60.北へ
この世界には似つかわしくない車列が、サンドラ王国の南に広がる大地を、砂煙を上げながら北へと走っていた。
馬が引かずに動く複数の車――それは、遠い異世界は日本という国で製造された乗り物。
この世界に生きる者がそれらを見たならば大いに驚くところであろうが、あいにくと周囲には荒れ地が広がっているばかりで、人の影はない。
先頭を走るのは【96式装輪装甲車】と呼ばれる戦闘用車両。その後ろには馬などを運ぶ【馬運車】が1台と、人員輸送などに使われる9台の【73式大型トラック】が続いている。
【馬運車】【73式大型トラック】の運転席には狼族の者が手慣れた様子でハンドルを握っており、そして【96式装輪装甲車】を運転しているのが、俺――藤原信秀であった。
空には相も変わらず青空が広がっている。
太陽が黄金色の大地を燦々と照り付け、俺は目をわずかに細めた。
日差しが強い。
エアコンを付けてはいるが、運転席の窓越しに注がれる直接的な太陽光の熱が頬を焼き付け、部分的な暑さを感じさせた。
するとそこへ、俺の後ろから興奮するような声が聞こえてくる。
「凄いものだな、車というやつは!」
いや、聞こえてくるという言葉には語弊がある。
実際には、つい先程の出発からずっと聞こえ続けていた、が正しいだろう。
その声は、すぐ左後方の車長席から上半身を乗り出しているミレーユのものであった。
「こんな速さで馬を駆けさせたら、ものの数分で潰れてしまうぞ! ははははは!」
何がそんなにおかしいのか、ミレーユは大声で笑い始めた。
車に乗るということが、彼女にとっては相当に感動だったらしい。
さて、彼女がなぜ車に同乗しているのか。
それを説明しなければならないだろう。
時間は少し巻き戻る。
――それはミラが目覚めたすぐ後のこと。
「ミレーユ姫、ちょっといいだろうか。話を聞かせてほしいんだが」
俺が尋ねると、ミレーユは「ああ、わかった」と二つ返事で承諾した。
今までずっと後回しにしていたことであったが、彼女には赤竜騎士団が何故ここにいるのかを確かめねばならなかったのだ。
余談だが、ミレーユが連れてきた治癒術の使い手は、ミラを治療するとミラが目覚める前に部隊に戻っていった。
ミレーユの無事を部隊に知らせるためである。
仮にもミレーユは軍の長。
そんな者が、かつて敵でもあった俺たちの下に長々といるというのは、どれだけ心配しても、し足りないことであろう。
閑話休題。
ミレーユと相対するにあたり、武器をもった狼族を護衛とし、さらに俺自身も拳銃の安全装置は外している。
一度裏切りを経験しているために、特に心構えの面での油断はなかった。
ミレーユが装甲車から降りると、それを狼族らで囲うような格好になる。
ミラも車から降りて話に参加しようとしていたが、病み上がりだ。
しばらくは安静にしていろ、と俺がその場に留まらせた。
とはいえ、話す場所は装甲車のすぐ後ろで行うので、ミラも十分に会話に参加できるのだが。
「聞きたいことはわかっている。なぜ我々赤竜騎士団がここにいるかだろう」
狼族に囲まれても、落ち着いた様子を崩さないミレーユ。
その言葉に、俺はコクリと頷いた。
「なに、簡単な話さ。町を攻めたシューグリング公国軍の後背を衝くためだ。
まあ、厳密には、シューグリング公国軍が獣人の町に敗れたところを、さらに我々が叩くという漁夫の利を狙った恥ずかしい作戦なのだがな」
ミレーユは、はははは、とおかしそうに笑った。
恥ずかしいと言っておきながら、全く恥ずかしそうには見えない。
「シューグリング公国が町を攻めることを知っていたのか?」
「知っていなければ、ここにはいない。
しかし、最高顧問官の目論みは外れたようだな」
「目論み?」
「セコい考えだ。町を攻めたシューグリング公国軍を攻撃し、フジワラ殿から好感を得ようとしていたことが一つ。
もう一つは、シューグリング公国軍をここで徹底的に叩き、後の西部戦線において事を優位に運びたかったという考えだ」
「なるほど」と俺は頷いた。
とはいえ実のところ、それらは予想の範疇のことである。
ミレーユのこれまでの態度、それにサンドラ王国が現在置かれている状況を考えれば、容易く想像はつく。
「今度はこちらから聞いていいか?」
ミレーユが尋ね、俺は「ああ」と答えた。
「どのようにしてフジワラ殿は敗れた? シューグリング公国軍の行動は把握していた。かの軍が攻め込むにはまだ時間があったはずだ。
つまり、これは確認になるのだが、狼族以外の獣人が裏切ったということでいいのか?」
その質問。
俺は何かに耐えるように一度歯を強く噛みしめた。
大した洞察だ。痛いところを突いてくる。
いや、もしかしたらサンドラ王国は、獣人らの裏切りを予想していたのかもしれない。
あの混乱の最中に聞いた、魚族がシューグリング公国と繋がっていたという話。
それが事実だとするなら、サンドラ王国がシューグリング公国の動向に気を配っていればわからないことでもないだろう。
だが予想に反して、狼族以外の全ての獣人が裏切り町は陥落した。
まあ、なんにせよ、今更な話だ。
俺はミレーユの質問に「そうだ」とだけ答えた。
「そうか、うむ……いや、少々まずいな。野心を露にしたシューグリング公国が、獣人の町を手に入れたとなれば、我がサンドラ王国は終わりだ。あの恐ろしい武器の数々を前にしては、どうにもならん」
ミレーユは少しばかり渋い顔をした。
この時の俺は知らないことであったが、サンドラ王国はかつて小銃や大砲の攻撃を魔法によるものと考えていたらしい。
しかし、実際に車両を、さらに石垣の上の大砲を隠すように被せた布を見て、それらが魔法ではなく技術的なものであると看破していた、という話をミレーユから聞かされたのは、もう少し後のことだ。
「心配はないだろう」
「どういう意味だ?」
「町を見に行けばわかる」
俺は言葉を濁した。
能力については、あの地の獣人から話を聞けばすぐにわかることであったが、わざわざこちらからベラベラと喋るものでもない。
するとミレーユは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべると、すぐに気を取り直したように顔色を戻して言う。
「それで、これからどうするつもりなのだ。よければ、王に紹介するぞ?
王もフジワラ殿の有用性を理解している。決して悪いようにはしないはずだ。もちろん、一緒についてきた獣人も厚遇するだろう」
それは思わず肯首しそうになるくらい、実に魅力的な誘い。
だが、俺は首を横に振った。
「ふむ……ドライアド王国か」
少し考えたようにして、察したようにミレーユが口にした。
正解である。俺の心臓がわずかに跳ねた。
しかし、俺は答えない。黙するだけだ。
対して、俺の沈黙を肯定と判断したのか、ミレーユが続けて言う。
「土地を買って、貴族になるつもりか?
確かに、金はたくさんあるのだろう。だが、誰とも知れぬ者が、易々と貴族になれるわけがないぞ。それなりに身元が確かでなければな」
ミレーユは、俺の行く先がドライアド王国だと完全に決めてかかっていた。
その表情と口ぶりには確信しているさまが見える。
まいった。よくわかったものだと感心する他ない。
俺は観念したように言葉を返した。
「それなりの身元とは?」
「そうだな……たとえば、幾年か商人としての実績がある者。他にも、神官の血族や貴族の息子など――要は金の出所が明らかな者だな。
本人の前で言うのもあれだが、フジワラ殿のことについて、サンドラ王国は色々と調査した。だが、とんとその素性は知れない。なんらかの高貴な身分があるものならば、こうはいかないだろう。
商売としての実績にしたって、香辛料などで交易はしてきたが、それらは全て極秘裏に行われてきたことだ。現物を見せれば証拠にもなるが、その際には、我々サンドラ王国の時と同じ結果が待っているだけだぞ?」
「……多くの獣人が暮らしていると聞いた。つまり土地に価値はなく、貴族という身分に目を向けなければ、俺たちがどこか僻地に移り住んでも、ばれる心配がないということじゃないのか?」
「まあ確かに。
どうやら何を言っても決断を変えられぬようだな」
ドライアド王国の土地は余っている。痩せこけた土地と寒冷の気候が土地を余らせたのだ。
俺はたとえ貴族になれずとも、そこに居座る気であった。
どんな住みづらい土地であろうと、砂漠ほどでないかぎりは、能力さえあればどうとでもなる。
僻地であればあるほど、人間からだって見つかりにくくなるだろう。
今の町が見つかったのも、フロストというイレギュラーがあったからにすぎない。
すると、ミレーユは言う。
「いいだろう、私を連れていけ。そうすれば、サンドラ王国の王都に立ち寄り、貴公が懇意にしているポーロ商会の会長を連れてこよう。
商会が貴族を囲うなど今の世の中ではありふれたこと。ポーロ商会の協力を取り付け、ポーロ商会からの出資ということにすれば、貴族位も容易く得られるだろうよ」
「……理由はなんだ。なぜそこまで協力する」
「なに簡単なことだ。我が国としてはフジワラ殿とのツテを無くしたくはないのだ」
「金か?」
俺がいなくなれば、サンドラ王国は賠償金を払う必要がなくなる。
だが、香辛料を取り扱うことの利益は、賠償金などよりもはるかに勝るといっていいだろう。
加えてサンドラ王国は、俺たちと戦い、ロブタス王国とも戦い、そして西側諸侯に裏切られて、誰が見ても明らかなほどに疲弊している。
そんなサンドラ王国の現状に鑑みれば、金の生る木といっていい香辛料の取引は、是が非でもその手に留めておきたいと考えるのが必定である。
「確かにそれもある。だがそれだけじゃない。はっきり言おう、我が国は貴公を恐れている」
ミレーユが、その瞳で俺の顔を真っすぐに捉えて言った。
あれだけ完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
恐れているといわれても、わからない話ではない。
ミレーユはさらに言葉を重ねた。
「特にサンドラ王の恐れ方は顕著だ。家臣らの前で、今後、獣人の町に手を出すと口にした者は首を刎ねるとまで言い放った。私にしても、今回の遠征において決して機嫌を損なう真似はするな、と王から厳命を受けている」
話を聞き、そこまでかと俺は少々驚いたが、しかし、それらを全て鵜呑みにするつもりもない。
話半分に聞いておいた方がいいだろう。
「それで?」
俺は続きを促した。
「さきほど、シューグリング公国が町の力を手にすることはないと言ったな。
つまり町に残った獣人たちも、力の秘密を知らない。
ということは、だ。町の力は何もかもがフジワラ殿、貴公の力だということだ。貴公には言語に絶する知識と、たぐいまれな錬金の才が備わっていると見た」
「……間違ってはいない、とだけ言っておく」
【町をつくる能力】の結果だけを見れば、ミレーユの言うことは間違っていない。
そしてそれは、町の獣人から話を聞けばすぐにわかることでもある。
しかし、聞かずして気づいたとなれば、その慧眼、驚嘆するものがある。
「もしや、町のものは全てフジワラ殿が?」
もう隠すことでもない。俺は黙って頷いた。
「やはりサンドラ王の恐れは正しかった。この何もない地で何ゆえあのような町が生まれたのか。全て合点がいった。そんな途方もない力ありえないと思っていた。だが、ありえないなんて言葉こそ、ありえないのだ」
ミレーユの瞳は爛々と輝いていた。それは、どこか子供のようにも見える。
彼女のことは、痩せこけ弱っていた頃のイメージしかなかったが、こんな性格だったのかとキツネにつままれたような気分である。
「我々が選ぶのは友好、それだけだ。知らぬ間にフジワラ殿がどこぞの国に取り込まれて、敵対関係になるなんてのは勘弁願いたい。だからこその協力だ」
答えは、すぐには出なかった。
協力するといわれても、これまでのサンドラ王国の行いを考えたら、そう易々と信用できるものではない。
俺は、暫し黙って考え込んだ。
「迷っているな? 信じていいのかどうか。
確かに我々サンドラ王国は、貴公らと戦火を交えた。しかし、どの国も程度の差さえ違えど、本質は変わらん。獣人への迫害がそれを如実に示している。
言っておくが、ドライアド王国も同じだぞ。あそこに獣人が集まっているが、国は善意で見逃しているわけではない。役にもたたん土地に集まる獣人たちのために軍を動かすのは、金がもったいないと考えているだけだ。
ドライアド王国の貴族どもはよく見栄を張るが、その反面、慢性的金欠病などと揶揄されるくらい貧乏人ばかりでな。へんなところでものすごいケチなのだ」
なんだか江戸時代の武士を思い出すな。
身の程をわきまえずに見栄を張って金を使い、借金三昧だった者も珍しくなかったという。
「つまり、何が言いたいかというとだな。フジワラ殿が我がサンドラ王国と同じことを、またドライアド王国と一から始めるのか。
それとも、ある程度の関係を築いた我らとこのまま内密に取引をするのか。
どちらがいいか、ということだ」
ミレーユの問いかけ、それは実に理にかなったものだ。
俺だって、わざわざ乱を起こしたい訳じゃない。
それに、他にも問題がある。
ドライアド王国までの細かな道筋についてもわからないのだ。行く先に、ずっと平地が続くなんてことはありえないだろう。道案内をする者がいれば、素直にありがたい。
加えて、俺自身、エルザとこのまま別れてしまうのが少し寂しかった。
これは、獣人たちに裏切られたせいだろうか。小さな縁かもしれないが、大切にしたい。
さらに、新たに交易ルートを構築するのも、そう簡単にいくだろうかという心配がある。
と、ここまで考えて、俺は小さく息を吐いた。
本当は、ミラを助けてもらった時から答えは決まっていたのかもしれない。
「いいでしょう、これからよろしくお願いします」
話が決まると、俺の口調は自然と丁寧なものになっていた。
――というわけで、ミレーユは俺たちと同道することになった。
こうなった以上、町の現状についてはミレーユに一応の説明をしている。
どうせいずればれる話だ。それが少し早まっただけのこと。
同道するにあたって、ミレーユの武器は預かり、さらに装甲車にはミラを含む狼族の者らが、ミレーユに対する備えとして乗り込んでいる。
ミレーユが率いてきた赤竜騎士団は、一部を残してサンドラ王国に帰投。残った一部に関しては、シューグリング公国軍と獣人の町の監視に当てるそうだ。
他にも、後述となってしまったが、ミレーユが赤竜騎士団に今後の命令を出しに行った際に俺が【購入】した【馬運車】には、カトリーヌとミレーユの馬を載せていた。
そして、車は依然として荒れた大地を駆けていく。
どこまで続くのか。
まるで果てが見えない。
「我々が勝てぬわけだ! 実際に乗ってみて、この利便性がわかる! 凄いぞ、この車というやつは! ほら、ミラ! お前も上がってこい! 風が気持ちいいぞ!」
「わ、私を巻き込むな!」
後ろからは、ミレーユの楽し気な声がいつまでも聞こえてきた。
どうやら殊更に車が気に入ったようだ。