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町をつくる能力!?〜異世界につくろう日本都市〜 作者:ルンパルンパ
75/108

75.幕間 小松菜芳樹 2

次回から、また本編に戻ります
 これまで小松菜が同郷の者を探したことはない。
 気がかりではあったし、今では将軍位などという大層な身分まで戴き、探そうと思えば容易に探すことができたであろう。
 しかしそれは躊躇われた。

 己をいじめていた相枝。
 もし彼に会ってしまったら、もし彼に己の存在を知られたら。
 そう考えると、今この場にある己がボロボロと剥がれるような気がしたのだ。

 意地だった。
 臆病なプライドともいうべき意地。
 自分がいじめられていたという恥ずかしい過去を、この世界の誰かに知られたくはない。
 だからこそ小松菜が同郷の者を探すことはなく、そのかいあって、これまで同郷の者と出会うこともなかった。

 しかし今、目の前にいる女性のような男性は、この大陸に住む誰よりも正しい発音で“小松菜”と言った。
 これは違和感だ。
 この国に住む者は皆、己のことをコマツナと呼ぶ。たまにコミャツナと呼ぶ者もいるくらいだ。
 だからこその違和感である。

(たまたまなのか?)

 この異世界で、初めて“小松菜”と呼んだ者。
 小松菜の心の奥底で、同郷の者ではないのか? という小さな疑念の灯火が点った。
 するとレアニスは、フフッとこちらの考えを見透かすように笑いかける。
 もしや、と思い、小松菜が口を開きかけた瞬間――。

「教えてくれませんか、あなたのいた世界のことを」

 初めはレアニスが何を言っているのかわからなった。だが、理解すればそれは途轍もない衝撃となって、小松菜は卒倒しかけた。
 世界。世界と言ったのだ、この男は。
 国ではない、世界と。

「お、同じ世界の人間なのか……?」

『その答えはイエスともいえるし、ノーともいえます』

 返ってきた言葉は日本語、おまけに簡単な英語も混じっている。
 このさらなる衝撃に小松菜は思考を停止させ、レアニスの返答がどんな意味を持っているかについては、全く理解が及んでいない。
 レアニスは言葉を大陸のものに戻して言った。

「場所を変えましょうか」

 小松菜に是非はない。いまだ覚めぬ驚きの中で頷くだけだ。
 子どもたちの惜しむ声にも、「また来月にたくさんの果物を持ってくるから」と言い聞かせて、小松菜はレアニスと共に孤児院を後にした。

 特に会話もなく、レアニスの足に合わせて、隣を歩く。
 道を行けば、町の人からはレアニスに向かって挨拶が交わされた。彼は、なかなか人気のようだ。
 もちろん小松菜も過去の経験と左将軍という立場から何度か声が掛けられており、その度に笑顔を返している。

 結構な距離をレアニスについて進んだ。
 やがてたどり着いたのは高級住宅街にある大きな屋敷である。

「ここは確か……」

 門の前まで来れば、その屋敷には覚えがあった。
 門を守る衛兵がレアニスの顔を確認し、次いで小松菜の顔を見て、ギョッとする。

「これは左将軍様!」

 たかが門兵であろうとも、その顔を知らないわけがない。
 なぜならそこは小松菜と同じ位を戴く前将軍の屋敷であるからだ。

「この方は私の知り合いです。お通ししてもらえますか」

「はっ、わかりました」

 レアニスの一言で門を通された。
 小松菜は「なるほど、前将軍の身内か」とも思ったが、レアニスような者がいるなど聞いたこともない。
 前将軍とはそれなりに親交あるので、レアニスのような身内がいれば耳に挟むはずだ。

 ならば客人か。
 しかし、前将軍の客人ともなれば相応に身分の高い者であろう。
 そんな者が何故場末の孤児院などにいたのか、町の者たちと触れ合いはなんなのか、疑問は尽きない。
 結局小松菜は、何か訳ありだろうと結論づけ、それ以上は難しそうな話になるので考えないようにした。

「さ、こちらです」

 屋敷の中に入っても、勝手知ったるなんとやらとでもいうように、レアニスの歩みに惑いはない。
 すれ違う使用人にも馴れ馴れしく挨拶を交わしていた。
 小松菜は部屋に案内され、そこにお茶が運ばれて来る。
 レアニスは「誰も部屋に入れないように」と口添えして、給仕の者を返した。

 小松菜は小さな丸テーブルを挟み、レアニスと向かい合って座っている。
 視線が合えば口元を緩ませるレアニス。
 レアニスを女性と勘違いしていた時は、小松菜も彼に対し美しいという感想しか持っていなかった。しかし、男だという情報を得ると、その見方も変わってくるというものだ。
 レアニスの瞳には、妖しげで吸い込まれそうな魔力があった。
 そんな視線から逃げるように、小松菜はテーブルの上のカップを手に取って口をつける。
 舌の上に広がるのは、芳醇な紅茶の味。

(うまい……)

 小松菜はカップを置くと、その美味しさを頷くことで示した。
 喉が潤ったことで緊張も解け、再びレアニスとの視線が交錯する。
 場面は整った。
 いよいよだと小松菜は身構え、レアニスがゆっくりとその口を開いた。

「私の中には日本人の記憶があるのです」

 レアニスの告白。
 やはりと小松菜は思いつつ、しかし同時に、おかしいなとも思った。
 日本人の記憶がある、とは妙な言い回しである。 

(日本人の記憶があるのなら日本人じゃないのか? それならなんで、日本人ですと言わない)

 小松菜は首を傾ける。
 だが、待てよと小松菜はさらに深くまで考えを巡らせた。

(こんな外国人みたいな人があの電車の中にいただろうか)

 レアニスは、あまりに美人である。
 別の車両に乗っていたとも考えられるが、あの白い空間で相枝に見つからないようにと周囲に気を配った時、レアニスはいなかったはずだ。

(いや、そもそもレアニスってなんなんだ)

 特徴的な西欧人の顔に、レアニスという名前。けれど、濁りのない日本語を話すことができる。
 それは、決して合わさることがないパズルを無理やりつなげたような感覚だ。

 小松菜は何かを口にしようとして、しかし言葉が浮かばず、口を金魚のようにパクパクとさせた。
 レアニスは微笑みながら、小松菜の様子を眺めている。
 まるで小松菜の反応を楽しんでるかのように。
 やがてレアニスは、答え合わせをするがごとく言う。

「まずは出自から。生まれは大陸の東、ラシア教の総本山エルドラド教国。
 名は、レアニス・ラファエロ・エン・ブリューム。
 前ラシア教教皇の次男であり、現ラシア教教皇エヴァンス・ホルト・エン・ブリュームの弟に当たります」

「ええ!?」

 ブリューム姓。大陸に住む者ならば誰もが知る、最も神聖とされる姓名である。
 まさか教皇の血族だったとはつゆ知らず、小松菜は驚愕した。
 レアニスはさらに言う。

「日本人の記憶があると言ったのは、あくまでも私はこの世界に生まれたレアニスという存在であり、神から【教皇になる】のカードを受け取った日本人ではないということです」

 これまた衝撃の発言である。
 なんとレアニスは日本人ではないというのだ。
 それなのに日本人の記憶を持っているとはどういうことなのか。

(【教皇になる】というカードを受け取ったとレアニスは言った。ということは教皇となるべき人間に日本人が乗り移った? いや、それなら記憶があるなんてまどろっこしい言い方なんてしないんじゃないのか?
 レアニスの言い方だと、まるでこの世界の人間が日本人の記憶を得たように――つまり日本人の意思はどこにもないように聞こえる。いやでも……ああ、もうよくわからん!)

 混乱する小松菜。
 こういった時、素直に尋ねるのが小松菜という男だ。

「すいません。ちょっと……いや、全く意味がわからないんですが」

「ええ、詳しく説明しましょう。何故私が日本人の記憶を持つのか、そして何故私がここにいるのかを」




 レアニスは語る。
 前教皇の時代、ラシア教国の宮殿にて食事に含まれていた毒を飲み、レアニスの心臓は確かに止まった。
 そして、そこに乗り移った日本人の魂。
 だが神のいたずらか、日本人の魂がレアニスの体に入り込む直前に、レアニスの心臓は再び動き出していた。

「別の者の意識を感じました。相手もまた私の意識を感じていたことでしょう」

 一つの体に二人の魂。
 意識は反発しあい、やがて片方が記憶だけを残して消えていった。
 レアニスの体に乗り移るはずであった日本人の魂は、もうどこにもないのである。

「私はレアニスです。それは間違いありません。ですが、私の中には日本人として生きた記憶もあるのです」

 毒によってレアニスを殺そうとしたのは、兄のエヴァンスであった。
 レアニスは次男であったが、兄より優秀であったがために殺されかけたのだ。

「兄が私を狙っていることを感づいていました。しかし受け入れようと思ったのです。兄の傲慢はただの強がりで、本当は臆病なだけだと知っていたから」

 だが、図らずしもレアニスは生き残ってしまった。
 レアニスの中に別世界の――日本の記憶を残して。

「私は思いました。これは神の啓示である、と」

 事実、日本人であった者の記憶には、神と出会いこの世界に来たという過去がある。
 これが神の啓示でなくてなんというのか。
 加えて、レアニスが記憶を覗けば覗くほど、いかに日本という国が素晴らしかったかがわかった。

 確かに日本にも幾つか欠点はある。
 しかし、この大陸と比べればそんなものは重箱の隅をつつくようなもの。
 生活・文化・思想・教育に至るまで、何もかもがこの大陸より優れていた。

「この大陸には苦しみが多すぎる。今こうしている間にもどこかで誰かが飢えて死に、いわれなき罪を被せられて殺され、未来に悲観し自ずからその命を絶っている。
 私はこの大陸を日本のようにしたい。誰もが飢えることなく、平穏に笑って暮らせる世界を。
 日本という世界を知ってしまった以上、目指さずにはいられないのです」




 長い長いレアニスの独白が終わった。
 喉を潤すためであろう、レアニスはカップに口をつけ、小松菜もつられるように紅茶を飲む。
 カップが置かれると、再びレアニスは口を開き、今度は現状を説明した。
 レアニスはエルドラド教国を抜け出して、今はこの国の王の庇護にあるのだという。
 レアニスのことを知るのは国王とほんのわずかな側近のみ。そのわずかな側近の一人が前将軍というわけだ。

「何故エルドラド教国に留まらなかったのですか? 【教皇になる】というカードがあるのなら、留まればあなたは教皇になれたのでは?
 あなたが教皇になれば、大陸を日本のようにするという願いも、簡単に叶うような気がするのですが」

「ええ、私もそう思いました。しかし、思った時には既に遅かったのです。私が寝込んでいた間、正確には日本人の魂と意思の奪い合いをしていた四日間に、父は死に、教皇の座は兄のものになってしまいました。
 もし、私の意思が存在せず、円滑に日本人が私の体を手に入れていたならば、私に成り代わった日本人が教皇の座に就いていたことでしょう。
 兄が毒を盛ったことは少し考えればわかること。私が奇跡の復活を果たしたなら、父が今後の私の身の安全を考え、すぐにでも私に位を禅譲したであろうことは、容易に想像ができることです。
 しかし今回、四日という時間は兄を凶行に走らせるには十分だった。意識不明の私。死ねばよいが、もし助かればどうなるか。兄は悩み、そして行動に移した。同じ者に二度毒を盛ることはできない。ならばと、標的を父へと変えたのです。
 父が死ねば、残されたのは兄と意識不明の私のみ。どちらが教皇の座にふさわしいかは明らかでしょう。要するに【教皇になる】のカードは、あくまで私に乗り移ろうとした日本人の物であり、私には何の恩恵も及ぼさない物だった、ということですね」

 ううむ、なるほどと小松菜は難しい顔で頷いた。
 正直、彼の頭はかなりいっぱいいっぱいである。

「では、あの孤児院にあなたがいたのは?」

「あなたに近づくために、あの孤児院に出入りしていました。左将軍、小松菜」

 レアニスは真っすぐに小松菜の目を見ていた。
 決して嘘をつかないという、真摯な気持ちが見て取れる。
 己に会うためだけ、本当にそうだろうか。
 孤児院の子供たちの反応、町の人たちの反応。
 あれらを見れば、レアニスがこの町でどんな生活を送って生きたかわかりそうなものだ。

「この地にきて真っ先にしたことが、日本人を探すことです。他の土地でも探したかったのですが、生憎と国王から行動に制限がかけられている身。贅沢は言えません。
 そして私はあなたを見つけた。
 小松菜。私はこの大陸を救いたい。しかし、今の私はあまりに無力。だからあなたにお願いしたいのです。どうか……どうか、あなたの力を貸してください」

 そう言って、レアニスは頭を下げた。
 小松菜は、どうしたものかと考える。
 しかしすぐには答えが出せなかった。
 急な話ということもあったが、何よりも話が壮大すぎた。
 大陸を日本のようにするなど、そんな大それたことを自分ができるとは思わなかったのだ。
 されど断るには、レアニスの志はあまりにも誠実で立派すぎる。

「……考える時間を下さい」

 小松菜は答えを保留して、後は雑談とお茶を楽しんだ。

 それから、たびたびレアニスとは交流をもった。
 孤児院で共に子どもたちと遊び、町を見回っては共に困った人を助ける。
 わかったことは、レアニスが己と会う前からずっと同じようなことをしていたということだ。
 彼の着ている服がいつもよれよれの修道服なのは、彼に与えられた高貴な服は全て売り払ってしまい、貧困にあえいでいる人のために使ったからである。
 仕事のない者には共に仕事を探し、町の者が病気にかからぬように清潔がいかに大事かを説き、自らが率先して町を綺麗にしていた。
 レアニスが町の人気者であったのはそういう理由だったのだ。

 ふと、兄である現教皇に見つからないように隠れていなくていいのか、と思い尋ねると、その心配はないとレアニスは言う。

「この遠い西の地で行動する分には、大丈夫でしょう。
 既に教皇の座に就いた兄にとって、私など路傍の石ころと同じ。敵ですらありません。かつての臆病だった兄とは違い、今では絶大な権力を背景にして絶対の自信をもっているのですから。
 いえ、むしろ昔の恥を雪ごうと、私が反乱を起こすのを望んでいるかもしれません。
 自己顕示欲が強い方ですからね。無力な私を踏みつぶしても、何も満たされないでしょう。
 まあもっとも、私が明らかに目に付く行動をとったのなら話は別ですが。
 ――たとえば、エヴァンス教皇の糞馬鹿野郎と触れ回るとか」

 ふふふ、とおどけて見せるレアニス。
 結構お茶目なところもあるんだな、と小松菜は思った。

 小松菜がレアニスと出会ってから、一年二年と過ぎていく。
 月日と共に職務に慣れて休みが多くとれるようになると、レアニスとの付き合いも増えていった。
 二人を知る者からは、その関係を怪しまれたりしたが、残念ながらどちらもノン気である。

 だが、二人の関係が弱いものであるかというと、そうではない。
 特に小松菜の心境はこの数年で大きく変化していた。
 レアニスの清廉さは、小松菜の若さゆえの正義感というものに火をつけていたのだ。

 元々、小松菜は虐げられていた人間である。
 日本にいた頃は「何故、こんなに蔑ろにされるのか」とよく考えていた。
 その反動からか、力を手にした小松菜の正義は途轍もなく強大だ。

 尊敬。
 小松菜にとってレアニスは、初めて出会った尊敬に足る人物といってもよかった。
 小松菜はこれまで生きてきて、一度も尊敬した人間なんていない。

 親は、己をできの悪い子としか見ていなかった。
 子を産んだ責任から、ただ義務のように親を演じていただけ。
 臆病な小松菜は人の機微にだけは敏感だったから、それがよくわかった。
 そんな者を尊敬できるはずもない。

 同級生も、教師も、テレビに映るスポーツ選手や、国を動かす政治家、さらに歴史上の人物に至るまで、尊敬に値する者はいなかった。誰も己を救ってくれなかったからだ。
 あの世界は小松菜にとって何もかもが灰色だった。

 ではこの世界ではどうか。
 この世界に来てからは、小松菜のありようは一変した。己の能力を褒め囃された。
 しかし、心から尊敬するような人間にはまだ会っていない。
 そこに綺羅星のように現れた男、レアニス。
 これはレアニスと共に孤児院で子どもたちの面倒を見ていた時の言葉だ。

「小松菜は優しいね。君の最も優れた部分は人並外れた力なんかじゃなく、誰よりも優しいその心だよ」

 それは間違いだと小松菜は思った。己程度の優しさなど、日本ならば掃いて捨てるほどいるだろう。
 なぜなら、そういった社会の中で育ち、そういう風に教育されたのだから。
 だが、このレアニスは違う。
 この大陸にある身分高き者の中で、下々の者にまで気を配れる人間は少ない。
 彼ともし日本で会っていたなら、必ず助けてくれただろうという確信が小松菜にはあった。
 それだけの優しさがレアニスにはあったのである。

(本当に優しいのはあなただよ、レアニス)

 気恥ずかしさから、小松菜はその言葉を口にすることはできなかった。
 しかし心の中では、この人の役に立ちたいと思い始めていた。
 小松菜は自分が立派な人間でないことを知っている。
 ならば、立派な人間のもとで、立派なことをする手伝いをしたい。
 レアニスと憂いを共にしたい。
 そんな思いが胸に宿り、小松菜は血潮が熱くなるのを感じていたのだ。



 早春の空ははるか水平線まで澄み渡り、ただ一つの雲もない。
 道角の花壇では、おっちょこちょいのチューリップが他の蕾たちに先んじて花を咲かせ、人々の頬を綻ばせていた。
 小松菜は、その日もレアニスと共に町を見回っていたところである。

「暖かくなってきたね、芳樹。日本では桜が咲く季節だ。私自身は見たことがないけれど、その記憶はおぼろげながらも残っているよ」

「ヨーロッパには桜なんてないですもんね。あ、でもここはヨーロッパと違うか」

「桜も素敵だが、この国にも負けず劣らずの大樹がある。それを見に行こうか」

 連れられて来た場所は聖なる森と呼ばれる場所。立ち入り禁止区域であり、小松菜は入ったことがない。
 レアニス曰く、王からの許可は得ているとのこと。

「うわあ」

 森の小道の終着点で小松菜は感嘆の声を上げた。
 その大樹は一言で言って巨大。その幹はあまりに太く、人が百人集まってようやく囲めるのではないだというほど。
 一体何百年、いや何千年この大樹はここにあるのか。
 地面からところどころに突き出た根ですら、小松菜よりもはるかに大きいのだ。
 人間が、いかにちっぽけな存在であるかがわかるというものであろう。

 耳をすませば、大樹から鳥のさえずりや虫の音が聞こえる。苔がびっしりと生えた大樹をよく見れば、幹からは別の木が育っている。
 ここには数限りない生命がある。
 この大樹は命を育む巨大な大地である、なんていうきどった感想が小松菜の脳裏に浮かんだ。

「大陸を生きる人々にこの身を尽くしたい。それこそが運命だと思う」

 レアニスが口にした不意の言葉。
 小松菜が顔を横に向けると、大樹を見つめるレアニスの瞳はどこまでも真剣だった。
 レアニスは重ねて言う。

「この大陸を私は統一するよ。そのためには多くの人たちが犠牲になる。私はきっと地獄に行くだろう」

 そう言いながらも、その横顔に悲嘆の色はない。
 レアニスが小松菜に正対し、その瞳はしっかりと小松菜の瞳にぶつけられた。

「芳樹、あの日の返事を欲しい。私と共に地獄へとついてきてくれないか?」

「なぜ僕と」

「前将軍は私に対し、権力という打算を持っている。陛下は老齢ゆえに、死後を思っての打算がある」

 前将軍はレアニスこそが教皇にふさわしいと思い、レアニスに大乱の芽と功名の機会を見ていた。
 老王もまたレアニスこそが教皇にふさわしいと思い、レアニスを教皇の座につけることこそが神への奉公だと考えていた。
 どちらの考えも、小松菜が以前より知るところである。

「でも君は違う。君は誰かのために……人々のために、行動ができる男だ。私は誰よりも君と同道したい。私には君が必要なんだ」

 その言葉は、小松菜の胸に染み込むようであった。
 嬉しかったのだ。今まで受けたどんな賛辞よりも。

「もう一度聞くよ。私と共に同じ夢を見てくれないか」

 言われずとも、小松菜の考えはもうずっと前から決まっている。

「――地獄の果てまでも」

 今日の空のごとく、ただ一点の曇りもない声で小松菜はレアニスに答えたのだ。
 レアニスの瞳はホッとしたように柔らかくなり、小松菜の目も細まった。

「この大樹に誓いを立てよう。復唱してくれ」

 それに小松菜は頷き、二つの澄んだ声が聖なる森に響く。

≪ここに誓う。我ら一心同体。たとえ死すとも、命は共にありて、その者の遺志を継いで必ずやことを完遂せん≫

 すると二人の目の前を大きな花びらがよぎり、小松菜は誘われるように空を見上げた。
 しかし、花はどこにも見えない。
 空を向いたままの小松菜の耳に、隣のレアニスから声が聞こえる。

「これは珍しい。この大樹に花など咲かないと思っていたけど、どこかで咲いているのかな。
 ふふ、そうか。大樹も花開き、私たちのことを祝福してくれるのか」

 いつもの上品な笑いではない。レアニスは大きな口を開けてハハハと、本当に嬉しそうに笑った。
 少しして、ひとしきり笑い終えたレアニスがいつもの笑みを浮かべて言う。

「私が死んだらその意思は君が継いでくれ」

 先ほどの誓いにも、同じ文言があった。
 しかし小松菜は、曖昧に微笑みだけを返すだけだ。

(あなたが死ぬなんてありえない。だってあなたは僕が命を懸けて守るから)

 小松菜の心には、もう一つの誓いがあった。

 ――翌日より、イニティア王国はひっそりと、かつ本格的な軍備の増強に取り掛かった。これはドライアド王国にて藤原信秀が己の領地を平定する二年前の話である。
+注意+
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