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Atheist 澪標廻廊 作者:はちゃち

三年生

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二十八話「賭する」

 世界が半回転する。
 沈んだ太陽が、反対側から顔を出す。
 俺は学校に向かう前に、四縁のもとを訪れた。
『気の早い奴だ』
 俺に気付いた神は、呆れにも似た言葉をかけてくる。
「神ともあろう者が、決断力が鈍い訳はないと思ってね」
 などと、皮肉を交えると、ばつが悪そうな声を漏らしていた。
「答えを聞きたい」
 神が口を開かなかったので、俺の方から返事の催促を促す。何せ、俺は神の心は読めないのだから。
『到底、聞きいれられる願いではない』
 神はそう否定を口にする。
『大多数の幸せの為に他を切り捨てるのか、一人であっても人間の尊厳を重んじるのか――それは、神でも意見の分かれるところだろうて』
 ゆっくりと、言葉を続ける。
『儂とあの子の事情に、赤の他人であるおぬしを巻き込んでいいものか――』
 それは違う。そう言おうと思ったが、神に遮られた。
『解っておる。おぬしと澪は、すでに他人と言う間柄ではない。友人と呼ぶには、あまりに関わりが深すぎる』
 再度問おう。
 神は語調を強める。
『黒野翔は相沢澪の為、命を賭してでも助けたいと思っているのか?』
「ああ!!」
『死んだあとに後悔する者は数知れずおる。一時の感情の高ぶりで命を粗末に扱い、後悔の思念に囚われた魂は数知れぬ。だとしても、尚――』
 死んだあとにどうなるか、それは解らなかった。
 それでも、
「構わない。澪を忘れて生きていくなど、死んでるのと変わらない」
 そう思う。
『おぬし一人の魂で、必ず救える保証はどこにもありはせぬ。無駄死にになる可能性すら、あるのだぞ? それでもその命をかけるか?』
「もちろん。何もしなければ、救えないという結末しか待っていないのだから」
『ただ犬死にしてしまえば、澪はこれまでの比ではなく悲しむことになるぞ』
「大丈夫だ。四縁なら、やってくれると信じている」
 まったく――と、どちらとも取れないため息をかすかに漏らしながら神は言葉を続ける。
『最後の確認だ。例えどのような結末になっても、それを受け入れるか?』
「もちろんだ」
 俺の返事に、迷いなど混じる余地はなかった。
 死は怖い。
 それは、他の人と変わらない感覚だ。
 でも、
 何もできない無力な自分は、もう見たくない。
『これは特例だ。今後、二度と同じことをするつもりはない』
 腹をくくるのは、神も同じようだ。そのことが口調からひしひしと伝わってくる。
 すぅ――と、石像と俺との中間あたりに白い何かが浮かび上がってくる。
「これは……?」
 薄っぺらいそれは紙と差異がない厚さで、かつ、人間をかたどっていと思われる形状をしていた。まるで、トイレのマーク内にある人の様だ。
『持っておけ』
 手に取ると、質感は和紙と変わらないように思えた。
 焦げるような、そんな音がする。
 間髪をいれず、紙の中央に黒く文字が浮かび上がってきていた。
 ――黒野翔――
 俺の名前だった。
『後は、おぬしの血をひたしたら終わりだ』
「……それで、どうなる?」
『その人形(ひとがた)を媒体として、おぬしの魂を吸い取る。少しずつな』
 痛みはない。
 そう神は補足する。
『血は数滴でいい。それにもし今からでも止めたいのなら、血を含ませねば効果は発揮されない』
 これで、澪は救われる。
「てっきり、ライオンのように喰うのかと思ったら、意外と地味なんだな」
『それでも出来ないことはない。喰われる側には、相応の苦痛を伴うがな』
 つまり、これは神の最大の配慮――いや、最大の譲歩と呼べる行為らしい。
『さっさと行け。いつまでもここに突っ立っていても、事態は変化しない』
 そう、神らしからぬ神に言われ、俺は軽く頭を下げ、その場を後にする。


 俺は学校へ向かった。
「もう! 翔君酷いです!」
 そう澪が声をかけてくる。もう少しで、こいつを呪縛から解放できる。そう思うと、心のそこから安堵感がわいてくる。もちろん、死に対する恐怖心がないといえば嘘になるが。
「昨日は勝手に帰っちゃうし、今日はなかなか来ないしっ!」
 ムスッと怒る澪の様子を見て俺は苦笑する。同時に、勝手なことをしていることに対する罪悪感が、少しだけ脳裏をよぎる。だが、後悔はしない。
「悪い」
 俺のそんな言葉には、きっと罪悪感に対する謝罪も含まれていたのだろう。
「まぁ、良いですけど……もう、翔君が忘れ始めたのかと思っちゃいました――」
 その言葉は半分冗談だと含ませてた口調だったが、おそらく、半分は本気なのだろう。
「あ――怪我されたのですか?」
 悲しそうな顔は一変し、心配そうな顔に移り変わった。それは、人差し指のばんそうこうに視線が止まったためだろう。
「ちょっと切っただけだから大丈夫」
 そう、俺は平静を装う。澪は変わらず心配そうな顔をしているが、それ以上は追求してこなかった。
 俺たちは誰もいない屋上に上がってくる。もちろん今の時間に授業はあっているが、当たり前のようにサボっているわけで。もっとも、間もなく死ぬであろうこの事態に、授業などさしたる意味は感じられない。
 澪の見えない位置から、ふとポケットに忍ばせた例の人形を覗き込む。
 黒かった字は、血を滴らせることによって紅く変色している。白い部分にも血は滴っていたはずだが、すでに血は消え、名前だけが紅く色づいている。初めは少し淀んだ朱色だったが、気付けば紅くなっていた。
「……ちょっと、良いですか?」
 屋上で口を開く澪は、どうしようもなく悲しそうな代物だった。
「もし、このまま翔君の記憶がなくなったときのことについてです――」
 その心配はない。そう言いたい気持ちを抑え、俺は澪の言葉に耳を傾ける。
「私の手がかりとなるようなものは、全て処分していただきたいです」
 澪はそう切り出した。
「……どうして?」
「大切な人がこの学校を出て行ってからも苦しむのは嫌です」
 苦しむ、か――。
「すべて忘れてしまうんじゃないの?」
 澪はその疑問を肯定し、ですが――と、補足を続ける。
「ごく稀に思い出そうとする人がいます。何も覚えてはいない。けれど、何か忘れたような気がして……それで、それを求めてしまって、人生の歯車を狂わせてしまったことがあります」
 全部自分の所為――そんな口調だった。
 そういえば、確かに。澪との古い記憶はないが、既視感はどこかあった気がする。それがなければ、こんなにも速く打ち解けることは出来なかったと思う。
「以前、『翔くん意外に告白されたことがある』と言ったこと覚えていますか?」
 頷くと、少し安堵したように話を続けた。
「彼も、とても絵が上手かったです。きっと、すごく有名になっていたと思います。でも、私と関わってしまった為に、思い出せない何かを求めて人生を狂わせてしまいました」
 そこで、澪は言葉を詰まらせる。目が泳いでいる。言葉をためらっているときの、澪の表情だった。
「無理して言わなくても――」
 俺はそう口にするが、すぐに首を横に振り否定した。
「いえ! これは言っておきたいんです。また私のせいで苦しめたくはないです」
 その心配はいらない。
 言ってしまいたい衝動に駆られたが、俺は決して漏らすことはなかった。
「その彼は、翔君も良く知ってる人です」
 だがその澪の台詞は、予測の範囲外の言葉であった。
 俺の知っている人? 澪の話は昔の話ではなかったのか? それに俺と知り合いと呼べる程度の関係の人など、ごく限られている。その中に、俺は心当たりがない。
 混乱した考えが表情に出ていたのか、澪はすぐに名前を上げた。
「丹波先生です――」
 思考力が急ブレーキをかけたのがよく分かった。
 わずかに間を置き、俺は無意識に記憶をたぐり始める。
 脳裏に、丹波の言葉がよみがえった。この学校に何か忘れ物をしたと。そして、それが何であるかすらまったく思い出せないと。
 そうか――俺は視線を落としながら思った。
 丹波も……俺と同じように――。でも、結局忘れてしまって。決して思い出すことのない虚空に囚われたというのか。
 同時に、澪の言葉が思い起こされる。
 ――一度忘れたら、決して思い出すことはない。
 きっと澪のことだ。丹波の事を何とかして救おうと、何か行動したはずだ。
 だが、結局何もできなかった。澪と関わったことは、結局時期が過ぎれは忘れてしまうから。
「そうか。分かった」
 俺はつぶやいた。
 どうやら、やらなければならないことが増えたらしい。
「絵でも描くか」
 俺はそう話を逸らす。
 どちらにしても俺の最期には、やはりこれくらいしかやることはないだろう。
「昨日の埋め合わせもしないとな。手鏡とか持ってたっけ?」
 そのことに、澪は悲しさを上書きするように笑みを浮かべていた。

 昼休み。俺は澪の分の弁当を買い、いつもの中庭に向かう。だがその前に、美術室に向かった。
「おや、もしかして弁当おごってくれるのかい?」
 などと、美術室に入るやいなや、丹波が冗談めいた口調で話しかけてくる。
「俺がそんな気のきく人間なら、今頃こんな学校来てませんけどね」
 などと、皮肉で返しながら、丹波の前まで歩いて行った。
「いくつか、お話ししておかなければならないことがあります」
 俺の真面目な口調に、丹波は茶化すこともなく、視線をまっすぐに俺に向けた。
「なんだい?」
「先生は、以前言っていましたよね。『この学校に忘れ物をした気がする』と。それで、『今も探している』とも」
「あー、そういえばそんなことを口走ってたっけ。いやはや、恥ずかしいなぁ」
 照れ隠しの為に苦笑する丹波に対し、俺は構わず言葉を続けた。
「残念ながら、先生の捜し物は見つかりませんよ」
 俺の言葉に、苦笑の色が消えた。
「それは、どういう意味だい?」
 丹波の浮かべる表情は怒りというよりは戸惑いと言える代物だろう。
 なので、俺は少しだけ勝ち誇ったように言う。
「先生の捜し物は、俺が手に入れてしまいましたから」
 少し、呆然とした表情を見せる。
「もう、どこにも残ってはいません。それに、俺は手放す気もありません」
 それは――と、丹波はか細い声で吐き出すようにつぶやいた。
「いったい、なんだったんだい?」
「秘密です」
 俺は丹波の問に意地悪に答えた。
「今教えて、先生が奪いたくなったら嫌ですから。だから素直に諦めてください」
 意地悪な笑みを浮かべているものだ――と、内心自身を呆れ半分で称した。
 もちろん、こんなことで丹波が腑に落ちるわけないことは分かっていた。
「それだけ伝えに来たので、失礼します」
 そう一方的に言うと、俺は背を向ける。
「ああ」
 美術室の扉に手をかけた際、俺は振り向いて補足を付け加える。
「最期に言っておきますが、俺が手放すのを待っていても無駄ですよ? 墓場まで持って行きますので」
 そう言い、美術室を後にした。
 丹波がどう受け止めるかは、俺には分からない。だが、少なくとも澪に言われるのと違い、今のやりとりは記憶として残すことができる。後は丹波次第。だが、きっと丹波なら大丈夫だ。なんだかんだ言って、俺は丹波を信用しているのだから。

 俺は、鉛筆を走らせる。いつも以上に早く、それでいて綺麗に。俺の最期の絵だ。そこに俺は、澪と自分を描いた。自分自身を描くのは慣れていないためか、少々手間取った上に、あまり似ていない気がしたけれど。
「翔君が自分を描くなんて珍しいですね!」
「たまには良いだろ?」
「はいっ! 今までで一番この絵が好きです!」
 時間が過ぎていく。何も知らない澪は、無邪気に笑顔を見せている。それでも、その奥には、不安が見え隠れする。
 大丈夫だ、澪の悪夢は、もう少しで終わる。
「悪い、今日はもう帰らないといけないんだ」
 夕方、いつもより早く俺はそう言う。根拠はない。だが、体が重くなっていくのが漠然と理解できた。死期が近い。そう直感が告げていた。
「そうですか……分かりましたっ!」
 そんな事を知る由もない澪は、元気にそう発していた。
「今日描いた絵は、澪が持っていてくれ」
「え? はい、分かりました」
 俺の言葉に少し戸惑った様子だったが、素直に絵を受け取る。
「じゃあ、これで」
「また明日ですっ!」
 その言葉は、少なからず俺の心に刺さった。後悔ではない。そう自分に言い聞かせる。
「――さようなら」
 校門を過ぎ、澪の姿が見えなくなってから、そう小さく最期の別れをする。

 離れ家に帰り着くと、俺は崩れ落ちるように壁に背を寄りかけ腰を落とした。
 これでよかったんだ。これであいつは救われる。
 俺はあたりを見渡しながらそう強く思った。
 視界に入ってくるのは、絵に覆われた部屋だ。父親と、母親と、妹と、それと澪。澪は間違いなく俺の家族だ。
 嗚呼。
 これでやっと、今まで生きた意味が出来た。俺の生は無駄ではなかった。俺の人生は虚空ではなかった。
 俺は眼を閉じる。
 全身に本格的に力が入らなくなってきたのはそれからすぐだった。
 痛みはなかった。
 今から逝くのは、妹のいる場所。
 そこはきっと地獄だろうな。
 自ら命を絶とうとする奴が天国になんていけるはずがない。
 真っ暗に……暗くなっていく。
 視覚だけではなく、五感を全ての感覚を失っていった。

 重力も感じなくなって、何の音も聞こえなくなる。


 暗く、ひたすらに暗く。

 そして暗いと言うことも、



 次第に、

 自覚、



 出来……





 なく――









 何も感じない。



 何も存在しない。




 何も分からない。







 何もない世界。
『これで本当に良かったんだな?』
 混濁した意識の中で唯一、あの神の声が聞こえてくる。
 ああ、これでいい――。
 俺の言葉は、声にはなからなかった。
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