作戦は綿密に
到着前夜。そして後書きがやたら長くてすみません。
シーヴァースでの宿代を少しでも浮かすため、一度その手前の村、ポレロで一旦宿を求めると、収穫で忙しかったためか、ちょうど一軒の農家が種もみ取りの手伝いと引き換えに快く受け入れてくれた。
そこで野菜シチューをごちそうしてくれるというので、こちらからも干し魚を提供すると、非常に喜ばれ、和やかな晩餐となった。
主人の方はよほど疲れているのか、食べてすぐ、寝ると言って奥の寝台の方へ去っていく。
おかみさんの方がふっくらした体をてきぱきと動かしてシチューを混ぜたり、薪を足したりしつつ、
「あんたたちもシーヴァースへ行くのかい?なんだか皆そう言ってるねえ。今この辺りじゃちょっとした流行みたいになってるよ」
「なんか、変わった噂とかは聞かないか?」
そうさねえ……と首をひねっていたが、ぐっと声を低くして、
「ここだけの話……行ったはいいが、戻ってくる人は少ないみたいだね」
「な、それはどういう……!?」
思わず立ち上がり尋ねると、ぷっと笑いだし、
「よっぽど居心地がいいのか、そのまま住み込んじまうそうだよ。ああ、あんたの顔、おっかしいねえ」
そのまま涙を流さんばかりに体を揺すっている。
からかわれただけか……。
ストン、とシャロンが腰を下ろすその横で、アルフレッドは黙って三杯目のシチューをお代わりした。その足を軽く蹴っておく。
ひとしきり旅の話や、シーヴァースの様子――――――非常に賑わっているのでこの夫婦もそのうちまた野菜などを持って出稼ぎに行くらしい――――――を聞いていると、次第に夜が更けて朝が早い農家の就寝時間となった。
「空いてるのは納屋と馬小屋ぐらいだけども……あれまあ、あんたら二人別々に寝るのかい?」
おかしな関係だねえと呆れてから、まあ、納屋を汚されても困るしね、とさらりと言って、
「じゃあ、片方は馬小屋の藁置き場ってことで」
と、麻の敷布を持っていく。
「……アルはどっちにする?」
「馬小屋でいい。鍵のかかる狭い場所は好きじゃない」
「あ、そう」
まあ確かに……中にはもみ殻や藁でいっぱいだから、鍵かけられ火を放たれた暁には……って、さすがにそれはない。だいたい、それをやったらここら一帯が火の海になってしまう。
まったく用心深いな、とため息交じりに呟いて、
「ちょっと相談したいことがあるんだが……馬小屋の方にするか」
「寝るのじゃなければ別に納屋でも構わないよ。扉は、閉めておくことになるけど」
面白そうに口の端を持ち上げつつ言う。
一般的に未婚の男女が同時に部屋にいるときは扉を開けておくのが普通だから、閉めるってのはつまり……。
「いや、馬小屋にしよう絶対に」
「……そう?」
そんな会話の途中で、
「用意できたけど、寝るかい?」
と声をかけられたので、場所を変えることにした。
ブルルル、と鼻を鳴らし頭を覗かせている馬たちを驚かせないよう、奥の飼葉小屋に移り、藁の上に広げられた麻をクッション代わりにしながら、シャロンはさっそく馬車の中でずっと考えていた作戦を話すことにした。
「アル、これからシーヴァースの妹の元に行こうと思うんだが……ここで問題がいくつかある」
言葉を切って、迷いを断ち切るように瞼をぎゅっと閉じ、
「実は……妹は貴族なんだ。私も元は貴族だった」
そう打ち明けた。
「知ってる」
「なんだ、そうか知って……って、おいッ」
何で知ってるんだ、と叫びかけたので即座にその口を手で塞ぐ。
「……馬が暴れる」
「あ、ああ、悪い……って、おまえ、いつから気づいてた?」
「結構前。エドウィンがそれらしいこと言ってた」
「それって大分前じゃないか……!!」
今までの苦労はいったいなんだったんだ……と呻くシャロンに、勘のいい人は所作や話し方で気づいてたみたいだけど、とアルフレッドがさらに追い打ちをかける。
「う……わかっ……た。もうそれはいい。話を進めよう」
頭を振って再び気を取り直した。
「貴族でも下級なら何とかなるんだが……あいにくと家柄だけはよくて……公爵なんだ」
「……?それが何か問題?」
「……」
しまった、そこからか。
シャロンを再びの衝撃が襲う。しかし、今回もなんとか彼女は立ち直った。
「ええと、簡単に説明するとだな、アルも貴族と庶民とのあいだに隔たりがあるのは気づいてるだろう?」
「確かに貴族たちは僕らを忌避する傾向にあるようだけど」
「……例えば、物語や戯曲なんかで、聞いたことはないか?貴族と平民との悲劇の恋物語なんかを」
「ああ。女がよく好きなやつ」
「…………まあ、そうだけれども。まあいい。それで、その中でよくあるのが、『お互い、住む世界が違う』とかっていう台詞なんだが」
「確かに、よくあるね」
「あれはそのまま事実なんだ。実際平民と貴族とでは、住んでいる場所が違う。ついでに家も、来ている服も違う」
「まあ単純に財に差があるから」
「さらに言うとだな、貴族はわりと、一週間3、4回、ひょっとしたら5、6回ぐらいは風呂に入る」
「……水の無駄遣い」
「………………まあ、そんなわけだし、平民の税で暮らしているから、汗水たらして働く必要もない。いつも体はピカピカに磨いて綺麗に着飾っている。そんな世界の住民が、例えばこう、ろくに風呂も入らず長旅をしてきた私たちを見て、どう感じると思う」
「なるほど、問題はわかった」
しっかりとアルは頷いた。
「貴族というのは変わってるね」
風呂にそう入らなくたって死ぬわけじゃないだろうに、と呟く。
うん、まあそうなんだけど……。
シャロンはどっと疲れた体から、なんとか気力を奮い起こした。
「だから、まず。シーヴァースへ着いたら浴場に行って、それから貸衣装屋に向かう。公爵というのは気位だけは高いから、まず身なりを整えて、貴族の振りをして、屋敷を訪問するんだ」
そうだな……と考えて、
「役どころは、世間知らずの令嬢、なんてどうだろう。それだといきなり訪問しても不自然じゃないし、ハンカチーフか何かを風で飛ばされたと言えばいい」
「なるほど……きっとシャロンなら嵌り役だよ」
「……」
褒めているつもりなのか、それとも嫌味なのか……その変わらない表情からでは判断がつきかねた。
「……話はそれだけだ。もう寝るから。明日は早く起きて、開門と同時に入ろう」
「うん、おやすみ」
シャロンはどうにも釈然としない気持ちを抱えつつ、カンテラを手に納屋まで行き、用意されたごわごわのシーツへと潜り込み、しばし悩みながらもやがて眠りについた。
<補足>お風呂というのはバスタブに、苦労して薪で沸かしたお湯を使用人が三、四人が半刻~一刻ほど使い、桶で運び入れたものを一度で使う、もしくはさらに上級のものはどこかから水をひき、使用人が沸かしたお湯が直接風呂場へ流される、というもので、一般的な家庭では非常に面倒且つ労力がいるので、だいたいが濡らした布で体を拭う、もしくは桶に水を張り部分部分で洗い流す、という具合になっています。
でも日本と違い湿気はないので汗もあまりかかず、風呂に入らなくてもあまり気になりません。
そしてシャロンとアルの名誉のためにさらに付け加えると、シャロンは貴族の出のため綺麗好きで、こまめに濡らした布で体を拭いたり、香草を使ったりして体臭が気にならないようにしていて、アルフレッドは、匂いがすると獲物が逃げやすいという理由から、川で水浴びをしたり、同じく濡らした布やその辺に生えている、ヨモギのようなタイプの香草を使ったりして気を使っています。