13
そういえばどうしてジオルドさんに介抱されていたのか、詳しく聞くこともなく昼前辺りにゆっくり出勤して、そこで初めてジオルドさんが冬眠を途中で切り上げ私を助けてくれたことを知った。中途半端な冬眠は体に障ると聞いたことがあり改めて自分のしでかしたことに衝撃を受けていれば、本人に宥められる。いわく、元々一週間程度の冬眠で足りる体質らしい。だから狩人なんかできるんだ、冬眠が数日短くなった程度どうということもない、と。でもごめんなさいと謝れば、露骨に顔が渋くなる。気を悪くしたかと再度謝罪を重ねれば、なおさら。困って眉を下げていれば、すっと背後に立ったユイエさんに囁かれる。――ごめんなさいよりありがとうがいいわよ、と。
「え……ああ。あの、ジオルドさん」
「何だ」
「えっと、その……遅くなりましたけど、助けてくれて、本当に、ありがとうございます」
笑顔!と小突かれ、慌てて笑う。挙動不審気味に見上げれば、ああとそっけない態度で目を逸らされる。そんな私たちを見やり、含み笑いを浮かべるユイエさん。セイナも近付いてきて私たちを見回し、
「……途中からわかってたから、いいんだけどね」
あーあ残念、とため息をつく。
「何が?」
「こっちの話!……多分近いうちにわかるよ」
ねえ、ねー、と頷きあうユイエさんとセイナに首を傾げながら、その日は仕事免除となり、ジオルドさんに送られて自分の部屋に戻った。
※
それからまもなく。名残の雪が街影に残っているけれど、すっかり春めき花々が蕾を膨らませるようになった。熊人たちの冬眠も終わり、春祝いの祭りが街中で行われ始める。道を歩けば祭りに当たるというほど、そこら中お祝い一色だ。露店が開かれ、ガーデンパーティーが行われ、花や色鮮やかな布などで家々が飾りつけられている。とても華やかで、誰しも笑顔だ。
中でも一番大きな祭りは街の中央広場で開かれる。三日間昼夜通して祝われ続けるその間は皆家から飛び出して、仕事もお休み。いわば、熊人たちの祝日だ。
明日、その祭りが始まる。初日には若い熊人たちにとっては出会いの場ともいわれているダンスパーティーが控えていて、男も女も今日はその話題で持ちきりだ。誰を誘うか、何を着ていくか、既婚の熊人たちは微笑ましくそれを見て、私たちもそうだったわねなんて言っている。私も少し、緊張している。明日がどんな日になるか、それは全くわからない。
いつか、丸い耳も尾のないお尻も気にしなくていい時がくるだろうか?そう思いながら、ささやかだけれど自分を飾りつける。十代のような若さも元気もない自分があまり華やかにしても恥ずかしいから、ちょっとだけ明るい色、ちょっとだけ綺麗な花で。
そうして街に繰り出せば、そこかしこに着飾った男女の姿。浮きたつ空気、弾む声、初々しく手を繋ぐ若い二人。その横を通るパートナーのいない私に声をかけてくれる知らない男性もいるけれど、丁重に断ってたった一人の姿を探す。
風がそよぎ、鮮やかな布がはためく。花びらが舞う。目に映る様々な風景は、春はどこでも明るいと改めて気付かせてくれる。だからきっと、望む結果でなくとも私は笑えるだろう。ひと際大きな背中を見つけ、私は躊躇せず近寄った。
「ジオルドさん」
振り返った顔は、いつも通りの固い表情。この空気の中でも変わらない、どっしりと腰の座った安定感。時々笑うと、ちょっと幼げになる。真面目で実直で、嘘一つつかない融通のきかなさが玉に瑕。ちょっと気難し屋で、でも懐の深いひと。
無言で待つ彼に、少し手を伸ばせば届くくらいのところで立ち止まる。見つめ合う。ジオルドさんの瞳は凪いでいて、深い湖のようだ。濁る要素のないその目をじっと見ながら、
「一緒に、踊りませんか」
ダンスに、誘う。そっと手を差し出せば、数秒後、力強く握られる。
「……踊るだけで、いいのか」
え?と思う。――それは、どういう意味だろうか。答えを求めて見つめ続けても彼は一向に口を開かず、私を待つばかり。心の奥から湧き上がる、もしかして、という歓喜の想いを必死に留めながら、促されるまま私は続ける。
「私は、冬眠はできませんけど……次の冬には、できることなら」
――眠るあなたの、一番そばに。
ジオルドさんは何も言わずに、周囲に広がるダンスの輪に私を誘う。
手をつなぎ、体を寄せて、回る。その間も彼の熱い視線は私から離れない。言葉より雄弁に、目で語ってみせる。答えなんて、もう聞かずともわかった。
武骨でいかつい狩人のくせして、彼は中々の優雅さで慣れない私をリードする。耳に響く明るい音楽、陽気な歌。周囲を同じように回る女性たちの色鮮やかなスカートが風をはらんで膨らんで、きっとこの場所を上から見れば、まさしく春が来たような繚乱とした景色だろう。私もきっと一輪の花になって、喜びあふれて舞っている。
答えはわかっているけれど、でも彼の言葉が聞きたくて、私は言った。
「今の私には、冬眠休暇はいりません。でも、来年は休暇を申請したいと思っています。……いいですよね?」
見上げれば、ジオルドさんは少し屈み、唇を私の耳元に寄せた。
「俺も、来年の冬眠休暇は、お前と一緒にとりたい」
※
私たちが付き合いだしたことはすぐに周りの知るところとなり、そう落ち着くと思ったよ的な雰囲気で迎えられた。セイナの「近いうちにわかるよ」はつまりそういうことで、当事者たちだけがもだもだしていたわけだ。生温い祝福を受けて、嬉しいやら恥ずかしいやら。
先の話は追々で、私とジオルドさんはいきなり何かが変わるわけでもなく、お互い別の場所に住んで、お互いに別の仕事をして、互いの家にそれぞれ帰る一日を過ごしている。会わないで終わる日もあり、四六時中一緒にいたいと思うほど若いわけでもないけれど、少し寂しいなと思ったりする。
春も深くなり影の雪まで全て溶ける頃。私は一旦ギルドを辞めた。待っていてくれたおばさんの食堂に戻ることに決めたからだ。冬にまた冬眠保全の仕事を紹介してもらえばいい。
ギルドを辞めてから、丸一日休みが入る。どこかからその情報を得たのか、休日の朝、ジオルドさんは私の部屋へといきなり訪ねてきた。いわく、一緒に過ごさないか、と。デートのお誘いというやつだ。否やなく頷いた。
二人で作った朝食をゆっくり食べ、外に出てぶらぶらと歩いて回る。ほんのちょっと前まで白一色だった街は様々に色づき、活気に満ちあふれている。服を見たり、小物を見たり、買い食いしたり、いい雰囲気のカフェでお茶をしたり。日本でも当たり前な王道のデートコースを辿る。夕方、食材を買ってジオルドさんの家で料理をするところまで含めて。
味わって食べて、食後は蜂蜜ティーを淹れてまったりする。この流れだとそういう雰囲気になりそうなものだけれど、まだ早い、というところだろう。でもいつかはと夢想する。……彼と家庭を築き、子どもができて、育てて、老いて。レイナートさん夫婦みたいに、寄り添いながら最期を迎える。それは何とも幸せな、最高の未来に思えた。
「……一つだけ、まだ言ってないことがあるんです」
でもそんな未来を夢見たら、覚える不安が一つだけ。何だと柔らかく促され、私は、最後の秘密を彼に話した。
「私は……この世界の人間じゃない。違う世界の、人間です」
――だからもしかしたら、この世界の人間とは実は違う生き物かもしれない。あなたの子どもを産めないかもしれない。いつか、ここに来た時のようにいきなり元の世界に戻ってしまうかもしれない。
それでも平気ですか。どうしても震える声で、私は告げた。
ジオルドさんはしばらく黙り込む。長い沈黙だった。彼の中で色んな想いが渦巻いているのは、傍目から見てもよくわかった。……どういう結果でも受け入れようと覚悟を決める。だって、仕方のないことなのだ。変えられない事実なのだから。
「正直信じがたいが、こんな嘘をつく理由もない。事実なんだろうな」
沙汰を言い渡される罪人の気分で受け止める。俯いて床の木目に視線を落としていれば、だがそれは、と切るような強さでジオルドさんは続けて。
「……獣がひとと結ばれたことよりも、よっぽど信じられるだろう?」
あきこ、と舌っ足らずな慣れない響きで呼ばれて。私の視界はあっという間にぼやけた。
「そう、です、ね……そのとおり、です」
――合わない冗談まで言って、今まで呼んだことがないのに、とっておきとばかりに名前を呼ばれて。
この瞬間、その深い懐に、私は完全に抱き込まれた。温かくて、心地良くて、きっともう、二度と離せやしない。一生、そばにいようと強く思った。彼の眠りを守り続けようと決めた。
そのための、まずは第一歩。
繋いだ手を引き、屈んだ彼と額を合わせる。至近距離で見つめ合い、涙交じりの声で、もうちょっと近付きたくありませんか、と遠回しに誘う。濃い飴色みたいな瞳が一瞬見開かれて、それから少しずつ細まっていくのを見ながら、そっと、目を閉じた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。