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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十一年 上洛

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千五百六十八年 一月初旬

今回から文章が長くなる予定……。
読みにくかったら分割しますので、遠慮なくご指摘ください。
戦国時代の武士たちの正月風景は現代人のそれとあまり変わらない。
親戚や仲間たちと一緒に初詣に行ったり、酒を飲んだりして正月を満喫する。
異なる箇所を挙げるとするなら、主君への挨拶を行うため登城する事。そして、それが終われば重臣や他の家臣の所へ挨拶まわりをする事だ。

静子の村にいる慶次と長可も例に漏れず、一時的に家へ帰る事となった。才蔵のみ家への帰宅ではなく愛宕権現へお参りに行く事を希望した。
才蔵が若い頃から愛宕権現を篤く信仰している事を知っている静子は、何も聞かずこれを了承した。
そして静子は三人にある程度の支度金と食料を渡した。道中で困った時の為と考えての事だが、当の三人は過剰な心遣いに困惑した。
静子からの心付けを遠慮しようかと考えた三人だが、最終的に『静子だから』という事で納得し、有難く頂戴することにした。

一方静子は昨年とあまり代わり映えせず、村人と正月の宴会をし、二日目に主君の信長へ挨拶するために登城し、そのまま酒会へ参加する。
今年は『ノー飲酒』を心がけていたために、飲酒をして醜態を晒す事はなかった。
前回と違って多少話しかけてくる人物は増えたものの、織田家臣の中ではまだまだ名前が知られていない静子だった。
とは言え本人は名を売るつもりがないので、無名の状態でも特に困る事はなかった。必要な権限や材料などは彩を通して手に入れられたし、生活で特に困った事は発生していない。
酒会に参加していながら一滴も酒を飲まず帰宅の途についた静子は、家が静かな事に若干寂しさを覚えた。

その寂しさを紛らわそうと、静子は麻紙に様々な器具を思い返してスケッチする。分類は多岐に渡り、調理器具や土工農具、測定道具などだ。

器具のスケッチをしている理由は少々複雑である。
初年、二年目と違い、静子は生活にある程度の余裕を持ち始めた。余裕が生まれると、今まで忙殺され不便と感じる余裕が無かった事が目につく。
特に目についたのが日用品だ。戦国時代は武器に鉱石類を消費していた為、生活道具が極めて貧弱だ。
脆い上にサイズが統一されていない。これでは今は良くとも天下統一後に困る事は確実だ。故に日用品類を再現する必要があると静子は考えた。
実は石窯を作ったのも、オーブンレンジの代用品を再現するため、という考えの元作ったのが理由の一つだ。

静子は覚えている限りの日用品をスケッチした。この時、寸法はMKS単位系を基準とした。
本来ならこの話と同時に織田領土へ一斉にMKS単位系を導入して貰おうとしたが、大規模な規格統一による職人の混乱が問題視された。
話し合いの結果、試験的に一つの村で導入を行うという形に落ち着いた。
訳あって新しい村の構想を練っていた静子はこれ幸いと、計画に便乗する形で生活道具系の鍛冶職人、機織り、既に瀬戸物は流通させているが、焼き物職人、竹や材木を加工出来る木工職人を募集する。
メインは鍛冶職人で機織り以降の職人たちは言い方は悪いがおまけだ。

鍛冶職人は大まかに分けると、火縄銃など武具を作る刀工鍛冶と農具などを作る生活鍛冶の二種類がいる。
刀工鍛冶職人は各地の国人が抱え込んでいるが、生活鍛冶職人に関しては刀工鍛冶職人より下のランクに見られていた。
なお、江戸時代になると刀工鍛冶職人と生活鍛冶職人は立場が逆転し、生活するために刀工鍛冶職人は生活鍛冶職人に教えを請う事になる。
しかし今は戦国時代、故に生活鍛冶職人は少ないのではないかと静子は懸念した。だがその心配は無用だった。

僅か二日にしてどの職種も規定人数に達したのだ。当然だ、今の織田領土は金とモノがあふれる場所なのだ。
他の国より商売や職を起こしやすい環境のため、必然的に職人や商人が流入しやすい。
勿論、その逆に職人や商人が他の国へ流出する事も起こってはいるが微々たる数に収まっている。
故に織田家が職人を募集している、とくれば職人たちが殺到するのも無理は無い。
余りにも数が多いため、選考試験を行って規定の人数まで減らす羽目になったが、お陰で腕の良い職人たちを多数抱える事が出来た。
名目上は織田家お抱えの技術集団だが、実際は静子のお抱え技術屋集団であった。






わざわざ静子が技術屋集団を抱えたのには理由がある。
静子から農業技術の継承を受けた百姓たちは、今まで経験した事がないほどの収穫物を得る事が出来た。
最初は喜んだものの、その常識外れの収穫量が大問題に変わった。それは収穫量に見合った貯蔵施設が整っていない事だった。
大量の作物を一度に手に入れた百姓たちは家族の消費及び万が一の備蓄を遥かに上回る量を持て余す。
商人に売れば買い叩かれるのは目に見えている。そもそも勝手に売るのは信長との契約上出来ない。
隠れて売った事を知られればどんな罰が下るか分からない。困りに困って静子に泣きついた訳だ。

しかし泣きつかれた静子でも困る状況だった。
比較的保存の効く穀物類ならまだしも、野菜等の足の早い作物については売買許可が下りるまでに最低数日は要するため、その間に作物が駄目になる可能性が高い。
とは言え今更全ての量を消費に回すというのも無理な話だ。悩んだ結果、彼らに本来は予定していない加工・保存・貯蔵の知恵を与える事にした。
何故予定していなかったというと、保存食というのは各家庭で受け継がれ、そこに独自性が発生するものだからだ。
それを統一する気は静子にはなかった。むしろ彼女は各家庭の味付けを推奨する方針だった。

ともかく急ピッチで簡素な貯蔵施設を作り、貯蔵用に加工した作物を保存しようとした。だが今度は貯蔵用の道具類が足りなくなった。
こればかりは静子の知識で何とかなる事ではなく、出入りの商人や信長を頼ってかき集める他なかった。
最終的に一割近く野菜を破棄する事になったが、何とか全ての工程をやり遂げる事が出来た。

村人たちはほっと胸を撫で下ろすが、それに反して静子の顔色は優れない。
彼女はこの事件で気付いたのだ。信長たちに頼めば何とかなる、と慢心しきっていた自分に。
この事を猛省し、次はないように器具を十分確保する必要があると彼女は考えた。
だが戦が多い戦国時代では、生活に関わる器具を作る職人が少なく、確保するのに困難を極めた。
そこで静子は考えた。人がまばらなら集めて村を作ってしまえ。ついでにMKS単位系を広めてしまえ、と。

メートル、キログラム、秒にはどれも原器が必要となる。
まずメートルの原器だがこれは静子の現代品から、ステンレス製の定規、竹製のものさしが存在していたため、それを原器とする事にした。
秒の原器には原子時計が一番なのだが、戦国時代では原子を観測する事すら不可能だ。
結局は日時計を日用品として使用し、それで時刻の感覚を覚えてもらう事とした。

厄介だったのがキログラムの原器だ。
しかし重さの原器は分量の誤魔化しという不正をなくす意味でも重要だ。
どうしようかと考えあぐねていたが、ふとした拍子に彼女は江戸時代にキログラムの原器があった事を思い出す。
それは天秤で量るものなので、基本となる重さが必要だった。一グラムの重さを持つモノがないか、彼女は思案する。

身近なものがその問題を解消してくれた。現代の貨幣だ。
静子の時代では一円玉が一グラム、五〇〇円玉が七グラムと法律で決められている。ミリグラム単位の誤差はあるが、そこは気にしない事にする。
ともかく材料が揃ったので一円玉でグラムの原器を、グラムを複数集めてキログラムの原器を製造する。
グラムはともかくキログラムの方は誤差があるが、そこも細かく考えない事にする。完璧に再現するのは不可能だし、何より今は完璧さより単位系を広める方が重要だから。

そうやって原器から器具を複製させ、技術村の人間にMKS単位系を浸透させていた頃、静子の村に胡散臭い男が一人やってきた。






その男は見るからに胡散臭い雰囲気を漂わせていた。

「へっへっへ、静子様。ご機嫌麗しゅう」

揉み手をしながらご機嫌を伺う男の名前は久治郎きゅうじろう
これでも信長から静子の村の出入りを許された商人の一人だ。
苗字不明、生まれは近江だが元服と同時に行商となり、各地を転々としていたと聞いている。

実年齢は二〇代前半だが見た目は三〇代後半に見える上に、頭頂部つむじどころか後頭部すら非常に危険なレベルの薄毛のお陰で、見た目の怪しさは出入りの商人の中でナンバーワンだ。
ただし近江商人だけあって商売の腕前も出入りの商人の中でナンバーワンだ。
特にモノの『売りどころ』に対する嗅覚が鋭いため、信長から同じものを仕入れている他の商人より早く、そして高く売り捌いている。
そういう抜け目のなさも信長に気に入られている一因なのかもしれない。

「本日はどの様なご用件でしょうか」

「ちょっと見て頂きたい商品がございまして……おい」

静子の言葉にニヤニヤと胡散臭い笑みで答えた後、久治郎は背後にいる男に短く声をかける。
男は短く返事を返した後、二つある内の左側の木箱を静子の前に置いた。そして男は久治郎の後ろまで下がる。
馬廻衆の慶次が警戒しつつ箱を開ける。

「なんだこりゃあ?」

中身を確認した慶次が素っ頓狂な声を上げる。無理もない、木箱に入っていたのは大小様々な石だけだ。
慶次の声に反応して才蔵や長可も箱の中を見る。石ころが入っている事に才蔵は首を傾げ、長可に至っては久治郎を指さして怒鳴っていた。
そんな三人の反応を見ても久治郎は顔色一つ変えず、相変わらず胡散臭い笑みを浮かべていた。

「はい、皆そこまで。私にも見せてくれるかな?」

そう言うやいなや三人を押しのけて木箱の中身を確認する。手にとってよく見ると、白いものが斑点のように混ざっていた。
完全に白色の石もあったが、軟質の石なのかかなり脆かった。石というより岩石に見えたそれを手に持ちつつ、静子は久治郎にこう言った。

「この岩石、どこで手に入れたのかな?」

「へっへっへ、本来なら商品の出処は秘密なんですが、他ならぬ静子様のご質問なのでお答え致しやす。それは上杉や遊佐領土方面から持ってきたもんです」

「……なるほどね。良いでしょう、そちらの希望の値で買い取ります」

岩石を木箱に戻しつつ静子はそう言った。石ころを買い取る事に驚いた三人だが、当の本人が決めた以上、余計な口出しはしなかった。

「流石は静子様。これが何なのかお分かり頂けたようで。ま、私も静子様に教えて頂いた立場なので偉そうに言えませんがね。へへっ」

「まぁ本物だとは思うけど、一応結果が出るまでは次は待ってね」

「大丈夫ですよ。外来の人間ですが詳しい奴がいたので確認しましたが……間違いないそうです。ま、そいつには『口止め』をしておきましたが。おっと、これは関係ない話でしたね」

「そう……彩ちゃん、お金を持ってきてくれるかな」

彼の言う『口止め』は『仏になって貰う事』だと静子は理解した。
この岩石が静子の目論見通りの岩石なら、扱いを知っている外来の連中に掘り返されると商売の邪魔になると彼は考えたのだろう。

「(おい静子、この石ころってそんなに価値があるものなのか?)」

気になった長可が静子に耳打ちする。他の二人も気になっているのか、二人の会話に耳をそばだてていた。

「(後で話すよ。ひとまずこの岩石が私の知っているものと同じなら使えるね。多分、彼はこれで私が何かを作る事を計算に入れてると思うよ)」

「(……下衆め。分かった、ひとまず後で聞こう)」

「ご相談は終わりまして? それでは今度はこちらを……きっと静子様もお気に召される・・・・・・・と思いますよ」

長可が静子から離れた瞬間、久治郎はニヤニヤと笑みを浮かべてから、男に短く声をかけた。
男は静子の前にある木箱を横にずらすと、もう一つの方の木箱を静子の前に置いた。
先ほどの木箱と違い、長方形の形をした木箱だった。慶次が静子を後ろに下げさせた後、先ほどと同様に警戒しつつ木箱を開ける。
今度も何か良く分からなかった慶次は眉をひそめる。彼の後ろから木箱を見た静子は僅かに顔が強張った。

「静子様、お金を持ってまいりました」

「……久治郎さん、こちらも買いましょう」

彩から強引に金が入った堅牢な木箱を奪うと、静子はそれを彼の前に置いてこう言った。

「好きなだけ持って行くと良いです」






意外にも久治郎は静子の『好きなだけ持っていけ』に対して、額をペシペシ叩いた後、彼が本来考えていた売値分だけ木箱から抜き取った。

「へっへっへ、普通の商人なら丸ごと持っていくでしょうが、この久治郎はそんな卑しい真似はいたしやせん」

どう見てもそんな殊勝な考えをしていない胡散臭い笑みで、久治郎はお金を取ると木箱の蓋を閉じた。

「すみません。この後も別の商談があるので、わてはこれにてお暇させて頂きます。それでは静子様。他に何か入用でしたら、どうぞこの久治郎にお声をお掛け下さい」

最後まで胡散臭い笑みを浮かべて久治郎は男と一緒に出て行った。
村の入口である門をくぐり抜け、静子の村が目で見えなくなった頃、久治郎の傍に控えていた男がおもむろに口を開いた。

「久治郎様、本当によろしかったのですか。あれだけの大金は中々……」

「あぁ? 阿呆言うなや。あれはわてを試したんだろうよ」

男の言葉に久治郎は馬鹿にした顔で答える。

「あの大金を全部持ち帰ってみろ。わてはあの女がやる新規事業から外されていたわ。そして無理に食い込めば、織田の殿様から睨まれる。強欲な面を出して、その結果うまい話から外されるのは御免だ。そんな阿呆な事をするのは堺の連中だけでええ」

「は、はぁ……」

「ええか、商売は何もその場の売り買いだけやない。時には自分の損得を考えず相手を肥やしておく必要もある。その時の投資が後に大金に化けて、わての懐に転がり込んでくるんや。ようは損して得を取れ、っちゅうわけや」

「そうなんですか」

「そうなんですかって……かー、お前は本当にわての息子かいな。ちったぁ商売のいろはを理解しろ。今日から近江商人の商売十訓、それから三方よしを復唱しとけ、ぼんくらが!」

久治郎の怒声に怯む息子を一瞥した後、のっしのっしと大股で歩き出した。
その場に残された息子だが、頭の理解が追いついた後は慌てて久治郎の後を追った。

一方、岩石と『とあるモノ』を買った静子は、岩石を片手に持ちつつ慶次たちにこう言った。

「これはね、陶石って言う鉱石なの」

「陶石……?」

「そう、陶器を作る時の原料。尾張・美濃じゃ手に入らないし、他の国もまだ発掘してないから貴重なのよね」

陶石は単一で磁器の原料となる白色軟質の岩石だ。しかし陶石は尾張・美濃国内で入手が出来ない。
近場では陶石鉱脈(石川県の服部・河合陶石や岐阜県の清見・伊西・渋草陶石など)がある。
だがどちらも他国の領土であり、おいそれと掘りに出かける事が出来ない。
そもそも陶石自体が江戸時代から発掘されている為、戦国時代ではまず見る事が叶わない。

更に非金属と言えども鉱物を掘るからには人が沢山いる。
と言っても坑道を掘らずに、地表から渦を巻くように掘っていく露天掘りという手法を使う為、普通の鉱山よりはかかる費用が安い。
露天掘りは鉱床が地表に近く、かつ大量に埋蔵されている事が多い陶石採掘に向いている。

しかしどうしても回避出来ない問題がある。他国で鉱石を掘るような派手な活動をすれば、その土地の支配者に必ず目をつけられる。
信長が上洛する前に、余計な真似をして彼の計画に影響を与えるのは問題だ。
どうしたものかと考えあぐねていた時、その話を聞いた久治郎が向こうまで出向いて鉱山を掘ったのだろう。

「よく国人に目をつけられなかったな……あの野郎」

「これは鉄や銅、銀、金とは違う系統だからね。つまりちゃんと加工しないと、勝蔵君が言ったように『その辺に落ちている石ころ』なんだよ。使えないものを商人が掘り返しても、多分気にしなかったんじゃないかな。後は賄賂でも渡していたのかも」

いずれにせよ、これが本物の陶石なら日ノ本で陶器が作れる。
本来の歴史では磁器は江戸時代初期に佐賀県有田町東部の泉山で白磁鉱が発見され、それを使って磁器を生産した有田焼ありたやきが始まりだ。その時出来た陶器は、白色単一の陶器だった。
八世紀に陶磁器の技術を完成させていた中国が作る陶器に慣れていた日本人に、白色だけの単色陶器は求められておらず、すぐさま絵文様と加飾模様のある陶器が生産された。
一瞬にして白色だけの単色陶器は駆逐され、職人の手によって様々な模様が描かれた和食器が生産された。

陶器の生産を行う理由は単に一度は焼き物の経験してみたい、という安直な理由だ。
信長は武力だけが頼りの山猿ではなく、文化人としての深い教養を持つ人間だ、とアピールする為に使える、という考えもあるが大部分は単に『作ってみたい』というのは何とも静子らしい理由だ。

「まぁ使えるように加工した後、職人たちに作らせてみるかな。私も一枚作ってみるけどね」

「ほほぅ、静っちは陶芸の趣味も持ってるのかい?」

「そんな高尚な趣味はないよ。単にちょうどいい機会だから、一回体験しようかなと? まぁまずは粘土に加工しないと駄目だけどね。彩ちゃん、木桶と瀬戸の土を手配してー」

「了解しました。瀬戸の土とは瀬戸の焼き職人が使っている土の事でしょうか?」

「うん、それでお願い。陶石の方は木桶が揃ってから作業するから、今はいいや。こっちの木箱は私の部屋に運んでおくね。疲れたし、中身を検分するのは今度でいいや」

そう言うと静子はもう一つの木箱の方を持ち上げる。
意外と重いようでずっしりとした重さを手に感じたが、何とか顔に出さず平常心で部屋を出る。

「あ、皆も適当な時に解散していいよ。もう人と会う予定もないし」

出て行く直前、静子はそう言いつつも彼らの顔色を伺う。
特に静子の行動を不審に思っている様子はなかった。そのことに静子は内心ほっと胸を撫で下ろす。

「それじゃね」

今度こそ部屋を後にし、静子は自分の部屋に戻る。
部屋に戻った彼女は木箱を部屋の真ん中近くに置くと、部屋の戸締まりをしっかりする。
人の気配が感じられない事を確認した静子は、改めて部屋の真ん中に置かれている木箱と向き合う。
そっと蓋を持ち上げると、内側を確認する。中身が変わる事はなく、彼女の予想通りのものが木箱の中に鎮座していた。

(……どうして久治郎さんがこれを……? いえ、そもそも何で私が持っていたモノ以外の現代品が、この時代に落ちているの……?)

木箱の中にあるもの、それは化学繊維で作られた黒いスポーツバッグだった。






スポーツバッグはかなり大型サイズのようで、80㎝ほどの長さだった。
しかもただのスポーツバッグではない。持ち主が長年愛用していたのが分かるほどバッグはボロボロで、そして泥だらけだった。
だがそれらの想いを打ち消すかのように、おびただしい量の血痕がバッグに染み付いていた。
バッグの持ち主の血による血痕なのか、それとも別の誰かのものかは判らない。静子は震える手でスポーツバッグのファスナーを開ける。
大量の小さなビニール袋と苗木らしきものが少し、そして日記帳のようなものが入っていた。

ビニール袋に入っているものや苗木が気になった静子だが、まずは日記を読む事にした。
人の日記を勝手に読むのは少々気が引けた彼女だが、後ろめたい気持ちよりも持ち主の情報が欲しい気持ちの方が強かった。
最終付近の情報から見ようと静子は後ろから読む。

『6月15日
ついに娘がこの家から出て行った。いや、出て行ったというのは正しくない。正確には結婚して新しい家族の元へ嫁いでいった、だな。
しかしまぁ結婚式では不意打ちされてしまったよ。そもそもあいつが幼稚園の頃、あいつのために縫った衣装を持ち出すなんて卑怯だよ。泣かないって決めてたのに大泣きしちまった。そんで収まった頃、あいつは言ったんだよ。母は幼い頃になくなったけど、父が母の分まで愛情を注いでくれたから私は寂しくなかった。私は父の娘であることを誇りに思います。だってさ……そんでまた大泣きだよ、俺。どうすんのさ、嫁の写真がしょっぱい水だらけになっちまったよ。あいつの花嫁衣装を嫁に見せられねぇじゃねぇか』

『8月1日
ちょくちょく娘や娘婿が家に来る。寂しくない反面、あいつらに気を使わせすぎたかな?
もやもやするから思い切って話してみた。やっぱり俺が一人で寂しくないか気にしていたようだ。
娘婿からは同居を勧められたが俺は断った。まず何よりも娘夫婦が、二人の家庭を築けなければ意味が無い。
ネットでは良く同居を画策し、面倒を見てもらおうと腐心する両親がいるそうだが、俺はそんな下衆な奴らと同じになりたくない。
だから娘と、娘婿に言った。同居の件はとても嬉しい。だけどな、娘よ。お前の家族はお前の隣にいる人だ、俺じゃない。娘婿さん、こんなおっさんを気にかけてくれてありがとう。だけど俺より娘を気にかけてくれ。
大丈夫、まだまだボケる年齢じゃない。それに最近、家庭菜園をしているお陰か、腹の肉が少し減った気がするんだよ。
そう言ったら二人とも笑いながらも泣いていた。それが笑い泣きだと父ちゃんは思っとくぜ、娘よ』

『8月7日
ちょっとした果実なら植えられるんじゃね? と思えるぐらい広い庭の有効活用を考えた。
昔、娘に広い庭の理由を聞かれたが、その時は駐車場が欲しいからと嘘を言った。うん、本当は嫁と一緒に家庭菜園したり、花を育てたりして一緒に歳を取ろうと考えていた。
最初の段階で駄目になったけどな。
そうだな……嫁が好きだった花、娘と娘婿が好きな食べ物を育てるか』

『8月8日
こっちから電話する事はないから緊張した。しかし何で旦那が出たんだ? と思ったが好都合だと思う事にした。
男が男の好物聞くって、はために見るとやばくないかな。まぁ家庭菜園で何を育てるか迷ったから、身内の好物でも育てようと思ってな、と言えばいいか』

『8月10日
娘の旦那は若者の割に野菜が好きなのか、ちょっと意外だ。会社の新人は大体肉って答えるのに……。
まぁいいか、確か部長が知り合いに農業のプロが居るってこぼしてたし、明日にでも紹介してと頼んでみよう。
ええっと娘が好きなのがほうれん草と白菜、みかんとスイカ、それから米だな。で、旦那が小松菜、白花豆、スナップエンドウ、じゃがいも、レモン、梅干しか……。
俺が言うのも何だが二人とも本当に若者か? なんか田舎の爺ちゃんと婆ちゃんみたいな好みだな。
果物と野菜が混じってるし、早めに連絡した方がいいかな。とりあえず部長に電話しよう』

『8月13日
部長の敏腕と行動の早さには毎度呆れる。電話した次の日には有給申請が終わってるってどうよ……。
いやまぁいいんだけどさ。しっかし田舎は凄いな、電話して数日でモノが集まるなんて。恐るべし、田舎ネットワーク。
確かF1種ではなく固定種だって言ってたけど……そもそもF1種ってなんだ? 種に何か違いでもあんのか? F1ってまさかF1レーサーとかか? なんだか良く分からん。後でググって調べよう』

『8月14日
自分の所も田舎だと思っていたが、指定された場所はもっと田舎だった。バスが一時間に一本かと思ったら、一日に一本だった時は驚きを隠せなかったよ。
苗木って奴を譲り受けるから、出張で使っているスポーツバッグを持ってきたが……大丈夫かな。
やっぱりと言うか紹介された農業のプロは頑固爺って雰囲気だった。しかし俺には秘密兵器があった。
俺は挨拶の後、そっとあるものを爺さんに差し出す。部長から「あの爺さんは民菜堂の栗羊羹が好物だよ」と聞いていたのだ。
案の定、爺さんの態度がコロッと変わった。効果抜群だぜ!』

『8月15日
バスの都合で爺さんの家で一泊した。久々に旨い酒が飲めたと爺さんは喜んでいた。
受け取った種と苗木を確認する。種はほうれん草、白菜、小松菜、白花豆、スナップエンドウ、じゃがいも、オクラ、スイカ。苗木はミカンとレモンと梅。予定外の品種が梅干し用の天神あかしそって奴と緑肥のためのえん麦の種だな。後、ビールに合うからと押し付けられた落花生。
米はともほなみって奴らしいけどマイナーすぎて分からん。そもそも米なんてコシヒカリとかあきたこまちぐらいしか知らんがな。
もう一つはなんて名前だっけ……確か難しい漢字を使ってたような……まぁいいや。
おっと、花も確認だ。防虫菊、ヒマワリ、コスモス、アロエベラ、キダチアロエ、金鯱、フレンチマリーゴールド、ストレリチア、マーガレット、月桂樹ローリエ……よし、全部あるな。
しかし我が妻ながら何でこのラインナップなんだ……? 赤子の時からの付き合いだったが、未だに理解出来ねぇ。
こうやって書いてみると数が多いな。まぁこれだけ数が多ければ、しんみりする事もないだろう。

苗木はタオルや紙で包んで傷まないようにし、残ったスペースに種を入れた。
苗は大きいが種は数百個あろうと、一粒が小さいからコンパクトだなぁ。苗より場所を取らねぇ。
案外入るもので、もう少しだけ余裕があった。だが、それを言ったのが間違いだった。
爺さんが突然家に戻ったかと思うと、すぐに紙袋を片手に戻ってきた。何ですかそれ、って聞くとスナックパインの苗だと答えが帰ってきた。
どうやら爺さんは知り合いから苗を譲り受けたらしいが、育てる気があんまりなかったようだ。で、俺に押し付けようという魂胆だったようだ。まぁいいか、無理だったら無理でいいし。爺さんにお礼を言い、彼の家を後にする。バスに揺られて眠くなってきたから、今日の日記はここでおしまい。おやすみ』

そこから何かがあったのか、次に書かれている文字は今までとまるで違い、かなり乱雑に書かれていた。

『??月??日
ここはどこだ! おかしい……俺はバスの中で寝ていただけなのに……どうして森林だらけの場所にいるんだよ! も、もしかしてバスの運転手が俺をどこかに捨てた……? いや、それはないはずだ。そんな事しても運転手に何の得もないし、何より荷物が無事なのだ。しかしどこだここ……? とりあえず日本……だよな? そして今、気付いた事だが俺は刀の鞘を握っているようだ。でも俺は刀の鞘なんてものを荷物に入れた覚えがないぞ……?』

(鞘……? 確かお館様は老婆から”剣”が”刻の落胤”を運ぶと聞いたと仰っていたけど……何か関係があるのかな?)

読み進めれば何か分かるかも、と思い静子は再度日記に視線を落とす。

『??月??日
コスプレ強盗? それとも通り魔? 何か知らないけど日本刀持ったチョンマゲ男たちに追い回された。時代劇のコスプレか何かなら他所でやってくれ。そう思ってスルーしようとしたらいきなり斬りかかってきた。
冗談でもなんでもない事に気付いて俺は必死に逃げたが、相手の方が有利だったようであっさり追い詰められた。
殺される! と思ったが男の一人が俺を指さしながら仲間と何か話し出した。聞こえてくる単語が非常に怖かったのだが、俺は思い切って聞いてみた。
お前らまさかとは思うけどホモ? と。俺の言葉が分からなかったのか、男たちは首を傾げていた。
が、下着? 褌? を脱いだ所を見るに俺の嫌な予感は当たった。
や、やめろ俺はそんな趣味はねぇ! と貞操の危機?に陥った時、男の一人が唐竹割に真っ二つにされた。
強盗の後ろに男が立っていた。あの時はマジで神が現れた、と思ったよ。ソイツは一瞬で野盗を斬り殺した。俺は情けない事に、目の前の凄惨な光景に泡吹いて気絶した』

『??月??日
強盗?を斬った男は何故か俺を介抱してくれた。ともかく助かった、と礼を言った。
その後で男がどうして俺を助けたか理由を尋ねた。俺はしがないおっさんだし、秀でている才能もない。
言っちゃなんだが学もロクにない。金も持ってねぇし、人様に自慢出来るものは何もない。
だから男の話は最初、信じられなかった。でも幾つもの情況証拠が彼の言葉を否定出来なかった。
頭の悪い俺でもそれは分かる。本当に信じられねぇ……平凡に生きてきた俺が、まさかSF映画の主人公みたいになるなんてな』

『??月??日
こっちに来て三日目、俺は助けてくれた男と一緒に行動している。
しかし現代でも戦国時代でもお金は大事だな。金がないと何も出来ん。
後、この荷物はかなり邪魔だと分かった。爺さんには悪いが、この種と苗木はバッグごと商人に売る。
しっかしこのバッグ、ボロボロだから買ってくれるか不安だったが……やっぱ見事に予想は的中した。
胡散臭い商人が買い取るというまで、心が折れそうなぐらい断られた。
しかし胡散臭い商人は俺のものに興味を示し、かなりの値段で買い取ってくれた。バッグを一度も開けなかったのに、どうして買ったんだろうか疑問だった。が、聞くのも野暮と思い、黙って売る事にした。
バッグの中にある妻と娘の写真、財布と携帯、それから万が一のドロップ缶だけ持っていく。
この日記も一緒に置いていく。下手に持っていて目立ちたくないからな』

そこで日記は途切れていいた。恐らくそこまで書いてバッグの中に入れたのだろう。
そう思っていた静子だが、ページをペラペラとめくると何かが書いてあるページを見つける。

『この日記を読んだ人にお願いだ。この中に入っている種や苗木を育ててくれないか。
勝手なお願いをしているのは分かっている。無理なら捨ててもいい。
だが、コイツを育てる事が出来ると思うなら……頼む』

「ふぅー……」

大きく息を吐き出すと、静子はノートをバッグの中に仕舞う。
木箱の蓋を閉じると彼女は横に寝転ぶ。色々な情報が一気に頭の中に入ってきて疲れたのだ。

(日記に書いている事が本当なら、私の他にタイムスリップした人が二人もいる。老婆の言葉を借りれば、全員が『刻の落胤』なのかな)

少なくともバッグの持ち主は刻の落胤だ。ノートや鉛筆類を使用しているのだから確実と言っていい。
しかしこの男性に現実を伝えた男、こちらがかなりあやふやだった。
男性に戦国時代の事、タイムスリップの事を伝えている限り、こちらの男も刻の落胤と考えて良いかもしれない。
しかし何かが引っかかる。男に関しては単なるタイムスリップ者とは一線を画する気がしてならない。
明確な証拠がある訳ではないが、奇妙な感じがするのだ。

(……そうか。人を躊躇いなく斬る事が出来る感覚と、戦国時代の知識を持ち合わせているのがおかしいんだ)

現代で人を斬れば警察に逮捕され、法律に則って罰を言い渡される。
殺人鬼かとも思ったが、それならばノートの持ち主を助ける理由がない。

(この男は要注意人物ね。高い戦闘能力を持つ上に、戦国時代の知識があるとくれば……厄介な人物になるわね)

厄介な人物が敵か味方か分からない状態はひどく危険だ。
仲間になってくれるのならよし。だが敵対するというのなら真っ先に仏になってもらう必要がある。
歴史を知っているから怖いのではない。歴史を知っているから、目の前の危険に対して回避行動を取る可能性が高い。
そうなった時、既存の歴史内容を変えたり、もしくはなかった事になる。それが織田陣営に甚大な影響を与える可能性も否定しきれない。

(とにかく男の情報は最優先事項だね。情報を集めないと……)

自分と同じ刻の落胤、その人物が敵か味方か分からない不安が、静子の心にずっしりとのしかかった。
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