乱、カナブンは虚空に消えた。4 ①
第9毛「乱、カナブンは虚空に消えた。4」
ルチルの部屋。それは中世ヨーロッパのお姫様が住んでいるような部屋そのもの。
聞けば、この豪邸はゾンネンゲルブ家の本宅ではなく別荘で、ひとりで住んでいるそうだ。
お嬢様は何も出来ないというイメージがあるが、炊事家事もきちんとひとりで出来る女性だった。
部屋が多すぎて使ってない部屋が多く、閉めっぱなしにしているが掃除はメイドに手伝ってもらっていると言っていた。
ウサヒコはここに住ませてくれと言わなかった。それはシディアとルビィが自立できないと思ったからだ。ルチルもウサヒコと同じ気持ちだった。しばらく居てもいいが、次の家を見つけるまでと言っている。本当にきちんとした女性だった。特に金銭面。外食した時の領収書はきちんと取っていた。シディアとルビィと同じ年に思えない。きちんと親にしつけられて育ったのだろうとウサヒコはつくづく感心していた。
ウサヒコは窓から天気を見ている。ルチルが頬をほんのり赤く染めてちょこんと隣へ。
「……あの。ウサピィ、さん」
「ん?」
「えっと、これからウサピィおにいちゃ……」「わかったあ!」
シディアがルチルの声をかき消して、ルチルに後ろから抱きつく。
「ルチルちゃん! ウサピィさんに髪を切ってもらったらいいんだよ!」
「えぇ?」
「ルチルちゃん、ウサピィさんはすごいんだよ? 本当に魔力が上がるんだからっ!」
「で、でも……人に切ってもらうわけには……」
ウサヒコは目をキラキラさせて、ルチルの頭に、髪にやさしく触れた。
「ひゃっ?!」
「そうそう、毛量が気になってたんだよなあ……」
小指で後頭部の毛を開き、根元を見る。ウサヒコは曇り空の影響で部屋の照度が足りないと、根元をよく見るため顔を近づけた。ルチルの耳に息が優しく触れた。
「~~~~~~」
「――どんな髪型がいい?」
耳元でささやくウサヒコのキリっとした落ち着いた声で、ルチルの心臓は高鳴りはじめる。
「わ、わたくしはまだ、切ってといいと言ってな……」
「心配はご無用だよ、ルチルちゃん。ウサピィさんはホントにすごいんだから!」
「――そうだ、心配するな」
ウサヒコはこの世界の人の毛髪が気になって、真剣に根元を見ている。ひとつの事に集中したときに話しかけられ、適当に流されたようなそっけない職人の声と耳元に触れる息にルチルの心はノックアウト。
「す、好きにしてください……」
「シディア、俺のシザーケースを」
ウサヒコはシディアの方を向かないで、指でアンティーク調の机を指差した。
「しざーけーすってなんですか?」
「ハサミだ、ハサミ。机の上」
「あっ、なるほど。わかりました!」
「毛量を整えるだけだが、一応スプレイヤーに水を。あと清潔なタオル三枚とカットクロスを用意しろ。ドライヤーもな」
「えっ? えっ? スププにお水?」
ウサヒコは壁にかけられた鏡の前に背もたれのある椅子を設置した。
「お客様、こちらへ」
お客様と言ったウサヒコは張り切り、お客様と言われたルチルは戸惑う。
何をすればいいかわからず、おろおろしているルチルを見て、ウサヒコは笑い、優しく手を差し出した。それは紳士が淑女にダンスを誘うように。
「手を」
ルチルは彼の手にゆっくりと誘われる。手と手が触れた瞬間、はにかみうつむいた。
「優しく、してくださいね……?」
「もちろん」
「やっほー! ボクのおかえりだぞお!」
ルビィが部屋にドカンと入ってきた。あたふたしているシディアを見て、一言。
「……なに踊ってんの?」
ルビィは紳士的に手を繋いで、椅子に誘導するウサヒコに気がついた。
「……!」
ルビィはシディアの手をがしっと握って、ご機嫌で踊り出した。
*
ウサヒコは壁に鋲でとめている鏡をずらし、椅子に座ったルチルの顔にきちんと合わせていた。
シディアは清潔なタオルを三枚、真っ白な布団シーツを持ってきてウサヒコの隣に立つ。
わけのわからない指示がいつ飛んでくるかわからない。シディアは緊張していた。
ウサヒコは鏡越しでルチルと目を合わせながら、隣のシディアの腕からタオルを一枚取る。
「整髪料はつけていないよな?」
「は、はい……」
「――首、失礼します」
片手でタオルを開き、器用にルチルの首に巻く。
そして布団シーツを広げ、タオルの上から巻いた。解けないようにシザーケースに引っ掛けていた髪留めクリップで合わせ目を止めた。
ルビィが鏡越しにひょこっと現れた。
「ねえねえ、どんな髪型にするの?」
ルチルは心配そうに。
「あ、あの……今のままで、長さは変えないで欲しいです……」
「なんだよルチル。長さを変えないでってそんなの切ったら長さは変わるじゃん。そんなの無理だよ」
「わかってる、大丈夫だ。長さは変えない。その野暮ったい量を減らすだけだ」
「!?」
ルビィの脳天に稲妻のようなものが走った。
「えっ。どういうこと?! ハサミで切ってるのに長さは変わらないの……?」
ウサヒコはルチルの髪を櫛を使い、毛束を引き出した。
自分で切っているので、ルビィのようにカットラインはバラバラ。だが、ルチルは長さを変えないでと言った。ルビィのように一番短く切ってしまったところにあわせて段を作り整えることが出来ない。
ウサヒコはすきバサミをシザーケースから取り出した。
「あっ。雲さんハサミだ」
シディアはルビィの髪の毛を切っている時に見ていた。切った所の長さが変わらないのに
毛は切られ、地面に雲のようにふわふわと落ちてゆく様を。
「まあ、見てろ」
「ん……」
ルチルは鏡からはさみで自分の大事な髪を切ろうとする姿を見て、思わず目を瞑った。
ウサヒコは、ルチルの髪の毛束にハサミを縦に入れた。
「あー……そこから切っちゃあダメだよ、ウサピィ……ルチルの髪が短く……」
「……なってない! なんで!?」
ウサヒコは手首のスナップを使って、刃の溝に引っ掛かった毛を飛ばす。
それは雲のようにふわふわとまとまって床に落ちた。ルチルは切られた所の髪をすぐに手で確認する。
「うおっ」
「えっ……? 短くなっていない……?」
シディアはわざとらしく咳払いをして。
「ふふん。ルビィちゃんにルチルちゃん! 私は知ってるよ!」
「なんでなんで!」
「これは雲さんハサミだからだよっ!」
「セニングシザーな」
「なにそれ! ウサピィ見せて見せて!」
ルビィはウサヒコに飛びつく。
「ええい、暑苦しい。ほら」
ウサヒコはすきバサミをルビィに手渡し、刃渡り6インチのRシザーを取り出した。
Rシザーは青竜刀の刃のようにカーブしているシザーだ。すきバサミと違い、溝はない。
「ははあ……なるほど。ここの溝に入った毛だけが切れるんだ……だから髪の長さは変わらず量だけ……でも厳密に言えば、短くなってる……って、うわあああ!」
ルビィは溝のないハサミでルチルの髪を切ろうとするウサヒコにびっくりする。
「そんなハサミで切ったら絶対短くなるじゃん!」
「えっえっ……」
ルチルは逃げようと立ち上がろうとする。しかし、ウサヒコが優しく肩をおさえ。
「大丈夫だ。心配するな、長さは変えない」
「は、はい……」
座らせる。
「おまえらうるさい。ルチルが泣きそうな顔になってるだろう」
「えー、だってさ。短くなってルチルの魔力がなくなったら、ウサピィのせいだよ? ルチルは魔法使いなんだから」
「…………」
ウサヒコは悲しくなった。本当にこの世界では自分の美容師の技術が使えないと思ったからだ。
美容師は客に信頼してもらい、切らせてもらうもの。ここは自分で髪を切って、自分の髪型を持っている世界。
ひとりひとりに似合う髪型を提供しようとしても、今のように心配されていては商売なんてなりたたない。
シディアが口を開いた。
「ルビィちゃん、ルチルちゃん。大丈夫だよ! だってウサピィさんはすごいんだよ!」
シディアは笑う。青空のような透き通った顔で。シディアのことだ、根拠なんてものはない。
ただ『すごい』から。自分と同じ濁髪なのに、国に認められて『すごい』から。
そんなウサヒコのことを、心から尊敬しているから。そしてウサヒコのように立派になりたいから。
だから彼女の瞳はとても綺麗で、その笑顔はルチルとルビィの心に安らぎを与える。
「……切るぞ」
ウサヒコは、シディアにありがとうと心で言った。恥ずかしくて口に出して言えない。
だから目の前のひとりのお客さんのために、今の自分のカット技術の全てを注ぎ込もうと心に決めた。
ウサヒコの髪からキラリと流れるように光の粒がひとつ落ちた。それはすぐに消え、誰も気がつかなかった。
ウサヒコは毛束をつまむように持ち上げた。そして刃を開いたままにして手首だけを使って振り子のように動かし、毛の裏側をえぐるように削っていく。
それは髪の量感が減らし、動き、束感を出すために。すきバサミに頼らず、自分が血と汗で手に入れた技術をぞんぶんに使って。
ふたたび毛束をつまむように持ち上げる。すきバサミで規則的に量が減っている所を見つけ、
毛先を自然になじませるためにストロークカット多用する。
振り子のように裏側をえぐるよう削り、量感から立体感を出して頭の骨格矯正。美しい骨格に見える、美の黄金比を作り出すストロークカット。
研いである刃の鋭角をそのまま当てて沢山削られないように2度ずらし、束に向けて刃を一瞬だけ当てる、ショートストロークは根本に向けて。
開いた中間から刃先のみを使うミドルストロークは、全体毛量のバランス調整に。
刃先のみを使うロングストロークは減らしすぎると、まとまらなくなる繊細な毛先に。
精いっぱいの心を込めて。
シディアとルビィはウサヒコの手の動きに見とれ、声が出ない。
ルチルは彼の真剣な瞳に心を奪われ、鏡越しにぼんやりと見つめた。
ドライヤーで肩にかかった毛、切り終えた髪に混じった毛を飛ばす。
彼女に似合う髪型。カットだけでは物足りない。
だが、セットをするにも道具が足りない。
あるのは、ドライヤーとブラシ、シザーにコーム、クリップのみ。あれが欲しい。あれが。
ウサヒコはシディアの服装を見て、思いついた。
……魔法使い。
「シディア、アイアンロッドを出してくれ。ルビィ、炎属性付与だ。アイアンロッドの温度を200度に設定しろ」
「は、はい! わかりましたっ!」
「えっ? な、なんで?」
「早くしろ」
シディアとルビィは真剣なウサヒコの顔に圧され、言われるままにする。
「ウ、ウサピィ……200度ってどれくらい?」
「ちょうどいい温度の風呂の4倍くらいだ」
ルチルは何が起こるかわからず、不安そうな顔。
ウサヒコは彼女の肩に手を置き、鏡越しに目を合わせる。
「大丈夫だ。俺はお客様に世界一似合う髪型を提供できる」
* *
――ルチルの施術が終わり、庭でカナブンを探すルビィとシディア。
「カナブン、見つからないね。ルビィちゃん……」
シディアに持つメモ帳にはカナブン討伐数の正の字。
シディアはゼロ。ルビィもゼロ。ルチルは536匹。
「ねえ、シディア。ウサピィって本当にすごいね……」
「なんたって、大いなる太陽の鋏手だもんね!」
「……そうだね。ボクたちも頑張らないと。……ウサピィ、本当にできるのかなあ」
「ウサピィさんなら大丈夫だよ!」
玄関口。遠目に見える赤髪のルビィは目立つ。標的を見つけた桃色の髪をなびかした魔法使いは、唇を歪ませた。魔力を掌に収束させ、簡単に人を貫ける一本の矢を具現化する。
ユーディはつぶやいた。それは無機質に冷たく。
「死ね」
一本の矢は立ち上がったルビィの心臓に向かって飛び出した。赤髪なびく少女の背中。魔法の矢の風を斬る音は、まだルビィの耳に届いていない。ルビィはカナブンを探している。シディアはルビィの背後の影に気がついた。だが気がつくのが遅かった。矢は勢いよく突き刺さる。その姿はひどく惨酷。一目でわかる、即死だ。シディアは何がなんだかわからなかった。シディアの目に映ったもの。矢に刺さったものは。
――カナブンだった。
「ルビィちゃん、後ろ。カナブンが……」
魔法の矢。カナブンと宙につりあい、停止した矢。生きるものをひとつ突き刺すことを目的としていた魔法の矢は、満足したように消えた。カナブンはバラバラになり地面に落ち、ルビィは消えゆく魔法の矢に冷や汗をかいた。もし、自分に当たっていれば即死していただろうと。
「こ、これは……ボクを狙って?」
はるか遠く、玄関口でユーディは舌打ちをした。ユーディからカナブンは確認できない。なぜ、矢がルビィの背中直前に止まったのかわからない。さすがは炎のエリート魔法使いの血筋、スカーレット家の娘。一筋縄でいかない。と、解釈し、彼女の闘志は極限まで燃え上がってしまった。
ルビィは遠くの桃色の魔法使いに気がつく。
「誰だろう、あのピンクの人……。なんでボクを……?」
「――わかったよ。ルビィちゃん」
シディアは目をうるませて、バラバラになったカナブンの羽に触れる。
「このカナブンは、ルビィちゃんを守ってくれたんだよ」
「えっ、そっち? ……な、なんで?」
「わからない、わからないよ。でもこんな小さい身体が偶然矢に当たるなんてありえないもん。ルビィちゃんを守ってくれたとしか、思えないよ」
実際、偶然なのか守ってくれたのかはわからない。だが、ルビィは森を愛している。何度も何度も動物や昆虫たちを、魔物から救ったことはある。これは森の恩返しなのかもしれない。だがそれは素材を採るためのもので、自分から守ろうとしたものではない。
ふたりはこれからカナブンを一匹残らず滅ぼそうと考えていた。これがもし、本当に森の恩返しだとしたら、愛してくれている者を殺す、外道そのもの。
「…………」
ルビィとシディアは沈黙し、バラバラになったカナブンを見つめる。
ふたりは後悔した。それは世界中のカナブンを絶滅させると心に決めたことを。
ふたりは泣いた。カナブンは何も悪いことはしていなかった。ただ、家に入ってきただけで、絶滅させるなんて自分たちのエゴだった。ただ、思い出の家を燃やされて、復讐心に追い立てられて、あろうことか滅ぼそうとしていた。とてもとても馬鹿げている。カナブンも今を必死に生きているのに、全てをカナブンのせいにして。私は目の前の出来事を関係ないもののせいにし、逃げ出していた。一体、何をしていたのだろうと、ふたりは後ろめたく、自身を醜く感じた。
――シディアは思った。あの時、私が炎を消せるほどの魔力があればよかったのだと。
――ルビィは思った。薬師として腕があれば、認められていれば、魔法護符付き調理道具を買える事が出来ていれば、こんなことにはならなかったのだと。
ルビィは涙をふいて、玄関口の相手を睨みつけた。
「シディア、今日でカナブン撲滅商社はたたむよ」
シディアは涙をふいた。勇敢な顔で。
「――うん」
ふたりはカナブンの屍を乗り越え、前を向く。未来に向かって力強く、前へ。前へ。
「売られたケンカだ。社長であるボクが必ずカナブンの敵を取る」
「私も戦う!」
「…………いや、シディアは手を出さないでいい。ボクにやらしてよ」
ルビィは気がついた。あの時と髪型も服装は違うが、シディアを罵った女だと。あの時はルチルが平手打ちをしてくれた。だから、あの時はあれでチャラ。しかしちょうどいい。あの顔を見ると無性に腹が立つ。親友を罵った相手にケンカを売られたのだ。そのケンカ、買ってやる。
「ルビィちゃん……?」
「下がって、シディア!」
次々と超高速で飛来する矢。ルビィはシディアの手をつかみ、噴水に思い切り放り投げた。
投げいれた瞬間、矢は次々とルビィの身体を切り裂く。そしてすぐに第二陣。ふたたび飛んでくる矢は何百にも増え、的確に急所を狙ってくる。身のバネを上手く使い、景色には回避の残影。何度も何度も何十も何百もギリギリで避け続けた。背後から砂埃が巻き起こる。一本、天から大矢が飛んできた。はっとした。気がつかなかった、避けきれない。それは身体を、心臓を無残にも貫いた。
――だが。
「燈火の露命ッ!」
矢の突き刺さったルビィは炎となり、息で消した燈火のように消える。ウサヒコの施術により魔力は向上した。今までの魔物しか騙せないような色の薄い不完全な分身ではない。それは完全なる分身、鏡に映った姿のような偽物、疑う余地のないもの。本体はすでにユーディに向けて駆け出していた。次々と飛来する矢を素早く避け続けるルビィ。
「ルチルごめん。手加減したくないや。庭、燃やす」
ルビィの足は止まらない。それはカナブンのため、罵られたシディアのため。ふたつを背負って敵を迎え撃つ。燃え上がった気持ちは魅力。それは魔力を強くする。
駆ける。駆けた。駆け抜けた。草むらにカナブンが見えた。踏みつけそうになるが素早く飛び越える。飛来する矢は頬をかする。滴る血は置いていく。炎を掌に纏わせた。敵を真っ直ぐ見つめる顔は微笑みにも似た勇気、勇敢。身体で力強く空気を斬り続ける。炎は揺れるが、消えるわけが無い。
――ユーディの姿がルビィの視界から消えた。ルビィを天から覆うドラゴンの影。彼女は頭上でロッドを振り上げていた。ほとばしる桜色の魔力。ルビィの頭に向かって勢いよく打ち下ろした。噴き上がる地の煙と、桜色のスパーク。地面は割れる。
「――っ!」
魔力と魔力がぶつかり合い、大気が破裂した音。互いの燃え上がる気持ちで綺麗な協和音を作りだした。巻き上がるは炎の柱、焔。ルビィは額でロッドを受けとめていた。一足で自身の得意魔法射程距離へと離れるユーディ。ルビィの額から血が滴る。視界を邪魔する砂埃を全て炎の魔力で吹き飛ばした。
ユーディは嘲笑う。
「――無職のくせに、さすがはスカーレット家。大層な魔力ね」
ルビィは炎の右手を力強く握り、ふたたびユーディに駆けた。
「ボクは無職じゃない。薬師だッ!」
距離を一瞬で詰め、殴りかかる。ユーディはロッドで拳を受け止め、流す。ふたたび一足で離れた。
「――ルビィ・スカーレット。危険な魔法を習得し魔法ギルドに報告せず、メルベルの橋を壊した、そして絶対的正義である、高貴な私に刃向った。その罪は重い」
「そんなの知るもんか! これはカナブンの敵なの! それにアンタの事、気に食わなかったんだッ!」
ルビィの叫び。瞳からの重圧、深紅の髪は激しく輝いた。両足に炎を纏わせ、みたび敵に駆ける。魂を奮い立たせる勇気の咆哮からの連続蹴り。三日月蹴りからの両足ジャンプ、渾身の飛び後ろ回し蹴り。回し蹴りの横回転、ユーディは余裕を持って上半身のバネを使い、顔一個分で後ろに避けた。纏う炎の揺らぎが髪に届き、チリリと音立てた。ユーディは唇を歪ませ、ルビィを好敵手と決めた。
「へえ、そう。気が合うわね。私も貴方のこと痛めつけたいの。できれば殺したい」
ユーディはロッドをヒュンヒュンと素早く回転させて柄の握りを確かめる。ロッドを横一文字にピシリと構え、近距離戦闘に切り替えた。
「へえ、そう。できるものならやってみれば?」
ルビィは両拳に力を込めた。炎は激しい音を立て、燃え続ける。トントンと足でリズムを刻み、身体に攻めの律動をつける。
「はっ。詠唱サークルを女王陛下から授かっていない貴方が私に魔法で勝てると思っているの?」
「はっ。そんなものなくても、魔法は簡単に使えるから」
高貴な職である魔法使い。ユーディはルビィが軽々しく魔法を簡単に使えると言ったことに激怒する。
「魔法使いを舐めるな。やってみろよ。無職」
ルビィは無職と言われ。ふたたび切れた。
「はっ。見せてやるよッ!」
「血族を作りし世の核心、偉大なる元素の力をッ!」
「短縮詠唱! 属性付与、魂ッ!」
ルビィの深紅の髪は、重力に逆らいふわりと浮かぶ。煌びやかな輝きは胸に集まり、閃光。ルビィの姿は完全に炎に包まれ見えなくなった。これから魔力を心に宿し、灼熱の炎はルビィと同化する。天をつらぬく炎の柱。魔力を磨く詠唱サークルを持たないルビィはルチルと違い、自身の血族属性を魂に浸透させることが出来ない。だが、魔力を磨く詠唱サークルがなければ、自分で作ればいい。地面に円を、炎は詠唱陣を描きはじめた。
「おらあああああッッッ!」
姿を隠した灼熱の炎は、光が集まりきった胸に共鳴し、魂を刻む。この世の全てを燃やし尽くせる業火になれと。
「――っ!」
――最上位魔法。血筋属性、魂付与。ルチルがメインストリートでシディアを助けた時の魔法。四大元素のひとつである炎を、見事ルビィは魂に付与させた。
ユーディの額から一筋の汗が流れた。それはルビィの炎の影響ではない。
「――ほら。魔法なんて簡単だ。命を救う薬を作る方が難しい」
「餓鬼がッ……!」
曇天。厚い雲の隙間から太陽の光が見えはじめ、ユーディに怯えて姿をくらましていたガーディアンはルビィの隣に舞い降りた。
「――なに? 手伝ってくれるの?」
ガーディアンの瞳は優しく、ルビィにうなずいた。
「ごめん、ルチル」
ルビィはガーディアンに本気で腹パンした。響き渡るずっしりと重たい腹パンの音。ガーディアンの鎧は砕け、ドロリと高熱をもって溶けた。
「この役立たず! 今まで何してたんだよォォ! バカァァァ!」
ルビィはプンスカピーと怒り、ガーディアンを何度も何度も踏みつける。竜の目に涙。ガーディアンは気絶した。
ユーディはルビィの拳の威力を見て、目を疑う。鎧をワンパンで砕き、ガーディアンを一撃で怯ませる威力。噂では修行を怠け、中位魔法使いクラスでスカーレット家の面汚しと聞いていた。だが彼女は、自分と同じ上位魔法使いクラスの力を持っていた。思わず唇がするどく歪む。楽しい。
「久しぶりだよ。この魔法を使うなんてさあ!」
ルビィは駆けた。駆けた足の跡。ユーディに向かう直線からは炎の轍が出来上がる。
シディアはふたりの戦いをスポーツ観戦するかのように熱中していた。
「へっくちっ」
くしゃみが出た。噴水の水はものすごく冷たかった。