真夜中の滴る訪問者Return
始業式まであと3日というある日、アシェリィはまだリジャントブイル魔法学院に通い始めても居ないのに、学生生活を満喫していた。
数日前から住み始めた学生寮が快適すぎるのである。実家と比べると申し訳ないなとは思ってしまうが、とにかく便利である。
まずテーブル、イス、クローゼット、ベッドなど一通りの家具が揃っていた。
個室のトイレ、バスルームがあり、キッチンも完備されている。一人で暮らすには贅沢すぎるほどだ。
中には他の場所ではおいそれとお目にかかれないマジックアイテムの家具も混じっている。
自由に明るさが調整出来て、火を使わずに使える電灯のマナライトはアルマ村には全く無かった。
火のオーブを使った食べ物を温めるマナオーブン・トレイもついている。平たい皿状の形をしていて、上にものを乗せるとそれを加熱するという装置である。
マナライトはともかく、これに関して言えばまず富豪でも無い限り、おいそれと買える代物ではない。
テンプリチャー・ミックス・オーブというマジックアイテムも優れもので、炎と氷のオーブを合成して出来るアイテムだ。
これは普段は宙に浮いている。触れて念じることによってその場の室温を自在に調整できるというものだ。
おかげで外は真夏でも室温は快適に保たれている。学院生は少なくとも室内では集中力を散らす猛暑を回避できるのである。
これらの属性の力を借りるマナオーブやスフィア、クリスタルを使用したマジックアイテムは素材の希少性から非常に高価である。
特にクリスタルとなると小国の国家予算並みの価格で取引されることもあるという。
一般人が手にするのはせいぜいオーブやスフィアが粉々になった粉や、かけらがいいところである。
それさえ高価であり、相当奮発しないと買うことは出来ない。だが、それに見合った利用価値はあると言え、ただの貴金属より実用性は高いのだ。
ファイセルから聞かされてはいたのだが、これだけ設備が整っているのに学費を払えば寮は無料で利用できるのだ。
まさに破格の対応と言っても良い。だがそれには理由がある。寮の構造が関係してきている。
この寮は極めて高度な複製技術で作られているのだ。そのため、一つ一つ高価な家具を要しているわけではないらしい。
それに実際に学生寮の棟数に比べて入居学生の数は明らかに多いが、寮の建物は小島におさまっている。
男子寮、女子寮と分かれているがテレポート技術で複製された部屋とつながれているので、ドアの数さえ確保できればいいというわけだ。
ドアは無数にあって、迷いそうになるが手のひらを寮の前でかざせば自分の部屋のドアまでのルートが水色の矢印で表示される。
ちなみに知人の部屋を指定してガイドを変えることも可能だ。
その性質上、かなり高層階まで続いていてさながら塔のようだが、昇降テレポーターがあるのでわざわざ階段を使う必要はない。
運がいいことにリーリンカの部屋が近くなので、部屋に慣れるまでは彼女が手伝ってくれた。
ここ一週間で更に親しくなった感はある。口調はぶっきらぼうだが、根はとても優しいのが伝わってくる。
アシェリィは分厚いガイダンスの冊子に目を通しているといつのまにかもう部屋の時計が夜11時を回っている事に気づいた。
「……もうこんな時間かぁ。また明日読もうっと。結構覚えなきゃなんないこと多いんだなぁ……」
眠気まなこを人差し指でこすりながら、彼女は広くて豪華なふかふかベッドに横になった。
どれくらいたっただろうか、完全に彼女は真夜中の夢の中に居た時である。キッチンの蛇口から大きなノイズ音がなり始めた。
「ゴボゴボボボボッ!!!!! ゴボボボボボボボ!!!! ボブッフボブボブッフ!!!!!」
部屋中に響くような爆音である。思わずアシェリィは飛び起きた。
この寮に騒音での近所迷惑という心配はないらしいが、それにしたってうるさすぎる。
水道が壊れたのかと思い、彼女は小走りでキッチンに向かった。すると蛇口がガタガタ振動している。
「バボッ!!! ボブッフ!!! ボコボコボコボコボコッッッ!!!!!!」
音は更に大きくなっていった。何かが近づいてくるようである。
アシェリィはあまりの異様な光景に全身にじっとり嫌な汗をかいた。逃げ出すべきだと頭に浮かんだが、恐怖で体が縮こまってしまった。
そして、“それ”は姿をあらわした。
「う~っす。ガキンちょアーシェリーの部屋はここですかね?」
蛇口から滴ってきた水滴はただの水ではなく、人の形をしていた。アシェリィはひと目でそれが幻魔だとわかった。
「お~い。何ボサッとつっ立ってんの。サモナーズブックだよ。ブック。早くしなって」
上半身だけ蛇口から姿を表して親指ほどのサイズをした女性の幻魔はそう急かした。しかし、突然の出来事にアシェリィは思わず尋ねた。
「え……あの……ど、どなたですか?」
それを聞いた水の精霊は怪訝そうな顔をした。だがすぐにそれに答えた。
「あ~、あんたはあたしには会ったことないんじゃん。”リーネ”っていえばわかっかな?」
立ち尽くす少女はその名前を聞いて平手に握りこぶしをポンと当てた。
「あ~っ、ああ~~~!!! リーネって言えばファイセルさんと一緒にライネンテ中部の水質調査を―――」
リーネは彼女の発言を遮った。
「”リーネ”じゃねぇだろ! “さん”くらいつけろよ!!」
手厳しい指摘にアシェリィはやや萎縮したが、気に触らない言葉を選びつつ会話を続けた。
「えっとリーネ”さん”。確か……ファイセルさんと、水質調査した……」
再び幻魔は腕を組んで不機嫌そうに彼女の言葉を遮った。
「チッ!! ファイセルの名前を出すんじゃねーよ!! 東部には連れてってくんねーし、挙げ句の果てには勝手に結婚してやがるし。ちょっとだけ、ちょっとだけ気になってたのにさ……。あ”!!ファイセルにはあたしの事黙っとけよ!? 絶対にだからな!!」
気まずい沈黙が二人の間に流れたが、少しして不良少女みたいな水滴が強い語気で指示を出した。
「とっととサモナーズブックもってきてくんないかな!? この姿のままでいるのしんどいんだよね!!」
今度はアシェリィも話を飲み込め、すぐにサモナーズ・ブックをカバンから取り出すと蛇口に駆け寄った。
「そうそう。それでいいんだよ。さ、空白のページを開いて」
パラパラと適当に本の空白のページを開くと蛇口から液体状のリーネがポトリと空白のページに垂れた。
「ふ~。やっぱこれだわ。どっかのどいつはビン詰めにしてたけど、やっぱここに限るね。存在の安定感が段違いだよ。あ、ぐらぐらするから本どっかに置いて」
また指図を受けて、アシェリィはやや困惑しつつ、テーブルの上に白紙のページを開いた本を置いた。
「んじゃ。あらためて。あたしはリーネ。アンタの言ったとおりの本人だよ。アンタは初対面と思うかもしれないけど、あたしはいつも湖畔で修行するアンタをみてたよ。ま、ちゃんと受かったし努力は認めるよ」
召喚術士はようやくちゃんと話が聞けて安心した。彼女はいつもヒステリックなわけではないようだ。
目をこらしてその姿を足元から確認するとダボダボの白い靴下に、紺色のプリーツスカートを履いている。
上半身はYシャツの上にベージュの袖なしセーターを着ていた。
胸元には可愛らしい真っ赤なリボンがついている。髪の毛は長く、金髪に染まっていた。
まるで別世界のファッションのようでとても奇抜に見えた。
見た目だけでとても高度な幻魔であることがわかった。こんなのを創れるのは自分の知るところでは師匠以外には居ない。
そんな好機の視線を無視して、彼女はさらに続けた。
「あたしを見かけなかったのは、その時はポカプエル湖の管理人やってたからさ。雲を飛ばす場合は空気と一体化しなきゃならないかんね。ママの手伝いをしてたんだよ。まぁ、ママは特別なんだけど」
それを聞いてアシェリィは大きく頷いた。今まで見かけたことがなかったのも無理はない。
聞きたいことは山ほどあるが、今は話が聞きたくて彼女は聞きに回った。
「んでだ。オヤジがアンタに力を貸してやれって言うんで仕方なくこんな遠くまでやって来たってワケ。川の流れに乗って下ってくるのなんていつぶりだったかね……。あ、力を貸すって言ってもアタシはあんたとはぜっっっったいに契約しないから!! 犬っコロはアンタと契約したみたいだけど、正直正気の沙汰じゃないね。未熟すぎるんだよ」
またもやシビアな物言いをされてしまった。彼女にはトゲがあるのだという認識はここから固まった。
「ま、かといって全く手伝わねーのもオヤジへの反抗になっちゃうから、仮契約はしてやるよ。勉強しただろ? 仮契約」
アシェリィは顎に指を当てて思い出し始めた。確か、仮契約とは正式な契約に比べ、幻魔の力や能力が強めに制限されるというものだったはずだ。一方で、契約自体のハードルは低くなるので少しずつ縁遠い属性と関係を深めていくのに役立つという。
今までアシェリィは仮契約をする機会がなかった。地道に旅をしてきた成果と言えるだろう。
「仮契約……。お願いします。リーネさん」
「ん。じゃあたしは特等席のラストページを希望するね。仮契約完了っと」
本を一旦閉じて最後のページを開き直すといたずら書きのような簡単なサインが刻印されていた。仮契約は終わったらしい。
「OK。んじゃ説明するぞ。あたしは基本的にサモナーズ・ブックの外には出ない。まぁ、話し相手くらいにゃなってやんよ。戦闘・補助は一切しないから期待しないように。じゃあなんでオヤジはわざわざあたしをよこしたかって話になるケド……。とりあえずあたしのページに手を置いて集中しな」
言われたとおりに手をラストページに手を置いてみた。すると今度は頭の中にかたりかけるようにリーネの声が聞こえる。
(ふ~ん。あんた、相当水属性の幻魔と契約してるね。ただ、ランフィーネ以外はほとんど無名下級のショボい奴らだ。幻魔に派閥があるのは知ってるな? 血盟とかクランって呼ばれてる。ここらのふわふわしてる連中をポカプエル血盟の一員……クランズマンに誘う。そうするとだな……)
次の瞬間、アシェリィは頭が真っ白になって意識を失った。
走馬灯のように数々の幻魔の能力が頭に焼き付くようにインプットされていく。
どれくらい経ったかわからないが、気づくとサモナーズ・ブックに新たな幻魔が何体か追加されていた。
(ポカプエル・クランは水属性の中ではそこそこ有力なんだ。だから水属性の無名下級でも引き入れれば位が上がって幻魔として召喚できるようになるのさ。あと、ポカプエルの名を出せば炎属性や土属性の奴らを脅迫したり、苦手な雷属性の電撃を食らっても即蒸発って事はなくなる。覚えときな)
半強制的に能力を覚醒させられた少女はぐったり疲れていた。それを察してか、リーネは引っ込んでいた。
重い体を引きずるようにして、ベッドに転がり込むと彼女はすぐに眠りについた。