54.プロローグの終わり 6
有事の際、町の外に住む者は石垣の中に避難させられる。
今回もそうだ。
誰も住んでいない15番地区に、魚族ら新参の獣人達が詰め込まれていた。
1000を超える人数に家は足りず、道には日差しを遮る天幕が張られ、家の中に入れない者が溢れている。
だが、ある家ばかりは、人口密度が極端に低い。
それは区画の中でも一番大きな家。
その屋敷の一番奥の部屋では、魚族・烏族・蛇族の族長が膝を突き合わせて、酒を酌み交していた。
「どうぞ、もう一杯」
「おお、すまぬな」
蛇族の族長が酌をし、魚族の族長が上機嫌でそれを受ける。
反乱の成功は目前。
そして、その反乱の中心的存在となっているのは魚族である。
それゆえ、今後魚族が得る富と権力のおこぼれに与ろうと、烏族と蛇族の族長はへつらうような笑みを浮かべて、魚族の族長に媚を売っていたのだ。
そんな時分のこと。
銅鑼の音が家の外から鳴り響いた。
魚族の族長は内心で舌打ちする。
銅鑼は、獣人達が一斉に裏切るための合図。
すなわち、ゴビによる信秀の暗殺が失敗したのである。
「魚族の……」
心配そうな顔で蛇族の族長が、魚族の族長に声をかけた。
されど魚族の族長は、内心の不満や苛立ちといったものをおくびにも出さない。
あくまでも、なんてことのないような態度で酒をあおり、空になった杯を床に置いた。
「ゴビが仕損じた、ただそれだけのことだ。――誰か!」
「はっ!」
襖を開けたのは魚族の若者。
「者共に準備をさせよ! 我らも戦いに参加するぞ!」
武器となるものは農具くらいしかなかったが、参加しないわけにはいかない。
ゴビという手駒が信秀の暗殺に失敗した以上、乱に加わるか否かは、部族の沽券に関わることであるからだ。
町の運営の主導権を誰が握るか。
現在のところ今回の作戦の発起人であり、さらに部族の人数も一番多い魚族が、獣人達の中での権力争いに大きくリードしている。
しかし、油断はできない。
なにせ、古参の獣人達は大砲を扱える。
これは部族の数の差というものをひっくり返すことができるほどの利点だ。
さらに、これまで魚族の族長が古参の獣人らを言うがままにしてこれたのは、信秀というこの町の法律を利用したからである。
信秀がいなくなれば、駱駝を食べた食べなかったなんて話はなんの意味もない。
賭博の借金を返さなければならないという、常識も存在しなくなる。
だからこそ、今、魚族はやるべきことをやり、他の獣人達よりも一歩先んじたままでいなければならなかった。
「ご両人も動かれてはいかがか」
「う、うむ」
「そうさせてもらう」
魚族の族長の勧めに応じて、急ぎ屋敷を出ていく烏族と蛇族の族長。
一人となった魚族の族長は杯に酒を注ぎ、それを傾けながら、部族の者達の戦いの準備が整うのを待った。
すると、どうしたことか。
「なんだ」
魚族の族長の耳に、なにやら外から、ズズズという不気味な音が聞こえてきた。
それは重く低い、聞き慣れない音。
一瞬、大砲の音かとも思ったが、魚族の族長はすぐに違うと思い直した。
大砲の音は一度聞いたことがある。
あれはもっと単発的なものだ。
対して、今聞こえる音は途切れがなく、音の調子は一定。
音の正体に思い当たるものはない。
魚族の族長は、なにか予想外のことが起こっていると断じた。
「何事だ!」と声をあげてみるが、その質問に答える者はいない。
戦いの準備に皆、出払っていたからだ。
使えない奴らだな、と魚族の族長は思った。
仕方なしに自ら音の正体を確かめようと、魚族の族長が立ち上がる。
それと同時であった。
魚族の族長の足下――床の下からも重く低い音が響いてきたのである。
しかし、驚くべきはそれだけではない。
「こ、これは、床が沈んでいるっ!?」
そう叫んだ時には、床は泥となり、それに足をとられて魚族の族長は尻餅をついた。
泥はやがて地面に吸い込まれるように消えてなくなると、族長の尻の下には土が露出する。
「なんなのだ……」
呟きつつも、いまだに周囲から音は消えない。
わけもわからずに呆然としていると、魚族の族長は正面の壁の異変に気がついた。
「むぅ」
その口から、思わず漏れ出た唸り声。
壁が沈んでいるのだ。
そして、壁が沈んでいるということは、家そのものが沈んでいるということである。
魚族の族長が首を持ち上げてみれば、天井がゆっくりと迫っていた。
「くそっ! どうなっているのだこの家は!」
魚族の族長は悪態を吐きながら立ち上がり、入り口へと駆けた。
現在の異常について考える暇もない。
ただ、天井に押し潰されては敵わぬ、という身の危険が体を動かしていた。
そして、なんとか家の外に出ることができた魚族の族長。
途中、梁に頭をぶつけたが、当たった場所は一瞬で泥となり、痛みはなかった。
体は無事。
だが、その意識まで無事であるとは言い難い。
なぜなら外に出た魚族の族長の目に映ったのは、想像もできない光景だったからである。
「な、なんだこれは……」
その口から出たのは、決して抗えない自然の脅威を目の当たりしたような呟き。
外にいた呆然と立ち並ぶ魚族らと同様に、魚族の族長は眼前の事態にただただ目を奪われた。
「馬鹿な……」
そこには沈みゆく無数の家々があった。
家ばかりではない。
魚族の族長の視線の先では、町を囲む石垣もまた沈んでいた。
町が沈んでいるのだ。
それはまるで、この世の終わりのような光景であった。
あまりの事に、僅かの間、呆気にとられる魚族の族長。
だが、すぐにハッとして、辺りを見回した。
町の中で、家が消えているのは己のいる区画と、町の中央の商店街。
しかし、それ以外の家はいまだに健在であった。
「どういうことだ……?」
疑問を抱く魚族の族長。
だが、もう一つ見るべきものがある。
それは町の中央の大通り。
その通りの端に泥が隆起していたのである。
怪しいと感じた魚族の族長は、近くにいた者を連れて、大通りへと向かった。
泥の隆起は大通りの左右両端にて、道に真っ直ぐに沿うように起こり、既に身の丈の半分ほどの高さに達している。
何より特筆すべきは、その泥が見た目に反してとても硬かったことである。
魚族の族長は、つい先ほど泥となり消えた床や、額にぶつけた梁を思い出した。
あれらはとても柔く、まさしく泥であった。
しかし目の前にある泥は、消えゆく泥とは違う。
何か形あるものが、つくられようとしているのだ。
道の両端に一体何がつくられるのか。
それは、まるで道に入る者を遮るためのもの。
魚族の族長は北の石垣を見た。
ゆっくりと沈んでいく石垣の階段を、狼族達が下りようとしている。
目を凝らしてみれば、信秀がその中にいた。
「まさか」
この泥は信秀が己の住まう場所まで、安全に逃げるための道。
町を囲っているような石垣ではないのか、という考えが魚族の族長の頭によぎった。
「そんな、まさか」
だとするならば、今起きている町の異常は信秀が起こしたもの。
そしてこの町そのものが、信秀の手によって自在に姿を変えていることになる。
それはまさに神のごとき御業であった。
◆
町で起こった異常の数々。
それはもちろん、信秀が『町をつくる能力』にて【売却】と【購入】を行った成果である。
信秀はまず【四斤山砲】と【榴弾】を【売却】した。
これは自身にとって、大砲こそが最も脅威であると感じたからだ。
次に狼族以外の獣人が、個人が携行する【弓】や【短槍】などの武器を【売却】。
さらに【胴甲冑】などの防具も【売却】しようとしたのだが、防具については『所有権』が既に獣人達に移っていたため、【売却】できなかった。
武器が消えると、獣人らは慌てふためいた。
特に、狼族と対峙していたアライグマ族はそれが顕著であった。
なにせ、自身の武器が突然泥に変じたにもかかわらず、目の前の狼族はいまだ武器を手にしているのだから、慌てないわけにはいかないだろう。
だが、獣人らの驚きはさらに続く。
武器関連を【売却】した信秀は、次に町全体の【売却】を行ったのである。
町全体の【売却】は、反乱を起こした獣人達の混乱と戦意の喪失を狙ってのことであった。
信秀に、かつてあった町に対する執着はない。
現在、信秀の持つ【資金】は、町を十はつくれるほどに潤っているからだ。
今、信秀の頭の中にあることは、如何にして狼族とこの場を切り抜けるか、それだけである。
町を囲む【石垣】、町を成す【家】や【施設】。
信秀は、それらを【売却】していった。
ただし住居については、これも防具同様に『所有権』が移っていたため、一部しか【売却】できなかったが。
そして最後に、信秀は新たな【石垣】を購入した。
それはこの北門から、信秀の自宅と狼族の居住区までを結ぶ道であり、他とを隔絶する囲いでもあった。
「よし! 狼族よ、今から車の位置まで下りるぞ! 命を賭して俺を守れ! 俺が死ねば、何もかもを失うぞ!」
能力の行使が終わり、信秀が狼族に命令する。
命を賭けろとはあまりな言い方であったが、信秀が死ねば狼族も終わることは純然たる事実である。
形振りなど構ってはいられない。
信秀は、ただ事実だけを強調して伝えたのだ。
すると狼族らは、オオオオッ! とその士気を跳ね上げた。
武器を持つ狼族達と、武器が消えてなくなった狼族以外の獣人達。
この優劣は、今町で起きている異常が、信秀の力の産物であることを示していたからである。
「ふ、フジワラ様!」
アライグマ族の族長から懇願するような声がした。
裏切りを思ってか、それ以上の言葉はない。
だが、信秀にはそれが慈悲を乞うものであるとはっきりとわかった。
しかし、アライグマ族の言葉はもう信秀の心には響かない。
「ミラは連れていくぞ! 絶対に死なすな!」
アライグマ族を一瞥することすらせずに、信秀は指示を出し、狼族らは動き始める。
そして「うわあああ」という悲鳴がこだました。
ゴビが狼族らの手によって、石垣から町の外側へと落とされたのだ。
信秀の神の御業を目にしてしまっては、同族であろうとも、容赦はなかった。
狼族が信秀を囲いながら階段を下りていく。
殿にいる狼族達は、槍を構えて、アライグマ族を牽制した。
信秀達が石垣から下りると、そこにいたのはゴブリン族である。
ゴブリン族は、狼族が槍を突き出すまでもなく、遠巻きに後退った。
彼らは町のあまりの異変に、もはや反乱は失敗したことを察していたのだ。
「ふ、フジワラ様……」
ゴブリン族からもアライグマ族と同じく、哀願するような声がした。
しかし、信秀がそれに反応することはない。
信秀の中で、狼族以外の者は既に見限っている。
今、信秀が何よりも優先すべきは、自身の命と自身を裏切ることがなかった狼族達なのだ。
「ミラはこっちに乗せろ! 他の者は分かれて乗り込め! 全員乗り次第、俺の車両を先頭に出発するぞ!」
北門の裏には、信秀が乗る装甲車の他に、トラックが補給用に3台停めてある。
この場にいる狼族が全員乗るには十分な数だ。
「お待ちをフジワラ様! いや、救い主様っ!」
その声は、ここ北門から信秀の自宅へと延びる二本の泥の片側から聞こえてきた。
隆起する泥に上った魚族の族長のものである。
魚族の族長は言う。
「全ては、古参の獣人らの企て! 我ら新参の者は関係ありませぬ! どうか、我らをお救いくだされ!」
これにギョッとしたのは、その場にいたゴブリン族と、いまだ沈みきらぬ石垣の上にいたアライグマ族、さらには東西の石垣から来た獣人達である
なんと魚族の族長は、古参の獣人達に全ての罪を擦り付けようという腹積もりであったのだ。
まさに裏切りの、さらに裏切りである行為といえよう。
「貴様! 嘘をつくな! 何もかも魚族の企みではないか!」
「そうだ! シューグリング公国軍が町を攻めるのに乗じて、反乱を持ちかけたのはお前達魚族だろうが!」
ゴブリン族とアライグマ族が魚族の族長に反論する。
だが、それを心外とでもいうように、魚族の族長は平然と嘘を吐いた。
「そんな馬鹿な! 新参の我らに何ができると言うのだ! 我らには武器すらないのだぞ! この期に及んで見苦しい嘘はやめよ!」
厚顔無恥。
恥を恥とも思わぬ魚族の性質が、嘘を真実のように語ってみせた。
――だが、魚族の族長はあまりにやりすぎた。
「言わせておけば!」
石垣の上からアライグマ族の一人が、自前の弓でもってビュッと魚族の族長へと矢を放つ。
矢は肩の辺りに突き刺さり、魚族の族長は「うぐっ」という呻き声と共に、通りの反対側へと転げ落ちた。
その始終を運転席から見ていた信秀は思った。
醜いな、と。
どちらが、ではない。
どちらともだ。
『フジワラ様、乗りました!』
トランシーバーを通して、各車から狼族が乗り込んだという報告が届く。
「フジワラ様! 私達が間違っておりました! 見捨てないでください!」
「フジワラ様!」「フジワラ様!」
ゴブリン族がその場に両手両膝をつき懇願する。
アライグマ族や他の獣人らも、石垣を下りながら哀訴の声を放っている。
するとその時、またも泥をよじ登ってきた魚族があった。
その魚族は泥の上に立つと、車に飛び移ろうとする。
しかし、そこに矢が飛んだ。
射ったのは、またしてもアライグマ族である。
「フジワラ様、憎き魚族を射止めました!
我らもフジワラ様と共にあり!」
声高々に叫ぶ、アライグマ族。
されど、信秀はギアを入れてアクセルを踏み、車を発進させる。
そして、信秀がハンドルを握りながら『町をつくる能力』を使うと、車があった場所には泥が新たにせり上がり、道の入口を塞いでいった。