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76.冬の訪れと春の始まり

 北の森の集落を支配下に治めたのが、秋の終わりの頃。

 秋が終われば、次にやって来るのは何か。

 この異世界に四季というものが存在しないのならばともかく、通常、秋の次にやって来るのは冬である。


 その日、【炬燵】で寝ていた俺は、ピピピというアラーム音で目を覚ました。

 意識のはっきりとしないまま頭上の時計を見てみれば、時刻は午前七時半。

 起きねばならない。

【炬燵】に潜り込ませた上半身をもぞもぞと這い出させる。

 まさにカタツムリが殻から体を出すがごとし。

 しかし――。


「さぶっ!」


 あまりの寒さに、俺は今一度体を【炬燵】に潜り込ませた。

 次いで炬燵の中から腕だけを伸ばし、机の上からリモコンを手に取って【エアコン】をつける。

 ぐうたらなどと思ってはいけない。

 仮にも領主という立場の俺が、寒さで体調を崩し、風邪でも引いたらどうするのか。

 そんな理論武装の下、部屋が温まるまで二度寝をしようと俺は瞼を閉じた。


 再び目が覚めたのは午前七時五十分。

 今日の午前中に予定はない。日本語の授業も午後からである。

 しかし、授業で使うプリントをつくらねばならない。


 俺は、決死の覚悟で【炬燵】の魔力から抜け出した。

 全く、【炬燵】というやつは魔物だ。

 異世界であっても、人を引き付けては決して離さず、その誘惑から抜け出すのはかくも難しい。いや、異世界であるからこそか。


 俺は朝の支度を済ませると、目覚ましに外の空気を吸おうと思い、綿がふんだんに入ったインナーの上から外套を着こんで家を出る。

 とはいえ、家の外はまだ【D型倉庫】の中である。

 この時、午前八時二十分。


「カトリーヌ、おはよう」


「グエ」


「昨日は寒くなかったか?」


「グエ」


「そうかへっちゃらか。カトリーヌは凄いな」


「グエ」


 カトリーヌと挨拶を交わし、よく語らった。

 腕時計を確認すると、時間は午前九時二十分。

 おっといけない、いつの間にか一時間も過ぎていた。時間が加速していたかのような感覚だ。

【炬燵】同様、カトリーヌも只者ではないな。

 最後にしっかりと彼女を撫でてから、俺は【D型倉庫】を出る。


 ドアを開けた瞬間、倉庫の中よりさらに冷たい外気が襲った。

 さらに俺の視界に飛び込んでくるものがある。

 それは一面の銀世界。

 そう、雪だ。

 昨日の内から雪が降っており、それが見事に積もっていたのである。

 といっても積雪量はそれほどでもなく、積もった雪の深さは、ふくらはぎにも満たないほどしかない。


 大地はどこもかしこも雪で覆われ、合掌造りの家々も頭に雪を載せている。

 急勾配の屋根から雪が落ちないのは、雪がそれほど積もっていないためだ。

 降水量が少ないためかどうかはわからないが、積雪量が少ないというのはありがたい。

 全身が埋まるほどの積雪などがあった場合は、【除雪車】の【購入】すら考えていた。


 それにしても、なかなかの寒さである。

 吐く息は白く、肌は刺すようだ。

 入り口横に掛けられた【温度計】を確認すれば、マイナス二度を示している。

 まだ冬も始まったばかりだというのに、この低気温。

 今後、冬が厳しくなった時、どれほど気温が下がるのかと今から不安になる。


 北の集落では火を絶やさぬようにして、冬を乗り切るのだという。

 獣人たちは頑丈であるが、エルフ族には寒さで体調を崩し、死んでしまった者もいたそうだ。

 彼らには、冬を満足に越せるだけの食糧と酒、さらにレイナから買い付けた十分な量の羊毛を既に送ってある。

 その時の受領者の代表は、族長衆の誰かではなくポリフだった。

 まだまだ、信用されてないということだろう。

 まあ、俺も彼らを信用しているとはいい難いので、お互い様であるが。


 そういえばと思い、俺は入口のすぐ隣の壁際に座り込んで、雪をどける。

 雪の下から出てきたのは、蓋がしてある木製コップに入ったワインと、一本のバナナ。


 王都の商人は、この土地の冬をワインも凍る寒さと評していた。

 果たしてワインが凍る寒さとはどれほどのものか。

 そう考えて、昨日のうちにワインを置いておいたのだ。一緒にあるバナナは、凍ったバナナで釘を打つという“あれ”である。


 どこか期待のようなものを秘めて、木製のコップから蓋を取ってみる。

 しかし、平然とワインは揺らいでいる。

 次にバナナを手に取って軽く力を込めれば、フニャリと柔らかい感触が返ってきた。

 バナナの皮を剥いて、実を口に含む。

 うむ、うまい。


 考えてみれば、まだ冬の始まりであるし、日もだいぶ昇ってしまっている。

 それに空気を含んだ雪の中というのは温かいと聞いたことがある。

 つまりこの実験は、もう少し冬が深まってから行うべきであろうとの結論に至った。


 バナナを平らげ、ワインを飲み干すと、俺の耳にキャッキャッという声が聞こえてきた。

 子供のものだ。

 そちらに視線を向ければ、【ニット帽】を被り、【マフラー】を首に巻き、【ダウンジャケット】を羽織って、手には【手袋】、足には【長靴】という出で立ちの子どもが二人、雪の上で遊んでいる。


 まるでここが異世界ではなく、日本であるかのような光景。

 しかし、違う。

 二人の被る【ニット帽】の下には狼の耳が隠れているし、片方はマフラーで口許を隠していても一目でわかるくらい、狼の顔をしている。

 なんのことはない、彼らの異世界に不釣り合いな衣服は、冬が来る前に俺が狼族たちに渡したものだ。


「ほら、はやくこいよ!」

「まってよー!」


 雪の上を駆けながら、子どもたちの大きな声が響く。

 寒いのに元気なものだ。

 子どもというものは、体は小さいのになんであんなに力に溢れているのか。


「あ、ふじわらさまー!」

「ふじわらさまー!」


 俺を見つけて子どもたちが、笑顔でブンブンと手を振ってくる。

 俺も軽く手を振り返すと、二人は顔を見合わせて笑い合い、再び遊びに戻った。

 なんにせよ平和だ。

 寒いはずなのに、なんだか心がぽかぽかしてくるような平和である。


 そのまま子どもたちを眺めていると、一番近くの家――ジハル族長の屋敷――からジハル族長本人が姿を現した。

 族長も、俺が渡した【ダウンジャケット】を着ている。

 はっきりいって、似合ってない。

 たとえるなら、戦国武将が現代の服を着ているような、そんなちぐはぐさを感じる。

 実にシュールな光景だ。


 ジハル族長はこちらに気付くと、ザックザックと雪に足跡を残しながら、こちらへやって来た。


「おはようございます、フジワラ様」


「おはようございます、ジハル族長」


 挨拶を交わし、まず俺が尋ねた。


「寒さはどうですか」


「今のところは大丈夫です。家の中は思ったより熱が籠ってますし、羊毛を詰めて作った服や布団はとても暖かいです」


 森の集落同様、町の者たちにもレイナから大量に買い付けた羊毛を配っている。

 この国は、ヒツジの飼育が盛んであり、特に南に隣接する地においては国でも有数の羊毛産地。

 寒い土地柄ゆえか、ヒツジの毛は長々と伸び、安価で良質な羊毛が手に入るのだ。


「これからどんどんと寒くなっていくでしょう。何か異常があったら、すぐに知らせてください。いよいよとなれば、皆をこの【D型倉庫】に避難させることも考えていますので」


「お気遣いありがとうございます。皆の体調については、しっかりと気を配るようにします」


 それからちょっとした世間話をして、ジハル族長は家に戻っていった。

 腕時計に視線を落とせば、時間は午前十時。

 本来の予定では朝の八時にプリント作成作業を開始しているはずなのだが、いつの間にか二時間も予定が遅れている。

 このままでは午後の授業に間に合わない。

 俺は、早急にプリント作成作業に取り掛からねば、と急いで家に戻った。


「それにしても、異世界でも時間に追われるような生活とは……」


【炬燵】に足を入れ、パソコンと向き合いながら、ぼそりと呟く。

 今の生活は、元の世界よりもはるかにのんびりとしたものである。しかし、かつての町でぐうたらを極め尽くしたせいか、少しでも時間に制限されると、俺の口からは途端に愚痴が出てしまうようになっていた。




 冬が過ぎれば、春がやってくる。

 我がフジワラ領も何事もなく冬を越すことができ、無事に春を迎えることとなった。

 多くの領民の生活を預かる身としては、非常に喜ばしいことだ。


 さて、現在俺がいるのは領内唯一の人間の村。

 領主の館にて、新たな村の労働者たちがやって来るのを日々待っているところであった。


 村では春になると、冬の間王都に出稼ぎに行っていた者が帰ってくる。

 しかし、この出稼ぎという言葉。

 便宜上、他に適切な呼び名がなかったため使ったが、これは何も金を稼ぎに行くという意味ではない。

 村の者たちはこの出稼ぎを『王都行き』と呼んでおり、その実態はいわば口減らしに近いものだ。


 王都に行っても労働力が溢れている以上、大した仕事はない。

 それでも、特に動きのない冬を村で過ごし、ただ食糧を減らすよりはマシ。

 少なくとも、王都ならばその日の食い扶持程度は得ることができるのだ。

 こういったわけで、出稼ぎではなく『王都行き』という言葉が使われているのだという。


 今年に限っては、村の税はジャガイモだけであり、『王都行き』の必要がないほどに食糧はあったのだが、それでも貧乏性とでもいうべきか、村民の何人かは王都へ向かった。

 そこでその者らには、元々村にいた者を探して連れて帰ってくるように伝えておいた。


 またレイナにも、王都にて貧困街に住む者を一時的な労働者として集めるように頼んでいる。

 本当ならば、村人の募集といきたいところではあるが、王都に住む者でそれを望む者はいないだろう。

 何せ、少し前までは領主すらいなかった寂れた村だ。

 王都で貧困に喘いでいようとも、村での生活よりはマシと考えるのが普通。

 そのために集めた者の待遇は、期間労働者となっているのだ。


 というわけで、領主の館にてミラたち護衛の狼族たちに日本語を教えていたところ、レイナや『王都行き』の者たちと共に労働者たちがやって来たとの報告を受けた。

 俺は早速村へと出かけ、村の広場に集められた労働者たちを、そっと物陰から覗く。


「おおい、飯が腹いっぱい食えると聞いたんだがまだか!」

「お前らどうしてもというからここに来たんだぞ!」


 綺麗とは口が裂けても言えない格好をした一団の中で、声高に食事を要求する者たちがいる。

 ううむ、態度があまり良くない。明らかにお客様気分だ。

 まあこの時期、北の僻地にまでやって来るような者に、まともな者がいるとも思えないが。


 春と秋は農繁期。

 王都では、各村々からやって来た者により労働者の取り合いが行われ、日頃貧困街でくすぶっている者たちも、この時ばかりは引く手数多になるという話である。

 つまり、今ここにいる者は、その取り合いで溢れた余りもの。

 何かしら問題を抱えていると判断すべきだろう。

 と思っていたら――。


「こら! バカ息子!」


「げぇ、親父!」


「勝手に村からいなくなって、ようやく帰ってきたと思ったら、この! この!」


 壮年の男が現れて、文句を言っていた若い男を息子と呼び、何度も殴りつけた。

 他の叫んでいた者たちにも、それぞれ親類と思われる村の者が駆け寄っている。

 どうやら態度が悪かったのは、いずれもこの村の出身者ばかりだったようだ。


 では、それ以外の者はなんであるか。

 レイナに尋ねたところ、甘い言葉に騙されたお人よし、との言葉が返ってきた。

 金は多くを支払うように言っている。こんな遠方へ呼ぶためにと破格の値を提示させてもらった。

 今思えば、普通の者なら信じないだろう。辺境の村にそんな金があるとは考えない。

 騙されてどこかに売られるのでは、という疑いが先に立つはずだ。

 しかし疑わず、馬鹿正直に信じたお人よし、それが彼らなのだという。


「さあさ、マレー村名物のジャガイモだよ。これからあんたたちが村で栽培していくものだ。たんと食べとくれ」


 広場の騒ぎが収まらない中、ホカホカとした湯気を立ち昇らせたジャガイモが、村の女衆によって運ばれて来る。

 漂う匂いは、物陰からでも涎を垂らしそうになるほど香ばしい。

 すると期間労働者たちは誘われるようにジャガイモへと手を伸ばし、口に入れ、括目した。


「こ、これは!」

「う、うめえぞ、これ!」


 その日、期間労働者たちの誰もがジャガイモに夢を見たことだろう。

 相当な馬鹿でもなければ、この村がこれからどれだけ発展していくのかが分かるはずだ。



 ドライアド王国は王都ドリスベン。

 その王城の一室では、白い長髭の蓄えた宰相イーデンスタムが執務席に座りながら密偵長より報告を受けていた。


「何? フジワラ領に人が流入しただと」


「はい、ポーロ商会の者がおよそ三倍の俸給で労働者を募っていたようです」


「さ、三倍……」


 イーデンスタムは、震撼した。ポーロ商会はどれだけ儲けているのか。

 火の車である国の財政と日夜戦っているイーデンスタムである。

 頭の中はいかにケチるかしか考えておらず、元値がどれだけ安かろうとも、標準の三倍の値を提示するポーロ商会の行いは正気の沙汰ではないとしか思えなかったのだ。


「やはりジャガイモなるものが胡椒だったか」


 イーデンスタムは納得するように呟いた。

 胡椒を自由に生産できるようになるということなら、その気前の良さも頷ける。

 胡椒の生産はまさに金の生産と同義であるからして。


「いえ。それがどうも、あのジャガイモ自体が食べ物だったようです」


「うん? では胡椒はどうした」


「さあ? フジワラ領で胡椒がつくられている気配はありません。

 領内にポーロ商会の支店をつくったようですが、領地を買いに来た時に城下町で胡椒を売却して以降、胡椒を取り扱ったという話は聞きませんね」


「つまり、何か? ポーロ商会はこの国で胡椒をつくらぬつもりか」


「おそらくは。しかし、あのジャガイモなるもの、味はかなりよいようです。収穫量も豊富であると忍ばせた者から報告が入っております」


「ふむ」


 イーデンスタムは席を立ち、自慢の白髭を赤子を扱うように優しく撫でながら、部屋の中を歩き回る。

 ポーロ商会について思いを巡らしているのだ。


(もしかすれば胡椒などではなく、ジャガイモという新作物をつくるために領地を買ったのか?)


 ありえる、とイーデンスタムは思った。

 この地を狙ったのは、胡椒戦略ではなく、ジャガイモ戦略のため。

 そもそもジャガイモとは何なのか。聞いたことのない作物である。

 他のどの国でも栽培されている様子はない。

 それをわざわざこの地で栽培する理由は何か。

 そこまで考えて、イーデンスタムはハッとした。


「ジャガイモはこの国原産の作物なのか……?」


 この地がジャガイモの栽培に適している。ポーロ商会はこの地でジャガイモを発見し、それを育てるために土地を買った。

 そう考えれば全てが付随するのだ。


 実際のところ全く見当違いの考えであるが、これに至った時、イーデンスタムは「ううむ」と唸った。

 イーデンスタムの中になんともいえない感情が湧きだしたのである。

 たとえば、己の土地に将来にわたって発見されることがなかった財宝。それが他人によって見つけられ、勝手に発見者の所有にされていたような感覚。

 見つからなければ幸せだったのに。誰かに見つかってしまった以上、独占欲が湧き、所有権を主張したくなる。

 そんな気持ち。


「ポーロ商会は、我々より我が国のことを知っている……いや、金の匂いに敏感、金目のものを見つけるのがうまいということか。

 おのれ卑しい商人め……! お前たちの好きにはさせんぞ……!」


「どうしますか? 我々もジャガイモを探しますか」


「ジャガイモの栽培方法は」


「種とする実を植えるだけで、あとは土を少しいじる必要があるみたいですが、難しいものではありません」


「ふむ、簡単なわけか。よし、胡椒のこともある。少しこちらから仕掛けてみるぞ」


 イーデンスタムは己の席につき、引き出しから羊皮紙を取り出すと、羽ペンでサラサラと何かを書いていく。

 やがて書き終えると、封をして密偵長に差し出した。


「これを、あのぱっとしない顔の領主のもとに届けるのだ」


 ぱっとしない顔の領主とは無論、信秀のことである。


「これは?」


「来月、この城の庭園で行う、女王主催の園遊会の招待状だ」


「ええ!?」


 密偵長が驚くのも無理はない。

 園遊会とは、はるか昔より行われてきた格式のある貴族ばかりが集う由緒正しきパーティー。各国からも相応の人物が賓客として招かれる。

 金で領地を買ったような、なんちゃって貴族が出席できるパーティーなどでは決してないのである。


「園遊会で全て吐き出してもらうぞ、ポーロ商会! はーははは! はーははははは!」


 狂ったように笑うイーデンスタムと、それにドン引きする密偵長。

 かくして園遊会は策謀の場となり、信秀を巻き込んでいくことになる。


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