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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
永禄十年 天下布武
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千五百六十七年 九月中旬

信長は居城を岐阜城へと移した。だが岐阜城が改修のため、今回の静子との謁見は小牧山城で行われる事になった。

謁見の場において、信長は終始ご機嫌であった。

税として運び込まれた米俵が予想数を大きく上回り、蔵に入りきらなくなっており、またしても蔵の増築が必要になったが、それでも信長は上機嫌だった。

それには理由がある。


「綿花の良さを証明するものを持ってきたそうだな」


それは静子が「綿花の良さを体験出来るものを持っていきます」という報告を上げたからだ。

一体どんなものが出てくるのか、どの様にして体験するのか、信長は好奇心を抑えきれなかった。


「はい。それともう一つ、建材で使えそうな素材を持ってまいりました。木綿の方はお時間がかかるので、先に建材の方をご紹介させていただきます」


言い終えると静子はポンと軽く手を叩く。

襖が静かに開けられ、そこから才蔵と慶次が二人がかりでお盆を運んできた。


「おぉ……」


それを見た家臣の誰かが感嘆の声を上げる。

やがて信長の眼前にお盆が置かれると、慶次と才蔵は一礼をして静子の後ろに下がる。


「南蛮で使われている建材、混凝土コンクリートでございます」


「……ふむ、滑らかな表面だ。見事な腕前と言いたいが、一つだけでは意味がなかろう」


「お館様、短気は損気です。確かにコンクリートは一つでございますが、これには秘密がございます」


そう言われた信長は、顎に手を当ててコンクリートブロックを見る。

これは信長からの『しばし考える』という合図だ。彼は未知のものを見て、その疑問に対する答えを見つける事を楽しんでいた。


(表面の滑らかさは素晴らしい。まるで名刀で切断したような面じゃ。硬さは……ほほぅ、中々のものじゃ。厚みがあれば火縄銃すら防げるかもしれぬ)


表面をぺたぺた触ったり、コンクリートブロックを持ち上げようとしたり、軽く叩いて硬さを確認したりと、信長はコンクリートブロックをじっくり検分した。


「ふふっ、こんくりいとの秘密か。漠然とだが分かったぞ、静子。これは自然に出来たものではない。人の手で作りし石じゃろう!」


「その通りでございます、お館様。ご慧眼恐れ入ります」


そう言って静子は平伏する。しかし信長は豪快に笑いながらこう言った。


「よい、貴様の作るものに対して考えるのは楽しい。さて静子、これを作る材料は何だ。まさか貴重な品物を使うとは言うまいな」


「原料はセメントと呼んでおります石灰石と粘土と石膏と微量の鉄の混合物、砂利、砂、水、空気でございます。それらをとある混合比で混ぜ、手順に従って加工し、三〇日ほど干せば出来上がります。コンクリートは様々な種類があり、材質によって性質が変わりますが総じて高い耐久性を持ちます」


「なんだとっ! それだけで作れると申すのか!?」


信長は思わず驚愕の声を上げた。どの素材も安価に手に入るもので、苦労して仕入れる必要がない。

だからこそ、誰かが気付いてもおかしくない事なのに、誰もが気付いていない。


「はい。製法はこちらに纏めております」


「……流石だな。そこまで用意がいいとはな」


コンクリートの製法が記載されている書類を受け取ると、信長はそれに視線を落とす。

書いている内容をざっくり読んだ後、それらを傍に控えている小姓へ投げるように渡す。


「岡部に渡せ。奴ならこれを使いこなせるじゃろう」


投げられた書類を慌てて受け取った小姓は思わず彼の顔を窺ったが、信長からひと睨みされたために慌てて退席した。


「それでは次に、綿花の良さをご理解して頂けるものを献上致します」


信長の前にあったコンクリートブロックを慶次と才蔵が下げる。

だがすぐに別のものを二人がかりで運び、それを信長の前にゆっくり置いた。

コンクリートブロックの時と同じく、置いた後二人は静子の後ろに控えた。


「ほぅ」


それは厚みのある布のように見えた。だが布をただ重ねただけのものには見えなかった。

中に柔らかい何かを詰め込んでいるような、そんな感じのするものだった。


「これが本日、綿花の良さをご堪能して頂く為に用意した代物……名を布団といいます」


布団とは日本で広く使われている寝具の一つだ。

寝る際に体温が下がらないように保温し、体重が一点に集中して体が痛くならないようにする効果がある。

しかし敷布団と掛布団が用いられるようになるのは明治時代以降の事だ。それまでは昼間に着ていた服をかけて寝たり、「寝むしろ」や「寝ござ」で庶民や戦国武将は寝ていた。

それは木綿などの「綿」が、明からの貿易でしか手に入らない高級品だったからだ。


「お館様、失礼を承知でお願い申し上げます。布団の良さを体験して頂く為に、夜着よぎに着替えて頂けないでしょうか」


「ほぅ……わしにここで夜着よぎ姿を晒せと、貴様は言っているのだな。面白い」


怒っている口調の割に、それを楽しんでいる顔の信長は、一旦謁見の間から退出した。

暫くして彼は夜着よぎを纏って戻ってきた。


「どうぞ」


敷布団の上に寝転ぶように静子が手で促すと、信長はニヤリと笑って敷布団の上に寝転がった。

同じく綿が詰められている枕に信長が頭を置いたのを確認した後、静子は掛布団を一旦持ち上げた。

何も仕掛けがないと信長と家臣たちに見せるためだ。それが終わると、静子は信長の足からゆっくり掛布団をかけていく。

肩までかけ終えると、静子は三歩ほど後ろに下がる。


硬い床で寝るのと段違いの心地よさに信長は包まれる。じんわりと広がる心地良い暖かさに、彼は無意識の内に目を閉じた。

だがすぐに彼は掛布団を投げ飛ばす勢いで起き上がった。

顔はびっしり汗をかき、肩から息をしている様に、家臣たちは驚き腰を浮かす。

そんな彼らを無視し、信長は片手で顔を覆いながらこう言った。


「静子、これは快適過ぎて逆に危険だ。思わず布団に身を委ねきる所だった」


何の事はない、信長は布団の魔力によって眠りに落ちかけていたのだ。

今日は秋らしい涼しい気温なので、信長が思わず眠気を覚えたのも仕方ない事だ。

それから信長は夜着から正装に着替え直し、再び謁見の間に戻ってきた。

彼は顎に手を当てて布団を改めて見る。


「ふむ……確かに木綿の良さを堪能したぞ」


だがすぐに笑みを浮かべてそう言った。







その後、大豆や黒砂糖の予想生産量を報告し終えた後、静子は信長から報奨の金一封を頂いた。

絹糸が飛ぶように売れた事への褒美だった。静子は知らないが、織田印がついた尾張の絹糸は、今や京や堺で話題の商品だ。

一流の職人が作った最高級の絹糸には敵わぬものの、織田印の絹糸は他にはない特色があった。

それは質の均一化である。絹糸を作るには多くの工程を行う必要があり、かつ殆どの工程で人の手が必要な以上、どうしても質にムラが出来てしまう。

絹糸を十段階評価で言えば、通常の絹糸は九や一〇に相当する絹糸と、一や二に相当する絹糸が混在している。

しかし織田印の絹糸は均一化されているため、五か六の絹糸しか存在しないのだ。

だから商人は買い漁って高く売るのだが。


当の本人である静子は、現金を貰っても使い道に困っていた。

結構な額が下賜されたのだが、いかんせん彼女は消費する側ではなく消費するものを生産する側だ。

農具などを買い求める事も考えたが、全ての村の農具を刷新できるほど潤沢にあるわけではない。


「というわけでボーナスを渡します」


消費しきれない金を持ってても無駄と考えた静子は、緊急用の資金として必要な分を手元に残し、残りを慶次、才蔵、彩、長可に分配した。

長可は静子に仕えている訳ではなく、単なる訓練生という事で他の三人より多少少なかった。それでも結構な額ではあるが。


「ほー、気前がいいな静っちは」


「斯様なご配慮、恐悦至極でございます」


軽いノリで礼を言う慶次と、堅苦しい雰囲気で礼を言う才蔵だった。


「まぁそのなんだ。ありがたく頂戴する」


「ぼうなすが何か知りませんが、金一封を頂いたのなら使えばいいじゃないですか」


そして至極当然の突っ込みをする彩だった。

しかし今でも百姓にしては資産が多いのに、殆ど手を付けていない静子である。これ以上お金が増えても死に金になるのは目に見えていた。


「ははっ。確かに煉瓦の時に材料費で結構使ったけど、それでも半分も使ってないんだよ。なら私だけでは消費しきれないのは目に見えてるよ」


「まぁ……静子様が良いのでしたら……」


「それよりも大豆とサトウキビの収穫の方が気になるね。今年は大豆に豊作の気配がしてるから、去年よりたくさん取れると思うよ。今から桶を沢山用意した方がいいかな」


お金より畑の作物が気になる。無欲というより、世間一般と違う欲の持ち主だと彩は思った。


「分かりました。念のため、桶を手配しておきます」


大豆の収穫を楽しみにしている静子へ、彩は頭を下げてそう言った。







それから数ヶ月は何事もなく穏やかに過ぎ、十二月初旬になった頃、ようやく大豆の収穫が始まった。

天日干しをするには広い場所が必要となるのに加え、各自バラバラで作業するよりは一ヶ所で集中的に作業する方が効率的と考え、根っこごと引き抜いて全てを静子の村に集めた。

根っこを下にして竹製のT字型物干し台に立てかけるように干す。流石に全部の村の大豆が集まると、その数は圧巻の一言だった。

天日干しが終わると脱穀を行い、殻や虫喰された大豆や中にいた虫と、綺麗な大豆をそれぞれ分別する。

純粋に多くの人手が必要な為、この日は大勢の人間が集まって脱穀を行った。

脱穀と分別作業が終わると、桶を並べてそれぞれの村の収穫量を計算する。

麻町、味噌町、蜜町、茸町、元町の栽培面積はそれぞれ20ha、20ha、20ha、20ha、50haになる。

それぞれ18トン、19.5トン、16トン、17.2トン、52トン、合計122.7トンの収穫量だった。

サトウキビは皆5haと共通しているが、代わりに限界まで隙間を埋め、栽培数を増やす方法を取っていた。

これは一本のサトウキビを大きく育てるよりも、一度に栽培出来る数を増やした方が低コストだからだ。

故に通常は間隔を百四十センチほど開けているサトウキビを、八十センチから百センチの間で栽培した。

結果、通常の栽培より少し多く収穫する事が出来た。

畑一つ程度なら微々たる差だが、これから畑を増やしていけば、やがてその差は目に見えるほどになるだろう。

一番効果的な間隔を求める事が、今後の課題となった静子である。

肝心のサトウキビの収穫量は初めてという事もあり、どの村もおよそ1haにつき六〇トンから七〇トンの平均収穫量だった。

そしてサトウキビの総重量から四割程度が砂糖になる。実際はもう少し下がり、約400トンという三割程度の採取量となった。


とは言え破格の収穫量である。

信長は座しているだけで懐に大豆がおよそ60トン、黒砂糖とはいえ200トンが手に入ったのだ。

そこから更に低価格で大豆と黒砂糖を、静子たち百姓から買い取る。これは百姓がお金が欲しい分だけ買い取るので不確定な量だが、他と違ってキロ単位で取引をしていた。


それだけの量を運搬するのも大変だが、もっと大変なのは保管場所である。

だが米の件があって静子は尾張と美濃にある信長の居城に、木製サイロの建築を依頼していた。

そのお陰で運搬には時間がかかったものの、保管場所について頭を悩ませる事はなかった。


米も大豆も砂糖も納税が終わった。

後は次の春まで休暇を満喫出来ると思っていた静子だが、そうは問屋が卸さなかった。







「いしがま、なるものが出来たと聞いたぞ」


信長に大豆と黒砂糖を納めて一週間ほど経った頃、突然濃姫が静子の村を訪問した。

静子にとってはまさに寝耳に水状態だ。流石に驚きを隠せなかった。


「は、はい……石窯を作りましたけど……?」


しかも彼女は単身で訪れたのではなく、共の者とは別に貴人を伴っての訪問だった。


「お主が濃姫様が仰られていた静子殿かえ?」


「年は妾たちに近そうじゃのぅ」


濃姫と同道してきた女性が二人おり、年は二人とも二〇前後といった感じで、雰囲気から仲の良さが窺える。

濃姫と行動を共にしているからには、信長の側近か重臣の正室なのだろうと静子は予測した。


「おお、お主は初めてじゃったな。こちらは木下殿の正室であるおね、そしてこちらが前田殿の正室であるまつじゃ。ああ、静子の所にいる前田殿ではないぞ?」


「は、はい……よろしくお願いします」


深々と頭を下げつつ静子は理解する。二人の仲がとても良さそうに感じられた事を。

おねとまつなら納得だ。何しろ安土時代は家が隣同士、かつ年が近いという事もあって他の武将の妻より付き合いは濃かった。

その二人と濃姫が付き合いのある関係なのは驚いたが、主君と配下という事で何かしら歴史に残らない繋がりがあったのだろうと静子は思う事にした。


「おお、これが石窯か」


石窯がある場所に三人を案内すると、濃姫が子供のような声を上げる。

流石に使用中の石窯をぺたぺた触ったりはしなかった。万が一、触ろうとしたら全力で止めに入らなければならないが。


「して静子よ。これでどんな美味なるものが出来るのじゃ?」


「え、はい……まぁ色々とあります。今は鶏の蒸し焼きを作っていますが……」


鶏、という単語におねとまつが反応する。鶏や牛、馬などの肉は禁忌されるべき対象、というのが戦国時代の常識だ。

百姓たちは別としても武士や武家の娘は幼少の頃から寺で教育を受ける事が多い。

その関係で鶏を敬遠する武将たちは今も多い。


「濃姫様、鶏は禁忌すべき獣肉です。何故そのようなものを……」


「ほほほっ、何をいうまつ。お前が今まで食べてきた野鳥と鶏に何か違いがあるのかえ?」


まつの苦言に、濃姫は笑いながら反論する。しかし軽そうな雰囲気に対して、言葉には強い芯があった。


「それに仏に仕える坊主どもは、仏の教えを守らず平気で酒や女を喰ろうとるぞ。なのに妾たちが我慢するなど道理が合わぬではないか」


「そ、それは……」


「上の者があれは駄目、これも駄目など言うのは旨いものばかりじゃ。要するに自分たちの取り分が減るから、下賎な者たちは喰うなというておるだけじゃ。そんな馬鹿どもの戯言など聞く必要ない」


流石信長の正室だと静子は素直に感心した。戦国時代の人間に似つかわしくない物事の捉え方、倫理観を持っているからこそ、濃姫は信長の正室になれたのか、と彼女は思った。


「さて静子や。はようそれを作って、妾の舌を楽しませておくれ」


その後、おねとまつは出来上がった鶏料理を大層気に入り、静子の分まで食べてしまったのは言うまでもない。


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[良い点] 確かに、和牛が明治維新まで保護された理由の一つに、病院怪我で死んだ和牛を食べる事を農家に禁止令を、当時の天皇が命じたのが始まりだった。 食ったら美味かったので、農家のような学無き者達では、…
2022/12/09 10:16 退会済み
管理
[気になる点] ・コンクリート 〈ローマン・コンクリート〉または〈古代コンクリート〉と呼ばれるものについての知識が有れば、その再現も取り組んでほしいですね。 火山灰を安定して入手出来れば良いのですが…
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