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55.プロローグの終わり 7

前話の付け足しです

・北門に停めてあったのは、装甲車とトラック3台

・車両間に連絡を取るトランシーバーの存在


 両端を泥が隆起する町の大通り。

 そこを装甲車を先頭にした車列が南へと進み、およそ500メートルという短い距離を経て、車は信秀の自宅前に到着した。

 泥の囲いはさらに左へと道を開き、狼族の居住区に繋がっている。


「全員下車!」


 信秀がトランシーバーを使って、各車に指示を出す。

 そして自身も下車し、来た道を振り返った。

 北門裏の【石垣】となる泥は【購入】したばかりで高さがなく、そこを越え、獣人達がこちらにやって来ている。


 だが、どうということはない。


 信秀は自宅までの道にありったけの【柵】を、さらに自宅により近い位置には【堀】を【購入】した。

 【柵】で足止めし、その間に決して越えられない、深い【堀】をつくろうというのだ。


「弓兵は【堀】を盾にこの場を死守! ジハル族長が指揮をとれ!」


 信秀は、敵を射ろとは言えなかった。

 裏切った獣人達に対して、まだ僅かばかりの情けが残っていたからだ。


 弓を持った狼族達が、おうっ、という覇気のある声と共に、【堀】の後ろに並んでいく。

 ついでとばかりに、信秀は【矢盾】を【購入】し、【堀】の手前に設置した。


「運転手は何名かを連れて、この道をそのまま進め!

 この先は狼族の居住区に繋がっている! 全員を俺の住居に避難させるんだ!

 いいか、避難するのに必要なのは身一つでいい! 早さを優先させろ!」


 信秀の命令に従い、トラックが狼族の居住区へと向かう。


 この頃には、大通りから狼族の居住区までを囲んでいた泥は、5メートルほどの【石垣】に変わり、その上には【塀】となるべき泥が新たに隆起して、越えることが難しい壁となっていた。

 すなわち警戒するべきは、既に囲いの中に入り込んだ者――大通りを北からやってくる獣人達だけといっていいだろう。


 信秀が再び装甲車に乗り込み、余った狼族を引き連れて自宅の門を潜る。

 そこは狼族らにとっては初めての場所。

 しかし、その広い敷地内には一軒の家とカトリーヌがいるだけだ。

 そのためか、緊張して中に入った狼族達は、拍子抜けといった様子であった。


 その後は、装甲車の後部座席に寝かせたミラの治療が行われた。

 信秀が【医療キット】を【購入】。

 治療に手慣れているという狼族の一人が、ミラに刺さった矢を抜き、その傷口の消毒と縫合をする。

 それが終わると、信秀自身がミラに【抗生剤】を投与した。


 これが今、信秀にできることの精一杯。

 もし矢によって内臓が傷ついていたら、ミラは助からないだろう。

 それは現代の医療ですら、命をとりとめるのが難しい傷だ。


 信秀はギュッと拳を握った。

 己の無力を噛み締めるように。


 なんとか助けてやりたい、とは思う。

 だが、これ以上の処置は素人である信秀にはどうしようもなかったのだ。


 信秀は、後部座席にミラと治療した狼族を残して装甲車を下りる。

 そして、見張りとして石垣の上の櫓に狼族を配置した。


 さらに7台の【73式大型トラック】を【購入】する。

 これでトラックは計10台。

 狼族の者達を全員乗せることができる数だ。


「やれるだけのことはやった」


 信秀が一人呟く。

 あとは、この先どうするかを考えるだけだ。

 とはいえ実のところ、その答えはもう決まっていた。


 この町を放棄して、別の場所でまた町をつくる。

 そのために、トラックを購入したのだ。

 だが問題なのは、どこへ逃げるべきか、である。


 信秀は思案する。

 砂漠は無理だ。

 人が暮らすにはあまりにも環境が厳しすぎる。

 能力を使えば十分に暮らしていけるかもしれないが、信秀が死ねば狼族は生きていけない。


 ならば砂漠のさらに向こうではどうか。

 これも駄目だ。

 そもそも砂漠がどこまで続くのかがわからない。

 さらに砂漠に終わりがあったとして、その向こうには一体何があるのか。

 わからないことだらけだ。

 地図なき砂漠をいくことは、それこそ目的地もなく海を航行するようなものだろう。

 あまりに危険すぎる。


 では、この周辺地域で狼族達のみを仲間として再び町を興すのはどうか。

 たとえば、南に40キロほど行ったところには、捕虜収容施設だってある。

 そこを基点に、また町をつくればいい。


 だが、これも駄目だと信秀は選択肢から外した。

 この周辺地域に留まれば、いずれ見つけられるかもしれない。

 人間の国に、ではない。

 今日、己を裏切った獣人達に、である。


 もう、信秀は裏切り者の顔を見たくはなかった。

 彼らと共に暮らした日々が、脳裏にちらつくのだ。

 それは胸が張り裂けそうなほどの苦痛であった。


 ならば目指すべきは、はるか北。

 いつかの日に聞いた、ドライアド王国。


 そこには痩せこけた土地が余っており、金さえあればその土地を買うことができるのだという。

 その地に町をつくり、力を蓄える。

 やり直すのだ、もう一度。

 己に最後までついてきてくれた狼族と共に。


 だが、そのためには、やらなければならないことがある。


「カトリーヌ」


 信秀が、その名を呼んだ。

 四本の足で凛然と立ち、そのつぶらな瞳で信秀を見つめているカトリーヌ。

 信秀は彼女に近寄ると、その頬をそっと撫でた。


「お前は頭がいい。だから俺の言うことがわかるだろ」


 信秀の言葉に、グエッと小さく鳴くカトリーヌ。

 彼女はとても賢い。

 信秀の話す言葉を、その心を、彼女はいつも理解していた。


「俺達は北へ行くよ。だから、お前とはここでお別れだ」


 北の地に駱駝はいない。

 カトリーヌを連れていくことは信秀のエゴでしかない。


 彼女には生きるべき場所がある。

 家族をつくり、子を産み、命を伝えていく。

 それが、カトリーヌにとって一番幸せなことだと信秀は思っていた。


「いいか。ここに留まれば殺される。南へ逃げるんだカトリーヌ」


 信秀がいなくなれば、この地は無法となり、駱駝の命は危うくなる。

 今にして思えば、駱駝の減少は獣人の誰かしらが殺して食べたのでは、という考えが信秀にはあった。


「今まで、楽しかったよ。ありがとう」


 カトリーヌの大きな顔に信秀は頬を寄せた。

 カトリーヌの匂いがする。

 カトリーヌの体温が伝わってくる。

 それは、もう二度と触れることができないもの。


 信秀は、カトリーヌの首を優しく撫で続ける。

 せめて別れるその時まで。


 やがて居住区の狼族を乗せてきたトラックが到着し、さらに乗りきれなかった者達も、走り込んでくる。

 狼族達が飼っていた駱駝も一緒だ。


「フジワラ様! 魚族が南へと回り込んできます!」


 櫓からの声。

 もう時間はない。

 信秀は裏門を開けた。


「さあ行け」


 信秀が、カトリーヌの体を軽く叩いた。

 カトリーヌはもう一度信秀に視線をやると、空に向かって大きな鳴き声を響かせて、裏門から駆けていく。

 そしてその後ろを、狼族の駱駝達がカトリーヌに従うようについていった。


 信秀は、走り去っていく小さな群れの背中を眺める。

 砂煙と他の駱駝の体で、先頭を行くカトリーヌの姿は隠れてしまっている。

 だが信秀の目は、見えぬカトリーヌの姿をしっかりと捉えていた。


 すると、その背を追うように、何十頭もの駱駝が左右から現れ、小さな一団は途端に大きな群れとなった。

 それは、町にいた他の獣人らの駱駝達。

 町の【石垣】は既に【売却】が完了していた。

 駱駝達を縛るものはもうなにもなかったのだ。


 カトリーヌの大きな鳴き声は、狼族以外の駱駝にも届いていたのである。


「それでいい、それでいいんだ……」


 あの群れの先にはカトリーヌがいる。

 仲間と共に彼女は生きていく。

 それでいい、と信秀は自分に言い聞かせるように呟いた。


「幸せにな」


 信秀は目を赤くした。

 だが涙は流さない。

 まだ、己にはやることがあるからだ。




 駱駝が町を去ると、裏門は再び重厚な音をたてて閉じられた。


「外にいるジハル達を、全員ここに呼べ!」


 【堀】の前で、裏切り者の獣人達と対峙しているジハル達を呼び戻す。

 そして、広さ100メートル四方、高さ20メートルの石垣の中に、信秀と狼族らが全員揃った。


 しかし、狼族らには戸惑いの色が見える。

 他の獣人の裏切りについては、居住区にいた狼族達も既に知るところだ。

 だが何故、駱駝を解き放ったのか。

 狼族達は信秀が町を捨てようとしていることを知らない。

 この地で籠城するものだと思っていたのである。


「さあ、俺達も行くぞ! トラックに全員乗り込め!」


 信秀が狼族に命令した。

 するとそれに対し、疑問を口にしたのはジハルである。


「え……? ここで籠城し、町を守るのでは……?」


 ジハルもまた他の狼族同様に、ここで籠城するものだと考えていたのだ。


「この町は捨てる! 俺達が向かうのははるか北だ!」


 信秀の宣言。

 狼族達の顔に愕然とした色が浮かんだ。

 まさか、町を捨てるとは。

 そんなどよめきが狼族達の中に起き始める。


 それを見て、信秀は『町をつくる能力』を使った。

 狼族達の前に泥が幾つも現れ、それは一瞬にして形をつくっていく。


 できあがったものは、麦の穂、野菜、箸、食器、椅子。


「わかるか。時間がないから、あまり大きなものはつくらなかったが、この町のものは家も井戸も俺が全てをつくりだした。俺さえいれば、どこにでも町をつくりだせる。

 ところで、この地に残る意味はなんだ?

 周りは敵ばかり。ならば、別の地で新たに町をつくった方がいいに決まってる。

 俺が、簡単につくりだせるんだからな。

 この地を守ることに、なんの意味もないんだ」


 初めてその奇跡を見た者、あらためて奇跡を目にした者。

 どちらも信秀の言葉に、もはや否応はなかった。


 狼族らは速やかにトラックに乗り込んでいく。

 そうしている間に、表門と裏門が叩かれ始めた。

 懺悔の声や、他の種族に罪を擦り付ける声など様々な声が聞こえてくる。


「よし、行くぞ!」


 全員がトラックに乗り込むと、信秀の手によって裏門はその姿を泥に変える。

 そこから魚族らが殺到したが、クラクションの一つで魚族らは蜘蛛の子を散らすように道を開けた。


 裏門から飛び出していく、信秀の装甲車を先頭にした十一台もの車両。

 そして最後に信秀は、己の自宅を【売却】した。




 荒れた大地を車が北へと走る。

 その背後に見えるのは、町であったもの。


「ああ……町が……」


 トラックの後部座席にいた狼族達は、遠ざかっていく町を眺めて悲嘆の声を発した。

 高さ二十メートルを超える巨大な石垣は、町の象徴である。

 あの石垣を見つけ、目指し、狼族達は町にたどり着いたのだ。


 それがゆっくりと沈んでいく。

 離れていく。


 狼族にとって町は安住の地となるはずの場所であった。

 飢える心配も、外敵の脅威もなく、6年間も過ごした。

 誰一人として不運によって死ぬことなく、ただ子が増える喜びだけが部族にはあった。

 そこには幸せがあり、故郷となるべき地だと、狼族の者達は皆思っていた。


 だから、町が滅んでいく姿はどうしようもなく胸を締め付けるのだ。



 灼熱の日差しの下、北へ北へと走る十一台にも及ぶ車列。

 車は、シューグリング公国軍とぶつからぬように、西に大きく迂回して進んでいた。


 途中、先頭の装甲車を運転する信秀の目が砂煙を捉えた。

 それは、シューグリング公国の軍。

 陣営地から町へと攻め入ろうと進軍しているのだ。


 そういえば、と信秀は獣人らの言葉を思い出す。

 シューグリング公国軍が攻め込むのに乗じて反乱を計画したという話をアライグマ族が言っていた。


(この先、町に残された獣人はどうなるのか……)


 信秀の胸にチクリとした痛みが走った。

 シューグリング公国と内通していたということなら、獣人らは悪くは扱われないのか。

 いや、そんなわけはない。

 人間がそんなに優しければ、獣人らが住みかを奪われることはなかったはずだ。


 裏切った獣人達は町を手に入れ、返す刀でシューグリング公国軍と戦うつもりだったのだろう。

 だが今、町に残る獣人達に戦う手段は何一つない。

 彼らは、人間の下で慈悲を乞い、辛い生活を強いられるに違いなかった。


 当然の報いだと信秀は思う。

 しかしそれと同時に、彼らの子供達にまで不幸が及ぶことに、やりきれない思いがあった。


 子供に罪はない。

 されど信秀は雑念を振り払うように、ただアクセルを踏んだ。

 もう後戻りはできないのだ。


 すると、それから数分もせずに後部座席から声がかかった。


「フジワラ様」


「どうした」


「ミラの状態が思わしくありません。おそらく、内臓を傷つけているのかと」


 信秀は歯を強く噛んだ。

 このままではいずれミラは死ぬ。

 現代日本ですら治療の難しい内臓の傷。

 だが、思い浮かぶ治療の手段が一つだけある。

 それはこの世界にあって現代日本にはない魔法という存在だ。


(治癒の術ならば、ミラは助かるかもしれない)


 引き返してシューグリング公国軍を攻め、治癒術の使い手を引っ張ってこようか、という考えが信秀の心中に浮かんだ。

 装甲車ならば、敵がいかに大軍とはいえ遅れはとらないだろう。

 それに、装甲車を使わずとも、大砲を新たに【購入】して攻撃してみるのもいいかもしれない。


 だが、本当にそうだろうかという思いが、信秀にはあった。

 今回の反乱を思い返す。

 信秀は、ゴビというただ一人の狼族に恐れをなした。

 一人の力が、あれだけの脅威になるとは自覚していなかったのだ。

 たとえば降伏をした者が、騙し討ちをして、被害を増やしたらどうなるか。

 一人を救うために、他の誰かを犠牲にすることは本末転倒でしかない。


 信秀は、苦渋の決断をせまられる。

 そして、信秀はそのままアクセルを踏み続けた。




 シューグリング公国軍が見えなくなると、信秀は進路を川沿いに移していた。

 すると、北の川縁にまたしても軍の影が見えた。

 シューグリング公国軍の増援かとも思ったが、だとすれば、なぜこんなところに陣を張っているのか。


 信秀は、再び西に迂回しようとハンドルをきる。

 だが陣から一騎が飛び出して、こちらに近づいてくる。


 その姿に、信秀はどこかで見たことがあるような気がした。


「おーい、止まれー!」


 金色の髪。男性にしては細い体格。そして、女性特有の甲高い声。

 信秀は双眼鏡を覗くと、見たことがあるわけだと納得した。

 なぜならそれは、赤竜騎士団団長のミレーユであったのだから。


「停止するぞ!」


 信秀がトランシーバーに告げた一言は、どこかしら期待に満ちて、弾んでいた。

 車列は徐々にスピードを緩め、やがて停車する。


「ミレーユ姫!」


 信秀が運転席より頭を出す。

 そこにいたミレーユは、かつての痩せ細った彼女とは違い、生気に溢れていた。


「やはりフジワラ殿か」


 口角を上げるミレーユ。

 その気安さ、町を狙って戦いに来たわけではないと信秀は判断した。

 その目的を知りたいところであるが、今はそれどころではない。


「そちらの軍に、治癒の魔法を使える者はいるか!」


「ああ、連れてきているが」


「ミラが重傷を負った! 頼む、助けてくれ!」


「なに!?」


 ミレーユがサンドラ王国に帰る際、ミラのことを気にかけていたのを信秀はよく覚えている。

 その時は、ミラとミレーユの関係について、浅からぬものを感じていた。

 なればこそミレーユならば、ミラを救ってくれるのではという思いが信秀にはあった。


「わかった、すこし待っていろ!」


 事情も聞かずにミレーユは、軍へと戻っていく。

 その様子に、ミラが助かるかもしれないと信秀は拳を握った。


「ここで休憩する。ただし油断はするな。用を足す以外での下車を禁ずる」


 信秀はトランシーバーを通して各車に命令を出し、ミレーユを待った。


 やがてミレーユが治癒の術士を連れてやってくる。

 信秀は、二人をミラのいる後部座席に入れた。

 そして、信秀自身は狼族と共に、車両の外から油断なくミレーユ達を監視していた。


 治癒の術士が、ミラの患部を見る。

 縫合したばかりの傷口に手を触れると、淡い光が灯った。


「どうだ、治るかっ!?」


「ええ。時間はかかりますが、命はなんとか助かると思います」


 ミレーユの焦るような声と、治癒の術士の冷静な声。

 治る。

 その言葉を聞き、信秀の体からは大きく力が抜けるようであった。

 安心したのだ。

 よかった、と。


 信秀はミレーユを見た。

 ミレーユはなにやら意識のないミラに話しかけている。

 その顔はとても優しい。

 もういいだろうと、信秀はその場を離れた。


 それから一時間。

 ミラの治療を行う治癒術士と、それに付き添うミレーユをそのままにして、ゆっくりとした時間が流れていく。


 信秀は装甲車の車体に背を預けて、ぼうっと青い空を眺めていた。

 この一時間、ミラの容態は安定しており、もう命の心配は要らないとのことだ。


(ミラの意識が戻ったら、お礼を言わなくちゃな)


 信秀はうっすらとした笑みをこぼした。

 そして、吉報は続いた。


「フジワラ様! 何者かがこちらに向かってきます!」


「なに!?」


 信秀の視力は、狼族達よりもはるかに悪い。

 信秀は狼族が指を差した方を、双眼鏡で覗いた。

 高く細い砂煙が一本あり、それは段々と近づいてくる。


 やがて双眼鏡のレンズが、その姿をはっきりと映し出した。

 まさかと信秀は思った。


「か、カトリーヌ……」


 一度目は驚きに、思わず呟いた声だった。


「カトリーヌ……っ!」


 二度目は、万感の思いと共に絞り出した声だった。


「カトリーーーヌッッ!!」


 三度目はどこまでも届けとばかりに、腹の底、胸の奥からの、全力の声だった。


 するとはるか向こうから、大きな鳴き声が辺りに響いた。

 信秀がその声を間違えるわけがない。

 それは、紛れもないカトリーヌの声である。

 信秀はもういてもたってもいられず、その場から駆け出した。


 互いの距離は、互いの足で縮めるものだ。

 駆けて、駆けて、駆けて。

 吐き出す息は荒くなろうとも、信秀の足はいっそう強く大地を踏みしめた。


 やがて、どちらも足を緩めて近づいた。

 そこはもう、互いの息がかかるような距離である。


「カトリーヌ……」


 信秀がカトリーヌの伸ばした首に抱きついた。

 それに答えるように、カトリーヌは小さく、グェッと鳴いた。


 何故、ついてきたのか。

 そんな言葉は無粋だ。

 ただ、カトリーヌがついてきてくれたことが、信秀には嬉しかった。


「馬鹿な奴だな。仲間よりも人間の俺を選びやがって」


 信秀の目には涙が溢れていた。

 それは喜びの涙である。

 すると、カトリーヌも嬉しそうに、小さく鳴いた。


「もう、お前を置いていこうなんて言わないよ。

 一緒に行こう。俺達はずっと一緒だ」


 暑い暑い日差しの下で、信秀とカトリーヌは長い時間、再会をわかち合う。


 町はなくなった。

 けれど狼族の者達もカトリーヌも側にいる。

 信秀は、本当に大切なものは何一つ失ってはいなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱ持つべきものは信頼出来る仲間だよね
[一言] カトリーヌとの再会に感動して泣きました。最高です。
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