90.町から国へ、マッチから電化製品へ 7
信秀との話し合いにて決まった、城郭都市の視察。
参加者は、族長衆全員。
敵がいつ来るかはわからないとのことで、視察のための行動はすぐさま起こされた。
「おお、すげえ! 後ろの景色があっという間だ! こんな重たいものがこんな速度で走るのか!」
城郭都市へと向かうトラックの荷台。その一番後ろにて、雨粒を避けるために下ろされた幌の隙間から、ザーザイムが顔を覗かせてはしゃいでいる。
他の族長衆も騒ぎこそしていないものの、左右の幌の隙間から顔を並べ、その顔は興奮に満ちていたといっていい。
なにせ初めての四輪自動車である。
それも、信秀たちと関わるまでその存在を知らず、また、同じ獣人であるジハルたち狼族が乗り回していたこともあって、その憧れはひとしお。
興奮しない方がおかしいのだ。
族長衆は暫しの間、初めてのトラックというものを楽しんでいた。
しかし、本来の目的を忘れたわけではない。
一頻りトラックの乗り心地を堪能すると、全員一旦座席につき、今後のことの合議に入った。
「どう思う皆の衆」
族長衆しかいない後部座席にて、エルフ族の族長が皆に向かって尋ねた。
その趣旨は言わずともわかるというもの。
すなわち、信秀の提案に乗るかどうかということだ。
「……戦いに参加せず、現状を維持するのも手だと思う。もし我らの住む森まで敵の軍が侵そうというのなら、北へ逃げればいい話だ。わざわざ北まで追いかけてくることはないだろう。苦しい生活を強いられるだろうが、人間と戦うことのほうが、失うものが大きいように思う」
まず答えたのは蜥蜴族の族長。
知は鼠族の族長やエルフ族の族長に及ばず、勇は牛族の族長と豚族の族長に及ばない。
されど能力が大きく劣るというわけでもない。
いわば平均的。
それゆえに無難な考えを蜥蜴族の族長はよく口にする。
「俺はもう逃げるのはゴメンだ」
「俺もだ。性に合わん」
牛族の族長と豚族の族長が口にした言葉は、答えとしてはあまりに不十分だった。
しかし、その感情の先を読み取れば、信秀に協力するという考えに行きつく。
戦いに参加する。
勇を誇る、実に二人らしい答えであった。
「俺は、あのフジワラを信じてもいいと思う。あいつには今まで何もされなかったどころか、色々と世話をしてもらった。
今の俺たちの境遇は人間によるものだが、あいつは少し違う気がする」
狼族の若族長ザーザイムの答え。
まだ若い彼は、何もかも足りてないが、時折ハッとする意見を言うことがある。
その意見は決して優れているというわけではない。
だが、若さゆえの純粋な正しさがあった。
「お主はどうだ。鼠族の」
エルフ族の族長は、最後に鼠族の族長に聞いた。
短慮が多い獣人たちの中で、唯一冷静に考える種族。
獣人と一緒くたにされることはあるが、決して獣人ではないエルフ族の族長をして、己よりも頭がいいと思ったのがこの鼠族の族長だった。
「三年間、フジワラが不義理を働いたことはなかった。長く狼族の者を傍に置いているというのも高く評価できる。また、奴は人間という言葉をよく使うが、その中に自身を含むことはほとんどなかった。
フジワラは他の人間とは違うと考えていいだろう。
もちろん、簡単に信用するわけにはいかない。我らに施したのも、まさにこんな時のためであるのかもしれないしな。
しかしだ、“今のところ”は話に乗るべきだと私は思っている。
武器についても学ぶことができるのだ。我ら六部族が飛躍できる、またとない機会かもしれない」
「そうか、これで意見は出そろったな。ちなみにワシはフジワラの提案に乗るべきだと思っている。
だがあくまでも決めるのは、奴の言うその都市というのを見てからだ。それで、フジワラの我らに対する扱いを見極める」
エルフ族の族長の決定に他の族長たちは、「うむ、それでいいだろう」と頷いた。
合議で決定したことを、それぞれが蔑ろにすることはない。
彼らが種族を超えてこれまで協力してこれたのは、よく話し合い、その答えを尊重するという体制がしかと取られていたからに他ならないのだ。
なお、この話し合いの様子が信秀に盗聴されていることは、科学を知らぬ彼らには及びもつかないところであった。
信秀の運転する装甲車と、族長衆を載せたトラックが北から南へと野を駆ける。
雨は次第に弱まり、視界も晴れていく。
やがて雨が止んだ頃、二台の車両は停止して、トラックの後板が下された。
「着いたぞ。北門の少し手前だ。まずは外から都市を眺めてみてくれ」
それに従って下車していく族長衆。
下りた者から順にその顔は驚きに染まっていった。
「こ、これは……!」
最後に下りたのはエルフ族の族長。
その目は、大きく見開かれた。
族長衆の目に映ったもの。
それは己が如何に矮小であるかを自覚させられるような巨大な城郭都市である。
「お前たちの住む予定の都市だ。どうだ大きいだろう」
信秀は自慢するように言った。
でかい。確かにでかい、とエルフ族の族長は思った。
二キロ四方、と信秀からは聞かされていた。
だが、数字と己の目で見たものとはまるで違う。
これまでに本格的な城郭都市を見たことはない。
しかしそれにしたって、二キロ四方の城郭都市とはこんなに大きいものなのか、とエルフ族の族長は絶句したのだ。
「門の上にある物がわかるか」
またしても信秀の言葉。
城壁の上には、見たこともない建物が幾つも建っている。
だが、その用途が物見櫓であることは明らかだ。
では、それ以外の場所には何があるか。
建物のない城壁の上には、白い布が幾つもかけられている。
エルフ族の族長は、すぐにピンと来た。
大砲だ、と。
「生憎の雨だ。雨に濡れないようにしているが、あれらの下には全てに大砲がある」
「嘘だろ、こんなにあるのかあの武器は!?」
ザーザイムの驚愕の声を発する。
そう、驚きはその数だ。
「東西南北に五十門ずつ置いてある。お前たちにはこれを訓練してもらうつもりだ」
全部で二百門。そんな途方もない数の新型兵器を持っていた。
あんなものを集落に向けられでもすれば、一瞬にして壊滅していただろう。
戦慄。そして安堵。
信秀と出会ってから今日までを思い出し、敵対してなくてよかったとエルフの族長は心の底から痛感した。
そこからもう一度乗車し、二台の車両が門をくぐり少し行ったところで、下車となった。
再び大地に足をつけて、車両の外の景色を目撃する族長衆。
皆の口からは「おお……」と感嘆するようなため息が漏れた。
「どうだ素晴らしいだろう」
信秀の誇るような声が、族長衆の右耳から入って、左耳から出ていった。
それほどに族長衆は目の前の景色に見惚れていた。
人の気配のない住宅街。
見たこともない建物が、規則正しく並んでいる。
しかし、その一つ一つの造りは細やかで、整然としており、立派であるということだけはわかった。
曇り空から少しだけ顔を出した太陽が、屋根に溜まった雨露で反射して、美しく眩しい。
雲が切れた南の空では、虹が上り、幻想的な瞬間をつくり出していた。
城郭の中の光景はまさしく別世界だったのだ。
「見事な……」
誰の声かわからないが、それは族長衆全員の代弁であった。
「さあ、ここからは歩いていこう」
足下を雨水に濡らしながら無人の住宅街を歩き、族長衆が連れていかれたのは狼族が住む区画。
ガヤガヤとやかましいのは、雨が止んで、女衆が一斉に外仕事をしに出てきたからだ。
子どもの元気な声も聞こえてくる。
そこに住む者たちは、何よりも活気に満ちていた。
「こ、ここに俺たちが住むっていうのか!?」
叫んだのはザーザイムであるが、族長衆は皆、同じ気持ちだ。
ここに来るまでの無人の住宅街を見ても、まさか自分たちにその家々が与えられるとは思えなかった。
しかし今、自身と同じ種族の者がそこに暮らしているのを見て、ザーザイムはもはや叫ばずにはいられない。
「不満か?」
「あ、いや……」
問うた信秀に、ザーザイムは黙り込む。
それを見ていたエルフ族の族長は、『不満とは逆の感情だろうな』とザーザイムの心中を察した。
不満などあるわけがない。
ただ、信じられなかったのだ。
このようないい家に住むことが。
「中を見たいのだが」
「そこの空き家を。中と言わず、まんべんなく見るといい」
信秀の許可を貰い、エルフ族の族長は家の中に入った。
木の匂いがする。
内装も見事なものだ。
卓越した技術によって、つくられたことがよくわかる。
靴を脱いで、玄関を上がると、ふとエルフ族の族長は気づいた。
外からは雨が止んでなおも、ピチョンピチョンと水の滴る音が聞こえるのに、家の中からは滴の音が聞こえてこない。
雨漏りばかりの己が住む家とは雲泥の差だ。
「立派な家だな」
エルフ族の族長はポツリと呟いた。
そして、ここに己の部族が住む景色を想像した。
先ほど見た狼族たちの顔が、エルフのものに置き換わる。
エルフ族の族長の瞼に浮かんだのは、部族の者たちの綻んだ顔。
「悪くない」
家の中を隅々まで見てから、エルフの族長は外に出る。
その時その表情は自然、すがすがしい笑みを湛えていた。
他の族長たちも変わらない。
この町に部族の未来を見た。
皆、この城郭都市に住みたいと思ったのである。
いや、違う。
今この時に限れば、町に思いを馳せていたのは、全員ではない。
ただ一人、族長という立場にあって、全く別のことにかまけていた不届き千万な男がいた。
「ら、ラズリーさんというんですか。す、素敵な名前ですね」
「は、はあ」
なんとザーザイムだけは、たまたま通りがかったある女性にどうしようもなく心を惹かれて、ナンパを敢行していたのだ。
その女性の名はラズリー。
かつて信秀とお見合いをしたこともある、狼族においては絶世の美女と名高い女性であった。
「あ、あの今度よろしかったら、ぼ、僕と一緒に、じゃ、ジャガイモを食べませんかっ」
初心な少年のように顔を真っ赤にしてラズリーを口説く姿は滑稽そのもの。
皆は呆れかえり、エルフの族長は同じ狼族の族長であるジハルを思い出して、何故こうも違うのかとため息をついた。
――こうして北の森の六部族は、信秀のつくった新たな町の住人になることを決め、移住は速やかに行われた。
次に信秀は、領主の館のある村へと行き、ペッテル村長及び村の主だった者たちに現状を説明。
嘘こそつかなかったが、虚を織り交ぜて、巧みに城郭都市への移住を決心させた。
獣人たちに続いて村の者たちの移住もつつがなく行われ、フジワラ領に住む者は人間も獣人も等しく、信秀の城郭都市への移住を完了させたのである。
またその二カ月後、南は王都より膨大な数の移民がやって来る。
全ては信秀の予定通り。
フジワラ領の防衛体制は着々と整いつつあった。
◆
さて、場面は王都からの移民が町にやって来た頃。
王族はひとまず、ある屋敷に押し込まれて、それ以外の者から戸籍登録が行われていた。
「列を乱さないで! お年寄りや子ども、またはその家族の方だけ外に出てください!」
統制員が声を張り上げる。
戸籍登録をまず優先されたのは老人と子ども。何故ならば、移民の数があまりに膨大であるため、登録は夜を徹して行われることが予想されていたからである。
傷病人に関しては戸籍登録どころではないため、すぐに解放された建物に送られて適切な処置がなされている。
それ以外の子連れの家族、老人夫婦、たくましくも子どもだけでこの行軍に参加した者などなど、一般的に弱者と呼ばれる者が、信秀の配慮の下、列から外れて戸籍登録を行った。
もちろん、多くの孤児を連れた山田薫子もその一人である。
しかしその薫子、この城郭都市に来てから、何やら様子がおかしい。
「お姉ちゃん、ぼうっとしてどうしたの? 疲れちゃったの?」
統制員にの指示に倣い、列を出て役所に向かう最中、薫子の傍らから少女が心配そうに声をかけた。
「え、いや、なんでもないわ。大丈夫よ、元気いっぱいだから」
心配をかけさせまいと、薫子は微笑んで何事もなかったかのように“振る舞った”。
相手はまだ十にも満たない少女である。
細かい機微を読み取れるわけもなく、薫子の微笑に少女も笑って返した。
だがこの時、薫子の心中は激しく動揺していたといっていい。
(なんなの……この町は……)
薫子にしかわからぬ驚愕。
イーデンスタムや、他の者たちを襲ったものとはまるで違う衝撃。
それは彼女が特別だからこそ。
彼女の目に映るのは懐かしい瓦の屋根。
白い土壁や、その造りもどこかで見たことがある物ばかり。
しかし、決してこの世界で見た物ではない。
(これじゃあ、まるで――)
――日本ではないか。
そう薫子は思ったのである。
古風な日本の町並み。
もう何年も前の記憶にある、見知ったものがそこにはあったのだ。
薫子は驚きで思考の定まらぬままに、戸籍登録を受ける。
係の者からは名前、歳、家族構成を聞かれ、指紋を取られ、最後に町の住人になるかどうかを問われた。
それが終われば住所が書かれた布きれが与えられる。
孤児を二十人以上連れるという大家族であるために、孤児院として専用につくられた建物を与えてくれるのだそうだ。
キョロキョロと、信秀の姿を探したが、見当たらない。
係の者に、信秀について聞こうか迷ったが、結局それはしなかった。
自分は彼にとっての特別ではない。
今の状況を顧みたとき、己はただの避難民でしかないのだ。
「さあ、戸籍登録が終わった者はこちらへ」
戸籍登録を終えた薫子たちが、係の者の指示に従い外に出る。
そこには薫子たちの他にもたくさん人がいた。
「俺がお前たちの住む区画の長だ! 今から、お前たちをそこへ案内する!」
戸籍登録が終わった者が一か所に集められ、同区画の者が十分な人数になったら、その区画の長が連れていくのである。
ぞろぞろと一塊になって、町を歩く。
大通りを脇道から抜ければ、すぐに住宅街があった。
「凄い……これ全部……」
薫子は唖然とした。
大通りだけではない。
住宅街にも立派な日本家屋が並んでいたのだ。
薫子のみならず、皆、驚きの顔で歩いている。
「ここがお前たちの住む区画だ」
区長の言葉に一行は顔を驚かせた。
日本の諺ならば、キツネにつままれた表情だった、とでもいうべきか。
己が住むところだと言われた場所。そこにもやはり、他と変わらぬ立派な家々が並んでいたのであるからして。
「こ、これが俺たちの家……?」
「お父さん、俺たちこんなところに住めるの?」
ある家族が、貧困街に住んでいた自分たちがこんなところに住んでいいのかと、顔を見合わせる。
ある老人と子供を連れだった大家族も、ある母子家族も、薫子が面倒を見る孤児たちも、皆一様に顔を輝かせていた。
まずトイレなどの公共設備の説明やその他諸注意がなされた。
さらに、わからないことがあれば区長に聞くか、隣に住む者に聞けとのこと。
隣に住む者とは、以前より住んでいた者のこと。
この区画には既に人が住んでおり、その中に薫子たちは放り込まれたことになる。
これはこの区画が特別なのではなく、全区画がこのようになっている。
新参者ばかりを集めて独自のルールをつくられでもしたら堪らないという判断からだ。
区長の説明が終われば、住所通り各人家が与えられていく。
薫子たちの住む家は端にあったため、一番最後だ。
「お前たちの住む場所はここだ!」
とうとう最後の薫子たちの番となり、案内されたのは他の家よりも四倍はありそうな大きな屋敷であった。
「す、すげーー!」
「わ、わたしたち、本当にここに住んでいいの!?」
子どもたちがあまりの嬉しさに、興奮した声を発した。
行進の疲れなどどこかへ行ってしまったかのようである。
だがそんな中でも、唯一薫子だけは茫然としていた。
薫子は大きな屋敷に背を向けて、住宅街を眺めた。
己を日本の風景が囲み、されどそこに日本人はいない。
いびつ。
どこか幻のような気がして、これは夢なのではないかと薫子は感じた。
(私はどこにいるのだろう)
全てが夢。
どこからどこまでが?
最初から何もかもが夢で、目が覚めたら日本の自分の家にいるんじゃないか。
でも、すぐにそんなわけはないと思った。
(この世界で過ごしてきたものが、夢の一言で片付けられるはずがない)
されど目の前の景色に、遠き日本が思い起こされたのは事実。
不意に、父や母、弟の顔が薫子の脳裏をかすめた。
最近は、思い出すこともほとんどなかった家族の記憶。
薫子の感情は高ぶり、目頭が熱くなった。
しかし、目頭が熱くなった“だけ”でもあった。
そのことのほうが、薫子は悲しかった。
「お姉ちゃん? どこか痛いの?」
傍らの少女が心配そうに見つめてくる。
薫子は微かに滲んだ涙を拭ってから、少女の頭を優しく撫でた。
故郷を思うくらい、子どもたちのことも思っている。
いや、それ以上にもう――。
「大丈夫よ、大丈夫。ほら、家の中に行こっか」
そう言って、少女に手を差し出す薫子。
少女は小さな手で薫子の手を掴み、「うん!」と元気な声で返事をした。
――このように移民たちの戸籍登録作業は順調に進んでいく。
しかしイニティア王国軍が、もう目の前にまで迫っていることは、まだ誰も知らない。