ドッジボールしよ!
世界中には「不思議」など、衆多にある。
『文学』や『物語』――人や事件などの一部始終について散文で語られたものや書かれたものの事――や、口承、伝承、説話、世間話、神話、伝説、童話、古典文学……我々の生活に、それらは姿を変えてでも、人から人へと流れ込んでくるのであった。
学校に登校できなくなった女の子は、夢で男の子に会い、とても仲良くなるが、次第に衰弱して死んでしまった。憑り殺されたのだろう。
桜の精の様に美しい少女に出会った高校生は、その魔力に翻弄されて、結局あの世に連れて行かれてしまった。
神様は気まぐれに、幽霊となって暇していた少年に34時間だけの時間を与え、その間は人間でいられる事を許した。
王様ゲームの様に、「神さま」を誰か一人に決めて、「神さま」の命令には従わねばならないというルールのもと、ゲームの終わりには行方不明者が出てしまったという、本当の「神隠し」。
この様に空想と事実が混在し交錯し、それは一人の人間が生んだ「ストーリー」として、何処かに潜み息衝く。それは突如生まれ、育ち、そして……。
それでは、或る不思議の話を――してみよう。
学校に纏わる、不可思議な話。不可思議、それは、考えても奥底までは知り尽くせないこと。異様なこと、怪しいこと――である。
*
20年前。K県T高速道路で、社会見学に向かう途中の観光バスに運送会社のトラックが追突し、小学生を含む44名が死傷する交通事故が起きた。
8月10日午前8時25分頃、高速道路上り線、追越車線を走っていた運送会社のトラックが、左から2番目の走行車線を走行していたバスの右後方に追突、バスはバランスを崩して右側側壁に衝突したのち左側側壁に激突、屋根が外れるなど大破した。
バスには市の公民館主催により、東京のガスの科学館や水族園に向かう小学校の4年生から6年生の児童38名と市職員、バスガイドらと、43名が乗っており、このうち4年生の男子児童(9歳)と市職員の男性(30歳)、バスガイドの女性(29歳)の3名が首を強く打つなどして死亡、この他の乗員乗客と、トラックの運転手が重軽傷を負った。
トラックは43歳男性が運転し、最大積載量の2倍近い重量のプラスチック製品や化粧品を積んで東京へ向かっていた。K県警察交通指導課および同高速道路交通機動隊は8月12日に運送会社を家宅捜索、8月29日までに業務上過失致死傷罪および道路交通法(過積載)違反により運転手と運送会社を書類送検したのである。
真夏の惨事、トラックの過積載が問題となった事故であった。
噂が、ひとり歩きしていた。
「近くで、バスの事故があったらしいよー」
「え? ほんと?」
「遠足に行くバスで、トラックと正面衝突したんだって。大勢の子どもたちと先生が病院に運ばれたんだって。まだ起きてないみたい」
「へえ……嫌だね、怖いね」
姿を変えて……。
*
大野佑美は、小さな体で、大はしゃぎであった。
「先生~」
「何? ひろちゃん」
受け答えたのは、女史教諭。まだ30半ば過ぎの、働き盛りであった。「ねえ先生。あのさ」佑美は職員室の前でモジモジしながら上目づかいに先生を見た。
廊下を急いで走っては来たが、肝心な言葉が後で後でと、なかなか出ては来ない。
「今日も暑いわねえ。いい天気」
チラリと窓をみやる。窓の外には青空が広がる、高く輝いている太陽――校舎などを見下ろしながら、山や川や動物たちに息吹を与えているかの様にサンサンと。
先生は微かに笑いながら、視線を佑美に戻した。その数秒が、まだ幼い少女にはありがたく、充分に落ち着きを取り戻す。
「あのね先生、聞いたんだけど、今日に新しく道具が入ってきたんだって? 友達が言ったの」
「ああ、それね……うん」
軽く腕組みをして先生は外を再び眺めて言った。
「そうよ。親切な誰かが寄付してくださったの」「きふ?」「これどうぞ、って、タダで物をくださる事」「やった!」
佑美はその場でクルクルと回った。万歳をしながら、大はしゃぎである。
「誰がそんな事してくれたんだろうな! それでさ先生、何くれたの? ねえ、ねえ」
佑美は興奮して先生の腕をぎう、っと掴む。小首を傾げ、先生の顔を下から覗いた。「跳び箱とかね」
先生の髪は掻き分けられながら、んー、っと思い出そうとして唸る。
「縄跳び、マット、ボール……ま、こんなとこかな」
「ボール!?」
過剰に反応したのはボールであった。
「サッカー? バスケ?」
「じゃないけど、大きさはそれぐらい」
「やったー!」
廊下中に佑美の声は響き渡った。「ねー、いいでしょ先生、先生!」「何が?」
佑美はニンマリとして言った。
「皆と遊びたいから、ボールちょうだい~」
先生は何だそんな事かと安堵したが、佑美にはそんなもの、おかまいなしで調子に乗る。
「いいよね? 先生!」
「仕方ないかなぁ」
笑いながら、先生は言った。
ボールを取ってきた佑美は、遊ぼう遊ぼうと早速に友達を呼び集め、午後の2時。だが時間など気にする様子もなく、連れて来られた友達も「何しよう」「サッカーする?」「5人じゃなぁ」「まだ少ない」と騒いでいた。
「ドッジボールでどう?」
「あ、それでいいね」
「じゃあ、決まり」
フリルのワンピースを来た女の子がパチン、と指を鳴らした。これが決定の合図であった。
校舎のすぐ前がグラウンドになっており、山の自然に囲まれて、風が吹く度に影が揺れた。
子どもたちは砂の地面に足で線を引き、コートを作った。ドッジボール競技規則、公式ルールからすると、コートの大きさは内野10×10mで外野幅3m、1チームは12名以上20名以内。試合は12名対12名で行われ、元外野は1名以上11名以下で、その中でチームで自由に選べ、元外野も相手の内野の選手をアウトにしなければ自分の内野に戻れない。
試合はジャンプボールで始まり、ジャンパーへの内野からの第1投の攻撃は禁止である。
相手のノーバウンドの投球を取れなかったり、当てられた場合にアウトになる。一回のノーバウンドの投球で2名以上が当たった場合は最初の1名がアウト。顔や頭にボールが当たった場合はセーフ(ヘッドアタックという)である。 一度味方に当たったボールをノーバウンドで取った場合は、その当たった選手はセーフになり、 相手が投球したときにファールがあった場合、当たってもセーフになる。
味方の内野同士・外野同士のパスは禁止で、試合中の内外野への移動はコートの外を通らなければいけない、などと、さらに細かくルールがあるのだが、子どもたちには子どもたちなりのルールで進行する。
先生はおらず、小人数でチーム分けをジャンケンで行い、佑美をはじめ子どもたち全員待望の、ドッジボールは始まった。
「行け行け、たいぞー!」
たいぞー、と女子に呼ばれた小学5年生くらいの男の子は、息込んだ。返事はしないが相手と向かい合わせになって、ジャンプをするタイミングを待っている。
「頑張れ、慧ー!!」
たいぞーと対面しているジャンパーは、ヒョロ細い体格の慧。4年生で年下だ。
6年生の茂美が、ボールを高く放り投げた。たいぞーと慧が、ほぼ同時にジャンプする。
ボールは、たいぞーの頭上を抜けて、背後に転がった。内野の吾郎が急いで拾いに走っていた。
「当てろ!」
真里菜は興奮して叫んだ。
ドッジボールは、炎天下のもと、30分以上続いた。
帽子も被らず、熱中症、日焼け、おかまいなしに子どもたちは夢中で遊ぶ。職員室からはコートが見える。校舎の一階に職員室があり、先生は時々にそちらを眺めていた。
「当てろー!」
「頑張って、明日香ちゃん!」
ボールは取ったら早く投げないといけないが、まだ2年生の小柄な明日香には上手に投げるのが至難の業に思えた。飛んだ距離が1m、苦笑いをしながら味方である宏太が取って敵方に投げて攻めた。
ボールは受け取められ、悠馬は即座に相手コートに向かって投げた。ワンバウンドしたオレンジ色のゴムボールは、長袖の体操服を着た保乃夏の手元へ。
「投げろ!」
「うん!」
吃驚してはいたが、後ろからの大翔の声援のおかげで助かった、投げたボールは見事に相手コートの隅寄りにいた京香に当たった。
「だいぶ外野が増えたねー」
「あと7人」
外野で右足で左足を掻きながら、斗真は、じっくりと相手コートを見た。
相手は散らばっているが、厄介なのは6年生の奏楽であった。背が高く、集まった子どもたちの中でも恐らくは一番に俊敏であると分析していた。
「あいつ以外は、当てれる自信はあるんだけど」
目は離さず、隣の朝陽に声をかける。「上等だね」白のTシャツの袖を捲り上げて、気合を入れ直した。
「じゃ、チビを狙っていくか」
にや、と笑うと一歩二歩、と隣りに距離をとる。
風が強くなった。
影は長くなり鳥はたまに飛び立つ。それ以外に動物の姿は無いが、そのせいもあって風の音はよく聞こえた。
かれこれ3時間は時が経っただろうか……。
飽きもせずに、子どもたちはドッジボールを続けている。乃愛は最初に当てられた時に泣きそうになっていたが、さくらの励ましのおかげで、もう泣かなくなった。
「あと一人」
長かった試合も、佳境を迎える。
最後に残ったのは――4年生の、大空。小柄で動きは速く、瞬時に判断できる能力も高かった。悪く言えばせっかち、体が先に反応してしまうらしい。
「頑張れぇー」
「頑張れー!」
「頑張ってー!」
すでに当たって外野にいた味方は、張り上げた声をもっと、さらに張り上げて、叫んだ。
じりじりと詰め寄ったあとに、同じくらいの体型で降矢は、正面で待ち構える敵に正面から目一杯速いボールを投げる、しかし難なく受けとめられ、投げ返されて足に当たり返り討ちにあってしまった。
「やるねぇ」
一筋縄ではいかない、と燃えていくが、美咲の投げたボールが油断した隙に当たったようで、下に落ちる前に回収しようとして手を伸ばしても間に合わなかった。
試合の決着がつく。
名前もリーダーも無いが、勝利チームは決まった。白熱した闘いであったろう。
「あはは、負けちゃった」「ま、仕方ない仕方ない」
「次は、どうする?」
「サッカーやろうぜ」
風が、まだ吹き続く。
「首が、痛いな……」
4年生の大空は、青空を見上げて首を押さえながらそう言った。
賑やかな集団の声は楽しげに、時間がゆっくりと過ぎていく。これまで何度か見守っていた先生は、窓越しに子どもたちの姿を脳裏に焼き付けた。あなたたちには、時間があったのよ――
先生が目を背けると、花瓶の一輪挿しの花がリン、と音を立てて、ないた。
*
60年前の5月14日、I県にある川に架かる橋の上から修学旅行生を乗せたバスが転落し、児童ら12名が死亡した交通事故があった。
午後7時30分頃、小学6年生の修学旅行生一行らを乗せた観光バスが、国道4号上の川に架かる橋を渡っていた時に発生、前方から来た自転車を避けようとして、運転を誤り欄干に衝突。バスは腐って脆くなっていた欄干を突き破って河川敷に転落、大破した。
乗車していた運転手(交代要員含む)2名、小学6年生34名、校長ら引率の教員3名、付き添いの父母12名(うち1名は生徒の兄弟の乳児)の合計51名中、死亡12名、重傷者6名、軽傷者22名を出した(死亡12名中、生徒は4名。うち1名は病院へ搬送後に死亡)。
事故の直接の原因はバス運転手のハンドル操作のミスであるが、事故後に修学旅行の日程に無理があり、事故の遠因となったのではないかと問題となった。修学旅行の日程は5月13日朝6時15分に小学校の校庭を出発、移動して市内各所を見学後、日本三景のひとつである名所を見学。その夜は旅館に移動して一泊。翌朝(事故当日)は早朝に出発、海岸、製塩工場の塩田などを見学後、小学校まで帰着するものであり、現在とは異なり当時の劣悪な道路事情を考えると、多くの時間を要する日程であった。事故発生時刻は夜の7時半頃だったが、現場から学校まではまだかなりの距離が残っていた。学校へ早く着く事に気を奪われた運転手が無理をしたのではないかとの指摘が各方面から出されたのである。
本件事故と同時期には修学旅行客を輸送中の交通機関での事故が相次いで発生した。
本件事故の3日前の5月11日には連絡船で事故が発生したほか、本件事故の3日後の5月17日には、東海道本線で事故が、F県では修学旅行輸送中のバスが炎上する事故が発生した。
噂が、ひとり歩きしていた。
「近くで、バスの事故があったらしいよー」
「え? ほんと?」
「遠足から帰る途中で、橋から落ちたんだって。大勢の子どもたちと先生が病院に運ばれたんだって。まだ起きてないみたい」
「へえ……嫌だね、怖いね」
姿を変えて……。
夕方を過ぎても、太陽は沈まなかった。
蝉も鳴かぬ山に、風は吹き、鳥だけが自由を許された。ここは何処であろう?
子どもたちの音は、やまずに、騒がしく鳴り立てる。
「先生~」
「なあに」
校舎の廊下をぺたぺたと元気に走ってきたのは、小学6年生になったばかりの女の子であった。鼻の上を赤くして、両端に肩から吊るされた制服のスカートは薄汚れて、何の悪びれた様子もなく先生に寄ってきていた。
「教室にフラフープが置いてあったよ! あれで遊んでいい?」
目をきらきらと輝かせて、先生の顔色を窺った。「いいわよ」それを聞いて飛び跳ねる。「やった!」
また来た道を走っていく。フラフープで遊ぶ――それだけしか、頭には無いようだ。
*
30年前の1月28日、国道を走行していたバスが川に転落した事故があった。
大学の学生ら総勢46名を乗せた交通バスは、高原のスキー場へ向かっていた。同校では28日から30日まで、体育科の授業の一環としてスキー教室を実施する予定であった。
事故発生時刻は午前5時45分。川に架けられた橋にさしかかる手前の左カーブで、バスはガードレールを破り水深4メートル、水温4度という極寒の川に転落。転落地点は下流に建設されたダム湖にあたる。総勢46名のうち、乗客の大学生22名、教員1名、運転手ら2名、合計25名の命が失われた。助かった21名のうち8名も重軽傷を負った。
現場は雪が積もり路面が滑りやすくなっており、バスのスピードの出し過ぎが直接の原因であった。しかし死亡した運転手は事故当日までの2週間を連続して勤務に当たっており、バスの運行を担当する交通の責任が問われた。
日の出前の暗い時間帯の事故であり、転落と同時に車内の照明が消えたため脱出が困難となる。その中で全盲の学生が冷静沈着に車外へ避難して生還し話題となり、大学のキャンパス内には犠牲になった学生の人数分の桜が植えられている。
噂が。
「近くで、バスの事故があったらしいよー」
「え? ほんと?」
「スキー場に行く途中で、湖に落ちたんだって。大勢の子どもたちと先生が病院に運ばれたんだって。まだ起きてないみたい」
「へえ……嫌だね、怖いね」
姿を変えていく。
「怖いね……」
*
学校の、チャイムが鳴った。それは佑美の耳にも無論、飛び込んで来る。
「もう終わりかあ」
残念そうに、佑美は口を尖らせていた。「でも楽しかった」転がってきたオレンジ色で、砂で汚れたボールを拾うと、後ろを振り返る。
誰もいなかった。
あれ?
佑美は、訳が分からなくなった。寸前までの記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
私、誰と遊んでいたんだっけ? ……まあいいか。
校舎に戻って、先生に会いに行った。
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地元新聞は夕刊で伝えていた。
一面には政治のニュース、三面には社会、文化・家庭・連載小説が続くと、事故や災害のその後の詳細が綴られている。バス事故、児童ら8名死亡。生き残った児童2名は、隣市の学校へ移るそうである。
生徒を失った学校は廃校へ、もう誰も訪れる事は無い。噂はひとり歩きをして、姿を変える。
あの山の村に、学校など無かった。
《END》
読了ありがとうございました。書き終わった途端、「怖くないよどうしよう」と恐怖とカオスに襲われた自分。
本作品は『夏のホラー2015~あなたの学校はどうですか?~』企画作品です。
毎年参加させて頂いているので、今回も。久しぶりの投稿でした。
ブログなど、後書きは、そちらで。
それではまた☆