍憲兵と同様に隊内犯罪や戦時中の交通整理や治安維持を行う軍警察組織だったが、共産主義という立憲君主国家群とは相いれぬ思想をもつソビエト連邦との最前線でもあるシベリアーロシア帝国に駐留する海軍警務隊には、対敵防諜、つまりはカウンタースパイ組織という一面も存在する。そのような噂は市井にも流れていた。
 そのなかには、脅威となる組織への潜入などを主任務とする、つまりは純然たるスパイ行為を行う部門も存在するらしい。

 市川少佐には、いかにも軍人らしさを感じる硬さはなかった。
 それでいながら田中青年に全く察知されずに近寄っていた仕草など、一般の海軍将校とはことなる訓練を受けた形跡もあった。
 だから、田中青年は、市川少佐が噂にあった海軍警務隊の諜報機関員なのではないかと考えていた。


 山本は、田中青年の不審げな様子にも気が付かない様子で、空を見上げながらいった。
「この帰省で、身辺整理を終えたら、しばらくは東京に詰めることになるだろう。此方のことは家内に任せるつもりだ」
 田中青年は、山本に向き直ると、そっと頷いた。
 本当に山本が総理になるとすれば、後援会も大忙しになるはずだ。
 しばらくは、自分も田中土木工業の社長業の方は今以上に疎かになってしまうだろう。そこは専務に任せるしか無いだろう
 だが、田中青年は、山本の次の言葉に酷く驚くことになった。

「田中クン、スマンが君も東京に来てくれないか」
「私が…ですか」
 半ば呆然としながら田中青年は目を見開いていた。
 長岡ではそれなりの規模を持つ有力企業だが、所詮は自分は地方の建設業者の若社長にすぎない。
 後援会の中でも事務仕事を手伝う若手スタッフでしかなかった。
 そんな自分が東京で総理大臣の手伝いをこなせるとは思えなかった。

 しかし、そのように考えながらも、田中青年の気持ちは揺らいでいた。
 その理由はともあれ、これは自分にとって、この国を動かすような人間となるための大きな機会となるだろう。

「君さえ良ければ、すぐにでも東京へ来て貰いたい。当分は秘書見習いとでもしてもらう…書生扱いにはなるが、私の近くで今のように意見を聞くこともあるだろう。なにせ君は真正面から私に一々反論してくれるからな」
 冗談めかして笑いながら、山本は田中青年の顔をのぞき込んだが、その目は全く笑っていなかった。
 田中青年は、その目にぞくりとしながらも、妙な魅力を感じていた。
 やはり自分と山本は似たもの同士なのかもしれない。
 そう考えながら、田中青年はゆっくりと頷いていた。
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