1943シチリア海峡航空戦19
コルシカ島への渡航の為に用意されていた貨客船が、ゆっくりと海面下へと沈み込みつつあるのをプレー曹長は絶望に満ちた目で見つめていた。
小さな入江の奥に隠されるようにして、黄昏時に僅かに残された赤い夕日によって赤く染められた地中海に浮かんでいたその貨客船は、今度は自らを燃やす炎で不自然なほど赤く照らしだされていた。
舷側を没しようとしている貨客船はそれほど大きな船型ではなかった。おそらく排水量で百トンもないのではないのか。しかも老朽化したエンジンの出力もそれほど大きくないから、航行速度も恐ろしく低かった。
波の穏やかな地中海で運用する事を考慮しても、沿岸から離れない近海での使用に限定されてしまうが、実運用上は問題とはならなかったのだろう。
サルディーニャ島とコルシカ島を隔てるボニファシオ海峡は最短距離で10キロ程しかないから、低速でも航行時間は短く済んだのではないのか。
この船は就役してから長年両島の間を往復して地域住民の足として使用されていたようだから、古くとも信頼性は高かったのだろう。
だが、その貨客船がもう二度と海峡を渡ることはなさそうだった。国際連盟軍の航空機からロケット砲弾らしき攻撃を先ほど受けた貨客船は、喫水線近くに破孔が生じたのか急速に沈んでいった。
飛翔中の砲弾の寸法はそれほど大きなものではなかったような気がするが、弾頭の形状が特殊なのか破孔はかなり大きく、短時間で余剰浮力を喪失してしまったようだった。
しかもその貨客船は小さな入江の奥を塞ぐように海底に着底してしまったようだから、沈没船を浮揚させるために十分な能力を持つ大型の作業船を回航させることは難しいのではないのか。
そもそもこの周辺でサルベージ能力の高い業者が存在するとも思えないから、おそらくこの貨客船は現地で解体されることになるのだろう。
プレー曹長はそっと視線を無残に躯を晒している貨客船からそらすとため息をついていた。まるで沈んだちっぽけな貨客船が自分たちの今の状況を体現しているかのように思えてしまったからだ。
周辺で所在無げに不安そうな顔を向け合うヴィシー・フランス軍の将兵は少なくなかったが、武装しているものはほとんどいなかった。携行していたとしても、護身用の拳銃や警備部隊の短機関銃程度でしか無かった。
そもそもまともな地上戦闘の訓練を受けたものも少なく、将兵の数は多くとも戦闘に巻き込まれてしまえば短時間で殲滅されてしまうはずだったから、彼らが不安そうな顔をするのも無理はなかった。
彼らの多くは戦闘部隊の所属ではなかった。サルディーニャ島に派遣された航空部隊に付随する整備や警備部隊のものが大半だった。乗機を失った乗員もいたが、特殊な技能を持つ搭乗員は優先して空路で脱出していたから、数は多くはなかった。
その例外であるプレー曹長は服の上からそっと拳銃に手を当てて自分を落ち着かせていた。
コルシカ島への最短地点にあるこの入江とは、ほぼ島の反対側で不時着したプレー曹長は、クロードと別れた後は痛む体を引き摺るようにして何とか基地まで戻ってきていたのだが、その時には全ては無駄に終わっていた。
実際には、暗い内にたどり着いたのは航空基地外縁に配置されていた高射砲陣地の一つに過ぎなかった。
基地本郭には夜間爆撃が断続的に行われている上に、警戒が厳重になっているらしく、敵味方の識別が難しい夜間に不用意に接近するのは危険だった。そう高射砲陣地に残る守備隊員に諭されてそれ以上先に進むのを断念していたのだ。
ただし、陣地に据え付けられた高射砲は稼動状態にはなかった。何らかの攻撃を受けたらしく、陣地に1門だけが配置されていた高射砲の砲身は垂れ下がったまま微動だにしなかった。
後座装置か旋回部が破壊されたのか、その高射砲の発砲が不可能なのは明らかだったが、時たま基地に投下された爆弾の炸裂による閃光などによって照らしだされた高射砲の損害が奇妙なことにはプレー曹長も気がついていた。
これまでに何度か爆撃によって破壊された陣地の様子はプレー曹長も見てきていたが、それらとは周囲に散乱した破片の散布具合などが異なっているようだったのだ。
例えば、高射砲機関部の分厚い構造材がまるで貫通されているかのように破壊されているのに、それ以外の砲身などの構造材には大きな損害はなかったのだ。
それに、頑丈な高射砲が破壊されるほどの大威力の爆弾が投下されたにしては高射砲陣地は外観を保っていたのだ。
事情はすぐにわかった。高射砲陣地で生き残っていた守備隊員が眉をしかめながら説明してくれたのだが、それによればこの陣地を含む基地外縁の高射砲陣地には、敵重爆撃機による爆撃に先行して大口径砲を搭載する大型四発機による砲撃が行われたというのだ。
そう言われてみれば、確かに破壊された高射砲に残された損傷は高初速砲弾の直撃を受けた事によるものに酷似していた。だが、海岸からの艦砲射撃にしては距離があるし、敵上陸部隊の存在もありえないから可能性から排除していたのだ。
もしも高射砲の構造材を一撃で粉砕できるような戦艦による艦砲射撃が行われていたのであれば、この程度の高射砲陣地など跡形もなく破壊されていただろうし、いくら何でもそのような規模の攻撃が行われていればプレー曹長もこれまでの間に気がついていたからだ。
だが、戦車砲や高射砲のような高初速砲による直撃であればこのような損傷になるだろうし、大型の爆弾ではなく榴弾の炸裂程度であれば頑丈な高射砲陣地であれば原型を保ったままなのではないのか。
事情はわかったものの、プレー曹長は俄にはその事実が信じられなかった。確かにそのような特殊な機体が国際連盟軍に存在していることは噂では聞いていた。
なんでも搭載されているのは地上配置の高射砲と基本的には同一仕様の高初速砲で、それを支援するために機関砲を搭載した動力銃塔も強化されているらしい。
その機体の原型となっているのは一式重爆撃機であるらしかった。元々一式重爆撃機は大口径機関砲を多数装備する重装備の機体だったが、その機体では側面に向けられた火力が原型機よりも格段に強化されているようだった。
搭載された砲の詳細は不明だったが、どうやら高初速の高射砲を転用したらしく、重装甲の重戦車であっても上空からの一撃で屠ることが出来るらしい。
この陣地に備えられていた高射砲と基本的には同程度の砲であるはずだが、地上から重力の枷を振りきって上空に打ち上げるのと、上空から重力を加算して打ち下ろされるのでは自然と射程や威力も変わってくるから、この高射砲陣地も射程外から一方的に打ち据えられてしまったのではないのか。
だが、プレー曹長はそのような機体の存在意義をあまり評価できなかった。単純に考えても、原型が同じ機体であれば、当然離陸時の限界重量も同一となるのだから、爆撃機型の爆弾搭載量と、攻撃機型の追加された銃兵装とその弾薬を足した重量もほぼ同一となるはずだった。
そうであれば、高初速砲の頑丈な砲身や機関部、さらには強烈な反動に対処するために強化されているであろう構造材などの重量分だけ地上に投射される鉄量は減少するはずなのだ。
さらにいえば、爆弾は投下すればその分だけ純粋に機体が軽くなるが、攻撃機型では消費した弾薬分は軽くなっても、高価で機体に頑丈に固定された搭載砲を捨てる訳にはいかないから、投弾後の重量も大きくなるから相対的な速度の低下で自然と爆撃機型と同一の編隊を組むこともできなくなるはずだった。
もっともプレー曹長の考える限りでは、そのような重量上の問題を無視したとして、まだ攻撃機型には致命的な問題があると考えていたのだ。
動力銃塔に搭載された機関砲はともかく、高射砲並みの高初速砲は構造上射界が限られるから、対地攻撃時には大柄な機体を一方向に常に向けて飛行しなければならないのだ。
おそらく、この航空基地への攻撃時も基地を常に高射砲を備えた左舷側の視界に入れるように旋回を続けていたはずだった。
だが、敵地においてそのようにすぐに針路を見破られるような機動を行うのは自殺行為だった。地上の高射砲陣地は発砲開始まで隠蔽しようとしているし、何よりも自在に機動する戦闘機に対しては無防備極まりない態勢になるからだ。
しかし、その点をプレー曹長が指摘すると、守備隊の兵はつまらなそうな顔でそっぽを向きながら味方戦闘機の姿など見なかったし、こちらが発砲するととすぐに後ろに目が付いているかのように避けていったと言った。
プレー曹長もそれを聞いて苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
おそらく、敵攻撃編隊はプレー曹長達の予想以上に大規模で秩序だった計画のもとに攻撃を行ったのだろう。
事前の航空基地周辺の地形の把握、すなわち高射砲陣地が構築されそうな地点の確認も十分になされていたのだろうし、本来そのような鈍重な攻撃機を迎撃するはずだった戦闘機隊はプレー曹長達のように虚偽の目標に誘引されたか、爆撃機援護の戦闘機隊との空戦に巻き込まれてしまったのではないのか。
そして、爆撃前に高射砲陣地を破壊して爆撃隊主力の損害を極限する際には、全体を見渡せる位置に空中指揮官機を置いて、状況の全体的な把握と場合によっては攻撃隊に対する指示や警告まで実施したのではないのか。
その後、断続的な爆撃によって守備隊員達とまんじりともせずに一夜を明かしたプレー曹長は、予想以上に深刻な航空基地の損害に落胆することとなった。予想通り敵戦闘機との空戦に巻き込まれた戦闘機隊の損害は、実際にはそれほど大きくはなかった。
少なくとも搭乗員の被害はあまり生じていなかったようだ。機体を撃破されたとしてもプレー曹長のように不時着したり脱出したものもいたようだから、最終的な戦死者の数は最低限であったといっても良かった。
ただし、それは飛行隊の戦力の維持を意味してはいなかった。
戦闘機や搭乗員そのものの損害に対して、航空基地が被った被害は大きなものだったのだ。重爆撃機による集束爆弾の投下で予備機や整備施設は破壊されていたし、滑走路には大型爆弾の炸裂によって生じた大穴がいくつも空いていたうえに厄介なことに不発弾と区別の付かない時限信管式の貫通爆弾まで投下されていた。
それに、おそらくは英国空軍によって実施されたのであろう嫌がらせのような夜間爆撃によって設営隊による修復作業が妨害されていたから、基地機能の回復は難しい状況だった。
結局、プレー曹長達第6飛行隊は後ろ髪を引かれながらサルディーニャ島を脱出してコルシカ島へと向かうことになっていたのだった。
その撤退の判断は誤ってはいなかった。航空基地周辺を囲むように配置されていたイタリア軍の沿岸警備師団は、航空撃滅戦の後に上陸した僅かな数の敵上陸部隊に対して競うように投降していたからだ。
あのまま航空基地の修復を待っていても戦力の回復以前に敵部隊に寝返ったイタリア軍に囲まれていたのではないのか。
撃沈された貨客船の代わりに、隊の誰かが見つけていたのはちっぽけな船だった。貨客船もそれほど大型の船型ではなかったが、こちらは船というよりもボートと呼ぶのが相応しそうなほどだった。
コルシカ島までの距離はそれほどないが、狭い海峡だから潮流に流される可能性もあるのではないのか。小さな渡し船に不安そうな顔を向けながら次々と乗り込む他のヴィシー・フランス軍将兵に混じりながらプレー曹長はそう考えていた。
おそらく、この調子では全員の脱出までに不安定な体勢で何度も海峡を往復しなければならなくなるだろう。
不安そうに渡し船を見つめるサルディーニャ島に残された将兵達に見送られながらゆっくりと出港する船内で、プレー曹長の脳裏には後悔だけがよぎっていた。
もしもあの時自分達がもう少し上手く立ちまわってアミオ359の防衛に間に合っていれば、このような事態は防げたのではないのか。
地上施設が破壊されたとしても、レーダー搭載機を中心とした防御態勢を構築して適切な戦力を正確に運用することができれば鈍重な攻撃機に航空基地の防空網を破壊されることもなかったはずだし、そうであれば重爆への対空射撃もスムーズに実施できたはずなのだ。
もちろん実際にはそのようにうまくいったとは限らなかった。電子妨害を行う敵機も複数いたかもしれないし、それでレーダー搭載機は無効化されてしまっていたかもしれない。
あるいは敵戦力が強大すぎて、小手先の戦術など無意味であったのかもしれない。
だが、自分たちの戦い方が稚拙であったのは確かなはずだ。
それと同時に、銃撃されて墜落してゆくグローン中尉の姿と、その時の敵機に描かれた麦穂の識別マークの記憶が鮮明になっていく一方で、ケルグリコミューンでのクロードとの思い出が急速に色褪せていくような気がしていた。
―――結局、親友と思っていたのはこちらだけだったということか……
そう結論付けると、プレー曹長はゆっくりと視線をサルディーニャ島からコルシカ島へと向けていた。不思議な事にそうして過去に背を向けたようにしたことで自然と前向きな考えになっていた。
今はとにかく飛行隊の戦力を回復させて、早く次の戦場へと向かいたかった。今度はそう簡単には負けない。そう決意しながらプレー曹長は暗い笑みを浮かべていた。
―――復讐するのが自分だけとは思わないことだ。
そう考えながらプレー曹長はいずれ別の戦場で彼と相まみえることを確信していた。
一式重襲撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
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アミオ359の設定は下記アドレスで公開中です。
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