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71.北の集落 1

 フジワラ領の北の領境をまたぐように広がった巨大な森の中に、いくつかの集落があった。

 そこに住む者は、人間から逃げ隠れるようにしてこの地にやって来たエルフや獣人たちである。

 彼らはいうなれば弱者であり、常に外敵の存在には警戒をし、その日も森の入り口に見張りを立てていた。


「なんだ? 遠くに動くものが二つあるぞ?」


 二人の見張りのエルフ。その内の一方――年長の青年が、はるか遠くに動くものを見つけた。

 野生動物だろうか。

 そんなことを考えながら青年エルフは、少年といって差し支えないもう一人の見張りのエルフと一緒になって手を額にかざし、目を凝らす。

 二つの動くものはゆっくりと森へ近づいており、しばらくののちに青年エルフの瞳がその全貌を捉えた。


「馬だ! 人間だ!」


 青年エルフは焦るような声で言った。

 動くものの正体は馬、加えて馬の背には二つの影が見えたのだ。

 その姿こそまだ遠く、ぼんやりとしか目視できていないが、南へ人間と取引に行ったエルフは馬など連れていない。

 人間と判断するのが、妥当である。


「早く族長に伝えに行け!」


「は、はい!」


 少年エルフを己の集落へと報告に行かせると、青年エルフは藪の陰にしゃがみ、息を潜めて正面からやって来る二騎の様子を窺った。

 騎乗者は馬を駆けさせてはおらず、その足並みは遅い。時間をかけてこちらに近づいてくる。

 やがて青年エルフは、馬の背にある者の姿を明確に認識した。


「うん? あの耳は……?」


 己と同じ長い耳をした者。

 騎乗者の一方がエルフであると理解した時、その面も明らかになった。


「――っ!? ポリフか!」


 片方の騎乗者はエルフ族の族長の息子であり、小隊を率いて村へと向かったポリフ。

 だとするならば、もう一方は? と青年エルフは目を細める。

 頭頂部に見える二つの耳。

 もう一方の騎乗者は獣人である。


「くそ、驚かせやがって」


 文句を言いつつも、その顔には笑みがある。

 口にした文句は戯れにすぎず、人間でなくてよかったという感情が、青年エルフの脳裏を支配していたのだ。


 もう姿を隠す必要もないだろうと、青年エルフは無遠慮に立ち上がった。

 身を乗り出して、今一度正面から来る二人を見てみれば、どちらも揺らぐことなく馬に跨っている。

 小隊はどうしたのかとか、ポリフの隣の獣人はなんなのかとか、疑問は幾らでもあったが、とりあえず二人に関していえば体は無事なようであり、青年エルフはホッと息をついた。


 しかし、仲間であるというのなら、今度は青年エルフ個人に問題が発生する。

 早計にも、もう一人の見張りに、人間が来たという誤報を伝えに行かせてしまった。

 エルフの集落からは、また別の集落へと伝令が出されるだろう。

 話は段々と大きくなっていくのだ。

 青年エルフは、これはやってしまったと思い、己の早とちりを怒られる未来を予想して、困った顔になった。

 ――と、その時である。


「何をしている、早く身を隠せ」


 背後から聞こえたのは、音量を抑えながらも、しかし芯のある声。エルフ族の族長のものだ。

 もう来たのか、と振り向けば、そこにいた何人かのエルフたちは万端とばかりに武装している。


「いや、それがですね……」


 青年エルフは事情を説明した。

 族長は一瞬、眉を吊り上げたが、すぐにその眉尻を下して言う。


「何事もないことが最善だ。むしろ、顔もわからぬうちに発見できたのはお前が真面目に務めを果たしていたからであり、褒めるべきところだ。皆の気も引き締まった。いい訓練になったことだろう」


 怒られると思っていたのが逆に褒められて、青年エルフはこそばゆい面持ちになった。




「おおい!」「おおい!」


 武器を手にしたエルフたちが、森に向かってくる二騎に向かって大きな声で呼びかける。

 馬が近づけば近づくほどに、乗る者の姿は鮮明になった。


 ポリフの隣に並ぶ獣人は、耳の形からいって狼族。

 普通に考えれば、その者はエルフと同じく居をこの森に置いている者であろう。

 しかし、すぐそこにまで馬がやって来ると、「あんな奴、狼族にいたかな」と皆は口々に言った。


 その狼族、顔に皺を刻むほどに老齢でありながらも、身体は一見してわかるほどに逞しく、風格がある。

 よく見れば、身につけている衣装も上等な物だ。

 この地に住む者は大抵痩せている。身につけている衣服も、決して上等な物などではない。

 ならば人間の変装か? とも考えたが、それならば隣にいるポリフの存在が解せない。

 皆は、うーんと頭を悩ませる。

 そのうちに、ポリフと謎の狼族は馬の足を速めて、エルフたちの真ん前までやって来た。


「父上、ただ今戻りました。取引は成功です。他の者たちは、のちほど到着します」


「うむ、聞きたいことは山ほどあるのだが、まずは……」


 馬を下りて、帰還の報告をするポリフ。

 しかしエルフの族長は、息子の無事にも顔をほころばせることもなく、その瞳をポリフと同時に馬を下りていた見知らぬ狼族へと向けた。


「失礼だが、お主は何者だ? 狼族の中でお主のような者は見たことがないのだが」


 その質問に、ポリフが横から答えようとしたのだが、それを手で制したのは狼族自身。

 狼族はエルフたちに囲まれようとも、一切気後れした様子も見せず名乗った。


「わしはジハルという。この森に住む狼族とは異なる部族、南に居を構える狼族の族長だ。

 このたびは、ポリフ殿たちが集落へと帰る途中に会ってな。皆には我が村で一日休んでもらい、その際に色々と話を聞いたのだ。そして、他の種族がいるということで、いてもたってもいられず、ポリフ殿に無理を言い、先行してここに来たわけよ」


 これに「おお」と一同は騒めき、顔に喜色の色を浮かべた。

 新たな仲間の存在。

 仲間が増えるということは、人間でない者たちが集まった共同体がまた一つ強くなるということだ。

 おまけに目の前の狼族は、その恰好を見る限り困窮などとは程遠い生活をしているようである。

 森に住まう者たちの現状は、家畜すら足りず、日々を貧しく過ごしている有様。

 こちらから援助をする必要もない裕福そうな獣人というのは、森に住む者たちにとって、願ってもない相手であった。


「それは、なんと素晴らしいことか。おっと、紹介が遅れてしまったな。私はエルフ族の長をしている者だ」


 エルフの族長も名乗り、加えて周囲の者に命じる。


「おい、すぐに行って各部族のもとに先ほどの伝令は間違いであったと伝えに行け。やって来たのは新たな仲間、住まいを別にする狼族の族長だとな。ついでに顔見せだと言って、族長たちだけを集落に呼んで来い」


 その命に、二人のエルフが駆けていった。

 エルフの族長は再びジハルに向かって言う。


「歓迎しよう、しかし生憎と我が地は貧しい。恥ずかしいことであるが、お主を家に招くことはできても、もてなすことはできん」


「聞いておる。肉と酒をこちらで用意させてもらった。上等なものだ。人間たちが飲む酒よりもうまいぞ」


 ニヤリと口角を持ち上げてジハルは言った。

 ポリフとジハルが乗ってきた二頭の馬の両脇には、荷物が吊るされている。


「おおお……っ!」


 皆は、予想もしていなかったごちそうの存在に色めきたった。

 特に興味を引いたのは酒だ。


 この地を流れる水は硬水という飲料に向かない水でありながらも、エルフや獣人たちは率先して酒を造ることはしていない。

 獣人は硬水であっても飲めるし、エルフこそ人間のように硬水を受け付けないが、彼らには水をつくり出す魔法があるからだ。


 もちろん酒は皆大好きであった。しかし、必要がないものを、一族を上げて造る余裕はない。

 彼らにとって酒とは、各家庭ごと気まぐれに摘んだキイチゴや桑の実を漬けてできた、質の悪い少量の酒を楽しむぐらいがせいぜい。

 つまり、質が悪くとも量が少ないために贅沢品となっているのが酒なのだ。


 ところが、ジハルが持ってきた酒は、人間が飲めないほどの上物だという。

 さすがにそれを真に受けるつもりはない。だが、それなりにうまい酒なのだろうという期待はあった。

 各人は味わってもいない内から、口の中に酒の芳醇さを想像し、あふれた唾液をごくりと飲み込んだ。

 それは下々の者に限ったことではなく、エルフの族長も同様である。


「う、うむ、そうか。それはありがたい。各部族から族長たちが来ることだろう。お主を我が家へ招こうぞ」


 エルフの族長は、ぷくりと鼻の穴を膨らませながら、ジハルを集落へと誘った。


 森の中、道なき道を少し行ったところに、エルフの集落はある。

 元々は木が鬱蒼と茂っていたのだろう。ところどころには切り株が残り、木々の代わりにできの悪い家が建ち並ぶこの大きく開けた土地は、人工的につくられたのだということがよくわかる。


 少しこの集落の成り立ちについて説明しよう。

 集落をつくるにあっては、やはり最初が一番大変だったといえる。

 エルフたちの手元にあったのは自衛のための弓と剣。それにわずかな食糧だけ。

 住む家もなく、このままでは飢えるのが先か、凍えるのが先かという状況。

 エルフたちは、すぐさま生きるための環境を整えなければならなかった。

 しかしそこは、魔法に長けたエルフである。

 幸いにも金の魔法を扱う者がおり、その者が鉄を生み出して斧をつくり、エルフたちは木を切り倒して家を建て始めた。


 そんな頃、エルフたちの他にも人間でない種族が続々と森にやって来た。

 この巨大な森は身を隠すのにはちょうど良く、人間から逃げてきた者たちが集まるのは自明の理であるといっていいだろう。

 敵は人間。これは森に来た誰しもが心の内に持っていた共通の考えだ。

 なればこそ、各種族は手と手を取り合って協力した。

 狼族は狩りに優れていたし、豚族と牛族の力は容易に木を切り倒す。蜥蜴族は魚を捕るのがうまかったし、鼠族はなんでも食べることができるため、他の部族が消費する半分の量の食糧でよく働くことができた。

 こうして家は次々に建てられ、畑ができ、少ないながらも家畜を飼うことになり、そして現在に至ったのである。


 閑話休題。


 一行が集落内をぞろぞろと歩けば、建ち並んだ家々からエルフの女たちが、そっと顔を覗かせる。

 女たちは、年端もいかぬ幼女から顔に線の入った老女に至るまで、皆等しく美しい。

 しばらく歩いて、集落の奥にある一軒家。そこが目的地である族長の家。

 しかし族長の家とはいえども、他と変わらない粗末な家である。


「では、お前たちは帰っていいぞ」


 エルフの族長がここまで共にいたエルフたちへ、無慈悲に告げた。


「え」


 愕然。魂の抜け落ちたような声が、誰かの口から聞こえた。

 粗末な家に大人数は入ることができないし、この後、それぞれ部族の族長も来るということは、皆もよく理解していることである。


 されど、肉はともかくも酒の一口くらいは、と誰もが思っていた。

 わざわざ武器を携えて戦おうと出てきたのだ。

 多くの者が出払っている中で、人間に相対するために武器をとることは、なかなか勇気がいる。

 それゆえに、目の前に酒と肉があるのなら、何かしらのご褒美的なものを期待してもいいのではないか、というのが皆の統一された思いであった。


「お前たちの考えていることはわからんでもない。だが、ここは堪えてくれ」


 エルフの族長は自らも何かに堪えるよう、重苦しい声で言った。

 客人を家に招きつつも、何も振る舞うことはできず、相手の手土産に頼らなければならないことは、まさに恥である。

 エルフの族長自身、本当はジハルの手土産をこの場で分け合いたいところではあったが、そうもいかない。

 一族を率いる長として、これ以上の無様は見せられないのだ。


 皆は、エルフの族長の表情、その言葉を、見て聞いた。

 ならば後はもう、目を地面に落として、渋々と帰る以外に道はなかったのである。




 そう時もかからずに――厳密には、ジハルが持ってきた飲食物を中に入れて酒宴の用意をしている最中に、各部族の族長たちはどやどやとやって来た。


「エルフの! 皆、参ったぞ!」


 表から聞こえる太鼓を鳴らすような腹に響く大きな声は、牛族の族長のもの。

 エルフの族長は、せっかくのごちそうを前に埃を立てられては敵わぬと、ポリフ、ジハルを連れて外に出た。


 瞬間、外にいた族長たちのうち豚族の族長が、右手に持った槍の柄尻を地面に強く突き立てる。 

 威嚇。

 されど地面は土であり、ドスリと鈍く低い音が鳴っただけに留まって、もっと大きな音を期待していた豚族の族長は顔をほんのり赤らめた。


 武器を持っていたのは、豚族の族長だけではない。族長全員、各々自慢の武器を手にしている。

 人間が来たという急報に、装備をまとい仲間を連れて駆けつける途上、族長たちはさらなる伝令から敵がいないと聞かされた。

 にもかかわらず、彼らが戦装束のままここに来たのは、立派ないでたちだというジハルに対し、こちらもせめて武器を手にして威を誇ろうという心積もりがあったからだ。

 だが、これは逆に自らを憐れむ結果となる。


「ここより南に住まう狼族の族長、名をジハルという。よろしく頼む」


 ジハルが話す言葉は快活にして明瞭。双眸は曇りなく族長らの瞳を左から順に見つめ、背はそれほど高いというわけではないのに、そのたたずまいは巨木を想起させた。

 武器を手にする者たちを前にして無手であるジハルが見せた、威厳ある男ぶり。

 各族長は自身の心の小ささと向き合うことになり、ジハルに対し言い知れぬ敗北感を禁じえなかったのである。


「同族の者がいると聞いたのだが」


 互いに紹介を済ませると、ジハルが尋ねた。

 この場にはこの森に住むという狼族の族長だけがいない。


 牛族の族長は「ああ、あやつはな……」と言って、困った顔をした。

 豚族の族長もどこか苦笑したように言う。


「同族ということもあって、見栄を張りたいのだ」


 各族長が武器を手にしてやって来たのに対し、狼族の族長だけは自分の家に帰っていった。

 しかしこれは、客人と会うのに武器は必要ない、という崇高な考えからくる行動ではない。

 むしろその逆、武器では足りぬと考えていたというのが、事の真相である。


 するとちょうどその時のこと、ガラガラと粗末な車が人力にて引かれて来た。

 車に乗っているのは紋様の入った服を着て、胸元や手足には、邪魔ではないのかというほどジャラジャラと木製の飾りをした者。


 その面容を説明するのにはただ一字で済むだろう。

 ――狼。

 ジハルよりも一回り若い、狼の頭をした男。名前をザーザイムといい、この森に住まう狼族の族長である。


「うむ、お主がジハルか。よく来たな。歓迎するぞ」


 ザーザイムはジハルの面を見て挨拶をすると、フフッと嘲笑を漏らした。

 ジハルの顔は人間に近い。

 獣人にとって、より野生であることは誇り高いことである。

 同じ狼族なればこそ、覇権を争うかもしれぬジハルに対し、早くもライバル心を燃やしていたのだ。

 だがしかし――。


「うむ、よろしく頼む」


 真っすぐ見据えたジハルの眼にザーザイムは、ウッとたじろいだ。

 まるで臆する様子を見せない堂々とした姿。

 顔がどうであろうと関係ない、ただただ己に自信のある証拠である。


「では中で飲むとしよう」


 肌寒い秋空の下、とても涼やかな声でジハルは言った。


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